久しぶりに、ブログ書こうとブログを開けると、見たことのない記事や、書いた覚えのない文章がたくさん
あれれ〜
っと思いながら、過去記事を読んでいると、こんな記事に遭遇
ガハハハ〜
さすが、父だわ。。。。
それにしても、この時のことは、今も忘れられない。
裏競馬にハマり、半年で3000万の退職金を使い果たし、母に怒られ、新聞配達を始めた父。
もっと良いバイトないの!?と聞くと、田舎なため、60歳も超えた父のような高齢者には、新聞配達か、旅館のお布団敷きのバイト、2つしかないのだとか。
旅館のバイトだと、深夜に雪の中険しい山道を何時間も車で通わなくてはいけないので、とても危険な上に、安定し仕事が入らないそうで、新聞配達の方が毎日働けるからまし。
よって、新聞配達を始めたそうなのですが、配達するために、軽自動車を買ってみたり、軽トラを崖から落としてしまって、新しい軽トラを購入したりと、波瀾万丈な新聞配達の日々を送る父。
ハッキリ言って、新聞配達したために、かなりのお金がかかっている。
父の新聞配達でもらえるお金は、月4万円。ガソリン代が3万円。計7万円相当。とはいえ、軽自動車しか通れない道が多いために、他の新聞配達員は皆、軽自動車で配達しているからと、父は軽自動車を購入。しばらくして、冬になったら、道が氷に埋まったり、手入れが行き届いていない山林の道は、木の枝や竹が雪の重みで、道を阻むので、軽トラに斧やチェーンソー、ノコギリなどを積んで行き、途中途中で、木々を切り倒し、道を整備しながらの新聞配達。。。
新聞配達の時間は、夜も明けていない真っ暗な中なので、昼間に行って、切り倒した木や竹のお手入れにも通うという、、、なんとも、割りの合わない新聞配達生活。。。
そんな父のことが心配だったので、31日に帰省し、明けて1日(元日)の新聞配達を手伝うことに。
実際について行ってみると、事前に父に聞いた話以上に、大変過酷な作業でした。
雪も大変ですが、ど田舎なために、新聞を配達する家から次の家までの距離がとても長い上に、あり得ないほど険しい道がいくつもあるのです。
普通にアスファルトが敷かれていない私道などもあり、沼の中の水浸しの道を通ってゆく家もあるのです。
沼の水面が半分凍っていたために、水かさが増して、いつもはギリ水浸しにはなっていないそうなのですが、この元旦未明の時間は水浸し(氷浸し)の土の道。
「お父さん、軽トラ、スリップするんじゃない!?また車落としたら大変だから、私、降りて、新聞届けてくるよ!」というと、
「大丈夫だから!美希の靴が濡れるし、冷たいから、車で行くから!いっつも行ってるんだから!」と。
沼の真ん中の水浸しの道は、水面が、道と沼の水部分の高さが一緒なため、深夜2時くらいで真っ暗だし、どうやって行くんだろう?と、怖かったけど、父のいつも通っている勘でなんなりと通り抜け、到着し、新聞を新聞受けに入れて帰ろうとすると、知的障害の背の高い男の子が、ものすごい笑顔で玄関から飛び出してきて、父も喜んで車から降りてきて、「お〜!おめでとう!」と父が言うと、男の子が「明けましておめでとうございます!!わっわっわっ!」っと、喜びを全身で表現していて、中から、おばあさんと、そのお母さんも出てきて、「明けましておねでとうございます!こんな時も大変ですね!いつもありがとうございます!」と、とっても素晴らしい笑顔で挨拶してくれたのでした。
お正月の華やぎを感じる、恐怖の沼の家。。。
「こんな家もあるんだね。」と、車に乗って、その家を無事離れてから父に言うと、「ほだぁ。あのおばあさんは、小学校の校長先生してだんだど。ほんで、その娘もうんと優秀だったみたいなんだけど、結婚したら、あの知的障害の孫が生まれでや〜。離婚して家に戻ってきたみてぇなんだ。」
「へぇ〜。。。」
「男手もおらねぇがら、沼もあんなんだし、オラ、気になって、昼間、道の整備にきたりしてたがら、ああやって感謝してくれて、毎朝出迎えてくれるんだ!」
「へぇ〜。。。いろんな人生があるんだね〜。」
なんて、話しながらも、配達先の一軒一軒が遠いため、移動中の眠気にはほんと、悩まされました。
そして、トイレ
行きたくても、どんなにぶっ飛ばしても、あと30分はセブンイレブンまでかかる。。。とか。
しかも、セブンイレブンまで行くと、遠回りになって、50分は遅れてしまうから、その辺でしろ!
