幼年期の終わり

テーマ:


 久々にSFを読みました。
 『幼年期の終わり』(アーサー・C・クラーク、池田真紀子訳/光文社文庫)
 ハヤカワで福島名訳バージョンが出てますが、こちらは古典新訳シリーズというやつで、「いま、息をしている言葉で、もういちど古典を」という趣旨らしいです。福島訳だけでなく、ハヤカワで読む独特の香り溢れる訳文も好きなのですが、これはこれで、するっとさらっと読めるのがいいと思いました。


 作品自体はSF史上不朽の名作の誉れ高く、ご存知の方も多いと思います。
 私、実は、今回初めて読みました。
 一時期、古典SFを読み漁った時期もあったはずなんですが、何か1冊読んで、「合わない」と、思っちゃったようで。それから、クラーク作品は全然読んでなかったんですね。
 でも、もしかしてこの作品は、ある程度年食ってから読んだ方が面白いかもしれません。


 地球上空に、突如として現れた巨大な宇宙船。オーヴァーロード(最高君主)と呼ばれる異星人は姿を見せることなく人類を統治し、平和で理想的な社会をもたらした。彼らの真の目的とはなにか?異星人との遭遇によって新たな道を歩み始める人類の姿を哲学的に描いた傑作SF。 (「BOOK」データベースより)


 ある日突然、人類の科学水準を大きく超える異星人が地球を来訪します。
 日本の幕末の黒船来航に似ています。日本はそれから開国し、国のあり方、人の暮らし方もずいぶんと変わることになるのですが、この小説でも、地球人類はオーヴァーロードの外圧によって変わっていきます。
 でも、黒船の諸外国が経済的軍事的目的があったのと比べて、オーヴァーロードにはこれといった目的が見えません。
 人類は、オーヴァーロードを「時期を待ってる侵略者」とか「善意の種族」と予想しあいます。

 オーヴァーロードの真の目的は後半になって明らかになるわけですが……。


 読み終わると、「親の感傷」を感じる作品です。
 あまり語りすぎるとネタばれしてしまうんですが、私はそう感じました。
 「幼年期の終わり」を、見守る大人目線で見るか、巣立っていく子供目線で見るかで、読後感もやや違うと思います。
 私は、とりあえず、ある程度、年をくってから読んでよかったと思っています。
 この作品は、人間という存在そのものを考えさせるところがあって、生き方がゆらいでるティーンエイジャーだと結構ツラいんじゃないかな、と、思うからです。


 読む年齢、立場で色々、受け取り方に違いが出るはず。
 哲学的SFと言われる所以かもしれません。

AD

ダージリンは死を招く

テーマ:

 久々にコージーミステリを読みました。

『お茶と探偵1 ダージリンは死を招く』(ローラ・チャイルズ、東野さやか訳/ランダムハウス講談社文庫)。
 最近のコージーミステリには、大体、「○○探偵」というキャッチがついています。この本の場合は「紅茶」です。

 主人公のセオドシアは36歳、独身。かつては、広告業界でバリバリのキャリア・ウーマンとして働いていましたが、現在は、故郷のチャールストンでティー・ショップを営んでいます。もちろん、かつてのキャリアを生かして、インターネット店舗を計画したりと、なかなかのやり手です。
 セオドシアを助けるのは、アメリカ屈指の茶葉鑑定人のドレイトン、うっとりするようなスイーツを作るパテシェのヘイリー。精神的な助けとしては、ダルメシアンとラブラドールのミックス犬のアール・グレイ。(老人ホームや病院を訪問する公認セラピー犬で、セオドシアが心から誇りに思ってるあたりが犬バカとしてはたまりません)

 コージーだからして、目のさめるような推理バトルとか、驚天動地の大どんてん返しなどはないのですが、1冊通して楽しく読めました。
 紅茶探偵として紅茶の薀蓄は書かれていますが、さらっとしています。
 たぶん、イギリスで紅茶探偵が書かれたら、もっとコッテリと、少し嫌味な感じがするのではないでしょうか。
 でも、この本の舞台はアメリカ、チャールストン。
 日本での「日本茶」、イギリスでの「紅茶」は、アメリカでは「コーヒー」です。もちろん、日常的に紅茶を飲む人はいるでしょうが、感覚としては、日本人の紅茶に対する感覚と少し似ているのではないでしょうか。(一般庶民のメインストリームではないということで)
 舞台のチャールストンも、いい感じ。
 今もイギリス植民地の雰囲気を残し、歴史ある建物も残っています。セオドシアのティーショップもその一画にあって、町並みに溶け込んでいい雰囲気なんだろうな、と、思いながら読んでました。
 それでも、歴史ある地区や建物とはいえ、さほど重い感じがしません。これもアメリカならではの軽やかさなのでしょう。

