覚え書き『2012年 始動』
お正月は家にこもって、ずっと年賀状を作っていました。
今年こそはと思って早めに準備したものの、結局はいつも通りのこのタイミング。
もはや年越しから年始にかけて行う年賀状用版画の制作は、ぼくにとって毎年恒例の年中行事のようなものとなっています。
堅い桜の木を彫り、薄い半紙に何枚も何枚も刷ります。
筆を使い、紙の裏から何色も何色も彩色していきます。
そのどの工程も、ぼくにとってみれば、飛行機が離陸する前に行われる機体の点検作業と同じ類のものです。
心を空にして無心にならないと良いものはできないということを、いつもいつも思い知らされます。
今できること以上のことが今できるはずもありません。
せめて今日行うことは昨日のうちに、明日やるべきことは本日のうちに、準備しておかなければならないということです。
昨年、ぼくは、ひとつでも多くのお話しを作ることを目標としてきました。
同じ傾向の物語を量産するのではなく、できる限りの多くのバリエーションをそろえ、自分の世界を、ひいては自分の可能性そのものを広げることを第一の目標としてきました。
それがどこまで達成できたと言えるのでしょう。
それを判断できる者は、ぼくしかいません。
つまりそれは客観性を決して持ちえないということになるのですが、9月に書くはずだった長いお話しを書けなかったとはいえ、ぼくはおおむね3分の2をクリアできたのではないかと思っています。
及第点ギリギリといったところです。
参考までに昨年完成させたお話しは次の11点になります。
『雪だるまのアルフレッド』
『時の記憶』
『白水仙』
『葉ざくら』
『鈴子』
『深海の鼓動』
『アネモネになったアドニス』
『オイディプスとスフィンクス』
『睡蓮』 第一章
『くじらのましゅう』
『はりねずみのふぃりっぽ』
けれども、ぼくは、なぜ、重要なマイルストーンとなるはずだった長いお話し、『水無月リサイクル商会』を書けなかったのでしょう。
理由は単純です。
ぼくはコンディションの調整に失敗したのです。
書ける状態に至るまで、自分のコンディションを上げることができませんでした。
そしてそうなってしまった最大の要因は、このブログをはじめたことではないかと思っています。
このブログ、『童話的私生活』をはじめたことは、いくつかの誤算を生みます。
じつはぼく自身、ブログをはじめるのは、もう少し後だろうと考えていました。
ぼくはこのブログを作品を発表する場と位置づけています。
けれども、その一方でぼくは、最終的には公募用の作品を書くことを目標にしていますので、書いた作品をすべてリアルタイムで公開することはできません。
ブログをはじめる時期は、習作を含め、公開可能なお話しのストックが十分にそろってからと考えていたのです。
それが、ある人の後押しもあって昨年の4月に、この『童話的私生活』をはじめることになります。
結果、ぼくは、ブログに連載するお話しとあわせて、公募に応募するための別のお話しも、書かなくてはならなくなったのです。
これが想定以上の負荷をもたらします。
そこにコメントの管理だったり、ペタなどのアメブロ特有のシステムの管理が加わります。
ブログ用原稿以外の原稿を書く余裕が、ぼくにはなくなってしまったのです。
けれどもブログをはじめたことは、決してマイナスな面ばかりではありません。
むしろそれを補って余るだけのプラスの要素をぼくにもたらしたと考えています。
中でも最大のものは出会いです。
なんといっても、まず第一に、このブログを読んでくださっているみなさんがいます。
実際、ぼくはこの場所で、たくさんの方々と出会っているのです。
そうした出会いのうちのいくつかが、リアルに向かって展開されていきます。
そしてそうやってリアライズされた出会いが、さらに別の出会いを生むのです。
それはさながら光と光が織りなすチェイン・リアクション。
ぼくは強く支えられ、励まされているのを感じます。
そしてそのことが、ぼくの意識の根本を変えます。
もともとぼくには、自分ひとりですべてをこなしてしまおうとする傾向がありました。
ある段階までは、確かにそれは必要なことですし、重要なことでもあると思います。
けれどもそれは、あくまでも、ある段階までです。
