すっぴんマスター2018‐漫画 | すっぴんマスター

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(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

さて、次は漫画にかんして駆け足で振り返るぞ。

 

読書メーターによれば、去年、2018年は『からかい上手の()高木さん』1巻から『重版出来』12巻まで、148冊の漫画を読んだようである。これは、かなり少ない。2017年が248冊で、これは、2016年が272冊、2015年が277冊ということで、ちょっと読みすぎ・買いすぎだから抑えたものだったのだ。

まあ、実をいうと理由ははっきりしている。閉店である。ぼくはもともと漫画をたくさん読む人間ではなかった。それが、書店員になって、コミックを担当することになって変わったのである。ひとに説明するときには、勉強のため、商品知識のため、ということになるが、もはやそういう背景は失せていた。たしかに最初はそういうつもりだったのかもしれないが、そうするうち、ぼくに漫画は欠かせないものになっていき、気がつくと年間300冊近く読むようになっていたわけである。ぼくでは、ひとより漫画にくわしくないという劣等感があったので、追いつかなければならないということもあった。少女コミックはもちろん、芳文社の4コマ系やスクエニ、角川なんかのゲームやラノベが原作のおっぱいがすごい系の漫画なんかも、書店員にならずにいたらきっと読まないばかりか存在を知らなかっただろう。けれども、いつしかそういうジャンルの感覚は消えていき、ただの漫画好きになっていったわけである。

そういうところで閉店が決まった。そこで、漫画にかんして考えたことは、まずいまのように新刊を陳列することはなくなる、ということである。まさか数ヶ月後に、書店に似たなにかで労働に似たなにかを開始するとはおもっていなかったし、げんに、いろいろ理由があって、そこでの買い物はしていないのだが、そのときはともかく、いまのようにほいほい本を買うことはなくなるだろうというふうに考えたのである。そこで、ぼくは新刊購入を抑え始めた。非常に気持ちの重いことではあったが、お金の問題もある。ぼくにはどんな漫画もおもしろいので、切るといっても、これはもうつまらないからいいや、ということにはならないのだ。だから、心底新刊が楽しみである、というもの以外の新刊購入を、閉店のちょっと前からひかえはじめていたのである。そうすれば、無職になって以降のお金が多少確保されるはずだし、無数に膨れ上がっていた連載作品の新刊発売を網羅して把握しつける必要もなくなっていくはずだと、このように考えたわけである。

それまでは、毎日店にいて、毎日コミック出していたわけだし、前月には翌月発売の新刊をすべてチェックしてもいたので、買い逃すことはまずなかった。まれに、刷り部数が極端に少なくて、頼んだのに入ってこなくて、気がつかないでしばらくたってしまう、なんてこともあったが、そういう作家はマイナーなものとしてもともと意識のうえにのぼりがちなので、すぐ気がつけたのである。それが、退職して以降は、地道な作業になる。なにしろ地元に本屋がなくなってしまったので、毎日通って新刊エリアをみるということすらできない。なので、出版社のサイトにいって、今月の新刊を一覧で見て、覚えておく、というふうになっていった。書店員でないふつうの漫画好きもたいがいはそうしてるのかもしれないが、本屋が近くにあればもう少しはなしは変わってくるだろう。それがないのだから、そうする以外ない。あの店に通ってたお客さんたち、いまどうやって漫画買ってるのかな・・・。

 

しかし、いまぼくはこうして、書店勤めに戻っている。ではもとのように漫画を買いまくっているのかというと、そうなっていない。漫画どころか、ぼくはまだ自社で買い物をしたことがない。いや、じぶんがほしいものを買ったことがない(コノテーション)。なぜかというと、コンプライアンス的にどうなのか微妙なところで、くわしくは書けないが、漠然とした言い方をすれば、従業員が自社でほいほい買い物ができるような環境ではないのである。愚かとしかいいようがないが、なるべく買い物をしにくいように制度設計されているのである。どういうことなのかは、ご想像にお任せする。

そういうわけで、本との対面にかんして、いまぼくが書店員であることは、少しも勘定に入らない。そればかりか、新刊をチェックしようとおもえばできるという環境になったせいか、出版社のサイトをみるということさえあまりしなくなってしまっているのである。だから、11月以降はあんまり漫画を読んでいない。ふつうの小説の新刊とかも、情報が入ってこないので(誰も本のはなしをしないので)、けっきょくはツイッターとかで知るほかない情況である。そしてなにかの発売を知っても、そういうコンプラのかかった制度設計なので、ネットで購入すると、こういう状況である。

 

 

そんな背景なわけで、2018年印象に残った作品はなんだろうと読書メーター振り返ってみても、新しく取り入れた漫画というのはほとんど見当たらなかった。新作としてもっとも心動かされたのは、奥浩哉の『GIGANT』である。『GANTZ』、『いぬやしき』の系譜にある大作で、同時に、新しいチャレンジにもなっている。主人公の女の子はAV女優で、また例によっておっぱいがすごいのだが、これが、どこまでもからだを大きくすることのできる能力というか装置をからだに埋め込まれる。この意味は、2巻でわかることになる。まだ謎だらけだが、作中のインターネットの世界には書き込まれた願望が投票によって選ばれたとき必ず実現する、という謎のサイトがあって、当然、カタストロフィ的な願望が書き込まれることもあるわけである。彼女の能力はある謎のおじさんから受け継いだものなのだが、これはどうやら、そうして、人間の想像力がもたらすカタストロフィに対応するものとしてあるようなのだ。まあとにかく超おもしろいから、いままでの作品未読のひとでも関係ないわけだし、これはおすすめです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それから、『斉木楠雄のサイ難』が完結してしまったのもなかなかさびしかった。『嘘喰い』も2018年だったような気がしていたけど、最終49巻が出たのは2018年だが、完結じたいは2017年だったみたい。

