人々が創った組織がカルマを生み出すならば

僕はそれを嫌うのではなく、その利所のみを手にする。

決して揺るぎない愛の人になりたいと願って生きていくよ。

人は独りでは生きてゆけない愚か者であることを心から知っているから。


ミケランジェロ「 ピエタ」
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人は目に見えないものを


決して信じようとはしないのです。


まして信じることが出来ないものを


垣間見ることなど不可能であることを知ってください。


一番大切なものは貴方の胸の間に有り


それは目に見えず感じることしかできないものです。



                            多聞


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 四十余年未顕真実(しじゅうよねんみけんしんじつ)。釈迦が菩提樹の下で悟りを得てから「この42年間私は真実を顕してはこなかった。」と思いきって語ったのは法華経のプレリュードである無量義経。そして釈迦が法華経を初めて語りだす方便品では「正直に方便を捨て、但(ただ)無上道(むじょうどう法華 経)を説く。」とあります。

 まぁ、高等数学の微分積分を人に教える場合には、まず加減乗除の計算を教えなければ理解出来る訳が無いのと同じです。釈迦は無知の衆生に幼稚園の阿含(あご ん)経から教えを始め、方等(ほうとう)・般若(はんにゃ)と順を追って華厳(けごん)経まで語った後(説いたのは華厳が先です)、人々の準備が整ったことを見て、「四十余年未顕真実」つまり、言いかえればこれまでの説法は幸福と言う塔を築くための足代であり、それは真実ではない。これから説くことが真実である。とはっきり宣言してから状況説明である妙法蓮華経序品第一がはじまり、法華経初めての釈迦の言葉である方便品第二で「正直に方便を捨てて、但(た だ)無上道(むじょうどう法華経)を説く。」として重ねて法華経のみが唯一無二の無上道(成仏の道)であることを宣言しました。

般若心経 は菩薩が釈迦の教えにより悟った感想を在家に教えているものであり、まして仏の言葉でもありません。法華経を知る参考にはなりますが、法華経を置いて信仰の中心とすると、自ら得道を遠ざける原因をつくるのは当たり前の話ですね。大乗仏教の各宗派が勧めて使用していますが、空観を知った菩薩の感想と無量諸仏出生の本懐である法華経は比べるべくもないものです。「これをやれば私は大丈夫」。このような人々を釈迦はニ乗として法華経で叱りつけています。(ニ乗不成仏)


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法華経の真実 七つのたとえ話 その5

 人間が一番苦手なことを克服するため、法華経の序盤では極めて重要なことが説かれています。それはニ乗(声聞、縁覚)の生命(誰にでもある増上慢)はすぐに「我得たり」と想い、優秀ではあるがなかなか成道出来ないということ。人の傲慢の深さを教えています。
【増上慢】:智慧は持つが自己満足であり、高ぶった慢心のこと。

 声聞とは、仏の声教を聞いて解脱する衆生です。小乗の最高位である阿羅漢果を得て、無余涅槃(肉体や心の煩悩をすべて余すことなく断じ尽くした境地)に入ることを仏道修行の目的とします。 (阿羅漢・アラカン:彼岸へ辿りつくことがない人々)

 縁覚とは、無仏の世にあって飛花落葉等のさまざまな外縁によって悟りの境地に至る衆生で、十二因縁(人間苦の要素)を観じて煩悩を断じて悟りを開きます。 この二乗は、爾前諸経(法華経以前の多数の経典)においては「永不成仏(ようふじょうぶつ)」といって、灰身滅智(けしんめっち:※難行苦行等の浄化)のために永久に成仏できない衆生として徹底的に弾訶(だんか)されました。 二乗は自己の解脱のみに執着して、慈悲や利他の心に欠けるからです。また、自身の色心を滅することは、仏性をも断ずることになりますから、成仏できないとされました。(この五百弟子受記品第八で成仏が許される)

※「浄化しましょう。」という現代の人々のことです。仏法の本質は昇華であり、浄化ではニ乗までの知恵でしかありません。絶対に本当の幸福に辿りつくことはなく、身を惑わせ、人々にも迷惑を及ぼします。まさに現代のダイバダッタ と言えるでしょう。とても恐ろしいことです。

