この世界に無駄なことなど無いというなら、簡単じゃないか。
浄化ではなくって昇華が必要だ。いったい何を浄化するの?
無駄なものがない世界なのに自分こそが無駄なのかな?
もう、その考えは自己崩壊していることが簡単にわかるね。
その二乗を諌め、昇華のみに生きた人の話をしましょうね。



ねぇみんな!
いっしょに幸せになろうよ!



人は怪我をすると薬を使います。

しかし、怪我をしなければ薬など必要ありません。

反対に

人のために尽くすことは大変なことです。

しかし、忍耐で揺るぎなく続けると、いつか振り返るときがきます。
するとどうでしょう、あの苦しみや悲しみが一切消えていることが
わかるのです。それは何よりも尊い妙薬であり、どんな行動や
医学よりも効果が高いものです。

その忍耐と愛を法華経は教えています。信じること。聡明に。純粋に。

時間は過去からではなく未来から流れてきます。その潮流は貴方がつくります。どうぞ、今を思いっきり楽しみ、未だ来ない未来を心配しないでください。

法華経は今の気持ちを未来に変換するのです。

これは、私の長いボランティア人生で唯一見つけた宝物です。決して譲ることが出来ない私の経験による哲学です。利他とは、人に利益を与えることではありません。自分が唯一、生命を昇華させることができる方程式なのです。それが現代の法華経でもあります。


※ ありがとうもいらないイケメン!
「札幌豪雪救援隊」出動!


自由詩人!松尾多聞のブログ

 四十余年未顕真実(しじゅうよねんみけんしんじつ)。釈迦が菩提樹の下で悟りを得てから「この42年間私は真実を顕してはこなかった。」と思いきって 語ったのは法華経のプレリュードである無量義経。そして釈迦が法華経を初めて語りだす方便品では「正直に方便を捨て、但(ただ)無上道(むじょうどう法華 経)を説く。」とあります。

 まぁ、高等数学の微分積分を人に教える場合には、まず加減乗除の計算を教えなければ理解出来る訳が無いのと同じです。釈迦は無知の衆生に幼稚園の阿含 (あご ん)経から教えを始め、方等(ほうとう)・般若(はんにゃ)と順を追って華厳(けごん)経まで語った後(説いたのは華厳が先です)、人々の準備が整ったこ とを見て、「四十余年未顕真実」つまり、言いかえればこれまでの説法は幸福と言う塔を築くための足代であり、それは真実ではない。これから説くことが真実 である。とはっきり宣言してから状況説明である妙法蓮華経序品第一がはじまり、法華経初めての釈迦の言葉である方便品第二で「正直に方便を捨てて、但(た だ)無上道(むじょうどう法華経)を説く。」として重ねて法華経のみが唯一無二の無上道(成仏の道)であることを宣言しました。


般若心経 は菩薩が釈迦の教えにより悟った感想を在家に教えているものであり、まして仏の言葉でもありません。法華経を知る参考にはなりますが、法華経を置いて信仰 の中心とすると、自ら得道を遠ざける原因をつくるのは当たり前の話ですね。大乗仏教の各宗派が勧めて使用していますが、空観を知った菩薩の感想と無量諸仏 出生の本懐である法華経は比べるべくもないものです。「これをやれば私は大丈夫」。このような人々を釈迦はニ乗として法華経で叱りつけています。(ニ乗不 成仏)

※これを見ているお金のため、知っているのに人を口先だけで導くお坊様。意見があるならいってごらん。みんなの見ている前でコテコテにしてあげるね。僕はあなたたちを許すことができません。それがいかに罪深いことかも教えてあげるよ。もし貴方が三度、法華経以外を無上の得道であると説けば、貴方は三度、億劫のあいだ無間地獄に堕ちます。並行品と同じです。似ている偽物ほど罪が深いのです。

自由詩人!松尾多聞のブログ

多聞はブログランキングに参加しています。
あなたの優しさでワンクリックお願いします。↓


シリーズ法華経の真実 七つのたとえ話 その6


 簡素化過ぎるかもしれない。しかし、文章に制限があるためそのように書かざるを得ないのですが、釈迦は法華経勧持品第十三までは数々の衆生に因果の経緯と成仏(阿耨多羅三藐三菩提を得る)の授記を与えます。それが悪人とされる堤婆達多であれ、女人でしかも子供で畜生の身をもつ竜女であれ。心のリアリティ(信解)は男女年齢を超えて生命として成り立ち、しかもそれは時間を超越して刹那に作用する事を教えています。(因果倶時)そして、それを成し得る生き方とは法華経のみであることが何度も強調されます。

※阿耨多羅三藐三菩提【あのくたらさんみゃくさんぼだい】サンスクリットanuttara-samyak-sambodhiの音写。無上正等覚(しょうとうかく)と訳し,仏の悟りの智慧(ちえ)のことで,この上なくすぐれ,平等円満である意。

