旅中毒 -24ページ目

旅中毒

バックパックと少しのお金とパスポートがあればいい。行けば行くほど行きたい場所が増え、人生狂って後悔なし!

2019/1/4

 

朝はこっちから陽が当たります。

 

広場から西に延びる路地。この子がなかなかどいてくれないからもう一緒に撮っちゃったよ…。

 

ちょっとしたところにこういう凝った彫刻があるのがいいよねえ。

 

オルヴィエートは、二階に橋が渡してある建物が多い気がする。正式な建築用語があるんだろうな。

 

お店の前にイノシシの首が飾ってある店。食料品店のようでした。

 

タバコの自動販売機。イタリアは喫煙者が多いね。

 

ペコレッリ通り。左に折れると  2°della misericordia 通り… て、何て読むん、コレ…

 

ペコレッリ通りからマガロッティ通りに折れて西へ。(念のため、こんなん、いちいち確かめながら歩いていたわけじゃありません。今これ書きながらストビューで確認してるんです)

 

右に行けばマラブランカ通り。真ん中はカーヴァ通り。左に折れるとコッメンダ通り。背後にはフィリッペスキ通りとマガロッティ通りという五叉路。

 

カーヴァ通りをさらに西へ。

 

カーヴァ通りから北に行くカッチャ通り。飛梁があると目が行ってしまう私。ああもう、あの通りもこの通りも歩きたくて大変。どっちに進めばいいやら。「今はこっちの道を進むけど、後で戻ってきてあっちの道を通ろう」と思っても、「こっちの道」を歩いているうちに先へ横へと進んじゃうし、魅力的な道がどんどん出てくるしで、元の場所に戻るどころか、「今はこっちの道を進むけど(略)」が繰り返されるばかり…

 

カーヴァ通りの突き当り、町の西端にあるマッジョーレ門。現存する門は13世紀のもの。エトルリア時代から19世紀まで、ここが町のメインゲートだったそうな。昔は外部との大きなアクセスポイントはここだけで、教皇もこの門から町に入って来たんだって。

 
門の上の窪みにおわしますのは教皇ボニファティウス8世。門の左脇の標識は「ORVIETO DELL OLMO」と読める。オルム=エルム=楡の木ね。字の上には木のマークが付いているし、楡の木がシンボルなのかな。右側は「QUARTIERE SERANCIA(セランチア地区)」。今のオルヴィエートは、Corsica、Serancia、Olmo、Santa Maria della Stella の4地区に分かれているそうで。

 

門のすぐ横にあった建物。なんだろう? こういう渦巻模様、チェスキー・クルムロフでよく見かけたっけな。バロックだよね。

 

ここも穴を掘って倉庫に使っているね。

 

町の中に戻っていきます…

 

 

2019/1/3

 

さて、オルヴィエートでとても楽しみにしていたのが地下ツアー。私、地下とか洞窟とか大好きなんですよね。ここはガイドツアーでないと入れません。大聖堂前広場にある観光案内所で申し込めます。言語はイタリア語と英語。

 

地下には広大な空間が広がっておりました。地上とは別に地下にも街があると言ってもいいくらい。中世になる頃には、穴が広がって仕事場など生活空間として使われるようになったって。わかっているだけでも1200くらいの洞窟があるそうです。観光客が見学できるのは市が管理している部分のみ。今でも市民使っているものもあるけど、埋め戻されたりもしているらしい。やっぱり危ないからか。戦時中は防空壕としても使われていたそうですよ。

 

 

オルヴィエートも凝灰岩の上に作られた町。例の掘るには柔らかく、風雨に晒したら硬くなる岩ね。チヴィタ・ディ・バニョレージョみたいに崩壊していないのは地震被害に遭ったことがないからなのかな~とか思っていたら、こういう洞窟は土砂崩れで発見されたのだそうで。オルヴィエートも崩れているのよね…。ケーブルカーで上ってきたくらい高さのある断崖の上にあるわけだしね。現代のことですからちゃんと対策は取られているそうですが。でも1000年後くらいには町の大きさが違っているかも。

 



レンガ等を使った壁や巨大な円柱が建ってる場所もあった。崩落を防ぐための補強工事らしい。

 

これはオリーブの圧搾に使った機械だったかな。オリーブの収穫と圧搾は冬に行うのですが、その頃になると地上より地下の方が暖かいので(通年18℃くらい)、油が固まらなくて便利だったらしい。

 

元々は紀元前8世紀くらいにエトルリア人が水を得るために井戸を掘ったんですと。平地からにょっきり隆起している断崖の町ですから、川もなければ池もない。水を得るためには、井戸を掘るしかなかったわけだ。あと、雨水をためる貯水槽も地下にあるらしい。見学できる井戸がありました。写真だとよくわからんけど、足掛かりにするためのくぼみが両側に規則的に掘られているの。

 

 

そして洞窟ツアーの第二部はこちら。

 

