すっぴんマスター2018‐読書 | すっぴんマスター

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(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

2018年は『鏡花短篇集』から『憲法の良識』まで、ぜんぶで27冊の本を読んだ。

冊数的には、2017年とまったくいっしょである。そして、一般的にはこの数字は少ないものになるとおもわれるが、ぼくにしてはまあまあ読んでいるほうなのである。無職になってから、たまっていた本を一気に読む感じでいたので、このままいったらけっこういくかな、とかおもっていたのだけど、新しい仕事がはじまってからまったく読めなくなり、ちょうど相殺されるようになってしまった。

バランス的には日本の文学を9冊も読んだし、外文が2冊、ぜんぶ浦賀和宏だけど、ミステリが4冊ということで、半分くらいがフィクションということになった。まあ、もう少し小説を読んでいてもいいよな、ということはおもっていたから、よかったとおもう。

その面で2018年の中心になったのは、まちがいなく田山花袋だった。泉鏡花も含めたいところだが、研究するというほどには読み込めていない。しかし田山花袋にかんしては言い知れぬものがあり、これからも読み深めていこうという決意がどこかあるのである。最初に蒲団などを読んだのは2017年なので、すでに2年くらいはかけていることになるが、その熱は冷めていない。かんたんに手に入るものは限られているので、ぼちぼち全集とかに移る感じになるとおもうが、それだけの価値はある。ウシジマくんの感想を書き始めたときもそうだったけど、どうもそれが正しい評価をされていないと感じるとき、ある種の使命感とともに、こういう熱は発生するようである。くわしい考察は蒲団や『田舎教師』、『東京の三十年』の書評、noteなど読んでみてください。

 

仕事をしていたとき、大型の本、難解な本がどうしても一気に読めず、苦労していたので、無職になってそれをぜんぶ片付けてしまおう、と決意したはいいが、けっきょくはあまり読めなかった。うまくいったらカラマーゾフの兄弟とか、アンナ・カレーニナとか、風とともに去りぬとか、資本論とか、理解できているかどうかよりとにかく読んでいることが大事な、浩瀚な教養本を読みたいとかおもっていたが、ぜんぜん無理だった。しかしまあ、ロック『統治二論』、ルソー『社会契約論』、バフチン『ドストエフスキーの創作の問題』、加藤典洋『戦後的思考』などは、とりあえず読み終えることはできたので、まあよしとしたい。とりわけ法学の分野では、まだ読みたいものがあるので、ちょっとずつ時間みつけてやっていかないと・・・。

 

それから、さっきも書いたけど、浦賀和宏の文庫がぼこぼこ出たのもうれしかった。『HELL』『HEAVEN』なんて、実質安藤直樹シリーズだからな。NITRO再結成みたいなものだよ(いま新しく8人でなにかしようとしているらしいです)

 

さて、こうしたなかで、毎年恒例のベスト本を決めなくては。まあ、決めたからといってなにがあるわけでもないけど、その年のアイコンとして、物忘れの激しいぼくにとっては重要な先行イメージになるのである。

 

小説ではやはり田山花袋、『田舎教師』や『東京の三十年』ということになるし、武者小路実篤の『釈迦』も強い印象が残っている。泉鏡花の『夜叉ヶ池・天守物語』も鮮やかで、ようやく読んだチェーホフの『桜の園』もよかった。浦賀和宏では『十五年目の復讐』という、新シリーズのはじまりともいえるような作品にも出会えた。しかしここではやはり『田舎教師』をあげることにしよう。その前も花袋をあげてしまったけど、傑作なのだからしかたない。

そのほかの散文でも、実をいうと非常に迷うところがある。バフチンの『ドストエフスキーの創作の問題』はその後の書き物みてもかなり影響受けてるし、加藤典洋『戦後的思考』は、批評の結晶みたいな大傑作だった。東浩紀の『観光客の哲学』も、筆者の集大成みたいな感じですばらしかったし、当然ルソーもよかった・・・。丸山圭三郎の『ソシュールを読む』もようやく読めた。すごい困るけど、ここはやはり加藤典洋かなあ・・・。ま、ぼく以外にとってはたいした意味のないことですから。

 

 

読書にかんしてはこんなところで。今年は、そもそもどんなふうに本を買っていくかが不透明なので、そのあたりしっかり安定させてから、たくさん読んでいくぞ。