人間、ひとりでできることなど、たかが知れています。
それにどうあがいてみても、人間は、ひとりで生きていけるものではないのです。
ひとりで生きていくことが無理なら、いっそ協調を前提にして、ぼくのまわりの環境を組み替えてしまおう。
それが、ぼくの意識改革です。
昨年の12月、ぼくは2週間ばかり実家のある北海道深川市に帰省していました。
その最大の目的は、両親、特に母親から、さらなる協力を得るためです。
現在行っている執筆活動の内容をきちんと説明し、作品を読んでもらい、先々の見通しとプランを説明した上で、そこに見込みがないと思えば、支援は、けっこう。
でもそこに見込み、つまりそれは現段階では作品の質ということでしかないのかもしれませんが、そこにそうした見込みがありそうだと思うなら、ぜひ支援してほしい。
そういうものです。
また同じく昨年の12月、母親とは別に、ぼくのスムースな執筆活動をサポートするために力を貸してもいいと、助手をかってでてくれた方もいます。
彼女たちはみな、不確定なぼくの未来をリアライズするために力を貸してくれています。
そうした力添えにこたえるだけの確かなものを今のぼくは何ひとつ持ち合わせていません。
すべては未来にあります。
不確定な未来にです。
でも不確定であるからこそ、そこに希望があるのだとぼくは信じます。
2012年、今年の目標は、長いお話しを書くということです。
1つ? それとも2つ?
いえいえ、もっとたくさんです。
ぼくは既に来年を見据えています。
今書いたお話しが実るのは来年になってからです。
執筆活動とは、体力勝負の持久戦なのです。
クリスマスとお正月に素敵なカードや年賀状をいただきました。
それをここに紹介したいと思います。
名前は五十音順にさせていただきます。
まずは、クリスマスカードから。
いただいたのはハガキサイズのクリスマスカードと名刺サイズのメッセージカードです。そしてメッセージカードの裏には何とも可愛らしいサンタクロースが。ぼくは、かわつさんの絵が、かなり好きです。個性的ですし、ときにそれは一度見たら忘れられないくらい印象深かったりします。困った顔、得意げな顔、喜びに満ちあふれた顔。彼の描く顔は、そう、とても表現力豊かなのです。
ペロンペロンドロップスは、ささはらけいこさん、ごじゃるさん、美鈴さんの3人が集まって一昨年に結成された創作グループです。ぼくは美鈴さんとはコメントなどで絡ませていただいていましたが、ペロンの3人に実際に会ったのは、昨年の12月18日に東京高円寺のギャラリーharuで開催されたクリスマスカフェでということになります。ぼくは身近に童話を書くような知り合いがいませんので、美鈴さんとの出会いは今後の展開も含めて期待感たっぷりです。クリスマスカフェでは美鈴さんの作品を何点か読ませていただきました。子供時代に体験する空想や妄想によって作り上げられた日常とは隣り合わせにあるもうひとつの現実にフィーチャーした作品を多く書かれているようです。とはいえ短いお話しをたくさん書かれているようですので、今度それらも、ぜひ拝見したいところです。そうそう、クリスマスカードの絵は、イラストレーターをされている、ささはらけいこさんの手によるものです。
そして年賀状。
またまた登場、かわつさん。かわつさんは、ご自身で絵も、お話しも書かれ、絵本を作られて公募に出されたり、ネットで公開されたりしています。彼のブログを見ると、いつもかなり忙しそう。でもぼくは、彼に何とかして絵を描いてもらいたいと、ひそかに思っていたりします。それはやはり彼の描く顔の表情、特に困ったときに見せる顔の表情が何とも愛らしく、そうしたものがぼくの書いたあるお話しの中では欠かせない要素となっているからです。でも、そうは言っても、ぼくがかわつさんに表紙や挿絵を描いてもらいたいと思っているお話しは、じつはまだ出来ていません。99%以上出来ていると思っているのですが、何かがそこには足りないのです。それは『ねずみのらんす』。ねずみと人間、目には見えない絆で結ばれた、男の子どうしの友情の物語です。
