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旅中毒

バックパックと少しのお金とパスポートがあればいい。行けば行くほど行きたい場所が増え、人生狂って後悔なし!

2019/1/2

 

次に向かいましたのが、市民博物館。ここも野本さんが「元は修道院だから建物自体がようめさん好み」とお薦めしてくれましてね。つくづく個人ガイドの有難さを思い知りますよ。一般的な見どころを紹介してくれるだけでなく、私が何に興味を示し、何を喜ぶかをよく観察してくれていて、私個人に特化した見どころを教えてくれる。

 

ほら~、12世紀の修道院よ~。14世紀に改修されていますけどね。博物館の開設は1955年だそうです。それまで修道院は現役だったのかな?

 

こういうのも薔薇窓っていうんですかね? 専門用語を知らないんだ。

 

内側から見る。

 

なんという豊かな空間であろうか…

 

 

 

 

長い衣に身を包んだトンスラの修道士が現れても驚かない…。

 

2階と3階が中世・近世のフロアだそうですけど、上がり方がわからなかった。聞けば良かったよな。

 

もっとも、紀元前8世紀~紀元3世紀にわたるエトルリアやローマの展示品を見ているだけで時間がいくらあっても足りなかった。

 

ヴィテルボ近郊の遺跡から出土した石棺などが展示されております。

 

上の写真の奥側の女性。この人がこの博物館の展示品の説明の語り部である。(英語あり)

 

大人用の石棺を8歳の少女に使うために改造した痕跡があるとか、判事の石棺には判事がチャリオットに乗って死出の旅に赴く様子が描かれているとか、面白い解説がいっぱい。お墓は家族単位で作られるので、大家族が入れるようにと作った大きなお墓だと、それを作った人と最後に埋葬された人との間に200年くらい隔たりがあったりするそうな。

 

神話の生き物の彫刻もあるとのこと。これはそういうものであろう…。

 

ここで見られるようなエトルリアの石棺は紀元前6世紀頃にギリシアから文化移入されたものなんだって。遺体を収める棺の箱の上に、人の彫刻を乗せた蓋をかぶせるの。紀元前3~4世紀頃に富裕層の中に広まっていたと。碑文を添えることもあったそうです。もちろん当時は鮮やかに色も付けてあった。彫刻は本人に似せているわけではなく、「老人・男性デザイン」とかの決まったパターンがいくつかあり、一番近いものが適用されていたらしい。

 

彫刻は、初めの頃は亡くなった人が横たわっている姿だったけど、後になると宴会でカウチにもたれている姿に変わっていった。バンディタッチャのネクロポリスにもあったように、ここでも女性が宴会に参加している様子が伺われる。石棺がギリシアからの輸入文化と言っても、そこにはエトルリアの価値観が反映されているのだ。非常に重要な社会活動であった宴会において、女性も重要な役割を担っていた。

 

ここに展示されているのはムサルナ、ノルチア、チポッラレッタなどからの出土品。語り部の女性はノルチアに埋葬されていたらしい。

 

ノルチアのネクロポリスは、グーグルにも1600枚も写真が上がっている。行ってみたいなあ。ガイド役の石棺の女性も言ってるけど、そびえ立つ崖に掘られたお墓は壮観です。ムサルナは力のある一族が統治していてたけど、チポッラレッタは政略結婚により権力が分散したり、近隣のタルクイーニアなどからの勢力が入ってきたりしていて、その社会構造の変化がお墓にも見られるらしい。

 

この博物館、「市民博物館」じゃなくて「考古学博物館」に名前を変えちゃえばいいのに。そしたらもっと、考古学ファンがそうと気づいて訪れるようになるでしょうに。そりゃ絵画も展示してはいるけど、2011年からはこの博物館、「市民博物館:ルイージ・ロッシ・ダニエッリ」って名前になっているそうだよ。ルイージサントは、ヴィテルボ出身の考古学者ですって。
 

さて、博物館のお隣にはサンタ・マリア・デッラ・ヴェリタ 教会があります。時間がなくなってきたのでサッと見ただけに終わってしまいました。

 

この教会は戦争で壊されちゃってますが、なんとか被害をまぬがれたフレスコ画も。

 

床にあるお墓。昔、身分が高い人は死後にお墓を教会の床に作り、人々に踏まれることで死後にも徳を積むようにしていたと聞き及びますが、人の形をしているとなんか踏みづらくないです…? 踏むにしても足の方を選んでしまうわ。顔は踏めない、さすがに。

 

 

ところで、何で外観を撮らなかったんだろうと思ってストビューで見てみたら、なるほど。つまらなかったからだったわ、思い出した。ほら、爆撃で吹っ飛ばされて作り直したからさー。右が教会で、左のピンクののっぺりした建物が博物館(修道院)ね。その間の、低くなって旗が出ているのが博物館の入り口。

 

外観だけで言えば、お向かいにあるヴェリタ門の方がかっこいいよね。

 

 

ヴェリタ門の前に大きな道路が走っているので、教会と博物館のある側との間に、トンネルが作られています。そのトンネルの壁には、ヴィテルボの昔の姿を映した写真が飾られていました。

 

 

プロッフェルロだ。

2019/1/2

 

ヴィテルボを去る前に、もう一度、お気に入りの通りをじっくり歩いてみたかったんだ。で、宿に預けていた荷物を取ってきまして、名残りに同じところをまた一枚。ここがお気に入りなのだ。改めて見ればこれもプロッフェルロだったわ。

 

上の写真から階段を下りるとそこがサン・ペレグリノ通り。ここにもプロッフェルロがある。その2軒先、教会なんですよ。ヴィテルボってめっちゃカジュアルに教会が点在している。教皇の町だったからなの? そんなにたくさん教会があって、運営資金は足りていたのだろうか?

