『妙法蓮華経序品第一』について 50-2 道元説とマージしてみる | たこなぐりの宗教ブログ

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 「是れ諸仏の方便なり」とは、何が方便なのかというと、今の仏も過去の仏も「二仏あることなし」と言うのです。これは方便です。仏が説く教えは一つしかありません。仏はあの法や、この法を説いたりしません。仏が説く法は一つです。過去の仏が説いた法も、今の仏が説いた法も一つです。「何という教えなのですか?」というと、妙法蓮華経という教えの一法を説いているのです。だから、瑞相が同じなのです。

 

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本仏が説く教えの根源は理念(イデア)

タオの創造のはたらき

根源の根源のその奥にある一(いつ)なるもの。

 

時代や地域によって説かれる教え

最澄、空海の平安仏教

鎌倉六祖に代表される鎌倉仏教

それらは方便なのか。

時代や地域に応じて翻訳された教え

これを始祖たちが説く。

 

地上の人間が悟るのには、救うには?

始祖たちがああじゃこうじゃと、「何を説くか」悩む。

 

道元

自分のオリジナル(源流となる)思想を説くのはやめて、どこかから教学を丸写ししよう。

 

釈尊の法は、このように一すじに祖師から祖師へと相伝して、自然に六祖 大鑑慧能(ダイカン エノウ)禅師に至りました。この時、真実の仏法はまさに東方の中国に流伝して、教理の細目に頼らない宗旨が世に知られるようになりました。

私が目の当たり大宋国で見聞した禅道場の規則や、受け伝えてきた善知識の深い宗旨などを集めて記し、仏道を参学する人に残して仏家の正法を知らせようと思うのです。これは仏道の秘訣なのです。

 

 「今仏の光明を放ちたもうも 実相の義を助発(じょほつ)せんとなり」
 今、仏が眉間白毫の光を放って世間を照らしているということは、実相を説かれるのに違いありません。実相とは、妙法蓮華経です。それが説かれるのです。
 「諸人(しょにん)今当に知るべし 合掌して一心に待ちたてまつれ」
 みんな知りなさい。今まさに合掌して、一心に仏を待ちなさい。
 「仏当(まさ)に法雨を雨らして 道を求むる者に充足(じゅうそく)したもうべし」
 仏は道を求める人には、妙法蓮華経を充足させたのです。甘露の法雨を降らして、この説法を聞いている人に「おめでとう」と言ったのです。

 

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メシア教の教祖も言われた

「求めよ、されば与えられん」

 

座禅、座禅で只管打坐

今の自分と一体になりなさい

「仏当(まさ)に法雨を雨らして 道を求むる者に充足(じゅうそく)したもうべし」

 

法華経と正法眼蔵をくっつけようとする試み

 

自受用三昧端坐依行、身心脱落

もし人、一時なりといふとも、三業(サンゴウ)に仏印(ブッチン)を標(ヒョウ)し、三昧(ザンマイ)に端坐(タンザ)するとき、遍法界(ヘンホッカイ)みな仏印となり、尽虚空(ジンコクウ)ことごとくさとりとなる。 

ゆゑに、諸仏如来をしては本地(ホンジ)の法楽(ホウラク)をまし、覚道(カクドウ)の荘厳(ショウゴン)をあらたにす。

 

法華経には修業方法が書いていない=通説

道元なりの解答

 

「どうすればどうなるか」という縁起の法

南無阿弥陀仏を唱えればどうなるか。

只管打坐すればどうなるか。

アッラー、預言者、天使、来世、コーランを信じ、

ザカート(布施)などの善行に励めばどうなるか。

 

始祖の言うことを「どこまで信じるか」は人によって違う。

政府やマスコミを信じている人もいるけど。

なんか地獄に連れていかれそう。