投資と宗教は自己責任  仏教的な雑談 | たこなぐりの宗教ブログ

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宗教の古典の紹介
この世での生活状況

他人に「地獄に行ってほしくない」と思うから、宗教話をする。
「ちょっといいですか」と外人に声をかけられたり、
ピンポーンされて「お時間いいですか」の勧誘。
投資系動画
無料情報なのに「そのまま信じて」怒り狂う人がいる。
有料宗教にはいって地獄に行く人も無限にいる。
教義情報を提供している側は、この教えを奉じれば極楽に往けると本気で信じているのかしら。
信者の側も「勝手に」信じているのだが。

宗教と価値観は千差万別
みんな幸福を求めて生きているのだが。
「なんかおかしいんじゃない、ズレてるんじゃない」
とブツブツ言っていたのはパスカル先生
パスカル先生の結論は「(人間が悲惨から脱却するのは)イエス・キリストへの信仰しかない」という宗教への勧誘

仏教でいう信解脱
信じることによって解脱する、苦しみからのがれるという教え
有名なのは南無阿弥陀仏の教え
親鸞先生がああじゃこうじゃ言っている。
「南無阿弥陀仏と唱えれば本当に極楽往生できるんですか」
親鸞先生
「それは私にもわからないのですよ(明言できません)」
「しかし私はそれを深く信じているんですよ」
「このマニュアルを買えば本当に株で勝てるんですか」
〇〇先生
「それは私にもわからないのですよ(断言できません)」
「しかし私はそれを深く信じているんですよ」
信仰、信解脱の奥義ってこんなもん。
 
文証・現象・理証(日蓮先生)
文字で書かれた教学
それを行じれば現実はどうなるか。
筋道を立てて論理的に説明できるか。
因果を明らかにせよ
風呂上がりに裸でいれば風邪をひく。
他人に愛を与えたら、天国に還り
他人から愛を奪う人は、地獄に生まれ変わる。
釈迦が教えた原理
 
『未来からの生還』
因果の連鎖は死んでも断絶しない。
断見
「死んだら因果の流れは終わる」
「これですべてが無になり、おしまい」
正見に反する見方とされる
常見
「常なるものである」
「すべては永遠に続く(変わらない)」
という見方
実際は諸行無常であり、移り変わらないものは何一つない。
以前の状態「それに執着するから苦しいんだよ」
と釈迦先生はリアルに、現実の変化を教えた。
 
オレはいつまでも若くありたい。
私はいつまでも若く美しい(アラフォー女)
婚活の見合い話
若いころチヤホヤされた感覚が残っているから、
「こんな人、対象外」と中高年男性の見合い申し込みを断る。
自分が若い男に申し込むと、断られる。
婚活広告塔の工藤女史
「リアルに、現実を知りなさい」という教え
あと「ギブの精神」
相手から奪っていると嫌われる、逃げられる。
奪う対象はお金、時間、精神(不快にさせたり、あきれさせたり)
私(工藤)もつきあうなら、おもろい人がいい。
与える愛と奪う愛
生前に貯金(善行)をするか、借金(悪行)をするか。
ツケは必ず払わなければいけない
踏み倒すこと不可
不昧因果(ふまいいんが)
 
店員を虐待していたり、文句を言ったり、舌打ちしたり。
それが地獄的であるのは、他人を観察していればわかる。
自身を客観視(正見)できない人が地獄に行く
オレがオレが
オレの気分が害された、オレのプライドが否定された。
オレの金が、オレの時間が奪われた。

釈迦先生は「諸法無我」すべての存在にはオレはない。と教えているけど。
これもなかなか理解しずらい教え
肉体を持ち、個性を持ち、他人とのつながりを観じられないこの世
他人をいじめた時の他人の感覚
他人を殺した時の他人の恐怖や悲しさ
これを自分で経験する(『未来からの生還』)
オレが他人にやったことが、返ってくるだと?
そんなおとぎ話はバカバカしくて信じられん。

「諸法無我」すべての存在にはオレはない
どういう意味だろうか。
オレと他人、自他の区別がない世界
肉体や個の存在がなくなったら、どうなるか。
オレというものが確固として存在し、
そのオレが今ものすごい責め苦を受けている(地獄霊談)
 
死んだらすべて無になるはず(常見)。
オレには意識があるので、生きているはず。
不成仏霊の憑依(つきまとい)お断り
宗教の勧誘もお断り