このくぼみ、最初は何か全然わからなかった。これ鳩小屋なんですよ。昔オルヴィエートではここで食用の鳩を飼っていたの。崖の中腹に掘られているから、ところどころ外部に繋がる開口部がある。そこから鳩は外に飛んでいって、勝手に餌を食べて、夜になると巣に戻ってきていたの。正に放し飼い。今でも鳩料理はオルヴィエートの名物だって。鳩はエジプトで食べたことあるけど、普通に鶏肉で美味しいよね。

 

 
でも飼い主が何もしなかったわけではない。やはり食用ですから衛生面には気を付けなくちゃね。下の写真の桶みたいなのは、掃除用に水を入れておいた場所だった。確かそうだったと…

 

 

鳩小屋の方は通路が狭くて愉快だったわ。こういうところを通るのって楽しいよねえ。

 

 

トルコのカッパドキアも、柔らかい岩を掘って地下都市を作ったよね。あっちは本当に地下に大都市が広がっていた。で、やっぱりこういう風に鳩小屋を作っていた。もっとも、鳩の糞を集めて肥料にするためで、食用ではないようだけど。カッパドキアも少しずつ崩落していっているそうで。

 

暗い地下から地上に戻ると、とっぷりと日が暮れておりました。これはポポロ通り。

 

晩ごはんを食べた Duca di Orvieto。オルヴィエートの伝統料理を食べさせてくれるってことで選びました。鳩料理を食べてみたかったので。ちゃんとメニューにありましたよ。でも、今は鳩肉の在庫がないって。やっぱりシーズンオフだから仕入れていないんだろうね。仕方がない。

 

でも何を食べてもとっても美味しかった! これはベーコン的なものをカリカリに焼いてバルサミコ酢をかけたもの。

 

これはトリュフのパスタだったっけ…? 色が変…。

 

デザートはガッツリとチョコレートケーキをいただきました。このチョコレートケーキがもう絶品でしたっ!

 

このケーキ、もうホールで日本に持ち帰りたいくらいだったよ! お肉やパスタもとっても美味しかったけど、このケーキが本当に感動的な美味しさでしたわ! バナナアイスクリームと言えばレーゲンスブルクの屋台を思い出すように、ソフトクリームと言えばアイスランドのバスターミナルを思い出すように、これからはチョコレートケーキと言えばオルヴィエートを思い出すであろう…。

 

あとは少し街歩きをしてお終い。オルヴィエートはさすがに大きな町で、夜遅くなっても開いているお店も多くて、中心の辺りは人もたくさん歩いていました。でも小路に入るとシンと静か…。

 

ヴィヴァリア広場からポポロ通りに入るところ。飛梁の上に部屋があるっぽい。こういうの好き。

 

 

2019/1/3

 

陽を浴びて金色に輝くオルヴィエート大聖堂。15:13。

 

日光の当たり具合で全然色が違って見えるので、翌日に撮ったのも貼っときますね。9:48。

 

12:37。これが一番きれいかしら。

 

このファサード、石も黄色いけど、モザイクに金箔が使ってあるからキラッキラしてるんだよね。ゴシックの大聖堂はこれまでにもいくつも見てきたけど、こんなに明るい華やかさがあるのは初めてかも。それにしても装飾の細かさが凄まじい。ファサードの彫刻とモザイクを一つ一つ見ていたら、それだけで1日が終っちゃうよ。ちなみに、アーチが何重にも重なっているのはロマネスク様式だって。建て始めたのが13世紀だものね。

 

 

巨大すぎて感覚が狂うけど、これ、ロッジアがあるんだよね? 人が歩ける場所だよね?

 

この大聖堂、着工は1290年、完成は、最終的には1600年までかかったらしい。そりゃ300年くらいかかろうってもんですわ。こういうのを設計する人、何世代にもわたって作り続けることになる、自分が目にすることがない建物を思い描くって、すごい能力だなと思ってしまう。最初に全部決めてこうなったわけではないにせよ。

 

中身。このシマシマ模様が特徴的ね。19世紀後半にシマシマに塗られたと書いてあるものを見つけたけど、19世紀なんてつい最近になってそんなことしたとは。ホンマかいな。この大聖堂では、1425年に描かれた聖母子のフレスコ画に16世紀の修復の際に描き加えられた聖カテリーナを、近年になって剥がしたそうです。それくらい「オリジナル」を気にするなら、このシマシマだって論外なのでは。元に戻さんの? 大変すぎるから? 天井も、14世紀のものを19世紀に再現しているそうです。

 

修復と回復の話。『最初に描いた画家の作品を勝手に改変したのだから、元に戻すのが正しい』というのは同感なんだけど、16世紀って… なんか、21世紀の目からすると既にそれが歴史の一部って気もしますよねえ…。残しておいたとしても、それも正しいような気がしちゃう。難しいね。

 

 

