最高裁判所裁判官の出身高校(当時の東大合格者数とその背景) | 2022中学受験(息子)と2027中学受験(姪) -A stitch in time saves nine-

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2022中学受験を終了した男子を持つ父のブログ
淡々と息子の学習(主にテスト)の記録をつけていたブログです。
息子は開成・筑駒をはじめ受験校全てに合格しました。
現在は2027年組の姪っこの中学受験アドバイザーです。

昨日の記事の続き。

 

 

 

最高裁判所裁判官は所謂学歴エリートばかりということを書いた。ただ、見る限り私立進学校出身は麻布と東大寺学園の2名だけで、他は国公立高校に占められている。
 
そこで、当時の時代背景を探るべく、各裁判官の大学受験年の各出身高校の東大合格者数とそのランキングを調べながら見ていきたい。
 

まずは各最高裁判所裁判官の出身高校、大学受験年、その時の高校の東大合格者数についてまとめてみた。

 

氏名 出身高校 大学
受験年※
大学受験年の
東大合格者数
大谷直人 都立富士 1971 36(19位)
菅野博之 道立札幌南 1971 14(50位)
山口厚 教駒(現・筑駒) 1972 84(3位)
戸倉三郎 山口県立徳山 1973 100位圏外
深山卓也 都立富士 1973 34(15位)
長嶺安正 教駒(現・筑駒) 1973 134(1位)
草野耕一 県立千葉 1974 30(19位)
宇賀克也 教附(現・筑附) 1974 84(6位)
岡正晶 香川県立高松 1974 25(27位)
三浦守 麻布 1975 106(3位)
林道晴 教駒(現・筑駒) 1976 113(2位)
岡村和美 都立白鷗 1976 100位圏外
安波亮介 東大寺学園 1976 9(55位)
渡邊恵理子 宮城県立第一女子 1977 100位圏外
堺徹 和歌山県立田辺 1977 100位圏外
※大学受験年は、あくまで各裁判官の年齢から計算して出したものであり、実際の受験年とは異なる可能性があります。
 
以下都内の学校について考察してみた。
 
筑駒・筑附
山口厚、長嶺安正、林道晴(以上筑駒)、宇賀克也(以上筑附)とこの国立2校だけで4名の最高裁判事を輩出している。
 
1970年代の当該合格者数ランキングを見ると、筑駒、筑附は10年間通して東大合格者数も多く、ランキングも一貫して高い。
 
実はこの2校は1960年代から東大合格数は非常に多かったのだが、その地位を盤石にしたのは1967年から開始した都立高校の「学校群制度」である。
 
学校群制度は特定の学校(日比谷、西など)に人気が集中するのを排除するため、レベル別に複数の学校を「学校群」として、統一した入試で成績毎に「学校群」が割当てられ、その学校群の中のいずれかの高校に自動的に振り分けられる制度で、生徒が志望校を選べない、というシステムだった。
 
現代の感覚からすると、生徒が希望していない学校に合格させられる可能性があるという、生徒の教育を受ける権利を害するようなシステムがよく導入されたものだと思う。当然の帰結だが、これをきっかけに都立高離れが発生するのだ。
 
導入が1967年なので、その3年後の1970年代初頭からその影響が出始め、これによって都立進学校の凋落が発生し、他方で国立・私立の人気が高まっていくのだ。
 
1970年代に高校受験した世代の中から、4名も国立出身者の最高裁判事が出ているのは、そのような時代背景もあるのだろう。
 
都立富士・都立白鴎
大谷直人、深山卓也(以上都立富士)、岡村和美(以上都立白鴎)が都立高校出身者である。
 
学校群制度で都立高校離れが発生した筈なのになぜ?と思うかもしれないが、興味深いことに学校群制度の副次的効果がここに現れている。
 
都立富士、都立白鴎とも学校群制度の恩恵を受けた側の学校なのだ。
 
学校群制度は、トップ校に人気を集中させないために、複数の学校を「学校群」として同じ成績帯の生徒を振り分ける制度である。そして、トップ校と学校群で組むことになった2番手校は、学校群導入後に進学実績を飛躍的に伸ばしたのである。
 
都立富士の場合は、都立西と学校群を組むことになったのだが、両校の1970年からの東大合格者数は以下のとおりである。
 
  1968 1970 1971 1972 1973 1974 1975 1976
西 102 100 81 80 81 57 42 46
富士 圏外 10 36 34 34 33 35 34
合計   110 117 114 115 90 77 80
(「圏外」はランキング100位圏外のこと)
 
また、都立白鴎にも同様のことが言える。都立白鴎は都立上野と組んだのだが、両校の東大合格者数は以下のとおりである。
 
  1968 1970 1971 1972 1973 1974 1975 1976
上野 33 13 8 16 6 8 圏外 6
白鴎 圏外 圏外 7 7 8 圏外 圏外 圏外
合計   13 15 23 14      
(「圏外」はランキング100位圏外のこと)
 
学校群毎に優秀者が振り分けられるので、東大合格者数は平準化していくわけだ。このように、都立富士や都立白鴎から最高裁判事が3名輩出されているのは、また違う意味で「学校群制度」のおかげ、と言えるのかもしれない
 
そして1972~73年までは学校群トータルの合格者数はあまり変化なかったものが、それ以降は激減している。都立離れが進んでいるのを象徴しているように思う。一方で伸びたのが国立と私立中高一貫校なのである。
 
ちなみに都立学校群の東大合格者数の動きは他の都立進学校、例えば日比谷、小石川、戸山などでも同じ現象が発生している。これについてはまた別記事でまとめたい。
 
麻布その他都内私立
麻布は三浦守のみである。麻布どころか、都内の私立中高一貫校出身が1名だけになる。
 
そこで、1970年代前半の都内私立中高一貫校で東大合格者数トップ10にランクインした学校をまとめてみよう。
 
1970 1971 1972 1973 1974
⑥開成(86)
⑦麻布(80)
④麻布(84)
⑤開成(81)
⑩武蔵(60)
⑥開成(80)
⑨麻布(77)
⑦麻布(80)
⑩開成(74)
③開成(98)
⑦麻布(74)
1975 1976 1977 1978 1979
③麻布(106)
④開成(104)
⑨武蔵(57)
⑤麻布(81)
⑦開成(74)
⑧武蔵(67)
①開成(124)
②麻布(108)
⑧武蔵(63)
③開成(111)
⑥麻布(80)
⑧武蔵(77)
①開成(121)
⑤麻布(97)
⑦武蔵(86)
○数字はランキング、括弧内は合格者数
 
1970年代前半も合格者数が少ないわけではないのだが、その後現在に至るまでの突き抜けた数字にはなっていない。
 
開成の連続東大合格数トップがスタートするのが1982年なので、1970年代はまだ私立中高一貫校への流れが加速中、という感じなのだろう。
 
上記のとおり、最高裁判所裁判官の年齢からすると、まだ1970年代に大学受験を迎えた層なので、私立中高一貫校出身者が増えてくるのは1980年代に大学受験を迎える世代が最高裁判事になる頃になるのだろう。
 

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5年生で取り組んだ問題集 算数編

 

東京出版 算数「ステップアップ演習」

 

5年生で取り組んだ問題集 国語編

 

【レビュー】「中学受験国語 選択肢問題の徹底攻略」

 

5年生で取り組んだ問題集 理科・社会編

 

低学年時に使った問題集 算数編

 

5才頃からのパズル本

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