飛行場から旅に出るとき、その飛行機がとても素敵なマーキングだったら、ただでさえ興奮気味の気持ちが、更に大きなウキウキ感に成りますよね。

そんなスペシャルな塗装のDHC-8を集めてみました。

私が飛行機に乗って旅に出るのは、関西から故郷の東北・宮城に帰る時、神戸空港、伊丹、関空からスカイマ-ク、J-AIR、ピーチとその時のいずれか一番安い航空券の便を選んでの空の旅となります。

そんな旅の中で、仙台から伊丹へJ-AIRの帰り便でちょっと不思議でうれしい出来事がありました。

その時は何十年振りかの中学校のクラス会に出席した帰り。飛行機に乗り込みベルトを締め、待機位置で離陸を待っていた時、空の上から写真を撮ろうと思い膝の上にカメラを置いていたら、CAさんが声を掛けてきました、カメラが通信機器なので注意されるのかと思い、ちょっとドキドキしていると、「素敵なカメラですね」という意外な一言。

で、クラス会の帰りで色々と写真を撮ってきた事などを話し楽しい思い出のひと時を過ごさせて頂きました

その後も、別のCAさんがわざわざ私の席に来られて、同窓会出席のお祝いの言葉を掛けてくれたり、フライト記念のグッズをくれたりして至れり尽くせり、最後にはなんと今回の搭乗のお礼のメッセ-ジカードまでも頂きました。

こんな飛行機の旅、一生に一度有るか無いかの出来事、

これはきっとフライト毎に特定の座席NO.の客をもてなすというルールが有るのかなと思わずにはいられませんでした。

そうでなければ、こんな沢山の嬉しい「おもてなし」なんてあり得ないですよね。

理由はなんにしろ、とても素敵な空の旅の思い出を作っていただきました。

ありがとう、その時のCAさん。

 

 

 

 

伊丹空港には朝日新聞航空部の格納庫があり、私が下河原緑地に行ったときはその前に機体が引き出され、暫くは離陸の準備のために数人が周りで作業をしていました。やがてパイロットが乗り込み給油の車も離れて、ホバリングを開始、ゆっくりと旋回しながら飛び立っていきました。

 

朝日新聞航空部と言えば1937年に「神風号」が東京~ロンドン間の記録飛行を行ったことが有名で、このブログでもそのエピソ-ドを綴っています。

 

美貌なれ昭和「神風号」 | 心に残る人のこと飛行機のこと、イラストで綴る物語 (ameblo.jp)

 

戦後になり航空部出身の人達により創設された「日本ヘリコプタ-輸送株式会社」が「全日空」となっていきました。

この日のヘリコプタ-はマクダネルダグラス MD902エクスプロ-ラ-、テールロ-タ-の代わりに尾部から圧搾空気を噴出する装置を備えています。

同型機で「あさどり」がありますが「はやどり」の方は増床燃料タンクにより長い航続距離になっています。

 

航空部ヘリコプタ-の大事な役割の一つに全国高校野球甲子園大会の空からの始球式があります。始球式に使用するボールに朝日新聞の社旗をくくりつけてセカンドべ-ス付近を狙ってヘリコプタ-から落とすという伝統的なセレモニ-です。

風向きやヘリの速度を考慮に入れて狙いを定めるのは至難の業でしょうね。

 

その緊張の様子はこちらです。

players.brightcove.net/4523394980001/rkummADr_default/index.html?videoId=5096586922001

 

 

 

伊丹空港に行き、保育園の子供たちと一日中飛行機を眺めていたお話、第三話。伊丹空港の滑走路が見渡せる下河原緑地からの風景。

今回の機体は天草エアラインATR42-600「みぞか号」熊本行き。子どもイルカの「はるちゃん」「かいくん」がそれぞれ右と左エンジンに、くまもんがおなかに描かれています。

「みぞか」は天草の方言で「かわいい」を意味します。

この機体は二代目で今年2016年2月20日に就航しました。一代目はボンバルデイアDHC-8-103で16年間無事故で

飛び続けてくれました。

子供たちはイルカの飛行機に手を振って見送っていました。

是非、伊丹空港で旅立つ時、下を眺めてみて下さい。

可愛い子供たちの姿があるかもしれません。

 