中央祭壇。聖母マリアの一生を描くフレスコ画で埋め尽くされている… のになんでこんなに斜めに撮っているかと言うと、あの角っこの手すりが気になって…

 

これ。ここのロッジアも歩けるんだね? もしかして、ロッジアが奥で繋がっていないから、ここを渡れるようにしたとか、そういうこと? 手すりのあるとこだけ、下の方の壁的な部分が無いし、出られるようにしてあるんだよね? (この素晴らしい中世宗教美術に囲まれて注目するところがこれかとは思うけどさ)

 

これは中央祭壇の横のサン・ブリツィオ礼拝堂。

 

プレセピオがありました。

 

この礼拝堂は巨匠シニョレッリによるフレスコ画で有名です。

 

ところで、AB-ROADに面白い話が。このフレスコ画を書くためにシニョレッリはしばらくオルヴィエートに滞在したわけですが、その間に現地の人妻を愛人にしていたんですって。結局彼女はシニョレッリと別れて夫の元に戻りまして、激怒したシニョレッリはこの礼拝堂に描かれる地獄行きの女たちの顔を全部その愛人の顔にしたそうで。こんな神聖な場所の仕事で何やってんですか先生。

 

そんでこっちがコルポラーレ礼拝堂ね。こっちは聖体布が保管されているので超重要でして、教会の中からでは行けない。一度外に出て、自動改札機的な機械を通って入り直すの。厳重よ。

 

1263年のこと。聖体拝領の儀式(パンやワインを信者に与えるとキリストの肉と血に変わると言うアレ)に疑いを持っていたボヘミアの司教が、ボルセーナの教会でミサを行ってパンを割ったところ、血が滴って聖体を包む布が真っ赤に染まったそうな。仰天した司教はたまたま近くのオルヴィエートを訪れていた教皇にこの奇跡を伝え、教皇がその奇跡を記念する大聖堂を建てるように命じたという。つまりこの布からこの大聖堂が生まれたのだ。

 
壁を埋め尽くすのは14世紀のフレスコ画。聖体の奇跡についての物語です。(ここにも手すりが)

 

ところで、普通のステンドグラスもきれいだけど、アラバスタ―を薄く切ったものも使われていて、もう夢のように美しかったよ。

 

 

外に出てきました。ファサードを守る神話の生き物たち。鷲と、羽の生えた牛?

 

羽の生えた獅子と、あちらは羽の生えた人…じゃなくて、天使。

 

側面はシマシマです。奇跡の布を見に行くにはこっちにある入口から入るんだけど、入り口がわからなくてしばらくウロウロしちゃったよ。出てきた時に、別の人たちがウロウロしていたから、「チャペルの入り口ならこっちですよ」と教えてあげた。わかりにくいって…。

 

夕方に見るとより金色に見えてきれいだけど、影がねえ。

 

これは大聖堂前の広場。夜まで賑やかだよ。

 

位写真を無理に明るくしたら粗くなっちゃった。この左の方にあるバールに入ってホットチョコレートを頼んだら、ちゃんと普通のが出てきました。チヴィタ・ディ・バニョレージョのチョコレートムースドリンクも、あれはあれで美味しかったけどね。

2019/1/3

 

オルヴィエートの駅前でバスを降り、すぐにケーブルカーに乗り替えます。鉄道駅がある場所からは、オルヴィエートの旧市街はかなりの高台になりますので。フニクリ、フニクラ~♪

 

 

ケーブルカーの旧市街側の駅を降りたところに観光案内所もありますよ。でも私は特に必要な情報ってなかったので、とにかくまずは宿に行く。

 

ちょっと迷ってしまって、知らせておいた時間に遅刻しちゃったけど、許容範囲でありましょう…。見つけてしまえば、すっごくわかりやすい場所だったんですけどw 家の前に宿のオーナーが迎えに出てくれていたので助かりました。なぜ時間を知らせる必要があったかと言うと、オーナーはここに住んではいないので、ゲストに鍵を渡して宿の中を案内しないといけないから。

 

この手前のドアのところが宿。修復でペタッと塗られてはいますが、建物自体は相当古い模様。

 

「マンマ・ロッサのサン・フランチェスコB&B」。Booking.com での予約はできなくなっているので、ご用の方は下記からご連絡を。この名刺からも伺えますが、可愛い雰囲気のきれいな宿です。

 

ドアを開けたところがまずリビングルーム。

 

足ふきマットがクリスマス仕様でした。テーブルの上には観光案内資料がたくさん。地図とか、持って行っていいですよと言われたので、ありがたく頂戴しました。

 

キッチンやリビングルームは共用だけど、私しかいなかったので独り占めです。でもゆっくりする時間もなかったなあ。夜遅くまで出歩いて、シャワーしたら寝ちゃっていたから。

 

キッチン。冷蔵庫は右手奥にあります。その隣に2階に続く階段もある。

 

朝食はクロスタータやラスクにジャム、冷蔵庫にはジュースや牛乳、ヨーグルトがありました。あとはもちろん、コーヒーに紅茶に各種のハーブティーね。

 

この宿の最も素晴らしいポイントはこの螺旋階段! Booking.comの宿の紹介の写真もトップ画像がここだったし、当然オーナーもこの魅力と価値を充分にわかっている。

 

 

階段を上って左に曲がったところにあるのがこちら…。ここもいいよね、中世の暮らしを想像してしまう。

 

反対側から見たところ。元は1つの部屋だったのを半分に仕切ったんですかね?