 案の定、法華経方便品第二(法華経で釈迦が初めて口を開く)で、「私は42年間、真実を語らなかった、それは法華経を説くための準備であり、本当の仏の智慧はとても深く無量であり、お前たちニ乗の知るところではない。私はこれまでの方便(爾前諸経)を正直に捨て、ここから無上(これのみ)の道を説きましょう。」と宣言します。すると、もう知っているのに何をいうのだ!と、五千人の増上慢(ニ乗)がその場を立ち去ります。(無数の菩薩達は退席しません。なぜなら不退転の位が菩薩だからです。)

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 この部分はとっても重要であり、理解できなければ法華経も解らなくなりますので、僕の例え話でもう一度説明します。釈迦もこのことを法華経の序盤の殆どを使い説明しています。

【科学が進み、未来の大地震がある程度予測できる時代がありました。科学者や予言者たちは大災害が来ることを知り、大津波から逃れるため山の上に集団で住み、逃難のための空中浮揚舟の開発に余念がありませんでした。

そこへ、予想に反して急に大型隕石が衝突して、その星が間も無く消滅する災害が起きました。大津波が来ることも、何も知らない地上の人々は互いに助け合い、なんとか生き残ろうと必死で救助活動を続けていました。

それをあらかじめ察知していた高等な生命である天空人たちは(天人)人類の全滅を防ぐため時空を自由に移動できる舟で地上の人々を救出することを始めましたが、山の上から一生懸命に信号を発して助けを求める科学者や予言者の人々を救うことはありませんでした。自分のみ、自分たちのみが他者とは違い、助かること。その愛の低さに天人たちは、彼らの本性を見抜いたのです。】


※関連記事「ロシアの隕石・大災害をUFO(天人)が救う」【動画

※【ロシア国営テレビ】広島原発の300倍のエネルギーを上空UFOが回避

 釈迦はいうなれば、自分にのみ向けられる、このような愛の方向性を法華経の序盤で説き、彼らを何度も諌め、理解させた後、成仏の約束をはじめてあたえているのです。これなら解るでしょ。釈迦も、法華経方便品第二で立ちあがり退座した五千人の増上慢を引き留めることはありませんでした。しかし、彼らは自ら仏縁を断った以上、無量の時間に於いて苦しみ続けることになるのです。

 そして重要なもう1点は、「信じること」を強く促しています。口先や一時の行動ではなく信じることの本質をあらかじめ説いています。本当に信じることとは?それも法華経で説かれます。本当に純粋に信じることの素晴らしさと、その結果を。

 人は神様を信じていると言いながら戦争を繰り返します。何千年もの間、たくさんの神の名のもとに殺人は終わることなく続けられて来ました。しかし、いったい、人を殺し奪えという神々がいるでしょうか。(歴史上、仏の名をもって戦われたことはありません。)そう、人は信じるといいながら本当は信じていないのです。人は信じることの真姿を知りません。法華経では「本当に心から信じること」その意味が説かれている事を忘れてはなりません。


タミュエルの肖像・数百歳の僕の教師(平行宇宙の昴をふる里とする天人)彼女でさえ法華経の修行者である。
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五百弟子受記品第八
「貧人繋珠(衣裏珠)の譬え」 


 ある日のこと、古くからの親友の家を訪問したある人が、酒でもてなされ酔って寝てしまいます。しかし、親友である主人に急用があり出かけなければならなくなります。そこで深く眠っている友人の衣服の裏に無価(無上の価値があること)の珠を縫い込んで外出します。しばらくして酔いから覚めた友人はその後、自分が宝を持っていることなど気づかず、貧窮して諸国を放浪した後、たまたまその親友と再会しますが、親友は友人のみすぼらしい姿を見て驚き、衣服の裏に無上宝珠があることを教えます。 衣裏珠とは一切衆生がもっている仏性を譬え、貧窮する友人は自身の内に仏界があることに気がつかない凡夫を譬えています。

