No.2-9 外国人バーで知った、立ち上げの面白さ
1年ちょっとの海外生活を終え、日本に帰ってきてからしばらくのんびりと過ごしていたものの、そろそろ働かないとな、と思い、子ども英会話教室の講師を始めたのだが…
「最初は、週3日は英会話講師をしながら、かけ持ちで週3日バーテンダーの仕事をしてました」。
「もともとバーテンダーの仕事そのものが好きだったのと、旅の話をしたいっていうのがあったんで…お店に来るお客さまとかに色々と話せるでしょ? だから、ちょうどいいなと。それから、学生のときと、国際人としても社会人としても色んな経験を積んできた今とでは、違うだろうな~っていうのもあったので」。
言葉の通り、彼女は大学在学時の数年間、バーテンダーのアルバイトをしていた。
「大学入学後、自宅近くのカフェレストラン&バーにアルバイト募集が出てたので、ふらっと入ったら、なんかすごい気に入られて、“明日から来て!”って。 ただ、学校もあったし土日の昼間だけ働いてたんですが、人が足りないときだけバーに入るように。そしたら……はまった!。それで、仕事を夜に変更してもらいました」。
流れで入ったバーテンダーの世界だが、棚に並んでいたボトルへの興味から、お酒って、リキュールって何だろう?と強い関心を抱くようになった彼女。はまっていくのは必至。
そして、あるお店との出会いが、現在の事業のひとつと密接に繋がっていく。
「大学4年のとき、卒業後は海外へ行くと決めていた私は就職活動をする必要もなかったので、昼間がすごく暇になったんですね。それで、情報誌を見ていたら、<英語のできるバーテンダー>の求人を発見。それは、外国人バーの立ち上げスタッフの募集だったんです。それがきっかけで、お店の立ち上げの面白さを知りました」。
「英語がバーテンダーのツールになること、バーカウンターが一番ディレクションがきくこと…。オープニングの面白さを、そこで感じたんですよね」。
ちなみに、No.2-6に出てきた、ヨーロッパのとある空港で会う約束をした女の子。その出会いと約束は、この外国人バーのなかで繰り広げられたのである。
No.2-8 ヨーロッパの体験から子ども英会話講師へ
彼女の周りには、自然と人が集まってくる。それは、日本人に限ったことではないようで、海外生活のなかでも、自分から動かずとも人が寄ってきてくれる、という経験をしてきたらしい。
「ヨーロッパにいた2~3ヶ月の間で、一人の時間って移動時間以外でないんです。友人の家に行ったり、途中でファミリーに声を掛けてもらったり…色んな人が話しかけてきてくれたから」。
たまには変な人もいたらしいが、基本いい人ばかりで楽しかったそう。
「自分から声をかけたりもしたの?」。そう聞いたところ、意外な答えが返ってきた。
「日本人とか外国人とか関係なく、初対面の人に自分から話せない。実は人見知りなんで」。
誰とでも気さくに話せそうな人。それが、彼女に抱いていた印象だったので、かなりびっくりした。
「akemiさんに言わせると、人に気を遣いすぎ、ってことらしいけど…。自分のなかでは気を遣ってるとかっていう意識はないけど、ただ目的がなければ初対面の人と話せない」。
彼女の本来の性質が、気を遣いすぎ…なんとなくわかる気は、する。具体的に何が、と言うのは難しいけれど、彼女と接していると、すごく気を遣う人だなと感じることがある。本当は、とても優しい人なのだ。
色んな人に出会い、色んな体験をして、1年数ヶ月後に日本に帰国した。4ヶ月ほどの休養期間を経て、子ども英会話の講師として働き始めることに…。
「ヨーロッパの子どもたちって、英語が話せないんですね。ファミリーに誘ってもらって家に遊びに行ったとき、子どもたちとは英語で会話できないんだけど、遊んでるときはすごく楽しくて…だから、大人じゃなくて子どもの英会話の講師をしようと思ったのかもしれないですね…」
No.2-7 数ヶ月前にノリでした約束、異国の地で果たされる
何ヶ月も前に交わした約束の日、約束の場所へと足を運んだ彼女。
「ノリでした約束で、お互いが覚えてたら会えるだろうな、と。でも、具体的な時間とかまで決めてなかったにもかかわらず、再会したんです!すごいな~って」。
「で、そこから何カ国か一緒に回って、また次の約束をしてスペインで別れました。その間、私はモロッコに行ったりして、約束の日にまたスペインで再会。スイスの友人宅に2人で泊めてもらったときに、カボダロカへ連れて行ってもらったんです」。
そのとき、その瞬間に感じたもの。それが、ずっと彼女の心の奥底に刻まれ続けた。自らの事業の屋号にしてしまうほど、そのときの“現在”と今という“未来”を結びつけてしまうほど、鮮烈に。
「あのとき、時間を超えるものを感じた」。
「でも、夕日が見たいがために、バスを見送ってしまい…帰る術がなくなってしまって。荒野みたいなところを歩きながらヒッチハイクしてたら、30代の男女が止まってくれたけど方向違うからって走っていっちゃって」。
