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旅中毒

バックパックと少しのお金とパスポートがあればいい。行けば行くほど行きたい場所が増え、人生狂って後悔なし!

2018/12/30


日本では午前2時くらいまで起きているのが普通な私ですが、旅先ではいつも早寝早起きです。この日の朝も6時くらいには起きました。お茶を飲んだりとまったりしていたら、野本さんからLINEで、良かったら朝に野本さんのご自宅にとお招きが! 喜んでお邪魔することにいたしまして、7時半に湖を見下ろす展望台で落ち合うことになりました。

 

宿から展望台までは徒歩1分ですが、早朝の町の様子も少し見たいし… と7:15くらいに出発。宿の前の道を東に抜ければそこが展望台です。

 

展望台から街の方を振り返るとこんな風。きれい……

 

湖から立ち上る蒸気が雲となって湖を覆い隠しております。対岸西側の山の上、手前の雲の切れ目の向こうに朝日に染められた雲があるのがわかる。

 

朝に湖から水蒸気が昇るから、ブラッチャーは午前中は曇っていることが多いのですって。お博頃にその霧が晴れて青空が現れる。確かに私の滞在中もそんな感じでしたわ。

 

7:18、対岸東側はもう朝日が昇ろうとしている。霧にかすむ森、そして未だ目覚めぬ町の灯り。

 

7:27。 湖を覆う雲も染まっているのがおわかりいただけますでしょうか。

 

7:31。 1秒ごとに色が変わっていく…

 

動画を撮ってみました。野本さんの声入りですw

 

野本さんがおっしゃるには、冬のいいところは、特に早起きしなくても夜明けを見ることができることだ、と。本当ですねえ。7時半にこんな朝焼けが見れるなんて思ってもみなかった。

 

この家も朝日を浴びて薄らと紅色に染まっているんですけど、写真じゃわかりにくいかなあ…。

 

ところで、このおうち、英国人作家アンソニー・バージェスが「「時計じかけのオレンジ」を書いた家なんですって。映画の方が有名になっていると思いますが。野本さんのブログ記事「ブラッチャーノ旧市街にある時計じかけのオレンジの家」で初めて知りました。

 

ところで、今年の4月末にこんなニュースがあったんですよ。

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「時計じかけのオレンジ」未発表の続編原稿が発見される

スタンリー・キューブリック監督の代表作「時計じかけのオレンジ」の原作となった、英作家アンソニー・バージェスの同名小説の続編と思しき未完の原稿が、伊ブラッチャーノにあるバージェス氏の旧宅で発見された。

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クローゼットの奥にでもしまいこまれていたんですかね? この家で亡くなったわけでもないのに、なぜ彼は原稿を放置して去ったのだろう。整理ができない人で、「どっか行っちゃったああああ(涙)」みたいな状態だったんだろうか?

 

さて、野本さんのおうちがあるのは、旧市街の中でも特に古い一角だったはず。もう野本さんもお引越し済みだから(「1400年前のおうちで最後の晩餐」)、写真を載せてもいいよね。この写真の左正面にあるおうちの2階に野本さんの家がある。一つの建物の中に、複数の独立した家があるのですね。

 

建物の入り口ではない、野本さんの家の玄関の作りを見ると、元はそこが建物の入り口だったと推測できるそうです。建物が最初に建てられた時には、道から階段を上がってその入り口にたどり着いていたのではないか、と。

 

お隣の家の前に薪が積んであるのは、そこがプロのポルケッタ屋さんだからだそうです。お陰でそちらに面した壁が冬でもとても暖かく、夏は部屋全体がとんでもないことになったのだとかw

 

朝ごはんもご馳走してくださいました。イタリアの伝統的な朝食と言うわけではなく、シチリア料理の「溺れたカリフラワー」にたっぷりのオリーブオイル。めっちゃ美味しかった!

 

この日は野本さんはお友達と約束があったので、朝のひとときのみお世話になりました。

 

ところで…

 

私は普段の生活では超夜型でして、午前2時、3時まで眠くならない。日によっては4時近くまでフツーに起きていられたりする。睡眠不足だと翌日がつらいから1時半には寝るよう心がけていますが、油断すると2時半くらいになってしまうこともしばしば。中学生の頃にはもう深夜ラジオを聞いて3時まで起きていたりしましたからねえ。

 
で、昔から「私は子供の頃からの筋金入りの不摂生なので時差ボケになどならない。時差ボケになるのは普段から規則正しい生活をしている人だけだ」と言っておりましたのですが、これもどうやら違うようですね。
 
最新の研究によりますと、夜型、朝型と言うのは生活習慣ではなく、体質なのだとか。だから、夜型の人間が早寝早起きの生活を送ることはできるけれど、それはその人が朝型になったのではなく、朝型の生活習慣を実行しているというだけのことなんですって。朝型の生活を送る夜型の人間は常に時差ボケしているも同然なのだと。めっちゃ腑に落ちるわ!
 
