ソーテルヌ 評 価 その1  | ろくでなしチャンのブログ

ソーテルヌ 評 価 その1 

       ソーテルヌ 評 価 その1 ボルドー第4版より 

 

 

概 観

 

位 置/ ボルドーの南東、市中心部から約42㎞


             ろくでなしチャンのブログ

 

葡萄の栽培面積/ 2,000ha

           ソーテルヌ 1,581ha

           バルサック   400ha

村 名/ バルサック、ボム、ファルグ、プレニャック、ソーテルヌ

  

平均年間生産量/

       ソーテルヌは32万5千ケース(1ケース12本)
       バルサックは14万5千ケース 

             

格付けされたシャトー/ 27

       特別第1級が1(シャトー・ディケム)  
           1級が11
        

           2級が15


主な葡萄品種/ セミヨンとソーヴイニョン・ブラン。

          ささやかな量のミュスカデル。

 

主な土質/ 深い砂利質底土の上に厚い石灰岩層。あまり望ましく

       ない地域ではいくらか砂や粘土が見つかることもある。

さくらんぼ バルサックとソーテルヌのワイン生産地は、ボルドーのダウンタウンから南へ車でわずか40分ほどのところにある。人手がかかり、コストも高いバルサックとソーテルヌの甘口ワインを造るには、ほぼ毎年、気候や労働力と言う大きな問題を克服しなければならない。さらに過去100年の大半、辛口ワインの需要が高まり、反対にこうした香りのよい、甘美な、時に頽廃的なほどリッチでエキゾチックなワインの需要が減ったことも、生産者達を悩ませてきた。ここのワインは、ある10年間に3つ以上の秀逸なヴィンテージが生まれることはめったになく、この魅力的な田園地帯に広がる葡萄畑の生産者達は、いまや自分達の時代は過ぎたのだと悲観的な見方を強めている。所有者が変ったシャトーも数多く、資金繰りを支えるために辛口の白ワインを同時に造るシャトーがますます増えてきた。

 しかし、驚くべきことに、従来通りの生産を続けているものも少なくない。彼らには世界で最も優れたワインを造っていると言う自負があるし、母なる自然と幸運、それに彼らの製品に対する消費者の認識が高まれば、こうした白ワインの需要と評価が促進されると言う期待もある。確かに最近までは、この地方の白は、偉大なワインながらフランスで最も過小評価され、正当な評価を受けていなかった。

 もしかしたら、彼らの粘り強さが実を結んだのかもしれない。将来、歴史学者達は1980年代の後半にバルサックとソーテルヌのルネッサンスが始まったと見なすだろう。運が向いてきた理由は沢山ある。まず母なる自然の手によって、特上の、伝説的と言ってもいいくらいの3つのヴィンテージ、1988年、1989年、1990年が生まれたおかげで、この地方の生産者達とそのワインが注目されるようになった。

 2つ目は、しばらく沈滞していた数多くのシャトーから、かなり興味を引くワインが生まれるようになったことだ。特にフランス農業省傘下の有名なシャトー・ラ・トゥール・ブランシュが1988年、1989年、1990年に深遠なワインを生んで復活したことは、フランス政府でさえもこの産地の名声を擁護したがっている証となった。

 

                 
              シャトー・ラ・トゥール・ブランシュ。 詳解はこちら  


 もう1つの、第一級(プルミエ・クリュ・クラッセ)、ラボー・プロミも最高級のワインを造るようになり、1988年、1989年。1990年は頂点を極めた話題作であった。

 

 

         
     シャトー・ラボー・プロミ。 詳解はこちら


 さらに、この地方で最も主要なシャトーの1つ、シャトー・リューセックがドメーヌ・ロートンシルトによって1984年に買収されたことは、ロートシルト家の偉大なワイン帝国が、有り余るほどの芳醇さと甘味を持つ白ワインに手を伸ばす布石ではないかと思われた。その期待に応え、1988年、1989年、1990年に心動かされるような魅力のワインが誕生したのに続き、過去数年のヴィンテージも大成功を収め、途方もない2001年はその頂点を極めている。

 

                
               シャトー・リューセック。 詳解はこちらへ
  


 それと同時に、カナダ人の所有者の元で、シャトー・ギローの復興が続き、一連の上質なヴィンテージが生まれた。

 

