高良神の后は「神功皇后」。
彼は物部の祖神の饒速日命。
彼女は、誰なのか。
★前回の記事
★目次
☆1 高良神と夫婦
☆2 高良大社の豊姫
☆3 二つの一ノ宮
高良神と夫婦
『高良玉垂宮神秘書』は、神の真実を後世に伝えるものであり、徹頭徹尾、彼らと大社に関係ないことは書かれていなかった。
すべての事柄が彼らに繋がるのだ。
では、高良神の后という「神功皇后」とは。
まずは、『神秘書』幾つかの記述から、社の伝承へ。
三男 月神 底筒男尊 皇后、夫妻となり給う。
嫡男 日神の垂迹表筒男尊は、皇后の御妹豊姫と夫妻となり、この御子をば、大祝日徃子尊と申すなり。
この底筒男尊 同表筒尊二人は、皇后と友如く皇宮おわします。
(『高良玉垂宮神秘書』p14-15)
高良神(月神・底筒男神・磯良神)と神功皇后は夫婦に。
嫡男の表筒男尊は、神功皇后の妹の豊姫と夫婦に。
彼らは、皇宮に住まわれた。
表筒男神と后となった豊姫は、神功皇后の妹とある。
しかし、大社の本殿に合祀されているのはその豊姫。
では彼女が「神功皇后」なのだ。
違うならば、后を差し置いて共に祀らない。
神は人が祀るゆえ、人の常識でおかしいことは不敬になるのでしないだろう。
下の記事より、高良神(底筒男神)と表筒男神は同神との記述もあった。
「日神垂迹表筒男御同躰なり」
また、彼は住吉神でもある。
神話の「イザナギ神の禊で現れる神」は、すべて同神を意味していた。
「神功皇后」は豊姫と同神。
では、高良神が饒速日命であるなら、彼女はその后の御炊屋姫となる。
物部の祖神とは、彼らなのだから。
彼女は女神天照、宗像神(市杵島姫命)、豊受大神に繋がる。
彼らは二柱ずつの天照であり、豊受大神。
では、『神秘書』や社から、彼女にも繋がるはずである。
高良大社の豊姫
大社に合祀される前の豊姫を祀る豊比咩神社は麓にあり、池が周りを取り囲む形となっていた。
旧豊比咩神社*左手の丘の上
地図はYAMAP
★が旧豊比咩神社
池を掘り、島の中に社を建てる。
「弁財天=市杵島姫命」を祀る特徴となるものである。
(便宜上、弁天池としている。自分の造語)
では、かの社をこの形にすることには意味があるのだ。
これは神の由緒を示唆し、「神の住い」の見立てとなるものであった。
また、厳島の神であり、斎く島の神を意味する。
古語で島は星と同義語なので、星神を斎く(祀る)神となる。
実際、橋の右手の池の中に小さな厳島神社がある。
しかし、この橋は、丘へと渡るように向いている。
そちらにある社が、本来の市杵島姫命と示唆するものになるだろう。
社の神の豊姫は市杵島姫命(=弁財天)。
二つの一ノ宮
豊姫に繋がるものが『神秘書』にある。
下のは、仁徳天皇の時、神功皇后が崩御。
高良神達が皇宮を出た後の記述。
皇代十七代仁徳天皇時、神功皇后ご崩御ありければ、高良明神 豊姫 玄孫大臣 この御子大祝日徃子尊 武内大臣、皇宮を共に出給う。
武内大臣は、因幡国タチクサノコヲリ(*1)に、路辺に靴を脱ぎ捨て、御衣を木の枝にかけ、山の奥に入り給う。
隠れ所を知らずなり。
残り四人は、皇宮より遥々行き、豊姫 玄孫大臣は、肥前国に留まりて、豊姫は河上大明神となり給う。
高良大明神 大祝徃子尊は、九月十三日に遷幸有なり。
(『高良玉垂宮神秘書』p15-p16 解読、抜粋)
(*1)は、印旛国へ立つ途中でという意味か。
立久の郡などという土地名か。
上記の地名は、それぞれが祭神として、後に祀られた地だと推測される。
☆武内宿禰は因幡へ。
因幡国の一之宮には、彼が祭神の宇倍神社がある。
「沓を脱ぎ捨て」との伝承がこの社にある。
ゆえに、この社で間違いないだろう。
しかし、その伝承は福岡県の織幡宮にもあった。
沓を脱ぎ、そのまま天に昇ったとされている。
社に沓塚がある。
どちらが本当かは分からないが、武内宿禰を因幡に勧請した時に「彼の最期」の伝承も移されたと思われる。
この伝承が『神秘書』の一文に込められているのではないだろうか。
彼の「祀られる地」を示す為に。
(武内宿禰も、高良神と同神)
*豊姫と玄孫大臣は肥前国へ。
彼女は河上大明神となる。
佐賀には、別名を河上神社とする、肥前国一之宮の與止日女(よどひめ)神社がある。
祭神は、豊姫(淀姫)。
社では神功皇后の妹、また「山幸彦」の豊玉姫ともされている。
神功皇后の妹が、山幸彦の豊玉姫???
