昨日からの雨で、空が洗われて青く煌めいていて、とても清々しい朝でした。
日々、様々な皆様の人生を見させていただいている立場で、
その時々でたくさんの気づきや、
いろいろな事もありますが、
皆様と出会う原点になる共通する事が一つあって、
それは、
みんな、孤独
という事です。
なぜか埋められない、心の寂しさ。
この孤独感をなんとかしたいという旅が、人生なのかなと思うほどです。
どうして、こんなに孤独感を感じてしまうのでしょう。
私の人生を振り返って見て、”孤独”というものを感じ始めたのは、中学生の頃からだったなと思います。
人によっては、とても幼い頃からずっと孤独な方もおられます。
私の場合は、中学生となり、自分がどう生きて行くべきなのかを真剣に考え始めた頃から始まりました。
生まれた瞬間から、歌手になると決めていたものの、プロの歌手として生きて行くことに現実味を全く感じず、ほかにやりたいことも特に浮かばずに、では、どうしたら生きていけるのか?全く浮かびませんでした。
それが分かるまで、どうしたらいいのかも、全くわからず、とりあえず、ひたすら勉強して、親を納得させて安心させて、自分の好きな事ができる環境に行くために、とりあえず大学受験でできるだけ有名大学に入るしかないという一点でした。
しかし、その目標も叶わず、有名大学に入れなかったものの、東京の大学に入学することは出来、一人暮らしはできて、自由は手に入ったものの、今度は、何をして良いかわからず、とりあえず、その時一番興味のあった能狂言に没頭。。。したかったのですが、没頭したくても、練習できる場所も部活動の時間しかなく、先生に直接教わるときは楽しいけれど、自分で練習したりする時間は、甚だ苦痛で、狂言以外の時間は、自分でも何やってんだか〜って感じでした。
生きてるのか死んでるのかわからない。
かと言って、みんなのようにバイトもうまくいかず、働くということが、なぜかできない。
勉強は、努力したらそこそこできるようになったのに、アルバイトの仕事は、全くできるようにならないのです。
しかも、ほとんど面接で落とされます。
なぜ?!私って、どこへ行っても、どんな人からも、初対面で褒められ、気に入られるのに、バイトの面接となると、何を感じるのか?!受かる事がほとんどなく。。。
ようやく受かったバイトは、東京ドームのベースボールカフェというレストランのキッチンスタッフ。
ただ、お皿に野菜をのせるだけの仕事なのに、「遅い」と言われ、「何やってんだ?!」と言われ、野菜を載せるだけなのに、何が違うのか全くわからず、ほんと辛かった。。。今思い返しても、一体、何が違っていてあんなに怒られたのか、全くわかりません。
わからないから、改善の余地もなく、つらすぎて半年くらいで辞めてしまいました。
次にようやく受かったバイトは、恵比寿の駅前のホテルの喫茶店のウェイトレス。
こちらは、1年ほど続きましが、就職とともに辞めることに。
続いたと行っても、最悪すぎました。
レジで、計算を間違う上に、お釣りを渡すのを忘れる。
しかも、注文を間違え、さらに、お料理などをテーブルに運ぶだけなのに、運ぶテーブルも間違える。
それでもなぜか、お客さんの中に、反社会的勢力のお方かな?という方が多くて、他のスタッフはそういう人たちを嫌がるので、私は、その方達が来た時だけは、活躍できました。
なぜか、そういう方々とは気が合い、そういう方々に対しては、ヘマをしないのです。
とても優しい親分さんが多くて、落ち着いてレジもできて、お料理も間違わずに持って行く事ができ、注文も間違えない。
なんでだろう〜〜〜?!?!?
