(今朝の朝焼け)
本日11月23日は、新嘗祭です。
日本で稲作が始まって以来、とても大切な祭祀として、古来より、大切に執り行われているものです。
一年の五穀豊穣の感謝を神に捧げる儀式です。
ここで言う”神”とは、日本の神社などに祀られている神様、これ即ち、私たちのご先祖様です。
日本の神道というのは、先祖崇拝が起源でしたが、仏教が伝来し、最初貴族だけのものだった仏教が国民全体に浸透し始めたとき、いつの間にか、神道と先祖崇拝が切り離され、仏教が先祖供養、神道は神様(自然の中に住む精霊など)信仰と定義がすり替えられていったのでした。
このすり替えの始まりは、遠く聖武天皇の時代まで遡りますが、このことについては、また別の機会にご紹介します。
今日は、新嘗祭についてお伝えしたいと思います。
我が国は古来より、先祖崇拝の神道(※当時は、神道という言葉すらない。仏教と分ける為に生まれてきた言葉。)による”お米中心の統治”でした。
新嘗祭は、お米で国を統治をしていたことから、その収穫を神(ご先祖様)に祈り感謝する、大切な儀式だったのです。
お米は、長期保存が可能なため、その特性を生かして統治体制が出来ていったのでした。
農家で収穫されたお米(籾米:籾殻を取り去ってない米)は、全て地元の神社に奉納。
神社では、奉納されたお米を保存。
春がきたら、保存されていた籾米の一部を、苗に育て、農家に分配し、各農家で稲を育てる。
秋になって収穫したら、収穫したお米は全て地元の神社に奉納する。
奉納された地元の神社は、その年の収穫の半分を、国(今でいう県くらいの単位の地域。例えば、出雲国、肥後、などなど日本全国がまだ国単位であったころ)の国司に納税する。国司は、納税されたうちの30%を地元の災害や何か起きた時のためにとっておき、残りの20%を中央に送る。全体の20%のお米を中央は納税として受け取り、保存し、災害や何かがあったときに、全国に分配できるよう大切に保存する。
そして、収穫から3年が経って、災害などで分配されることなく残った古々米を国民に分け与え、国民は、古々米を食べて生活する。
と言う制度になっていたそうです。
つまり、お米は、今で言う、災害保険的な制度を形成していた。
こうして振り返ってみると、当然のことではあるのですが、国や政治って、国民を守るための制度なんですね。
現代の政治を見ていると、全く複雑になってしまって、何が何だか読み解くのが大変ですが、昔は至ってシンプルに、国民の生命を守るために、米を保存する機関だったと。
当時は、ほとんどの国民が農家だったため、お米の収穫は、一年で最も大切な作業で、そして、昔は、お米の発育や収穫が天候にもとても作用されたため、順調に収穫を迎えることがほとんどなくて、毎年毎年、必死でお米を育て、毎日、天に向かって神に祈りながらの農作業だったのです。
そうして、迎える収穫の時。
一番最初に収穫した穂を、”初穂”と言い、それを各農家が神社に奉納し、新嘗祭で、地域一円の民が神社に感謝の祈りを奉納する。
それが、新嘗祭です。
私が小さい頃は、まだまだ、農家は、お米の収穫が一年の生活を左右する大変な時代でした。
私の家は、祖父母が農業をし、両親が会社員の兼業農家でしたので、現金収入があったために不作でもそれほど生活が苦しくなることはなかったのですが、近所はほとんどが専業農家のままだったため、村一円はとっても貧しかったし、不作の時なんか、目も当てられない状態でした。
牛や鶏を育て、野菜を育て、ギリギリ生き繋いでいる家庭がまだまだたくさんありました。
私が小学生くらいになり、バブリーな時代が始まると、近所に大きな工場がいくつも出来始め、近所の専業農家は、兼業農家へと移行し、それほど貧しくはなくなり、更に、冷夏にも強いササニシキなどの新品種の発明によって、米の収穫も安定していきました。
更に、お米以外にも、野菜も美味しくて育てやすい新品種がたくさん品種改良された現代においては、農業も誰もが簡単にできる時代となり、昔のような悲壮感はなくなったため、新嘗祭がどんなに大事かを肌で感じ取れる人は少ないと思います。
でも、こうした時代背景を知ると、何と無く理解できるのではないでしょうか。
ちなみに、新天皇が即位して初めて迎える新嘗祭を大嘗祭といい、特に大切にされています。
一昨年に、今上天皇が即位された時には、大々的に大嘗祭を執り行われておりました。
こちらは記憶に新しいかと思います。
こんな風に、日本の風土記にも心を向けてみると、この国の奥深さ、独特な霊妙な文化を感じることができ、この国がますます大好きになり、自分にも自信を持てるようになるのではないでしょうか。
歴史を知ることは、自分を知ること、自分たちのご先祖さまの生きてきた軌跡を共に辿ることで、今、自分がどうすればいいのか、未来はどのように切り拓いていけば良いのかと言うヒントになると思います。
ただ、正しい歴史を知ることが大切です。
嘘の歴史を知ったところで、なんの意味もありません。
何が嘘で、何が本当かを見極める力を養うことも大切で、それは、日々の生活の中で、どんな時も一生懸命に生きることで培われていくと思います。
まずは、日々の生活を一生懸命に生きること。
そして、自分にも他者にも思いやりを持って生きること。
そして、余力があれば、歴史を学ぶこと。
歴史の中に、たくさんのヒントが埋れています。
教科書で学んだ歴史の中にも、たくさんの嘘もありつつ、たくさんの生きるヒントが隠れている。
それを探すのが楽しくて、歴史や大河ドラマが大好きでした。
好きこそものの上手なれ
と言いますが、せっかくこんなに好きなので、ご縁のある皆様に私の歴史観の一部をご披露していこうかなと考えています。
また、思い立ったら、書きますね。