北海道 洞爺湖の風景 2015 5月

Simplog


愛という海から


「自分」という水を汲んで生まれた命


今は海には見えないかもしれないけど


愛の成分になんら変わりはないんだよ


いいや本当の君は愛の海そのものなんだ


それに気付けば何時か愛の大海に帰るよ



今日の論文は昨日の実験!貴方は左脳型人間?右脳型人間? の続編。



 仏教の究極の目的は解脱である。あるいは「仏心の成就」でもある。

 それでは「解脱(げだつ)」とは何か?


 それは人間が持ち合わせた境涯に於いて、私たちは輪廻(生まれ変わり)を繰り返しているが、その繰り返しの内容は「地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天の各界に於ける生命状態)」であり、それを繰り返す原因は、愚か、無知、拘り、エゴなどで、これを「六道輪廻」と呼ぶ。人間はこの渦からなかなか抜け出すことはできない。

※参照↓

愛は調和と昇華「幸福の仏法論」 /自由詩人 松尾多聞


 これは因果の法則に則った償いの生命生活と言っても過言ではない。キリストも「麦は撒いたように刈り取られる」と言っているのがこれである。そしてそのループを乗り越えて「声聞、縁覚、菩薩、仏(四聖道)」の命を常に顕在化できれば「解脱」。つまり輪廻の呪縛から開放され、「彼岸」に到達すると言うのである。



 これを現代では「アセンション」と呼ぶ人もいるが、ここで大切なのは、その人の「解脱」を他の人は絶対にどうすることもできない。あくまでもそれはパーソナルテーマであり、「浄化」などはもってのほかであり、解脱とはあくまで個の生命が進んで行う「昇華」だということを忘れてはならない。


 昨日僕は量子物理学の説明を簡単にした。ここで量子物理学が極めて仏教に歩み寄ってきた事実を加味しながら、現代科学で証明されたその主意を以下のように集約してみる。


1 この世界(六道輪廻)は本当は存在しなく、「心(意思)」が創り上げたもの。


2 この物質世界は全体から見れば特異なものであり、極めて限定的な殻の中にある。


3 量子は生命と同じく「個であるとともに波動」であり、全てが刹那に全宇宙とつながっている。


4 世界のほとんどを占める「この世」以外には時間はなく、量子運動のように全てが「今」である。


5 素粒子が瞬時にその波動を宇宙全体に普遍化(広がり)するものであれば、その構成で成り立つ人間もまた宇宙である。


6 ならば、人の愚かな想念で創り出したこの世界から解脱する方法を見出すことができる。それを説明したのが仏教である。


7 素粒子の波動が光速をたやすく超えて瞬時に宇宙を駆け巡るならば、人間の思念も同様である。


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 量子物理学を高度に理解した人々は一様に、その実験結果と仏教が一致することに驚きを隠さない。


 そして現代科学を哲学という観点で研究を続ける思想家でさえこれを否定してはいないのだ。

 イギリスの著名な思想家 C・ハンフレーズは、その著書「ブッティズム(仏教)」で次のように語っている。

「私の研究によれば、仏教は宗教というよりも、もはや精神の哲学であり、生命に対峙するその姿勢は近代科学のように冷静であり、かつ客観的だ。それにもかかわらず仏教は広く生きており驚くほど生命に満ち溢れているのだ。」と。

 これらのことを要約してキリストも語っている。

「私たちが住む世界は私たちが潜在意識で思っていることが反映した世界であり、人間の想念が創り出したものだ。」と。

※関連記事:創作の鼓動・つながり|自由詩人


 量子は人間の想念に深くかかわり、そして共鳴すれば瞬時に世界を創造する。その思念のレベルに合わせて。それが仏教で言うところの「十界」である。如何に人の純粋な「想い」や「祈り」が大切であり貴重なものかを現代科学は証明したのである。


 中学校の教科書で習った経験もあるだろうが、僕が読んだ聖書と仏典を究極的に言えばキリストは「隣人愛」を説き、釈迦は「慈悲」を説いたと書いてあった。これを簡単に説明すれば、キリストは「愛しなさい。」としか言っていないし、釈迦も究極の教え「法華経」では「利他」のみを説いているといっても過言ではない気がする。


 それでは釈迦が言う「解脱」と、キリストの言う「神の国」へは、どうやったらたどり着くことができるだろうか。ここではそれも量子物理学的な発想で述べることを試みることにする。



 ここまで説明したが、原子には本当は実体がないスカスカのものだが、確かにパワーとして存在して普遍的なその波動は時間を超越して宇宙に広がっている。そして生命も波動というパワーであり、その姿を「無常」としながら確かに存在している。思念とは生命のニアリティーであり、その置き場所を仏教は「利他や慈悲」にすることを教えている。


 では脳とはどんな働きをするのか。脳は物質界で生活する私たちには大切な器官であることは言うまでもないが脳医学からの見地で見ると人間の脳は9割は使われていないのだ。生物は進化を繰り返すはずだとダーウィンは進化論で唱えているが、ここ脳についてはまったく当てはまらない。


