2014.11 No.41 いこく と いこく

 今年の9月にスコットランド独立を問う住民投票が行われ、住民投票を認めた英国のキャメロン首相は危うく売国奴並みのそしりを受けるところだった。

 高を括っていたのか、独立賛成派と反対派が拮抗していると分かると、うろたえ、直前にスコットランド入りした折、「私が嫌いでも英国は嫌いにならないで」みたいな発言を行った。日本のネットの中で英国の前田敦子か?と苦笑された。

 エリザベス女王にあれだけ心配と迷惑をかけながら、すくに責任をとって辞めようとしないのは、騎士道の国も武士道の国と変わらない。

 民主主義の名の下に、ムードに流されやすい民衆に、国の命運がかかった大事な問題の判断を委ねるのは、リスクが大きすぎると思う。

 赤信号みんなで渡れば怖くない。事故が起き死人が出ても、みんなで決めたことだからとして、だれも責任を取らない。

 キャメロン首相は、普段意識することのない国民主権について、我々に再認識する機会与えてくれた。

議会主権の英国と違い、日本は、日本国憲法の第1条において国民主権が謳われているが、実態は国民主権が弄ばれている。

小泉元首相は国民主権を逆手にとった。自身の政治信条として郵政の民営化を何かの一つ覚えのように唱え、国会でうまく事が運ばないとなると総選挙に打って出て、もともと国民が望んでいないものを、国民に判断させた。

狙いは郵貯・簡保だったかもしれないが、郵便事業は公共経済の最たるもの。採算が合わないものだから国でやる。それを民営化するということは過疎地域の切り捨てを意味することにならないか。国民はその是非を考えることもなく、小泉人気になびいた。

なお、民営化するとしても、郵政に限らず、民間に払い下げ社員を入れ替えるのでなければ、民営化の成果は疑問だ。極論かもしれないが、「最小のコストで最大の利益を」になじまない職員の制服を変えるだけで、上から利益、利益と言えば、職員は何もしないで経費を押さえようするだけになる。JR北海道のように。

その頃、私は当時所属していた団体の講演会で大手新聞社の某政治部長を講師に招いた。政治部長は「私の妻は小泉首相をかっこいいと言っている」と話した。こりゃダメだ。政治部長の妻でさえこれでは(口にする政治部長もどうかと思う)。海外から“警察は一流、経済は二流、政治は三流”と揶揄されるのは宜なるかなと思った。

 安倍首相は、特定秘密保護法を来月12/1より施行させる。特定秘密の判断は内閣内の機関が行うという。国民主権とは程遠い。

 裁判員制度も国民主権を愚弄している。裁判官がおかしいと財界、弁護士会らから陪審制度の導入を求められると、主権者たる市民も入れて独善ではないと装う。市民は経済行為を行っているから民事裁判の方が対応しやすいのに、あえて、裁判員になる善良な市民には無縁のハズの刑事裁判を担当させる。その舞台裏については『絶望の裁判所』(元裁判官瀬木比呂志氏著)P6677に書かれているので一読願いたい。しかも、死刑判決もありうる重大犯罪を担当させる。何の因果で、惨殺された被害者の惨状を見ないといけないのか。人の命を奪うことに関わらないといけないのかと裁判員の心を苦しめさせる。その理由が、「裁判は死刑になるようなことは犯さないから、間違っても素人の裁判に裁かれることはない」とするなら、なにをか言わんとあきれるほかはない。

 

国民主権だからと言って、全能の神や聖徳太子でもあるまいし国民がすべてできるわけはない。政治には代議士がおり、裁判には職業裁判官がいる。国民からの信託に応えるべく責任を持って自らの職責を全うする。それが出来なければ国民から罷免されるのが国民主権のあり様。 

代議士の頂点、すなわち日本のトップが、バカで頑固(私のことか)なタイプでは困る。隣国を見てつくづくそう思う。そういう意味では、官僚出身の大物政治家がよいのかもしれない。日本の存否の鍵を握るトップは賢くなければならぬ。また、官僚出身のほうがより私心を抑える術を知っているハズという意味で。戦後、吉田、岸、池田、佐藤、大平、中曽根等官僚出身の首相が多かったが、今はいないのか。それとも頭角を現す機会が与えられていないのか。

 司法を支配する最高裁裁判官については、憲法改正(国民投票)と並んで特別に国民審査をすることになっているが、茶番もいいところだ。名前だけ見て判断できる訳がない。『絶望の裁判所』に書かれている酷い状況であるからこそ、江川詔子さんが問題提起していたように、最高裁裁判官の任免については国会の俎上にあげるべきであろう。

 さらに、国民主権が機能するためには、チェックする我々市民も経済オンリーでなく政治的ステージを引き上げることが不可欠と言える。