旅中毒 -26ページ目

旅中毒

バックパックと少しのお金とパスポートがあればいい。行けば行くほど行きたい場所が増え、人生狂って後悔なし!

2018/12/31

 

 

さて次はヴィテルボに… 行く前に、ちょっと戻ってブラッチャーノ湖畔のワイナリーに寄ってもらうことにしました。家族経営の小さなワイナリーです。小さな店舗の奥に小さな工場、そしてお隣にブドウ畑が広がっている。

 

 

まずはステンレスタンクで発酵させるんですって。

 

よくドキュメンタリー番組やフランスを舞台にしたミステリドラマで見ていた、ステンレスタンク…。ドラマではこのタンクの中の死体が発見される場面で話が始まる。あと、この中に落とされて溺死させられそうになるのを助け出されるところがクライマックスとか。一生懸命作ったワインがタンク1つ分まるごと廃棄だなんて… とか、この後の清掃が大変だろうな… とか、そんなこと考えながら見ていました。

 
ものによってはオーク樽で熟成させる。これで良い香りがつくのね。日本の鏡開きみたいに、樽ごと買ってイベントで開栓したりとか、きっとあるよね… 見てみたい。

 

面白かったのが自動瓶詰機。こういう機械の動きって引き込まれるよねえ。

 
全自動ではありません。人間が動いている。

 

ここで3本のワインを購入。まだ旅も序盤だと言うのに。(帰国する前に全部飲んでしまった)

 

もしかして、買ったワインをここで飲めるとか?

2018/12/31

 

では次に、谷を挟んだお向かいにあるスートリの町に行きます。谷と言うか、この写真を撮っている場所と、同じ目線にあるスートリの町が、結構な高台にあるわけです。町に入っていく坂道の道路は狭くて、ああ、昔の町なんだなあとしみじみ。

 

スートリの町の起源は紀元前まで遡るそうです。エトルリアの幹線道路上にある重要な町だったらしい。現存する町はいつ頃のものなのかな。この↑写真の教会は元々13世紀前半に建てられたそうなので(20世紀に建て直されていますが)、町全体も13世紀くらいかな? 第2次世界大戦で町が破壊されているそうなので、当時のままってことはないんでしょうけど。

 

 

戦争で壊されたとのことですが、結構古い建物も残ってるよ。もちろん観光客も来る。でも、他の町の旧市街がすごすぎて、観光名所ってほどでもないのかもしれない。イタリアは本当に、旧市街の宝庫。

 

こんな感じの水飲み場がたくさんあった。

 

静かな裏通り。右側の建物はきれいに塗り直しているけど、左側は古い感じで、そこがいい。あまりピカピカになってない方が好きだなあ。奥の建物は、これから尋ねるヴィテルボでよく見かけることになるプロッフェルロが付いているようだ。

 

教会に入ってみました。

 

建物自体は現代のものだけれど、品格のある美しい空間…

 

建物という容れ物が新しくなっても、陽が差し込んで柔らかいクリーム色に染まるこの空気は、何百年も前からこの祈りの場を満たしてきた空気に変わりない。

 

この窓の上に立派な紋章があるので、いずれ名のある方のお屋敷だったに違いない。

 

これはまたアンティークですね。オリーブオイル絞り機だな。

 

ここが町の広場。立派な噴水もあります。時計が付いている門がステキだよね。この門自体はローマ時代のものらしい!

 

この中央の建物はひときわ古いんだ。隣と比べると一目瞭然。良い味わい…。

 
これ、亡くなった人に関連する告知なんですって。


グーグルで訳したら、

 

「2018年12月17日、○○は△△通りの自宅にて愛する人たちに囲まれて75年の生涯を閉じました。葬儀は2018年12月18日の15:30より大聖堂の教会にて執り行います。なお献花は」  この後読めないんですけど、定型文をググると、「献花は辞退申し上げますが、○○(施設や団体)へ故人の記念にご寄附くださいますと幸いです」みたいなお願いが多いみたい。素敵な習慣だね。

 

「○○の葬儀に参列してくださった皆様に故人の家族より心からの御礼を申し上げます」
 

「12月23日(日)17:00より、大聖堂の教会にて○○(名前)の命日の追悼ミサを行います。未だ悲しみの癒えぬ家族より、故人を知る方々をご招待申し上げます」  カソリックでは亡くなった人の1年目の命日に追悼ミサを開くんだって。でも、左上の人は20°って書いてあるから、没後20周年?