 

アレッサンドリ宮殿。端から端まで優雅なサン・ペレグリノ通りでも最も華やかな場所。クリスマスだから、下の方にトナカイさんが見えている。

 

右下の赤い服を着た女性がいるところ、これは博物館だったかな、確か。サンタ・ローザの山車祭りについての展示があったのはここだったかねえ。そしてテラスには楽団が。

 

楽団は着ぐるみではなく巨大なお人形。電気で動いているようでした。ちゃんと音楽が鳴っていましたよ。

 

アレッサンドリ宮の下を潜って進みます。

 

このプロッフェルロもいいねえ。そして右、この奥にも左に折れる階段が続いていくのです。(すぐ突き当たるけど) 迷路みたい。本当に素敵だわー、ヴィテルボの小路。

 

実はヴィテルボは大きな噴水がいっぱいある町なのです。写真をほとんど撮っていないけど。水が豊富な町だったのね。そして道端には市民が喉を潤せるよう水飲み場も配置されていた、と。しかしこれ、位置的にすごく下の方にある…。後で道が上に上がったとか、そういうことかしら???

 

宮殿や邸宅が続くので、トンネルがいっぱい。この、建物をぶち抜いて道を通すというのが好きなのよ。

 

この横道は、前日に反対側から撮った場所。ここも好き。あの斜めの飛梁(たぶん)がいいよね。

 

これはアレッサンドロ宮のとこを西に折れたコンチェ通り。奥の角っこに斜めに渡してある廊下っぽい部分と窓が気になって仕方ない。中に入ってみたい。

 

サン・ペレグリノ通りから外れていってみる。

 

これは、コンチェ通りがサン・ペレグリノ通りに突き当たる部分ね。アレッサンドロ宮の前の Pellego 広場を覗き見ている感じ。

 

 

ストビューで。サン・ペレグリノ教会を挟んで向かって左がサン・ペレグリノ通り、右奥がコンチェ通り。

 

コンチェ通りのここ、本当に素敵な一画でしたわ。中央奥には、更に細い路地が続いていくよ。

 

上の写真の「中央奥」に進んで振り返ったところ。この写真の奥が、上の写真の場所ね。

 

2つ上の写真の背後にあるのがこのアンティークショップ。基本は古切手屋さんなのかな?

 

ここの何がステキって、地下があることなんだよね。ヴィテルボは地下にも通路がたくさんあるんだって。サン・ロレンツォ広場には、地下ガイドツアーの入口があるよ。行きたかったけど、すごい行列だったのでやめてしまった。まずは街歩きしたかったし、後でオルヴィエートで地下に行く予定だから。

 

 

地下2階です。まだまだ奥まで続いています。

 

これなんかは、売り物と言うより展示でしょうね。ロープを張ってある展示もあったし。

 

色んなものをいっぺんに撮ろうとするからいけないんだと思う。排水溝の遺跡と、売り物なのか展示なのかよくわからないいワインと、奥の方にも通路が続いている様子と…

 

と、思いがけず地下の様子も堪能できたのでした。サン・ペレグリノ教会の右の道、とかこだわって描いたのは、この店がどこにあるか書きたかったから。地下ツアーに並ぶ時間がない人は、このお店でお土産を買うといいと思います。絵葉書も売ってるよ。

 

さて、ヴィテルボを後にしてバニョレージョに行くぞ。Cotral 社のバスで行くの。前日のうちに、観光案内所でバスターミナルの場所(ペグマンの立っているトコ)もバッチリ聞いておいたもんね。旧市街を出て北西に歩いて行けばいい。観光案内所はプレシピート広場のすぐ北にある駐車場に面しています。

 

サン・ロレンツォ広場に近いファウル門から出る。馬の水飲み場とか、いかにも門に近い感じね。遠くから来た人たちが載ってきた馬を、ここで一休みさせたのでしょう。旅籠とかあったのかも。

 

ファウル門も、サン・マルコ門も、小さいし内側はシンプルだけど、外から見ると立派に彫刻で飾られているんだ。外から来る人達を威風堂々とした門で迎えるというプライドなのかしら。

 

で、バスターミナルまで歩きましたが、これが結構しんどかった…。とにかく何もない車道沿いを延々と歩いていくので不安になるんだ。途中で見つけたガソリンスタンドで「バスターミナルはあっちでいいんですか?」って聞いちゃった。「いいよ、真っ直ぐ、まだまだ真っ直ぐ」と言われ、「まだまだか…」と。その後も、バス停で降りてきたお買い物帰りのご婦人にも聞いてしまった。「合ってますよ、もうすぐですよ」と言われ、ホッとしたっけねえ。

 

ところで、ヴィテルボの旧市街を出てしばらく行ったところに、例の巡礼路「ヴィア・フランチジェーナ」の標識があったよ。ここら辺で犬にめっちゃ吠えられてそっちばかり記憶していたけど。この標識は、地元のいくつかのライオンズクラブさんが合同出資して建てたものらしい。下の方に、ヴィテルボ・ライオンズクラブはもちろん、ブラッチャーノ、チェルヴェテーリ、タルクイーニアなどなど、近隣の地名が出てきます。ここだけじゃなくて何ヶ所かに建っているのかも。

 

さあ着いたー。バスターミナル。迷いようもない一本道で、グーグルの言う通り20分で着いたんだけど、気分的には40分くらい歩いたみたいな気がしましたね。

 

これに乗ってバニョレージョに向かいます。

 

さて、バスターミナルを出発しますと、北上するかと思ったバスは南へ… 旧市街の方に戻っていく…。

 

下の方の丸印がコンチェ通りのアンティークショップ。そこからまた町なかをウロウロして、プレシピート広場辺りからファウル門(★)まで行って外に出て、ペグマンの立っているターミナルまで歩き、そこで乗り込んだバスが、フィオレンティーナ門(◆)を出たところのバス停や、矢印の駅前まで戻った。