見知らぬ土地、 それも陽が落ちて暗くなる荒野のなかで、たった一人。そこに恐怖は感じなかったのだろうか。
「その瞬間は怖いと思ってるけど、バスも車もないなら、歩いてでも帰らないと仕方ないから…。怖いって言ってる間に帰ること考えないとダメだし…」。
走る車もなく、歩いてでも帰らないと仕方がないと思っていた彼女に、一筋の光明が。
「方向が違うから、と言って走り去った30代の男女の車が、数時間後に戻ってきて、乗せていってくれたの! 方向は違うけど、こんなとこ歩いてたら危ないから、って。オーストラリアにいたころから、家においで~って、いろんな方に誘ってもらったり。そういうことが、ほんとうによくあって、すごく助けられたんです。ただ、絶対に子どものいるところしか行かなかったけど」。
No.2-6 海外生活で感じた、日本人であることの誇り
2度目の海外(1度目は高校の留学制度で、夏休みの1ヶ月間をカナダで過ごしている)で選んだオーストラリアのパースという街は、とても住みやすいところだった。しかし、3~4ヶ月後にはその街を後にする。
「オーストラリアに着いてすぐに購入した車で、オーストラリア大陸を3~4ヶ月間ラウンド(住みながら、バイトしながら、移動していく)して…最後に訪れたのがメルボルン。その後、ヨーロッパに渡る予定だったのでお金を貯めなきゃいけなくて、アパートを借りて住んで、日本食のレストランとかカフェで4~5ヶ月間ほど働きました。でも、週末は学校に行ってホスピタリティの勉強をしたり、講義を受けたり…普通に生活してましたね」。
その国の文化に触れ、それを受け入れ、自分も受け入れられるように…その想いで海を渡って数ヶ月、実際に生活してみて、肌身を通して感じたものは何だったのだろう。
「そこで生活してる自分は、すごくしっくりきたの。でも、1年ほど住んでてすごい楽しいし面白いけど、ふと気づくのは「やっぱり、自分は日本人なんだな」ってこと。いいことも悪いことも含めて、自分が日本人であることを自覚もできるし誇りも持てた。あ~日本人でよかった! って」。
海外へ出た人たちから、よく聞く言葉ーー日本人でよかった。。彼女はよく「色んなことを知ることができるから、海外には絶対行った方がいい」と、言う。それはきっと、その国の文化や慣習に触れることはもちろん、外に出ることで日本の良さや日本人であれる喜びを感じることができるから。そして、その意味の大きさを、自らの体験で感じたから、なのかもしれない。
ところで、日本を離れるときから決めていた、オーストラリアからヨーロッパへの渡航には、ある約束の存在があったのだ、という。
「大学在学時にアルバイトをしていた外国人バーで、一人の女の子と出会い仲良くなって…同時期にワーカーホリックで海外へ行くことになってたから、「じゃあ、1年後のいついつに、どこどこの空港で待ち合わせしよう!」って。その約束のために、オーストラリアからヨーロッパへ向かおうと思ったんです」。
No.2-5 小6のときに描いた絵が表した10年後の現実
“カボダロカ”を訪れたのは、ただの旅行、によるものではない。No.2-2でも少し触れているが、彼女は大学を卒業した後の1年ほどを海外で暮らしていた。
「別に、英語を習うとかもっと喋れるようになりたい、とかってことじゃなくて、その国の人になってみたいというか…その国の文化を受け入れて、かつ自分を受け入れてもらう環境に行きたかった。現地の人と同じスタイルで生活をしてみたかったんです」。
ちなみに彼女、外大卒。小学校6年生のころから英会話を習っていた、英語に抵抗なんてない人。
「英会話を習おうと思ったのは、単純に “英語ってなんだろう?” っていう興味から」。
そんな興味のもと、英会話を始めた小学校6年生のころ、彼女はとある絵を描いたのだという。そしてそれが、後に大きな驚きをもたらす。
「小6のときに、将来の自分を絵で描くっていうのがあって…。そこに描いてあったのは、オーストラリアの豪邸に住み、有名人になってマスコミに追われてる絵(※塀の上から写真を撮ろうとしている手とかカメラが描かれてた)。えんぴつで描いたその絵が、こないだ随分ぶりにどこからともなく出てきて…。見て、すごいびっくりしました!」
彼女が驚いたのも、無理はない。大学卒業後に一人で海を渡った彼女が向かった先、それはオーストラリアのパースという街だったのだ!。さらに、その時期は、絵を描いてからまさに10年後、というから驚きもひとしお。
これは偶然なのか、はたまた必然だったのか…。ただ単に、昔からオーストラリアが好きだったのか。
「いえ…。夢を描いたんじゃなくて、単純に10年後の自分っていうのを描いただけ。オーストラリアっていうのも、深く考えて選んだ場所じゃない。だって、子どものころって、海外と言えばアメリカとかオーストラリアとか、そんな感じでしょう?」