自分の殻に閉じこもるんじゃねえ
そこに被害者はいるのか?
痛みを訴える、仲間がいるのか?
自分だけが苦しんでるなんて思うな
だからこそ、自分自身がそこまで苦しいんだぜ?
現在私は校正を勉強している。まさか、自分の作品の校正までやろうとか、そんなバカなことは考えていない。自分じゃおそらく気づかないところを見てもらうために校正作業があるんだから。
そのことで、ひとつ、ひっかかったことがある。
精神分裂病は差別用語だ。なぜ差別用語か?それは単に、名称が統合失調症に変ったからだ。この旧名は、精神が分裂しているような、誤解的で不可解な症状の印象を与えるため、変えられたわけだが、なぜか、正式名称(つまり、こっちの方が病名として相応しい)になった、統合失調症も、差別用語のような雰囲気が、漂っているのだ。
(差別用語には似たようなものがいくつかあるが、当事者ではないのでここには掲載しない)
これは正式な病名である。と、私は思う。今のところ、「なんか、分裂病をアナグラムしたような感も否めねぇなあ」という感想以外は、不満はない。それに、数語で表せるほど単純な病気じゃないし。どっちかっていうと、パニック障害の方が、病名を変えたほうがいいと思っている。「パニック」の「障害」って…。かかって自己診断したときから感じていたが、怖いじゃないか。何にパニックする?パニック発作にか?
よく言われていることなのだが、「差別用語なのでやめてください」という中には、全然当事者じゃない人も含まれている。例えば患者の親や、出版物の編集者、営業、校正者。病気にかかったこともないくせに、なぜ差別していると思う?
患者全体から、まるで「これは差別用語だ、気に入らない」と、今の病名を否定する人がいないわけではないだろうが、自分を含め、掲示板などを見ていると、今の病名は割と受け入れられている気がする。恐怖感もそれほどあおらないし。
だからこそ、私は自分の病名を開示したわけだが、「統合失調症なんですね」って言われたことで差別されているとは感じない。差別されるとしたら、その人の心の奥にある本音「例えばてめぇが犯罪犯しても、責任能力で争われて無罪になるんだろうなあ。羨ましいご身分だぜ。この善人面が」といったものだ(これは私が私に宛てた被害妄想だが、こんな人いるのか?)。
患者が患者に、あるいは医者に、「あなたは統合失調症」と言われて、「差別だ!」なんて考えるだろうか?むしろ、「現行の病名なのだから、治療の第一歩として素直に受け入れなければ」と思うのでは?
騒いでいるのはいつも患者以外だ。患者からすれば、「こっちはせっかく受け入れて病識持って闘病してんだから、差別差別って部外者がグチャグチャうるせぇ!」と感じるに違いない(私はそうだった)。
母は躁うつ病だが、うつ病と受け入れなかった時期が長かったため(今もだ)、さっぱり治療が先に進まない。同じことを繰り返して(再発)、そのたび、「どうして私はこうなるの?何で突然なにごともうまく行かなくなるの?」と、自分が病気であることから逃げている。意見はあるだろうが、患者自身が病名とともに病識を持つことはとても大事なことなのである。
つまり、誰が差別しているのだ?
机上の空論ではないのか?
他の差別用語の差別と混同してはいないか?
病名は本当に差別なのか?
事務的、表記統一的に、差別を正すほうが差別していないか?
もちろん、私が差別されていないと感じるから、すべての患者さんが大丈夫とも限らないのは事実だが、しかし、それにしたって過剰反応である。精神疾患アレルギーだ。
私は病名(例え時代を経て呼び方が変ろうとも)とともに生きていく覚悟である。その上で、病名を明らかにしているのだ。それは、何も私だけがやっていることではない。すべての患者に言えるのだ。掲示板で、自分は統合失調症です、うつ病ですと告白しているのは、みんな、自分から自由になりたいからである。隠しているのがつらいからである。差別どうこうの問題があるなら、そんなこと誰もするまい。中には、「分裂病です」と自ら称した人もいたくらいだ。
誰かが病名をカミングアウトすることで、「誰かが傷つく、これは差別だ」として責められるなら、誰もカミングアウトできなくなる。そんな社会にしてよいものだろうか?私は大変悪いことだと思う。あってはならんと思う。それこそ病者への差別である。
たとえば、ある病気では、帯に書いたりするとキャッチーだから出版社もカミングアウトを許し、大々的に広告し、ある病気では、帯に書いたりするとみんな避けて買ってくれないから、「こころの風邪」くらいに緩めとこうというのは、差別そのものだ。これは大変な事である。しかもカネが絡んでいるのでたちが悪い。
病人をバカにするな!私たちを差別しているのは、他でもない、お前らビジネスの亡者だ!
(ただし、僕は、誰かがカミングアウトすることで、同じ病気の人が、色眼鏡で見られる可能性は、否定しない。実際そんな事件がいくつもあった。僕だって、犯罪者と同じ病気だ、注意しろ、なんて言われたら、嫌だ。しかし、病気イコール犯罪、変態嗜好という公式はないので、同じ病気の人同士が、誰かのカミングアウトを快く思わないからやめてくれというのは、病気の社会的研究が進むのに、あまり好ましくない影響を与えると思う)
同じ病気の人で、病名開示を避け、なおかつ他の誰かがカミングアウトをするのを嫌がる人へ。「あなたはふさぎこんでいたいらしいが、わたしは病気と闘いたいんだ。共存したいんだ。病気を隠しているのはつらいから。なぜ自分がこうなるのか、知ってもらうために、そのためにカミングアウトは欠かせないんだ。いつかこの病気への偏見がなくなることを理想として世間にカミングアウトするんだ。どうか協力してくれないか。自分で自分の病気を差別しないで、より良い社会にしていこうじゃないか」と、言いたい。
※決してみんなでカミングアウトしようと呼びかけているのではないので、その辺は勘違いしないでいただきたい。隠したい人は隠せばよいのだ。ただ、自分優先で他人の人生のありかたにまで口出しするのはやめてもらいたい。
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エッセイ 「僕の病歴ですが、なにか?」目次