しばらくく

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見えるほうの片方の目が、白い鱗がついてるように見えなくなって、しばらくお休みします。

以前もそうなって回復してきたのでご心配なく。コメントはご返事できませんのであしからず。みなさまも、御身だいじに寒い時期を過ごしてくださいね。
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ドラマチックが止らない

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個人の日常なんぞ事もない日々がほとんどで。時々腰が抜けるような魂消えることもあるんだけど。概ね市井の人の一生などそんなもの。何もなく日が昇り、夕暮れに一息ついて夜に無事の一日をありがたいと思う。

最近はとみに、何事もない一日のありがたさを思う。狂喜興奮して走り回る事も無く、身を捩って悲しむこともない。平凡で穏やかな一日をね。

世間は3・11以後ドラマティックが止らないようで、この急激さはなんだろうと不安に思う。あれよあれよと言う間に、SF世界か未来悲惨映画のように思いも寄らないことが、まるで表層雪崩のように進んで行くようで。貧困と戦争と博打って・・

それでもまだ、幸いにも戦乱下でも難民でもなく、個々の人の暮らしは成り立っているんだろうし、日々の愉しみあるわけよね。

ある方が私の江戸物や昭和の話を読んでくださって。戦時だって悲惨でもどん底でも絶望ばかりでもなく、時代物も殺人や捕り物や人斬り話だけじゃない。人の暮らしがあったんだし、そこがいいねって言ってくだすった。

カルティユ・ブレッソンの写真のように、日常の一コマをすくい上げるような。その何気ないなかにも多くのドラマや物語が透けて見える。ようだといいんだけどねぇ。

ほとんど起承転結も章の切り替えも考えないし、構成も配慮しないで気儘に書いているけど。町の人の悲喜交々は誰にでも一つ位経験があったりで、身近に愉しんでもらえばいいなぁと思う。

今の政権になってから怒涛の法案成立だが、中味を見れば一目瞭然、庶民の生活の為になるようなものは一つもないからねぇ。

鶴見臨界バスがストライキ打ってるけど。なんと36年ぶりのストライキとか。かっては国鉄のストも多くあって確かに不便はあるだろうけど。そういう情況を作った経営者側はどうなんだと思うよね。過疎地も含めて、最低限の路線整備を民間に丸投げしてきた国の方針はどうなんだろう。

高齢者の自動車事故もそうだけど、路線バスの廃止や過疎地を離れられない高齢者世帯とか、そこから派生して、自動車産業のタブーまで問題は深いとネットで話したんだけど。

過去の交通問題でも度々メーカーの不備や欠陥が事故原因になっても、常に末端のドライバーだけに責任は被せられてきたから。花形輸出産業は厚い壁で守られている。左折巻き込み事故、シャフトが高速で落ちた事故、中古の重機をアジア輸出する車のブレーキ欠陥事故、みな運転者だけが罰を受けているしね。

13年以後、介護殺人や心中が全国で179件とか、毎月10人以上だものね。先進国トップの若年層の自殺もそうなんだけど、年間3万人の自殺者も実態は15万というデータもあって凄いよねぇ。

一軒穏やかに見える世間の、じわじわとした締め付けの閉塞感と危機感は、なかなか気づかれないが。

韓国もそうだし、スー族の聖地と水を守る闘いで退役軍人200人が支援して、ノースダコタ州のパイプライン建設反対運動がついにルート変更決定。オバマの最後のグッジョブとか。デモもストライキも決して無駄ではないんだよね。

ほんとうは、暮らしを大切に思う心と、世の中がなんとか穏やかである為に、声を上げたり闘う事も根は同じなのよね。全国一斉ゼネスト起きても不便は我慢するなぁ。まぁ、今の日本では無理なんだろうなぁ・・の午後。

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手のひらの物語・夕立

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九助が束ねた薪を竈横に運び、店の内外を雑巾で拭き上げて軒下に赤提灯を吊るしてると。
西の空が急に渦巻いて、ぴかと雲間が光るとごろごろと雷鳴が鳴り轟いた。

