「是れ諸仏の方便なり」とは、何が方便なのかというと、今の仏も過去の仏も「二仏あることなし」と言うのです。これは方便です。仏が説く教えは一つしかありません。仏はあの法や、この法を説いたりしません。仏が説く法は一つです。過去の仏が説いた法も、今の仏が説いた法も一つです。「何という教えなのですか?」というと、妙法蓮華経という教えの一法を説いているのです。だから、瑞相が同じなのです。
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本仏が説く教えの根源は理念(イデア)
タオの創造のはたらき
根源の根源のその奥にある一(いつ)なるもの。
時代や地域によって説かれる教え
最澄、空海の平安仏教
鎌倉六祖に代表される鎌倉仏教
それらは方便なのか。
時代や地域に応じて翻訳された教え
これを始祖たちが説く。
地上の人間が悟るのには、救うには?
始祖たちがああじゃこうじゃと、「何を説くか」悩む。
道元
自分のオリジナル(源流となる)思想を説くのはやめて、どこかから教学を丸写ししよう。
釈尊の法は、このように一すじに祖師から祖師へと相伝して、自然に六祖 大鑑慧能(ダイカン エノウ)禅師に至りました。この時、真実の仏法はまさに東方の中国に流伝して、教理の細目に頼らない宗旨が世に知られるようになりました。
私が目の当たり大宋国で見聞した禅道場の規則や、受け伝えてきた善知識の深い宗旨などを集めて記し、仏道を参学する人に残して仏家の正法を知らせようと思うのです。これは仏道の秘訣なのです。
「今仏の光明を放ちたもうも 実相の義を助発(じょほつ)せんとなり」
今、仏が眉間白毫の光を放って世間を照らしているということは、実相を説かれるのに違いありません。実相とは、妙法蓮華経です。それが説かれるのです。
「諸人(しょにん)今当に知るべし 合掌して一心に待ちたてまつれ」
みんな知りなさい。今まさに合掌して、一心に仏を待ちなさい。
「仏当(まさ)に法雨を雨らして 道を求むる者に充足(じゅうそく)したもうべし」
仏は道を求める人には、妙法蓮華経を充足させたのです。甘露の法雨を降らして、この説法を聞いている人に「おめでとう」と言ったのです。
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メシア教の教祖も言われた
「求めよ、されば与えられん」
座禅、座禅で只管打坐
今の自分と一体になりなさい
「仏当(まさ)に法雨を雨らして 道を求むる者に充足(じゅうそく)したもうべし」
法華経と正法眼蔵をくっつけようとする試み
自受用三昧、端坐依行、身心脱落
もし人、一時なりといふとも、三業(サンゴウ)に仏印(ブッチン)を標(ヒョウ)し、三昧(ザンマイ)に端坐(タンザ)するとき、遍法界(ヘンホッカイ)みな仏印となり、尽虚空(ジンコクウ)ことごとくさとりとなる。
ゆゑに、諸仏如来をしては本地(ホンジ)の法楽(ホウラク)をまし、覚道(カクドウ)の荘厳(ショウゴン)をあらたにす。
法華経には修業方法が書いていない=通説
道元なりの解答
「どうすればどうなるか」という縁起の法
南無阿弥陀仏を唱えればどうなるか。
只管打坐すればどうなるか。
アッラー、預言者、天使、来世、コーランを信じ、
ザカート(布施)などの善行に励めばどうなるか。
始祖の言うことを「どこまで信じるか」は人によって違う。
政府やマスコミを信じている人もいるけど。
なんか地獄に連れていかれそう。