旅中毒 -28ページ目

旅中毒

バックパックと少しのお金とパスポートがあればいい。行けば行くほど行きたい場所が増え、人生狂って後悔なし!

2018/12/28 

 

私が一番気に入ったお墓がこちら! 地面に突如出現する地下への階段…。横に見えている丸いものは、井戸みたいに見えるけど井戸じゃありません。でも井戸に見えるので、確か通称「井戸の家」と呼ばれていたんじゃなかったかな。

 

ずーっと降りていくと、廊下的な場所に出まして。そこを左に曲がると普通の四角い部屋がありましたが、右方向はちょっと湾曲した通路が続いていくのです… ここがステキ…

 

 

その先にはアーチ状の入り口がある。右の写真は入り口を入ってから写真を撮ったところ。私が下りてきた階段が見えている。

 

 

その奥には、広い広い墓室があるのだ! ドミトリー状態の墓室ですねえ。

 

壁の穴には、副葬品が飾ってあったのでしょう。

 

この写真の左端、見切れているところが、通路に繋がる入口。真ん中辺の、外光が入ってきているところが井戸のような穴。何をするためのものだったんだろう? 生きている人がここに住んでいたなら、通気口だとか、物の出し入れをするためとか、色々考え付くんだけどさ。

 
さて、こちらは Capitelli のお墓。Capitelli って、柱頭のことかしら。なかなかゴージャスなお墓なんです。入り口からして、天井がこんなに優雅。

 

前室には柱がドドンとありまして、

 

柱頭にはこんな立派な装飾が。学校で習ったイオニア式っての思い出した…

 

天井だって模様付きだよ。ここは意匠を凝らした優雅なお墓だわ~。

 

フロアプラン。


 

ここがこの遺跡で最も有名な「レリーフの墓」と呼ばれるお墓。紀元前4世紀ごろのレリーフやフレスコ画が残っているんだって。当時の生活用品も埋葬されていて、そのまま展示されている。ガイド付きツアーなら中に入れたんでしょうね。私は指をくわえてプラスチックの仕切り越しに眺めるしかありませんでしたわ。外の光が仕切りに映り込んで、まともな写真さえ撮れない。

 
ここら辺、集合(死者)住宅だね。
 
集合(死者)住宅やっぱり大部屋のドミトリー式なのかしら。あるいは小さな四角い部屋がいっぱい並んでいるとか、そんなんかな。見てみたら良かった。あまりにも見るべきものが多すぎて、全部は見れない…。これで公開されているのが1割に過ぎないとは…。
 
これ、建物の外壁部分に穿たれているんで、外の道に吹き曝しだよ。これもお墓だったのか、何かを飾っておく場所だったのか。これがお墓ならちょっと切ない感じだ。
 

さて、こちらは出土品のレプリカ。夫婦の棺ですって。運よく破壊を免れたお宝。

 

エトルリアでは女性も社会的地位が高かったのです。これは夫婦で揃って宴会に出ている幸せな光景。が、エトルリアと戦ったローマでは女なんかが宴会に出るなんて有り得なかったんだって。なもんで、ローマがエトルリアを屈服させた後、こういう感じの像を見たローマ人は、宴会に出ている男性と横に侍る娼婦だと思い込み、「ふしだらな像だ」と破壊しまくったんだってさ。アホ。

 

 

ここで買われているワンコ。トマトソースのペンネがお皿に入っていたよ。割と人懐っこくて、「さあモフりたまえ」みたいな態度でした。で、モフらせてもらった後にギューと抱きつこうとしたら「あ、そこまでは許可してないんで」みたいに身を引かれました。

 

ニャンコもいっぱいいたよー。

 

2018/12/28

 

チェルヴェーテリの町から少し走ったところにあるのが、このバンディタッチャのネクロポリスです。紀元前9世紀~紀元前3世紀ごろのお墓。あまりにも古すぎて怖さも感じない。


受付のある建物の中には、発掘調査時の写真や航空写真が展示されてを撮影したもの。総面積は400 haもあるんだってさ。そのうち公開されているのは10 ha のみ。全体で1200ものお墓があるそうな。地中海地域では最大のネクロポリスとのこと。

 

受付のある建物の前にはギフトショップがあり、記念品や学術的な書籍などもあるのですけど、公認ガイドを全員解雇したと言う例の経費削減のため閉鎖されていました。

 

