日本人にとって、当たり前のことが世界の人々にとっては、本当に驚くようなことだという事実はたくさんあります。

その一つが、日本では「負けても後世の人々から愛され、尊敬される」ということ。これは、私たちにはあまりピンと来ないかもしれませんが、海外から来た人には驚きの事実なのです。

例えば、垂仁天皇の命で行われた日本で記録に残っている最初の「相撲」。




戦ったのは、相撲の祖だと伝えられる野見宿禰(のみのすくね)と当麻蹴速(たいまのけはや、タエマクエハヤ)。

野見宿禰は出雲の国の出身で、宇迦都久怒の子で古事記に登場する天穂日命(アメノホヒ)の子孫だと伝えられています。当麻蹴速は、大和国の当麻邑(たいまのむら)に住んでいて、蹴り技の名手であったと言われています。




この戦いによって、蹴速は腰を折って負け、野見宿禰は蹴速が持っていた現在の奈良県葛城市にある大和の国当麻の地を与えられました。
 

勝ったほうの野見宿禰は、全国各地の野見神社、奈良県の穴師坐兵主神社、鳥取県の大野見宿禰命神社、神魂神社、大阪の片埜神社などに祀られています。


勝ったほうがいつまでも尊敬され、祀られるのは分かりますよね。これは、外国人でもわかるようです。



しかし、ここからが日本人のすごいところなのです。

 

それは、負けたほうの当麻蹴速も、きちんと祀られ、現在でも親しまれていることです。

穴師坐兵主神社(あなしにますひょうずじんじゃ)の摂社である「相撲神社」には、当麻蹴速(たいまのけはや)が、野見宿禰と一緒に祀られています。

敵と味方が同じ場所で祀られているというのが、とても日本人的な考え方なのです。



奈良県葛城市當麻には、相撲館があり、その横には「蹴速塚」(上の写真を参照)である五輪塔が現在でも残っています。相撲館の名前は「けはや座」。

負けた蹴速(けはや)の名前が今でも親しまれているのです。

元々は地元の人だったということもありますが、負けても尊敬され続け、決して葬り去られて歴史から消されてしまうということがない。



日本人には、「勝ち負けが全て」とか「どんなに汚い手を使っても、結果がすべて」、という思想がない。

世界の歴史を見て見ると、「歴史は勝者によって書かれる」と言われているように、戦って滅ぼされた人たちや負けた人たちの墓などが引き継がれることがほとんどなく、歴史の闇に葬られてきたと言っても過言ではありません。

他の国々では、負けた人たちの墓や塚などがほとんど残っていないだけでなく、残っていたとしても名前が引き継がれ、現在も尊敬されて愛され続け、語り継がれることがほとんどない、というのが悲しい世界での現実です。



その点において、勝ったほうも負けたほうも、歴史に残り、語り継がれるという日本人の精神は類い稀なものだと言わざるを得ません。

「蹴速塚(けはやづか)」には、このような案内文が書いてあります。

「勝者、必ずしも優ならず。
ときには勝機や時運に恵まれず
敗者とな ることもある。

勝者に拍手をおくるのはよい、
だが敗者にもいっきくの涙を
そそぐべきではないか」

勝ち負けだけではなく、その人の生前の行いや努力、能力や人格を全面否定せずに評価する、というのが日本人の真髄だといえます。そんなところにも、現在の私たちの中に日本の「和」の精神が脈々と息づいているのです。

 

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