 

こんな感じ。

 

こういうの街角に貼り出す習慣なんだねえ。セルビアでも、お葬式の告知が街路樹に貼り付けてあって異文化を感じたけど、けっこうよくある文化なんだな。遺族では故人の交友関係を確認するところから始めなきゃならないし連絡に追われるけど、こうして広場に告知すれば皆が知るわけだ。近所の人間関係が密で、皆が同じ場所に行くようなコミュニティでないと無理だとは思うけど。最近ではツイッターで、亡くなった人のアカウントから遺族が「●月●日に永眠しました」と告知している例もよく見る。同じやり方だよね。

 

ところで、この貼り紙、既に終わったミサの告知もあるんだよな(てゆかそっちの方が多い)。新しいのを貼る時に、もう終わったやつの上から自由に貼っていいんだろうか。


 

2018/12/31

 

アンジェロおじさんのタクシーに乗り込み、ブラッチャーノを後にします。あちこち見学させてもらいながらヴィテルボまで行くんだ。まずは車で1時間くらいのところにあるスートリに寄ります。

 

ブラッチャーノ湖の湖畔を走りながら、通り過ぎる町や近郊の歴史につい野本さんのお話しを楽しむ。昔は漁師さんたちが湖畔に家を構え、自分の船を家の下に引き上げていたそうで、その名残が伺える家や町の造りが面白かった。写真ストップしてもらえば良かったわ。

 

さて… スートリにはローマ時代の円形闘技場があるのだ!

 

…けど、この日は臨時休館していました。野本さんが予め調べて「この日は開いている」と確認してくれていたんだけど、臨時では仕方ないね。円形闘技場もだけど、 洞窟の神殿が教会に転用されたものとか… すっごく面白そうなのよねえ。また来なくちゃ。他にも見に来た観光客が「え~」ってなってましたわ。あと、どうでもいいけど人懐っこい猫がいたのでチーズをあげました。

 

しかし、ここが全部開いていたら私、丸1日必要だな…。闘技場は入れていたらこんな感じでした。

古代都市スートリで驚きの技術力で作られた円形競技場を観た! by 野本さん

 

この穴はエトルリア人が掘ったもの。ここもバンディタッチャのネクロポリスと同じく凝灰岩(掘る時は柔らかく、風雨にさらされると硬くなる)ですので、穴を掘るのも簡単だったらしい。

 
穴に垂れ下がっているひらひらは何か。恐らく、前の晩にプレセピオか何かでイベントがあったのだろうと推測されます。屋台の名残みたいなのがあったし、炭を燃やした形跡があった。穴の中に見えているのは、燭台か何かじゃないかしらね。

 
時間があれば穴の中に入って遊び倒していたわ。こういう穴、この一帯にはたくさん残っているみたい。車で走っている時にも道の脇にいくつも見かけたよ。
 
 
これはフランスからローマへと至る巡礼路「ヴィア・フランチージェナ(フランスからの道)」のマークなんですって。9世紀にはすでに存在していた!イタリアの巡礼路ヴィア・フランチジェーナ by 野本さん
 
巡礼路と言えばスペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラまで歩くカミーノ(スペイン語で「道」)が観光客にも大人気ですが、ヴィア・フランチジェーナも専用ガイドブックがあるくらい有名。(知りませんでした… なんで日本ではカミーノばかりが有名に?)
 
昨年の秋にミラノからローマに向けてヴィア・フランチジェーナを歩いた日本人女性のブログも発見(~こころに吹く風~)。ほほお、どれどれスートリは、と読んでみたけど、残念ながらお連れさんが音を上げて、スートリ直前のヴィテルボから電車に乗ることになったのだそうです。ちなみにこの女性、60代ですって。私だっていつかやってやるー!
 
さて、こちらが神殿→教会の跡。岩山に穴を掘って大きな部屋を作った、めっちゃ私好みの場所。
 
最初はエトルリア人がお墓として使っていたのを、ローマ人がミトラ教の神殿に作り変え、それがまたキリスト教の教会「マドンナ・デル・パルト教会」に変身して今に至る。聖母懐妊教会ね。だから中にはプレセピオのフレスコ画があるんだって。
 
掘り抜いた岩肌に窓…。そして階段。この階段、上ってもドアはなくて窓しかないの。その階段、どう使ってたんだ。って、何か野本さんに納得できる推測を聞かされた記憶があるけど、忘れちゃった。

 

中に入ってみたかったなあ。また行くしかない。写真を見ると、フレスコ画も素晴らしいけど、建物(と言うか掘り物だわね)がゾクゾクするくらい好み。この木の扉の向こうに異世界が…。探検したい~。

 

中の様子は野本さんのブログ記事でどうぞ!