 それでは法華経の生き方とは?それを釈迦が説くのは法華経法師品(ほっしほん )第十あたりからだと思います。今がその時であり、その方法とは?釈迦はそこで次のように語るのです。

自由詩人!松尾多聞のブログ

~略記~法華経法師品第十(如是我聞)
ここからは仏の言葉です。


「わたしは実に多くの経を説き、今も説き、これからも説くでしょう。そのなかにあって、この法華経は最も信じがたく解りがたいのです。法華経は諸仏の秘奥であり、未だかって明らかには説かれてこなかったのですから。しかもこの経は世の中から受け入れられず、如来(釈迦)がいる現在においてすら、疎まれ、謗られていますね。まして仏の入滅の後にはなおさらにそうなるのです。

まさに知りなさい。如来の入滅の後に、この経を信じ、弘める者は、如来の加護に守られ、如来に会い、如来に頭をなでられるでしょう。この経を見、聞き、信じ、受け入れる者は菩薩の道を歩み、阿耨多羅三藐三菩提が近くなるでしょう。

たとせば、ある人が水を求めて地を掘ったとします。乾いた土を見れば、まだ水は出ないと知りますが、それでも倦まずに掘り続けて湿った土が出てくれば水が近いと知ることになります。菩薩もこのようなものなのです。もしこの経を聞かず、知らず、学ぶことなければ、道は遠くなります。もし聞き、知り、学べば、必ず阿耨多羅三藐三菩提に近づくのです。なぜなら、一切の菩薩の阿耨多羅三藐三菩提はこの経から生ずるからです。この経は方便の門を開いて、真実を開示するものです。この経は奥深いので人が容易に理解できるものではありません。それゆえ如来が来て、菩薩を成就させるために、この法を説くのです。

もし人が如来の入滅の後に、この法華経を説こうとすれば、どのように説いたら良いでしょう。その人は如来の部屋に入り、如来の衣を着、如来の座に坐して、この経を説くのです。如来の部屋とは、慈悲心です。如来の衣とは、我慢強い柔和な心です。如来の座とは、「一切が空である」との法の理解です。そうして衆生に広く法華経を説きなさい。この法を説いているとき、もし世間の人が悪口を言い、罵り、刀・杖・瓦・石もて害を加えようとも、仏を念じて耐え忍びなさい。わたしは他の世界にあっても、神通力で会衆を集めてあげましょう(今、ここを読む人。貴方)。もし経を説く人が、人里はなれたところにいるのなら、天の非人たちを集めて聞かせましょう。そして時々は会いに行きましょう。もし一句を忘れることがあれば、わたしはそれを補ってあげましょう」 と。



自由詩人!松尾多聞のブログ

その6 安楽行品第十四

 さて、ここで文殊師利菩薩は次のようなことを釈迦に訊きます。「お釈迦様が居なくなった後の弘教が大変だということはよく分かりましたが、滅後でも安楽(順調で効果的)に弘教できる方法はないものでしょうか。」と。

 ここで大切なことは生き方の問題(言うなれば私たちの生活)を菩薩が仏に訊いているということです。法華経修行の眼目は「利他」にあります。菩薩とは正に「利他不退転」(愛を知り、愛を人に行う生き方が揺るぎなく、決して後戻りしない慈悲をもっている人)であり、いうなれば私たちがあるべき生活を行っている人のことです。それが法華経の生き方(修行)なのです。いうなれば釈迦は勧持品第十三まで数々の衆生に因果の経緯と成仏(阿耨多羅三藐三菩提を得る)の授記を与えるのは「利他」を約束した者にのみだったのです。

 また、仏とは時空を超えた生命です。アセンションという言葉がもてはやされていますが、法華経ではそれは環境の変化を指すのではなく、個人生命の進化状態を示しています。この宇宙には無数の次元に無数の空間があります。貴方が個人としてどこに住み得るか?の問題です。そして仏とは何時も「今」であり、どこも「ここ」なのです。(常住)ですから、アセンションを高度に遂げた生命ではなく、アセンションを創り出している原動力が仏の生命であることを間違ってはいけません。詳しいことは次回の「如来寿量品」で説明しますが、釈迦は無量の過去を思い出したのではありません。それが「全てが今」である生命体としての自覚が「悟り」となっています。

 そしてここでは身(行い)・口(言葉)・意(想い)・請願(願い)という4つの生き方を菩薩達に示します。(修行方法)行いや縁を正し、言葉を慎み、平等と平和を想い、心から人々のためを願うことを説きます。言うなればそれが法華経の修行であり、幸福になることへの唯一の方法であると。

自由詩人!松尾多聞のブログ

「髻中明珠の譬え」

 文殊師利菩薩よ、たとえば並ぶものが居ないほどの王がいて、王は命に従わない者には兵を起こして征伐し、諸国を支配しているとしよう。そして戦いで勲功があったものには、田地、城邑、人民、金銀、珍品等々諸々の褒賞を与えるが、 髻(まげ・もとどり)の明珠だけは与えなかった。これは王の印であり、唯一王の頭上にあるべきものだからだ。