 

で、上の写真の右側に見えているドアを入るとこの部屋。上の写真だとピンクに見えているドアがこの写真ではオレンジっぽい茶色に見えるんだよな~。

 

窓も実にいい感じだ!

 

窓からの眺め。お隣の建物はコエッリ宮殿ですって。美術展やコンサートが開かれるそうなので、きっと中には華麗な空間が広がっている。オルヴィエート貯蓄銀行財団の本部も入っているそうな。

 

例によってお手洗いはきっちり現代的でとっても快適。

 

お茶を飲んで一息ついたので、お出かけします。オルヴィエートのあまりの寒さに持ってきた服を重ね着しまくり、バックパックがスカスカになりました。

 

宿の前の道のトンネルっぽいとことを抜けた広場にサン・フランチェスコ教会がある。

 

教会を左手に宿からまっすぐ進んだ先に、神話の怪物のように何やら巨大なものが見えてくる。

 

これがオルヴィエート大聖堂です。

 

宿から大聖堂まで歩いて3分の一本道。すごい立地だよね。だけど宿のある一画は中心からは離れる方向にあるので、とっても静かです。そして歴史ある建物の中にあり、料金は格安でした。こんな好条件、なかなかないわ。

 

2019/1/3

 

なんかもうひたすら写真ばっかり載せていますが、この町のステキな小路や一角を、見てほしいの! 余さず見てほしいくらいだけど、これでも厳選しているから!

 

上の写真を反対側から見たところ。お天気がいいのは嬉しいけど、逆光になっちゃったり、日に当たっている場所と影になる場所の差が目立ち過ぎたり、弊害もあるな。

 

壁にあった猫マークは、何なのでしょう…? 猫だよね?

 

 

 

この、建物と建物の間に渡された、壁をぶち抜いて作ったみたいな渡り廊下的な場所、好きだなあ。ここが部屋だったりすると更に良し。

 

この街にもプロッフェルロが付いている建物がたくさんある。

 

 

 

プロッフェルロもこじんまりと可愛らしいような気がしてしまう。サイズ的にはヴィテルボで見かけるものと変わらないんだろうけど、教皇のお膝元で繁栄した大都会ヴィテルボの堂々たる風格とは違う魅力。こういう小さな町(村?)が私は本当に大好きだ。

 

お昼間ならレストランやカフェがいくつも開いていたよ。ここは門楼のすぐ後ろの家だ。

 

これは町の中心、サン・ドナート広場に面した一角ですね。手作り香水の店もあったよ。私はひたすら絵葉書を買っていた。絵葉書には、自分では撮れない美しい航空写真が使われているのだ。

 

これはサンタ・マリア門の手前のサン・ピエトロ広場。広場も広くなくて可愛い。

 

たくさん人がいるでしょ。泊まる人はあまりいないけど、日帰り客は冬にもこれだけ来る。日本人旅行者もいたよ。日本語で話していたから、「あけましておめでとうございます」と話しかけたら「あ、おめでとうございます!」と返してくれた。

 

名残惜しくて、何枚も何枚も写真を撮っていたよ。見るたび、色んなものが違うと思えてね。角度も、光の当たり方も、何もかも少しずつ違う…。

 

展望台から…

 

展望台の近くのカフェの横から…(ホットチョコレートムースの店)

 

さて、バニョレージョまで戻ってきました。ここはお役所。階段の下のドアには地方警察の標識が出ております。後で訪れるローマでは地方警察、自治体警察、軍警察と3種類の警察車両を見たよ。

 

これ、階段が4つ重なって見えるの。すごい。

 

聖ニコラ・ドナート・ボナヴェントゥラ大聖堂の前にある、これは第1次大戦の戦没者記念碑だと思いますが、ちょっとカルチャーギャップを感じるセンスですね。

 

不謹慎ながら、人間を大砲で遠くまで飛ばすギャグを思い出しちゃう。

 

バニョレージョの街の入り口にある門。と、隣は聖ボナヴェントゥラ教会。逆光になっているので、太陽が雲に隠れるのを待ってから撮りました。

 

さて、今からオルヴィエートに向かいます。バス停はこの門に向かって左側の道を行ったところ。バスの中でチケットを買えるのかと思っていたら、近くのキヨスクで買っておかねばならないのだった。運転手さんに言われて大焦りでキヨスクまで走ったよ。ちゃんと待っててくれました。運転手さん、他のお客さん、ごめんなさい。