公認ガイドさんがいてくれたら、ガイド付きツアーで専門的な話を聞きながら見学できるのにね。オーディオガイドが用意されているけど、専門の教育を受け、研究による最新の知識をアップデートし続けている人間のガイドさんたちにはかなわないでしょ。それにこのオーディオガイドには日本語もあるんだけど、対応している箇所が少ないうえに、なぜか日本語が流れてこないという不具合が直りませんでした。私は結局、野本さんに解説してもらっちゃいました~。

 

ちなみに、見学に先立ち、オーディオルームで短い映画を見ておくことができます。ネクロポリスの基礎知識を学んでから実際に見に行けるのだ。この映画は日本語で聞けましたわ。このオーディオルームはネクロポリスの奥にありまして、その横にはカフェもあるんだけど、ここも閉鎖されていました…。

 

上の写真の真ん中に真っ直ぐある広い道がこれ↓です。両脇にあるドーム型の建物がお墓。

 

驚くべきポイントはですね、これ、地上にドームを作ったわけではないんですって。すべて、地表から掘り下げてあるんですって。つまり、ドームのてっぺんが元々の地面で、そこからこの高さまで掘り下げたの。 なんでも、凝灰岩という火山灰が堆積してできたやわらかい岩だから可能だったらしい。この凝灰岩って、掘る時は柔らかいんだけど、空気に触れると固くなっていくらしい。便利だな。

 

ただドーム状に作っているだけではなく、装飾も施されている。

 

戸建てのドーム型のお墓ではないのもあるよ。これは長屋状態なのかな。入り口がずらっと並んでいる。

 

暗くて分かりにくいけど、奥にずーっと道が続いて行っている。ここは四辻になっていました。両脇に見えているのもドーム型のお墓。階段を上ると入り口があり、そこからまた階段を下って地下に降りていく。

 

有力な一族、Casetta家のお墓。入るとまずこんな通路があって、両脇に墓室があって、その奥に更に墓室が続いている。

 

メインの墓室の一つ。大抵はぺあになっていて、基本的に夫婦用。奥が頭側で、三角になっている方が女性だって。たまに両方女性のがあったよ。姉妹だったんだろうって。

 

フロアプランです。

 

道をさらに進んでいく…。ねえ、ネクロポリスと言う呼称が実感できますでしょ?まさに、ポリス(町)なんですよ。死者の町なの。

 

こちらは Cornice 家のお墓。ここは、いわゆる前室っぽい場所…なんだけど、ここにも死者用のベッドがありましたね。大家族だったせいなのかしら。その横には椅子的な場所も。

 

この前室の奥に、墓室3つ並んでいた。玄室って言うのかな、こういうのも。

 

フロアプラン。

 

上の2つほどゴージャスじゃないけど、このメインストリート沿いにあるのだからお金持ちだったのではないかと思う、どこかの家のお墓。そしてお墓の上に続く階段があり、

 

屋根の上に上れるのだった。…と言うか、もしかしたら別の家のお墓なのかしら。結構、複雑な構造になっているのでね、ネクロポリス全体が。

 

別の大きなお墓をバックに、野本さんを見下ろす。


 

同じ場所から振り返ってみたところ。言われなかったらお墓だなんてわからない、古い街の遺跡の小路で素敵ねって感じ。いえ、確かに古い(死者の)街の遺跡の素敵な小路なんですけど。


 

2018/12/28

 

またサンタ・マリア広場に出てきて、反対側にある要塞に入る。この要塞は13世紀のものだって。

 

入口の横に猪がおりました。この土地や昔の領主に所縁があるのかしら。

 

ここには国立考古学博物館が入っております。近くにあるバンディタッチャのネクロポリス(野外博物館)からの出土品を展示している。まずはここでお勉強してから行くんだ。

 

しかし、博物館とは関係なく見学して回りたいよね、このお城… 素敵…。

 

で、入り口でチケットを買おうとしたところ、野本さんが驚きの声を上げている。何事かと思いましたら、ネクロポリスにいた16人の博物館員が全員、11月に解雇されたのだそうです。チケット売り場の男性の息子さんも博物館員だったそうで、失業しちゃったんだとか。歴史遺産と観光はイタリアにとって非常に重要な収入手段でしょうに、何をやってるんでしょう!