 如来もまたこの王である。法の国土において、如来は三界の王である。だが従わない諸々の魔王たちがおり、それゆえ如来の将兵たる菩薩たちは魔王の軍と戦うのである。この戦いで勲功あるものには、法を説いて歓ばせ、禅定、解脱また涅槃の城を与えるが、この法華経だけは与えなかったのである。

 文殊師利よ、だが髻の明珠を与えなかったかの大王が、大功に歓び、それを与える時がいづれはあるように、如来もまたそうするのである。魔王たちを撃退した大功に歓び、信じ難く未だかって説いたことがないこの経を、今こうして説くのである。この法華経は如来の第一の法であり、諸経のなかで最も奥が深いのである。みだりに説いたことがないこの法を、今日初めて説くのである」

自由詩人!松尾多聞のブログ

 人々(菩薩達)の準備はととのった。と、釈迦が誇らしく語っているようにも見えてくるのです。そう、たくさんの衆生に授記を与えた釈迦が、この法華経を加速的に広げることであろう菩薩達に「利他の剣」である法華経をついに手渡した瞬間です。無量の因縁と昇華という素晴らしい生命を持った私たちが生命進化の究極である宇宙との合体を行う手段を身(行い)・口(言葉)・意(想い)・請願(願い)で示して、この世界が仏の常住する空間へと昇華する事を約束します。

 いま、ここを読んでいる人は、これは昔の話ではなく、今であり、貴方へ釈迦が語りかけていることを絶対に忘れてはなりません。それが仏の言葉、なかんずく法華経の読み方なのです。そう、貴方の手にはいま、どれほど願っても手に入れることが出来なかった「利他の剣」が握られています。そして如来は自在の時空の中で貴方を確かに観ています。「法華経を信じ弘める者は、私の加護に守られ、私に会い、私に頭をなでられるでしょう。」と。仏の言葉には絶対にウソはないのです。

 ついに全ての準備は整いました。さぁ、永遠の生命とはなにか?この宇宙とはどんなものか?釈迦出生の本懐、妙法蓮華経如来寿量品第十六での「良医病子の譬え」がはじまります。   

自由詩人!松尾多聞のブログ

◆シリーズ 法華経の真実 七つのたとえ話◆


・その1 譬喩品第三
「三車火宅の譬え」


・その2 信解品第四
「長者窮子(ちょうじゃぐうし)の譬え」


・その3 薬草喩品第五
「三草二木の譬え」


・その4 化城喩品第七
「化城宝処の譬え」


そ・の5 五百弟子受記品第八
「貧人繋珠(衣裏珠)の譬え」


・その6 安楽行品第十四
「髻中明珠の譬え」


一心に仏を見奉らんと欲して自らの身命を惜しまず。(不惜身命)

・法華経最期の伝言
「涅槃経 雪山童子の物語」



まだまだこれからシリーズでつづきます。↓


・その7 如来寿量品第十六
「良医病子の譬え」

※常不軽菩薩品第二十
不軽菩薩の故事


自由詩人!松尾多聞のブログ

◆妙法蓮華経解説 多聞の関連記事


・もしドラの真実・時空を超えた魂

・南無妙法蓮華経・愛に身を捧げた宮沢賢治先生


・悪の浄化と苦悩の昇華・提婆達多(ダイバダッタ)の生命


・本当の愛について 論文 松尾多聞

・大人の童話「宝塔の回廊」・美しい世界

・愛は調和と昇華「幸福の仏法論」


・あたりまえの男 神と仏と宗教の真実


・今、この一瞬の愛に僕は身を捧げる!


愛ってなんですか?愛の本当の姿ってどんなもの?説明しましょう!

 

松尾多聞「愛の波動」



自由詩人!松尾多聞のブログ

BGM↓クリック
http://homepage2.nifty.com/sapporo7king/257.mp3



         「詩人のうた」



            舞う雪に捧げた両手は
            いつか天使の翼になる
            茜色にかえりみた道は
            いつか人々の夢になる

            凍えた体で濡れた瞳で

            人知れず苦しみの中に
            知る事の喜びを感じて
            夢の扉を開こうとして

            貴方を独りにはしない

            まだ何も知らないけど
            僕が必ず繋がりを拓く


            踏みしめた吹雪の道は

            続く人の希望にかわる
            僕が灯す炎は僅かでも
            明日誰かが手をかざす

            見えない愛が僕を呼ぶ

            誰でもが知る心の姿を
            いま感じる貴方だから
            この空へ命を捧げてと

            舞う雪に捧げる愛の詩

            もしも身体がしばれても
            北の詩人は詠い続ける





自由詩人!松尾多聞のブログ

多聞はブログランキングに参加しています。
あなたの優しさでワンクリックお願いします。↓






読者登録してね


自由詩人!松尾多聞のブログ