2014.12 No.42 こくう と こく

 日本国宝展が今東京国立博物館で催されている。国宝は、国の重要文化財の一種で1,100弱存在する。東京都、京都府、奈良県を中心として全国に点在するので、他国からの侵略よりすべてを守るのは容易ではない。その国宝や領土を守る以上に国民の生命と財産を守るのが国防の目的。人間国宝だけではなく我々庶民も守ってくれなければ困る。

 平和国家を標榜しているから日本は平和が維持できていると思っている日本人は少なくない。本当にそうか。例えば、東京の真ん中で家の玄関に「私どもは他人の物を盗みません」と貼り紙すれば、ドアを開けていてもだれも盗みに入って来ないと言うことと同じではないか。「入って来なかった!」って、それは隣が交番だからだろう。

 日本の平和は世界の警察力としての米国のバックアップが前提。“いつまでもあると思うな親と金”と同じだ。

 尖閣問題の折李登輝元台湾総統が「中国は美人を見ると他人の妻でも自分の妻と言いかねない」と言ったとされるが、中国は本当は「日本は中国の妻だ」というのが本音たろう。日本の領海(:内水)+排他的経済水域は約447万㎢で国土(38万㎢)の約12倍もあり世界第6位と広い。中国はうらやましくて仕方がない。太平洋に出るのに邪魔だし、そこに眠る海洋資源は垂涎の的。中国は本気で尖閣→沖縄→本土と侵略する機を窺っていると思うべきだろう。

中国共産党一党独裁体制の瓦解を期待する向きがあるが、たとえそうなったとしても、国名が変わるだけで、中華思想は中国四千年のDNAに刷り込まれており普遍で不変だ。最悪の場合をも想定し長期的な備えが不可欠だろう。

平和国家が矛や盾を持つことはなにも矛盾しない。他国が侵略してきて、愛する妻、娘や恋人が連れていかれそうになった時、命だけは助けてやってくれと哀願するのか。今故趙紫陽元総書記の『極秘回想録』(光文社)を読んでいるが、天安門事件で自国民に向け無慈悲な武力弾圧をなす中国が他国民に容赦すると思うのか。平和国家だからこそ国防力を他の国よりも強化する必要がある。

そうであるなら、時の政権が進めようとしていることに反対するのはおかしいかもしれない。しかし、積極的平和主義の第一弾がなぜ武器輸出の解禁となるのか。順序や動機に問題があると思っている。

国民に理解を求めなければならないことは、古賀茂明氏が上梓した『国家の暴走』で危惧する「集団的自衛権の行使により米国の戦争に巻き込まれる」ことではなく、「自力でいかに日本を守るかということであり、その為に憲法改正が必要か」ということだろう。

 今はまだ米国は軍事的に日本に助けてもらおうなんて思っていないだろう。日本に求めるのは、米国に対する忠誠と応分の負担だと思う。

去る7/13()の夜、集団的自衛権の閣議決定の舞台裏がNHKで放映されていた。その中で公明党の内でなぜそんなに急ぐのかの内部の問いに幹部が「首相がやりたがっているから」と答えると、(信じられないことに)みんなは押し黙ったと解説されていた。その一方で山口代表は「自民党は従来内部で色んな意見が出されていたが、今回はそのようなことはなかった」と訝しげに発言していた。首相は独裁者と責任転嫁したいのか?

国民の見ているイメージはこうだろう。先代の番頭に愚かなお坊ちゃんと言われても言い返しできない二世経営者が、親しい仲間内だけで先代と違うことを推し進めようとし、従業員がこの経営者について行って大丈夫かなと心配しているのと同じだ。

 ドイツは集団自衛権の行使容認に4年要したとHNKは報じていた。

 日本国民は、夫の転職に反対する妻と同じ気持ちだ。このまま安定した生活を望む。それを70年間も続けてきたのだから。おいそれと考え方が変わる訳がない。  

 しかるに、国会の充分な議論も経ず閣議決定にて集団的自衛権だけを先行させようとした。護憲派メディアの思うツボだ。手続きの不備だけをつつき、本質的な問題から国民の目をそらさせる。

 案の定、支持率が下がるとあれだけ急いでいたのに関連法案は1年間先送り。あの古賀茂明氏は、週刊現代7/268/2合併号の『官々愕々』で、「1年間ほとぼりを冷ました後20156月の国会会期末までに関連法案は強硬採決し、支持率低下を防ぐため拉致被害者10数人を北朝鮮から連れ戻すことをセットにする」のではと首相サイドのシナリオを見透かしていた。

その後9月の女性閣僚が目玉の内閣改造という目くらましは失敗に帰し、もっと大きな目くらましをと消費税増税先延ばしという大義なき衆議院解散(衆院選12/2公示)に首相は打って出た。

国税67百億円をも使うなら、80議席減らしても与党自体は安泰だろうから、姑息の色が付いた集団的自衛権ではなく、堂々と憲法改正の是非を国民に問うてもらいたい。

真に国の将来を憂うるというのであれば、時の首相が私心を捨て捨石となる覚悟が必要だ。国民に訴えるだけではなく、選挙後の国会においても野党とも正々堂々と議論を戦わせなければならない。新設の担当大臣を盾にした“岩陰隊長”では国民は信用しない。

国民は国防力強化とそのための改憲にあくまで反対するだろうが、首相自身が国会で激しい論戦を繰り返す中で国民は次第に首相の確固たる信念を理解し、国民も改憲に向けての心の準備が次第に出来てくるのだろう。そうなった時、祖父と似てきたなと思ってもらえるのかもしれない。