 

説明板があったって、オーディオガイドがあったって、表層的な最低限の情報を提供するだけじゃないですか。背景知識や関連情報を教えてくれる、体系的な知識と理解を持っているプロの代わりになんてなりゃしませんよ。それに、その場で実物を見たからこその見学者の質問に答えてくれる人は誰もいないってわけですし。

 

以前、愛媛県の別所銅山に行った際、ガイドさんが「私たちガイドはそれぞれに得意分野が違いますから、次にいらしたらぜひ別のガイドに頼んでくださいね。違う案内をしますから」って言ってたよ。基本的な情報はもちろん全員が提供してくれるけど、そこからさらに掘り下げたら、細かい専門や興味が違うので、提供できるものが違ってくるという、素晴らしきマニアの世界。

 

さて、ここの展示品は最新技術を駆使しております。1Fでは、ケースの中の展示品に画像が投影されて説明が浮かび上がると言う面白い展示を見ることができます。定番のお皿やワイン壺はもちろん、涙壺なんかもあったよ。状態がとても良い。ずっと埋もれていたから風化しなかったのか。

 

これは紀元前6世紀末から紀元前5世紀初めの高名な陶芸作家、エウフロニオウスの壺。ドラマチックな絵柄と言い、よくこんな状態で残っていたなと言うほどの保存状態と言い、こりゃ全人類の宝だわ。

 

表現がおおらかなのはいいとして、これ、どういう場面なんですかね!?

 

この博物館の2Fはグーグルストリートビューで見ることができますよ(こちらをクリック)。太っ腹だな。

 

博物館を出た後は、少しだけ町の中を歩きました。この左手の旗が立ってるのが市役所。

 

お城(考古学博物館)のタワーについている時計。6時間制の時計なんて初めて見たよ。

 

お店もたくさんあって賑やかなので、ここで一泊するのも良いと思いますわ。ローマからの日帰りツアーが多いようだけど、チェルヴェーテリからの方が時間がたっぷりあっていいと思う。

 

2018/12/28

 

空港を出発してまずはバールに入りました。アンジェロおじさんのおごりでカプチーノをご馳走に。イタリアで初バール…。嬉しい。私、BS日テレの「小さな村の物語」が好きでよく見ておりまして、こういう小さなバールで皆が立ち飲みしているのとか、ちょっと憧れの光景でした。野本さんが朝ごはんにと注文したピーカンナッツのペストリーを一口分けてくれました。

 

さて、今日はエトルリア遺跡を見て周るツアーを組んでもらってるの。まず目指すのはチェルヴェテーリと言う町です。…が、途中でアンジェロおじさんが道路脇に水牛モッツァレラチーズの専門店を発見。寄ってみる?と聞かれたので、ぜひとお願い。

 

近隣の人が買いに来るだけであろう、そっけないほどシンプルな店構えです。

 

 

手前のやつ、ジャガイモかと思ったらモッツァレラチーズの燻製でした。

 

フレッシュなのを一玉、ご馳走になっちゃった。めっちゃジューシーでしたわ。

 
リコッタチーズとか、リコッタチーズを焼いたやつとか…。焼いたやつ、きれいな模様がつけてあると思ったんだけど、ザルで水を切った跡だそうです。なるほど。
 

 

私、濃厚なチーズも大好きですが、リコッタチーズとかカッテージチーズとかも大好きなんですよね。低カロリーなのでおやつにも最適。留学していたアメリカの大学で出たカッテージチーズは、プチプチした粒が汁の中に浸かっているみたいなやつでした。あれが大好きだったんだけど、日本にはあのタイプはないですねえ。

 

さて、チェルヴェーテリ。エトルリア人が築いた街です。 エトルリア人は、この地にローマ人が入ってくる前に都市国家を作っていた、高度な文明を誇る人たちなのだ。言語も独自のものを持っていたの。古代ローマ文明の技術や文化のレベルの高さは誰もが知るところですが、そのルーツになったのはエトルリア文明らしいよ。

 

タクシーで入っていくとお城の壁がドーンと見えてきて気分が上がってきます。

 

街は丘の上にあります。昔は低地だと湿気で疫病が発生しやすかったり、それ以上に、敵の襲来から街を守るためもあって、高台の上に街を作ることが多かった… と野本さんの説明を聞きながら階段を上がっていくと、

 

サンタ・マリア広場に出ます。

 

この白い建物は1500年ごろに建てられたルスポリ宮殿。今はホテルになっている。一番安い部屋なら2万円台で泊まれますよ。全室スイートだし、内装も重厚で素敵だし、価値はあると思う。ルネッサンス時代に活躍した芸術家のチェッリーニとか、バロック音楽の巨匠ヘンデルとか、すごい人たちが泊まった記録が残っている。

 

入れない宮殿よりも私にとって大事なのは、お隣にあるサンタ・マリア・マッジョーレ教会。

 

ピカピカの新しいきれいな教会…… 

 

……じゃなくて……

 

奥にはロマネスク様式の古い教会が……!