旅先の日本との時差は色々なのであまり関係ないかもしれないけど、超夜型の癖に旅先では早寝早起きになるのって、明るい時間を有効に使いたいと言う便宜のためだけでなく、時差が良い感じの効果を及ぼしているのかもしれない。

 

2018/12/28

 

フラスケッタでお腹いっぱいになった後は解散し、私は旧市街のお散歩に。

 

これは、私が泊まっているフィオラヴァンティ通りの一本上にある、コッレジャータ通り。お城に近い方の端っこです。

 

写真にある左側の通り(トンネルが見えている下の道)がコッレジャータ通りの反対側の端っこ。その隣の、上に上がっていくっぽい道はロトンダ通りで、このブロックをループしていて、奥の方は城壁の端っこに接している。写真の右側には大聖堂があるよ。

 

上の写真の左端に移っている建物、これがとっても素敵でした。

 

建物自体も本当に素敵なんだけど、この写真に写っている左から2つ目の窓。よそさまのおうちをジロジロ除くのも無礼だけど、ここ、壁が一面本棚になっていて、本が床から天井までぎっしり詰まっていた。図書館か書店のような部屋。学者さんのおうちなのかしら… あるいは筋金入りの本好きの。年配の男性と若い人が見えたから、先生の部屋なのかも。(親子かもだけど)

 

湖の方にも降りてみた。湖で遊ぶ予定は入れていないんだけど、一回くらいは湖にも行っておかねばね。湖に降りていくため、林の中の道を通ったら、旧市街(や新市街)とは違う、大きな一戸建てや農家なんかを(塀の外から)見ることができました。大きな道まで出てきたらキャンプ場の入り口もあった。旧市街から湖畔まで、徒歩45分くらいでしたわ。

 

下の道から見上げる、ライトアップされたオデスカルキ城。

 

全然わからんと思いますが、波打ち際から見た対岸の町。方角から、トレヴィニャーノ・ロマーノかな。

 

ブラッチャーノ湖は古代から続くローマの水瓶です。水質保全のため、汚水が流れ込まないように、下水はもちろん、周辺の農業活動にも規制があるらしい。モーター付きの船も、認可された遊覧船と漁船だけなんだって。

 

そのお陰でブラッチャーノ湖は本当に水がきれいなんだ。夏には泳ぐこともできるので、夏にも来てみたいね。湖畔でカクテルを啜りながら本を読んで、暑くなってきたら湖水で体を冷やして。

 

こんなことを書いて、ふと気づいた。私、すっかり大人になりました。16年前、クロアチアのプーラで同じ宿に泊まっていた人に「泳ぎに行こう」と誘われて海に行き(部屋から波打ち際まで徒歩30秒)、なのに岩の上に広げたバスタオルに腰を下ろして果物を食べながら喋ってばかりで、海に入って『さあ泳ぐぞ!』と思ったらすぐ陸に戻って… 『泳ぎに行こうって言ったよね?なんで海に入らないの?』とすごく謎だったんですよ。数年後、何がきっかけだったか忘れましたが、大人が言う「泳ぎに行く」は泳ぐのがメインではなく、海に近い陸の上でダラダラ過ごすのがメインなのだと閃きました。

 

さて、ブラッチャーノ湖畔にはいくつかカフェやレストラン、休憩所などがあるようでしたが、閉まっていました。唯一開いていた道沿いのレストラン Il Luccio d'Oro の売店のイートイン的なスペースで休憩。今知ったけど、創業1888年だって。なんかもう、イタリアでは別に古くもないのかもと思ってしまう…

 

ここ、お酒も充実しているけど、お腹がいっぱい過ぎてお酒を受け付けなかったので、ハーブティーをいただきました。

 

旧市街に戻る時は、車道であるラーゴ通り沿いに戻りました。日が暮れた後は、灯りのない林の中の道を通るのも危ないと思いまして。途中にホテルもあった。ブラッチャーノで会議場があるホテルはここだけらしいよ。

 

こちら、聖マリアRiposso教会… 「Riposso」って、 グーグル翻訳すると「Rest」とのことですが、聖母就寝教会ってことなん?  16世紀の建築だそうで、外観はごつい感じだけど、中はフレスコで飾られて華麗。結婚式も挙げられるようですよこちらのサイトに写真があります。

 

戻ってきて、しばし夜中の旧市街を楽しむ…

 

たまに暗がりから声がしてギョッとするけど、若者たちがお喋りしているのでした。このクソ寒いのに、なぜ外で…。バールとか行けばいいのにと思うけど、若い人は元気だねえ。

 

これがしたいから旧市街に泊まるの。夜に近所をお散歩したいの。旧市街に帰ってきたいのだ私は。

 

ここはコッレジャータ通りだな。

 

これはどこだったかなあ…

 

 

これは大聖堂の下にあるスカレッタ・デル・モレット通りね。最もフォトジェニックな通りの一つだと思う。

2018/12/29

 

さて、お城の見学を終えた後は楽しみに楽しみにしていたここ! お城へと続く道を出てきて道路を挟んだ正面にあるフラスケッタ。フラスケッタって居酒屋さんのことだって。この地方独特の呼び方らしいよ。

 

 

野本さんのブログを読んでいつもいつも「私もいつか行く…!」と決意していたお店。この記事のタイトルを付けてから野本さんのブログを読み返したら、ほとんど同じタイトルの記事があって吹いたわw 「あこがれのフラスケッタへ」  やはり野本さんブログの愛読者はこのフラスケッタに行きたくてたまらなくなるらしい。美味しそうに紹介してらっしゃるからねえ…。てゆか美味しかった…。

 

まず出てきたのはこちら。豚の生肉ですよ。日本ではあり得んメニュー。甘くてトロトロ!