と言われて、雪の原野に降ろされ。。。
えええ〜〜〜〜!!ここって、田んぼ?畑?空き地?真っ白にキレイに雪化粧しているところにおトイレできないよーーー
しかも、誰も見ていないとは言え、なんの囲いもないところで、
「オラ、見てねぇがら、早くしてこい!」って言われても、
なんか緊張してしまって出るものも引っ込み、排泄するはずの水分は再度血液に吸収する覚悟で再び軽トラに乗り込むのでした〜
なんて、過酷なんでしょう。。。。
こうなったら、早く終わらせて早く帰宅するしかない!!
と言うことで、父が運転に専念し、私が配達に専念することに。
いろんな条件の家があり、一律ポストに入れるわけではないので、移動中に、「次の家は、納谷の木の椅子の上」とか、「庭の石の上」とか、「いくつかあるポストの黒い方」とか、「玄関の靴箱の上だけど、おむつがいっぱいで匂いがすごいから気をつけろ」とか、あらゆる指示を受けながらの配達。
一軒たりとも、普通の家ってないんだな〜と言うのが、感想でした。
最後の最後、かなり険しい山の中の天空のお屋敷みたいなところが、一番まともな家でしたが、同じ一族だけの家が、険しい山の頂上に突然開けた空間に5軒ほど建っていて、そのうちの2軒に新聞を届けるのです。
どの家も、住宅展示場みたいな立派な作りで、庭も駐車場もキレイに整備され、それぞれに犬を飼っていました。
不思議な空間でした。
とは言え、その日配達した家々の中では、飛び抜けてゴージャスでキレイな新築の家々だったので、最後にこんな家を見れてよかったなと、ポストも普通のポストだし、新聞も普通に入れれて、ほっとして帰宅すると、その最後の家から苦情が来たのでした。
苦情内容は、「待てど暮らせど、新聞がこなかった。遅い!!!」と。
雪道の中、深夜0時から、父が運転、私は、車が停車したと同時に車から飛び降り、走って新聞を届け、走って戻り、を繰り返し、トイレも我慢して、ようやく仕事を終えたのは、午前8時半。
「遅いだとぉ!」
そんなに早く新聞欲しけりゃ、自分で取りにこんかい!!!
怒り心頭!!!
でも、よく考えたら、これってお客さんよりも、新聞の配達会社のミスである。
1人の配達員に、こんな40軒も任せて。
しかも、この40軒は、都会なら、マンション一軒で行きそうだけど、田舎の40軒は、地図を改めて見ていたら、宮城県の3分の1を網羅して移動していたのでした。。。。
どーゆーこと!?
一晩で、こんなに走ったってこと?
しかも、雪道を!?
しかも、道なき道もたくさんあったじゃねーかょーーーーーー!!!
信じらんない!!!
許しがたし!!!
・・・ツーか、ゆるさーーーーーん!!!!!!!
2人で全力走行で8時間半走りまくっての結果にケチつけるって、許さんーぞぉ〜〜〜〜!!!!
いつしか、私の心は不動明王のように怒りで燃えたぎってしまったのでした。
おめでたいはずの元旦が、怒りが燃え上がるの元旦に。。。
そんなこなで迎えた2011年は、予測していたかのように、東日本大震災が起こり(怒り)、私の怒りのせいで起こったのかな?と思うほど、この元旦の怒りは自分でも恐ろしいほどのものでした。。。
その後、それまで見えていなかった様々なことが浮き彫りとなり、2年間かけて、あらゆる人の真の姿を否応なしに見せられ、家族とは断絶。他にも、様々な断絶がありました。
でも、今年9月、8年ぶりに実家に帰省に、両親と再開し、何事もなかったかのように、昔と同じ家族団欒のひと時を過ごせたことは、良かったかもなと思い、2021年の冬至を前に、感慨に耽ってみました。
ま、何はともあれ、父は、本当に面白い。
こんなに面白い人って、他にいるかな?
しかも、前世は、私のお姉ちゃんだったんです。
なぜか、思い出しちゃって。
今世は、父として生まれ、それなりに、不慣れなりに、育てて(?)くれました。
ありがたいことです🙏
過去世も含めて、全ての出会いに感謝の年末を迎えることができたこと、とても悦ばしく嬉しくこの上ない幸福に、感謝しか出てきません。
皆様も、良い年末をお過ごしください。