 

こちら、西暦1000年ごろに建てられた教会なんですって。19世紀には既にボロボロになっていたのを、1959年に修復したそうだ。その際に、新しい教会も作って繋げたそうな。この通り道のトコには元は祭壇があったらしい。

 

アンジェロおじさんでさえ、奥に古い教会があることに気づいていなかったそうです。

 

 

アイアンワークの美しさをアンジェロおじさんが指摘。本当にね…。

 

こういう細工物って、意外に、昔の方が技術が高かったりするんだってね。昔の富豪が使っていたアンティークの銀製品ともなると、現代技術では製作不可能なものがあるって。建築でも現代の知識では解明できない仕組みのものや、仕組みがわかっていても再現できないものがあるもんねえ。

 

 

葉っぱの先とか、見落としそうになるけど細やかなデザイン。凝ってるよね。

 

プレセピオは、馬小屋の中だけでなく、ご近所の家屋やら村全体やらのミニチュアがいっぱい並んでいる。色んな人が作ったのを集めてあるらしい。こういうの好きな人は1時間くらいかけて観察したくなるくらいの質と量よ。農村の暮らしを再現してあって面白いのだ。

 

馬小屋にひっそりと天使が舞い降りている。

 

ところで、ルスポリ宮殿とこの古い教会の間には、渡り廊下があります。

 

教会ができた500年後にこの宮殿を建てたルスポリさん一家、外に出なくても自宅の中を通って教会に行けるようにと壁をぶち抜いて繋げたのね。

 

その渡り廊下の通路の教会への入り口は、位置的にはこの窓の下のはず。修復の際に通路は埋められてしまったのかしら。当時は入り口から下に降りるには後付けの階段でも使ったんですかね…。

 

てゆか、この窓も変わってるな。直線部分と上の丸いトコ、なんでずらしてあるの。

 

それにしても、壁をぶち抜くなんて。自分の宮殿より500年前もに建てられた古い建築物に対する敬意とか、なかったのかな。……なかったんだろうな。古い建物なんか、周りにいくらでもあっただろうし。

 

お貴族様って、お城の中に城主一家用の礼拝堂を作ったり、皆で使う教会でも城主一家専用の入り口と観覧席(?)を作ったり、城主一家の居住区から地上に降りずに(=使用人や庶民に見られずに)教会や庭園に行くための屋根付き渡り廊下を作ったりしてたし、これもそういうことなんでしょう。

 

今となっては渡り廊下設置すらも何百年も前のこと。長い長い歴史の中の一コマなのだ。

 

2019/12/28

 

やっと仕事も落ち着いてきたので、半年前の旅行記を始めます…。息切れせずに続けられるかしら…。

 

ローマへは香港経由、キャセイパシフィック航空で参りました。以前に一度だけ使ったことがある気がする。香港に行った時かしら。

 

この日は午後まで仕事をして夕方から早退させてもらって空港に行ったのです。で、お昼を食べている時間がなかったので、お昼にと用意していたサンドイッチ(てゆーかパンとハムとチーズ)とミカンを関空で食べましたよ。機内食、入るかしら…。

 

関空ではスマート出国審査になっていたので、パスポートを読み取り機にピタッとくっつけるだけでおしまい。係の人も若干名控えてくれているので、スタンプが欲しい人はお願いすれば押してもらえます。ええ、私はお願いしましたよ。あと1年しか使えないこのパスポート、できるだけたくさんのスタンプで埋めてやるんだから(涙) 若い人にはわかんないよ!

 

乗り換えの香港空港でちょっと驚き。こんなに広かったっけ…? 大きい荷物を預け入れて正解でしたわ。今回は、40リットルのバックパックにしてるんだ。いつも、往きは30リットルでも余裕があるくらいなのに、帰りは何かと荷物が増えて、手提げ袋を使ったりしているからね。今回はそういうことがないように。

 

あと、機体も感心した。関空から香港はそんなに新しい機体でもなかったけど、香港からローマはトレイからして何か違う。

 

二段式なんだよね。USBケーブルのソケットはもうあって当たり前になったな…。

 

機外カメラ、これは尾翼に付いているらしい。機体が見えるのだ。

 

これは前方下側に付いているカメラ。でも、今回はほとんど夜だったから、あんまり機外は見なかった。

 

さて、機内食。メニューは「ジャパニーズスタイル・ポークライス」か、あるいは「フィッシュ何とか(聞き返しても聞き取れない)」。聞き取れないだけにフィッシュが気になって気になって、頼んだのがこちら。

 

 

つまんないな、ただのシーフードパスタやん。これなら日本式豚肉飯の方が気になるわ。通路を挟んだお隣の人が食べていたのをチラッと見たら、お肉の塊がゴロゴロしている感じでした。甘辛く炊いたお肉が乗っているっぽい?

