脱皮の時 ~スタートラインに祝福を!~ -14ページ目

No.3-21 もうこの業界には、戻らない

医師から「栄養失調になりかけ」(笑)と言われながら、がむしゃらに働き続ける日々。その終焉は、突然、訪れました。


ある朝、脇腹を激痛が射抜ぬき病院へ搬送された私は、治療のため2ヶ月に渡る休職期間を経て、仕事復帰しようとしたのですが…


なぜか、意識がとても遠いところへ行ってしまったような感じがして、どうしても、自分の元いた環境を受け入れることができなくなっていました。


仕事が嫌になったわけでも辞めたいと思ったわけでもありません。


すべての根因は、今まで自分がいた世界がある種特異な環境だった、ということに気づいてしまったこと。自分の外側に“普通”の世界があることをリアルに、中途半端に知ってしまったが故に、バランスとか時間軸とか、色んなものが少しずつ狂ってしまって、病気になる前と同じような意識でそこにいることが、できなかったこと。


そして、医師から告げられた「休養・加療」を理由に、退職の意を伝え、私をこの世界で生きていけるように一から育て上げてくれた会社での、最後の日を迎えることになったのです。


「クライアントから、本当にいいものを書いてくれるって、一番評判のいい書き手だった。 その文章の才能は間違いない。いつかまた一緒に仕事ができる日がくることを楽しみにしてる」。


社長夫婦からもらった最後の言葉に、今までやってきたことが、一瞬にして報われたような、気がした。初めて、自分を「よく頑張ったね」って、褒めてあげられる、そう思った。


そして、誰もいない事務所を、荷物を抱えて後にするとき、私は心に決めていました。


「もう、この業界には、戻らない」と。
「“書く”ことは、二度と仕事にはしない」と。


書くことしかしてこなかったため、退職後は何をしたらいいのかがまったくわからず…。


1年ほど飲食店でアルバイトをした後、未経験OK、人間性重視、という謳い文句に惹かれて、ある産婦人科の受付として就職しました。


初めての受付事務という仕事は、とても新鮮で楽しくて、思いのほか毎日が満たされてました。


「書く」ことを求め続けた自分が嘘のように。

No.3-20 徹底的に好きなことは、自分を裏切らない

私を雇ってほしい、そう言ってくれたそのひとの、その言葉以上の情熱を私に注いでくれるそのひとの、まっすぐな想いを、裏切ることのない自分になりたい。そしていつか、このひとのような言葉を紡げるひとになりたい。


その想いが、私の「書く」ことへの取り組み方を、180度変えていきました。


そのひとが放つ言葉のひとつひとつを、一言一句聞き漏らすことがないように、しっかりと自分のなかに落とし込んでいきました。


今まで以上に、言葉に忠実に、真摯に向き合っていくようにしました。数年に渡って、そうやって意識を高めてきた結果、文章スキルはみるみる上達し、見違えるほどしっかりとした世界観を表現できるようになっていたのです。


今のベースは、このときに確立されました。


私は、もともと「書く」才能があったわけではありません。今でも、自分に特別な才能がある、とは思っていません。若かりしころのように、無駄に自信を持つことも、現実を知った今はもうできないので(笑)。


かといって、物凄い努力をした、わけでもありません。


ただ、書くことが、言葉遊びが、好きだった。何よりも、どんなことよりも。


人は、好きだと思うものを、大切にしたい、と思います。


そしたら、そのためにどうすればいいかを、考えます。何より、好きなもの、大切にしたいと思うものには、真摯に向き合う。でもそれは、きっと、意図してやっていることではない、と思います。だから、努力でもない。たとえ、周りからそう見えていたとしても。好きだから、大切にしたいと思うから、無意識に敏感になっていくだけのこと、です。


そうやって、どこまでも、徹底的に好きになったことは、自分を裏切らない。


私は、なんとなくだけど、ずっとそう思ってきました。


だから、私は今、自分の書く文章に、揺るぎのない自信を持つことができる。自分の選んだ「書く」ということを、嫌になるくらい好きになったから。


それが、初めて持てた根拠、かもしれない。

No.3-19 現在の私をつくった、運命の出会い

社長夫婦をはじめ、本当に素敵な上司が多いなか、私に最も多大な影響を与えたひとが、います。


私の採用を悩んでいたらしい社長に、「自分が責任を負うからこの子を雇ってほしい」、そう直談判したひと。7歳上の元コピーライターであるこの女性との出会いは、まさに運命、だった。私は、今でもそう思っています。


ただ、未だに、なぜそこまで想ってくれたのかは…大きな謎に包まれてますが(笑)。


でも、言葉の通り、その人は責任を持って、私を指導してくれました。


今でも名残はあるのですが、我流で書いてきた私の文章は、感覚的な表現が多いのですが、当時は、今じゃ考えられないくらいひどく(笑)。


全体の文章の流れからまったく落ちてないキャッチコピーを立てたり、ひとつひとつの文章の落としどころがなかったり、響きや感覚だけで連ねた言葉は、文章としてまったく成立していませんでした。


そんな私に、文章の組み立て方、キャッチの立て方、何より、言葉の扱い方、文章というものの何たるか、を基礎の基礎から、丁寧に、わかりやすく、ときに厳しく、叩き込んでくれたひとです。


