夫婦間で、夫は妻の名前を呼び捨てや「おまえ」と呼び、その妻は夫の名前をさん付けや「あなた」と呼ぶ。逆の関係になっている夫婦は、日本で1組もないだろう。
いったい、どういう関係?
ジェンダーとか多様性とか、いくら立派な言葉を並べてみても、まず根本を変えないと表面を繕っただけで終わる。
夫婦間で、夫は妻の名前を呼び捨てや「おまえ」と呼び、その妻は夫の名前をさん付けや「あなた」と呼ぶ。逆の関係になっている夫婦は、日本で1組もないだろう。
いったい、どういう関係?
ジェンダーとか多様性とか、いくら立派な言葉を並べてみても、まず根本を変えないと表面を繕っただけで終わる。
情報番組で松 本人志問題を取り上げると、後輩のお笑い芸人達が松本氏の良い点を話し出す。
昨日、京都アニメーション放火事件の被告が死刑判決を受けた。彼にも、数十年間の人生においてよいことをしたことが全くなかったわけではあるまい。人と関わって社会で生活する以上、親戚の子供にお菓子を半分あげたとか、仕事終了後に掃除を一生懸命していたなど何かは必ずある。すべての人に当たり前にあることだ。その人として当たり前のことと事件とは関係がない。
芸人仲間や過去の共演者たちは、論点のすり替え、イメージ操作は、厳に慎むべきであろう。松本氏による素人対象の性加害疑惑のみに限って、知っている事実があるのであればテレビで伝えるか、あるいは忖度するなら関係のないことを語らずに黙っているかのどちらかにするのが適切であろう。松本氏による性加害事件の真相追及を煙に巻く隠ぺい行為と捉えられかねない。
教育委員会は、教員向けの講習などで、公営キャンブル(ボートレースや競輪などのギャンブル)やパチンコ(キャンブルではないため賭博罪に抵触せずに逮捕の心配なく遊べる)を悪く言う。はっきり言うと、「競馬やパチンコなどやるな、自己研鑽に励め」という考えである。
違法行為ならわかるが、ただの偏見によって権力を振りかざす時代錯誤のところもある。社会のイメージ云々という話ならば、違法行為でないのだから社会のイメージの方を変える努力をすればよい。本末転倒だろう。キャンブルやパチンコはお金を使いすぎて身を滅ぼすというのであれば、例えばデパートでいつもブランド物の買い物ばかりしすぎて貯金がなくなったからデパートは悪い所だとなってしまう。違法でない限り、あとはその人個人の性格や能力の問題だ。
教育の世界は閉鎖的である。社会の流れから10年は遅れている。夜の8~9時頃まで学校で仕事をし、若い教員は帰ってからも夜遅くまで翌日の授業の準備をする。事務や印刷、テストの丸付け、学年通信作り(家庭向け広報)の仕事は、土日に出勤して何とか終わらせるといった日々だ。もちろん残業手当などはない。仕事量は増え続け、校長は残業している教員を見ては褒める。これでは、だれも定時に帰れなくなるではないか(帰ったら、「努力しない悪者」になる)。
最近は、GIGAスクール構想で教員はICTの操作やそれを使った新たな指導法も習得しなければいけないが、それはいつやればよいというのだろうか。寝る時間がどんどん減っていく。教材研究の時間(翌日の授業6時間分の準備)も減ることで場当たり的な授業をこなすだけとなる。準備に追われて休み時間における子供への生活指導や個別対応(喧嘩やいじめの対応など)の時間も無くなり、ほおっておくことになる。すべて子供たちにかえっていくのである(子供たちが犠牲になっていく)。ちなみに、教員個人のお金と時間を使って、専門外の大学教授の筋違いの話を聞く「教員免許更新講習」(数年前に廃止)とは一体何だったのだろうか。安倍氏が教育にも関心を持ってしまい、それによって教員たちもさらに苦しめられていた。
私が校長であれば、授業研究や学校行事、校務分掌を削減し、会議を簡略化するなど教員たちの仕事量をできるだけ少なくする。そして、勤務時間が終わったら「ほどほどでよいから、そろそろ帰ってください」と言い、すぐに帰って地域のスポーツサークルに参加したり家族と過ごしたりするだろう。昔、東大教育学部の教授が、「自分や家族(の生活や人生)を犠牲にする教員は、教育者としてふさわしくない」といった趣旨の話をしていたことが思い出される。絶対にやらなければいけないことはやらないといけないが、校長はそれらについて費やす時間やレベルに上限を設け、その範囲内で教員たちに努力してもらうことが重要である。上限の設定なしでは、教員たちを無制限に働かせることにつながる。教員であろうと、仕事をするために生まれてきたのではない。
