フランスの歴史1 森と農業 | ろくでなしチャンのブログ

フランスの歴史1 森と農業

              フランスの歴史1 森と農業


 

 2010年に於ける各国の森林面積(森林率~国土面積に占める森林面積)を見ると、日本が69%、イタリア31%、ドイツ32%、フランス29%、イギリス12%位とされています。この数値を多いとみるか少ないとみるかは人により異なると思われますが、少なくとも5世紀初頭のヨーロッパに於ける森林率の3分の1程に減少していると言われます。

 当時はヨーロッパ一帯は、地中海一帯のギリシャ、ローマを除き現在の東ヨーロッパと同様の樹種、ブナ、オーク、楢、と言った木が生い茂る広葉樹の森だったとされます。

 

 ドイツの言い伝えによると、かっての森の表現は白い森でしたが現在は黒い森と呼ばれていると言います。これはブナ、オーク、楢の木のような広葉樹の森(白っぽい森の色)から針葉樹の森(黒っぽい森の色)になってしまったことによります。伐採による再植の結果です。

 

 ではどうして広葉樹の森が伐採されたのでしょうか。一般的には5世紀初頭のゲルマン民族の大移動により耕作地確保のため伐採されたものとされますが、キリスト教伝道のため森を切り開き教会を建て、周りに耕作地を確保したためとする説もあります。また、キリスト教によるとする説の中には自然神崇拝(樹木等に万物の神が宿るとして信仰の対象とされた。)を止めさせるために木を切ったとするものまであります。北ヨーロッハでは土着の自然神信仰が特に強かったとされます。

 

 この時代の農業はどのようなものだったのでしょうか。実は自給自足の

牧畜中心の生活だったとされます。麦の栽培は行っていたようですが収量が著しく低いため、豚を森に放牧していました。秋には森のブナの木達はドングリをいっぱい大地に落としてくれるので、存分に食べ丸々と太った豚ちゃんは、やがて天国に召され、その肉体はハムやベーコン・ソーセージとなって春が来るまでの農民達の食料となってくれたのです。

 当時、豚はもっとも一般的な食肉であり森林の価値を測る単位にも用いられたといいます。「豚100頭の森」つまりは豚が100頭飼えるだけの広さと十分なドングリが採れる価値のある森と言うことのようです。

 このような豚放し飼い方式を今も取り入れている(継承)のがハモン・イベリコです。    参照  脚のついたオリーブ (ハモン・イベリコ)  こちらへ

 

 さらに、森は生活必需品の多くの恵みを与えてくれます。建築資材としての木材、燃料用の薪は暖をとるためにも煮炊きにも使われます。

 家畜の飼料としての役割もあり、牛や馬、ヒツジは森に放牧されたり、牧草地でも飼育されます。甘味料としての蜂蜜などもとれます。蜜蜂については野生の巣から採りましたが、森で養蜂も行われた記録が残されています。小枝や樹皮を編んで作られた籠や麦藁をぐるぐる巻きにして作られた養蜂箱を置いたとされます。蜂蜜は中世の人々にとって貴重な甘味料であり、11世紀に十字軍が持ち帰ったとされるサトウキビが地中海周辺で栽培されたようですが、海外の植民地で大規模なサトウキビ栽培が15世紀から16世紀に行われるまでは、果物と蜂蜜だけが当時の甘味だったのです(ビートは概ね18世紀に登場)。また、蜂の巣は蝋燭の材料となる蜜蝋がとれましたので蝋燭を必要とする教会で積極的に養蜂場を設けた言われています


森を管理という側面で捉えると、古くはヨーロッパ・バイソン(ポーランドのベロヴェーシの森に現存)や鹿などの食性により、健全な森が育まれていましたが、人間が狩猟によって大型草食動物を狩り尽くしてしまい、次にヒツジ、牛、馬、豚等の家畜により森が育てられますが、それらも行われなくなると自然のバランスを崩し森は悲惨なものとなります。後は、人間が下草の管理や間伐や森林道の整備をしなければ森が育たないと言うことになってしまったのです。


 中世の農民にとっては森がなければ生活が成り立たなかったし、森は村を他の村から隔てる防壁の役割も果たし、自然災害への防壁でもあり、教会の教区の範囲を画するものでもあったようです。しかし、農業の方式が変化を遂げていき森の役割も変わっていくこととなります。

 

二圃式農業


 実はヨーロッパの土壌は、大河の河口は別として基本的に栄養素の少ないやせた土地であり、アルカリ性の石灰岩や粘土質の土地が多く、保水力が低いとされます。日本のように急峻な山々が多く、栄養豊かな土砂が下流にもたらされたといったことが少なく、平均雨量も少ないのです。


 アルプス以南(地中海中心)では二圃式農業と呼ばれる方式で耕作されていたようです。二圃式とは圃場(耕作地)が2つあるという意味です。

 冬雨型(夏乾燥型)と言われる気候条件の地では、夏の乾燥期を避け秋に1区画の畑に小麦を撒き、春先に収穫します。もう1区画の畑は休ませます。つまりは1区画の畑は小麦の冬作と休閑を繰り返す農法となり、A、Bの2区画のうちA区画は麦生産、B区画は休耕し地力の回復を待つ。翌年はB区画は麦生産、A区画は休耕となります。

 実は小麦は特定のミネラルだけ選択的に消費されるため、同一区画で続けて小麦を栽培すると連作障害が出る作物なのです。また、雨量の少ない地での小麦は土中の水分を吸い上げる力が強く、収穫後は土中の水分がカラカラの状態となり連作は難しいとされています。

 

 彼らが小麦に拘ったのは、彼らの主食であるパンや麺(パスタ)の原料となるイネ科植物だからです。日当たりの良い、水はけの良い畑を好み、年平均気温10℃から18℃のやや冷涼な土地であり、年間平均雨量400mmから900mmの土地が栽培に適しているとされ、酸性度の強い土地には不向きとされます。このような事情から北ヨーロッパでは栽培が難しいとされます。

 

準焼畑農業

 

 アルプス以北のヨーロッパに於いては、二圃式農業というより焼畑農業に近い方式が採られていたようです。小麦が取れなくなったら木を切って新たな農地に小麦を植えると言った方式です。焼き畑に牧畜が加わった方式となります。 

 

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