人間の探究 1565 仏への捧げものは功徳の善根 | たこなぐりの宗教ブログ

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この世での生活状況

信仰告白、勤行、神への供物
時代や地域によって違いはあれど、趣旨は同じ
造物主への畏敬と感謝
人間は霊性を持つ存在であることを、忘れないようにする。
そのための儀式や作法いろいろ
 
[引用]
「仏の名を唱へ経巻(きょうかん)をよみ、華をちらし、香をひねるまでも、皆我が一念に納めたる功徳善根(くどくぜんこん)なりと信心を取るべきなり、之(これ)に依(よ)つて浄名経(じょうみょうきょう)の中には諸仏の解脱を衆生の心行に求めば、衆生即菩提なり生死即涅槃なりと明(あか)せり」(一生成仏抄)
*
厳島神社には平家の奉納した経典がいろいろある。
平家納経
功徳を積み一族の繁栄を願ったが。
おごりすぎて反感を買い、全滅した。
為政者が奪う愛をして、どうするの。

今の政府もそうかな。
徳高き、功徳を積んでる政治家や公務員はあんまりおらん。
ただただ「我々は法律に基づいて、執行しております」
妙な主観的判断を入れない。
それが政教分離なのだ。
 
 「仏の名を唱へ経巻(きょうかん)をよみ、華をちらし、香をひねるまでも、皆我が一念に納めたる功徳善根(くどくぜんこん)なり」
*
通常、葬式の時にしかしない。
祭祀などの形式主義に陥ったバラモン教やユダヤ教
当時の絶対権威者であるバラモンやユダヤ教司祭に
「お前たちのやっていることは、神への功徳をもたらさない」と
真向批判したのは、釈迦やイエス
「こん新興宗教のキチガイめ」と、多くの怒りと反感を買った。
釈迦は80年生きて実績を作ったが、
ナザレの人もアテネの人も処刑されちゃった。
マニ教の教祖もそう。
南無阿弥陀仏とか南無妙法蓮華経と唱える人はいるけど、それが仏への供養になっているのかどうか。
それが霊的な感応を起こしているのか疑問
坊主のお経に功徳はあるか、死者はそれで成仏できるのか。
大人はそんなことを言ってはいけません。
おとなしく座って、読経が終わるまで待ちましょう。

 仏の名を唱えても功徳は全て違います。「南無阿弥陀仏」と唱える人もいます。それはウソの仏です。「南無妙法蓮華経」と唱えることが、仏の名を唱えることになるのです。
*
日蓮映画に出てくる。
地頭(政治家+役所+裁判所)が、「南無阿弥陀仏」と唱えよと命じる。
信者は「南無妙法蓮華経」と唱えて殺される。
邪教やわけのわからん新興宗教に対する弾圧

戦前の大本教
出口王仁三郎の霊言
戦争に賛同した谷口のところ(生長の家)が発展し、
戦争に反対した大本教が潰された。
理不尽じゃないかと、ぼやいていいた。