おいおいっ、月の晦日の稼ぎ時に雨かぃ、雷神様も意地が悪いぜ。
独りごちながら店に入ると。ばらりと落ちてきた雨粒が、夕暮れの風に煽られるように広がった。

南掘割下水の向い岸を、裾をからげて走っていく男やら。裏の長屋の女房達が、あめだよぉ、あめだぁと叫ぶ声が飛び交って人も声もせわしい。

首に掛けた手拭を取ると、九助は店の樽椅子に腰をかけ、腰の古ぼけた煙草入れを抜き出して、ゆっくり一服つけた。
これで少しは蒸した暑さも柔らぐかぃ、止むまで待とう不如帰だぁな。

夜の遅くには荷船の船頭が。葛西や牛久に荷を運び終わり帰りに一杯やりに寄るかもしれない。
まぁそれまで、仕込む味噌漬けの魚や豆の鞘取りやら,ゆっくりと仕事をやっつけるかと思った。

どおぉんと音がして、びりびりと障子が震え。やれやれ雷神様が降り立ったかなぁと、九助が店の油障子を開いて覗くと。降りだした激しい雨煙の中から、悲鳴を上げて一人の女が飛び込んできた。

見ると四十は越えるかどうか、鶴小紋の銀鼠の縮緬に丸髷。大店のお内儀風の女が、店の飯机の下に蹲りこんだ。

でぇじょうぶですよおかみさん。向こう裏のお不動さんの榎あたりに落ちやしたよ。しばらく時を稼いでお帰りなせぇな。

九助は笑って女に手を差し伸べて立ち上がらせると、樽椅子をすすめ厨房に回って、鉄瓶の湯で番茶を淹れた。

お恥ずかしい。どうも、すみませんねぇ。あたしゃ雷が大の苦手で、もう怖ろしくて足がすくんぢまうんですの。
女はまだ怖ろしそうに障子の方をみやった。

雷神様の機嫌が悪いだけでやんしょ。近頃は、何でも派手はいけねぇと松平さまのお達しで。芝居はいけねぇ、派手な簪はいけねぇと締め上げてやすからね。雷神様もたまには派手にやりたいんでしょうやっ。茶でも飲んでる間に夕立も過ぎやしょう。

   


  九助は大振りの湯飲みに湯気を立てる番茶を淹れて、自分も飯台の端に腰を掛けた。

ありがとうございます。申しおくれましたが、私は川向うの両国端に店を構える、油問屋伊豆屋のおさんと申します。

ほう、伊豆屋さんといえば大店でござんすねぇ。

いえ、表みはそう伺えるかも知れませんが。五年前に主の吉兵衛がみまかりまして。暖簾を守り続けるのは、それは人に言えない苦労もございますよ。

ふむ、知りやせんでしたが、ご苦労はいかばかりかと思いやすよ。こんな萎びた店一軒でもやりくりはあるもんで。

九助は微笑んで、自分も湯飲みから茶を啜った。それで、お店はおかみさんが切り盛りしなすってるんですかぃ。

跡取りは一人息子の利吉がおりまして。

そりゃ何よりでやんすね。

それが。
言い淀むと、おさんはふっと息を吐いた。

なにかみつくろって小づけでもおくんなさいな。久しくゆっくり茶も飲んでいなかった。雷さんが過ぎるまでごやっかいかけますから。

内のはなしですが。昨年、嫁を同業の奈良屋さんから迎えましてね。おさんは濡れた肩口を手拭で拭うともう一度深く吐息をついた。

益々、お店安泰というわけでやんすねぇ。

あたしも、業者組合の元締めさんの口利きで、いい縁だと思って添わせましたが。ところがまあ、この嫁が油屋の娘とも思えぬ物しらずで。菜種油と魚油の区別もつかない娘なんですよ。

それじゃ店に出せないと奥に回せば、煮物ひとつも作れなければ下働きも使いこなせない。帳簿算盤はもとよりで、昼間っから息子にしなだれかかるありさまで、店の内にも恥ずかしいやら腹がたつやら。