 

そしてこれ! 見てこれー! これを目の前に置きたかったのーーーっ!

 

もう感激ですわ。チーズもお肉も、すっごく美味しい! こういうのをやりたかったの!

 

カリカリのパンに蜂蜜とマーマレード。これがまたお肉やチーズに合う!

 

そして真打ち! ジューシーなポルケッタ!

 

そして、予期せぬ喜びがこちら。お野菜…コントルノっていうのね。これがもう、めっちゃくちゃ美味しい! 味付けももちろん、野菜のパワーもあるんだろうなあ。

 

後日談になりますが、このお店の若きシェフ、ジャコモさんが来日してお料理を披露することになり、野本さんが「お野菜も出してね」と言ったら、「あれは僕じゃなくてマンマが作ってるからわからない」と言われたそうです 笑

 

私がマンマにこのコントルノの作り方を習いたいよ…。マジでメチャクチャ美味しかった。お腹がいっぱい過ぎてどうにもこうにも入らなくて残したけど、タッパーに詰めて持って帰りたいくらいでしたよっ。

 

お豆も~。そしてデザートのビスコッティも~。最後まで大満足…。

 

これはお手洗いの鏡。身長160センチの私では頭頂しか見えぬ位置にある。ジャコモさんでも肩から上くらいしか写らないんじゃないかな? なぜこの位置…。


ジャコモさん、今年の1月に日本に来ていたんですよ。ポルケッタの調理実演のために。

ここから連続した記事で読めますので、ぜひどうぞ。(日本を満喫するイタリア男子の姿…)

 

ジャコモが日本で最初にしたことは?

 

実際の調理実演や食事の様子は下記のブログに。

 

ポルケッタ仕込みなう☺

ポルケッタ、あります!!明日のご予約状況

 

トリップアドバイザーにも出ていますよ。コメント数は少ないけど、コメント内容からも分かる、人気店。

Fraschetta.Bracciano


日本語のコメントは1件だけね。他のコメントも自動翻訳で日本語になるけど、「停車します。リラックスし、食事をすること、城の前にご porchetta」 みたいな調子。まあ、言いたいことは伝わります。

 

ちなみに元の英文は「Stop, Relax and Eat your Porchetta in front of the Castle」です。「ご」 は 「your」 の訳かな。ほら、「ご参考」とか言うじゃないですか。「御社」的な感覚で「御ポルケッタ」 なのでは。

 

「足を止め、リラックスして、ポルケッタを味わおう。お城のすぐ真ん前で」 て感じか。

 

2018/12/29

 

お城の入り口近くまで戻ってから、今度は別セクションに移動します。フロアプランがネット上にあればいいのに。せめて売店に英語の地図が欲しかった…。

 

この階段の幅の広さや段の低さは、馬で乗り入れることを想定しているかららしい。壁には松明を設置できるようになっている。日没後に着いたお客様が松明の明かりを頼りにここを進んでいく様子が目に浮かぶよ…。(ロケに使われているからドラマで見れるらしい)

 

振り返るとこんな風。右側の通路の奥が、さっき城壁から降りてきた場所。左の広い階段がお城の入り口に繋がっているわけ。

 

で、別セクションとはこんな風です。お客さん用の棟だったんだって。

 

これね、ホテルの元祖みたいなものだって。

 

お貴族様が旅をするとなれば家来も含めて結構な人数になる。そんじょそこらの旅籠に泊まることもできない。だから各地の有力者のおうちに厄介になるわけです。確かに、他のお城で、中世のお城の一番いい部屋が身分の高い人用のゲストルームだった、とか説明板にかいてあったりしたな。んで、オルシーニ家は豪快に、お客様用のお部屋どころかお客様用の棟を用意したわけね。近世になると部屋数が1,000を超えるような宮殿もできてくるけど、中世の城塞でこんな規模ってすごくないか。

 

と、まあ、そういうわけで、高級ホテルだったわけです。(でもお客様なら無料だったろう) ホテルに入ってみたかったけど、ここは入れなかった。

 

上の写真の左側にあるドアの奥は、お台所。だから外には大きな井戸もある。井戸の手前についている手水鉢のようなものは何かしら。ここに水をためて何かしたんだろうけど。

 

中はこんな感じ。かまどが3つあったらしいよ。さすが大きなお城だ。

 

かまど再現コーナー。

 

これは、野本さんいわく「中世のシステムキッチン」。こちらの記事「オルシーニ家のクマさんと昔のシステムキッチン」。クマの頭のところが蛇口で、個々から水が出るようになっていたの。で、右側にはコンロ(かまど)が。

 

かまどや流しの他にここに広いスペースがあるのは、ここで猪や鹿を解体したからなんですって。

 

床の地を洗い流せるよう、傾斜を付けた排水路もある。いやー、昔の武器とかよりも、こういう生活に密着した部分の方がずっとおもしろい。野本さんに解説してもらえて良かった!