古代都市スートリのミトラ教神殿跡でグルグル巻きなキリストを観た!

 

さて、高台に上って円形闘技場を見下ろしてみるよ。これも、積み上げたのではなく、巨大な岩山を繰り抜いてて作られているのだそうです。ネクロポリスを丸ごと堀り抜いたってのも驚いたけど、円形闘技場を丸ごと掘り抜いたってのもすごくね? まあ、この地質なら積み上げるより掘り下げる方が楽で簡単だったのでしょうけど。ずれて崩れる心配もないしな。

 

完成は紀元1年で、ローマのコロッセオ(紀元80年)より古いそうです。さらっと書いてしまえるけど、2018年前って、とんでもないな…。

 

おぼろげにまだ確認できます通り、客席は3段になっている。一番下が貴族、真ん中が貴族じゃない有力者とかお金持ち、一番上が庶民用という座席区分だったって。実際には真ん中が近さと見やすさでベストでは。プロレスの大会場でも、特リン最前を別とすれば、アリーナよりスタンド前列の方が見やすい。桟敷席の理屈。いや、一番下でも2階席くらいの高さはあるんだけどさ。

 

闘技場を見下ろせる場所に至る道。ここは常緑樹なのね。「聖なる森」と呼ばれているらしい。教会とかあるからかな? ここら辺一帯は航空写真で見ても緑でいっぱい。「古代都市スートリ地方自然公園」となっているよ。気持ちの良い散歩道です。

 

手前はサヴォレッリ宮殿。18世紀初頭の建築なので新しい(←感覚がおかしくなっている)。

 

宮殿のお向かいにあるサンタマリア・デルモンテ教会は12世紀のものですって。この塀の前にはきれいに剪定された小さなイタリア式庭園がある。洗練された空間ですわね。

 

閉まっていたけど、ここも普段なら入れるのかな?

 

教会の下にある通用門らしきもの。こういうとこ好きだわ。

 
円形闘技場と谷を挟んでお向かいにあるスートリの町も中世の街並みが残る美しい町(後で見に行ったよ)。スートリで一泊して、朝から晩まで遺跡群を堪能する一日を過ごしてみたいものです。

 

 

2018/12/30

 

そしてまた剣術指南のところで長々と見学。女性の剣士たちもいます。

 

色んな技、色んな剣の使い方があるものだなあ。これでも初級なんでしょうけど。

 

先生の最後の指導に吹き出しましたw

 

何度も、それも毎回長いこと見学していたからか、ついにお師匠様が近くに来て名刺を下さいました。近郊にお住まいの方、いかがですか?

 

ちなみに日本にも中世ヨーロッパの剣術を教えてくれるところはいくつかありますよ。関西なら王子練習会さんとか、関東ならアヴァロン」さんとか。ご興味のある方は是非。

 

私も15年前くらいは本気で考えていたんですけどね、こういうの習いたいなあと。もう最近は、時間を取られることを新しく増やすのをためらうようになりましたわ…。ファンタジー系のRPGは興味も失せたけど、歴史上の出来事をネタにしたゲームとかで面白いものがあるようで、気にはなりつつ手を出さない。楽器だって習いたいのになあ。

 

昔の私って、いったいどうやってあんなに色んなことを楽しんでいたんだろう。逆に今はどうしてこんなに何もできないんだろう。プロレスも見に行かず、本も前ほどは読まず、ドラマも見なくなって…。催し物に参加するために遠方に遠征する事もめっきりなくなったし…。

 

さて、気を取り直して。

 

ここは読み書きにまつわるものが色々とあったような。

 

大道芸人も何人かいた。重たい水晶玉を指先でくるくる回す人や、火を噴く人など。

 

はい、楽しかった一日も、もうおしまいです…。

 

 

堪能したけど、3時間しか見られなかったのは残念。やっぱり開始時間である15時に来て、4時間じっくり見るべきでしたね。日程が合う年があればまた見に来たいわ。出し物も違うだろうし。他にもないのかなあ、年末年始にやってる中世祭り。ヨーロッパ中探したらどこかにはありそうな気もするんですがねえ。

 

これから年末年始にローマに行く人、気が向いたらこの中世祭りまで足を延ばしてみては? ローマから日帰りでも楽しめます。朝にローマから電車でブラッチャーノに来て(所要1時間)、お昼過ぎまでブラッチャーノのお城や旧市街を楽しむ。2時過ぎにタクシーで中世祭り会場に向かう(所要30分)。帰りは、タクシーに迎えに来てもらう時間を決めておけばいい。本当はせめてブラッチャーノで1泊だけでもするのがお薦めだけど。

