No.3-26 自己資金ゼロを救った深い母性
勇ましく起業を決めた私ですが、先のことより瞬間を生きるタイプのため、恥ずかしながら手元には満足な資金がありませんでした。
にもかかわらず、そのときの感覚で“株式会社”にしてしまったもんだから、大変!。
前社で知り合った方に法人登記をお願いしたものの…
前金を振り込まないと手続きをはじめられない!
設立日から逆算するともう時間的猶予は、ない!
でも、お金も、ない!
ないない尽くしで、少し悩みました。
でも、まさに「窮鼠猫を噛む」。
切羽詰まりすぎると、不可能を可能にすることができちゃう。
私も、前金を振込、指定日までに資本金を用意することができました。
ちなみに、私がなんとか資金を用意できた裏には、母性の存在がありました。
自己資金を一切もたない私にとって、資金の調達は最大の壁だったし、私の精神状態を一番追いつめた要因でした。
知り合いの方に融資をお願いし快諾してもらっていたのですが、人様からお金を借りるということは、それはそれは果てしないエネルギーを要することです。
それでも、自分で決めたこと。
大変でもしんどくても、これを超えなければ起業はできない!
そう自分を奮い立たせていたある夜、予想だにしない流れで、この問題は解決されました。
常にぶつかり続け、私のやることに賛成したことのない、私とはすべてが合わないと断言した、母親。
私にとって、善くも悪くも影響力のとても大きな存在で、その関係はもうずっと複雑だった。だから、起業の話しすらしてなかったし、お金のことも他人に頭を下げる方がずっと楽だった。
でも、ある日、ふと思いました。
「なんか、これって違うんじゃないか」と。
「人の想いしか、人を動かすことはできない!」なんて、声高に謳っている自分が、それを体験せずに何が語れるんだろう?
一番しんどいことから目を背け、逃げてる私が本当に人を動かす文章なんて書けるの? と。
母親とのしんどい関係を超えるときがあるとしたら、今なんじゃないだろうか、と。
突然降ってきた、本能の声、でした。
初めて、真正面から、まっすぐ、母親と向き合ったような気がします。
「起業に対して100%賛成ではない」と前置きしつつも、私の想いを静かに受け入れてくれました。
そんなこと初めてだった。
母は母なりの覚悟をしたのでしょう。
私とは比較にならないくらいの覚悟を。
本気になれば、きちんと届く。言葉なんかなくても、その姿勢は、ちゃんと心に伝わっていくものなんだなって、改めて実感しました。
相変わらず、喧嘩やぶつかり合いは絶えませんが、あれ以来、母娘の関係が少し変わったような気がします。
起業によって、私は人に頼ることを覚えました。
心をさらけ出しぶつかること、
それによって、寄り添ってくれる人がいることを、
色んな場面で感じています。
No.3-25 不安と恐怖と闘い続けた3ヶ月
起業を決めた理由は、ワクワクしたから。
自分の使命が果たすために必要な環境だって思ったから。
とにかく、すごく心が躍ったから。
akemiさんから、会社を立ち上げるのは4月が適時、と言われていました。
それまでの間に、仕事に繋がるような動きをしなきゃ、と思うのに何もする気にならず。何かをしてみても見事に気持ちが乗っていかない。
言われていた通り、年明けからの3ヶ月は、ただただ心身ともにしんどいだけの日々。
会社を立ち上げよう、そう決めたときの胸が躍るようなわくわくした感覚。その後に襲ってくる、不安や恐怖、迷い。本当にできるのか、受け入れられるのか…。
上がっては落ち、落ちては上がり、それを何度繰り返したかわからないくらい、気持ち的な振り幅の大きな時期でした。
それでも、やると決めた以上前に進むしかない、そう言い聞かせては負の感情を打ち消して。
そんななかで、少しずつバランスが取れるようになっていきました。期待と怖さのバランスが。
正直、今、このころのことを思い出そうとしても、いまいちリアルに蘇ってこないのです。
しんどかった、って記憶はある。
だけど、何がそんなにしんどくて、何にそんなに躓いて、何が起こっていたのか、不思議なくらい思い出せない。