かわいい「みぞか号」、下記もどうぞ

小さな機体に大きな期待を乗せて日本の空を飛び回る!〜「天草エアライン」と「みぞか号」の魅力 |熊本県天草市の魅力を発信するWebメディアAmakusa colors <!-- – amakusa colors --> (nature-amakusa.com)

 

伊丹空港に行き、保育園の子供たちと一日中飛行機を眺めていたお話、第二話。

車で田舎道をしばらく走り、最後につづら折りのくねくねの峠道を下りきると、急に都会の風景が現れます。

車の右左に阪急とJRそれぞれの宝塚駅を通過、少し行くと左側に宝塚歌劇場が見えてきます。ここから30分程で伊丹空港の滑走路が見渡せる下河原緑地・公園に到着。

今回はJ-AIRのエンブラエル190型の関西万博特別塗装機、万博公式キャラクタ-「ミャクミャク」が描かれた機体です。

子供たちが遊んでいる高台の向こうをゆっくりとエプロンに向かっていきました。

 

田舎道を三時間ドライブして着いたのは伊丹空港に隣接している公園、下河原緑地。

頭上を通過してその爆音とともに臨場感のあふれる雰囲気をより味わえるのは飛行機の着陸進入側の千里川土手ですが、今回はその反対側、離陸していく飛行機が頭上を通過して行く方です。

こちらは高台になっていて空港を見下ろす位置にある公園で、無料の駐車場があり、展望台やベンチもあるのでゆっくりとくつろぐことが出来ます。

普段の日なので人の居ない一日をゆっくり過ごそうとやってきたのですが、暫くすると保育園の子供たちでいっぱいになってしまいました。

ちょっと期待していた雰囲気とは違ってしまいましたが、その子供たちに囲まれて、摘み取った花なんかをもらったりしてほっこりとした時間を過ごすことが出来ました。

この日もいろいろなスペシャル塗装の機体と会うことが出来ました。

先ずは、全日空・ボーイング777-200ERのゴールドに輝くくスター・ウォーズ塗装機。

ロボット・C-3PO の特徴的な首の円盤部分やその配線を機体の全体に配置デザインされています。

この日の子供たちと飛行機の風景、順次画にして載せていこうと思います。

 

 

 

カナダとアメリカの都市を結ぶ多くの路線を運航しているホライゾン航空、そのカラフルなボンバルディアDHC-8-402Qダッシュ8です。

ホライゾン航空でパイロットになる夢を実現した二人の日本人女性がいます。

一人は1995年にパイロットになった岡村嘉子さん、その夢を実現するまでを自著「夢を翼に乗せて」副題として「初めて旅客機パイロットになった日本人女性」で著されています。

もう一人は2008年にパイロットになった青木美和さん。TV番組「グッと!地球便」で紹介されました。

二人ともアメリカに渡り、先ずわ英語を、苦労しながらもスク-ルに通い身に付けます。

航空学部のある大学に入学し、フライトスク-ルでパイロットに必要な免許を取得してていきますが、どこで学べるのか、どこが自分に合ったところなのか、探しながら手探りの状況が続きます。

免許を取ってもアメリカではキャリアを積んでいかなくては

ラインのパイロットとしては航空会社は採用してくれません。飛行教官をしながら、またはカーゴ輸送や遊覧飛行などの仕事をして飛行機を何時間飛ばしたかの時間付けをしていきます。

この間にはビザの期限などのタイムリミットもありましたが研修期間という形にしたり、これもなんとかクリア-していきます。

日本人であること、女性であることなどいろいろな難関が待ち構えていましたが二人供「やめない、あきらめない」という言葉を胸に掲げてその夢に辿り着きました。

現在、青木美和さんはパイロットを目指す若い人達のサポートをする活動やアジアの女性パイロットが集まる400名超のコミュニティ 「Asian Women in Aviation(AWA)」を運営しています

「空の世界において成長における平等な機会の実現を目指す。」を掲げて。

 

