No.2-14 1年後の自分が見えなくなった
仕事は人一倍頑張っていた彼女だが、一通りの流れを掴み始めたころには、迷いを感じ始めたようだ。
「1年後の自分が見えなくなってしまった」。
何かを見れば、もっとこうすれば楽しいかも、もっとああすれば良くなるかも…と、彼女の持つ思考回路はもともとクリエイティブ。
確かに、営業のスペシャリスト、を目指すイメージではない。きっと、どこかで、自分の未来像が描けなくなっていったのだろう。
結局、身内の手術をきっかけに、退職の道を選ぶことになった。
No.2-13 初めての営業職に…
その後、落ち込む暇も、悩む暇もないままに、とある人から広告代理店を紹介される。
面接のときに、まず聞いたのが「この会社に軸はありますか?」。そして「私に環境をください」と。
仕事には全力で取り組む。だからこそ、会社も、目指すべき未来像を持ち、安心して仕事に打ち込める環境を提示して欲しい…。いかにも彼女らしい要求。
こうして、広告代理店の営業、という新たな環境を得た彼女は、また全力で走り回る日々を送ることになる。初めての営業職。漠然とOJTを期待していたのだが……ノウハウよりもまずは実践、という主義の会社であったため、入社早々、飛び込み営業の環境に置かれてしまう。
途惑いはあったものの、基本的にとてもポジティブな彼女。大変な出来事に遭遇しても、それを悲観したり思い悩む前に、前に進む方法を考える。
「今から思うと、自由にさせてもらった。前例のなかったやり方、動き方も認めてくれていた」。
お店のオープン工事を行っているテナントに情報を聞きに飛び込んだり、大手企業に売り込みをかけてみたり…。独自に試しては結果を積み重ねていった。
「色んなお店に行ってオーナーさんと話したり、クライアントの方と会ったり…。仕事はとても楽しかったです」。
No.2-12 新たな世界への挑戦
オーナーの片腕としてお店の立ち上げを経験、その間もデザインやカメラの勉強を続けていくなかで、神戸のとある会社と出会う。それは、ある意味、彼女にとっての転機となる。
いい加減働かないといけないな~と思っているときに、偶然に求人を見つけて…。求人内容は雑誌のデザイン・制作での募集。
雑誌制作の仕事がしたい、との想いで仕事を探していたのだろうか。
「雑誌を作ってる会社に入りたい、って思ってたんじゃなくて、その会社自体に興味を持ったんです。やってる事業とかが、すごく可能性のあるところだな、と。だから、ここで働いてみたいなって思いました」。
「色んな女性の起業家の人たちに出会えて、取材ができて、撮影ができて、デザインができて…自分で雑誌が作れる。すごく魅力的だった」。
カメラマンとして取材に同行し、デザイナーとして取材したものを活かすデザインを考える…。
よりよい雑誌を作り上げるために、利益を得られる雑誌にするために、ときには徹夜をしながら作業に没頭した。
時間とともによくなってくる誌面、着実に伸びていくデザインのスキル…今後の展開に、アイディアも次から次へと湧き上がってきた。
新たな世界で意気揚々と仕事に励み、環境は用意された、かに見えた。しかし…… 入社してわずか3ヶ月で、 突然の事業部閉鎖。彼女から環境は奪われ、少しずつ見え始めていた未来は突然終わりを告げてしまった。
No.2-11 目の前のことを楽しむ中で広がっていった【出来ること】
働き詰めに働いた数年間。そのなかでも、彼女は新たな世界への扉を開いていた。
「バーの仕事をするなかで、メニューやPOPを作成。そのために、写真を撮ったりイラストレーターやフォトショップを触り始めました。写真は旅をしているときから撮ってはいたんですが、英会話講師時代のサマーキャンプで子どもたちをいっぱい撮るために一眼レフを購入。そこから色々撮り始め、友だちのバースデーカードを作ってあげたりしてるうちに、写真の加工の面白さを知りました」。
もともとセンスも良かったのだろう。デザインや写真の面白さを知った彼女は、その後、仕事をやめた数ヶ月間の間に、我流で様々な技術や知識を習得していった。
「仕事を辞めた後、知り合いからメニューのデザインを頼まれて作ったりしているうちに、少しづつ、出来ることも増えていった気がします。でも、全部が流れ。やろうと思ったというよりは、時間の経緯の中で、楽しくてはまっていった、という感じでした」。
ときを同じくして、現在の仕事の主軸となる事業での経験を積むこととなる。
「バーを辞める少し前からバリに行き始めたんですが、そのバリで知り合いのレストランを、また姫路のカフェでも、立ち上げを手伝いました。デザインとかメニュー作成、写真撮影、店内の動線、ディレクション、コスト管理など…お店の立ち上げはホントに楽しかった」。
店内のすべてに目を凝らし、販促ツールや事務的なことまでディレクションしていくのは、誰にでも簡単にできることではないはずだ。あれこれ考えて工夫することを楽しめる彼女だからこそ、何かするたびに出来ることが増え、結果仕事の幅が広がっていったに違いない。
No.2-10 英会話講師とバーテンダー、掛け持ち5年
英語というツール、バーテンダーというツール、それを駆使することで知った新たな世界。そこで、現在の企画・提案に通ずる片鱗を見せる。
「あくまで企画としてですけどメニューを自分で作ったりしてました。このお酒は高いから、コスト的なことを考えたらこっちがいいんじゃないかって提案したり…。ただ、色々言ってもずっと蹴られ続け、それでも懲りずに思うことを発信し続けてたら、“ 社員になってメインで入らないか ” と。嬉しかったのですが、海外行くつもりにしてたので結局断りましたけど」。
海外から帰国後、英会話講師とバーテンダーの仕事をかけ持ちし始めた彼女に、変化が訪れたのは1年が経過したころ。
「英会話スクールのエリアリーダーになったのを機に、週3日からフル勤務に変わったんです。それでも、バーの仕事は好きだったから、昼間は英会話業務、夜は週5でバーテンダーの仕事を、5年弱くらいかけ持ちしてました。一番働きまくった時期だったんじゃないかな」。
バーの仕事が終わるのは夜中。ときには、朝方になることもあるだろう。そこから仮眠を取って、子どもたちの待つ英会話スクールへ…若い時期とはいえ、そんな生活を続けていくことで、着実に体には負担がかかってくると思うのだが…。
「体は確かにしんどかったけど、でも楽しかった。
ただ、英会話スクールのエリアリーダーとしてある大きなプロジェクトに携わるようになり…バーの仕事を休みがちになってしまって。これ以上は迷惑をかけられない、と、バーでの仕事は辞めることにしました。体調を崩していた、というのもあるんですが…。
結果的には、その後しばらくして、会社のシステムや、そこに居続けたときの自分の将来像に違和感を感じて、英会話の仕事も辞めることになりました」。