問題だ
 問題だ
 生きることが、問題だ
 死ぬべきかなどと議論は無用
 明日も生きる、それだけだ
 ただ問題だ、問題だ
 一生分の、問題だ
 解ける頃には、くたばるだろう



 始まりは、思い出したくもない。
 ハローワークを通じて、ある農家に期間アルバイトに就いたときだった。
 寒い頃だった。
 毎日、ホウレンソウの収穫や、菊の挿し木。
 別に不満があるわけじゃなかったが、ただ思っていたのは、こんな生活、いつまで続くんだろうということだった。
 跡とり娘なのに、いまだ、収入はサラリーマン(もしくはフリーター)以下。
 社会保障、なし。
 いつまでも勤められるという、保障も、なし。
 両親をいずれ養わなければならないのに、貯金も、ゼロ。
 パニック発作を抱えて、職を転々。
 この仕事も、いつまで持つか…。どっちにしろ、期間だし。
 せめて、月20万は稼ぎたいところだ。両親どっちも認知症の遺伝がある。
 結婚する気はない。願望ゼロ。誰かと結婚するくらいなら、一人で苦労するほうがいい。
 ああ、どうしよう…。満足な作品も書けないのに、作家になりたいなんて夢…。

 そう悩むと、仕事が苦痛になってきた。
 でも頑張らなくちゃ。稼がなくちゃ…。

 

 ぷつん。

 

 何かが壊れ、変な音が、聞こえてきた。

 いつものように、ホウレンソウ摘みに出たときのこと。
 ビニールハウスで、BGMで、トラウマになるほど聞かされてきたZARDの歌ではない。
 ラジオだ。
 この雑音めいた聞こえ方、ラジオだ。
 女子高生(だと思っていた)の笑い声が聞こえる。
 DJなのか、男性の笑い声も聞こえる。
 でも、ラジカセはスイッチが入っていない。
 笑い声だけが、ずっと聞こえた。
 それを聞いていると、幻聴だとわかったが(もちろんそれは、ずいぶん前から幻聴などの勉強をしていたため)、なんだか死にたくなってきた。
 彼らに今の生き様を笑われている気がして。
 夢に手をつけずに、仕事にも夢を持てずに、稼ぐこともできずに、ただ、お金さえあればという願いも叶わない、惨めな日々を笑われている気がしたのだ。

 私は、次の精神科診察のとき、待ち時間が待てず、死のうと思った。
 この辺じゃスピード違反で捕まるから、高速に乗って、スピードを出して、中央分離帯にぶつかるなり、フェンスに突撃するなリして。
 あるいは、手っ取り早く、病院の屋上から…。
 屋上に行こうとしたが、階段は途中で途切れていた。
 すごくイライラして、ムカついて、死にたくて。
 診察時間が来て、幻聴とそのことを主治医に話した。
 主治医には、飛び降り自殺未遂をしたことのある人の話は聞いたことがあるのか?とたずねられ、ああ、そんな経験、あるわけないじゃん。先生、怒ってんだなあと思った。
 「でも死にたいんです、先生。落ちたら痛いとか、後遺症とか、関係ないんです。死にたいんです。それだけです」

 即、入院の話が出た。

 私は、勤務先に電話した。いつ退院できるか、わからないから、もう働けないと。15日(最短の勤務履歴)分の給料はくださいねと。

 すべて私の身勝手。

 でも、ほっとした。もう、あそこで夢を無くして働かなくていいんだと思ったら。

 あのまま帰されて、またあの生活が待っていたら、間違いなく死んでいただろう。
 

 そして私は、大崎市・古川にある古川緑ヶ丘病院の、開放病棟に入院した。精神病院に入院したのは、母の方が先なので、抵抗はなかった。
 入院直前の診察で、私は、主治医にも相談したことのある、「心の声」についても相談した。「心の声」とは、幻聴なのかもしれないが、幻聴と認識できたものとは、少し聞こえる場所が違う、胸の中や、頭の中(思考に沿って思考の音が聞こえるのと同じくらいの静かな音量)から聞こえる、もう何人かの私の声だ。どれだけ自分の意思に反する内容だったとしても、聞こえるからには自分なわけで。それゆえ、どんだけ残酷でも、卑猥でも、無差別でも、「心の声」としか形容できなかったのだ。私自身は、他人の声だと思いたいのは山々だったが、あきらめざるを得なかった。
 私に命令する声。指示する声。質問する声。共感する声。反発する声。思ってもいないような残酷で卑猥な言葉を作り出す、最大の悪魔とも言える声。それらを医者に話したら、異様な食いつきだった。話さなきゃ良かったかも、と後悔した。入院は決まり、その日から入院生活が始まった。