 

洋風のメニューだと想像がついて面白くないので、大体において香港風のメニューを頼んでおりました。これは何かつくねっぽいお肉が乗ったご飯。

 

 

朝ごはんは鯉と椎茸のお粥にしました。

 

ローマ空港には定刻通り、朝の6時半に到着。今回は、ブラッチャーノ在住の日本人ガイドさん、野本さんに迎えに来てもらいました。

 

野本さんのブログ 「古城と湖の町、イタリア ブラッチャーノ通信

 

実を言うと、会う前に空港内の美容院に行きたいと思っていました。到着してそのまま観光に行くので。本当はシャワーを浴びたいところだけど、フィウミチーノ空港にシャワー設備はない。せめて髪くらい洗いたいなと思いましてね。でも美容院は9時からでしたw 空いた時間でカフェにでも入ろうかと思ったけど、行列していたので諦めました。

 

私は野本さんを彼女のブログで見て知っているけど、あちらがわからないだろう思いまして、自撮りの写真をLINEで送付。

 

なんとか落ち合いまして、タクシーのアンジェロおじさんに拾ってもらって、出発です。

 

今、オークニーに来ております。

4月、5月は今の職場の最繁忙期で、過去にはGWフル出勤したことも何度かありますが、最近は大丈夫。ま、無理やり大丈夫にしちゃってるんだけど。仕事優先で考えるなら何日かは出勤している状況ではある。

さて今年のGW連休の初日は、ひたすら乗り物に乗って過ごしましたね。
関空→香港→ヒースロー→インヴァネス(以上、飛行機)→スクラブスター(バス)→ストロムネス(フェリー)
出発直前に腰痛になっておりましたのでヒヤヒヤものでしたが、まあ、なんとかなりました。

今ホテルでやっと体を休めてるとこです。と言うか、ごはん食べ終わってビール飲んでる。



他の人たちが撮った写真を見て「なんでどれもこれも斜めに写ってるの?」と思っていたけど、私の写真も斜めってるような。
姉が「道が心持ち坂になっているのでは」と推測。

夜の町歩きしたいけど、疲れてるだろうし、明日は朝イチから活動したいので、このまま寝ましょうね。夜の街は明日でいいや。

レストランの中、ご高齢の方しかいない。老舗ホテルで、この街ではお値段も高めだから、若者は他所に行くのかもね。Airbnbだとここの半額以下だもんなー。でも私はこの建物に泊まりたいのだ。

ずっと憧れていたのに、来るまで長いことかかったなあ、スコットランド…。

てゆか、まだイタリアの旅行記も書いてないのに、どうしよう(涙)


えー、タイトルの通り、今度は帯状疱疹になってしまいました。去年から胃潰瘍だの何ヶ月も続く咳風邪だの、何なんですかね、加齢とともに不調が出るのはわかるけど、集中しすぎてませんかね。

 

帯状疱疹はウィルスに感染したことから罹患するもの。子供の頃に水ぼうそうをやっていれば既にウィルスに対する免疫ができてはいるんですが、加齢・ストレス・過労(全部心当たりがあるわ!)などにより免疫力が低下すると、神経節に潜んでいたウイルスが暴れ出すのだ。
 
最初は、肋骨の辺りが痛かったんですよ。んで、「寝違いの一種かしら、それとも噂に聞く肋間神経痛ってやつかしら、肩こりが原因でも発症するらしいし」とか思っていたのです。そしたらやがて右のお腹や背中に6ヶ所、赤いポツポツが。これが痛かったら、すぐに医者に行ったと思うんですよね。でも、私の場合は痒いだけ。なもんで、「最近ちょっと掃除をさぼってるし、ダニにでもやられたかな」とか思ってしまった。
 
しかし1週間経っても痛いままだったの。そこで同じビルにあるお医者さんに行って痛みを訴えたところ、6つのポツポツを見た先生、すぐ「ヘルペスですね」って。ウィルスを押さえる薬を処方されました。そして、単純ヘルペスなのか帯状疱疹なのか、血液検査しておきましょう、と。
 

 
診察の翌日から、皮疹の辺りの肌がたまにチリチリッとする感覚が出始め、2日目にはそれがビリビリに変わり、3日目にはそこに時折ズキズキする痛みも加わりまして。症状からするに、たぶん単純ヘルペスじゃなくて帯状疱疹なんじゃないかしらと推察。帯状になってないけど…。
 