溜まったものを吐き出すようにきつい眼差しで、おさんは一気に話した。

九助は、酒粕に漬けた瓜を小鉢で出すと、煙草盆を小机の上から運んで刻み煙草を煙管に詰めて腰をおろした。

おかみさんは、さぞ苦労して店表のことも奥向きも踏ん張ってこられたんでしょうねぇ。

はいっ、それはもう。あたしは裏長屋に生まれましたから。
おとっつぁんは働き者の桶職人でしたが、あたしが物心ついた頃は病でろくに働けなくて。手習いに通うにも、おっかさんが夜なべで縫い物をして通わせてくれたんです。

姉とあたしは近所のお使いやら頼まれごとをやっては小銭を稼ぎ、弟二人も蜆取りやら、貸し本屋の届け本を運んだりと、幼い頃から働きましたの。

十六になってすぐ、あたしが水茶屋に働きに出て二年目に、主の利兵衛に見初められて所帯を持ったのです。商人の家内は、そりゃやかましいきまりも多くて泣くような思いもしましたが。

年は離れていても吉兵衛は優しい人で、あたしも油の区分けから一生懸命習い覚え、夜は遅くまで番頭から算盤も習って、吉兵衛を助けて働きぬきました。

そりゃいいお旦那で、おかみさんのご身内も喜ばれたことでしょうや。

おとっつぁんはなくなってしまいましたが、姉も弟達も、主のおかげで其々に働き口を世話してもらい、おっかさんも年の初めに、下の弟の所に引き取られて根岸に隠居できました。

ほうほう、そりゃ目出てえことで。お内儀さんもすっかり安気でやすね。

それなのに。やってきた嫁は、商いも奥向き仕事も好きじゃないと、毎日、縁日だ芝居小屋やらに出かけてはきゃぁきゃぁと騒ぎ立て、息子が奥に茶を飲みに来れば、昼間っから甘い声をだして、はしたないようなありさまで。

小言を言えばふくれつらで部屋にひきこもる。とうとう腹に据えかねて、嫁に里に帰れと言ってやったんですよ。もう一度、親からきっちり躾けてもらえってねっ。

そりゃ、お嫁さまの御実家もさぞびっくりしたでやんしょうねぇ。

当たり前ですわ、甘やかして躾もせずに育てて、琴や書は学ばせましたなんて、よくのうのうと言えますもの。

商人の娘なら、商人に嫁がせて恥じないように、お武家ならお武家のお内儀にふさわしいよう躾けるのが親の勤めです。お大名ではあるまいし、姫御前では商家の嫁は勤まりゃしやせん。

ところが、嫁を帰してしばらくのちに、掛取りに出た息子の利吉が戻らず行方知らずになってしまったんです。あたしはどこぞで盗人にでもあったかと、寿命の縮まる思いで町の鳶やら町役人、ついには恥を忍んで定町廻りのお役人にまで願って捜したんですの。

ほむ、そりゃしんぺえだ。それで見つかりなすったのかぃ。

昨晩、鳶の頭が店に来て言うには、嫁の実家の離れに嫁といるっていうじゃありませんか。

奈良屋さんも奈良屋さんなら、息子もだらしが無い、なんて情けないと悔しくって泪もでやしません。あんまり悔しいから、さっき奈良屋さんに怒鳴り込んでやりましたの。
そしたら、若い夫婦がお気に要らぬなら、奈良屋で引き受けましょうって。向うだって上の姉娘に婿がいるっていうのに。

おまけに伊豆屋は、あちらさんより大店ですのに、息子を番頭にでも使うつもりかいけずうずうしい。
おさんは悔しそうに箸を噛んだ。

雨が油障子を打つ音がばらばらと弾ける。雷はおさまって夕立は静かに通っていくようだ。

それで、倅さん夫婦を諦めなさるんですかぃ。

そんな・・。利吉は伊豆屋の跡取りですもの。首に縄つけても連れ戻します。無理にでも去り状書かせてそんな縁は流させますわ。伊豆屋なら嫁の来ては幾らでもありますもの。

ふうむ、おかみさん。
九助は煙を長く吐いてゆっくり言った。

苦労ってのは、した方がいいんでしょうかねぇ。
確かにした苦労の分だけ、いい暮らしや商いをまっとうできるってのぁ、運が良いってことでやしょうがね。

でもね、自分の苦労を息子や嫁にさせようってのぁ、あっしはちっと違うように思いやすよっ。
苦労自慢なんて所詮、自分に言い聞かせるもんで人におっつけていいもんじゃねぇや。