 毎日、同室の、他の五名ほどの患者との共同生活で、皆、昼間は寝ていることが多かった。寝るのが薬、みたいな感じである。私は、追いつめられると燃え上がるタイプなので、ナースステーションでお小遣いをもらっては、近くのセブンイレブンや薬王堂で食べ物を買ったり、初めて髪を染めたりした。上手く染まらなくてくすんだチェリー色。シャワーの時間(割り振られていて、浴びられる時間が限られている)は一人シャワーでリフレッシュ。共同入浴もあったが、そちらには一度も入らなかった。壁を作っていたんだと思う。そして、入院日記を付けていた。
 睡眠薬と一緒に飲む、ヒルナミンが体に合わなくて、薬を変えてもらうまで、毎晩冷や汗をかき、苦しくて眠れなかった。真夜中に起きると、ここは家じゃないんだと、なんとも不思議な感じがした。
 食事が、今まで食べたことのないボリュームで(600kcal程度だったが)、それに大変苦労した。スウィーツ食ってるくせに、何ぬかしてんだ、って、今なら思うが。食べて寝て、診察を受けて、調子を聞かれる。そんなこと言われたって、ラジオの方は聞こえなくなったが、心の声は相変わらずで、どうしようもなかった。
 私は日記を付けるうちに、何かを書きたいという衝動に駆られた。それは日記ではなく、もっとまとまった、ストーリーについてだった。今まで、完成させるということをしなかった、アイディアだけで止まっていた執筆を、完成させてみたいと思ったのだ。そして、自分と同じように、自分の意思とはちょっとズレている声が聞こえる主人公が登場する、「共同生活 ―私と俺―」というシナリオを、メモ用紙に書き綴った。隣のベッドの人には、「毎日一所懸命、何してるの?」と聞かれた。入院して休みに来ている人間が、何か夢中になっているのは、風変わりに見えたのかもしれない。

 とにかく、それを書き続けた。そして、完成させた。荒削りで、くだらなかったけれど、私の初めての完成作品(今の私なら、それはもっとリライトしてから完成って言え!っていうかも知れないが)。それが、私に勇気をくれた。

 私は、次の診察で、医者に、退院したいといった。
「心の声は気になるけれど、それを気にしていたら、いつまでも退院できないですよね?」

 死にたい気持ちは、治っていた(しかし、その後も悩まされることになる)。
 退院の許可が下りて、私は退院した。たった二週間の入院だった。それからすぐ、原稿のタイプ兼リライトに入った。


 (雇用者の健康の関係もあって、15日分の給料をもらうのに、半年ほどかかった)


 一見良くなったような私の病気だったが、その頃は、まだ自分の病名を知らなかった。

 確か、糖尿病が発覚した後、今の病気で障害年金がもらえるという話が出たときのことだった。自分の病名はパニック障害だったはずだと主治医にたずねると、「統合失調症ですよ。言いませんでしたっけ」と返ってきたのだった。


 それから先が、長かった。


 主治医が白石市に勤務地が変るので、入院していた緑ヶ丘病院に転院する手続き。開業するんだか、転院するんだかで、二人ほど医者が変り、現在は今の主治医で落ち着いている。

 糖尿病の治療をしながらの、統合失調症の治療。


 ここで、より理解をしてもらうため、少し説明をしておこう。

 統合失調症の最たる特徴で、よく報道されたりするのが、病気の初期段階である、急性期だ。急性期に現れる症状には二種類あると言われており、


1 陽性症状…神経がひどく興奮・過敏になるため起こる症状。イライラして怒りっぽくなるなど、身体的・精神的に活発になるため、まず人間関係に問題が表れるのが特徴。有名な症状は、幻覚(幻視、幻聴など)、妄想(自分は常に危険にさらされているなどと思い込み、ちょっとしたエピソードを、常識ではありえないような風にとらえ、強い不安や敵意を抱く)、させられ体験(誰かに操られているような感覚を訴える)がある。他にも、集中力の欠如、物の見方、考え方に一貫性がなくなる、などもあり、周りから気づかれやすい。


2 陰性症状…全体的にエネルギーの低下しているような症状が出る。陽性症状と逆で、感情の起伏がなくなったり、他者を避け、自分の殻に閉じこもったり、うつ状態になったりする。妄想も症状の一つとして表れるが、陽性症状と違い、積極的に表現しようとしない、あるいは引きこもるために、気づかれないことが多い。陽性症状との区別が難しい場合もある。


と、いったものである。誰かが悪口を言っているという妄想以外にも、音や光に敏感になったりするのも、急性期の症状だ。

 しかし、これはそれほど長くは続かず、次に、消耗期と呼ばれる、急性期の激しい症状でエネルギーを失った状態に入る。無気力になり、身だしなみなどに気を使わなくなり、周りに無関心になり、よく眠るようになるなどの症状にシフトしていく。そして、上がったり下がったりを繰り返していき、長い時間をかけて、回復期という、エネルギーが少しずつ戻ってくる期間に入る。この時期には、やりたいことなど活動範囲が広がっていくが、同時に「早く回復したい」という焦りが生じてしまう。


