2016.11 NO.65 アイヒマン VS アイスマン (2)
事あるごとに後付けで仏を作る。いくら仏を作っても国民の生命を守るという魂が抜けていては意味がない。本当に国民の生命を守るとの意思があれば、「侵略戦争はしない。海外邦人が危険さらされているときに助けたいだけだ。それに限定した形で、憲法9条2項(前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない)を改変したい。」「交戦権を認めてもらわない限り、政治家の根源的な、最低限の義務、国民の生命を守ることができない」と国民に訴え、それだけでいいハズだ。
しかるに、自民党の改正草案では、厚かましくも緊急事態条項を設けている(野党の批判を受け改正草案を棚上げ方針も緊急事態条項を取り下げたとは言っていない)。最低限の「義務」も果たせていないのに、他国はほとんど緊急事態条項を持っていると「権利」を、それも他国よりも大きな権利を主張する。しかも、違憲か問題となっている自衛隊の国防力(武装力)の話よりも、災害時での自衛隊の活用をもって緊急事態条項の必要性を説く(PERFECT HUMANのあっちゃん、こういうのを「あざとい!」と声をあげるのだよ)。
フクシクの原発事故時の菅総理の顛末を思えば、災害などは逆に現場に権限移譲する方がよいと思うだろう。
外部テロとか予期せぬ緊急を要する事態 (上述の海外邦人の危機も同じであるが) に陥り、首相が全責任を負うとして憲法を踏み越えて国民の生命と財産を守ろうとした場合、結果オーライとしても責任をとって首相が辞任を表明して政界を去ろうとしているときに国民がこんな立派な首相を辞めさせていいのかという声が沸き起こる。このときこそ、緊急事態条項の必要性が検討されるときだろう。
拉致問題を見ても国民の生命を本気で守る気があるのか分からない(自民党に限らないが)、そんな者達に授権法的な権限を与えてどうなるか、歴史を紐解けば分かるハズ。ヒトラーに独裁を与えた全権委任法がワイマール憲法を有名無実化させたように、国民からすべての権利を奪う方策にすり変えられていくことに帰するだろう。
国民の言論封殺を暗示するがごとく、すでに自民党内では、従来の自由闊達な議論の伝統が失われ言論封殺が行われていると自民党良識派が告発し始めた。村上誠一郎代議士は『自民党ひとり良識派』(講談社現代新書)を上梓した。前自民党参議院幹事長脇雅史氏が文藝春秋2016年8月号に引退の記『参院自民党は死んだ』を寄稿した。ともに自民党が猿の惑星になりつつあると言いたげだ。
私自身は、明治憲法に戻すべきとは全く思わないが、国の自立との意味では憲法の改正は必要という立場だ。が、しかし、それを現政権にさせるべきではないと強く思っている。
かつて参議院のドンと呼ばれ、安倍首相を振付していると噂される右派政治団体「日本会議」の生みの親と言われる村上正邦氏でさえ安倍首相を強く批判している。「彼は憲法改正論議を避けて、禁句にしてしまった。憲法の「け」の字も出さなかった。参院選の選挙運動期間中、アベノミクス、カネの話ばかりしていた。それなのに、選挙が終わった途端、憲法改正を言い出している。姑息なんですよ! 姑息すぎる。」「昨年の安全保障関連法制もそうでしょう。集団的自衛権の話をするのにホルムズ海峡の話だとか持ちだして、あんなひどい議論はない。こういう議論は、誰もがわかるように時間をかけ、お互いが納得してやっていかないといけないんですよ。与野党で時間をかけて熟議する。結論が出るまで夜中まで付き合う。それがいまは公明党との数の論理だけです。」とYAHOOニュース編集部のインダビュー(2016.7.14)に答えている(本国会では逆に自民党改正草案に対する民進党の問いに首相はだんまりを決め込んでいる。姑息という点はなんら変わっていない)。
今は、軍部の独走を止められなかった昭和の時代にすこし似ているのかもしれない(本国会で自民党の議員の総立ちを見ていると、そのうちハイル・アベラー!と叫びだすのではと心配してしまう)。
石原慎太郎氏は政界を引退後作家として『天才』田中角栄を書いたが、反田中であった石原氏が書いたその訳はなんなのか。「未だに日本は米国から独立していないという事を、田中角栄という人物のロッキード収賄事件から訴えたかった」と穿った見方をする人もいる。田原総一朗氏著『大宰相 田中角栄』(講談社+α文庫)のP622において田原氏に石原氏が早稲田大森元孝教授に勧められたと語っているが、都知事に就任した前後から石原氏を仰ぎ見ない私からすれば、石原氏のこの上梓本は「政治家を引退した今自身を上回る現役政治家はいない」と言っているに過ぎない。たしかに角栄氏の人間的魅力は否定しないが、日本の金権政治の負の側面を一手に引き受けたことも忘れてはならない。
今本当に必要とするのは、その田中首相に仕え、中曽根大勲位を補佐した後藤田正晴官房長官のような人だ。もし、後藤田氏が存命だとしたら、バングラデシュのために尽力した7人の日本人がただ日本人ということだけで(十字軍とみなされ)殺害されることはなかったのではと思う。
昨年の初め、湯川遥菜さんとフリージャーナリストの後藤健二さんが人質となり、水面下で、ISからの身代金要求に対し、(制止を聞かず行ったとしても)人質邦人は救出したいが、新たなテロの原資となる身代金は出せないと政府が対応に苦慮しているときに、わざわざ敵陣近くのカイロでISが敵意を剥き出しにする十字軍側に2億ドル出す(人道援助と言ってもお金に色はついていない)と安倍首相が声高に表明したことは、何を意味し、どういうことになるのか。銀行に人質をとり立て籠もる強盗に対して、人命を最優先とする日本の警察が対応に苦慮しているとき、一国の首相がわざわざ表に出てきて強硬突入しろ!と言うのとどう違うのか。思い至らない首相を諫め、官僚たちも従わすことができる天下のご意見番が今必要なのだ。
むむ、無いものねだりしているのは石原氏と同じかもしれないが。