 

この壺は、液体が流れ出やすくなるよう、持ち手の途中に通気口を付けてある。持ち手の中が空洞で本体と繋がってるんだね。賢い工夫だな。この壺のレプリカをギフトショップで売ればいいのに…。このお城、お土産がほとんどなかった。観光名所ではあるけど、観光客をワサワサ呼んでオルシーニ饅頭でぼろ儲け、みたいな方針ではないのね。

 

この奥の階段に上ってみたかったわ。立ち入り禁止でした。オデスカルキさんのプライベートスペースってここなのかしら。

 

この1階には、パオロとイザベッラが新婚時代に過ごしたお部屋があるそうです。日曜日なら公開されているそうですよ。前の記事でも貼ってますが、野本さんのブログ記事に写真もあります。イザベッラ・デ・メディチが本当に暮らしていた部屋

 

お台所の左側に見えているドアの奥はホールになっていて、パーティーに使えるらしい。もちろん、季節とお天気が良ければお外でもOKだ。入り口近くの元倉庫も使えるし、規模や用途によって部屋を選べるね。ここで結婚式を挙げた日本人カップルのブログも読んだよ。ググったらゼクシイとかも出てきた 笑

 

で、その左に、ここに入ってきたあの広くて段差の狭い階段があるのです。

 

2018/12/29

 

展示品が並ぶ城館を出たところにはこのようなスペースがあります。素敵。こういう場所は建築用語ではなんて呼ぶのかな。単に廊下扱いかしら。城館への入り口は写真を撮っている場所の背後。で、この写真の左側に、歩廊への出口が見えています。

 

上の出口から右に曲がるようになっていて、外に出ていけるのだ。

 

上の3枚の部分は、この写真の真ん中の窓2つのとこです。そこから歩廊に出て、端まで来て振り返ったところ。左側の窓2つの下の大きな通路は、お城の外に繋がる入口や、別棟のある区画へと繋がっていきます。

 

こっちの端からは更に上の歩廊に上がれる。

 

上の歩廊から城館の方を見る。あの上の部分に上がりたかったけど、立ち入り禁止でした。スタッフになったらああいうところも入れるんだろうなあ。いいなあ。

 

歩廊は別の塔の上まで続いております。…で、また振り返ってる。

 

ここら辺はちょっと、崩れちゃってるね。

 

お城で一番高い場所からの眺め。町や大聖堂や湖を見渡せる写真スポットです。皆、ここで記念写真を撮っていましたわ。

 

では、降りて行きましょう…

 

歩廊からこっちに降りてこられるんだよ。

 

建物の下を潜って反対側の中庭(と言うほどでもない)に出る。

 

横手にあったこの穴は何だろうと入っていったら…

 

こんな出口が。このドアがお城の外に通じている。食料や日用品をここから運び入れていたお勝手口なのか、緊急避難経路か何かだったのか。

 

展示品を見るのも、昔の暮らしの博物館なわけだからとっても楽しいのですけど、やはり私が一番ワクワクするのはお城の建物自体を見て周ることなんだろうな、と。そしてその部屋や回廊が当時どのように使われていたかを確認したり想像したりして、昔の暮らしを思い描いて楽しむの。

 

このお城ではやらなかったけど、気が向いたら、オリジナルのキャラクターを作り上げて物語仕立てにした時代考証無視の妄想を楽しむこともあります。今までの妄想のベスト3を生み出した場所は…

①アルハンブラ宮殿の糸杉の庭。若い王妃と騎士の悲恋。アベンセラッヘス一族虐殺事件をネタに。

②アンダルシアのイタリカ(円形闘技場跡)。若い剣闘士のデビューから老齢になっての引退まで。

③ウェールズのカナ―フォン城。家族も王座も領地も失った王子が国を取り戻す戦国絵巻。

番外:クロアチアのプリトヴィッツェではオリジナルの妖精の生態を設定しました。

 

以前、ウェールズのケルフィリー城に行った際、同行していた人にこんな話をしたら、「そんなことしていたらいくら時間があっても足りないじゃない!?」と驚かれましたが、ええ、いくら時間があっても足りませんとも。だから時間がたっぷり欲しいの。でも、「ここでは3時間滞在する」とか最初に告げてOKされているのに、雇ったドライバーガイドが勝手に滞在30分に短縮して予定を組んだりして、「話が違う」と言っても「ここに3時間もいる必要はない」とか言われたりと、ホンットに嫌な思いをしたことも多々ある。

 

たっぷり時間をかけて丁寧に案内してくれた上に、その後は私が好き放題に時間を使えるように放っておいてくれた野本さんには、感謝しかありません。これぞ個人ガイドの醍醐味です。

 

2018/12/28

 

野本さんによりますと、オデスカルキ城、頻繁に展示の内容や場所を変えるんですって。同じ展示物でも前と置いてある部屋が違う、なんてこともしょっちゅうだとか。昔の生活を想像するためには、その展示品の使われていた時代(幅が広そうだけど)に合わせて場所を固定してくれた方が良いと思うんですが。せっかく展示品が本当に使われていた建物の中に展示しているのだから。

 

一番ウケたのは、3枚で一組として描かれた絵画をバラバラに違う部屋に展示していたこと。やっていいんだ、それ… 笑

 

これ、野本さんに教えてもらわなかったら間違いなくスルーッと流し見しちゃったと思うんですが、この壺の紋章、めっちゃいい加減!