教員希望者が減るのは当然だと思う。今まで、教員の実態があまり公にならなかったから希望する学生がいただけであろう。実態を知らないで教員になった人たちも、休職や退職、そして過労死する人も結構いる。私の経験だけでも若くして亡くなった教員が2人いた。ヨーロッパの教員は事務仕事はほとんどなく、教員が15時頃に帰宅する国もあると聞いたことがある。
教員も社会人の一人である。日々の生活や一度しかない人生を犠牲にして頑張ることが美徳であるといった昭和の考えがいまだに残る教育公務員の世界も、コンプライアンスや働き方、(残業)手当などにおいて、早く一般企業並みになることを期待したい。まずは教員の実態を公にして、移民や専門家、マスコミなどの皆に「なんかおかしいぞ!」とわかってもらわなければ、改革に向けての議論も始まらない。
自民党政治刷新本部の中間報告では、お金とポストの差配機能を切り離した政策集団を容認することになった。
ということは、数のまとまりを利用して、自分たちの政策集団の要望通りに総理が動かない場合は、わが政策集団の多数の議員たちは政府に協力しないという「暗黙の脅し」をかけることになる。これは、ポストの差配を禁止しても、総理の方から人事でその政策集団を優遇せざるを得ないしくみだ。何とおぞましい中間報告だろう。政治家の考える悪知恵は、我々一般国民には到底考えも及ばないことばかりである。
これでは国民主体の民主主義にはならない。派閥(政策集団?)の議員数、つまり派閥の代表個人の思惑一つで、何でも決まってしまうことになる。最終報告ではないので、まだ話し合いは行われるのかもしれない。普通の結論( 国民の社会常識に合った合理的な結論)を、政治家の口で発表するのを一度でよいから見せてほしい。
ここ数年で、コメンテーター達によってニュースや情報番組もバラエティ化してきた。一面的な妄想自己愛型、残念な勘違い型、喧嘩好きの煽り型、どうでもいい型、逆質問型、口喧嘩型、論点外し型(資料や証拠の要求)、非現実型、実態と異なる嘘つき型等々、様々なタイプが存在する。もちろん、複数を兼ね備えたつわものも多い。
私なりに世論形成の一端を担っているコメンテーター達を分類してみた(敬称略)。
( )型 古市憲寿 安部敏樹 若新雄純(慶応の人)
( )型 ロンブー淳 カンニング竹山 カズレーザー
( )型 橋下徹 西村博之(論破王の人) 堀江貴文
( )型 立川志らく 菊間千乃 小藪一豊
( )には、どのような言葉が入るだろうか。テレビ局がコメンテーターを選ぶ基準とは、いったいどういうものなのだろうか。視聴率かコネ以外にはないか。
松本人志氏の性加害疑惑について、フジテレビの佐々木恭子アナウンサーが情報番組内で、「社会的にパワー、地位がある人は自分に本当のことを言われていない可能性がある前提がないと恐ろしいことになる。同意があるように見えても、本当はどういうことを考えているか、言わせてない可能性があるとは思う」とコメントしたという。
松本氏に忖度することなく、とても冷静で客観的に考えていることに驚いた。松本氏の身内の芸能人コメンテーター達は、こぞって「(松本氏と被害者女性の)どちらの言い分が本当かよくわからないから今は何も コメントできない」と言って逃げ回っているが、今の時点で分かるわけがないのだから、どちらが正しいということを話す必要もなく、コメンテーターであるならば佐々木アナウンサーのように松本論争で抜けおちている視点などを示したりすればよい。身内のコメンテーター達は、自分の能力の無さを、論点をずらしてごまかしているにすぎない。学歴欲しさ、仕事欲しさにどこかの大学院を出たのかもしれないが、身の程を知らないでかっこうばかりつけていると、見る人が見れば、ただの恥ずかしい人で終わるだろう。
佐々木アナウンサーのコメントを聞いて、納得でき感心した。松本氏問題において、コメンテーターとしての仕事をまともにした(役に立つ客観的なことをコメントした)唯一の人ではないだろうか。よい視点に触れることができた。
中堅以上の小学校女性教師にやめてもらいたいこと。
からかい、皮肉、冷やかし、嘲笑。