おそらく、ほとんどの人が疑問に思うのではないだろうか。
しかし『神秘書』の表記と同じであった。
高良神は、志賀海神社の志賀神=安曇磯良神。
山幸彦の話の元は、社の伝承の磯良神と神功皇后。
豊玉姫=乙姫とは、彼女自身になる。
ゆえに、大社合祀の豊姫が、豊玉姫であり、神功皇后でもあるのだ。
それは「浦島説話」の元でもあり、それぞれの土地に定着した物部が神の由緒として広めたものであった。
☆基本、全国の一之宮の神は、全て彼らだと思われる。
(以上、この回にも記載)
神功皇后の「妹」について、『神秘書』にはこの一文がある。
皇后の妹二人おわします。
一人は宝満大神。
一人は河上大明神となりたまう。
これが豊姫。
宝満大神とは、宝満宮竈門神社。
祭神は、玉依姫と神功皇后、応神天皇。
河上大神は、上記の豊玉姫。
神話では、豊玉姫と玉依姫は姉妹であった。
上記の記述はこれを示しているのだろう。
神話では、玉依姫は豊玉姫の子、ウガヤフキアエズ尊と夫婦になっている。
まあ、まあ、あり得ない話。
『神秘書』では、神功皇后はその二柱の姉。
では、二柱の父親である綿津見神の子(三姉妹)となる。
しかし、綿津見神は志賀神であり、高良神(住吉神)。
神功皇后と夫婦であった。
非常に混乱するので、後に作った図。
図1 安曇磯良神
要するに、「神話」「神秘書」の登場人物は、二柱なのである。
(図1の解説については後に。)
名を変えられど、神社の伝承はそれらを忠実に告げていたことになる。
★玄孫大臣
豊姫と同じく肥前に赴いたという玄孫大臣。
肥前国一之宮はもう一つあり、千栗八幡宮に応神天皇と共に祀られているのが武内宿禰。
祭神、応神天皇・仲哀天皇・神功皇后
配神 難波皇子・宇治皇子・住吉明神・武内宿禰
前述の通り、神話の神は彼ら二柱。
住吉兄弟は同神であった。
高良神は武内宿禰なので、玄孫大臣も彼になる。
よって、肥前に赴いた玄孫大臣の社に武内宿禰がある。
『神秘書』の記述はこの社のことであろうと思われる。
この社は後に繋がる。
天神七代 地神五代に対応するものが、
九州七社 九州五社。
神話の神は全て彼らであるので、それらの神も彼らになる。
その中の九州七社の中に、千栗八幡宮大神があった。
★高良大明神 大祝徃子尊は遷幸
『神秘書』のこの項の地は前述の通り、後に彼らが祀られた地と見ている。
高良大明神、即ち高良神とその子孫は、高良山に祀られたということだと推測される。
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高良神は物部の祖神の饒速日命。
故に彼の后という神功皇后は、御炊屋姫。
彼女の妹という本殿合祀の豊姫とは同神であり、旧豊比咩神社の地には、彼女が市杵島姫命であることを示唆する弁天池があった。
御炊屋姫は、大神神社の御炊社の豊受大神を意味する名。
籠神社の神であり、絵馬を市杵島姫命とされている。
もう一柱は天火明命=饒速日命であった。
物部の神、高良の神とはその二柱なのだ。
だから、『神秘書』も社も彼らに繋がる。
記紀の「神功皇后」に惑わされてはいけない。
先述の『神秘書』には彼女が崩御したのは、皇代十七代仁徳天皇時とあった。
しかし、図1のように、高良神である住吉神は、神武天皇の兄弟としている。
( つづく )
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