今週の闇金ウシジマくん/第487話 | すっぴんマスター

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第487話/ウシジマくん73

 

 

 

 

 

 

弱みをまちがいなく狙ってくる滑皮に勝つには、みずから弱みを消してしまうしかない。そう考えた丑嶋は、無事だった高田が連れてきたウサギを殺そうとする。しかしこれは高田に阻まれる。高田は、ウサギをうさぎ島に放すと約束して去っていく。小百合は外国にいる。つまり、いままで滑皮に対してハブのときのようになれなかった理由である三者の安全が確保されたのである。

しかしそれは同時に、丑嶋のまわりからは誰もいなくなってしまったことを指しても入る。丑嶋は(実は豹堂に拷問されているところだった)戌亥から滑皮の予定を手に入れた。あさっての19時まで滑皮は本部にいる。そのあとやる、ということだ。

しかしどうやってやるのか。柄崎はまさかふたりで拳銃握り締めて突っ込むつもりかという。含みのある言い方だ。丑嶋も、そのニュアンスを感じ取っているようで、いっしゅん沈黙する。ちなみに、この車内での会話で丑嶋の表情はまったく描かれない。そっぽを向いて縮こまっている印象だ。

丑嶋も熊倉が生きていたころに本部に顔を出したことはある。監視カメラがすごい要塞みたいなところだそうだ。正面からいくのはアホすぎる。だから、当番でくたくた、注意力が落ちている帰りを尾行して、ひとりになったところを襲うと。滑皮がひとりになるのはホテルの部屋のなかだけ、それ以外はほとんど鳶田がついている。しかし、梶尾がいないいま、滑皮がひとりになる瞬間というのはきっとあるにちがいない。あのチューボーはさすがに側近という感じではないだろうし。

 

 

とりあえず本番までしっかり休みたい、ということで、念のためホテルを変えることにする。気持ちの面でリラックスするためだ。

また交代で寝てるのだろうか、柄崎がベッドに横になっていて、シルエットしかないが、丑嶋は腕を組んで座っている。なので起きているとおもうのだが、静かな部屋のなかに水滴が落ちる音に驚くほどの緊張状態である。眠りかけてるときってよくこうなる。いまは丑嶋が起きている番だが、疲れで眠りそうになっていて、しかし眠れず、弾かれて、音で飛び起きてしまったのだ。その動きに柄崎も目を覚ましている。神経が昂ぶって、二日間ほとんど寝れてないそうなのだが、こうしてすぐ起きてしまうくらいだから、柄崎もそうなのかもしれない。いや、でも、わずかな時間にいっしゅんで熟睡できるひとっているからな・・・。

 

 

柄崎はいう。そんな精神状態で大丈夫なのか、ほぼ無策であの滑皮を殺せるのかと。要するに、泣きを入れようと持ちかけたのだ。土下座して命乞いをしてもいい、謝って、ヤクザになって、指示通り豹堂を殺そうと。じぶんたちが使える人間だと示せれば、ほかの誰かを替え玉に出頭させてくれるかもしれない。鮮やかに豹堂を殺してみせて、しかも服従を誓ったら、たしかにそうなるかもしれない。柄崎には決断の必要なセリフだったろうが、しかし、同時にずっと考えていたことでもあるのだろう。丑嶋のためであり、そしてそれはじぶんのためなのだ。だが、柄崎がエゴから強い丑嶋を求める段階は、甲児のときに克服しているだろう。これは、一周して、丑嶋のためでもあるのだ。

 

 

しかし丑嶋はぶれない。彼のいうことは一貫している。心が折れた時が本当の負けだと。滑皮の言いなりで生きのびたとして、その人生になんの意味があるのか。じぶんの生き方は、じぶんで決める。最後まで変化することのない、彼の芯のような考え方だ。

 

 

柄崎は、丑嶋の飲みかけの水をとって、もらうという。丑嶋は断るが、柄崎はかってにそれをとって、もう負けた、いや、最初から勝負はついていた、という。つまり、最初から、じぶんたちはなにも選んでいなかった、ということだ。丑嶋は現実逃避するように眠るのであった。

 

 

 

靴を履いたまま眠っていた丑嶋が、目を覚まして目にするのは銃である。次に、例の外国人ふたりが目に入る。ホテルを変えて安全になったはずが、部屋のなかまで踏み込まれ、絶体絶命の状態になっているのだった。

 

 

 

 

 

つづく。

 

 

 

 

