フランスの歴史9 都市とギルド | ろくでなしチャンのブログ

フランスの歴史9 都市とギルド

              フランスの歴史9 都市とギルド

 

 

フランドル伯領

 

 イギリス人作家ウィーダが書いた『フランダースの犬』は有名ですが、英語読みでフランダース。フランス語読みだとフランドルとなります。

 フランドルは『水に埋もれた地方』を意味し、領域は現在のベルギーの東西フランドル州、オランダのゼーラント州、フランスのノルド県、パ・ド・カレー県にあたるようです。大雑把にはオランダ南部、ベルギー西部、フランス北部といったところでしょうか。


 9世紀まで北方のノルマンの侵略を受け、その防御のため地方領主や司教を中心とした城壁を備えた城塞都市を建設します。中でもブリュージュ(ブラッヘ)は、北海と水路で結ばれていたこともあり、物産の中継地点として繁栄し、西ヨーロッパ随一の都市として賑わい、1127年にはフランドル伯領の自治権を獲得し、フランドル地方の首都となっています。
 他にイーベルの町や『川の合流地』を意味するヘントの町が織布業の中心として繁栄します。


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                       『橋』に由来する水の都ブリュージュ。  

 

 フランドルの高級毛織物やタペストリー、カーペットはヨーロッパの諸都市、アフリカ、オリエントにまで輸出されていますが、古くからヨーロッパNo1の羊毛産出国であるイングランドの羊毛を輸入し、高級毛織物に加工・輸出されていたもので、永くイングランドと密接な関係を築きます。
 

 このように商業が発達したフランドルですが、現在のベルギー南部ワロン地区は金属工業を中心として発展しており、『川の合流地』を意味するリエージュの町はムーズ川とウルト川の合流地に位置し、『沼の中の砦』を意味するブリュッセルはセンヌ川の支流であるサン・ジェリー島に城壁が築かれており、いずれも水運を利用し発展した工業中心の町です。


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 このワロン地方は、神聖ローマ帝国内のドイツ諸侯であるブラバント公領、ローン伯領の領地となっているのですが、フランドルの独立都市国家に近い形態の各都市は互いに連携(連合)を組みながら、近隣、低地地域(ネーデルランド)と呼ばれる各領主とともに、16世紀にネーデルランド17州と呼ばれる同君連合の国家群を造り上げます。このように古くから密接な経済関係が現在のベネルクス3国へと受け継がれているようです。


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16世紀のベネルクス地方。         1477年のネーデルランド17州。

 

 さて、フランドル伯領自体は、862年(公爵位を得た864年説も。)に、西フランク王国のシャルル2世から辺境伯に封ぜられて以降、1384年ブルゴーニュ公国領、1477年神聖ローマ帝国支配、16世紀半スペイン王国支配、18世紀初頭オーストリア支配、1793年ナポレオン占領、1795年フランス革命による称号(伯)廃止、1810年オランダ併合、1830年ベルギー王国樹立といった数奇な歴史をたどります。

 

 13世紀には海上輸送が中心となり、ブルージュは「北のベニス」と言われ北ヨーロッパの随一の国際商業の中心地として繁栄します。当時の人口は20万人と言われており、この地を訪れたフランスのフィリップ4世妃が「ここには私以外に数百人の王妃がいる。」、「フランスでは王妃は私一人だが、この地では全ての女が王妃同様の暮らしをしている。」と言わしめたとか。

 また、ゲントやイープルの町も毛織物の町として栄え、域内には5万人以上の職人達がいたとされます。

 

 このような繁栄は、イングランド、フランス、スペイン、神聖ローマ帝国から干渉を受け、時に支配下に置かれるという歴史のタペストリーを織り上げることとなります。

 

 

ギルド

 

 中世ヨーロッパの都市で発達した独占的・排他的同業者組合であり、11世紀に都市の形成と共に商業ギルドが、12世紀(14世紀説も)には手工業ギルドが成立したようです。ギルド自体は団体、組合等を意味するようです。

 

 商人ギルドは、各都市に於ける商人が対外的交易を独占するために作られた組合であり、王から商業の独占営業権を認めてもらいます。当初は、よそ者やギルド未加入者の参入を排除します。

 しかし、11世紀末には局地的交易や遠隔地交易に携わる商人に対しても強制的に加入させ、外来商人に対しては小売りは歳市のみ、それ以外の商いは卸売りだけ認めます。結果、商人ギルドは交易独占ギルドとなります。
 商人ギルドは、ギルド内の争いを避けるため買占めを禁止し、求めがあれば買い入れに参加させなければならないとする取り決めもなされていたようです。交易に当たっては、隊商を組み
武装して共同組織として行動したようです。このような手法は陸路でも海路でも同様であり、治安の安定した世情ではなかったようです。

 

 経済力を増した商人達の都市は、己の利益を守るために自治権の獲得を目指します。都市の領主はなんとか都市に課税しようと企みますが、都市は城壁を巡らし、兵士を雇い、諸侯と対抗し、やがて王から自治権を与える旨の特許状を取得し、半独立ミニ国家が出来上がります。

 

 都市の運営は市参事会により運営されますが、構成員の多くは商人ギルドの主要メンバーにより構成されます。

 都市も、城壁の補修や軍事力を養わなければならず、関税、入市税、道路税を徴収するため、外来商人には指定道路の通行を義務付けます。

 また、単なる通り抜けを防ぐため商品の一定量の販売を強制します。更に、商品の積み替えと自分達の都市の運送人による輸送を強制し、都市の収入を上げる施策を考えだします。

 他方、公正価格を制定するなど市民に対する配慮も行いますが、市民による買占めは禁止されます。


 このように商人ギルトが都市の実権を持ち始めると、手工業者達も自分たちの権益を確保するため職業別の手工業ギルド(工匠~クラフト・ギルド)を結成します。

 手工業ギルドでは、製品の品質・規格・価格は統制され、品質維持が図られます。他方、職業訓練を行い、雇用が確保され、労働時間の制約を設けるものの、徒弟、職人、親方という厳格な階級社会を作ってしまいます。

 ギルドの構成員にとっては共存共栄ですが、経済の自由競争は望めません。 

 やがて17世紀には衰退しますが、理由については「独占性が自由の妨げになる」等の記述も見受けられますが、私は産業の発達による機械化によるものと思います。フランスに於いては18世紀末のフランス革命で、営業の自由とギルド制の廃止が決定されます。


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