 
観光案内所の人も、もうちょっと気を利かせてくれてもいいと思うっ。バスターミナルはどこですかと尋ねる外国人観光客が本当に知りたいのは、バスターミナルの所在地じゃない。どこからバスに乗ればいいかなのだ。『バスターミナルはここだけど、すぐそこの門の外からも乗れますよ』って言ってくれたらいいのに。その上で、客の方で『バスターミナルから乗った方が席の心配をしなくていいからターミナルまで行っちゃっておこう』とか、判断するからさ。
 

2019/1/2

 

そろそろ時間も良いだろうと言う事で向かいましたのが、サンタ・ローザの生家です。ここも野本さんに教わっていた場所。

 

サンタ・ローザはヴィテルボに1233年頃に生まれ、信心深い両親の元で育ちました。10歳にもならない頃に聖母マリアの啓示を受けて在世フランシスコ会に入会したそうです。当時のヴィテルボは教皇庁と対立する神聖ローマ帝国フリードリヒ2世の支配下にありましたが、ローザは教皇への支持を隠そうともせず、12歳にして街頭に立ち、フリードリヒ2世への抵抗を説きました。家族ともども追放されて近くの町に逃れましたが、教皇派がヴィテルボを奪還して、町に戻ることができたそうです。すごい12歳だな。小学校6年生くらいだよね…

 

さて、こちらがローザの生家の入り口…。ひっそりとしたものでしょう? 裕福な家ではなかったので、こんなものなのでしょうね。フランシスコ修道会の女子修道会クララ会に入りたいと願ったけれど、持参金が払えずに入会を拒まれたそうですし。でもその時「私は死後に迎え入れられるでしょう」と予言したんだって。フリードリヒ2世の死も予言したそうよ。

 

どうでもいいんですが、私、この↑入口の右の方から道を下ってきましてね。その道がここで左の方に曲がるんです。で、自然に視線が左の方に向いておりまして、スーッとこの入口を見過ごして左に曲がって行きました。

 

こうして見ると、見落として当たり前と言うほど目立たないわけでもないような…。たぶんもっとドーンと目の前にわかりやすく表れると思い込んでいたんだろう。

 

グーグルマップだとここら辺なんだけなあ…と悩み、通りすがりの若者に「サンタ・ローザの家はどこでしょう?」と聞いたら「あ、僕も旅行者でして…」。で、とりあえずその道を突き当りまで行ったら、「サンタ・ローザの家はこちら」の標識が、私の通り過ぎてきた背後を指している。「どういうこと…」と振り返ったら、まっすぐ奥に目的地がっ。私が道に迷う黄金パターンだわ。単に、周りを見ていない。道しか見ていない。

 

 

さて、入り口を入ったらこんなスペース。季節が良ければお花がきれいですよ。左側の細長い部屋にサンタ・ローザの生涯を描く絵と解説がありました。死んだ親戚を蘇らせたり、割れた水瓶を元に戻したり、燃え盛る火の中に立っても火傷ひとつ負わなかったり…。


 

結構広いんだけど、ここが全部彼女のお父さんの家だったんだろうか? 裕福ではないと言っても、貧しかったわけでもないのかな。それともこれは長屋で、他の家族と住んでいたのかしら。よくあるよね、中庭を共有するアパートメントみたいなん。

 

上の写真の正面の建物に入るとお土産屋さんがあった。その奥に、ここが。チャペルなのかな。この手前に椅子が並べてあったから、ここでお説教を聞いたりもするのかも。

 

で、この写真の手前の端っこに階段があって、そこを上るとこんなスペースがありまして。庶民の家だったにしては妙に天井が高くないです?

 

上の写真のロフト的な場所。ここにプレセピオがあった。続きものになっているの。

 

これはよくわからない。誰か…キリスト教徒の方は…

 

受胎告知。

 

マリアとヨセフがベツレヘムにやってきました。

 

イエス様が生まれました。馬小屋説ではなく洞窟説なの? カソリックは馬小屋説だと思っていた。それとも洞窟っぽく見えるけど馬小屋なのだろうか?

 

岩から生える天使たちがちょっと怖い。

 

ベツレヘムの星が西の空を照らしているところだろうか?

 

東方の三博士が贈り物を持ってやってきました。

 

これは…? 洗礼はまだ先のはずだし…?

 

照明の色がちょっときつい気もしますが、石と岩の背景がとても私好み。

 

1251年、サンタ・ローザはたった18歳で亡くなってしまったけれど、その短い生涯を罪びとの悔悛に捧げ、数々の奇跡も起こしております。最初は違う町に葬られたそうですが、1257年、教皇アレクサンデル4世が彼女の遺骸を、生前に彼女の入信を拒んだ修道院に移したのでした。

 

こちらがサンタ・ローザ教会。閉まっていて入れなかったけど。ここにはサンタ・ローザの遺骸が安置されています。臨場感あふれるレポは野本さんのブログ記事でどうぞ。

ヴィテルボの聖女サンタ・ローザのミイラを見た!