 

丸い顔と大きな鼻とても愛嬌のある表情で、さながらムーミンなのはチェコスロバキア製のL410、1971年から路線に使用され始め500機程がまだ飛び続けています。

まあるく短いずんぐりした曲線で構成された胴体に対し、直線的な細い主翼と後退角のついた大きな垂直尾翼、とても素敵なフォルムです。

航続距離、積載量を増加し、最新の電子機器を搭載した改良型410NGが2018年から生産されています。

こちらは鼻が伸びてちょっとムーミンらしからぬ顔つきになってしまいました。

 

 

 

勇壮なエベレスト山脈を背にしたテンジン・ヒラリー空港で下り勾配の滑走路を飛び立つL410。

世界一危険と言われている標高2860mにある空港ですが、エベレストを一目見ようと年間10万人以上が利用しています。

朝の時間帯三時間ほど、ネパ-ルの首都カトマンズからの飛行機が3分間隔で着陸し早々と乗客を降ろし15分後には再び飛び立っていくという光景が何度も見られます。

仏様も危険な離着陸を見守っています。

 

 

 

今話題の朝ドラ「ブギウギ」で活躍の趣里さん

ちょっとコミカルに演じる福来スズ子役がとてもはまっています。

その物語、歌って踊って楽しい舞台の笠置シヅ子さん、戦後の日本を歌と踊りで活気付けました。敗戦から半年後の昭和21年、喜劇王のエノケンこと榎本健一に招かれ共演した「部隊は廻る」は服部良一の音楽も相まって、その楽しい活気あふれる演技で大盛況となります。

稽古中、エノケンは彼女にアドバイスします。「君は歌手で役者ではないのだから芝居のツボがはずれている。しかしそれがまた面白い効果を出しているので、改める必要はない。僕はどんなにツボをはずしても、どこからでも受けてやるから、どこからでもはずしたまま突っこんでこい」

表情豊かに楽しく、身振り手振りで体を揺らして踊り歌う、笠置シヅ子のコメディアンとしての資質をエノケンは見抜いていました。その後もコミカルなミュ-ジカルで二人は何作も共演を重ね、笠置シヅ子はエノケンを演技の先生と慕っていきます。

笠置シヅ子は昭和23年(1948)に「東京ブギウギ」が大ヒットとなり次々とブギウギの曲を歌っていきます。

その中でも「買い物ブギ」は大阪弁の楽しい庶民の力強さあふれる曲ですよね。

エノケンは舞台の忙しい日々を精力的にこなしていきますが、昭和27年広島公演の時に以前から苦しめられていた突発性脱疽が発症し出演出来なくなってしまいます。

その時に笠置シヅ子は代役を買って出ています。

笠置シヅ子の楽しく歌い踊る姿は多くの人たちを戦後の混乱から立ち直る心の支えとなっていきました。

そんな熱烈なファンの中に、夜の商売の女性もいて彼女達との交流を深めていき、厚生施設の設立にも協力しています。

自身が生い立ちから苦しい思いを経験してきただけに、その立場を理解し共有できる人でした。昭和30年代に入ると女優業に専念し舞台やテレビ・ラジオのドラマやCMで明るくて面白い大阪弁のおばちゃんとして活躍していきます。

昭和60年(1985年)卵巣がんで亡くなられました。享年70歳でした。

垂れ目と大きな口で笑顔がトレ-ドマ-クの笠置シヅ子さん、親しみやすい笑顔で歌い踊り周りを和やかにしてくれました。

そんな笠置シヅ子さんとエノケン、楽しく歌う二人をどうぞ

 


 

 

 

天空のエアポ-ト「テンジン・ヒラリ-空港」はネパ-ルの首都カトマンズの東、エベレスト登山拠点の街・ルクラにあります。

旧称はルクラ空港でしたが、1953年にエベレストの初登頂に成功したニュ-ジ-ランド登山家エドモンド・ヒラリ-とネパ-ル人シェルパのテンジン・セルゲイを讃えた名称となりました。  