 

野本さんのブログの、この催しに関する記事はこちら。

あの廃墟の町でスゴいものを見たー!
中世イタリアのオシゴト事情
暗黒の中世、拷問とか魔女狩りとか。
中世のレシピってけっこう美味しい

 

主催さんのフェイスブックページはこちら。メッセンジャーで問い合わせたらすぐ返事をくれた。
Presepe Vivente Monterano
 

 

迎えに来てくれていたタクシーに拾ってもらい、ブラッチャーノに戻りました。

 

パン一切れとチーズしか食べていない割にお腹が空いていなかったので、バールでシンプルにアペリティーボをいただき、ブラッチャーノ最後の夜はおしまい。

 
アペリティーボも私の憧れでした。野本さんがよくブログに書いている、食前酒とおつまみのセット。
 
ここら辺を読むともう、「わわ私もやるっアペリティーボやる!」って気持ちになっちゃうよねw
 
ところで、ついでなので翌日の朝のこともここに貼っときます。次の記事は別のことがテーマだから。
 

翌朝は、またきれいな朝焼けが見えないかなと期待して朝の散歩に出かけましたが、前日みたいな華やかな空にはなりませんでした。湖も霧に隠されるようなこともなく。(冬のいいところの一つは木の葉がないので見晴らしが良いところだね)

 

でも古い建物と群青色の空とオレンジ色の街灯は美しく、散歩は甲斐のあるものでした。

 

湖に面したおうちって、やっぱり借り賃も高いんでしょうね…。ここら辺って今もトルローニア家が地主なんでしょ? じゃあ、建物の持ち主はトルローニア家に借地料を払ってるんだよね?

 

またここか!と言われそうですが、またここです。このアングルは初めて撮ったので。大聖堂の前のテラス(19世紀に付けられたらしい)から撮ったの。ここから撮るのが一番いい。塔は入らないけど。

 

ループするロトンダ通り、左側と右側でこれだけ高低差があるの。ここから撮るとわかりやすい。

 
ブラッチャーノ旧市街、超絶めっちゃ私好みでした。私は、大きな建物が並ぶ大都会の旧市街より、こういう小さな民家がぎゅうぎゅうにくっついている旧市街が好きなの。ここは小さいと言ってもフツーに4階建てとかもあるんですが、なんとなくこじんまり感がある。今までに訪れた旧市街の上位3位の中に入りますね。1位かもしれん。
 
こんな大きなお城があって、この旧市街があって… こういう町ってイタリアにはいっぱいあるんだろうか…? だとしたら焦りにも似た感覚に襲われるよ。だって私がまだ知らないだけの素晴らしい町が沢山あるんじゃないかと思うと…。
 

2018/12/30

 

家畜の番をする人たち。(家畜が写っていませんが)

 

農家の子供は畑仕事に忙しい。(ブレブレで残念…)

 

本当に、建物だけでも見に来る価値がある…。

 

モンテラーノは4世紀の半ばにローマの支配下に入ったとか。西ローマ帝国の滅亡による経済的・政治的な混乱の末に、6世紀から7世紀前半に司教座がモンテラーノに移って以来、重要な町になったって。

 

お城がいつ頃のものかよく知らんのですが、カロリング朝時代の大聖堂の跡が見つかったそうだから、遅くとも10世紀にはお城があったわけかな? もちろんその後にも、12世紀に見張り塔が建てられたり、13世紀には城壁で囲まれて要塞化されたりと、何度も改修・拡張されております。15世紀末には城壁が強化されると共に円形の塔がいくつか増築されました。これは当時このモンテラーノのお城の主だったオルシーニ家によるもの。ブラッチャーノのお城を改築したのと同じ頃ですね。

 

 

1672年からは、このお城は軍事施設から住居としての宮殿へと改装されていったそうです。それすらも今は昔の物語。すべてこのように廃墟となってしまった…。

 

これ、ソーセージを焼いているの見えます? 羨ましくなっちゃった。お腹が空いてさあ。やっぱりケーキを買えば良かったな。でも並んで時間を使うより、もっと見て周りたいってのもありまして。

 

ある洞窟の中の様子。子供たちだけで食事の準備でもしているのかな?