ヴィテルボ散策5✩聖女サンタローザの生家と遺骸の眠る教会

 

野本さんは他にも、ヴィテルボの町中あちこちに祀られているサンタ・ローザの絵や彫刻を探して回ると言うマニアックな街歩きレポを続けております。

ヴィテルボでサンタローザを探せ!
ヴィテルボの聖女サンタローザの奇跡

 

毎年9月3日にはサンタ・ローザの山車祭りがあるそうな。山車は高さ30m、重さ5トン。100人の男性によって担がれて町中を練り歩き、最後にサンタ・ローザ教会に運ばれるんですって。先祖代々のヴィテルボの家系でないと担ぎ手になれないんだって。ちょっと祇園祭っぽいな。

こちら、実際に見学した方のブログ記事。臨場感があってとても面白いです。

ヴィテルボの守護聖女、サンタ・ローザの神輿 Processione di Santa Rosa a Viterbo 2011

 

 

これは近くの路地。奥にプロフェッルロが見えているの。

 

2019/1/1

 

旧市街の中に泊まることの大きな利点は、こういう夜歩きがやりやすいことですね。ヴィテルボはこういうトンネル状態の通路がたくさんあって、実に美しい。

 

これは Teatro dell'Unione (ユニオン劇場?)の中。この馬車は常設の展示ではないらしい。出し物によって展示品を変えるとか? 小さいけど4階まである劇場だって。

 

ストリートビューで見るとこうです。この時は、この駐車スペースがスケートリンクになっていて、この位置からでは撮れませんでしたわ。では、次にこの劇場の右の方に行ってみましょう…

 

途中の細い道も素敵なんですけど、もう撮っても撮ってもきりがないし、夜だし… で、突き当りにあったサン・マルコ門です。ロマーナ門に比べると通用口ってくらいの小ささ。門のすぐ横の壁に楽しい落書きがありました。階段があるし、昔は本当にここにドアがあったんだろう。

 

 

ちょっと北西に上がって、サン・フランシスコ教会。当然閉まっていたけど、今ネットで見たら私好みの内装でした。いつかまた行きたいなあ…。ヴィテルボ、10分の1も見れていないと思う。

 

角の説教台がいいねえ。

 

もうちょっと西に行くと、昨夜コンサートをやっていたロッカ広場に面して、町の北側の玄関とも言うべきフィオレンティーナ門がそびえている。門の上にある時計は狂っております。この時、19:20でした。

 

これはロッカ広場を西に進んだところにある、サン・フランシスコ教会。お庭でプレセピオをやっていたみたい! ああ、あと1時間早くここに着いていたら…。

 

などなど、この後もまだまだ歩き回りまして、サン・ロレンツォ広場のカフェでビールを1杯ひっかけ、その後また歩き回り、食事しようかと思ったけど開いている店が少なくてどこも混んでいるので面倒くさくなって宿に戻り、朝ごはんの残りを食べて寝ちゃいました。

 

そして朝の街歩き! ここも素敵な一画だ。まだクリスマス真っ最中で、サンタさんもいます。

 

こういう、建物の正面に階段が付いていて、その下にアーチ型の入口があるスタイル、プロッフェルロという中世の建築様式なんだそうです。ローマやヴィテルボがあるラツィオ州に独特な建築で、特にヴィテルボ地方に多い。

 

階段の下の入口の中は、貯蔵庫や工房、店舗などに利用されていたそうな。一般的ではないけど、馬小屋として使う例もあったとか。高級旅籠とか?

 

中世のヴィテルボでは、日本でいう2階が生活のメインフロアだったのだそうで。1階は仕事場。よそ者の侵入を防ぐという保安面でも、また、汚れが激しい往来から離れていると言う衛生面でも、有益な建築だったわけですね。

 

 

後で知ったけど、この Casa Poscia っておうちが、プロッフェルロの最も優雅な例とされているそうな。

 

もう一つ、中世ヴィテルボの特徴的な建築としては、リキアストロと呼ばれる中庭があるそうで。ヴィテルボは通りに緑が少ないように見えるけれど、プロッフェルロがある家だと、家の内側に緑豊かな中庭があるものなんですって。なるほどねえ。観光客の身では、そういう家を利用したゲストハウスにでも泊まらない限りお目にかかれないわけですね。

 

 

まだまだありましたよ、プロッフェルロの備わっている家。

 

番外。ヴィテルボに来る前に寄ってもらったスートリの町では、折り返しのあるプロッフェルロ的な階段が付いている家を見かけました。色んな作り方があるのかも。

 

2019/1/1

 

宮殿から見て右、サン・ロレンツォ広場を挟んで隣にあるのが大聖堂です。(逆光になっちゃったから白っぽくしか撮れなかった~)

 

元はエトルリアのヘラクレス神殿があった場所に、12世紀に建てられた教会。その後に改修を重ねているので、ロマネスク様式、ルネサンス様式、バロック様式が見られるそうです。そういうの、大きな教会にはよくあるね。

 

絢爛豪華な大聖堂もいいけど、私はこれくらいシンプルで落ち着いている方が好きだ。床のタイルもきれいだね…。コズマーティ様式と言うんだって。ローマの有名な芸術家コズマーティ一族のスタイル。手前ではなく、奥の方の丸い模様の辺りのことね。 様々な色の石の細かい破片による象眼細工。

 

天井の木組みがまたいい味わいです。

 

これは大聖堂の隣のドアから入ったところだったと思う… 博物館の入り口? その奥にあった部屋。よく憶えていないけど、偉いお坊様の控えの間か何かだったような。

 

椅子の上に天蓋が付いているくらいだから、教皇様のお席だったかもしれん。

 

でー、こちらが博物館の中。1階にはエトルリアの遺跡から発掘されたものなどが展示されています。何しろ博物館の下にも遺跡があって、床をガラス張りにして見れるようにしてあるくらい。

 

上の階には宗教絵画や彫刻、そして歴代の枢機卿の肖像画やら、定番の豪華な聖具や法衣などが展示されております。

 

私が気に入ったのはこちら。建物の外に付けるランプだよね? 人の胴体くらいの大きさがある。

 

 
まだまだあったよ。デザインを見ているだけで飽きないわ。私は絵画や彫刻より、衣装や道具や建築の方に興味を引かれるようだ。いや、前から知ってたけど。アートよりクラフトか。

 

内部から外壁を撮る…。ステキな建物だわ。そしてこの日差しの凄さ!