 コージーは、リラックスしたい時に読むもの。
 そんな意味では、とてもよく出来たコージーミステリです。


AD

ザ・プラザ

テーマ:

 時間がかかりましたが、読み終わりました。『ザ・プラザ――セレブを魅了する名門ホテルの内幕』(ウォード・モアハウス3、 赤根洋子訳/ヴィレッジブックス)。

1907年の創業以来、ニューヨークの「ザ・プラザ」ほど多くの名士やスターに愛され、華やかな話題をふりまいてきたホテルは他にないだろう。たとえばケネディ元大統領は常宿組の一人。宿泊だけにあきたらず部屋を借りて住みつく文豪もいた。また、米国公演の際にビートルズが滞在してファンが殺到する一幕も。俳優のM・ダグラスが超豪華な結婚披露パーティを催したり、『ティファニーで朝食を』をはじめ映画のロケ地になったことも―。世界の富と名声で飾られた伝説の数々を関係者の証言で綴った話題作。


 NYにはランドマークといわれるホテルがいくつかありますが、プラザもそのひとつ。
 実際、プラザはホテル以上の存在であって、私もあのホテルに足を踏み入れる根性が今ひとつありません。そういえば、歴史で習った「プラザ合意」と、あのプラザが同じプラザとは、かなり後まで気がつきませんでした。そんな単語からして、歴史の生き証人、てな香りがします。


 さて、ホテルとしてのプラザ。
 数々の有名人から愛され、数々の逸話を持ち、また今日も歴史が作られているはずの場所。
 この本は、そんな創生依頼のエピソードを関係者にインタビューし、綴ったノンフィクションになります。
 プラザはオーナーも何度か変わっています。あのトランプ・タワーで有名なドナルド・トランプ(逆?)も、一時、プラザの持ち主でした。ホテルの買収や売却などには、必ず何かのドラマがあります。この本も、そうしたゴシップ的なものにしようと思えばいくらでも出来たはずなのに、そうしたことはひとつもしていません。
 著者は、幼い頃、両親とプラザに住んでいました。彼の記憶に残るプラザは、特別な場所です。
 たぶん、そんな思いも手伝って、プラザを語る口調は思い出と憧れと少しのシニカルさだけを含み、下世話さや野次馬根性はないのだと思います。


 読み終わる前も、読み終わった後も、プラザは威容を保つNYの伝説の場所でした。
 私が泊まったことのあるホテルの中にはランドマークと言われるホテルも5つ星ホテルもあるけれど、この、プラザに対する特別感は何なのでしょうね。
 たぶん、それがプラザの持ってる魔法なのだと思います。

AD

聖母マリア再臨の日・下

テーマ:

 あう。続きは間を空けないでUPしようと思ったのにー。


 読了はちょっと前の、『聖母マリア再臨の日・下』(アーヴィング ウォーレス、青木久惠訳/扶桑社文庫)。
 同じ作者の『イエスの古文書』と、比べると非常によく出来た仕掛けになってたなあ、と、思います。たぶん、この本、『ダヴィンチ・コード』の2匹目のドジョウで再刊されてると思うのですが、そう思って読むと、もんのすげえガッカリすることでしょう。この本は「ルルドの奇跡」をめぐるグランドホテル形式の人間ドラマを楽しむものなのですよ。

 おかげさまで、というか、なんというか、今までぼんやりとしか知らなかったルルドの泉のウンチクが増えました。(だからといって、人生に役立つとも思えません)
 面白いなあ、と、思うのは、やっぱり奇跡は目に見えないとダメってことがわかったことですね。聖母降臨の聖地は他にもあるのに、飛びぬけてルルドが知られているのは、泉というアイコンのせいです。奇跡の治癒をもたらした人が置いていった杖でさえも、「奇跡」としてのアイコン。非常に面白いです。
 物語中で、アンチ奇跡の新聞記者が、観光化されたルルドに「けっ!」と思ってる描写が出てくるのですが、キリスト教自体がアイコンだらけの宗教なんだから仕方ないないじゃん、と、日本人の私は思いましたよ。
 日本だったら、門前市で絶対「ルルドの泉まんじゅう」売ってる。
 それでもって、それで食ってけるのも神さんの御加護とか言ってるよ、きっと(笑)。

聖マリア再降臨の日・上

テーマ:

 きっと、誰も更新を期待してなさそうなので、ボソっと更新してみます。
『聖母マリア再臨の日・上』(アーヴィング ウォーレス、青木久惠訳/扶桑社文庫)。
 キリスト教徒でなくても、興味がなくても、たぶん一度は聞いたことがあるはずの地名"ルルド"。これは、ルルドを舞台とするお話です。
 まずは、ルルドについての説明を少し。


 今から150年ほど前の1858年、フランスの鄙びた片田舎だったルルドに住む14歳の少女ベルナデットが白い服の貴婦人を目撃する。ベルナディットが、貴婦人に名前を尋ねると「私は無原罪の宿りです」と答えたところから、彼女の発言はがぜん注目を浴び、信頼されるようになる。なぜなら、イエスの神聖さをその母にまで及ばそうとするマリア信仰は、1854年に教皇に宣言されたばかりの教会用語だったからだ。
 ベルナディットは聖母マリアのお告げを元に泉を掘り、その水で、奇跡の治癒が何回も起こる。ルルドは奇跡の泉のある地として有名になり、今も世界中からの訪問が後を絶たない。


 さて、物語は現代。ベルナディットの日記が発見され、教会はその内容を発表した。ベルナディットは聖母マリアから再降臨する日を告げられ、それがはっきりした日付で書かれているという。マリアの再降臨の日の奇跡を見、救われるために世界中から人がルルドに押し寄せる。


 奇跡の治癒を求める重病人の男性、その恋人で奇跡に懐疑的な精神科の学者。ルルドの奇跡を破壊しようとするテロリスト。新聞記者……様々な人の希望と欲望がルルドで交錯する――。 物語はルルドに集まった人々を登場人物として、グランドホテル形式として進んで行きます。
 私はカトリックではないし、マリア信仰もないのだけれど、それでも他にすがるもののない病人が奇跡にすがる気持ちはわかります。
 切ない気持ち。希望と絶望の狭間で揺れる気持ち……そんな気持ちが渦巻く土地に、奇跡の予言がなされたら……と、そういうドラマのお話です。

カルバニア物語(10)

テーマ:

 試験が終わって嬉しくて、帰りにマンガを2冊も買いました。
 や、別に一度に2冊マンガを買うなんて珍しくもなんとない……というより、割と普通なのですけど、しばらく自粛してたから(笑)。


 1冊が『カルバニア物語』(TONO/徳間書店Charaコミックス)の新刊。
 架空の王国・カルバニアを舞台にした王宮コメディです。かわいい絵柄なのに、おやじの登場人物が多く、女体が不要にわんさか出てくるという、私の琴線に触れてたまらないシリーズです。
 ナイスなギャグセンスの中に、ものすごくいい話がぽこっと入っているのがたまりません。


 今回でいうと、最初に載っている「公爵の日」。
 シリーズ全体の主人公・伯爵令嬢エキューのお父さん・タンタロット伯爵がメインのお話。
 このお父さんがツルっぱげのワシっ鼻なのに、ものすごい素敵で!……って、おやじについて熱く語るところじゃなかった(笑)。
 
 タンタロット伯爵は、毎年、誕生日に貧民窟の子供たちにお菓子を振舞います。少年・イサクもそのひとりで……という、イサクの視点で物語りは語られます。
 この物語は24Pの短いものですけれど、泣きそうになりました。(電車の中だからガマンした)
 人の心を動かしたりするのは大変だけど、たとえばずっと少しずつ続けていくことをあきらめちゃいけないんだなあ、と、まっとうなことが心にストレートに響いてくるお話でした。


 いい物語に出会った時は、本は最高の贈り物を私にしてくれる、と、思います。
 このシリーズを読むと、毎回、とても素敵な何かをもらった気になるのです。

試験終了!

テーマ:

 もっさりと試験勉強をしておりました……。
 私が学生のわけがないので、資格試験です。
 近年珍しい記述問題が多い試験でして、しかも年々増えるという噂恐ろしい噂です。
 しかも、漢字で書かないといけないんですよ。漢字が間違っていると×なんですよ。漢字を覚えるよりも、法律の内容を覚えさせようよ!(笑) 小学生の書き取りじゃないんだから。


 しかし、わたし、人生の中で何度も受験をしてまいりましたが、今回はじめて、やっちまいました。


受験票忘れ。



 あああ。

 幸い、身分証明書を見せたら受験させてくれました。
 まあ、受験させてくれなかったら、
「受験すれば絶対に合格だったのに!」
と、ウソ八百が言えたのですが。


 その手が使えないので、今から結果がおそろしい……。

シャングリラ病原体・下

テーマ:

 『シャングリラ病原体』(ブライアン・フリーマントル、松本剛史訳/新潮文庫)読了しました。
 前半にくらべて、後半、キビキビ行ってます。
 ただし、やっぱり、各国政治家の腹のさぐりあい事情が大きくさかれていますので、
「わしは空想科学サスペンスが読みたいんじゃーーーーっ!!」
という方には向かないと思います。


 私はフリーマントルは初めて読みましたが、この本で海外にもやっぱり「腹芸」というものがあることを実感しましたよ。
 政治みたいに色々なものが絡んだパワーゲームは、どこの国でも似たようなものなのでしょうか。


 さて、後半、世界を恐怖におとしいれた"シャングリラ病原体"の正体が明らかになります。

 この病原体の名前は、作中のアメリカ大統領が考えたという設定です。側近は「シュミ悪……」と、思いながらも追従する……あたり、日本的な匂いを感じます。(シャングリラは人が年をとらない楽園の名前)
 原題は"ICE AGE"(氷河期)。
 AGEあたりをエイジング(加齢)とひっかけているのかなあ。英語が堪能でないので、あんまりよくわかりません。でも、確かに『シャングリラ病原体』の方が引きがありますね。原題のままだったら読まなかったかもしれません。

 今年の冬は、鳥インフルエンザの大流行が予想されています。
 怖いものはいくつもあるけれど、やっぱり、世界的な伝染病の蔓延ほど恐ろしいものはありません。SARSの時の狂騒ぶりを考えると、特に。
 せめて暗い事件の多い今日この頃、大量の死者が出るような病気が流行りませんように。

シャングリラ病原体・上

テーマ:

 『シャングリラ病原体・上』(ブライアン フリーマントル、松本 剛史訳/新潮文庫)読了。


 南極のアメリカ観測基地からの連絡が途絶えた。現地に急行した救助隊は、無残に老衰死した4人を発見する。深くきざまれたしわ。肝斑。抜け落ちた白髪。白濁した眼球。36歳だった科学者が、5日間で90歳の老人へと激変していた。北極の英仏基地、シベリアのロシア基地でも同様な事態が発生。奇病の原因は未知の細菌か?あるいは新型の生物兵器か?巨匠が挑む近未来サスペンス。


 この内容紹介を読んだら、未知の病原体と戦う科学者を描いた近未来サスペンスを想像しますよね?
 私はとりあえずそうでした。
 しかし、この本のメイン(少なくとも上巻)は、政治家達のパワーゲームだったのです。
 とにかく、この本に出てくる人間は男も女も上昇志向が強い。自らを駒としてチェスのゲームを戦っているよう。もちろん、いつか王様になるのが目的です。


 この本が出版された当時は、SARSが大流行していました。その前が鳥インフルエンザ。テロに炭疽菌が使われたことも、記憶にまだまだ新しい。
 今、何が恐いかというと、世界規模のウィルスの伝播です。
 そんなところを上手くついた作品ではあるのですが……科学者さえも例外ではないサル山のボス志向が、ちょっとオナカがいっぱい(笑)。
 とにかく、政治家なんて腹芸に腹芸を重ねて生きているのがわかりました。


 下巻は出来たら、キャビネット内での戦いではなくて、ウィルスとの戦いを重点的に読みたいところ。


イエスの古文書・下

テーマ:

 『イエスの古文書・下』(アーヴィング・ウォーレス,宇野 利泰訳/扶桑社ミステリー)読了。
 私の予想と、物語のテイストが違っていました。(上巻で、早々と福音書の内容が書かれていた時に気がつくべきだったのですが)


 この物語は、もちろん、新発見の福音書の衝撃の内容や真贋判定の面白さも読みどころなのですが、本当の主題は、信仰をよりどころにできない人間が、どう生きていくか、というテーマなような気がします。

 主人公のランダルは、信仰厚い牧師の父を持ちながら、宗教に救いを見出せない姿が冒頭に描かれます。
 宗教にルーズな日本人からすると、
「神様なんて信じてなくても、楽しく真面目に生きていけるぜー」
と、思います。
 それと同時に、便所にまで神様のいる、やおよろずの神のいます国の人としては、たった一人の神様しか信じない人の神の死のもたらす無力感の恐ろしさを感じます。


 主人公ランダルは、70年代の矛盾を一気に背負ってしまった主人公なのでしょう。
 しかし、例えば、処女懐胎も、現在の技術なら可能です。(科学が進んだ方が聖書の信憑性を表現しえるというのは皮肉な感じ)


 ラストの終わり方は賛否両論あるのでしょうが、結局、すごくキリスト教を体言した終わり方でもあるなあ、と、思いました。