銃をもっている男はベッドの上にあがっているので、その揺れで目を覚ましたらこうなっていた、ということだろう。

丑嶋たちはホテルの場所を変えている。それだけ外出しているということにもなるので、見つかる危険性は高まるから、いちおう見つかっていないはずの最初のラブホとそう危険性にちがいはないとおもわれるが、丑嶋としては気持ちのうえでこれは必要だったはずだ。いずれにせよ、無数にあるラブホテルのうちから、一晩でたやすくひとを見つけ出すというのは、いくら外国人が優秀だとしても、ふつうはむりだろう。となれば、これは柄崎が滑皮に伝えたのである。そうするほかないと、彼は判断したということなのである。これが柄崎の連絡に寄るものだとしたら、例の、柄崎家での母パーティーのときに滑皮が場所を知っていたことも、柄崎がもらしたのではないかともおもえてくる。

 

 

丑嶋の一貫性は崩れないが、その一貫しているとおもわれていたものが、じつは選択させられたものだった、という柄崎の発言は、考えてみれば新鮮だ。これがどういうことなのかを、今回は考えていこう。

 

 

今回丑嶋じしんがいっていたように、このままいけば死ぬか一生追われるか滑皮の手下になってしまうだけで、じぶんの生をまっとうすることはできない、そういう理屈で、何回か前に丑嶋は自殺をしようとした。そうすれば、少なくとも「選び取る人生」はまっとうされるので、丑嶋の信念は貫かれることになる。これを停止させたのは、柄崎母の誕生日であった。あのときの丑嶋はこころここにあらずという感じで、それによって気持ちが覆ったというものではなく、どちらかというと流されていたというところだったろうが、とにかくそれでとまった。

丑嶋の作戦は、これまでと比べるといかにも大雑把である。状況としては高田などの心配事が減って、むしろ自由に動けるようになっているはずが、ハブや、つい最近の甲児とたたかったときのような切れ味がない。計画を描いた図案のようなものがあって、丑嶋はそれを、将棋でもするみたいに動かして眺めているだけだったのが、巨視を失って、とりあえずそこにいってみてあとはそのとき考えよう、というような近視眼的なありようになっているのである。どうしてこういうことになるのかというと、丑嶋の一貫性である。丑嶋においては、このままでは人生を選び取り続けることはできなくなる、だから殺す、というところなわけだが、こうすることで、彼はむしろコントロールされている。ハブを殺せたのは、ハブが殺意をもって丑嶋に襲いかかったからである。甲児を倒せたのは、その関係性のなかに金が介在したからである。ところが滑皮はそうではない。事態は非常に複雑になっている。丑嶋を襲うにしても、彼自身は動かず、そこに豹堂やシシック、外国人という要素が幾重にも重なっている。進行方向にある障害物をどけるようには対応できないのである。そのなかで、選び取る人生を持続させようとする丑嶋は、必然のように、滑皮を殺すと決意する。丑嶋としては、それは彼の選択である。それで殺されても、あるいは成功しても、それはじぶんの選んだことなのであるから、「すべては自己責任」である以上、そのあとのことを引き受ける覚悟はある。しかし、冷静に考えてみれば、こうした「選択」じたいが、滑皮の存在がもたらしたものなのだ。

そして、ここでおそらく重要なことは、それが「滑皮だから」、つまり、滑皮が強力な存在だから、そうなっている、というはなしではないということである。気になるのは、あの謎めいたペットボトルの水のくだりだ。飲みかけのそれを、柄崎はもらうというが、丑嶋は断っている。しかし、そのことに柄崎は返事をしないが、もらったと見ていいだろう(次のページではペットボトルじたいなくなっている)。いずれにしても、丑嶋がだめだといっても、彼の意に反して、喉がカラカラにかわいた柄崎がいきなりキャップをあけてがぶがぶとそれを飲みだす、という状況はありえるわけである。反論しつつもまだ敬語を続けて、丑嶋の仲間であり続ける柄崎が、そのようにして水を奪うことは可能なのだ。そういう、ごく小さな出来事にかんしても、人間は、複雑な決意と妥協と無意識のなかに生きている。「選び取る人生」というモデルじたいが幻想なのではないかと、柄崎がいっているのはこういうことなのだ。

 

 

このことにはおそらく、高田たちの安全確保の件もかかわっている。高田と小百合の位置が甲児たちに握られ、その高田のところには聖域たるウサギたちがいるという状況で、丑嶋は強い緊張感のなかで生き方を模索していた。しかし、その彼らの安全は、いま確保された。それであるのに、どこか丑嶋のまわりには虚脱感のようなものがただよっている。1年自由な時間があったらすごい作品がつくれるのに、とくちにしていたアマチュアの芸術家が、いざ休みになった途端以前より創作をしなくなってしまうようなものだ。そして、否定できないさびしさだ。丑嶋は、カウカウという、みずからの身体のような会社を通して、事物を金に換算した世界認識を行い、裏社会を掌握してきた。これが、安全確保とともに少しずつ解体され、彼はもとの単独の丑嶋にもどろうとしている。つまり、これを逆からいえば、選び取る人生を持続させるカウカウという様態は、仲間の危険とトレードオフだったのである。くちにしてみたら当たり前のことなのだが、だからこそ、あの、高田たちが危険であるという緊張感のなかで、丑嶋は甲児を倒すことができた。こういう状況で、果たして丑嶋は、カウカウを通して「選び取る人生」をまっとうしているといえるだろうか。高田たちの安全が確保されるということは、丑嶋のもとを去っていくということと同義なのである。としたとき、むろん本人たちの同意があるとかそういうはなしをすることもできるが、それはほんとうに丑嶋の「一貫性」にもとらない、みずから選択する人生だったといえるのだろうか。