     
  シャトー・ギロー。詳解はこちら

        

 そうした中、1988年、1989年、1990年のヴィンテージは頂点を極めた。これらは2001年に新に記念碑的なヴィンテージを迎えるまでは、1937年以来最高のソーテルヌだと言われた。これらのヴィンテージの先物を見つけるのは難しく、生産者達に新たな自信が生まれた。これまでの様々な困難を乗り越え、バルサックとソーテルヌの甘口ワインは再び世界の最高の食卓でもてはやされるようになったようだ。

 

 母なる自然はこの地方の生産者達に特別優しかった(例えば1986年~1990年)が、1991年から1995年はこの産地からは心をかきたてられるワインが殆ど出ていない。しかし本書の執筆時にティスティングした2001年はとてつもないワインで、明らかに1988年、1989年、1990年以来最高の出来である。現代の技術のおかげで、ワイン醸造の過程に凍結抽出法と呼ばれる画期的な手法が取り入れられ、生産者は自然に対抗することが出来るようになってきた。葡萄を冷凍し、そこそこのワインをはるかにリッチで興味深いものに変えるこの手法は、あまり出来の良くないヴィンテージに用いることが出来る。最高のシャトーがこの手法を好むかどうか、また10年から25年経ったときに、こうして造ったワインに衰弱が見られるのかどうかは、21世紀もまだ先になってからでないと推測できない。しかし、このアペラシオンから生まれる多くのワインの現在の品質を向上させるのに役立っていることは間違いない。

 バルサックとソーテルヌのワイン生産者が素晴らしいワインを生みだすのは、勝率の低い恐るべき賭けのようなものであることは、疑いの余地がない。   

 どういうヴィンテージになるかといった期待と不安が生産者達の心にきざすのは、毎年、北部に至るまで殆どの赤ワイン生産地が収穫を始めたか、あるいに場合によっては終わったかと言う時期である。9月の半ばを過ぎると、母なる自然はこの地方にとって重要な気候条件を見せ始める。バルサックとソーテルヌのその時期の気候は通常、霧が多く穏やかで、湿気が多い。霧の立つ湿度の高い朝(ソーテルヌの真ん中を流れるシロン川がその原因)と日の射す乾いた午後がボトリティス・シネレアと呼ばれるカビの成長を促す。このカビは(一般に「貴腐菌」と呼ばれる)熟した葡萄の一粒一粒に付いて、果皮をむさぼり、葡萄の水分を奪って枯れさせる。そして言うまでもなく、この高貴なボトリティス菌に襲われたブドウだけが選別されるのである。ボトリティス菌はとりわセミヨン種の葡萄に深遠な変化を及ぼす。果皮を萎びさせ、最高50%の糖分を食べ尽くし、グリセールを形成し、酒石酸を分解する。その結果、葡萄はボトリティス菌が付く前の4分の1しか果汁分が無くなる~とろりとした、凝縮感のある、香り高い、甘いネクターのようになる。面白いことに、この作用で葡萄の果汁はけた外れに凝縮され、糖分も普通よりかなり多くなる。しかも、酸は全く失われない。 

 この過程は不規則で、時間もかかる。白葡萄の大部分がボトリティス菌に侵されるまでに1ケ月から2ケ月かかることもしばしばである。ボトリティス菌がほとんど育たない年もあり、そうした年のワインは風味の次元と複雑さを欠くようになる。ボトリティス菌が出来る場合でも、その成長は気が遠くなるほどゆっくりで、ムラがある。そう言うわけで、この地方の偉大なワインは、葡萄摘みのチームが畑に出て、枝ごとでなく、貴腐菌(ボトリティス菌)の付いた葡萄を一粒ずつ摘むという、根気も時間も人手もかかる過程を経て出来るのである。最高のシャトーともなれば、通常10月から11月の間には、摘み手を6回にも分けて畑に出す。9月から収穫を始めるシャトーもある。有名なシャトー・ディケムでは10回に分けて畑に摘み手を出すことも希ではない。収穫にこれほど経費と時間がかかるのとは別に、最も痛手をこうむる危険があるのは気候である。大雨、雹、霧など、晩秋のボルドーでは当たり前の気象が、期待の持てるヴィンテージを一瞬にして目も当てられないものにしてしまうこともある。

