戦後教育を受けた私たちは、原日本人である「縄文人は未開人」であり、現在の中国や朝鮮から弥生時代に突然、文明がワッとやってきて、稲作も建築も全て「伝授してもらった」という風に教えられてきました。

 
 
しかし、近年になって約6000年前の縄文遺跡から米のプラント・オパールが発見されたり、さらに1万2000年前の鹿児島の縄文時代前期の遺跡からも米のプラント・オパールが発見されて、これまでの定説が根底から覆されるという現象が起きています。
 
さらに、12600年前の漆の枝や、縄文時代の漆器の年代が特定されたことからも、縄文時代の日本に高度な文明が存在していたことをうかがい知ることができるのです。さらに、縄文時代中期における酒造りの痕跡も発見されています。また、大森貝塚を発見したモースが「貝紫」という染色技術が縄文時代に行われていたと推定したことも注目に値します。また、天皇陛下の「新嘗祭」の儀式では中国大陸起源の箸ではなく、日本オリジナルのピンセット型の器具を使って神饌を召し上がることからも、日本固有の伝統があったことが分かります。
 
 
現在の日本人にとって、中国が沖縄に対して領有権を主張してきたり、韓国の方々が「文化をすべて日本に教えてやったのに」とか「(盗んだ)仏像は我々のものである」という主張をするのは、理解しがたいことです。
 
しかし、中国や韓国は、「自分たちの祖先が日本を作ったのだから、日本は自分たちのものだ(日本を返して欲しい)」というような支離滅裂な話を真面目に主張しているのです。つまり、「縄文人=未開人」という日本人に施された洗脳をいいように根拠として利用して、日本国土の領有権や文化財の所有権を奪おうとしているというわけです。
 
以前、日本の歴史を英語で解説してあるビデオを見たことがあります。その内容は、縄文人がもともと日本にいたのを滅ぼして、弥生人が中国大陸から騎馬民族で景教(ネストリウス派キリスト教)を信仰した秦氏(秦の始皇帝の子孫のはずだから、中国人だと言いたいらしい)がやってきて、サムライとなって日本を支配した、という内容でした。いわゆる「騎馬民族征服王朝説」です。
 
 
戦後、GHQが主導した東京大学の江上波夫氏によるこの説は、アメリカなどでも、インテリの白人の中でも浸透してしまっているらしく、私は過去に何人かの日本や中国に興味を持つアメリカ人たちから、その説を聞いたことがあります。日本語を知らない人たちにとっては、「日本語は中国語をベースにしておらず、文法も根本的に全く違う言語である」と言ってもわかってもらえないことが多かったです。
 
現在では、この学者は当時、GHQからの圧力があったことを認めており、「騎馬民族征服王朝説」が誤謬であったことが判明しています。つまり、一部の渡来人が弥生時代に来たことは裏付けられても、王朝交代や民族そのものの入れ替わりはなかったというのが定説です。
 
戦前の日本人は、当時のベストセラーであった「天孫人種六千年史の研究」という本によって、日本に様々な民族が混血した結果、日本人として暮らしていたことを知っていました。また、武家(将軍家)が宮家(天皇家)をお守りしながら、相互に縁戚関係を持ちつつ並行して存在してきたことも、日本ならではの現象でした。王や皇帝を抹殺したり、結婚をして完全に成り代わってしまうのが当たり前の大陸文化にとって、力で国民を抑えるのではなく、「自己犠牲と無私の心で統べる」という天皇の存在の意味がはわからないようです。
 
日本人はもともと未開人だったのではなく、日本に縄文時代から(おそらく世界最古と思われる)文明があったことを知ることは、GHQ主導教育からの「脱洗脳」の第一歩であり、日本人が誇りを取り戻し、国力を底上げするきっかけになるはずです。
 

豊葦原(とよあしはら)の千五百秋(ちいはあき)の瑞穂の国は、これわが子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)なり。爾皇孫(いましすめみま)、就(ゆ)きて治(し)らせ。行矣(さきくませ)。宝祚(あまつひつぎ)の隆(さか)えまさむこと、まさに天壌(あめつち)と窮(きわま)り無かるべし。

 

日本の国は秋になると稲穂が豊かに稔る水田国家であり、私たちの子孫が治める国です。なんじ皇孫世、これから行って国を治めなさい。幸せでありなさい。天の日嗣の血統を継ぐものが栄えること、天地と共に永遠できわまりないだろう。

 

天壌無窮の神勅 -(日本書紀)