 

 

真ん中にあるのはウナギなの。オルシーニ家がアングイッラーラ・サバーツィア(ブラッチャーノの近所の、同じく湖畔の町)を治めていることを表していたんだって。でもたぶん、壺を発注された工房の人が紋章を知らなくて、見本にした紋章の絵か何かもテキトーで、「うねうねした線」程度に認識しちゃったのでしょう、と。描いた方も描いた方だけど、これを受け取って使っていたオルシーニ家もおおらかですね。

 

ところで、この紋章はクマの頭と赤いイヌバラとウナギだそうですが、この赤白の斜線がクマの頭なの?

 

ウナギがどっちを向いているかも、どうでもいいのかな。

 

この紋章は結婚して合体したバージョン。


 

さて、高級そうな天蓋付きベッドがゴロゴロある。右側のは確かパオロ・ジョルダーノ・オルシーニさんのベッドだった。このアイアンワーク、有名な工房に特注したりしたんだろうな。

 

 

パオロ・ジョルダーノ・オルシーニは初代ブラッチャーノ公 (在位1560-1585年) 。戦では優秀な司令官だったようですが、粗野で教養もなく、人殺しを屁とも思わないタイプ(あの時代ですから、そんなものかもしれませんが)。お妃に迎えたメディチ家のイザベッラやその愛人、自分が愛人にした人妻の夫など、あれこれ暗殺したんだって。

 

これがイザベッラさんのベッド。水色と金色で、ファンシーだけど品が良くて、素敵です。クローゼットも同じ色でまとめられている。特にクローゼットは、450年くらい前の色がよく保存されているらしい。

 

でもこのイザベッラさんも大概な人物だったみたい。元々奔放で、更に夫が戦争で留守ばかりなので男性関係が相当賑やかだったらしい。それはともかく、つまみ食いしては惨たらしく殺していたと言うのはホンマなんやろうか…。野本さんのブログ記事ブラッチャーノの古城~イザベッラ・デ・メディチのこわーい伝説にもありますが、あまりにもグロすぎる…。こういう話って聞き手の楽しみのため誇張されがちだからどこまで本当かわからないけど、昔の拷問器具や処刑道具って『よく考えつくな』と思うほど残虐なものが多いので、この恐怖の穴の話が本当だったとしても驚かない。

 

えーと、これは解体して旅にも持っていけるベッドじゃなかったっけ? 寝台の下に貴重品の収納スペースがあるんだって。旅の道具を工夫するのは今も昔も変わらないね。

 

これは「皇帝の間」とか言う部屋。古代のローマ皇帝たちの胸像が並んでいる。「やっぱり憧れがあったんじゃないですか」と、野本さん。オルシーニ家は新興貴族だったそうなので、古く由緒あるものには弱かったのかな。現代から見たらオルシーニ家が興ったのも大昔の話なんですが、生きている人間は常に一番新しい時を生きているのですから。

 

この物語風な壁画はどこのだったっけ…。やっぱり旅行記は早めに書かなきゃだめだわ。


これは武器の博物館。大砲までくると、ワタシ的にはかなり時代が新しいと感じる。

 

壁画も戦いのモチーフだ。だからこの部屋に展示しているのか。

 

こっちはあまり壁画と関係ないけど。

 

ここは時計とか机と椅子とか日常の機械とかおまるとか、もっと生活に密着したものを置いていた。いっぺんにたくさん撮ろうとするからうまく写せないんだよ~。

 

 

 

中世の鏡と私。まだこんなにちゃんと写る。これほど大きな鏡って、当時は高価だったんじゃないか?

 

 

2018/12/29

 

さて、朝のブラッチャーノ旧市街。この右側の道を行くと私の泊まっているお宿があります。

 

上の写真を撮った場所の辺りで野本さんと落ち合って、バールに連れて行ってもらいました。朝のバールだー! 出勤前の皆さんがコーヒーを飲み、甘いパンを食べて一日を始める栄養をつけている。

 

上にはクロスタータ。下のサンドイッチ、日本の基準でいうと「えっ」と思うほど大きいんだけど、伝わらないですね。これをランチ用に買っていくらしいわ。

 

ところで、私は今回、ポータブルWi-Fi は持っていかなかったのです。お店ならWi-Fi が繋がる場所も多いだろうし、屋外で緊急事態に陥ったらモバイル通信したらいいさ、と。でもフィウミチーノ空港でSIMカードを入れ替えていた観光客を見て、ああいう風にすれば一番いいんだよなあとも思ったんですよね。

 

…てな話をしていたら、0野本さんが、いっそ外国旅行用にSIMフリーの携帯を1つ買っておけば、と提案してくれまして。安いのもあるし。てことで、さっそくスマホショップに行って、野本さんにお手伝いしてもらいながら一番安いのを購入。日本語画面にするところまで至れり尽くせり面倒を見ていただきました。

 

さて、この日ははまずオデスカルキ家のお城に行きましたよ。ブラッチャーノの町を睥睨するこの威容!