みんなと、逆なんです。
私は、普通の人には緊張するのに、ヤクザには緊張どころかリラックスして、本来の自分を発揮でき、しかも、ヤクザには気に入られます。
気が合うってこの事なんでしょうね。
って、話が脱線しすぎました〜
そんなこんなで、自分がやりたいことはできずに、かといって、何をして良いのかも全くわからず、
生まれた時からずっと抱いてい大切な使命
”この世は、このままだととんでもないことになるから、私がなんとかしなければならない”
という責任感が、密かに大きくのしかかっている状態。
でも、何をしたら良いのか、全く検討がつかない。
しょうがないので、大学卒業と同時にそのまま就職。
就職したら、さらに仕事ができない恐怖の毎日。
その上に、人間関係が恐ろしいほどに拗れまくり、濡れ衣を着せされまくり、
さらには、仕事とは全く関係のない同期の子達の恋愛の相談に乗っていたら、
そこでいつの間にかとんでもないことに発展して、全く意味がわからないまま、同期の女子ととんでもない仲間割れ。
今になったら、あの時、そういうことだったのか?!と思い当たる節はいくつかあるのですが、
当時の私には、想定外すぎて、モゥ、ふざけるな〜!って感じですが、
まぁ、痴情の濡れ衣を幾重にも着せられていたのでした。。。。
恐ろしや〜〜〜
そんなことにも、全く気付かずに意味がわからず落ち込んでいたけれど、そこまで鈍感だとまぁ、逆にどうなんでしょう?!って感じなので、鈍感な私が悪かったといえば、悪かった点も一理はあるのかも知れず、、、で、そんなこんなで疲弊しまくって疲れ果てたお陰で、ようやく、生まれながらの夢だった歌手になりたいという思いを達成するために、無理と思いながらも歩き始めたわけで、そのことは、私の重い腰を動かせてくれた、ありがたい出来事だったんだな〜と今となっては思います。
そうして、美道と出会い、私の使命を果たすのは、ここだ!ということで、活動をしているうちに、孤独感は消えていました。
この、生まれながらに持つ孤独感というのは、
もしかしたら、使命に気づく、使命を果たさずに生きている人に使命を果たす生き方をする方向へ導く神様の強引な引力なのだと、今は思います。
どんな皆様も、真剣に、善良に生きてこられた結果、とんでもない出来事に出会いまくり、今、ここに集まっておられます。
そんな皆様の様子を見ていても、やはり、使命を全うするために、そのことに気付き、お役目を果たす方法に出会うための災難だったんだと思うのです。
よって、今が苦しい方は、
神様が、
「早く、使命を果たす生き方をしろょ〜」と
働きかけているのかも知れないと考えてみてください。
そうすると、きっと、本来の自分のやりたいことをする人生に転換できます。
今朝は、雨に洗われた空を眺めながら、安全地帯の「ひとりぼっちのエール」という歌を思い出していました。
頑張っても頑張っても何一つ報われず、心が痛むことしかなかった日々。。。
本当に、寒い夜は、いつか終わるのか?!と、思い続けている中、一縷の希望を感じさせてくれる歌でした。
♬
忘れないよ ささやか部屋で
遠くに見ていた夢を
君のために叫んだ時間の長さが僕を強くした
忘れないで 新しい朝が
光あふれ君を待つ
僕のために世界のかたすみ
泣いてる君はひとりじゃないから
♬
なんて素敵な歌詞でしょう。
高校生の時に、この曲に出会って、この歌詞を見つめて、
だいたい、「君はひとりじゃない」とかいうセリフや歌を聞いても私は、「そんなこと言っても、私はひとりじゃん!」って卑屈になるだけなのですが、
安全地帯の玉置浩二さんから発せされる「君はひとりじゃないから」という言葉は、
なぜか、本当にひとりじゃない気持ちにさせられるのが不思議でした。
東日本大震災が起きた頃、近所に玉置さんが住み始めていて、ご夫婦で毎朝散歩されているのを見かける事があったのですが、
その時に感じたのは、この方は、本気で人を愛していて、音楽を愛していて、ひたすら純粋で優しい人だと思ったのです。
いつも寄り添っておられる奥様の青田さんも、とても心の清らかな優しい人で、さらにとっても美しい人で、衝撃でした。
今も青田さんが献身的に玉置さんを支えて、素晴らしい音楽を生み出し続けておられます。
以来、近所に住んでいるというだけで、とても嬉しくて、ワクワクする日々でした。
数年して、多分全然会わなくなったので、引っ越されていかれたと思いますが、なぜか、数年前、この曲の歌詞を書かれた須藤晃さんが近所を歩いておられました。
一見、その年に亡くなったムッシュかまやつさんに見えて、
「あれ!?ムッシュ、生きてた?!」と思ったのですが、よくみると、ムッシュほどふざけた顔をしておらず、キリッとしていて、でも服装が見るからにロックやってるおじいさんなんです。
でも、足がとても綺麗で長くて、シャキシャキと歩いていて、その瞬間目があって、「あ〜!須藤晃さんだ!」と思って、「あ〜!」と言うと、須藤さんはニコっとして、マネージャーさん(?)と去っていかれました。
黒いボロ着れみたいな服を着ていて、めちゃめちゃロックな感じなのに、纏うオーラがとても明るくて、キラキラしていて、とてもエレガントで、不思議な雰囲気でした。
私は、ずっと安全地帯や玉置浩二さんが好きだと思い込んでいたのですが、この「ひとりぼっちのエール」にしても、他の私が好きな曲にしても、この須藤晃さんがかなり携わっておられたりすることを考えると、もしかしたら、須藤晃さんの世界観に共感していたのかもしれないと思います。
この世の偉業の後ろには、それを支える陰に、大きな力持ちがいるんですね。
その力持ちがいてこその、音楽であったり、様々な物事。
見える部分だけではなく、見えない部分も感じとることで、人生を深く味わえるようになるんだな〜
そうそう、最近、クラシックにはまり始めました。
やっぱり、クラシックが一番落ち着きます。
そこで、昨日衝撃を受けた動画があって、「ラ・カンパネラ」を9人の演奏家が弾いたものを聴き比べする動画でした。
辻井伸行さんの「ラ・カンパネラ」が好きすぎて、他の人の演奏を聴く気になれなかったのですが、これを聞いたら、ますます辻井さんの演奏の素晴らしさが再認識できて、とてもよかったです。
よろしければ、時間のある時にでも聞いてみてください。