 

2019/1/3

 

人の写っていないこの場所を撮れるのは夜か朝だけですよ。泊まった人はやっぱり有利。写真左側にちょっとだけ写っているドア、ここが私が切手などを購入したお土産屋さんです。

 

門楼を抜けて、広場に向かって歩いて行く道。

 

すっかり明るくなったでしょ。私の泊まった部屋は南に面しているので、朝から夕方まで陽が当たる。

 

 

じゃあ、昨日進むのをためらった下に降りていく道に行ってみる。

 

ここで町が終ると思っていいのだろう。

 

昨日はその先を曲がった辺りで断念したんだ。何も見えなくてさ。

 

見えていたところで、行き止まりでしたね。上の方に続く道は、門がある。町に続く道があったんだろう。さすがに今はもう危険だから使われていないと思うけど。

 

この崖の中に教会があるよ。Cappella Della Madonna del Carcere …直訳すると牢獄の聖母礼拝堂。どういう意味かと思ったけど、ここが元々カルチェレ地区という場所だったらしい。すごい地名だな。

 

バニョレージョの観光案内サイトによりますと、「1695年に起きた大地震で Contrata Carcere 地区全体と建物が深刻な被害を受けた。下に降りていく道は今でも残っている。マエストラ門通りの一部であったこの道はトンネルの入り口に続いていくが、現在では崩落が頻繁に起きているため通行は禁止されている。この小さな曲がりくねった小路の両脇にはエトルリア時代の洞窟が並んでおり、かつては羊飼いや牛飼いが利用していた。そういう洞窟のうち一つが今では Carcere 聖母礼拝堂になっている。」

 

 

同じサイトのこちらのページでは、「1695年の地震により、公共・私有を問わず建物と言う建物がほとんどすべて破壊されてしまった。そしてチヴィタは、メルカテッロとバニョレージョの2つの地区に分かれてしまい、間には険しい岩山が屹立している。カルチェレ地区を含むほぼすべての地区が下の谷に崩落してしまい、カルチェレ地区で残っているのは、小さな洞窟だけとなった。この洞窟はかつてはエトルリア人が墓所として使い、後には羊飼いたちが住居や羊小屋として利用した。」と書いてあるっぽい。ちょっとわかりにくいところもあるけど…。

 

  

 

上の左の写真の中が下の左。何もない。上の右の写真の中(入れません)は下の右。

 

 

 

手水鉢(キリスト教的専門用語があるはずだ…)が設置されている。今でもここで礼拝を行うことがあるんだろうか?

 

献金箱もちゃんとある。小銭を入れておきました。

 

お隣の洞窟は用具入れか何かだったんですかね。

 

 

せめて傘をどけてから写真を撮れば良かったわ。

 

この穴はわざと開けたんだよね? 高さ的に、2階でも作られていたのかな? その梁を通すための穴?

 

面白かったわ。時間に余裕がある人はここまで来るべし。

 

2019/1/2

 

さて、すっかり暗くなったチヴィタ・ディ・バニョレージョ。右の店は広場に近いレストランです。ランチから人でいっぱいだった。今はもう新しいお客は入れてくれない。もうすぐ閉店。

 

もう広場にも、通りにも誰もいない。

 

メインストリートもこの通り。この屋台っぽいのは、夏に使われるのだろうか?

 
深夜でもなかったけど、飲食店も開いていない。冬だからお客さんもいないものね。

 

 

 

 

町の東端。バニョレージョへと続く橋がある西端の反対側です。下に続く道があるのだけど、灯りがないので真っ暗。ライトで照らしたら歩けるけど、どこに繋がっていくのかわからなかったので、朝にまた来ることにして引き返しました。

 

晩ごはんはハムやチーズと、トレビニャーノ・ロマーノのワイナリーで買ったワイン。

 

 

朝は早起きして6時半くらいにお出かけしました。冬ですのでまだ夜が終っていない時刻。

 

この写真で6:56です。街灯の届かない鐘楼が真っ黒…。

 

響絶えたる小さき市は深々たる夜の中に眠る…(「小市夜景」by アルベール・サマン) 朝だけど…。

 

こういうのは路地裏より広場やメインストリートの方が際立つね。昼間なら賑わっている場所に、生き物の気配を感じない、その密やかな、コップの底にたまっているみたいな暗闇。ましてここは死にゆく街…。

 

 

生きている時間に入るためにあの門を出ていこう。

 

東の空を見れば、夜がゆっくり消えていく様子がわかる。

 

町の灯りがないとは言いませんが、あまり光害がひどくないからでしょうか、月食の部分がうっすらと見えていました。スマホでは写らないだろうなあと思ったんですけど、見えないことはないですね。

 

展望台まで行くべく、橋を渡ります。

 