ただ、嫌ってほど自分と向き合い、自問自答を何度も何度も繰り返し、自分がやっていくことを煮詰め、不安と恐怖と闘い続けた3ヶ月だった。
そして、それを超え続けることで、本気の覚悟、とやらができていきました。
私は強い人間では、ありません。
弱さも狡さも愚かさも浅はかさも、体中いたるところに点在しています。不安や迷い、そういうものを、いつもどこかに抱えているひとです。
でも、それでいい、と思っています。
不安のない人間なんて、きっといない。怖い、と思えるから、人は強くなれる。無理をして、強がってみても、たとえ恰好をつけてみたとして、いつかそこに、歪み、が生まれてしまう。
そのことに苦しむのは、ほかの誰でもなく、自分自身だから。
ありのままを受け入れ、真っ向から向き合い、どんなときも真摯に接していれば、未来は少しずつでも開かれていくものだって、そう思うのです。
私は、そう信じて進んできたし、これからもそれは、変わらない。
嘘と澱みのない、まっすぐな想い。
ブレない芯と揺るぎない信念。
それらだけは守り通せる、柔らかな強さ。
それだけ持てるなら、きっと歩いていける。
私は思います。
起業に必要なのは、きっとそういうことだ、と。
No.3-24 自分のポテンシャルを受け入れられない
生まれて初めて、自分の未来が見えないことを怖い、と思った。
毎日がただただ空しくて、何のためにこの仕事をしているのかさえわからない。情けなくなるほどに。そんなどろんとした感情に全身隅々まで覆われたまま年を越そうとしていた、年末。
akemiさんの分析を受けることになったのです。
データが出た、と連絡を受けてから結果を聞くまで、どんだけマイナス思考なんだってくらい(笑)、悪いイメージばかりが頭を過っていたのですが…伝えられたのは、その予想をはるかに裏切るスケールの大きなものだった。
エネルギーがとても強い →エネルギー全開で走れるステージを求めればよい。
受注して仕事をするのは性に合わない。自分で仕事を発生させるぐらいの気持ちで。
文章能力が高いひと → 書く仕事は適職よ。すごく高い能力を持っている → 居心地の悪いステージで仕事をしてもダメ、自分に心地よい高みを目指してね。
バイオリズム的には、今から3ヶ月はしんどい時期だけど、それを過ぎた先を見据えて・・・。
などなど。
色んなことを言われました。
野心に満ち溢れた、ぎらぎらした人なら、飛び上がって喜ぶような、そんなことだった。
でも、私は、受け入れることができませんでした。
信じているとかいないとか、ってことではなく、自分にとってはスケールが大きくて、あまりに自分とかけ離れた人のことみたいで。
目の前の人が発している言葉を、そうなんだ、と素直に受け入れて信じられるほど、私は自分の能力を高く見積って生きてきたわけじゃない。
だからこそ、それを無防備に信じてしまう怖さを、感じていました。
でも、あのとき、自分の能力やバイオリズムを聞いていなければ、ずっと悶々とどろどろした人生を歩いていたと思います。
それがすべて、だとは思っていません。
でも、知っているのと知らないのとでは、全然違う、そう思います。
特に、起業したい、とか、自分で何かやってみたい、と思っている人なら、なおさら。
心のなかの躊躇いを、勇気に変えて背中を押してくれる、というか。
私自身、自分自身のことを客観的に見つめなおしたことにより、心の奥の方で、何かはわからないけど、スイッチがカチッと入る音を、かすかに聞いたような気がしたので。
過去のことを振り返ってみると、辻褄は、合っています。
なのに、そのとき聞いたことを他人事のようにしか感じることができなかったのは、信じるに足る根拠を、私自身が持てていなかったから。
もともと根拠のないところで無駄に自信を振りかざしてきたくせに(笑)、そのときは、それがないことが、ひどく不安、だった。
そして、新年を迎えた私は、決めました。
「起業しよう!」。
No.3ー23 運命の出会いと突然の閉鎖勧告
困難を極めた転職活動を経て、神戸に立ち上げたばかりのとある会社に就職。