「人間は脳で考えるのではなく、脳はコンピューターのようであり、心というプログラマーが別に存在して脳を操っている」大脳生理学者(ノーベル賞受賞者)ブライアン・ジョセフソン


 そこで、、「あの世」を証明した量子物理学の見地から考えると脳はパソコンに似ている。そしてそのプログラムを作成し、アプリケーションを駆使しているのが「リアリティー(生命)」である。という認識だ。そう、この宇宙理論と命名されるパソコンはたくさんの機能を内在しているにもかかわらず、私たちがこの現実世界で使っているように1割以下しか機能していない。


 量子物理学によると私たちの物質世界は、この大きな世界から見ると極めて限られた小さな世界であり、本当の世界である「あの世」と密接に波動を共有しているという。しかし、その影響をほとんど一方的に受けているのが「この世」だと仮定できるそうだ。


 使わない器官は退化する。それは進化過程であれ、現状の生活であれ、はっきりと証明できる医学論であるにもかかわらず、1割以下しか使われていない人間の脳は、その法則から離反している。その理由はこのように僕は推測できる。


 素粒子の波動が思念により一瞬で全宇宙へ拡散するなら、僕らの住む「この世」にも「あの世」の思念が大きくかかわっている。よって1割以下しか機能しない「脳」でさえ、「あの世」には10割使える「神」のような生命体が存在する。だからこそ、その波動をかたじけなくも頂戴して私たちの脳は退化していないし、いみじくも進化の可能性を残している。といえる。


 アメブロの文字制限により、簡単な大枠の説明しかできないのが申し訳ないが詳しく聞きたい方はコメント欄に質問を。最後になるが、今日の究極の命題「解脱」に至るのはどうしたら?に言及してお別れする。



 脳を2割活用できる「思念のアプリケーション」をあなたが思念として挿入できたと仮定しよう。脳細胞は互いに密接に関係しつながっているので、たった一割のCPUの「使用率増加」で何百倍も性能が活かされるはずだ。それを現実世界に於いて具現化できれば、人知が及ばないような「超能力者」になれる。まるであなたは神か仏かと崇拝されることだろう。科学的に言えばこれが「解脱」であり、「神の国」への旅路なのだと僕は思う。なぜ思うかといえば、0.00000001%ほど、僕のCPUが多く使用された経験があるからだ。それだけで大きな力をいただけた。


関連記事:自由詩人の【科学エッセイ】愛の波動


 さぁ、「解脱」するための思念(この世界を構築するもの)とはなんだろう。貴方の心のリミッターを解除するものはなんだろう。それは量子物理学が認めている仏教の中の最高書籍「法華経」に書いてある。「利他」だ。そしてキリストのいう「普遍的な愛」だ。そしてそれは「信じ実践する」しか方法がない。さらにそれは、自分で感じることしかできない経験により作成されるアプリケーションなのだ。この量子物理学が飛躍的に発展した「コペンハーゲン解釈」 とまったく同じ原理である。


 閉じられた脳の機能が開花するための「解脱」は生命の波動「思念」というアプリケーションにゆだねられる。そしてそれを仏教では「即身成仏(境涯が上昇すれば一瞬でアセンションできる)」と書いてある。聖書にも次のように説明がある。


「そのとき、あなたたちはサナギが蝶に変化するようにして神の国に入る。」と。


「あなたに奥義を教えよう。私たちすべてが眠り続けているわけではない。終わりのラッパの響きと共に、またたくまに、一瞬のうちに変えられる。(中略)このとき、聖書に書いてある言葉すべてが成就される。」と。(コリトン人への手紙1-15章)


 輪廻の法則を釈迦は説いた。そしてキリストも言及しているにもかかわらず、中世の暗黒時代に聖書が多くの部分を改ざんされたのが僕は悔しい。本当はきっと同じことを説明しているのだと思うんだ。


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    「幸いの道」


     歩き疲れても
     道はまだ続く


     空を見上げると
     星たちがいざなう


     命を燃やすなら
     あるがままでいて

     花のよう星のよう
     美しい貴方でいて



     ある日止まっても
     幸福は待っている


     息を詰めながら
     いつも自分を感じて


     耳をかたむけて
     世界の旋律を聴いて


     優しくなれるなら
     それが君の道しるべ




     自由詩人・松尾多聞




法華経の真実 七つのたとえ話 完結編

◆法華経の真実 七つのたとえ話◆


・その1 譬喩品第三
「三車火宅の譬え」


・その2 信解品第四
「長者窮子(ちょうじゃぐうし)の譬え」


・その3 薬草喩品第五
「三草二木の譬え」


・その4 化城喩品第七
「化城宝処の譬え」


そ・の5 五百弟子受記品第八
「貧人繋珠(衣裏珠)の譬え」


・その6 安楽行品第十四
「髻中明珠の譬え」


・その7の1 如来寿量品第十六


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2015.07.12 美瑛の空に鳳凰を見た↓
不死鳥 鳳凰