実はね、私、霧に浮かぶチヴィタ・ディ・バニョレージョを見てみたかったんですよ。こういうの。

(写真はValle del Marta さんのウェブサイトから借りました、すみません。他にも色んな素敵な写真があるよ!ぜひサイトを訪問してみて)

 

宿にも霧に浮かぶ町の写真があったから、「こういうの見たいんです! 冬の朝が一番のチャンスだと聞いたのでこのシーズンを選びました。明日見れるといいんだけど」と言ったら、「天気だけはねえ…。この写真を撮ったのは春ですしねえ」と言われましたわ。

 

うん、きれいに晴れてましてねえ…。

 

てゆかクッソ寒かったわ!  動画も撮ったんだけど、手袋をはずして180度くらいをぐるっと撮ろうとすると、最後の方は指がちぎれそうに痛かったくらい。外にいるなら手袋なしじゃ無理。

 

同じように夜明けのチヴィタ・ディ・バニョレージョを撮りに来た人たちが5~6人いました。三脚を立てて本格的にやっている人たちもいれば、私と同じようにスマホの人たちも。

 

あるグループの女性が、私に近づいて、スマホカメラをかざして身振り手振りで何かを訴えるので、「あ、全員の写真を撮ってほしいのかな」と思い、『良いですよ』の微笑みと共に受け取ろうとしたら、「No、No」と。あれ、じゃあ私が立っている場所から撮りたいのかな? あまり良い位置だとも思えんけど…?と思いつつ『どうぞ』の微笑みと共に場所を譲ろうとしたら、また「No、No」。えっ、何がしたいの?と混乱しましたが、何かと言うと、夜明けのチヴィタ・ディ・バニョレージョとそれを眺める人の後姿を撮りたかったのだそうです。つまり、『貴方を写していいですか?』ってこと。ハイ、どうぞどうぞ。

 

チヴィタ・ディ・バニョレージョに戻ったのは8:15くらい。もうすっかり朝になっていました。

2019/1/2

 

展望台からチヴィタ・ディ・バニョレージョに戻る前に、バニョレージョに行ってみました。お昼に通った時には気が逸って通り過ぎるだけだったからね。街歩きしてみたい。ここがメインストリートの東端。

 

チヴィタ・ディ・バニョレージョが素晴らしいので陰に隠れがちですけど、バニョレージョの旧市街もかなりのレベルですよ…! 特にメインストリートから横に伸びる小路とその奥が素晴らしい!

 

こちらの町も保存状態は良好です。そして夜になってもまだまだ人通りが多くて活気がありました。宿と飲食店とお土産屋さんしかないチヴィタ・ディ・バニョレージョと違って、こちらは人が生活している町なので生鮮食料品店や日用品の店もある。でも魅力はやはり路地の奥だなあ。

 

 

 

宿や飲食店の数も多いので、泊まるならバニョレージョの方が良いと思う人も多いでしょうね。チヴィタ・ディ・バニョレージョにも歩いてすぐなんだし。実際、私がチヴィタ・ディ・バニョレージョに泊まると言ったら、イタリアが大好きでよく旅行で訪れている人が何度も翻意を勧めてきました。冬じゃ夕食をとる店もないし、そもそも30分もあれば見て周れるんだから泊まる必要なんてないって。ま、自分の価値観に合わないアドバイスに耳を傾けたらダメ絶対。

 

 

私が好きなのは大きな町より小さな町や村。メインストリートより路地の奥。静かに浸りたい。

 

 

こちら、チヴィタ・ディ・バニョレージョから司教座が移されたと言う聖ニコラ教会。他にもいくつも教会があるらしい。こんな小さな町なのにすごいな。

 

あとね、聖ニコラ教会のすぐ横に書店があって、失礼ながらこんな小さな田舎町には珍しいと思えるほどの充実ぶりでした。きっと本好きで教育に高い関心を持つ店主さんが運営されているのでしょう。

 

ではチヴィタ・ディ・バニョレージョに戻ろう…。

 

これは町はずれにあったプレセピオ。

 

こんなに羊がたくさんいるプレセピオは初めて見たんじゃないかしら。

 

あと、右下のバグパイプ、ザンポーニャってやつ? 日本人にもお馴染みのグレート・ハイランド・バグパイプなどとは違って、ドローンパイプが下についている。

 

展望台でしばらく夜のチヴィタ・ディ・バニョレージョの眺めを楽しんだ後、体が冷えたので、展望台近くのカフェで休憩しました。こういう時はやっぱりトロリと甘いホットチョコレートがいいですね。

 

で、供されたのがこちら。

 

ホットチョコレートと言うよりも、暖かいチョコムースみたいな…。作った人のお友達らしい子が「完璧」と言っていたからにはこれで良いのだろう、イタリアのホットチョコレートってこういうものなのだろうと思いながら食べておりました。が、後に野本さんに教わったところによりますと、あちらのホットチョコレートはとろみをつけるためにコーンスターチを加えているそうで、これは溶かしきれずに固まってしまっている状態ですって。