悪化したらどうなるんだろうと怖くなってネットを徘徊する私。若くてもなる人はなっているし、お年寄りだと入院する人も珍しくないようだ。皮疹がひどい人は服も着れないと言う。確かにたった6個のポツポツでもシャツに擦れたら痛かったもんなあ。ひどい人はあれが帯状になるほど大量なわけでしょ。更に水膨れが破れたりするらしいし。神経痛の方も、仕事中に痛みで悶絶したり、就寝中に痛みで目が覚めたり、もう、大変なことに。
 
 
私の場合は幸いなことにそこまで痛くはなかったし、その痛みも3日目をピークに引いて行き、皮疹も6つから増えず、1週間後、結果を聞く頃には治りかけになっていました。で、結果は「帯状疱疹です」って。単純ヘルペスの数値も出ているけど帯状疱疹の数値の方が明らかに高くて、だからつまり帯状疱疹ってことなんですかね?
 
単純ヘルペスだと再発を繰り返すけど、帯状疱疹は通常は一度やったらもう発症しないそうです。これだけ聞いたら帯状疱疹の方がマシみたいな気もしちゃうけど、帯状疱疹も早めに薬で処置しないと神経をひどく傷めて後遺症が残る。「帯状疱疹後神経痛」に一生悩まされる人たちもいるのだ。
 
帯状疱疹後神経痛は高齢者や重症だった人に起きやすいんですって。年齢%の痛みが残るとも言われているそうです。70歳なら70%の痛みが後遺症で残るってこと。これは治しようがなく、服薬か、ひどい場合は局所麻酔注射しかない。「趣味を持つことで痛みから気をそらそう」なんてことも書いてあって、余計に怖い。絶望から鬱病になっちゃう人もいるんだって。無理もないよ。
 
異変を感じてすぐに病院に行けば良かった、10日くらい経ってしまったと震え上がっておりましたが、それは初期のうちに入るらしいし、そもそも軽症で快方に向かったし、先生も「心配せんでも大丈夫」と言っていたので、たぶん大丈夫。先生曰く「血液検査の結果から見る限り、内臓が弱ったせいでもないしね。むしろ栄養を摂り過ぎ」。こ、コレステロール値がちょっと…

 

自分のメンテはしっかりね!

 

50歳以上の人は帯状疱疹の予防接種を受けることができるんですよ。全然知らんかった。合併症や後遺症で長期にわたり苦しむ患者が少なくないので、アメリカやヨーロッパの一部では10年位前から予防接種をするようになっていたんだって。日本でも、2016年3月から水痘ワクチンを高齢者の帯状疱疹予防目的で使用できるようになったのです。

 

https://taijouhoushin.jp/prevention/ (帯状疱疹についてのウェブサイト)

各地域で予防接種を受けられる委員の検索もできます。

 

私みたいに痒みだけしかなくて虫刺されと勘違いする人も珍しくはないらしいし、背中に皮疹が出ていたのに痛みも痒みも無くて気づけず、重症化するまで放置してしまった例もあるそうです。予防しとくのが一番ですよ。

 

もちろん、予防接種を受けたからって100%防げるわけではありません。でもアメリカでの研究では、ほぼ同じワクチンを使った予防接種の5年に亘る追跡調査で、「帯状疱疹の発症は約半分,帯状疱疹後神経痛の発症は約1/3に抑制された,という予防効果が確認されています。 」だって。(日本医事新報社

 

同じサイトに、こんな記載も。「たとえば「関節リウマチで治療を受けている」「がんの治療を受けている」など免疫抑制状態になると,帯状疱疹は発症率が高くなります。そのような患者は生ワクチンである水痘ワクチンは逆に使えません。今後,帯状疱疹の成分ワクチンがわが国でも認可される予定ですので,それを待つほうがよいでしょう。 」(日本医事新報社

 

がん患者さんで帯状疱疹に苦しむ人のブログも読んだ。早く彼らも使えるワクチンができるといいね。

 

 

あとはとにかくね、もう無理せんとこって思います。もう若い頃みたいに無邪気に「体の丈夫さには自信がある」なんて言えない。私は確かに一般的に言うところの健康な人間だけど、自分で思っているほど丈夫ではないのでしょう。単に、お医者さんにかかるほどでもなくやり過ごせていたってだけ。

 