 

こちらは豪勢です。

 

奥のいらっしゃるのは法王様? 皆が食卓についた後、見学者がカメラを向けると食卓に向かって十字を切ってくれます。

 

私は質素にパンとチーズをいただきました。あとホットワイン。喉が渇いていたので、どこかでお水が飲めないかと聞いたら、お鍋で沸かしていたお湯をコップに入れてくれました。長居する気なら飲み物も持参する方が良いね。会場で手に入ると思っていたから用意していなかった。

 

ここは蝋燭屋さんだったかな?

 

休憩している人たち。焚火に当たって暖を取るのがまた、良い感じ。

 

鷹と梟を操る人たち。大人気でした。
 
また広い会場の方に戻っていきます。そろそろお開きの時間、19時が近づいてきている…
 

2018/12/30

 

こちらがメインの会場らしいです。広い…! これまでに100本以上の映画のセットにも使われてきたそうです。有名どころでは「ベン・ハー」とか。どの場面でどの場所を使ったかわかりませんが。映画、見直してみようかしら。写真の手前は剣術体験コーナーらしい。右側の赤い服の男性がお師匠です。立ち方からしてきれいだ。

 

ここは刃物を売っているのかな。

 

革製品屋さん。こういう方々は業者さんなのでしょうね。売り場に合せてコスプレしている。

 

バグパイプを中心にしたバンド。賑やかな曲からしっとりした曲まで色々と奏でていて、私の大好きな Herr Mannelig も! 嬉しくて後ろをついて歩いて、演奏後にお礼を言っちゃった。

 

野本さんが訪れた時には拷問コーナーがあったそうです(「暗黒の中世、拷問とか魔女狩りとか。」)が、私が行った年はなかった。小さな子供たちも参加するイベントには不適切だと判断されたのかもしれませんね。たまたま今年は都合が悪くて不参加だっただけかもしれんけど。私はああいうのが苦手なので、なくて良いです。晒し台くらいならいいんだけど、体を痛めつけるやつは本当にダメなのチェコのロケト城の拷問の展示は演出がすごくて、見学しているだけで精神を病みそうでした。

 

聖ボナヴェントゥラ教会。モンテラーノのお城に隣接して、教会と修道院が1677~1679年に建てられました。往時はこの背後にドームもあったらしいよ。お城と修道院の遺跡だけでも見学に来る価値があるわ。さて、この教会の中にプレセピオがある…

 

ある、と言うか、いる。本物の赤ちゃんで再現している。チラシもこの3名で作ってあった。

 

赤ちゃん、私が行った時は終始ご機嫌さんでしたよ。むずがって泣いたりしたら休憩するのかしら。ねんねの時間もあっただろうし。まあ寝ていたら寝ていたで、「救いの御子は馬槽の中に眠り給う、いと安く 」の再現なので問題ないですね。3歳くらいの子が赤ちゃんに手を振って赤ちゃんがキャッキャ笑ったのがとっても微笑ましかった。小さい子同士の連帯感ってありますよね。(知り合いなのかも)

 

家族連れで楽しめるイベントなので、小さい子もたくさんいました。アーマードバトルの実演はなかったけど、武具の展示は何ヶ所かで見かけたよ。坊やたち興味津々。

 

この小さな剣士は、相手の落とした剣を拾って相手に放り投げてやり、かかってこいと手招きするほどの手練れ。(16秒~27秒くらいのとこ) こういう様式美もお父さんたちに教え込まれるのかなw

 

麗しい騎馬の貴婦人もいらっしゃいましたわ。

 

よろしければ動いているところもどうぞ…

 

この若様は弓の修行中。別の場所にも弓道体験があった。お手軽に楽しめる人気メニューね。

 

動いているところも…

 

とか楽しんでいるうちに日も暮れてきました。このお鍋の中は何なのかしら… 売り物ではない様子。参加者が自分たちで食べるものを調理しているのでしょうね。楽しそう。

 

私も何か食べたくて物色していたんだけど、食物のブースは思ったより少なかった。こっちの会場ではケーキを売っているブースがあり、とても美味しそうだったんだけど、行列していたので諦めてしまいました。次に行くなら、何か食料を持参しようかしら。ホットワインとか楽しんでたらすぐコインも消費しちゃうしさ。コインの買い足しもできたかもしれないけど、入口まで戻るのはあまりにも面倒くさい。

 

ここは文具系のものを売っているお店。照明から離れた場所で少し暗いからか、蝋燭で灯りを取っている。実際、中世の時代は照明器具って松明や蝋燭、オイルランプくらいだったんだよなー。

 