陰口、悪口、悪い根回し。
ねちっこくて感情的な攻撃。
パワハラ(男性教員に対してのみで、同性の女性教員にはしない)。
小学校教員には比較的女性が多く、当然学年主任の多くは女性だ。女性が権力を持ちやすい。しかも井戸端会議のようにまとまりやすいので、女性としての悪い特徴が職員室に広がり、男性教員はあきらめて放置している状態である。苦笑いをして見ていられる男性教員は直接被害を受けない管理職だけで、被害を受けてしまう若手や中堅の男性教員は、病休や退職に追い込まれてしまうことがよくある。
これは、男性管理職がしっかりと指導監督できないことが大きな原因である(女性教員はうるさくて攻撃的だから、関わらないようにしているように感じる)。小学校は、男性教員の人権が存在しないような独特な職場環境(女性が多く、我が物顔でふるまえる閉鎖された環境)を変えていかなければいけない。教育委員会の指導主事や課長、部長たちも現場にいたことがあるだろうから、おそらく教育委員会もわかっているように思うのだが。これまでの「当たり前」を疑い、毅然と指導することが求めれる。
小学校に限らないのかもしれないが、教員は残業手当なしに夜遅くまで、そして土日も働く人が多い。会議や子供のスポーツ指導、校務分掌等で勤務時間内に明日の6時間分の授業準備ができない上に、校内研修として公開授業が年に1度ある。そのために学年や部会で何度も話し合いが行われ、何度も事前授業が行われる。それに費やされる時間だけでも膨大である。土日が来ると、ようやく子供たちの作品やテストの評価や言葉の記入などたまっていた仕事ができて、ほっとする。学校も働き方改革に向けて動き出してはいるが、やっていることは週に1度、教頭が17時になったら先生方を学校から追い出して残業をさせないことぐらいである。先生方は大量の資料や教科書、テストなどを急いでカバンに詰め込み、家で仕事をすることになる。仕事量が減るならわかるが、やることは変わらずに学校から追い出されると、道具や教材のない家でやることになり、家でできなかった仕事は翌日の朝6時ごろ学校に行って、急いでやることになる。教員たちを早く帰らせて苦しませないでほしいものである。これらに加えて男性教員は、女性教員たちからの陰湿ないじめ(いじわる?)にも耐えなければいけない。もちろん、女性教員が静かな学校もあるだろうが、私の経験ではその割合は2~3割だった。
女性教員の名誉のために付け加えるが、3月に他校へ転勤する男性教員に対して最後は笑いながらでも自分のこれまでの行為を謝罪する女性教員が多かった。冷静に振り返って最後は反省しているようだ。しかし、年度が変わると・・・。それが永遠に繰り返される。根っからの本物の悪人ではなく、「悪い女性らしさ」が出せてしまう職場環境なのだろう。ちなみに、男性教員でそのような陰湿で悪い人は1人も見たことがない。やはり女性は女性であり、男性ではない。これまで、そのような女性教員たちに注意をした立派な女性教務主任(一応管理職)を1人だけ見たことがあるが、その人はなぜか体調を崩し、年度途中で休職した。理由はよくわからないが、その後そのことに触れるのはタブー視されていた。教員の世界では、「立派な先生が辞めていく」とよく言われるが、まさにこの通りで、ブラックな面が存在する。
教員不足が問題になっているようだが、誰がこのような教職を目指すというのか。実態を知ったうえで教員を望む人はいないと思う。小学校は、職場環境の透明性と仕事内容の改善が急務である。社会では男性ばかりの改善が叫ばれるが、女性の改善点も口にしていいと思う。
社会(結局、世論構築担当の「テレビ局」になるが)で認められている日常的差別三選(馬鹿にし、笑いの対象にすることが許されている事柄)。
①方言(各地域の言語体系)
②老化現象(頭の薄毛)
③うるさくない性格(一般的に「根暗」と表現される)
深い議論を経ないままに流行に乗って「ダイバーシティだ!」、「ジェンダーだ!」と騒ぐ前に、考えなければいけないことが日本にはまだまだたくさんある。まずはマイナス状態を0にすることに注力し、スタートラインに立った後に多様性や性(差)に対する社会的共通認識等々について深く議論をしたほうがよい。そうしないと誤った認識で社会全体が突き進み、さらにゆがみを生じさせることになるだろう。