考えてみれば20代の頃だってストレスでゲエゲエ吐きながら仕事していたよな。その頃の私の認識は「こんな風に吐きながらでも徹夜で仕事ができるんだから私って丈夫だよね」でしたが、吐いている時点で既に丈夫ではない気がする。と言うか、たとえ丈夫でも、その状態は不健康だ。

 

胃潰瘍だって、昔からやっていたのに苦痛を無視する状態だっただけ。耐えられないほど痛くなるまで放置していただけ。帯状疱疹だって、既に持っていたウィルスを押さえきれなくなり暴れさせてしまっただけ。年明けに拾いこんだ咳のひどい風邪も、治ったと思ったらぶり返すの繰り返し。どの口で「丈夫だ」などと言うかって感じですね。

 

「かの有名な最後の言葉 : ビール持っててくれ。見てろよ」 

 

英語圏の阿呆な酔っ払いの定番らしい。「ビール持ってて」と友達にグラスを渡して無茶してみせる。

 
猫は全てラトビアの子たちです。パンダはネットでの拾い物です。
 

CNNのニュースで見ました。

 

次世代のエコノミー座席、試作モデルを公開 欧州エアバス向け

 

「 欧州航空大手エアバスの旅客機向けに、軽くて多機能なエコノミークラスの座席が開発され、試作モデルが公開された。」

 

https://www.cnn.co.jp/travel/35133388.html

 

素材が軽いので燃費の向上に役立つそうです。

 

https://www.cnn.co.jp/travel/35133388.html

 

高級事務椅子みたいな感じですね。実際、基本的には同じなのではないかと。人間工学に基づいた、長時間の使用に適した形。とは言え、短距離~中距離くらいを想定しているそうです。何しろ、背もたれの角度を変えられないそうなので。12時間とかの長距離になると、背もたれを倒して睡眠をとるのが必須になりますもんね。

 

「高機能繊維の素材で作られ、センサーが内蔵されている。乗客はスマートフォン上のアプリを使って、座席の温度や硬さを自由に調整できる。」

https://www.cnn.co.jp/travel/35133388.html

 

今は何でもスマホですねえ…。一時代前に、家電が普及して電話や冷蔵庫がない家を想定しなくなったように、今はもうスマホを持たない人を想定しなくなってきているのかな。高齢者の中には、まだ持っていない人もいると思うけど。うちの父もガラケーですわ。もう10年くらい使ってるから、買い替えるなら高齢者用のスマホでもいいかなとは思いますが。

 

話をハイテク椅子に戻しまして。

 

「起きる時間や脚のストレッチ、水分補給などのタイミングも知らせてくれる。 」ってのは、ちょっとなあ、て気がしなくもない。目覚まし時計機能はともかく(椅子が揺れるとかですかね?)、『そろそろ水を飲みましょう』とかのリマインダーって…。自分で気をつけろよと思わなくもないです。まあ、それができない人がいるから、こんな機能も出てくるんでしょうけど。

 

てゆか、

 

https://www.cnn.co.jp/travel/35133388.html

 

「 ノートパソコンやタブレットが入るポケットには、置き忘れを防ぐため圧力を感知する生地が使われている。 」

 

技術は進歩するけど人間は進歩しない。むしろ、人間が進歩できないから、補うために技術の方が進歩するのだ! (こっちの機能はちょっといいかもと思った私には、水を飲まない人を責める権利はない)

 

 

それにしても、これを見ると本当に、モニターはもう備え付けじゃなくなるんだなーと。

https://www.cnn.co.jp/travel/35133388.html

 

 

2年前に『モニターがなくなるのかも』と言う記事を書きましたが、やっぱり現実的にそういう流れなんでしょうね。時代は変わる。


 

イタリア旅行記を書き始めましたが、繁忙期に入ってしまいましたし、今年は行事も多くて、なかなか手が回らない…。最繁忙期が終わる5月末まで無理かも。てことはその前にゴールデンウィークの旅行に出かけてしまうわけかw ああ、もうシンドイ…

 

2018/8/15


駅に戻る途中で見かけた古い建物。この質屋さんは、「こみせ」に更に戸を付けている?

 

ここも商家だったのかな。こみせがある。ここ、結構大通りだし、商店が並んでいたのかも。こうして見ると、こみせのついた家屋がずらっと並んで真っ直ぐな通りになっている黒石は、やっぱり貴重だね。

 

さて、無事にレンタバイクも駅に戻しまして、バスターミナルへ。空港行きのバスを待っておりましたら、凄まじい土砂降りにー! いくら夏だと言ってもこれに濡れたら池に落ちるのと同じだわ。こんな中を動くのはつらすぎる。これに当たらなくて良かった…!