 

実はこの時、素晴らしい夕焼けが広がっていたんですよ! 外に駈け出して行って写真を撮りたいくらいでしたわ! まだまだ展示品を見ている最中だったから諦めましたが!

 

さて、この博物館までで、野本さんとはお別れです。野本さんは電車でブラッチャーノに戻ります。私はヴィテルボでもう1泊。本当に、本当にお世話になりましたわ…。

 

教皇宮殿の下から、暮れなずむヴィテルボの街を臨む。

 

 

それにしても…  イタリア行きの前や後によそのブログも読ませていただいたんですけど、「教皇宮殿はコンクラーヴェ発祥の地とのことだけど、どうでもいいから見なかった」とか、「(博物館の宗教美術のコーナーを指して)退屈極まりない展示。人が来ないのも当たり前」と書いている人たちがいて、いやー、興味がないって実にもったいないことですねー、と。もちろん本人にとってはもったいなくないんだけど。ちなみに博物館、たくさん人がいましたよ…。

 

2019/1/1

 

お昼の後には、ヴィテルボの象徴ともいうべき教皇宮殿に向かう。

 

1257年にアレクサンドル4世が教皇庁をヴィテルボに移動。司教の宮殿を教皇にふさわしく拡張工事して、完成したのが1266年頃ですって。

 

宮殿本体よりもこの華麗なロッジアが人目を引くのだ。ロッジアって言葉、恥ずかしながら今まで知らなかったんですが、イタリアで生まれた建築意匠で、建物の正面にある開放廊下のこと。外から入れるようになっていたらポルチコと呼ぶんだって。ロッジアはあくまでも大きな窓の付いた屋内。

 

私は入場しましたから内側からも眺めを堪能。教皇はここから民衆に祝福を行っていたそうな。元々はこんな中庭っぽい場所じゃなくて、ちゃんと屋根があったそうです。でも1325年に屋根は崩落。12世紀の噴水がぶっ壊れて、15世紀に再建されたそうな。

 

ロッジアの反対側からの眺め。平野にドンと大きく表れる城塞都市なのだね。

 

で、こちらが宮殿の内部。ここ、この部屋が、コンクラーヴェが行われた部屋なのです。ヴィテルボはコンクラーヴェ発祥の地。最初のコンクラーヴェが行われたのが私が立っている、ここなのだっ!

 

と言うと何やら高尚な感じがしますが…  1268年に教皇クレメンス4世が死去した後、教皇選挙が紛糾。1年経っても2年経っても新教皇が決まらず、市の行政にも支障が出まくり、ついにブチキレた役人たちが「決まるまで出てくるな!」と枢機卿たちをここに閉じ込めたんですって。それがコンクラーヴェ(鍵をかけると言う意味)の始まり。それでも決まらないから「さっさと決めろ」と屋根を取っ払い、それでも決まらないから食事をパンと水だけにしたんだって。初めて聞いた時は爆笑したわ。

 

(窓のところにちょっとだけフレスコ画が残っている)

 

かくして33ヶ月と1日目に新教皇が生まれました。が、あんまり長いことやってたもんで、その間に20人いた枢機卿のうち3人が亡くなり、1人は辞任したそうな。最終的には残った16人のうち6人が選挙管理委員会となり、他の10人は6人に委任したんだって。でも枢機卿たちも逞しいのよ。屋根を取っ払われた後に1年以上粘ったそうだ。一説では、自分たちを虐待する役人たちに対して、枢機卿たちは、ヴィテルボ市まるごと秘跡(教会の大事な儀式)の執行を禁止してやる、嫌なら仮の屋根を付けろ、と脅し返したとか。

 

さて、飢えと寒さの末に選ばれたグレゴリウス10世は、この閉じ込めシステムを有用だと思ったらしい。教皇が決まらない場合は枢機卿団を外界から隔離する等の新ルールを策定しました。これは改変を加えつつも現在にも引き継がれている。ちなみに彼が1276年に亡くなったら、次のインケンティウス5世はたった10日後に選ばれている。(でも半年後に死去。その次のハドリアヌス5世なんて1ヶ月で死去)

 
そして1277年にヨハネス21世が亡くなった後、またしても半年経っても決まらなくて、キレたローマ市民が宮殿に乱入して枢機卿たちを拉致する騒ぎが起きました。高度にシステム化された現代では考えられないな。熱くてワイルドな時代だったのね。

 

コンクラーヴェの部屋の中にはいろんなものが展示されている。昔の書物とか。

 

ブラッチャーノに滞在した人間としてはハッと目が行く、オルシーニ家の紋章。

 

オルシーニ家からは、12世紀のケレスティヌス3世、13世紀のニコラウス3世、18世紀のベネディクトゥス13世と教皇が3人も出ているのだ。上の写真は枢機卿拉致騒ぎの末に就任したニコラウス3世、ジョヴァンニ・ガエターノ・オルシーニについての説明です。他に、ニコラウス3世の甥でコネで枢機卿になったマッテオ・ルベオ・オルシーニの説明もあったよ。

 

建物などについての説明ビデオが流れる部屋もありました。その廊下辺りから撮った写真。

 

奥には絵画をずらりと並べた部屋が。

 

じゃあ、オーディオガイドは持ったままで大聖堂に行きましょう…。(共通チケット)

2019/1/1

 

元旦。野本さんは宿でまったりのんびり。私は朝のお散歩に出かけました。

 

私の宿の出入り口は小さな路地の奥ですが、お庭を共有する形のお隣にあるオーナーさんが住んでいるアパートメントの正面玄関は、この写真の通りにあります。まあ、この通りも細いものですが。

 

上の写真の道を手前に出てきたらテラスみたいな場所に出るの。

 

このテラスの下が、旧市街でも一番古いサン・ペレグリノ通り。ヴィテルボは素敵な通りだらけだけど、やはりこの通りの優雅さは別格でしたわ。最初はこの道に面した宿に泊まりたいなと思っていたんだよね。さすがに料金が高くて諦めた。(諦めたおかげで素敵な宿に泊まれたけど)

 

 

サンペレグリノ通りの横道。この斜めの部分が好き。階段でもないんだよな。 飛梁ってやつ?