おかみさんはえれぇよっ。運だけでなくご苦労して一生懸命にやってこられたんでやしょう。出来たお人だぁな。

それでもね。若い夫婦に同じような苦労や辛い思いをしろってのはどうなんでしょうや。
そうやって、後家の頑張りでお店を張っているのは、何の為かってことでやすよ。伊豆屋を立派に残して継がせていく為でやんしょう。油ぁ人のでえじな糧で人様も喜んでくれる。

若い夫婦をね、もう少し寛い心で受け止めてあげたらどうでやしよう。おいらなんぞ散々若いうちは馬鹿やって、親も泣かせてきたから言えたもんじゃねえが。はなっから物事がわかるってぇもんでもねえやな。しのぎも苦労もあれば愉しいこともあって、ぼちぼちと世間が判ってくるもんでさぁ。

それが、苦労なさったお女将さんの老後の安気でもありやすよ。昔は出来なかった好きな事をおやんなせぇ。書でも盆栽でもいいや。琴三味線でもかまやしません。ちいと商いは倅夫婦に預けてね。頼りねえと気がかりでしょうが、やってみねえと身につかねえもんでさ。

それで倅夫婦で、もしも店が立ち行かねぇ時は、お女将さんの知恵の出番だぁなぁ。
隠居ってのぁいいもんでやす。隠居してましてや渡す身代がある。やっと気儘にできるんだぁ、芝居見物にでもお行きなせえよ。

おさんは、じっと九助の言葉を聞いていた。その肩はいきり立ってるようだったのが、気の抜けたように落ちている。

そう長い行く末でないことはおさんも解っている。何時までも女あるじとして仕切っていけるもんでもない。物分りの良い姑女として息子夫婦と仲良く暮らし、可愛い孫が産まれれば孫に甘い老婆となって過ごすのは、おさんも思い描いていたのに。

自分の目の黒いうちに、更に商いが栄えるようにと欲もでる。苛立つのは、きっと自分の苦労を褒めてもらいたいんだ。どんなに辛抱して今を築いたか見て欲しい。倅夫婦に感謝してもらいたい、世間にさすがと褒めておくれってことなんだ。

おさんは、ふっと我に帰ったように顔を上げて九助を見た。

お前さま、ありがとうございます。何だかのぼせが失せてしまったような気が。主がみまかってから、あたしを諌める人も意見する者もなしで、ちょいと苦労自慢がすぎたようです。

命より大事と育てた息子に、あたしは要らぬ焼餅をやいた。生まれ付いてのお嬢である嫁を妬ましく思った。
なんてことだろう。人の思い上がりとは怖ろしいもんです。

おやっ、夕立はいっちまったようでやすよっ。

外は静かで障子を少し開くと、夕暮れ雲ながら雨はあがって、穏やかな夕べの風が優しく店に滑り込む。

おさんはしゃっきり立って小机に代金を置くと。

ほんに夕立のなせること、静かな夕暮れですねぇ。お世話内なりました。明日は、もう一度奈良屋さんに伺って、頭を下げて息子夫婦に帰ってもらえるよう、御願いしましょ。

へぇっ、そうなさいまし。おかみさんのご苦労が実を結ぶといいでやすよっ。

おさんは微笑んで、夕立の過ぎた南割り下水の道に出た。

あたしは、長いことゆっくり茶も飲まずに、夕立の後の匂いも味あわなかった。使用人や客以外の人とも、いつ話をしたのやらだ。

お気をつけてお行きなせえ。おかみさん。

九助は、おさんの後姿に声を掛けながら。
苦労というのは、時に人を活かし人を殺すやっかいなもんだなぁと思った。

へっ、ご苦労無しとはおいらの事だぁ。苦労って思ったことは何一つねぇからねっ。

九助は、雨上がりのかわたれ時を愉しむように、大きく息を吸った。

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ばかと褌と三匹のはなし

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別に褌の薀蓄ではありませぬの。まぁ褌には敬意を払うもんの、寅さんの言葉じゃないけど女相撲の褌で、食い込む一方で歯止めの無い世間ではありますが。