電気の通ってない宿に泊まったことが何度かあるけど、マグライトだと向けた方向しか照らさないので、部屋の中では蝋燭の方が良いと思いましたわ。蝋燭受けは小さな缶詰の空き缶が便利よ。その一方で、広い場所だとやはり懐中電灯がいいと思いましたね。蝋燭やランプは光の届く範囲が狭いので、開放空間では懐中電灯の威力に及ばない。「ハンガリー旅行記 32 : 王宮地下迷宮(ブダペスト)で思い知りました。

 

じゃあ、またちょっと、最初に行った方の会場に戻ってみよう。この建物の間の道を上っていくの。

 

2018/12/30

 

さて、昼食の後はカナーレ・モンテラーノに向かいます。カナーレ・モンテラーノはブラッチャーノの近郊にある町で、ここのプレセピオが私のお目当て。今回のイタリア行きを決めたのは、これが理由なの。野本さんのブログ記事「あの廃墟の町でスゴいものを見たー!を読んで以来、イタリアに行くならまずここだ! と思い定めていたのだ。

 

ブラッチャーノとカナーレ・モンテラーノの間は公共バスも走っているけど便も少ないので、タクシーをお願いしました。ところで、野本さん曰くブラッチャーノにはタクシーは3台しかないそうなので、予定がある人はとにかく早めに手配した方がいいですよ。私はこれも野本さんにお願いしました。

 

駐車場でタクシーを下りたら、その後は会場まで15分ほど歩く。シャトルバスもあります。

 

プレセピオとはイエス・キリストの誕生を表すお人形のセットのこと。これは一般的。人間が当時の服装に身を包んでお芝居するのも、珍しくはないらしい。カナーレ・モンテラーノのプレセピオが特殊なのは、郊外の修道院跡の広大な敷地を使って中世祭りが開かれること。

 

7ユーロ払って、会場内での支払いに使える中世の金貨を3枚もらいました。

 

私は常々ヨーロッパの中世祭りを見てみたいと憧れておりました。しかしそういうお祭りは大抵は夏に開かれるもの。夏にが長い休みが取れない身としては定年まで待つしかないと諦めておりました。それが、冬に中世祭りをやっている町があるなんて!

 

この水道橋は17世紀のものですって。よく補修され、保存状態良好です。

 

念のため、この中世祭りはシーズン中毎日ってわけじゃありません。クリスマス期間中の日曜日に3回開かれる程度。で、この年はそのうち1回が12月30日という遅い日付で、旅程にばっちり組み込めたのだ! このプレセピオの公式サイトは、こちらのフェイスブックページPresepe Vivente Monteranoです。

 
北から来たらしき戦士が決闘していました。もうちょっと躍動感ある場面を撮れよ私…

 

ハンセン病患者。(昔は癩病と言いましたが、現在では差別語として使われていません) 治療法のなかった昔は患者は感染を防ぐため共同体の外部にある施設に隔離されました。実は感染力はあまり高くないんだけど、皮膚がボロボロに爛れたり手足が捻じ曲がったりという目に見える症状から恐れられたのね。患者は外ではこのように全身を布で隠し、鈴を取り付けて、患者がいることを周りに知らせながら歩いたのだ…

 

お城の廃墟の下にたくさんのお店が出ている。

 

これは仲間内の身支度なのか、体験コーナーなのか?

 

兵隊さんたちの駐屯所か何かですかね…

 

この人は兵隊ではないのかな。ちなみにここではホットワインを売っていました。

 

コスプレ参加の一般人なのかもしれないけど、案内役のスタッフさんだった気もする。

 

何やらお触れを出している人たち。

 

こういう庶民の手工業の実演がいっぱいあったよ。

 

こちらのお坊様はシュナップスを売っています。ここで1杯ひっかけました。

 

あっ、お隣の洞窟に蒸留所が!

 

こちらのご婦人は布物を売っていた。何か買えば良かったわ。

 

上客に愛想を振りまく魚屋のおかみさん。(実際は知り合いと話しているのでしょう)

 

 

 

念のため、お魚はおもちゃです。

 

子供の参加者も多いのは、お仕事体験が充実しているからでしょうね。

 

牛乳を煮てチーズを作ります。出来立てのリコッタチーズが食べられる。ところで、上の写真の子と服が似ているけど、おじいちゃんと孫かしら?

 

飲み物はホットワインやシュナップスにコーヒー、食べるものも各種チーズ、ブルスケッタ、プロシュート、蜂蜜、ナッツ、ケーキなど豊富に取り揃えております。野本さんのブログ記事「中世のレシピってけっこう美味しいにでていたあの野菜スープ、アックアコッタを楽しみにしていたんですが、この日は見当たりませんでしたわ…。出ていなかったのか、売り切れていたのか、私が気づかなかったのか。

 

こちらは代書屋さんかしら? それとも会計士とか弁護士とか?