 

この写真の建物と建物の間にもあります、 飛梁。建物と建物の間に横に渡して外壁を外から押さえつけることで、壁が外側に膨らんでたわむのを防ぐ。ロマネスク建築では実現できない建築を可能にした、ゴシックの新技術なのだ。

 

上の写真を少しアップで。

 

プレビシート広場。この時計塔のある建物は確か市庁舎。左の方にテラスがあるんだけど、写真が見つからん。撮ってなかったっけか。何度も通ったからなあ。撮ったような気になっていたかも。

 

ヴィテルボ旧市街は城壁に囲まれていて、7つの門で外と繋がっている。これは町で一番大きくて優雅なロマーナ門。門の上に立ち街を守っているのはサンタ・ローザです。

 

ロマーナ門から少し南に下った城壁沿い(城壁の外)にあるこれは、「Santa Maria delle Fortezze(要塞のサンタ・マリア???)」 だそうです。教会の遺跡。野本さんに教わって行ってみたの。

 

野本さんから聞いてはいたけど、びっくりだよ! これ、こんな状態でいいの…?

  

 
ここ駐車場なんですけど、一応は囲いがあるし(立ち入りは自由)、目立ったゴミもないし、落書きもされていないから、朽ちるに任せて放置されているってわけではないと思うけど…

 

歴史文化財として保護されているとは言いにくい状態な気もする…。

 

こっちの2つなんてもう何も壁面に残ってないね。焚火した跡があったよ。

  

 

更に南下したところの城壁を出たところにあるこれは Chiesa di S. Petri de Castanea … カスタネアの聖ペトリ教会? カスタネアって栗の一種らしいんですが、地名かしら。

 

聖ペトリ教会の前にあるのがサン・ピエトロ門。門楼はごっついけど、門自体は小さいねえ。

 

門の内側の道も建物も小さいよ。ロマーナ門みたいなスターとは違う、渋い脇役っぽい感じ。

 

サン・ピエトロ門から北西に進んだここら辺はピアノスカラノ地区というらしい(後で知りました)。ここも中世の街並みが色濃く残る地区なのだ。そこにひっそり立つサント・アンドレア教会。これも13世紀にまで遡る、とても古い教会ですって。

 

サント・アンドレア教会を挟むサント・アンドレア通りとフォンターナ通りは、静かな住宅街。旧市街の中心部とは別の魅力に満ちていますわ。

 

カプラレッチェ通りを進んでいたら、サリタ通り(左)が分岐していた。どっちかと言うと、サリタ通りの方がカプラレッチェ通りと真っ直ぐ繋がっている気がするんだけど。とにかく、こういう分岐する道は大好き。おまけに片方はテラスのようで、もう片方はトンネル。素敵すぎる… ここ大好き…。

 

どんどん歩いて行ってみたかったけど、野本さんと約束したお昼の時間が迫っていたので、ここら辺にしておきました。また後で来たらいいしね。

 

って、結局来れなかった。どこかわかんなくなっちゃったの。絶対に来ようと思っていたのに。サリタ通りに入ってみたかった。後で調べたところによると、サリタ通りを進んで左に折れたところに噴水広場ってのがあり、9月の収穫祭ではその噴水からワインが噴き出るんだって。今度はその頃に行きたいねえ。

 

で、野本さんと落ち合いまして、お昼を食べるべく町をさすらう…。やはり元日だからでしょう、やってる店が少なくてねえ。数年前の元日に訪れたベルギーのクノック・ヘイストでも同じような感じだった。朝はほとんどの店が閉まっていて、夕方に通ったらどの店も開いていたんだ。

 

てことで、常に開いていることで定評のある中東系のお店になりました。お米が食べたい気分~。

 

 

2018/12/31

 

この日の晩は、チェノーネを楽しむことになりました。大晦日の大パーティーのことですって。初めて知りました。レストランは大抵は予約でいっぱいになるそうですが、宿のオーナーさんが薦めてくれたレストランに野本さんが電話してくれて、滑り込みで予約することができました。

 

何しろ年越しパーティーですから、開始時間が20時からと遅い。街を見て周る時間がたっぷりありました。

 

建物の外壁の上方の角っこに紋章がくっついているのをよく見かけます。ここの一番上の大きな紋章には、教皇冠って言うんですか、ローマ教皇が被っている大きな帽子のマークがあります。つまりこの家から排出された教皇の紋章ってことか。

 

ヴィテルボは教皇の街です。1257年に第181代ローマ教皇アレクサンデル4世が、対立する神聖ローマ皇帝派の力が増すローマから逃れてヴィテルボに引っ越しました。それ以来、第189代のマルティヌス4世に至る9人の教皇のうち7人までがローマではなくヴィテルボに住み、うち5人は亡くなるまでヴィテルボに留まったのだそうです。マルティネス4世が1285年にペルージャで亡くなった後は、ヴィテルボは教皇制度への影響力を失っていったそうです。

 

こちら、翌日に内部を見学する予定の「教皇の宮殿」。その名の通り、ヴィテルヴォに住んでいた教皇たちの住居だった建物。

 

サン・ロレンツォ大聖堂と鐘楼。元々は例によってエトルリアの神殿があった場所だそうです。7世紀にキリスト教の教会が建てられ、12世紀にそれを壊して新しくしたのが現存する教会。教会のファサードは16世紀に作り変えられたけど、鐘楼は12世紀当時のままだって。

 

宮殿と大聖堂は隣接していまして、その前は広場になっている。で、クリスマスマーケットが開かれていましたよ。普段なら何かつまむところですが、これからご馳走を食べるので我慢。

 

こんな道もいいよねえ…。トンネル状態の道があちこちにあって、うっとりしちゃう。

 

ある民家のドアの上にあったんだけど、何かの商売を表しているのかしら…?

