2016.5 NO.59 トップ VS シップ
卒職後以前よりBSを観ることが多くなると、韓流の時代劇、とくに李氏朝鮮(王朝)時代の政治を舞台にしたドラマが繰り返し再放送されていることを知った。
『大王世宗』は、ハングルの制定を成し、歴代最高の君主として今も国民的英雄と崇められる第4代世宗の物語。テーマは「賢者が王になるべし」。『トンイ』は、賤民の出ながら王の母になり、息子(後の第21代英祖)に身をもって賤民のために尽くすことを教える。『イ・サン』では、今度は英祖が孫の第22代正祖に教える。「聖君が備えるべき徳とは"民を慈しむ心を持つこと"である」と。これらTVドラマの韓国の視聴率はいずれも高い。韓国民がトップの理想像として見ているのだろう。
現実はどうか。現職の大統領はかの頑迷な朴槿恵氏で、その後釜と目されているのは歴代最低と批判されている国連事務総長の潘基文氏。韓国民に対し同情を禁じ得ない。
かくいう日本も韓国のことを言える立場にない。子供の頃国のトップのあるべき姿として、民のかまどより煙がたちのぼらないのを見て、「貧しくて炊くものがないのではないか。都がこうなら、地方はもっとひどいだろう」と思いを馳せられた仁徳天皇を教えられた。生類憐みの令で悪名高い徳川綱吉将軍でさえ、気鋭の論客古谷経衡氏の新書『ヒトラーはなぜ猫が嫌いだったのか』によれば、「あくまで犬を媒介とした弱者救済の思想と解釈すべきで、犬のために人を殺したとする解釈は不正解」と再評価される。
国民、とくに底辺にいる民に目をかける精神は建前にしろ小泉政権が誕生する前までは守られていた。今の安倍政権は、一億総活躍と言っても一億総幸福とは言わない。佐藤優氏は池上彰氏との雑誌対談で一億総活躍では2千数百万人を切り捨てるのかと揶揄する。
拉致被害者の兄蓮池透氏は自著『拉致被害者たちを見殺しにした安倍晋三と冷血な面々』で安倍首相の冷血な一面を暴露した。ネット上の「保育園落ちた。日本死ね!!!」との若き母親の叫びに対する国会答弁に首相の下々に対するつれなさを垣間見た気がした。
私も当初拉致問題で頭角を現し、第一次安倍内閣ができた前後は、首相の家庭教師をしていた平沢勝栄議員が言っていたように頭はよくないかもしれないが、いい人だと思っていた。しかし、今は両方悪いと思っている。上述の正祖と違って、祖父から、能力は隔世遺伝していないが、人の悪さは引き継いでいるのかも。とても賢者とは言えない。
賢者とは何か。①頭が良い、②私心がない、③あまねく民を慈しむ、④常に賢者にふさわしいかと自問する、ということである。①頭が良いと②私心がないは、表裏一体かもしれない。頭のよくない者は、私もそうだが、見方が偏ることと自分のことしか考えない。誰にでも活躍する権利はあるが、分をわきまえることが肝要。リーダーシップ(leader + ship )を発揮する、大きな船、つまり、国を導くトップは賢者でなければならない。
30年ほど前か銀行員時代に読んだ司馬遼太郎氏の『坂の上の雲』で登場する東郷平八郎海軍大将は世界から称賛されるほどの賢者とは描かれていなかった。トップは賢者でなくてもよいのかと思い、今度は下村寅太郎氏の『東郷平八郎』を読んでみた。1943年に書かれ漢字にルビが振られている。講談社学術文庫の文庫本では1981年の初版から13版まで増版される名著だ。表紙の海軍大将の正装?のポートレートは、威風堂々というか、威圧感すら感じる。とても凡庸に見えない。作者の下村氏は「天才秋山真之あっての東郷平八郎であり、東郷平八郎あっての秋山真之」と言う。賢者に求められる頭の良さは、IQとか学歴とは関係ない。私心がなく、寡黙、沈着冷静、決断力、そこから生まれる部下を心腹させる力が東郷大将にはあった。軍人と政治家は違うかもしれないが、東郷大将が、今の首相であったとしたら、不用意にバカな発言をする自民党代議士もいないし、女性票に媚びてか、実力が伴っていない女性議員を大臣することもないことだろう。
自民党のゆるみ、たるみ、驕りと言うが、トップが賢者であれば「勝って兜の緒を締めよ!」と言うだろう。首相の悲願・憲法改正を成し遂げるまではと引き締めを図るだろう。
トップは、賢者でなくとも、それを自覚して、賢者を広く登用すれば、賢者に近づくことはできるかもしれない。しかし、賢者でないことを認めようとせず、賢者を遠ざけ、類が類を呼ぶのであれば、そんな者達に憲法改正をされてはたまらない。ましてや、戦争の悲惨さを知らない世代の賢者でない者たちに(私も戦後5年経って生まれた戦争を知らない世代だが、それでも子供の頃白木綿の着物を着て傷痍軍人がハーモニカやアコーディオンを奏で街角に托鉢僧のように立っていたのを見て戦争は嫌だと肌で感じていた)。
コンプレックスをもち、批判に耐えられない者は、規律と従順のシンボルとしての犬を偏愛したヒトラーのように、言論を封殺していく。現に犬好きをトップにもつ自民党の憲法改正草案も、ワイマール憲法で唯一の盲点を悪用しヒトラーを独裁者にした、まさにその緊急事態条項を持ち出すのは、頭かくして尻隠さずにもなっていない。
かの佐高信氏は、興味深いタイトルほどの内容はなかったが、『安倍晋三と岸信介と公明党の罪 新・佐高信の政経外科』(河出書房新社)を新年早々上梓した。『世界』4月号は「アベノミクス破綻」をテーマに特集を組んだ。『新潮45』4月号(P75~76)で「『戦後レジームからの脱却』もすっかり色あせ、“変節漢”安倍首相を保守層が見限り始めた」とジャーナリスト風間進氏は論難する。有識者も舌鋒が鋭くなってきた。
しかし、大衆の大勢はまだまだ「安倍さんはよくやっている」「お上のすることに盾突くのはよくない」「長いものに巻かれてりゃいい」と思っている。
数をおさえれば、賢者でない者でも、賢者にはなれないとしても、ヒトラーもどきになることはできる。民主主義は独裁者を生む危険性を孕んでいる。