せさんの絵の特徴は、なんといっても、そのグルングルン、グリングリン、モコモコモコと、どこまでも、どこまでも増殖していく髪の毛です。せさんの描かれる女の子は、描き方も表情もどちらかといえば素朴な感じなのですが、この髪の毛が頭についたとたん、それはポップでファンキーなテイストに変わります。しかも和風な感じに変わるのです。それは髪の毛のモコモコ模様が日本の伝統的な文様に似ているというともあるのかもしれません。ご本人がそれを意識されているかどうかはわかりませんが、このアンバランスでミスマッチな感じが奇妙、奇天烈、じつに奇怪で、ぼくは好きです。せさんとはブログを通しての交流しかありませんが、機会があればお会いしたいと考えています。だって、気になりません? ご本人の髪の毛がどうなっているのか。
永田恵理さんと、最後に紹介するRa'yka(ライカ)さん、そしてぼくの『くじらのましゅう』に絵を描いてくれたakiさんの3人は、同じ合同展でそれぞれの絵を拝見したことがきっかけで交流させていただいている方々です。その合同展とは、昨年の8月、東京早稲田のドラード・ギャラリーで開催された「WOMAN & GIRL」展です。もっとも、ぼくがその展覧会に行くことになったきっかけは、ぼくのブログの記念すべき読者第一号を務めていただいている人形作家の摩有さんが作品を出展されると聞いたからです。縁とはおもしろいものです。話しを永田さんに絞りますが、このとき永田さんのポートフォリオがギャラリーに置いていなければ、ぼくは彼女の絵にそこまでの興味を示したかどうかはわかりません。彼女の絵は暗く、奇怪です。特に豚や魚と壺。このモチーフで描かれた一連のシリーズは、一度見たら忘れないくらいインパクトのあるものです。夢に出てきそうなくらいです。もちろんそれは悪夢ということになるでしょうが。ぼくは彼女の絵を挿絵にできるくらい奇怪なお話しを、いつか書いてみたいと思っています。そうそう、昨年10月に東京銀座Gallery G2で開催された「○展」に永田さんは絵を2点出展されていて、ぼくはそれを見に行っています。
ナベユカさんは、キュートでポップな2.5頭身、そして直視すれば目に痛いくらい色鮮やかな極彩色を使って女の子のイラストを描かれている方です。ぼくはブログで拝見したあと2回ほど、彼女が参加された合同展に彼女の絵を見に行っています。一度目は昨年の5月に東京銀座、ミレージャ・ギャラリーで開催された「キュート!」展。そして二度目は昨年の8月、東京信濃町にあるThe Artcomplex Center of Tokyoで開催された「Girls Illust Exhibition #14 at SUMMER!」です。じつはナベユカさんの缶バッジや絵葉書をアキバ女子たちに見せるとかなりの好評です。彼女の描く女の子たちは、どちらかといえば渋谷っぽいイメージなのかもしれませんが、そのアニメ感たっぷりのテイストは秋葉原でも十分に受け入れられます。気づいた方もおられると思いますが、ナベユカさんは楳図かずおの『まことちゃん』をリスペクトしています。ナベユカさんとは展覧会にうかがっても、いつもすれ違ってばかりです。今度こそ、何としてもお会いしたいと思っています。
最後はライカさんです。彼女とは昨年の8月、東京早稲田のドラード・ギャラリーで開催された「WOMAN & GIRL」展の直後に、渋谷センター街の入り口にある大盛堂書店で行われた彼女自身の個展、「CIRCUS CIRCUS! The Second Act」でお会いして以来の仲になります。彼女の絵も、そして彼女の存在自体も、ぼくにはとても魅力的に映ります。そもそもぼくは「WOMAN & GIRL」展で見た彼女の絵に釘付けでした。個展に行くまでどんな方が絵を描いているのか、まったくわからなかったのですが、直接お会いしてお話しをうかがってみると、その創作に対する、とにかく熱い情熱には共感するところが多々ありましたし、彼女の考え方、生き方には参考にすべき点も多く、そう長くはない短い時間だったと思うのですが、ご一緒させていただいたそのひと時は、密度の濃い、実り多きものだったと記憶しています。以来、いくつかのパーティでご一緒させていただいていまして、彼女に出会ったことでぼくの世界はそれまでとは違った別の方向へも広がりを見せています。ぼくは彼女には才能があると思っています。彼女の今後が、ぼくはたのしみです。
☆☆☆*:.。.ほかにもお話しはたくさんあります.。.:*☆☆☆