 

さて、チェノーネはこれで始まりました。炭入りのサクサクしたひとくちパイにツナソースが入っている。

 

タコの煮物。これ日本人受けしそうだ。日本酒でもいいような気がする。

 

お魚入りのクレープにソースをかけたもの。ソースが白いからお花が映えるねえ。

 

ウズラとトリュフのリゾット。

 

カジキマグロ。紫のソースは紫キャベツです。

 

ヤギ肉のラズベリーソース添え。

 

デザートは大好きなセミフレドにパンドーロ、生クリーム。

 

こういう食事をいただいた後、年越しの瞬間には豚足とレンズマメを食べるのが正式な習慣である…と伺っておりましたが、入るわけねーわ!! と思っていたら、これ。

 

さすがのイタリア人でも散々食べて飲んだ後に豚足&豆なんて食べられないらしい。このお店ではそこを工夫して、一口サイズにしたものを出して伝統を踏襲しているのですと。

 

周りのお客さんたちはまだまだ楽しむようでしたが、私と野本さんはここで撤退。宿に帰る前に、年越しで大騒ぎする町を見物して周りました。音楽が聞こえてきたので行ってみると、ロッカ広場でコンサートが開かれていましたよ。

 

 

若い人のグループはもちろん、小さな子供たちを連れた親御さんやご年配のご夫婦まで、いろんな人たちが踊っておりました。皆、元気だなあ…。(私も踊ってたけどw)

 

チェノーネについては野本さんの方が詳しく書いています。

チェノーネ、イタリアの大みそかの過ごし方

 

「なんか美味しかった」程度の私と違ってお料理やワインの解説もありますので、ぜひ。

 

2018/12/31

 

腹ごしらえも済んだところで向かったのはオリーブオイル工場です。これは出発前にイタリア通の人から「ヴィテルボに行くならぜひここに」とお薦めされていた場所。名物じいちゃんが案内してくれる古いオリーブオイル工場で、もはや観光名所と化しているらしい。

 

 

実はここに辿りつくまでにそこそこ苦労したんですよ。地図にはちゃんと出てきます。私が泊まっていた宿からも遠くはない場所でした。しかし、オリーブオイル工場と言う割に、旧市街の中にあるんですよね。工場が住宅街の中にあるって、ちょっと、イメージわかない…。

 

更に、私はわかっていなかったけど、イタリア語に堪能な野本さんがチェックしたところ、地図上ではそこ、レストランと出ているそうなんですよ。旧市街の中だし、やっぱりレストランなのでは…? 系列の工場が郊外にあったりするのでは…? と疑問を感じ、野本さんが電話をかけて「そちらはレストランですか?」と聞いたら、「違う! うちはオリーブオイル工場だ!」と叱られたらしいw グーグルさん、訂正してよ…

 

住所を尋ねても「どうせわかんないから近くの目印まで来なさい、迎えに行ってあげるから」と言われたそうです。しかしその目印である城壁の門に行くまでに既に迷い狂う私たち…。観光案内所や通りすがりの少年たちやらに尋ねてようやく門に着き、再度電話をかけて、やっと落ち合うことができました。

 

特に、もう暗かったからねー。明るい陽の下だとこうなる、とストリートビューで。

 

そうそう、こんな細い道を通って行ったよね… 

 

Frantoio il ParadossoFrantoio ってのがオリーブオイル工場のことなんだって。元日に営業してるのかなーと気になってメッセンジャーで問い合わせたら、すぐにお返事をくれましたよ。(グーグル翻訳でイタリア語にしてから送った)

 

パラドッソ通りから工場を見下ろせるよ。

 

振り返るとこんな絶景が。教皇宮殿のすぐ下にあるっていうのがご自慢みたいです。

 

今グーグルマップを確認したら、今はスーパーマーケットってことになってるw ここはオリーブオイルしか売ってないよ! じいちゃんがまた怒るよ!w

 

これが名物男、マリオじいちゃんだ! 今は商売は息子さんに譲り、ガイド専門。訪問時はもうオリーブオイル造りも終わった時期だったのですが、機械の説明から始めて丁寧にガイドしてくれました。


これはオリーブの実と小枝やゴミを選別する機械。ここからオリーブが運ばれて行って…

 
こっちの機会に注ぎ込み、この巨大な石臼で潰されるのだ。そしてそのペーストが…

 

椰子の繊維で編まれたバスケットに詰め込まれる。その上に鉄板を乗せて、じわじわとオイルを絞り出すのです。昔ながらのやり方なんだって。

 

絞り出されたオイルは遠心分離器にかけられます。比重の軽い水分が吹き飛ばされて、重たいオイルのみ残り、出てくるの。近所の人たちは容器を持参して、ステンレスタンクから直接注いで買っていくそうですよ。ワイナリーみたい。

 

イタリアでも数少なくなった昔ながらの製法で作られるオリーブオイルなので、何度も取材を受けているそうです。YouTubeにもいくつかあるよ。この動画、まだマリオじいちゃんが若かったころだ。

 

マリオじいちゃんが手にしているのが椰子のバスケットね。野本さんにマシンガントークで説明しているところ。野本さんが「ちょっと待って、この人(=私)に訳してあげないといけないから!」と時々制止する必要があるほどでしたw

 

置いてあるモニタで取材された番組を見ることもできます。英語のやつを流してくれた。あと、先代の頃の写真とか、認証書とかもいろいろ飾ってあって、古いもの好きの私としては興味津々でしたわ。彼の祖父の代に政府から認証されたんだっけ…。あと、彼自身がもらった勲章メダルの写真もありました。本物は、盗まれたりしないよう家の金庫にしまってあるそうです。

 

マリオじいちゃんはここの4代目なんだって。今は商売は息子さんに譲って、自分はガイド専門で活躍。孫息子くんの小さかった頃の写真も飾ってあり(今はすっかり大人ですが)、いずれこの子がここを継ぐよと嬉しそうに笑っていました。

 

あと、ここの工場の素晴らしいところは、オリーブオイル搾油博物館が併設されているところ! ドアを開けるとタイムスリップよー!