 バルサックとソーテルヌは偉大なワインを造る条件が他と大きく異なるため、ボルドーの赤ワインにとって偉大なヴィンテージが、この地区の甘口の白ワインにとっては難しいヴィンテージになっても驚くにはあたらない。1961年、1982年、2000年が良い例だ。これらは赤ワインには申し分ない偉大な年だが、バルサックとソーテルヌでは上手くいかなかった。

 反対に1962年、1967年、1980年、1988年、2001年は、バルサックとソーテルヌにとって優良から特上だと多くの人が考えるヴィンテージである。だが、1962年、1988年、2001年を除き、これらのヴィンテージはボルドーのほとんどの赤ワインの不作の年にあたる。

 メドックの赤ワインと同様、バルサックとソーテルヌのワインは、1855年において品質別に格付けされるほど重要だと考えられていた。この序列では、ディケムがこの地方の最高とされ、「特別第一級(プルミエ・グラン・クリュ・クラッセ)」と呼ばれた。ディケムの次が「第一級(プルミエ・クリュ・クラッセ)(いくつかの畑が分割されたために現在では11シャトー)」で、「第二級(ドジェーム・クリュ・クラッセ)」が15<訳注 ミラは1976年に廃業したが、1988年に復興し、各シャトーとも苦難に耐えて健闘している。>あった。

 

    

シャトー・レイモン・ラフォン 詳解はこちら     シャトー・ド・フアルグ  詳解はこちら  


     

シャトー・ジレット 詳解はこちら           シャトー・ディケム。 詳解はこちら          


 消費者側からみれば、格付け外のブルジョワ級シャトーであるレイモン・ラフォン、ド・ファルグ、ジレットが、ディケムを除く格付けシャトーに匹敵する極上のワインを造っている。だが、これらは1855年の格付けには含まれていなかった。また、一級、二級のシャトーでも、膨大な数の摘み手を4週間から8週間も断続的に働かせるという、伝統的なやり方でワインを造る余裕のないシャトーがたくさんある。そのいくつかは現在は格付けに相応しくなく、これらのシャトーに関する私の評価は下がっている。

 シャトー・ディケムは、当地のその他のシャトーの上に(<畑の立地から見れば>物理的にも比喩的にも)そびえ立ち、すばらしくリッチで特徴的な、独特のワインを造っている。私から見て、ディケムはボルドーの中でも唯一無比の偉大なワインである。メドックの公式な一級シャトーには毎年立派な挑戦者がいて、同じくらい印象的なワインが生まれることがしばしばだ。シュヴァル・ブラン、オーゾンヌ、ペトリュスの右岸の3大シャトーにしても、あるヴィンテージではそれぞれのアペラシオンの他のシャトーに追いつかれるどころか、凌駕される場合さえある。だが、ディケムには挑戦者がめったに現れない(非常に少量しか生産されない、クーテの贅沢なキュヴェ「キュヴェ・マダム」は例外かもしれないが)。これはなにも、クリマン、リューセック、シュデュイロ―といったバルサックとソーテルヌの一流シャトーが最上級のワインを造れないからではない。むしろディケムが、ワインの品質に惜しげもなくお金をかけるので、そのほかのシャトーが張り合おうとするのは商売的に割に合わないのである。

 

              
シャトー・クーテ・・キュヴェ・マダム        シャトー・クリマン 詳解はこちら       

              詳解はこちら

     

シャトー・リューセック 詳解はこちら        シャトー・スデュイロー 詳解はこちら        

 

 本書の初版を著した1984年当時は、ごく一部を除き、バルサックとソーテルヌのシャトー全体の潜在能力に疑問を抱いていた。今日、1986年、1988年、1989年、1990年、2001年のヴィンテージの成功によってこの地方全体が様変わりしており、その大部分1980年代初期には夢にも思わなかった経済的な繁栄(おそらく経済的な保障すらも)をある程度享受している。凍結抽出法などの革新的な技術があるとはいえ、これらのワインは昔同様、世界一生産が難しい。悪いヴィンテージが何年か続いたり、新しい技術に頼り過ぎたりすれば、このアペラシオンの勢いは大幅にそがれてしまうだろう。だが、かつてはボルドーで最も悲惨だったこの地域も、目下のところは楽観主義に浸っている。

             

ソーテルヌ 評価 その2 こちらへ

 

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