 

言い伝えでは、10世紀にサラセン人の襲撃に備えて砦が築かれたそうです。お城と言えるものを建てたのは、当時ブラッチャーノの領主だったヴィーコ家で、11世紀ごろ。抗争の末、13世紀後半にお城はオルシーニ家の所有になり、1470年から長い年月をかけて大幅に改築したのが現存するお城ですって。

 

しかし1696年にはオルシーニ家がお城をオデスカルキ家に売却。それ以来、一時はトルローニア家の手に移りますが、今に至るまでオデスカルキ家の持ち物なのだ。お城の詳しい歴史は野本さんのブログ記事 「イザベッラ・デ・メディチが本当に暮らしていた部屋」 でどうぞ。日本語でここまで詳細に書かれているのって、たぶん野本さんのブログだけですよ…。ウィキペディアの日本語版を作ってほしい。

 

さて、同じく野本さんのブログ記事 「ブラッチャーノでお城の見学は外せないー!」 によると、地元の人は「オルシーニ=オデスカルキ城」と呼んでいるのだそうです。確かに、ウィキペディアにもそういう書き方をされているわ。ブラッチャーノの街を整備して繁栄に導いたのはオルシーニ家だから、オルシーニ家への愛着の方が強いんだって。すごいなー、大昔の事なのに、人々の心の中にそういう気持ちも受け継がれていくのか…。

 

これは、町の広場からお城の入り口がある側に抜けるトンネル。

 

今もオデスカルキ家のプライベートスペースが確保されていて、一般公開されているのはそれ以外の部分だって。それでも、ざっと見て周るだけで2時間はかかるけどね。大きなお城ですから…。あと、一度も略奪や災害にあっていないそうだし、ずっと人がいたので補修もこまめに行われて、保存状態が非常に良く、内装品もよく残っているのです。つまりそれだけ見どころが多いってこと。

 

上のトンネルを抜けるとお堀の跡があります。

 

お堀だった場所を利用して野菜とお花の小さなマーケットが開かれていました。お店のホワイトボードにお絵かきして遊ぶオチビちゃんと、優しく支えるおばあちゃんもいます。優しい空間ね。

 

 

チケットブースを出てまず目に入るのがこちら…! 中世の城塞好きにはたまりません。戦争に明け暮れていたオルシーニさんの居城だっただけはある、巨大な砦。

 

オルシーニ家って、野本さんによると、戦争でメチャクチャ強かったから台頭してきたんだそうですよ。そういう時代だったんですね。一族から3人の教皇を輩出しています。

 

この門の彫刻もいいでしょ。一番上にオルシーニ家の紋章が彫ってあり、その下には紋章の一部であるイヌバラ。この帯っぽいのも紋章を模しているのかしら。

 

 

いよいよ、お城の内部に入っていくぞ…。たまらん…。

 

入ったところにある井戸。外から泥まみれで帰ってきたらここで洗ったり。お向かいの倉庫でも水を使う作業があったかもね。井戸の隣には建物上階に続く階段があり、そのまた右には、屋外と違うセクションに至る階段が見えています。

 

 

上の右の写真の手前側がこちら。昔は倉庫だったらしいけど、今は結婚披露宴会場などイベントスペースとして使われているって。かっこいいねえ。

 

さて、建物上階に行く階段を上っていきます。私の好きな螺旋階段… で、この窓、なんか妙に下の方にない? 普通は通る人が外を見ることができる位置に窓を作るよね? 最初からこう作ったとは思えないんだけど、増改築の結果なんだろうか? それとも適当に開けやすいとこに窓を作ったのかな?

 

ちなみに窓の外にはこのような光景が広がっています。中庭~。このお城で芝生のある広い中庭ってここだけと思う。城主さんのプライベートスペースは知りませんが。

 

さて、上の階に上がった最初の部屋。何気ない写真に見える事でしょうが、人が入らない、ストンと一番奥まで見渡せる写真を撮るのにそれなりに時間をかけたよ。これだけの部屋が一列に並んでいるんだ。

 

上の写真の左のドアを入ったお部屋の天井がこちら。この2部屋は小さいけどとても豪華で快適。教皇シクストゥス4世がローマでの黒死病の流行から逃れてここに疎開していた時に私室として使っていたお部屋らしいですよ。

 

天井にも紋章が。他にもあちこち、ドアの上や暖炉の上にも紋章が彫ってありました。(横帯の部分に違いがあるけど)

 

 
他の部屋も天井や壁がきれいに装飾されております。ここは確か図書室だったっけ? 学問や芸術を象徴する絵が描かれている。

 

 

こちらの壁画はね、登場人物が全部女の人なんだよ~。狩りをしているのも女性! こういうのがお部屋の四面を飾っているのです。


展示品も面白かったけど、天井や壁画もうっとりものでしたわ。

 


 

2018/12/28

 

ブラッチャーノに到着したのは夕方。旧市街にあるお宿の前まで送ってもらいました。この通りは、住人とタクシーや配達などの営業車しか乗り入れることができません。

 

