フランスの歴史6 鉄と犂 | ろくでなしチャンのブログ

フランスの歴史6 鉄と犂

              フランスの歴史6 鉄と犂 

 

 

 酸化鉄を含んだ鉄鉱石を加熱すると、鉄鉱石の酸素は燃焼材と結合して鉄(銑鉄)が出来上がります。銑鉄は多くの炭素を含んでおり、もろく実用品にはならないようです。

 そこで炭素を取り除くため高温で再加熱しますと炭素は酸素と結合して一酸化炭素となって空気中へ放出され鋼が出来上がります。

 次に、鍛造と言われる作業入ります。鍛冶屋がトンテンカンとたたく作業ですね。この叩く作業により金属内部の空隙が潰され強度が増します。

 さらに加熱した金属を水に漬けて急冷する(焼入れ)するとマルテンサイトと言われる硬い金属となるようです。焼き入れはあらゆる金属の中で鋼だけに有効な手段とされます。

 

 鉄鋼の大まかな製造工程は上記のとおりですが、中世に於いては鉄鉱石を溶かすまでの高温を得る方法が見付かっていませんでした。

 多く利用されていたのは木炭であり、燃焼温度が低く鉄が溶融するには至らず、鉄は赤熱のあめ状の塊(塊煉鉄)となります。

 この鉄を鍛錬し成形して鉄製品が作られていましたが強度は満足のいくものではなかったようです。

 

 鉄鉱石を溶かして鉄を取り出したいところですが、石炭やコークスは未だ使われていませんので木炭を使っていました。当時の鉄鉱石は露天掘りで簡単に手に入ったとされます。

 8世紀頃になると、水車を使ってふいごに送風することが可能となり、鉄鉱石を溶かす炉内の温度を高めることに成功します。

 溶けた鉄(銑鉄)を使って鋳鉄品(鋳物)の製造が始められます。やがて、銑鉄を再加熱すると炭素含有量の少ない鋼(鉄と鋼の違いは炭素含有量)が出来上がることが知られます。 

 水車の動力とふいごの登場によって、2段階の加熱が鋼を生み出し、従前から行われていた鍛造を行い、焼き入れにより硬度が増した鋼が生み出されました。


 良質の鉄を生産する技術を取得した鍛冶屋は特別技術者であり、村の中心に位置する場合もあったようです。当然これらの技術は甲冑、刀、矢じり、クロスボー等の武具生産に採り入れられますが、9世紀以降には農民にも、鉄製の斧、鋸、馬鍬、犂、鎌、ナイフ、蹄鉄、荷馬車の金具、釘等をもたらします。 

 

 鉄は農機具の発展には大きく寄与し、農業生産を著しく向上させます。牛馬に牽引された犂(すき)~土を掘り起こす農具~土壌を反転させて雑草などを土中に埋め込み腐食させ、掘り返された土は空気を含み、保水力が増す~により畑を掘り起し種蒔きが行われます。

 やがて、鉄製の大型重量有輪犂(カルカ)が導入され、畑を深く掘り起こす事が出来るようになり作物の生産性が高めらます。

 
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 硬度の高い鉄の登場により、先端に取り付けられた刃が土を垂直に鋭く切りとり、後部の曲面鉄板が土をひっくり返してくれます。カルカは重量があるため従前の牛による牽引から、馬による牽引へと代わり、方向転換のため人手も必要とします。このため、方向転換の回数を少なくするため土地は細長い短冊状に区分けされたとさます。

 

 11世紀には馬耕が知られるようになり、13世紀には馬耕が一般化したようですが、蹄鉄の装着、繋馬用具の発明もあり複数馬(6頭立て、8頭立ても)による耕作が可能となります。カルカの導入は共同作業を行える環境が整ったことの証でもあります。

 

 また、カルカの登場によって広葉樹林が開墾され、森林が減少していきます。さらに追い打ちをかけたのが製鉄です。鉄を作るためには大量の木炭が必要であり、50㎏の鉄を得るためには、200㎏の鉄鉱石と25㎥の薪が必要だと言われます。鍛冶屋の規模にもよるでしょうが、直径2㎞の森の木は40日分の燃料にしかならなかったとされます。
 当然森林が枯渇していきます。ガラス製造に於いても大量の薪が必要とされ、薪を求めて生産地を北上させたと言う歴史が生まれます。

 製鉄は、燃料として石炭、コークスの時代へと変貌を遂げ行くようです。

 

水 車

 

 8世紀とも9世紀とも言われる風車の建設は、スペインのカスティーリャ伯領で始められます。技術はイスラム世界からもたらされたようです。

 ここで重要な役割を果たしたのが、回転運動を往復運動に変えてくれカム軸であり、水車の登場です。風車と水車はどちらが先にヨーロッパにもたらされたか明らかではないのですが、風力に影響されない水車の駆動力の強大さから広範囲に広まったようです。

 11世紀から12世紀に広く普及したとされ、フランスに於ける水車の数は3万基とも5万基とも言われています。

 用途も粉挽用、金属の圧延、刃物の研磨等広範囲に渡ったようです。 

 

 中世の農業 その2でも触れましたが、水車小屋・パン焼きかまど・葡萄圧搾機等は領主が独占し、利用者は使用料を支払わなければならず、この制度をバナリテ(領主独占による使用強制)と呼ぶようです。

 粉挽き人と呼ばれる人が経営にあたり、使用料を領主に上納するシステムになっていたようです。

 

 

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