さて、空港についてからはお土産購入タイム。後は帰るだけだから荷物が増えても構わないという気持ちもあり、また、そこら辺一帯のものが何でもあるので、あれこれ買ってしまった。南部せんべいをその場で焼いていて、とてもいい匂いがしたのでつい買ってしまったし、黒石で食べたかったのに諦めた黒石焼きそばも買いました。あとリンゴのおやつを各種、ばらまき用に…。

 

 

お天気が悪かったと言うことは、雲があるということ。機上から見るなら晴れ渡る空よりも多少雲がある方が楽しいよね。もう日暮れだから暗いけど…。

 

 

 

そー言えば、隣の席のお嬢さんが小さなスーツケースをオーバヘッドキャビンに入れたいのに、もういっぱいなので入れられず。私が上に入れていたお土産の袋を椅子の下に移せば彼女の荷物を入れられそうだったから「私の荷物を出しましょうか」と申し出ましたが、客室乗務員さんにお願いするから大丈夫ですと言われました。まあ、どこかに空きはあるでしょうしね。

 

 

 

伊丹に戻る頃にはすっかり夜でした。

 
1年半前のゴールデンウィークに秋田に行く手配をしていたのに、職場で大激震があってそれどころじゃなくなりましてね。何とか落ち着いたのでじゃあ仕切り直し…と思ったらなぜか青森になっていた。秋田も行きたいけど、青森もまた行きたいなー。
 

2018/8/15

 

次のお目当てに向かう途中、弘前名物を見学していく…。

 

これは「富田の清水(しつこ)」。弘前は湧水が多いんですって。ここが名水として有名になった理由は、歴史に残っています。

 

1686年に弘前藩主に招かれた和紙職人がこの湧水を使って紙漉き技術を伝えたそうな。かつてここには富田村という村がありました。だから富田の清水。その後、紙漉きで有名になったので紙漉町と名前が変わりました。紙漉きが行われていたのは昭和の初めまでですが、町は今でもその名前で呼ばれています。

 

水の使い方は、写真の奥から順に1、2番目が飲料水(コップが置いてあるよ)、3番目は顔や米・野菜を洗うため、4番目は紙漉き用・漬物用、5、6番目は足や衣類を洗う生活用水と決められていたんだって。

 

上の写真にある清水は地元の生活に溶け込んで大事に管理・保存されてきたので状態が良いのですが、すぐ近くにあるもう一ヶ所の清水 ↓ はそうでもなかった。

 

 

こちらは「御前水」と言う名前。1881年に明治天皇が東北を訪れた際に弘前で宿泊し、ここの湧水がお茶や食事の用意に使われたんだって。掃除はされているようだけど、水が淀んでいるし、雑草も生えちゃってるし、ちょっと荒れている感じがしますね…。

 

さて、趣のある消防署を横目にしながら…

 

「外国人教師の家」に到着。

 

1925年に旧制弘前高等学校に招かれた外国人教師の住居として建てられたもの。別の場所にありましたが、2004年に今の弘前大学敷地内に移築されたそうな。今は「弘大カフェ」として営業しております。

 

 

2階に上がって遅いお昼をいただきました。ついカレーを頼んじゃう…。美味しかった。

 

 

隣にある弘前銘醸さんの倉庫もなかなか趣がありますね。レンガ造り。

 

さあ、そろそろ駅に戻る時間。戻りながら、途中にあるものを見ていく感じですね。本当は旧弘前偕行社も見学したかったけど、修復中で閉鎖されていましたわ。

 

その近くにあるのが「大宰治学びの家」。旧藤田家住宅という立派な民家で、太宰治が弘前高校へ通う時に下宿していた家なのだそうな。

 

大正時代の、家屋の真ん中にドンと通り土間が通っている、大正時代に新しくできた様式なんですって。土間の南側に主人一家が居住。北側にある台所と女中部屋の間に階段があって…

 

2階に上がれるようになっているのです。現代ですと民家の階段って壁にくっつけて設置するのが普通だと思うけど、昔ってそうでもないよね?

 

 

1階のご主人一家の居住区と、階段。ほとんど梯子のように急です。

 

 

お2階にある、太宰治が使っていた部屋。6畳プラス、あの板の間。明るくていいね。

 

私は太宰治にはあまり興味がないのですけれど、古いお宅を見学したくて行って参りました。ここ、ちょっと早くて、4時には閉まるの。30分前に駆け込んでギリギリ見て周ることができました。