こちらが私のお宿、La finestra sul borgo。(この写真はこの日に撮ったものではない) 旧市街の中にある古い建物ってことで選びました。新市街ならもっと安いところがいっぱいあるけど、私はどうしても旧市街の中に泊まりたいのよ。

 

2階の、雨戸(と言うんですかねコレも)が開いている部屋が私の泊まったお部屋。向かって左のテラスの奥の方も使えます。(テラスから通りを見下ろせるわけではない)

 

入り口は、部屋の右下にある、この↓左下の写真の真ん中のドアのとこ。開けるとすぐ右の写真の階段があります。結構急なので、大きなスーツケースを持っている方は、家主(の息子)のチェーザレさんに運んでもらいましょうね。私はバックパックなので自力でOK。やはりバックパックは機動性に優れている。これからもバックパックで旅行できるよう体を鍛えていかねば。

 

ドアを開けるとまずはダイニングキッチンがあります。

 

シンク、コンロ、オーブン、電気ポット、コーヒーメーカー、トースター、冷蔵庫など揃っていますが、電子レンジはありません。野本さんによるとイタリアでは電子レンジは一般的とは言えないって。言われてみれば、この後に泊まったアパートメントのいずれも電子レンジはなかったね。思い出してみると、ラトビアで泊まったアパートメントにも電子レンジはなかった。そんなものなのね。

 

きれいにリノベーションしても、ちゃんと古い壁を一部はむき出してある。古さアピールは大事なの。

 

こういう↓階段が発生するところなんかも、昔の建物を使っているんだなーと思えて嬉しい。新築なら、わざわざこんな段差は作らないでしょ。何百年も前にこの建物が最初に建てられた時は、どんな部屋で、どんなふうに使われていたんだろう…。

 

 

夜に撮った写真と昼に撮った写真がまぜこぜですが、こちら、テラスです。ダイニングルームから撮ると目線がこの高さになるのだ。冬だけど寒くなかったから外でお茶飲んだりして楽しみました。

 
バスルームも暖かかった。
 
シャワーブースの写真を撮るのを忘れてしまったわ。Booking.comにある写真を流用させてもらう…。
 
ベッドルーム。
 
 
 
 
窓から湖の方を眺める…。一本下のアラッツァリア通りには飲食店が並び夜遅くまで賑やかなんだけど、このフィオラヴァンティ通りはとても静かで喧噪も届かない。ここで大正解。

 

私のイタリア行きを知って合流すると連絡してきた連れと落ち合い、夕食へ。本当は野本さんがブログで紹介してくれているお店がお目当てだったんだけど、まだ開いていなくてね。たまたま通りかかった、開いているお店に入りました。ちょっと奥まった路地カンティーネ通りにある、オステリア Come na Vorta a Bracciano さん。(TripAdviser) 2017年3月にできたらしい。地元産の食材にこだわった伝統的家庭料理のお店ですって。

 

 

イタリア的にはまだ夕食の時間としては早かったのかな?(19時半) ここも最初はガラガラでした。

 

チーズとパスタ半分、あとデザートにクロスタータを食べたよ。美味しかった。

 

その後、ビールを飲む店に移動したけど、お腹がいっぱいで一杯も飲み切れず。

 

連れを店に残して私は退散。宿に戻る前にしばらくの旧市街散策を楽しみました。

 
ブラッチャーノの旧市街は観光地でもあるけど基本的には住宅街。宿泊施設も多くはない。バルセロナやベネツィア、そして最近では京都も、観光客が押し寄せ中心地の商業化に拍車がかかり、地価高騰で昔からの住民が追い出されてしまったなんて話も聞きますが、ブラッチャーノは、住民の生活にひっそりと紛れ込ませてもらっている感がある…。
 

2018/12/28

 

チェーリの町中も少し散策したよ。まずは聖母教会。エトルリアやローマの時代には、この場所にウェスタ神に捧げる神殿があったそうな。この小さな村の小さな教会に意外なほどのお宝がある。野本さんが、私が気に入るに違いないとおっしゃったその宝とは…

 

12世紀のフレスコ画! なんと素晴らしい…!

 

12世紀に村が整備され、教会が建てられ、フレスコ画で美しく飾られたのだな。元は両側の壁にあったらしいけど、チェーザレ・ボルジアが破壊したという言い伝えがあるそうです(包囲戦があったの)。フレスコ画が残った側も上から塗り潰されておりまして、1890年の修復時に発見された時は地元の人もびっくりしたそうだ。そりゃびっくりするわ。

 

正面にある近代っぽいフレスコ画と比べると、違いが一目瞭然ですな。

 

これは入口のところにあった占い。おみくじみたいなものか。パッと適当にこのコイン的なものを取り、その数字の示唆するところを一覧で確認するんだって。私は62を引きましたが、それが意味するところはイタリア語がわからないので今も不明です。野本さんに聞けば良かった。

 

 

チェーリは13~14世紀にノルマン人の支配下にありましたが、1428年にオルシーニ家がこの村を手に入れ、城塞へと作り変えたのですって。1503年にチェーザレ・ボルジア率いるアレクサンデル6世の軍隊に包囲され、36日間の籠城の末に降伏。何と言うか、チェーザレ・ボルジアってホンマにおってんなー、みたいな気分に。