この空港は標高2800Mに位置し、滑走路は幅20M、全長527M、約6度の勾配がついていて、着陸時は登り勾配、離陸時は下りとなります。着陸の進入時、滑走路の後方には山が迫っていて着陸復行(ゴーアラウンド)の判断にはとても神経質になる必要があり、地形上の強風や濃霧の天候不順に見舞われやすいことも相まって、世界一危険な空港とされています。

そのため、この空港の路線パイロットになるために高い基準が設けられています。

(1)ネパ-ル国内で1年以上の運航経験があること

(2)100回以上の短距離離着陸の経験があること

(3)1,2の有資格者でネパ-ル認定インストラクタ・パイロットから指導を受けてテンジン・ヒラリ-空港の離着陸訓練を受け10回の試験飛行を合格すること

そんな過酷な状況の路線に就役しているのはSTOL性にすぐれた、第二次世界大戦を生き延びたドイツ・ドルニエ社の228,名門デハビランド・カナダ社のDHC-6ツインオッタ-、チェコスロバキア・LETクノブィツェ社のちょっとムーミンに似ているL-410等です。

その中から今回は翼が燕の羽根のような形でカッコいいドルニエ228を描きました。

翼の平面形が燕の羽根に似て、先端がナイフの刃のように細くとがっているのはドルニエ社が開発した翼です。

ドルニエ社はその後フェアチャイルド・ドルニエ社となり現在は複数のエアロスペ-ス社に資産は移っています。

 

 

一歩間違えたら大変なことになる危険な神業ランディングの映像があります。

場所はインドネシアのパプア、ランウェイは標高6500Mの稜線、その長さは300M位です。

よくぞこんな事が出来るもんだとその勇気と技量に感心させられます。

 

 

日本で一番標高の高い空港は信州・松本空港で標高657Mのところにあります。

着陸の誘導設備は最近2020年になってやっと整備されましたが、それでもパイロットの技量に頼らなければならないところが多いようです。

滑走路へのアプロ-チは高い山が空港の周りを囲んでるため直線をとれず、ターンをくりかえす経路になります。

こんな空港ですが、驚いたことに2022年から管制塔は無人となっていて、新千歳空港から遠隔で運航に必要な情報をパイロットに提供するシステムに切り替わっています。

国内で標高が二番目に高いのは福島空港で372M、三番目は広島空港で271Mとなってますが、松本空港がダントツですね。

標高が高いと飛行機の離陸性能に影響してきますが、酸素濃度が薄くなることにより揚力が減少し、エンジンの燃焼効率も悪くなり、パワ-(推力)が落ちることになります。

ここらへんも離着陸の難しい空港の要因となっているんでしょうね。

私は松本空港の路線には乗ったことがないので分かりませんが、離陸の時のエンジン音はほかの空港と比べてどれくらい大きいのでしょうか?

一度乗ってみたいですね。

 

雨月物語は江戸時代後期、上田秋成に依って著された9編の怪異物語りが収められた小説集です。

その中から「浅茅が宿」に登場する女性・宮木を描きました。

 

今の千葉県市川市のあたりに、地主の三代目当主・怠け者の勝四郎と近郷一の美人で賢女と言われた妻、宮木が家を継いでいました。

そんな当主ですから栄えてきた家も次第に傾いてきました。

そこで勝四郎は一旗上げてやろうと画策し、先祖代々守ってきた田畑全てを売り払い、それを元手に染る前の白絹を買い京で売りさばき大儲けをしようと、止める妻を振り切って春のある日、秋には戻る約束をして旅立ちます。

時は、室町時代も終わりに近い頃、足利幕府の力も衰え始め応仁の乱などの大きな争いが京都や宮木を一人残してきた関東でも起こりました。

 