 

木を削って何か道具を作っていたおじさま。

 

鍛冶屋さん。

 

では、この道を下って別の広場に移りましょう…。

 

2018/12/30

 

朝の7時半には誰もいなかった展望台にも、今は何人もの人がいたよ。ここから見るとお城の塔よりも大聖堂の鐘楼の方が高く見えるね。近いから。

 

朝には霧で隠されていた湖もお昼にはこの通り。

 

時計仕掛けのオレンジの家、別アングルから。

 

これも朝に写真を撮ったけど、明るいと雰囲気がまるで違って見える。

 

同じ場所をまた別アングルから。この右側の道、ロトンダ通りを進むと、ループして…

 

 

 

 

 

この写真の、塔の下の道に出てくるんですよ。

 

上の写真の右側にあるのが聖ステファノ大聖堂です。

 

開館時間が決まっているので、気を付けてください。私はギリギリでしたわ。

 

ここに教会が最初に建てられたのはヴィーコ家が領主だった1200年ごろと推測されるそうです。16世紀半ばに拡張工事があった模様。1609年、1610年には鐘楼にも修復工事が施されて、今の姿になったんだって。内部の補修などはその後も続いたようですが。

 

同じような写真ばかり撮っていると思われるでしょうが、これは塔が2つ写っているのがポイントなの。

 

 

コッレジャータ通りの家。見ている分には楽しいけど、やっぱバリアフリーとはかけ離れた物件だよね。外階段を上って一つ目の入り口の奥、階段が続いています。

 

こちらは大聖堂の下のスカレッタ・デル・モレット通り。ここを抜けると展望台のある方に出る。この記事の2枚目の写真の、停まっている車のお尻のとこの通りね。

 

売り出している物件もちらほら。

 

趣はあるけれど、古いし、道も狭いものね。旧市街の中でも住民と営業車は乗り入れられるけど、この家だと車で乗り付けることもできない。年を取って足腰が悪くなったりしたら、買い物で重い荷物を持ち換えるのも大変だろうしな。

 

 

 

そろそろお昼にします。これも野本さんのブログ記事「ブラッチャーノで魚介の前菜を食べるならココ!」を読んで絶対に行きたいと思っていたお店。Ristorante Al Fresco 、ウェブサイトもあるけどイタリア語なので、トリップアドバイザーにリンクしときますね。野本さんのブログではお店の名前は出していないので、立地からここに違いない!と地図上で探し出したのだ。(聞けばいいだろ…)

 

私が泊まっている宿から徒歩30秒くらい。同じ通りにあるの。この写真の一番奥の建物かな?

 
私、メイン料理より前菜の方が好きなんですよね。前菜だけでもいいくらい。姉も同じで、前菜がたっぷりあれば肉料理も魚料理もパスタやピッツァもなくてもいいとよく言ってます。
 
前菜盛り合わせ。

 

お魚~。

 

ラビオリ~。(念のため、魚とラビオリは2人で分け合ってますから)

 

このデザートは頼んでいない。お店のおごりだったらしい! クリームに、パイを砕いたものと粉砂糖がかかっていましてね。ごはんで既にお腹がはちきれそうだったのにペロッと食べちゃった。

 

美味しかったー! 満足したけど、フラスケッタと同様、ここも絶対に再訪したい!

 

2018/12/30

 

さて、旧市街の一番高い位置にあるコッレジャータ通りから南東へ降りていくのがウンベルト通り。それがプリンチペ・ディ・ナポリ通りに変わるところから新市街が始まると思っていいのかしら。

 

プリンチペ・ディ・ナポリ通りが始まるところにあるのが11月4日広場。イタリアのあちこちにあるこの名前の広場は、第1次世界大戦の戦勝記念日にちなむらしい。で、奥にあるのが市役所。

 

市役所の左側には教会もある。聖母マリア訪問教会…たぶん。この目と鼻の先、ウンベルト通りの端にもサンタマリアノヴェッラ教会があるよ。それがブラッチャーノで一番大勢が訪れる教会らしい。入ってみたら、お巡りさんがお参りに来ていたりした。野本さんのブログ記事にもあります。「クリスマスのコンサート

 

聖母マリア訪問教会が面している通りにはカフェのオープンテラスがずらっと並んでいました。で、寒いのに皆そこで楽しそうに談笑していました。なんで中に入らないの……

 