 

 

それ以降は領有権がイタリアの有力貴族を転々としていたそうで。1833年にトルローニア家が買い取り、今でもチェーリの大部分はトルローニア家のものなんですと。私はよく知らんのですが、トルローニア家ってバチカンの財務担当を務めた名門の大貴族で、各国の王室とも所縁があるようなお家柄らしい。なのでもちろん、チェーリは彼らの数多くある資産のほんの一部ってことだ。

 

教会の先に進むと、崖下を見下ろす位置にトルローニア家のお邸がある。両側ともよ。壁に紋章が入っている。

 

右側のは地図上で「城」と出てくるよ。このお城も、道から見ると古さを保っているように見えるけど、中はもちろんピカピカに改装されているし、美しい庭園を作るためにかなりの部分をぶっ壊したらしい。今は結婚式とかのイベントに貸し出している模様。

 

こちらも増改築の跡が伺われます。野本さんが「これ面白いでしょ」と教えてくれた、手すりの上の球体の飾り。壁にめり込んだ… のではなく、元々あった球体をなぜか壊さず、このような形で残したらしい。

 

お城がある方角から教会と広場を見る…。

 

教会の側面。

 

こうなってるの。ついでに、ほら、こんなに小さな町の小さな広場でもちゃんと信号があるよ。

 

村の一周には、すたすた歩くだけなら15分くらいかな。建物をじっくり見たり、浸ったりしていたらもちろん1時間でも足りないだろう。装飾とかいろいろ凝ってるお宅もあるし、村の門をチェックしたり… いつかここに泊まって、思う存分細かくチェックして周りたい。

 

左の写真、手前の右側の建物の角を曲がると右の写真の場所に出ます。

 

 

ツリーの角を回りこんで、また広場に戻ってくる…。

 

他にもレストランや、個人宅で開業しているっぽい雑貨屋さんらしきお店がありました。静かだけど観光地ではある。

 

2018/12/28

 

ネクロポリスを後にして、小さな町チェーリにやって参りました。ホンットに小さい。町っつか、村と言うべきなの? 私は村と言うと農村や漁村を思い浮かべるので、こういうのは町と呼んでしまうんだけど、日本で一般的な定義だと人口が8千人以上いないと町とは言わないらしい。ここはそんなにたくさん住んでいないな。

 

エトルリアの頃から集落はあったようだけど、今ある村の基礎ができたのは12世紀ごろだって。12世紀かあ…。カエレ(今のチェルヴェーテリ)から人が移り住んだんだってさ。こっちの方が丘の上で防御力が高いからか。それから小さなお城と城壁も作られた。町に至る坂道の途中にいくつか門があるの。昔は夜には門が閉められて、よそから簡単に人が入ってこれないようにしていたんだろう。うっとり…

 

ちょっとアップで。

 

2つ目の門の上から見下ろしたところ。この道を右に曲がると、上の写真の門がある。

 

村の広場も可愛いサイズ。そこで幼い兄弟が自転車に乗って遊んでいた。なんかもう、「小さな村の物語」そのまんまの世界ですわ。てゆか、あれに出てきている村のほとんどはここより大きいだろうな。この広場は昔はなかったんだって。広場を作るためにここにあったいくつもの建物をぶっ壊したそうです。(もったいない気もしますが)

(この写真は、撮ったのが帰る寸前だったから夕方の色になってます)

 

この、家の前の坂道が別の建物の2階の入口になっているところとか、その入り口の階段が実は橋になっていて下を道が通っているところとか、いいよねえ…

 

この↓写真に写っている道は、1つ目の門を入った辺りね。駐車場になっている。写真奥のテラスのあるレストランで食事をしたのです。

 

レストランがあるのは、2つ上の写真の、橋の下の道を奥に行ったところだったと思う。写っているのは野本さんとタクシーのアンジェロおじさんです。

 

「冬らしいメニュー」と言われて心が動いた猪肉の赤ワイン煮込みのパスタ。そしてポークロースト。美食の国イタリアってことで私の食への期待値は相当上がっておりましたが、期待を軽く上回る美味! 付け合せのポテトも美味しいこと!

 

 

アーティチョークのオリーブオイル煮込み、これがまた絶品でした。最初は「もうお腹がいっぱいだし…」とか言ってたけど、アンジェロおじさんが薦めてくれて。アーティチョークがこんなにおいしいって知らなかったし、オイルも美味しくて、パンをオリーブオイルに浸して食べてしまった。誰がお腹いっぱいだとか言ってたんでしょうね…。

 

 

ここ、黒猫ちゃんが何匹かいましたよ。ポークでおびき寄せて撮影。

 

お庭に出ると、さっきのネクロポリスの「井戸の墓」を髣髴とさせる階段がありました。何気なく降りていくと意外なほど深くて、地下2階になってたよ。

 

 

地下1階はワイン等が並んでいてセラーとして使われている様子。お客さんが来て、買っていた。そそて地下2階は昔は貯蔵庫だったんでしょうけど、今は隅っこに机と椅子があるだけ。希望者はここで飲み食いできるのかも。囚人か逃亡者の気分を味わえそうだ。