そんな状況で、七年の月日が経ってやっと妻の住む家に戻ってきた勝四郎です。

故郷に着いたとき、日は西の水平線に沈み、低く垂れこめた雨雲は暗く空を覆っています。

背丈ほどもある夏草をかき分け進んで行きます。

立ち止まって見まわすと田畑は荒れ放題、あったはずの畦道も見つからず、夏草や泥の塊ばかり、人家ひとつ見当たりません。

見慣れない風景に不安を覚えながら、さらに草の中を進み

見覚えのある朽ちかけた一本の松の木を見つけて

「ここじゃ、我が家に違いない」

浮きたつ心を抑えて、彼は近づいて行きました。

「あった、家があった・・・

古戸の隙間から光がもれ、人の気配もしており

「誰か住んでいるのか・・・宮木か・・・・」

動悸は高鳴り、歩んで咳払いをしてみると

しばらくして、家の中から「どなた・・・・」

やや老けて疲れた様子の声音ですが、まさしく宮木のものと確信し

「おれじゃ。おれが帰ってきたぞ・・よくもまあ無事でこの荒涼たる野に住んでいたなぁ、生きていてくれたなぁ・・」

と息も継がずに矢継ぎ早に言うと、戸が軋みを上げて開きます

「宮木じゃな・・・」

「宮木かというておるのじゃ・・・」

うっと嗚咽がこみあげ、とめどなく涙が溢れ、彼女の頬をつたいました。

しばらくの間は、次の言葉も出ない有様でただ彼女をみつめていましたがやっと落ち着きを取り戻し、同時に宮木が愛おしく不憫な気持ちでいっぱいになり、思わずきつく抱きしめました。

勝四郎は故郷に戻ってくる途中儲けたお金を、山賊に奪われて無一文に成ってしまったこと。

関所を超えられずに京都に戻り、戦乱の最中、宮木はもう生きてはいないと思いながら七年もの年月がすぎてしまったことなどを話した。

「しかし、ふと十日前に、死んでいるのなら、お前の姿は無くとも菩提を弔いたいというきもちになって帰ってきたのじゃ。なぁ宮木、お前がこんなに達者でいたとは思いもかけなかった。夢を見ているようじゃ。幻ではあるまいな・・・」

「このように、痩せた肩になって・・・」

宮木も汚れた袖口で涙を押さえ、細い声で途切らせながら言うのでした。

「あの時、あなた様と別れた後は、いつお帰りになるかばかり考えておりました。秋にはお帰りになると申されていましたので、ただ秋がくるのを待っていましたが、秋口の前にあの恐ろしい火の海がやってきて、世にも恐ろしい地獄絵図となりました。・・・それでもなんとか天の川の星々の光が一際冴えて、秋が来た、さあ、あなたが帰ってくると思うていましたのに・・・」

「冬がやってきて、やがて春が巡ってきたというのにあなたからの知らせは無く・・・荒野に生き残った狐やふくろうを友として今日まで過ごしてきたのです」

こみ上げる嗚咽は言葉を途切らせ、

「今は、今は、やっと念願もかないました。あなたを、もう恨んではおりません」

宮木は泣き伏し、勝四郎は嗚咽する妻の背を優しく撫でながら、「少し眠って、話はまた明日にしよう・・・・」

七年ぶりに枕を並べて眠りについたのでした。

 

夜明けの頃、彼は、ぼんやりとまだ夢見心地でしたが、肌寒さを覚えて、夜具を掛けようとしました。手探りで場所を探ると、手に奇妙な感触が、それはさらさらと乾いた音がして、まるで砕けた人の骨のようでした。

眠りの淵から、次第にはっきりした意識になってきて、

顔に冷たいものが、滴の様なものがふりかかってきます。

天井を仰ぐと、そこに夜明けの淡い月の光が差し、屋根は風のために破れていて、目の前にはただ荒れ果てた景色が広がっていました。

勝四郎は思わず、つぶやきます。

「宮木・・・・・」

 

今回のモデルはちょっとエキゾチックな雰囲気の宮澤エマさん、「おちょやん」の栗子役からちょっと愁いを帯びた表情をお借りしました。

ミュ-ジカル、舞台で活躍し、テレビではNHKの朝ドラ「おちょやん」で竹井千代の継母・栗子や同じくNHK大河ドラマ「鎌倉殿の十三人」北条義時の妹・阿波の局などちょっと癖のある役柄を見事演じられていました。

最近では「フェルマ-の料理人」でも出演中です。