フランスの歴史7 荘園制の崩壊 | ろくでなしチャンのブログ

フランスの歴史7 荘園制の崩壊

            フランスの歴史7 荘園制の崩壊

 

 

商業ルネサンス(都市の形成)

 

 ゲルマン民族の大移動により西ヨーロッパに於いて、かってのローマ帝国の貨幣経済は崩壊し、各地に分散した荘園を中心とする自給自足経済が永らく続くこととなります。
 11世紀以降、荘園制による封建制度が根付き、やがて13世紀に掛けて大開墾時代となり森林や荒地の開墾により耕地が拡大します。併せて三圃制や有輪犁の導入により農業生産力が高まります。

 

 荘園内では生産力増大に伴い余剰生産物が生まれます。やがて、余剰生産物を交換する市が始まり、市の規模も徐々に広がり、物々交換の時代を経て貨幣経済へと移行します。

 

 11世紀末から、ローマ教皇の呼びかけにより十字軍の遠征(実態は略奪者)が始まり、エルサルムの聖地奪還を標榜しますが、参加した騎士達の目当ては免罪符にもあったように思います。ともあれ、13世紀半ばまで続いた数度の十字軍遠征は、自分達が単なるヨーロッパの田舎者であることを気付かされ、豊かな商品と文明を受け入れることとなります。

 やがては、イスラム世界や北海・バルト海方面との遠隔地貿易(地中海貿易や北海貿易)が始まり、交通網が整備され、特に港町は発展し、地中海商業圏と北欧商業圏の二大商業圏が成立します。

 遠隔地貿易によりヨーロッパとイスラム世界との交易がヨーロッパ内の経済活動を促進し、商業の発達により商人や手工業者という新しい階級を生み出します。当然、商人や手工業者の居住地域としての教会、君主・領主の城塞を中心とする都市が成立・発展します。

 地中海貿易はイタリア半島のヴェネチア、ジェノヴァ、ビザが中心でインドの香辛料、中国の絹がもたらされます。

 北海貿易は現在のドイツやフランドル地方(オランダ南部、 ベルギー西部、フランス北部にかけての旧フランドル伯領)を中心とするもので、北海・バルト海の穀物・海産物・毛織物・木材などの生活必需品が取り扱われました。

 フランスでは、ワインの輸出港としてのボルドー、絹織物の集積地である内陸のリヨン。他に港町ルーアン、マルセイユが繁栄したようです。

 

 農業生産力向上による余剰生産物の現出、十字軍による大量物資の購入、交易よる多様な商品の現出、商人や手工業者の現出等が都市を形成していきます。このような11世紀以降の商業活動の活発化(再出現)を指して商業ルネサンスと呼ばれるようです。
 

 

荘園制の崩壊と農民の地位向上

 

 商業の発展とともに貨幣経済が農村にも押し寄せます。今までは荘園内で自給自足で暮らしていましたが、近くの都市に種類豊富な商品があふれ出すと日用品の購入にも貨幣が必要となってきます。

 13世紀頃から、領主は領主直営地で賦役として農奴に耕作させる、農奴保有地から貢納として一定の収穫物を徴収する、といった従来の方式から現金を得る方式に変更(収穫物を折半する手法も存続しますが。)していきます。

 それまで領主直営地に於ける賦役は、農奴の労働意欲が低く収穫量も低くかったこともあり、領主の直営地も農奴保有地も全て小作地として農民に貸し与え、賃料として現金を徴収する方式に変更させていきます。

 また、農業技術の発達による収穫量の増大は農民に現金収入をもたらします。領主から土地を購入して自由農民保有地で耕作を行う者も増えていきます。段階的には、領主に一定の開放金を支払って農奴から自由農民となって賦役・貢納の義務を免れたケースもあるようです。

 いずれにしても、封建的な隷属関係が薄れ、荘園制は崩壊し、領主は単なる地主の地位を保持するだけとなります。

 荘園制崩壊の根底には、社会の安定、すなわち領主が外敵から農民を守る。反対給付として農奴に賦役・貢納を課すといった図式が成り立たなくなったことによるものと思われます。

 

 1307年(1306年説も。)、シチリア島のメッシーナにペスト菌が上陸します。13世紀から14世紀に栄えた、中国から東ヨーロッパ全域を支配下に置いたモンゴル帝国との交易路にのって毛皮に付いた蚤が原因とされます。