さて、たどり着いた、修道院。カプチン派修会の図書館、と出ています。修道院の図書館なんてメッチャメチャ興味あるわ…。

 

が、この建物は教会らしい。開いていない時もあるとのことでしたので心配でしたが、開いていましたよ。でも、中で何かやっているらしくて… 日曜日だし、ミサ? さすがに、物見遊山の異教徒が邪魔しに入る気にはなれない。

 

なので、ミサ(か何か)が終るまで待つことにして、外を色々と見学。

 

上の写真の右の方に続く壁、小さな窓っぽいものがありますでしょ。窓じゃなくて、扉付きの彫刻。

 

無理せず一つずつ撮れば良かったわ。このように、右からイエス様の磔刑場面を表しているのだ。

 

 
写真も縦向きに撮ったり横向きに撮ったりしますが、絵や彫刻でも同じなんだねえ。

 

ちなみにカプチン派修道会とは、1525年マテオ・ダ・バシオの始めたフランシスコ修道会の独立的分派の一つとのことです。16世紀はカソリック協会の腐敗を糾弾する宗教改革が盛んになりましたが、プロテスタントになるのではなく、カソリックの中で原点回帰を目指すお坊様たちもいたわけです。聖フランシスコの教えに忠実に従い、厳格な規律の元で清貧生活を送ろうと主張したのがカプチン派。名前は、修道服についているカプチーノ (帽巾) からついたんだって。

 

 

教会の前にはこんなスペースがあり、新市街を見渡せます。季節が良ければ楽しく憩えるわ。

 

 

45分ほど経ったところで内部の見学は断念。またいつか来ることにしましょう。

 

帰る途中で寄り道したお菓子屋さん。シンプルなお店でしたが、地元では有名なお店だとか。

 

イートインというほどではないけど、飲み物も売っていて、店内で立ち食いできるよ。

 

プリンチペ・ディ・ナポリ通りを旧市街まで戻ります。とにかく城下の旧市街から真っ直ぐなので、反対の端からでもお城が見えるくらい。

 

これはブラッチャーノ駅。ちょうど電車が来たから撮ったけど、駅舎が隠れちゃった。駅のすぐそばにもいくつも宿があるから、鉄道で移動していて荷物が重い方はそういうとこに泊まるのもいいよね。

 

ウンベルト通りが見えてきた。こうして見ると、お城からウンベルト通りは下り、そしてプリンチペ・ディ・ナポリ通りに変わる辺りでまた上りになって、カプチン派修道会図書館がまた高台になってるんだな。

 

2018/12/30

 

野本さんのお宅を出た後、すっかり明るくなった旧市街を散策しました。

 

写真を羅列するくらいしかない…

 

上の写真の奥にある建物がこれ。昔は教会だったらしい。外からも、教会だった名残を確認できる。

 

教会の左側の通りがこの町で一番古い通りだったはず。教会を中心に町が作られていったのね。

 
小さな家々に囲まれて突然に表れる小広場、いいよねえ。

 

この真ん中の建物は、通りの真ん中に中洲のように建っている。

 

ひとつ上の写真の反対側。

 

そう言えばね、洗濯物を外に干しているうちが何軒もあるのは良いのですが、前の晩から出しっぱなしにになっているのですよ。湿気のある町ですし却って夜露に濡れるのではと思うのですが、野本さんいわく「そんなことを気にするイタリア人はいません」。

 

 

上の写真と下の写真を一枚に収めたかったけど、どう工夫しても無理でした。ここ、好きな場所。

 

 

ここを通ると時計じかけのオレンジの家の方に繋がっていくのですけど、ここ、明らかに誰かのお庭の中に皆の通り道があるんですよねえ。え、いいの?って思っちゃうけど、道がクネクネの旧市街ですもの、細かいことを言っていられないのかもしれませんね。

 

 

展望台があるトラパッソ・サン・クレメンテ通りから湖に下りていく道。前日、ここを下りていったんだ。

 

コッレジャータ通り(左)。右のロトンダ通りの向こうにオデスカルキ城の塔が見えている。

 

上の写真の奥にも見えて言える、昨夜のお散歩の時にも写真を撮った、コッレジャータ通りの小広場。

 

 

コッレジャータ通りの端っこにあるバールでエスプレッソをいただきました。

 

私の他には常連が1人いただけでした。バールによって混む時間帯が違うのかもしれませんね。

 

コッレジャータ通り。左に見えている看板が上のバール(上の方にサンタさんが)。奥にトンネルが見えていますね。トンネルの手前の右手に、3つ上の写真の小広場がある。