※「白血病からの社会復帰」シリーズが初めての方は、コチラの「シリーズ連載への想い」を先にお読みください
*************
前回(第68話)の続きです。
「発病前のキャリア~発病~闘病~そして社会復帰」と順に、キャリアコンサルタント目線も添えてお伝えしています。
※なぜ闘病からお伝えしているかは、こちらへ
※これまでのお話の詳細は、目次1 、目次2、目次3へ
***********
(これまでのあらすじ)
1話~66話までのあらすじは、あらすじ1 、あらすじ2 、あらすじ3へ。
そして、2002年7月骨髄移植、最初の白血球ゼロ期間の山場を過ぎると、GVHD(拒絶反応のようなもの)との新たな闘いが始まりました。
その最初は、一番よく出る反応の皮膚でした(第67話)。その原因は、検査でGVHDだとはっきりしました。
が、その後、
さらに耳全体が水ぶくれで腫れあがり(第68話)、原因は不明。
移植後は、原因不明のことだらけ、一難去ってまた一難、そして一難、、、の連続でした。
**********
(今日のお話)
2002年8月。
骨髄移植後、1か月経っても、毎日38~39度の高熱が出続けていました。
解熱剤もほとんど効かず、37度台まで下がったかと思うと、2~3時間後には、また急激に熱が上がる繰り返し。
これも、あれこれ検査をしても原因不明。
ドナーさん由来の白血球が、自分の体を異物とみなし攻撃してくる「GVHD」と言う拒絶反応が原因と思われました。
水ぶくれに腫れあがった両耳(第68話) も、原因不明のままで、枕が当たっても痛いまま
・・・・・・・・・・
そんな状態が続いていたものの、白血球数も上がり、無菌室から血液内科の個室へ移る日がやって来ました。
結局、移植の時に無菌室へいたのは1か月でした。
移植前の抗がん剤治療の時に無菌室にいた4か月(第23話)も併せると、計5カ月間、無菌室にいたことになります。
無菌室・・・。
動かない景色、窓枠越しの四角い空。
無菌室から見た風景は、8年経とうとしている今も、はっきり覚えています。
・・・・・・・・・・
2001年10月~2002年1月、抗がん剤治療の時に入った無菌室からは、遠くに山並みが見えて、お天気によって山肌の見え方が変わって、季節の移り変わり や 日々の変化を感じることができました。
しかし、
2002年7月、骨髄移植で入った無菌室は、反対側で、面会用のガラスの向こうの窓からは、建物ばかりが見えました。
毎日、毎日、見えるのは、四角い同じ景色。
あちこちに、身体的な苦痛を感じながらも、
「たまには、クルッと回ってみるとか、踊ってみるとか、芸したらどうや(笑)!」
と、いつもいつも代わり映えしない建物に、心の中で突っ込んでる私がいました
まだ、心にゆとりがあったんですよね。この時は。
移植後、この後まだまだ波乱が待ち受けていたんですけれど・・・。
・・・・・
外に出ることができる幸せ。
自分が動くと見える景色が、どんどん変わる幸せ。
果てしなく広がる空を、見渡せる幸せ。
感じながら、生きたいですね
こちらへつづく・・・
**********
【シリーズ目次】
◆白血病からの社会復帰【目次1】 発病前のキャリア~緊急入院~無菌室での闘病
◆白血病からの社会復帰【目次2】移植するのかしないのか~右足の手術
◆白血病からの社会復帰【目次3】骨髄移植直前~
【あらすじ】
◆白血病からの社会復帰(あらすじ1)第1話~第45話
◆白血病からの社会復帰(あらすじ2)第46話~第54話
◆白血病からの社会復帰(あらすじ3)第55話~第62話
【幸せな就職のための具体的スキル記事】
◆就活/転職FAQシリーズ(目次)
【働くを楽しむための記事】
■どんな仕事も楽しめる♪目次集【1~67話、番外編1~54】
*********
最新の記事一覧へ
ハッピーに働いて、ハッピーに生きる。
幸せな就職~キャリアカウンセラー木村典子(のり)
※症状などは私の場合の経験談で、白血病の症状を説明しているものではありません。また白血病に関する内容も、元患者の私の理解の範囲で、正確なものではありません。病に関しては、専門医にご相談くださいませ。