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 空腹にもかかわらず、食事の写真だけを見て満足してしまえば、いつかその人は餓死します。本当の食事こそ大切であり、その大切さを書いた説明書を読んでいたのでは、健康を得ることなどできません。


 史上最高の哲学は法華経であり、それを知らずに般若心経を唱えれば生きながら地獄(餓死)に落ちます。念仏の教えもかくのごときです。なんの裏付けもなく、仏でもない愚者が、三部経を知れば法華経も含めて捨てなさいと教えています。知らずに行うのではなく、わざと仏を遠ざけるのですから生きながら間断ない不安である「無間地獄」へ堕ちます。


般若心経 は菩薩が釈迦の教えにより悟った感想を在家に教えているものであり、まして仏の言葉でもありません。法華経を知る参考にはなりますが、法華経を置いて信仰の中心とすると、自ら得道を遠ざける原因をつくるのは当たり前の話ですね。大乗仏教の各宗派が勧めて使用していますが、空観を知った菩薩の感想と無量諸仏出生の本懐である法華経は比べるべくもないものです。「これをやれば私は大丈夫」。このような人々を釈迦はニ乗として法華経で叱りつけています。(ニ乗不成仏)


※関連記事2:深遠な智慧の完成「般若心経」の真実





法華経の真実 七つのたとえ話 

       完結編 シリーズその9



釈迦は語り掛ける。

私は仏(真実の宇宙生命)を湧現してから、本当のことを40数年明らかにすることができなかった。その年月は人々の機根を整えるための方便を使い、この宇宙最高の哲学を教えるための準備であった。

建物を建てるときに足場が必要なように

また文章を読誦させるのに長い学問が必須の様に


私は人々の心が定まるのを待った。そしていま、私はこの法を説こう。困難であり、難解であり、行動の中でしか悟ることのできない幸福の法則を。それは利他と苦悩を伴わなければ得られない、アセンションの理について。


妙法蓮華教という哲学書に出生の本懐を託して。これから表れる預言者のために。(紀元前500年)





世界を飛び回り イカズチ(雷)を放つ乗り物により空を舞う天使。


歴史を紐解くと、数々の天使や妖精が物語に登場します。それが今では、世界各国の情報公開(※)や機密情報のリークにより、進化した人間(宇宙人)であった可能性が否定できない状態になってきました。そして彼らは正義の人であり、人間には計り知れない強い「リアリティー」(信力)により、無限の力を発揮します。世界各国の核ミサイルを所有する施設でこれまで起きた原因不明の停電にも関係しているとの調査結果もあり、彼らは最終手段として人間の横暴と暴走を食い止めている可能性が指摘されています。


※、ロシア連邦カルムイク共和国大統領は2010年4月26日、ロシアの国営放送チャンネル1で、宇宙人に連れ去られた経験について明らかにした。イリュムジーノフによれば、1997年9月18日にモスクワのアパートに、半透明のチューブ型の宇宙船で宇宙人は訪れたという。イリュムジーノフだけではなく、運転手、大臣、補佐官の3人も宇宙人を目撃した。この証言を聞いたアンドレ・レーベジェフ議員は、ドミートリー・メドヴェージェフ大統領(ロシア連邦第3代大統領)に報告し、軍と捜査機関にこの事実の調査を依頼した。


もちろん、僕も彼らとの遭遇経験が幼い時より何度もあります。そして、直接的、あるいは間接的に接し、計り知れない愛情と英知を感じたことを思い出します。何年前のことでしょうか。つい最近まで地球は世界の中心にありその周りを天空が周っている(天動説)という考えを誰も否定しませんでした。アメリカのCNNが報道したところによると、銀河系には地球型の惑星が無数にあり、生命が存在可能な圏内にある惑星も数十億個に上る――。米カリフォルニア大学バークリー校とハワイ大学の研究チームがそんな研究結果を米科学アカデミー紀要に発表しています。壮大な宇宙からするとチリのように小さな私たちの天の川銀河でさえ、この数が想定されています。さて、この宇宙にはどれほどの生命が息づいていることでしょうか。私達よりも数十億年先へ進化した生命があっても全然おかしくありません。