「神戸で編集」という長きに渡る願望を叶えることになりました。
女性起業家を取り上げた、まだまだ軸のない28ページの自社媒体をひとりで作る、というあり得ない日々を4ヶ月ほど過ごし、ちょっとおかしくなっていたころ…またもや運命的な出会いを果たすのです。
編集長として新たに入ってきた、あり得ないくらい仕事のできそうなひと。前と同じく、私より7歳年上の、これまた女性。
以前の出会いで、文章の、言葉の基礎を叩き込まれた私は、このひととの出会いで、より洗練されたハイレベルなところに引き上げてもらうことになるのです。
スタッフの増加に伴い、取材&ライティングに専念できるようになった私は、凝縮した言葉だけを綴ることができるようになり、文章スキルがより磨かれていきました。
それを見てこの人は、いつも限りなく褒めてくれました。というか…褒めちぎってくれたのです(笑)。こちらが恥ずかしくなってしまうほど。
このころの私は、自分の書く文章にそこそこの自信は持っていたのですが、その意識を超える高い自信を持つよう叩き込まれました。
そのころからでしょうか。
取材先の方々からの喜びやお褒めの声が徐々に増えはじめ、夢は鮮明に、自信は確固たるものへと姿を変えていきました。
取材先の方から、個人的に仕事を頼まれることもありましたが、あくまで副業的な感じの意識しかなかった。
独立やフリーへの転向なんて、考えたこともありませんでした。この会社でずっとやっていきたい、それが私の一番の望みだったから。
そんな私の意識を変えたのは、忘れもしないGW明け。突然告げられた、編集部閉鎖の勧告、によってでした。
降って湧いたような話しでかなり動揺したものの、選択の余地はなく、勧告から1週間後、入社僅か7ヶ月で会社を去ることになったのです。
あまりに突然のことで、退職後もなかなか気持ちの整理はきませんでした。
なんとかフリーとして活動していくことを決めたものの、心には、どうしても埋まらない小さな穴があった。
辻褄合わせに仕事をしてるだけのような気がして…
こんなの、何かが絶対的に違う、ってそう思ってました。
No.3-22 自分を必要としてくれる場所より、自分が必要とすること
院長や看護士さんたちに可愛がってもらい、笑顔の絶えない毎日。
そこそこのお給料をもらい、欲しいものを買い、仕事仲間や友人、彼氏と自由に遊ぶ時間を持ち、何不自由のない、恵まれた日々。
そこに、私は、自ら終止符を打ちました。このままここにいたら、きっと穏やかに、楽しく、過ごしていける、そうわかっていながら。
院長自ら私の説得に尽力してくれるなど、必要とされていることは、嬉しかった。とても幸せなことだ、と思った。
でも、私の性なのでしょうか。気づいてしまったことに、目をつぶることは、できない。本能に、嘘は、つけない。
「もう二度と、“書く”仕事は、しない」
3年ほど前にそう決めたはずだったのに。
もう戻らない、そう決めて、あの会社にすべてを置いてきたはずなのに。
いつの間にか、心のなかで膨らみきっていた欲望を、見ないフリするなんて、とてもできませんでした。
そのときすでに30歳。
空いてしまった、3年ほどのブランク。周りからは批判的な意見もありました。
「失敗したらどうする?」、「 その歳で失敗したら、起き上がるだけでもエネルギーがいるんだよ?」、「 もうあのころとは違うよ? 」と。
きっと、その通りなんだろうな、って思った。
でも、「やってないのに、失敗したときのことなんて考えられない」、「あのころと違うからこそ、見えてきたことがあるんだよ」、「失敗して起き上がるエネルギーより、やりたい想いを抱えたまま、そこに嘘をついて生きてくエネルギーの方が、考えただけでぞっとしちゃうんだよ」。そうやって、説明しました。
過去最高に難しい就職活動になりましたが、自分のなかでは驚くほど迷いがありませんでした。
「これでダメなら、ちゃんと諦められる」。
自分なりの覚悟を決めた、最後の挑戦、だったから。どちらに転ぶにせよ、いい加減、自分のなかで、けじめをつけたかったから。