******

 この後、法華経は女性であれ、無学であれ、悪者であれ、たとえ畜生であっても、その者たちには仏性が等しくあり、必ず成道できることを説明します。そう、その説明とは、可能性を示してから、その方法が説かれるというプロセスなのです。さぁ、安楽行品第十四「髻中明珠の譬え」で法華経の生き方「How to」に触れたあと、釈迦が永遠の生命を明かす法華経の真髄、如来寿量品第十六「良医病子の譬え」に続きます。お楽しみに。法華経はすべてを包含し、宇宙生命論を語りだします。

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◆シリーズ 法華経の真実 七つのたとえ話◆

その1 譬喩品第三
「三車火宅の譬え」


その2 信解品第四
「長者窮子(ちょうじゃぐうし)の譬え」


その3 薬草喩品第五
「三草二木の譬え」


その4 化城喩品第七
「化城宝処の譬え」


その5 五百弟子受記品第八
「貧人繋珠(衣裏珠)の譬え」


一心に仏を見奉らんと欲して自らの身命を惜しまず。(不惜身命)
法華経最期の伝言
「涅槃経 雪山童子の物語」



まだまだこれからシリーズでつづきます。↓

その6 安楽行品第十四
「髻中明珠の譬え」

その7 如来寿量品第十六
「良医病子の譬え」

※常不軽菩薩品第二十
不軽菩薩の故事


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・愛は調和と昇華「幸福の仏法論」 /自由詩人 松尾多聞

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     な  み  だ


     その胸にそっと力をためて
     君は笑顔を見せている

     時雨が窓を叩いて濡らすように
     心の内側が曇っている君がいる

     ぬぐう窓には秋の雨
     冷たい時雨に曇る窓

     涙を流していいのにね
     偽らなくていいのにね
     優しい君はいなくても
     今は泣いてもいいのにね

     君の季節は涙が迎えて
     君の季節は涙と別れて

     人はみな錬金術師みたいだ
     思い通りにいかないからね

     そおして自分を見つけるよ
     泣きながら見つけていくよ
     泣いた分だけ発見をするよ

     いま月に光り野で鳴く虫達
     一生をかけて儚い夜に鳴く

     僕は泣くことはしないけれど
     心の涙を止めることがないよ

     涙を流していいのにね
     偽らなくていいのにね
     今は泣いてもいいのにね

     人は孤独に涙して
     人は見つけるために涙する

     人は愛することに涙して
     人は後悔の涙を美しく流す

     涙を流していいのにね
     偽らなくていいのにね
     今は泣いてもいいんだよ

     涙を流して君を見つめて
     思いっきり涙をながしてね
     心から君を愛しているんだよ




           自由詩人 松尾多聞

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A pure field is always in your mind.


人は、この身体を自分だと思っています。それが全てだと認識します。

そして少しでも物理的な装飾を求め、栄養をあたえて自分の時間と虚無で流動的な物質に固執しています。

人は、それを比べようとし、または、それが自分よ
りも劣っていると、主観的に思えば相手をさげすみます。

加えて、自分のものに、少しでも人が触ろうものなら怒り、騒ぎだし、自分が比較の対象にされ、劣っていると自分が自覚するなら、自分の命さえ投げ出す人もいます。

愛は自分の中の存在です。人はどんなにがんばっても愛を犯すことはできません。なぜなら人間は愛により生きているからです。

この自然も私たちも、その存在を胸に抱いて産まれます。

愛は存在です。感じることしか出来ない最高の力です。

では、愛はどうしたら感じることができるのでしょうか。

それは愛することです。偏りなく、普遍的に見返りなく愛するしか方法がありません。

それを信じて、それが出来るなら、貴方はいつか愛を知りそして愛になります。

私はその愛に一度触れたことがあります。
その刹那、たくさんの力をいただきました。

愛は貴方の中にある、この宇宙の最高の能力であり全てとつながっています。

胸にいつも手を当てて、「私は、ここに」

そう言ってください。愛は貴方の大切な場所にいつもあります。


tamon




詩人の予言・愛の世界


貴方は利他を(人々のために)これまで何をしましたか?


貴方は生まれて来た感謝を何かおこなってきましたか?


そして貴方には信じきることができる揺るぎない愛はありますか。


戦争は嫌いですか?奪うことは嫌いですか?苦しめることは嫌いですか?


それなら法華経を勉強してください。神々の王者である諸仏の出生の本懐を。


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