今こそ、第二の天動説である「宇宙の知的生命は我々だけあでる。」という押し付けられた常識を、勇気を以て打破するときが来ました。人々を無知にしばりつけ、真実を奪ってきたのは教会から政府や秘密機関に代わりましたが、「それでも宇宙人はいる!」と現代のガリレオを標榜しなければ、この混沌とした世界はかわりません。






そして、彼らにはたくさんの種族があってあたりまえです。きっと様々な生態をもった超知的生命がいるでしょうが、私達人間を観てください。マイナス60°の世界から摂氏50°という世界までまんべんなく普通に暮らしています。こんな生物が(微生物を除く)他にあるでしょうか。ですから私達ヒューマノイド型の生命は、宇宙では普通であるのかもしれません。私が遭った人たちも普通の人間でした。




彼らは肉体を持つ生命体として、私達を必死になって導こうと命がけです。そう、命を懸けて救済を計画していることでしょう。なぜなら本当の愛を知り、行うなめには捨身の利他が無ければ成り立たないからです。リアリティーにより、本当の愛を知り愛になるためには愛を行うしか方法がないことを彼らは知っています。彼らはそれを知り、そのように行動できるからこそ、愛により脳のリミッターを解除して天空人となりました。そんな彼らが私たちの前に姿を見せる意義とはどんなに大きく、どんなに深遠で、そしてどんなに有難いことかと僕はいつも涙が流れる感慨を持っています。

彼らは全てをかけながら、ユングの言う集団的無意識の最高峰である宇宙意識、あるいは天台大使の説く第九識すなわち「アラマ識」、釈迦の説く「仏性」、キリストの神の国(天の国)に自分たちも到達しようとしている愛の使者。また彼らも奉仕者であり、経験を積む修行者なのだと感じています。



私たちは愛の海(宇宙意識)の一滴。それに気が付かず、我見に満ちた幸福を求めて彷徨います。しかし、いつかきっと自分が愛の当体であることを知り、愛の海へ帰る時が来るでしょう。そう、私たちは愛の海そのものなのです。それを私たちに教え、そしてまた自分たちもそれに近づくために彼らは行動します。そして、結果論を言えば、私たちの存在も彼らにとっては「善きカルマ」を宇宙へ返すため必要な存在だったのです。簡単にいえば彼らにとって私たちは兄弟以上の存在でしょうか。

経験を積んで宇宙意識にそれを還元する。そして全体として愛を更に昇華することが私たちの生きている意味だとすると、きっとその大元である宇宙意識もまた進化するために私たちの存在を創造したものと感じています。そして多くの愛ある宇宙生命の交流は、その進化を早めることでしょう。拡散、収縮、爆発、無、それを繰り返し生まれ変わる宇宙の姿は私たちの生命そのものです。それは人間の四苦である生・老・病・死そのものであります。そして彼らも私たちほどではありませんが、彼らもまた、その束縛から完全に抜け出すことが出来ない存在です。



教会の権力とマインドコントロールにより改ざんを繰り返された聖書にも、改ざんできなかった部分がたくさん残されています。

※法華経は最高級の詩作のため、改ざんはできませんでした。


イエス・キリストは山の上で次の様に語りました。



憐れみ深い人々は、幸いである、その人たちは憐れみを受ける。


心の清い人々は、幸いである、 その人たちは神を見る。


平和を実現する人々は、幸いである、 その人たちは神の子と呼ばれる。


義のために迫害される人々は、幸いである、 天の国はその人たちのものである。


わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。


喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害れたのである。


『マタイ伝』より




神の国、あるいは天の国という表現はキリストが初めてつかったものと僕は認識しています。それはきっと、動物の様な生活を脱した時代、人々の気質が「利他」に目覚めることが可能と彼が判断したからに違いないと感じるからです。このマタイの言葉は「憐み」=「他者に対する想像力」を説いています。そしてそれを実行することへの困難と苦悩を乗り越えたところに「神の国(天国)=宇宙生命との共振」があると訴えているように僕は信じずにいられません。



釈迦の言葉に「一心欲見仏 不自惜身命」
いっしんよっけぶつ ふしゃくしんみょう(仏陀:法華経 如来寿量品第十六)


とあります。これには前後の文脈がありますが、僕が簡単に説明を加えることが許されるのならば次の様になります。

「仏とは生命の別名であり。愛であり、神の国であり、宇宙生命である。それと同化することを望むならば一心に(信じる心をもって)仏(愛)を見んと欲し(求め)、自らの命や身体を惜しんではならない。」と言っています。