この出会いは、私に、自分の文章が自信を持てるレベルではないことを、嫌というほど知らしめました。でも、そこには、屈辱感も、悔しさも、なかった。超負けず嫌いなはずの私が、不思議なくらい、何くそ!って、思わなかったのです。


それは、このひとを、無条件に尊敬していたから。


ただただ、このひとに認められる文章を書けるひとになりたい、そう思ったから。


何が何でも認めさせてやろう! じゃなく、なんとかして追いつきたかった。同じ場所からものを見れる自分になりたかった、のだと思います。


私が持つ感性を認め、それをより活かすための大きな可能性を、底の底から根こそぎ引っぱり出してくれた、このひととの出会いは、絶対的な事実として、私を変えました。というより、私の人生そのものを、大きく変えたのです。


この人に出会っていなければ、今の私は存在しない。絶対に。そう、断言できる。

No.3-18 そんなに頑張らなくていい

ちゃんとやりこなしていきたい、という想いとは裏腹に、思うようにできない自分。そして、痛いほど思い知らされた、自分の文章の稚拙さ。たまっていくジレンマとフラストレーション。そこに支配されコントロールできなくなった自分自身。


情けない、と思う以上に、悔しかった。


自分を責めながら、よくわからないままにやみくもに頑張り続ける毎日。


でもある日、そんなすべてを打ち壊す出来事がありました。


仕事中に、社長(女性)から、初めてランチに誘われたのです。きっと、気づいていたのでしょうね。私のどんよりした空気に(笑)。


最初は他愛もない話しをしながら食事をしていたのですが…とても心配そうな、でもあったかい笑顔で言われた「大丈夫?」に、箍がはずれてしまったのです。吐き出せずにいた感情が一気に溢れ出し…結果、大号泣(笑)。


もっともっと仕事がしたいのに。ずっとずっといい仕事をしたいと思っているのに。周りに置いてかれないように頑張らなきゃって思うのに。


それが思うようにできない自分が不甲斐なくて、悔しくて…って、そんなことを、一気にまくしたてた記憶があります。


社長は、柔らかな笑顔で、ときに目を赤くして、ひどく優しい佇まいで、ただ静かに聞いてくれました。


そしてその日の仕事帰り、社長夫婦と立ち寄った深夜のファミレスで、無意味に背負っていた重荷を、私は初めて下ろすことができたのです。


「そんなに頑張らなくていいんだよ」。


この一言は、あのときの私を、救ってくれました。


もっともっと頑張らなきゃいけない、って思ってた私の心を。このときのことがなかったら、あそこで頑張り続けることができなかった、きっと。


この日を境に、自分の弱さを、きちんと認められるようになり、何かが大きく変わりました。


少しずつ、焦ることなく、ゆっくり強くなっていければいい、と。自分のなかのもやもやが吹っ切れてから、純粋に、心から、仕事を楽しめるようになりました。


相変わらず、毎日が限界超えの状連続、ではあったけれど。


No.3-17 ぎりぎりいっぱいのつま先立ち生活

初仕事を終えた私は、数ヶ月後に退職の決まっていた先輩スタッフの後任担当者として、某大手企業の社内報、を担当することに。


実際の作業とは別に、1年を通しての企画やスケジュール的なこと、編集や進行管理の部分においての一連の流れ、そして、いわゆる一流企業と仕事をするための意識を、このとき一から学んだように思います。


ほぼゼロの状態に等しかった私は、ひとつひとつの仕事に無我夢中で取り組まなければ、スタート地点にも立てないような状態。余裕なんて、どこにもありませんでした。


“がむしゃら”って言葉を体現しているような、そんな日々だった。


周りは、恐ろしく仕事のできる人たちばかり。

それでも同じところに立ちたくて…負けないように仕事がしたくて……150の力を使って、毎日を過ごしていたような気がします。


触ったことのなかったフォトショップやクォークも、独学で覚えた。覚えなきゃ、仕事ができなかったから。


どこに行くにしても、周りに目を凝らし、ネタになりそうなことがあればメモしてきた。そうやって意識を高めてかなきゃ、置いてかれるような気がしたから。


いつもいつも、いっぱいいっぱいのところに、立っていました。

ぎりぎりまでつま先立ちをして立ってる、みたいな毎日。でも、そうやって立ってなきゃ、あそこにはいられなかった。


そして、最初に感じていた恐怖は、思った通り、現実のものとなりました。


特別な事件があったわけではないけれど、他愛ない日常のなかで感じた厳しい現実に、私のなかにあった“根拠はないけど揺らぐことのない自信”は、打ち砕かれました。ことごとく。こっぱみじんこに。


入社して1ヶ月余、私はとっくに限界を超えてしまっていました。


自分の決めた限界なんて、あってないようなもの。一度超えてしまうと、不思議なものでどんどんそのキャパを広げていってくれる。


今ならそう思えるのですが、余裕のよの字もなかったそのころは、目まぐるしいスピードで、自分の限界値が高くなっていることに、気づくことなんて、到底できなかった。毎日アップアップ、ただしんどいだけ、でしかなかったから。