 1348年にはアルプスを越え、1300年代末までに3度の大流行と多くの小流行を繰り返し、ヨーロッパでは約2,000万人から3,000万人が死亡したとされます。当時の全世界の推定人口が8,500万人と言われていますので、ヨーロッパでは人口の3分の1から3分の2(4分の1から3分の1とする説も)に近いおびただしい被害に見舞われたことになります。


 感染すると紫色の斑点ができ、肌が黒く変色したように見えるので、黒死病と呼ばれます。感染して一週間くらいで死亡したとされます。クマネズミを媒介とするもので、人間間では飛沫感染します。ストレプトマイシンやテトラサイクリンの薬は創られていませんから対処法がなかったのです。

 日光に当たるな。風呂に入るな。と言われ、ローマ時代に風呂の風紀が乱れ(売春も行われた。)たため、禁欲を説くキリスト教により4世紀初頭から公衆浴場が閉鎖された経緯があるものの、8世紀以降イタリアやスペインで石鹸が生産され、13世紀にフランスでも石鹸が製造され始め、風呂屋のギルトが作られた始めた矢先、入浴により毛穴が開き、ペスト性の水が体に入り込むと信じられ、16世紀には入浴の慣習が完全に廃れます。再び入浴の慣習が広まるには18世紀まで待たなくてはなりません。

 『ワイルドだなあー』

 

 ペストによる人口の著しい減少は当然農民数の減少を意味します。荘園の領主や地主になった領主達にとっても耕作者の確保は死活問題です。

 そこで、領主達は農民に好条件を提示して人集めをします。領主間の農奴の引き抜き合戦も始まります。農奴には移動の自由はありませんでしたが、1年以上逃げ切れば自由を獲得できると言う慣習?があったようです。逃亡し新しい領地に移った農民にとっては、逃亡先の領主がかくまってくれますので安心して再就職?できることとなります。結果的に農奴の地位や待遇が向上し、自営農民が増えていきます。


 荘園制・封建制の崩壊は、十字軍が失敗に終わった13世紀末辺りから始まり、ペストが流行した14世紀半ばに加速したと言われます。

 

騎士、諸侯の没落


 荘園制・封建制の崩壊は諸侯・騎士の没落をも意味します。多くの諸侯・騎士は十字軍遠征に参加しますが、武器・武具・馬等の調達や遠征費用は基本的に自己負担(遠征による略奪で回収を図る輩も出現。)であり、軍事的・経済的な負担により経済的な基盤を失っていくこととなります。

 騎士、諸侯の没落は100年戦争が密接に関係しますで、別稿でも記したいと思います。 

 

 

             歴 代 王 位


ルイ6世~肥満王           ヘンリー1世~碩学王   

  (在位1108年~1137年)         (在位1106年~1135年)

                     スティーブン王 

                        (在位1135年~1154年)   

ルイ7世                ヘンリー2世~イングランド王

  (在位1137年~1180年)         (在位1154年~1189年)

フィリップ2世~尊厳王        リチャード1世~獅子心王

  (在位1180年~1223年)         (在位1189年~1199年)

                       ジョン王~失地王  

                         (在位1199年~1216年)

ルイ8世~獅子王           ヘンリー3世  

  (在位1223年~1226年)           (在位1216年~1272年)

ルイ9世~聖王ルイ

  (在位1226年~1270年) 

フィリップ3世~大胆王          エドワード1世~長脛王

  (在位1270年~1285年)           (在位1272年~1307年)

フィリップ4世~端麗王          エドワード2世  

  (在位1285年~1314年)          (在位1307年~1327年)  

フィリップ5世~長躯王

  (在位1316年~1322年)

シャルル4世

  (在位1322年~1328年) 

  (カール4世~神聖コーマ皇帝)

フィリップ6世              エドワード3世  

  (在位1328年~1350年)           (在位1327年~1377年)   

ジャン2世~善良王               エドワード黒太子 

  (在位1350年~1364年)             (1330年生~1376年没)

シャルル5世~賢明王                 アキテーヌ公エドウアール4世    

  税金の父                   リチャード2世

  (在位1364年~1380年)             (在位1377年~1399年) 

シャルル6世~狂気王

  (在位1380年~1422年)

 

 

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