人々を愛による想像力で抱擁し、大義をもって愛を計画し行い、揺らぐことのない大信力を以て、そのことで自らに降りかかる艱難辛苦を乗り越えなければ愛に遭遇することが出来ないと。

未来の人々に、ほんの少しでも知恵を残したい。自分が生きてきた証を伝えて愛を広げたい。


もしも、皆さんのその気持ちが本当であるならば、彼らはその波動を感じて、未来の神の国創造の一環として姿を現すことでしょう。僕はそう信じています。心の中に愛を知り、神の国を構築しようと確信する者に、彼らは手を差し伸べます。


神の国 イエスは思想が真実へと融合される21世紀のために、それを予言して言葉を残しました。ブッダもそうです。


ファリサイ派の人々が、神の国はいつ来るのかと尋ねたので、イエスは答えて言われた。「神の国は、見える形では来ない。『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。」 (『ルカ伝』17:20-21)
※ファリサイ派:キリスト出現した時代に存在したユダヤ教の一派

夫れ 浄土と云うも地獄と云うも外には候はず・ただ我等がむねの間にあり、 これをさとるを仏といふ・これに まよふを凡夫と云う。(日蓮:同志への手紙より)
※凡夫(ぼんぷ):我見にとらわれ、原因結果の法則を理解できない者。

※そもそも、清浄で清涼自在な世界というのも、人々が辛苦に苛まれる地獄も、貴方の外には存在せず、それはただ貴方の胸の内にあるのです。これを悟っているのが仏であり、理解できず、迷いに生きるのが人々なのです。

万物みな我に備わる。 (孟子:尽心抄. 上)

一切衆生悉有仏性。(人はみな、仏性を持つ)」 (仏陀)





◆法華経の真実 七つのたとえ話◆


・その1 譬喩品第三
「三車火宅の譬え」


・その2 信解品第四
「長者窮子(ちょうじゃぐうし)の譬え」


・その3 薬草喩品第五
「三草二木の譬え」


・その4 化城喩品第七
「化城宝処の譬え」


そ・の5 五百弟子受記品第八
「貧人繋珠(衣裏珠)の譬え」


・その6 安楽行品第十四
「髻中明珠の譬え」


・その7の1 如来寿量品第十六



一心に仏を見奉らんと欲して自らの身命を惜しまず。(不惜身命)



・法華経最期の伝言
「涅槃経 雪山童子の物語」

愛に殉じた私の先生。 宮沢賢治先生

※関連記事2:深遠な智慧の完成「般若心経」の真実



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「桜色の笑み」


この心が邪魔なほど
時だけが歯がゆくて
君のこと感じながら
いつも愛を探してる


魂で触れ合うことは
難しいことじゃない
冬は寒く夏に暖かい
そんな簡単な感覚だ


この報われぬ風の中
あの桜は咲きほこる
散る日を知りながら
春を飾って久しくて


誰もいつも繰り返す
この季節の空にいて
誠の愛を見つけよう
感じることを知って


地に倒れし者は地により立ち上がる

人はいつか大空にある夢を見つける



人は見えないものを
信じようとはしない
まして信じぬものを
見ることはできない


僕はいつも感じるよ
君といつも共にあり
つながり生きながら
愛はここにあるもの


この心が邪魔なほど
時なんて止まるほど
僕の魂は見つけだす
君の中にある本当を


どんなに君が大切で
どんなに必要なのか


共に生きて共に出会ったことだけに

その幸福を感じて歓喜に生きている







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「八重の微笑み」



わたしを追い越して
思い出が通り過ぎる
あゆみ来た花の咲く
この路の向こう側へ


花の咲くやっと咲く
この美しい季節にも
一人思いを背負った
悲しい人を照らして


過ぎ去るものならば
もう追うこともない
貴方もそのままいて
ここで咲けばいいと



わたしは散った花を
もう省みる事はない
巡りくる季節のまま
この時に輝いてゆく


もういない花たちを
もし偲び泣くのなら
より美しく咲いては
未来の夢を胸に抱く


八重の桜は微笑んで
わたしを照らしては
我身にたとえながら
何より美しく咲いた



自由詩人・松尾多聞




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