 

そう言えば、作ってくれた子が、最初、ポットを逆さにしてもホットチョコレートがカップに落ちてこないので「あれ?」と覗き込み、カウンターにいたお友達(非番の同僚かも)に何か言われて、牛乳を足しては必死に混ぜていました。なるほどね、ドロドロのを延ばそうと頑張っていたのかw 最後にお友達が「ペルフェクト」と言ったのも、それがあるべき姿と言う事ではなく、「もういい、いい、それで充分」てな意味だったのかもしれないね。面白い場面を目撃していたのね私。

 

 

時系列じゃないんですけど、お土産屋さんで買った切手が面白かったので。

 

QRコード付きで、追跡できる切手。GPS対応の郵便ポストに入れること。

 

 

昨日も素晴らしいけど、デザインもいいよね。チヴィタ・ディ・バニョレージョと、同じヴィテルボ県にあるボルセーナ。ここも旧市街が素晴らしいんだって。他にも色んなデザインがあった。

 

 

2019/1/2

 

ここがチヴィタ・ディ・バニョレージョの中心。と言うか、他の町と比べたら、中心しかないと言うほどの規模ですね…。真っ直ぐ端から端まで歩くなら5分かからないと思う。町に実際に住んでいるのは、冬場は10人くらいだと言うのは本当だろうか…。他の人は対岸のバニョレージョに住んでいて、職場に通っていると。写真の真ん中にあるのは緊急車両。あの橋を通れるサイズでないといけないので、こんな可愛いバギーに。

 

これが私が泊まったチヴィタB&Bです。広場に面している、町で一番お安い宿。他は貸しアパートメントのゲストハウスだけど、ここだけは昔ながらの宿屋らしいわ。私の部屋は3階の向かって左端。

 

入り口を開けるとすぐ階段があって2階に上がりまして、2階はレストランになっています。ランチ中のお客さんがたくさんいました。実はこれは翌朝の写真。

 

これも翌朝に撮った写真ね。階段の上から。

 

階段を上った3階に部屋が4つあります。ダブルルームが2つとダブルorツインルームが1つと、キッチン付きのアパートメントが1室。食堂の上に宿を備えた、昔からあるタイプの旅籠なのね。

 

窓からの景色。お向かいは元お役所で今は博物館(両日とも閉まっていて入れず)。役所と教会と食堂兼宿屋が広場に面している。いいね、いいねえ。物語が頭に浮かんで来るよ。

 

昔の雰囲気を残したお宿でも水周りだけは現代的。宿泊者もそれを望むだろうし、宿としても掃除やメンテの面でその方が楽だろうしね。

 

とかやってるうちにランチ営業は終わってしまった。バカ…。ブルスケッタでいいなら出せるよと言われたのでいただきました。

 

ここでちゃんとした食事をしたかったなあ。冬はレストランは夜の営業はしていないんだって。冬だからお客も少ないし、日帰りが多いし、陽が落ちるのが早いからあまり利用客がいないんでしょうね。

 

宿のご主人も、受付にいた女性も、すっごく感じが良くて親切でしたよ。

 

さて、お腹も膨れたことだし、散策にお出かけしましょう。これは広場から教会の横を東に抜ける道。ここがメインストリートですね。広場を中心にこの細長い町は東西に二分されている。

 

中世の町が本当によく保存されているんですよ。これで地面さえ崩れなければねえ…。今は補強工事はしているんでしょうけど、いつまでもは無理だよね。100年後にはいくつかの家がもうなくなってしまうのかな、この町…。

 

これはサン・ドナート教会。町で唯一の教会です。5世紀に遡るロマネスク様式が確認できるそうです。また、教会と鐘楼の両方に、キリスト教が定着する前の異教とキリスト教の聖堂の痕跡もあるらしい。600年から司教座が置かれていたそうですが、1695年の大地震で町も教会も大きな被害を受けたので、司教座はバニョレージョの聖ニコラ教会に移されたんですって。

 

古いわ壊れるわで、何百年もの間に拡張工事や補強工事が行われているのですけど、1967年から13世紀当時の姿に戻すための工事が行われたそうです。

 

これは翌朝に撮った写真ですが… 鐘楼も古く、12世紀のロンバルド・ロマネスク様式(初期ロマネスク様式)ですって。元は教会のファサードにはポルティコ(柱廊と言うか柱付きの庇みたいなアレ)がついていたらしい。地震で壊れたのかな。(と言うようなことはこちらのサイトからの引用です)

 

シーズンオフの真冬でもこんな小さな町にこれだけの人が訪れる、人気の観光名所。だけど、これが夜になったらいきなり人の姿が消えましたわ、本当に。

 

町が高台にあるのが良くわかりますでしょ。

 