 

 

こうしたことを、圧倒的に強い他者である滑皮を通じて、柄崎は感じ取った。「選び取る人生」じたいがそもそも存在していない、幻だったのだと、彼は理解したのである。それをわかろうとしない丑嶋に、柄崎はあたまを抱えるのだ。柄崎の丑嶋へのおもいは「最強の柄崎」からはじまっている。柄崎界最強になるためには、唯一無二の存在である丑嶋社長をサポートする右腕になればいいと、こういう考えがあった。これが、柄崎に丑嶋を崇拝させる。だが、このじてんでの柄崎は、あくまでじぶんのために丑嶋をサポートしている。じぶんが「最強の柄崎」でいるために、丑嶋には全能であってほしいと、こういうふうに考えていたのである。このことがよくわかったのは、甲児にいじめられていたときだ。あたまを下げる社長なんか見たくないと、柄崎は正直にいったわけである。

これは柄崎のわがままだった。だから、丑嶋のちからが失墜すると、柄崎というアウトローのありようも価値を失っていく。これが彼の、若いころを連想させるネットカジノの描写につながっていた。丑嶋に従う以前のなにものでもないころの柄崎があたまをもたげはじめて、タメ口もきかせたのである。この状況を脱するためには、じっさい、彼には滑皮に屈服する以外道はなかった。滑皮がいつか足代としてくれたお金は、その切符代だったのである。しかし柄崎はこれを投げ捨てた。このとき、彼の丑嶋へのおもいは、エゴイズムを克服した。このままいっても丑嶋は落ちていくばかりで、となれば「最強の柄崎」を持続させることもできなくなる。だが彼は丑嶋を選ぶのだ。それは、エゴイズムを超えた情念があったからだ・・・などということはいくらでもいえるが、人間としては当たり前の感情ともいえる。露骨ないいかたをしてしまえば、以前まではつきつめると損得勘定のつきあいだったものが、あのときはじめて「人間関係」になったのである。

今回柄崎がいったこと、滑皮に屈服しようということは、以前のあのタメ口になって怒鳴ったときと、内容的にはほぼ同一である。つまり、柄崎は同じことを二回いっているのである。だが、それをしゃべっている人物が異なっている。タメ口の柄崎は、なにものでもない、十代の、わがままな柄崎である。彼はある意味、じぶんのために、このままではじぶんは「最強の柄崎」ではなくなってしまうじゃないかと、怒ってみせたのだ。ところが今回はそうではない。関係性としてはあくまで上下はっきりしたものだが、それも、たとえば敬語にしても、上下関係を明瞭にさせるための道具というよりは、純粋な敬意の表現になっており、そういう穏やかな「人間関係」のなかで、「助言」が行われたのである。

 

 

かくして、柄崎は行動に出た(っぽい)。丑嶋の考える「選び取る人生」は幻想であり、錯覚にすぎない。なんとかこれを説得しないと、丑嶋は死んでしまう。そうして、どういうふうにはなしをもっていったのかわからないが、柄崎は滑皮に居場所を伝えたのである。

とはいえ、ここまでくると、命にかかわってくることなのであるし、柄崎が身を守るために逃げ出した、というようなことも考えられないではない。尊敬するひとが頑迷な考えにとらわれて自滅していくなか、いっしょに沈んでいくわけにもいかず逃げ出す、ということもまた、「人間関係」では自然なことだからだ。そのあたりは次回、外国人たちがどうするかでわかるだろう。殺すのであれば、待つ理由もないだろうから。

 

 

丑嶋がここまで態度を変えない理由としては、もっとも大きいものは竹本優希がある。というか、それこそが、丑嶋の一貫性を支えるとともに、それを後戻りのできないものにしているといっていいだろう。丑嶋は、彼の行動指針にしたがって、同様にじぶんの行動指針にしたがって極端に走る竹本を地獄送りにした。つまり、ここで折れるなら、あのとき折れればよかったのである。転じて、竹本を地獄送りにした以上、丑嶋は絶対に折れることができないのだ。丑嶋のなかに住んでいる竹本が赦しをくれれば、あるいは好転もあるかもしれないが・・・。

 

 

 

 

 

 

↓闇金ウシジマくん 45巻 2月28日発売予定