褌ってさ、何時からすたれたんだろうね。越中はなかなかのアイデア商品で、六尺は晒しがもったいねえってんで、越中守が発案したとかも云われておりますが。洗うのも簡単で夏にはいいですよねぇ。軍隊で重用されたのはイヤだけど。

越中は下着ですが、六尺褌は労働着でもあったのよね。江戸の肉体労働者は六尺に半纏だけで、冬は寒くなかったんだろうかね。子供の頃はまだ兄達が遠泳の時など赤ふんでしたね。

こないだ息子の怪我で晒しを買いに行ったんだけど、今はけっこう高いですね。避難用具には必需品だと思うけどなぁ。包帯にも腹巻にも、捩ればロープにもなる。鼻緒には最近は使わないが。

もう10年近く自分はパンツとかショーツって身につけないの。スパッツを一年中着けているから。夏はそれだけで冬は細身のズボンを上に履く。だってパンツ、スパッツ、ズボンとウエスト締め付けるのって苦しくていやなのよね。ブラも巨乳でないから20代まででしたし。締め付けないとと緩むってか、いいじゃん重力にはさからえんもん。

倒れて救急行く時やスカートやドレスの時は一応履きます。勝負下着も一応持っていますが、さっぱり使わねえからね。

三匹の侍も、もうシーズン終わりで滅法淋しい気分ですが、着流しの桔梗鋭之助が立ち回りする時に、足を割ると白い褌がみえるところがたまらないねぇの婆さんで、最近はますます偏屈で機嫌が悪いんですが。話はとっちらかるんでご勘弁。


こんな感じね。これないと間抜けてみえるからフシギ。

三匹の中でも長門勇のキャラはいい味なんだけど、「おえりゃぁせんのぉ」とかの言葉が当時も流行ったんですが。当時だと安芸から備後地方かな。これは「仁義無き闘い」の頃にも流行りまして、文太兄いの「まだ、弾は残っているでよっ」なども当時の学生の間では好まれたもんです。

勝ち目の無い闘いに踏み込む男の美学っていうかね。「舐めたらあかんぜよ」の鬼龍院花子のセリフは私も愛用しておりやすが。

やくざ映画もそうなんだけど、仁義と代紋背負った東映やくざ美学映画から、潰れかかっていた日活の若手監督の下っ端やチンピラの視点映画があって、仁義なき闘いの鉄砲玉への流れになっていった。犬死せし者の遠吠えのようにね。

どんな世界でも。負け犬ってのは、ばかである。賢いお利口さんは上手に立ち回り、世間の波を潜って御身は安泰を確保してから言いたいことを言うもんで。
この愚か者、などと国会でヤジを飛ばす女性議員もいるけど賢いクソですがな。下品ですいませんが、仲間の親父議員の受け狙いで、こういうヤジ飛ばす奴の方が下品でしょ。ばかとも呼んであげないの。

駒は、ばかだから云いように使われて捨てられるけど、それにも気づかない事も多いよね。実は若い頃は白黒決着娘で、まぁ若い時の潔癖さってのもあるんでしょうが。育つに連れて灰色を知るんだよね。この世には黒とも白ともいえないことがあるってことよね。

三匹の侍って古い時代劇は、それまでの舞踊的なチャンバラから、リアルな音とか斬新な殺陣とかだけなく、完全懲悪の時代劇の殻を破ったとこにあるんだと思ったのよ。そこがアナーキーなのよ。それが木枯らし紋次郎や座頭市に流れた。