特に斉木楠雄にかんしては個人的な感傷も手伝った。作者の麻生周一は、書店員になる前から好きだった。『ぼくのわたしの勇者学』という作品である。ぼくの大好きなうすた京介フォロワーというか、隠しきれない強い影響が感じられたが、ぼくはそれも好感をもって受け止めていたし、そういうのは抜きで、勇者学を楽しんでいた。これを、麻生周一は斉木楠雄で乗り越えた。マサルさんやジャガーさんなど、ある超人・奇人がいて、平凡なツッコミがこれに振り回される、というのがうすた京介が作り出した黄金の図式であった。基本的には、逸脱するボケをツッコミで引き戻す漫才の手法といっていいだろう。勇者学もこの枠組みだった。これを、斉木楠雄は超越した。主人公の斉木楠雄は、まちがいなく超人であるのだが、しかしツッコミなのである。彼はむしろ、彼から比べれば平凡なはずの周囲の人間たちの奇怪な行動によって振り回されるのである。この設定が完成したときに、麻生周一はうすた京介を克服したとぼくは考える。ギャグ漫画が26巻も続いたことは、人気もそうだろうが、この設定が作者のなかで安定したものとして、じぶんのものとして確立していたことを示すだろう。

こういうわけで、いち読者として麻生周一を応援するものでもあったわけだが、これが、ちょうどぼくがコミック担当としていろいろ任されるようになった時期と対応していたのである。ジャンプNEXTだったかな、たぶん0巻とかに入っている、まだ顔とかが安定しないころのはなしを雑誌で読んだ記憶もある。これが2010年とかで、ぼくが主任パートになって店を丸投げされた時期なのだ。それから、斉木楠雄のコミックのすべての刊行を、ぼくはコミック担当として、新刊台に陳列してきたのである。そして、奇しくも夏の閉店時に完結となったわけだ。好きな漫画なので、ジャンプの場所でちょっと展開するものがないというようなときは(そんなことはあまりないが)、すぐこれかワンパンマンをたくさん注文して積んでいたので、うちの店はこの2作の売り上げが、倍のサイズの店と同じか匹敵するくらいになっていた。周辺のちびっこたちはみんなこれを読んでいるはずである。タイミング的に最終巻だけ展開できなかったのは残念だが、それでも、ずっと手にかけることができたのは、誇りにしたいとおもう。

 

はなしとしては2017年になるわけだが、嘘喰い完結も、けっこうおもうところがある。これは、ぼくが入ったばかりのころ、いまも付き合いのあるオタクの先輩社員のひとに貸してもらって知った漫画だったのだ。先輩はたんにオタクとして「布教」しているだけなのだけど、いろいろな漫画を知りたい、また知らなければならなかったぼくにはたのもしく、ほかにもいろいろ、たくさんの漫画を教えてもらった。男の娘の漫画とか、あのひとが先輩でなかったらたぶん生涯読むことなかったよな・・・。横山光輝の三国志も、専用の箱ごと貸してもらって、3年くらいかけて事務所で読破しましたよ。そういうなかで『嘘喰い』はある意味かなりふつうの漫画だったわけだが、まーおもしろくておもしろくて、全巻そろえてはいないのだけど、お気に入りのところは買って、何度も読み返してきた。基本的に門倉さんと箕輪が好きなので、警視庁地下ラビリンスのところはすごい読んだな。お屋形さまとのたたかいがはじまってから、カバーの装いを変えて、第2部的な雰囲気になっていたから、これからもっと続くとおもっていたのだけど、でも終わるべきところでさくっと終わった感じがして、迫先生らしい気もする。でも、ときどきさびしくなるので、マルコのスピンオフとか書いてくれないかな・・・。

 

それから、以前もどこかで書いたけど、ぼくのなかで『私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!』が再燃している。これも、『NEW GAME』とか『からかい上手の高木さん』とかといっしょで、勉強の一環で読み始めて、いまではふつうに新刊が楽しみになってしまった作品のうちのひとつだけど、それでも、こんなにおもしろかったかというほどおもしろくなっていて、いまもパソコンの横にワンパンマンといっしょに全巻積んであって、ときどき拾い読みしている。しかし、どうも世間の評価は逆なようである。ぼくは、いってみればいまの百合的な展開が好きなだけともいえるのかもしれないが、じっさいいままで距離のあった登場人物たちとの新しい交流がわくわくして、おもしろくなっていると感じるのだけど、もとのぼっちのもこっち、孤独を別の意味に読み換える痛いもこっちを好ましくおもっていた読者からすると、つまらなくなったということのようだ。ぼくはどの段階のわたモテも好きだが、まあそれもわからないでもない。ともかく、こういう作品を楽しめる感性もまた、前の職場で手に入れたものである。大切にしていきたい。いや、たぶん書店員になってなくても、知らないだけで、たぶんこれはおもしろいとおもってたとおもうけど。

 

 

こんなところで。いまの生活では漫画との新しい出会いは望めないので、なにか新しい方法を考えないとな・・・。