安倍派幹部7人が不起訴となり、それを受けて7人は嘘や責任逃れの言い訳をしていた。それを国民はどのような思いで聞くだろうか、もっと悪者に思われないかと、彼らは考えないのだろうか。それとも、一応考えるが別に国民がどう思おうと何の意味もない、程度に考えるのだろうか。
この人達は次の国政選挙でも当選し、ずっと政治家を続け、ずっと同じ姿勢、言い訳で生き続けるのだろう。許されないことだと思うが、そうさせているのは、間違いなく彼らに投票する国民である。ひどい国会議員はたくさんいる。女性議員達もすごすぎる。しかし、国民が彼ら、彼女らに国政を任せたいと思い、選び、投票している。
暴力団や犯罪者、浮浪者など、世の中にはいろいろな人がいる。今の政治家のような悪い人たちも存在して当然であろう。問題は、国政選挙において国民がどのような人に投票して日本の政治家になってもらうかということである。今の国会議員たちが、違法行為、嘘、詭弁、責任逃れの人ばかりになっているのは、国民がそのような人たちを選んだからである。知らなかったとは言わせない。過去に詭弁や責任逃れをやった人はそれができる人なのだから。今の政治が問題ばかりなのは、結果がわかっていてそうなるように投票している国民が問題だからである。悪いのは国民だと思う。自分は自民党に投票していないから悪くないという人もいるかもしれないが、そのような人も参加した国政選挙によって今の議員たちが決まったのであるから、その人も今の政治をつくった一員である。
「では、筆者はどうなんだ」と言われるだろうが、私は腐敗政治を作った一員には死んでもなりたくないので、これまで国政選挙の投票には一度も行ったことがない。実現不可能であろうが、私のような思いで国政選挙での投票者数が0に近づいた時にはじめて、これではよくないと本気で考え、選挙の在り方(必ず人気投票になるから選挙活動を一切廃止するなど)や、悪くない人が国会議員となって自分の意思で政治が行える仕組みを、国民と政治家みんなが真剣に検討し実行に移していくようになると思っている。その実現に向けて1%にも満たない可能性に私は賭けているのである。というか、考えを変えてみたらと促しているつもりである。根本的で解体的な政治改革に向けて全員を本気にさせるとしたら、これ以外に方法がないと私は思っている。このブログでたった一人が途方もないことを言っても意味がないことはわかっているのだが、そうせざるを得ないのである。
かなり前のことになるが、新聞の投稿欄に送ってみたらとアドバイスを受けたことがあるが、すでにいくつかの全国紙に私の提言が掲載されたことがあった。確か謝礼もあったと思うので、これで小遣い稼ぎをしていこうと思ったが、一度掲載された人は掲載されないと言われ、新聞への投稿はしていない。
東京の売れているお金持ちのお笑い芸人たちは、本人などの話から、昔は銀座で、今は六本木などで豪遊するのだと思われる。
しかし、関西のお笑い芸人達は(吉本芸人になるのだろうが)、昔はわからないが、今活躍している芸人達は、高級クラブなどで遊ぶのではなく素人に手を出したり恋の免疫が少ない女性芸能人に手を出したりする。だから、吉本芸人が女性芸能人と結婚することも多い(後に離婚することが多いのであるが)。お金はあっても高級クラブでは相手にされないことが自分でわかっているのかもしれない。お店の大人の女性たちは、気を使って無理に大笑いをしてくれたり王様ゲームで何でも言うことを聞いてくれたりしないから、銀座のクラブなどは無理なのだろう。金と名声に物を言わせて素人を集め、好き勝手にやるのが精いっぱいな のだと思う。日常生活の態度も子分を従えて肩で風を切って歩き、高圧的で王様にでもなったようにふるまい、私には町のチンピラ集団に見えるのである。
松本軍団なるものが、素人の女性たちと飲む時は飲食店の個室やビップルームなどではなく、ホテルの部屋の中で飲み会をやっていたとの報道があった。私の勝手なイメージとして、吉本芸人はいわゆる本物の芸人ではなく、金目当ての不良の集まりのように思うのである。もちろんそうではない芸人もいるだろうが、関東のお笑い芸人と比べると全体的に全く質が異なる。関東の芸人には、最低限の社会常識、マナー、道徳心がある。他の方々は、吉本芸人と東京の芸人の人間性の違いをどのように感じるだろうか。