保存状態は本当に良いのですよ。規模が極小で目が行き届くからなんですかね、町の中には荒れた部分が全然ないの。廃屋もないし、汚らしいスプレーペイントなんかもない。

 

手入れされていない部分があるとすれば、こういう、建物に植物が張っていたりするくらいですかね。それだって別に放置されているからってわけでもないんでしょうけど。

 

ここ ↑ は橋へと続く道です。町の出口ですね。門楼の下にもお土産屋さんがあるよ。この日のうちにお買い物をして、次の日の朝にお店の前で会ったら、「また来たの!?」と驚かれました。「泊まったんだよ」と言ったらまた驚かれた。やはり泊まる人は多くはないんでしょうね。つか、宿の数が限られているので、泊まりたくても泊まれない人たちもいたであろう。私はかなり早めに予約しました。

 

死にゆく街の黄昏の姿を撮りたくて展望台まで来ました。

 

そのまま待っているうちに夜になっていきました…。

 

 

2019/1/2
 

バニョレージョに行く道中もなかなか楽しかった。これはヴィテルボから20分くらい走ったところにあるチェッレーノ。素敵な建物が見えて大慌てで写真を撮りましたが、窓に手やカメラが写りこんじゃった。

 

上の写真とこれは元修道院。地図上ではカルチャーセンターと出てきますが、オリーブオイル工場がスーパーマーケットと表示されているくらいだから、あまり信じない方がいいかも。

 

行き止まりのところには城壁があったよ。

 

 

野本さんのブログにも書いてあるのだった。

さくらんぼの町チェッレーノでさくらんぼジェラート♡

地下通路が交錯する廃墟の町チェッレーノ

 

ウィキペディアの写真。小さなお城があるんだね。地図をアップにしたら、オルシーニって出てきたから、ここもオルシーニ家の領地だったのか。

By Vitmalinovsky - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, Link

 

本当に感心してしまうのは、イタリアにはこういう小さなお城、小さな旧市街がそこら中にあること。ここ、こんなに素敵な廃墟があるのに、別に有名でも何でもない。あんな素晴らしい旧市街が残るブラッチャーノだって日本では知っている人がほとんどいない。そこらにいくらでもあるから、わざわざ取り上げるほどでもないと思われているのかな。色んな国を見て見るのが好きだからこれからも行ったことのない国を優先的に訪れると思うけど、自分好みのお城や旧市街を見るってだけなら、イタリアに集中する方が効率はいいのかもしれないね。

 

とかやってるうちに、バスがバニョレージョに到着。バニョレージョも素敵な旧市街なんですけど、一刻も早くチヴィタ・ディ・バニョレージョに行きたくて、速足で通り過ぎてしまった。

 

これがカナーレ・モンテラーノの中世祭りと並ぶ今回の旅行の目的、チヴィタ・ディ・バニョレージョだ!

 

上の写真は展望台からの眺め。バニョレージョの町はずれからここまで10分くらい。ここからチケット売り場までまた10分くらいかかる。下の写真の真ん中辺、左に見えている屋根の向こうにチケット売り場がある。

 

 

環境保護のため、チヴィタへの入場にはお金を払うことになっているのです。でも、チヴィタの中に宿泊する人は無料。特に証拠を提示しなくても、橋の入り口で「今夜は町の中に泊まります」とだけ言えば通してもらえます。

 

 

橋を渡るのにまた10分。ここで息切れして休憩しました。最後の部分の上りがきつくってさ…。

 

元は橋のこっち側にあるバニョレージョが、チヴィタの郊外という関係だったみたい。昔は普通に地続きだったようですが、地盤が凝灰岩(掘る時は柔らかくて風雨に晒すと固くなるアレ)なので、少しずつ削れていって島のようになってしまったようです。13世紀のトマス・アクィナスと並び称される神学者であり、フランシスコ会総長でもあった聖ボナヴェントゥラはバニョレージョ出身ですが、彼が少年時代を過ごした家は何百年も前に崖と一緒に崩れ落ちてしまったとか。

 

そんな事情で却って近代化されないまま年月が過ぎ、近年になってその古い町並みと谷に浮かぶ孤島の佇まいが人気を呼び、イタリアの作家が呼んだ「死にゆく町」と言う名のロマンチックな響きも相まって、観光客が急増しているそうな。

 

 

サンタ・マリア門の堅牢な門楼を見れば、この町がこの地方で重要な政治経済の中心だったことも理解できる。今ある町の規模にそぐわないほどだと感じられるのはつまり、町が崩れて小さくなってしまったからなんだろうな。

 

野本さんは何度もブログ記事にチヴィタ・ディ・バニョレージョを取り上げています。町の歴史や名前の由来も書いてくれているので、ぜひ読んでください。いくつかリンクを貼っときますね。

イタリア的「将軍の湯」が名前の由来☆チヴィタ・ディ・バニョレージョ

天空の町で中世レシピのランチ