「趣味は仕事」というくらい没頭していたデザイナー生活だったが、
入社時1~2億だった会社が、
わずか4~5年30億を超える会社へと急激な変化を遂げ、
経営陣の思考は麻痺し「裸の王様」状態になっていた。
世の中の流れが大きく変わってきているのに
まだ行けるという妄想から抜けられず、
現場の声は届かなかった。
いや、認めたくなかったのかもしれない。
結果、在庫が増え、
それを売りこなす営業能力も持っていなかった。
なぜなら、
注文が追いつかないくらいの勢いだったため、
営業マンが営業しなくても売れる状態を作ってしまい、
在庫が増えだした時も営業力が育っていなかった。
その状態を打破するため、
毎日のように会議が開かれ
経営陣は、営業マンの能力の無さを攻め、
デザイン力のなさを攻めた。
タバコの煙が充満する会議室で、
生産性のない責任のなすり合いが続く毎日・・・
もはや「仕事が趣味」から「地獄の職場」に変容していた。
なぜそこまで動きが取れなくなってしまったのか・・・
ひとつにはジュンヌが入社時に創った商品がヒットしたことに原因がある。
ジュンヌのいるブランドがプリントでヒット商品を次々と出すのを
社長が黙ってみていられなかった。
もともとあった先輩のいた基盤ブランドも
プリント一色にする命令を下した。
「売れる的があるのだから、そこにすべての矢を放てば良い!」
社長独自の考えで、
全ブランドがプリント一色になった。
数カ月後、基盤を創った先輩が辞めた。
結果、急成長を遂げたわけで、
経営者としては間違っていなかったのかもしれない。
しかし、体験したこともないバブルと重なり、
夢に酔いしれている間に、
世の中が大きく変わり、
気づいた時には身動きのできない状態になっていた。
チーフデザイナーとしての3年も過ぎた頃、
ジュンヌは次のスッテプへ行きたかった。
一ブランドのチーフとしてではなく、
会社の総合的なファッションコンサルとして、
海外の仕事も任せて欲しいと思っていた。
当時、イタリアのオートクチュールとも契約し
新ブランドができていた。
しかし、その部分は社長自らが主導権を持ち、
社員には任せたくなかったのかもしれない。
高い契約金を払ってブランドを創ったものの、
売上には結びつかず、
ますます、他のブランドの足を引っ張る形となった。
ジュンヌはやめることもできずに負のスパイラルの中で、
ストレスまみれになりながらも
なんとか頑張ろうと思い、
3年は頑張ってみた。
入社してすでに9年が過ぎていた。
ストレスもピークに達し、
そこまでしている理由もなくなっていた。
会社に辞表を出した。
「会社全体の総チーフをやってくれないか」と社長から言われたが、
もはや一人の力でどうにかなる状態ではなかった。
3年前に言ってくれたら・・・
それでも社長と12時間の話し合いが続いた。
結果「卒業証書をあげよう」と言ってくれ、
円満退職することができた。
ジェットコースターのようなデザイナー生活に終止符を打った後、
次にやるべきことは決まっていた。
続きは【第3章 パリ&東京デュアルライフ】へ・・・
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第1章:生い立ちから人生の目標へ
第1章-2【生と死の狭間で】
第1章-3【パンツ丸見えの自己表現】
第2章:ファッションデザイナーへの道
第2章―1【ファッションデザイナーへのパスポートを手に東京へ】
第2章-6【先輩からの無茶振りで、ヒット商品が生まれたデザイナー デビュー】