 統合失調症には症状の出方や年代で分けられた、四つのタイプと(ここでは説明しない)、どれにも当てはまらない「鑑別不能型」、「非定型精神病」というものがあり、いずれも現在研究が続いているのである。この病気は100人に1人がなるといわれ、遺伝の因果関係も証明されておらず、むしろ、他の病気と同じように、ストレス、環境の変化、人間関係などが複雑に絡み合って起こる、誰でもなりうる病気と言えるのだ。


 この病気で多い誤解が、性格が分裂する・変わる(旧名 精神分裂病の与えるイメージのように)のではないか?“不治の病”なのではないか?というものだが、性格が変わるというよりは、性格が変ったように見えるくらい、浮き沈みの激しい症状が出てくるに過ぎない。あるいは、この病気がきっかけで、良い(悪い)方向へ考えるようになった(多いのは、病気から学習して、よい方向へ考えるのだが)のが、「性格が変わった」と言われる所以だろう。基本的な「性格」にまで影響を与えるようなものではないので心配は要らない。病気のせいで混乱する行動の問題なのだ。冷静に長い間観察すれば、それがよくわかるはずである。

 “不治の病”(これはいまや差別言葉である。理由は知らない)と言われると、この言葉に対して、人それぞれ思うところがあるだろうから、細かくは言わないが、問題を解決すれば「良くなる」というステージが必ず待っているものなので、“不治の病”というのは当てはまらないだろう。症状が残ることが“不治”だと思われることもあるかもしれないが、その症状自体は誰もが一度は抱えるようなものなので、病気そのものが治らなかった結果ではないと思う。


 さて、私の話に戻そう。私の場合がどれに当てはまるかは聞いたことがないのでわからないが、治療後も少し症状が残るタイプと言った方がいいだろう。現在も、慢性的というか、周期的にやってくるというか、とにかく絶望的な集中力の欠如、突発的なイライラ・不安感、湧き上がってくるくだらない妄想(理性が働くので思い込まない)、睡眠のとりすぎ(11時間から13時間)か不眠、など、迷惑極まりないものばかりである。

 これらは自分ではどうしようもない。頓服の薬の力を借りるか、ひどいときは寝てしまうか、二択である。気の持ちようで治るのではないか?と言われそうだが、イライラ・不安感はほぼ同時に押し寄せる。きっかけがあるときと、ないときがある。ないときの方が多い。集中力の欠如などは、一応処方されてはいるものの、薬ではどうにもならない。大好きな本も読めない日の方が多いくらいだ。読もう、読もうと思っている勉強の本も、表紙を見つめているのも苦痛で、すぐ違うことに切り替わってしまう。本心は、勉強を先に進めたい、復習したいと願っているのにもかかわらずに、だ。手が伸びないのである。本っ当にどうにもならない。午前から何とか自分でさまざまなコンセントレーション(にもならない)をして、夜に少し脳が動けるようになるといった日々が続く。大変無駄な時間を過ごしているのである。


 私は、パニック障害のときは、病気に感謝していると書いたが、統合失調症の場合も少し似ているかもしれない。もっとも、パニック障害のように闘いやすい相手ではないので、あからさまに感謝と言うと苛立ちを覚えるが。自分にとって、迷惑な病気だからだ。パニック障害のときは、薬も違ったし、精神状態や脳神経の状態にそれほど悪影響を及ぼすものではなかった。これは違う。飲む薬も症状自体も、精神の健康を著しく害する。しかも、恐怖とかそういうものではなく、もっと嫌な、陰湿な感じだ。陰から身近なところをねちねち攻撃されるイメージ。妄想や心の声(幻聴)なんかもそうだ。きれいなもの、好きなものを、「きたない」、「大嫌い」などと、もう一人の僕が意地悪で赤字を入れるのだ。あれにどれほど傷ついたか。プライバシーの関係もあるのでここには詳しく書かないが、それで怖い思いもした。本心でないにせよ、そんな言葉を紡ぐ自分が怖かったのだ。だから、統合失調症には素直に感謝できない。これが私のストレートな気持ちだ。


 確かに、統合失調症にかかっていなかったら、ずっと書くことからも逃げることになってしまっていたと思う。しかし、統合失調症は、私から、「書く」、「描く」、二つの純粋な喜びを奪った。この二つの能力を著しく衰えさせたのだ。それは、意欲の低下もかかわっているが、頭の中から創造するために基本的に必要な情熱の炎を消し去ったのだ。だから、発病前は欠かさず描いていたマンガ日記は、今は何日かに一度の間隔で、文字メインの日記に小さくへたくそになった絵を差し込む形になっているし、もう、昔のようにシナリオや箱書き、アイディアを大量に思いついて興奮しながらメモするなんて体験、何年もしていない。私はそれだけは本当に憎い。創造の意欲が薬や症状で抑制され、くすぶっているのが自分でもよく分かる。まさに、手に取るように。