 

電気が発明される前はこうやってたのね。

 

 

 

これはレモン入りオリーブオイルの説明。出来上がったオリーブオイルにレモンの風味を付けてあるものも多いそうだけど、ここのはペーストにする段階でレモンを入れる自然派であることの証明を。

 

説明の後は試食タイム。オフィス兼店舗になぜバーベキューコンロみたいなストーブが置いてあるのかと謎に思っていたら、そこでパンを炙ってトーストにしてくれるのだった。そのトーストにたっぷりオリーブオイルをかけて食べさせてくれる。美味しいー!

 

私も缶入りのを買いました。旅行者としては瓶は割れるのが怖いけど、缶ならね!

 

出る時は入ってきたのとは別の、裏側の出入り口から出してもらいました。外まで送ってくれて、道を教えてくれましてね。友達が薦めてくれたから来ましたと言ったら嬉しそうで、「どんな人?」と聞かれたので写真を見せたら、「この人なら憶えているよ」って。博物館や昔ながらの製法や高品質のオリーブオイルだけでなく、マリオじいちゃんご本人が、ここが大人気になっている理由なんだろうなあと思いますわ。

 

野本さんもご自分のブログでこの時の訪問を書いています。

マリオおじいさんのオリーブオイル搾油所

 

オリーブオイルについては私の記事よりずっと詳しく説明があるので読んでみてー。

 

2018/12/31

 

さて、ヴィテルボの宿の前でタクシーから降ろしてもらい、アンジェロおじさんとはお別れ。お世話になりました!

 

でね、この宿、La Locanda del Riccio が、すっっっごく良かったんですよ! 今回のイタリア旅行で泊まった宿は全て満足しているけど、ここも本当に良かった。

 

宿の入り口がある路地。昔の井戸に蔦を這わせているところが良い感じねえ。この路地に面してお住まいの方々のセンスが光るわー。

 

井戸辺りから反対側を撮ってみた。奥にはバールがあるようでした。入ってみたかったな。

 

門を開けるとまずお庭がある…

 

これだけでも、「この宿を選んで良かった…!」って思っちゃった。季節が良ければ、ここでお茶を飲みながら本でも読みたいところ。

 

一つの大きな部屋をキッチン・バス・トイレ付きのアパートメントに改造してあるのだ。内装も、可愛らしいけど幼稚な感じはなくて優雅です。

 

このソファがベッドになりますので、実質ツインベッド。

 

お台所は小さいけど、一通りのものは揃っています。長期滞在したらちょっとお料理もしたくなるかも。

 

ヒーターについていたこれ、野本さんに教えていただきました。ここにお水を入れておくんですと。乾燥を防ぐためのグッズ。イタリアでは一般的らしい。薔薇の形がこの部屋に合っているね。

 

キッチンの裏がバスルーム。ここも本当にシックできれい。(鏡に私が写っているw)

 

玄関を入ってすぐのところにテーブルがあります。朝ごはんはここでいただきます。(季節が良かったら外でもいいけど、真冬はさすがに屋外はつらくて)

 

私は野本さんのブログで読んでいたので知っていたけど、イタリアの朝食は、こういう甘いパンやケーキだけで済ませるのが定番なんだって。朝から卵を焼く匂いがするのを気持ち悪いと思う人もいるらしい。それを知らないらしい外国人旅行者が、色んな宿について予約サイトの口コミに「朝食に甘いパンしかない! 塩気のものが何もなかった、最低!」とかコメントしてるけど、それ、謂れなき非難ですから…。ヨーグルトもナッツ味とかあって美味しかった。

 

てゆか、この量、すごくないですか! これで2人分ですよ! 朝食ビュッフェが部屋まで来たかのようだわ! 当然食べ切れなくて、おやつにと頂戴しておきました。ヨーグルトは開けていなければ返せるけど、お菓子は捨てることになっちゃうでしょうし、もったいないもの。

 

コーヒーを頼んだら、エスプレッソがたっぷり入ったピッチャーが。翌朝まで起きていられそう。そしてこのハリネズミのピッチャーが可愛いっ! 門の表札もハリネズミでしたわ。宿名がハリネズミ・インだから。

 

ここのオーナーは女性でした。本業は布物を扱うお仕事らしい。クリスマスマーケットに屋台を出していた。なるほど、クラフト系のセンスの良さが光るお宿って感じがする。

 

とりあえずテラスに座ってみたよ。うう、ここに泊まるためにまたヴィテルボに行きたい…。次に行くなら晩春くらいがいいなあ。花が咲いている季節、でも暑くはない頃に。

 

と、いつまでも宿にこもっていても仕方ないので、お出かけします。まずは、遅いお昼を食べないとね。ポルトガルのモンサントもそうだったけど、ここも大晦日は午後から閉めるお店も多いみたいでした。そもそもランチ営業が終ってしまった頃合いだったので、ちゃんとした食事ができる店はもう開いていなかったんだと思う。てことで、バールでパニー二を食べました。でもしっかりプロセッコを飲みながら~。

 

 

サンドイッチやピッツァもあって、どれもこれも美味しそうで目移りしちゃった。それにしても具のたっぷりしていることったら! 日本ではこの値段でこんなに豪勢に具を挟んでくれないと思う。