~幕末の様々な考え~
長々と幕末の捕捉の話をしてきましたが、いよいよ今回立ち寄った伏見の
寺田屋
の話に戻ってきました。
やっと本題です(^_^;)
これも来年が
明治維新150周年だからとご理解頂ければ幸いです(*´σー`)エヘヘ←こればっか(笑)
幕末に興味の無い方も『伏見を行く編』ブログに目を通して頂けていればざっくり幕末の事情は分かって頂けた・・・かと思います。
次によくごちゃ混ぜになってしまう○○屋での事件を場所や内容をなるべく分かりやすくご説明しますね(^_-)
その前にもう1つ幕末の勢力図についてm(__)m
前回紹介した徳川幕府のNo.2である
井伊直弼公
の暗殺が成功した事が
『幕府は弱体化している』
と言う事を世間に証明する形となってしまい、さらに国の頂点である朝廷の許可なく開国を勝手に決定した徳川幕府を排除しよう!と言う倒幕(幕府を倒す)の声が高まりました。
当時、日本にはざっくり三つの派閥が出来ます。
☆幕府にかわり天皇や朝廷を再び政治の中心とし日本をまとめようとした倒幕(とうばく)派
□徳川幕府のもとに再び集結しこの国難を乗り切ることが最善とする佐幕(さばく)派
△幕府と朝廷が今こそ手を取り合い一丸となって国難に立ち向かうべしとする公武合体(こうぶがったい)派
※公→朝廷 武→幕府 を指します
例えば幕末の狼新撰組はこの場合、ざっくり言えば
□・佐幕派
筆頭の集団となります。
上記三つの派閥に加え
1・開国すべきとする開国派
2・鎖国を続けるべきとする鎖国派
3・武力が整うまで海外との貿易をし、整い次第再び鎖国をすると言う考えの一時開国派
などがあり、
暗殺された井伊直弼公も幕府のNo.2として勝手に開国を決めたとして後世に伝わるイメージでは
強硬な
□佐幕派・1開国派
なんですが、
その言動や行動をしっかり調べれば、
朝廷と幕府を一枚岩にしようとしていたし、
開国しても一時的なモノにしたいと考えていたようなので
△公武合体・3一時開国派だったのではないかと言われています。
このように派閥に加えそれぞれ別な考えがあり、組み合わせは様々、つまり仮に同じ派閥であったとしも開国に対しての考えが違うなどの対立もあり、到底意見がまとまる感じではありませんでした(^_^;)
この意見がまとまらない状態が幕末の混乱を加速させます。
その嵐の中で、組み合わせで言えば
☆倒幕派・2鎖国派の考えを持つ一部の過激な考え、行動をする者達が幕末の嵐の中心となります。
徳川幕府を武力を使ってでも排除し、鎖国派の中でもただ外国との貿易を断つのではなく外国を打ち払い排除すべし、と武力で倒幕・鎖国を断行しようと考える
攘夷(じょうい)派
※攘夷・・・外国を打ち払うと言う意味
天皇を敬い、諸外国を排除する
尊皇攘夷(そんのうじょうい)
のスローガンを掲げた者達です。
幕府が天皇や朝廷を敬っていなかったと言えば決してそうではないのですが(侮っていた感じはありました)、しかしながら外国の武力に対する認識の違いは埋められず結果的に朝廷を無視したような決定をする幕府に民衆の不満の矛先は向かいます。
攘夷派の多くは江戸時代幕府からの恩恵を受けていた譜代の国々とは違い、冷遇された外様の地域や虐げられてきた下級武士などの身分の低い者達が多く、関ヶ原の戦い以降から積もり積もった徳川家への反発心もこれに上乗せされる形となり、明治維新へと突き進む革命の礎となります。
ペリー来航から明治維新へと向かう途中、双方は多くの血を流し、互いの足りない部分を思い知りながら新たな時代を生き残るための日本の形を描いていきます。
その時最前線にいたのが一介の浪人達だった時代が私の好きな幕末なんです(^-^)
と言うわけでそんな浪人達が悪戦苦闘し道を切り拓いていく象徴的な事件をいよいよ次回ご紹介いたします(^-^ゞ