 昔の、細かいところまで楽しんで描かれたイラストや、感覚的にセンスよく書かれた小説を見ていると、悔しくて悔しくて、歯がゆくて歯がゆくて仕方がない。たった数年でこうも変わってしまうものなのか。この病気は年単位の闘病を余儀なくされるけれど、ここまでひどいのか、と。

 昔よく本で読んだりしたのだが、旧・精神分裂病(現・統合失調症)が、メカニズムがよく解明されていない頃、この病気の特殊性から、天才アーティストのインスピレーションになったのではないかという文があった。これは嘘だと思う。というより、まるきり嘘。天才ならやりかねない気もするが、天才なら天才ゆえに、この迷惑な病気に苦しむはずだ。インスピレーションなんか湧くかよ。そんなもんこの病気に瞬殺される。私も闘病の最初の頃にシナリオを書き上げたりしたが、それはとてもひどい出来だったのだ。何度もリライトしたが、基本のアイディアが良くないと言うか、本当に出来が悪かった。それに、思考回路(妄想)は支離滅裂だし、情報を分別するフィルターはボロボロで、今、何が自分にとって重要なのか、優先すべきかをわけわからなくさせる。集中力だってまったく続かない。こんな最悪の状態で何を生み出せというのか?それとも天才は病気に勝てると?…病気は万人に平等だ。大体、分裂病は狂気とされてきたが、本物の狂気と、精神疾患と定義されている病気は、なんら関係ないだろう。狂気は作品に芸術性を与えるかもしれないが、統合失調症は確実にアーティストの素晴らしい感性を、殺す。


 統合失調症は現在進行形なので、文章をどうまとめてオチをつけようか、非常に迷っている。言いたいことはたくさんあるのだ。しかしそれでは話にならない。補足しておくが、このカルテは(もちろん、先述したように、メッセージがたくさんあるということも含めて)統合失調症の症状が出たときに書いているものだ。文章を書くに当たって必要なインスピレーションのなさ、集中力、統一力の欠如が、手にとって理解していただけるかと思う。だからリライトはしないでおく。

 この病気は、つらい。悩ましい。その一言である。それが、月に一回の通院の頃にはなぜかだいぶよくなってしまうので(我慢がキレるのか?)、医者には見えないのだ。「元気そうだけどね」と片付けられる。
 もしこの病気を現代風に言うなら、「問題は露呈するが、さまざまな能力低下により、さらに生き辛くしてしまう病気」と言える。

 統合失調症にかかり、症状がだいぶなくなって、めでたく社会復帰できた人は、病気に素直に感謝できるだろう。しかし実際は、社会の偏見もあって、自分自身も偏見を抱き、病気を誤解し、カミングアウトもできずにこっそり薬を飲み続け、この病気を憎んで、肩身の狭い思いをしている患者さんはたくさんいるのだ。何とかして誤解をなくしたい。何より、患者さん自身とその家族の誤解を解きたい。だから私は、簡単だが病気について説明し、カミングアウトした。もし誰かに病名をたずねられても、臆することなく答えられるように。何より望んでいるのは、統合失調症にかかっても、「カミングアウト」する必要がない社会である。誰もが、「大変な病気にかかったねえ。何年かかるかしらないけれど、治るものだから、今までの分休むつもりで、気を長く、希望を持ってね」と声をかけられる社会である。それを私は理想としている。


 統合失調症患者よ、怯えるな!世界もあなたの病状も変りつつある!今いる場所が世の中より出遅れているなら、そんな場所、捨ててしまえ!理解のない奴らを置いてきぼりにしたって罪にはならない!あなたの再出発のステージはそこである必要などどこにもない!どうしてもそこにこだわるなら、自分が変革者になることだ!


 自分や他人のせいにしたって、ものごとは先に進まないことを、心に刻んでおいて欲しい。必要とされるのは、無罰でいたわりのある慈愛の精神である。


NEXT→カルテX 大事なことを、一つか二つ


エッセイ 「僕の病歴ですが、なにか?」目次

はじめに

カルテ0 誰が誰を差別するんだ?

カルテ1 パニック障害でしたが、なにか?

カルテ2 うつ状態でしたが、なにか?

カルテ3 過食状態でしたが、なにか?

カルテ4 糖尿病ですが、なにか?
カルテ5 統合失調症ですが、なにか?

カルテX 大事なことを、一つか二つ