貧者や弱者=善人でも無ければ、強者が悪でもない。無駄こそ人生、そんなものさってニヒリズムもね。自分など無駄とバカの綾織人生だから愉しいってもんですが。

その当時の時代背景って音楽や映画にも深く現れる。放浪者である彼らがパリっとした着物で、女郎屋が煌々と明るいことなどないわけよね。埃っぽくて汗臭くってギラつくような日照りとか、黒白映画っていいなあと思う。何のために戦うのか、命をかけて守るべきものは何なのかって、古いことではないからね。

でも娯楽というのは、あまり考えずに水戸黄門を見たり暴れてる将軍様をみたりで。印籠と金がないと黄門だってただのよぼい老人で、将軍が暴れると政治的にろくでもないんだけどね。

なんだか最近はとみに知識人とかインテリとか云う方の言説がイヤなんだよね。賢い人はちがうねえって、ひねくれて見てしまう。小賢しいとかちょこざいなって。ばかのひがみと云えばそうかもしれないけれどね。あ、ちょこざいって猪口才って書いて差し出がましいとか小賢しいってことね。

ばかのいい所は、損得勘定に疎いってことで、愚直ってのもそう云えるかもしれない。でもね、そういう者を笑って貶めて排除するって世の中は好きになれないよね。ばかには愛があるのよ。

今日は心が疲れているから、手のひらの直しをしながら無駄話。差別用語とか責めないでね。


杉浦日向子さんの一日江戸人から

手のひらの物語 雪あられ(再)

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しんと冷える風が赤い提灯を揺らせている。提灯には、煮ころがし・蕎麦酒・芋酒と書いてあって店の名前もない。

深川も外れの石川町南割り下水沿いに煤けたような一軒の店があって。六十にも近いような爺さんが一人でやっている。

年の瀬も押し迫った夜遅く。黄ばんだ油障子をがらりと開けて、手拭を被って茣蓙を抱えた夜鷹が飛び込んで来る。

あぁなんて寒い、やってられないねぇ。

女は被った手拭をとって裾前をはたくと。ほっとしたように、爺さん熱いの一杯だけおくれぇな。と声をかけた。

あいようっ、こんな冷えると出歩こうって奴もいねえだろう、早仕舞いするから煮ころがしも食べておいき。

ありがたいねぇ。稼ぎも無いから空きっ腹で、棒でも箸でも咥えたい気分さぁね。

女が、里芋と蒟蒻の煮物に味噌を掛けた小鉢に、覆いかぶさって口に運んでると。立て付けの悪い障子をがたがたと開けて、一人の侍が肩を入れてきた。
かなり酔っているらしくふらりとして、狭い間口の柱にぶつかりよろめいた。

親父っ、何か喰わせてくれ、酒もだっ。

へえっ、爺さんは侍をちらりと眺めて燗をつけた。この寒さに羽織も着ず紺がすりの単衣に黒縞の袴で、どこかで転んだのか裾に泥が散っている。

ご機嫌だねぇお侍さん。
女は蓮っ葉な調子で流し目をくれて声をかけた。

なにっ、ご機嫌だとぉ。きっさまぁ人を侮るかぁ。
若い秀麗な顔をゆがめて殴りかかるように女に近ずいた。

爺さんの目が一瞬細くなると、身構えるように狭い通し台から半身をのりだす。女も座っていた樽から腰をずらして。

あらっ、気に触ったなら謝りますよぉ。寒い夜に立ちっぱなしであたしも気が尖ってた。ごめんなさいよぉ。
さすがに男相手の身売り仕事で、色っぽく甘えるように腰をかがめる。

男は澱んだような目で女を眺めると、ちょっと気を削がれたように黙った。

まぁまぁ、お座りになって熱いとこを一杯おやりなさいよっ。
爺さんもゆるんだように笑いかけた。

侍は音を立てて樽腰掛に座ると、出されたぐい呑みで酒を煽った。

ふん、これは何の酒だっ、くせがあるが美味だの。

へいっ焼酎をそば粉を溶いた湯で割ったもんで、さぶい晩にゃ暖まりやす。蕎麦も殻つきを炒って当たり鉢でよおっく擂るのが、ここの心意気でやすよっ。

ふうむ、旨いっ、この芋の煮たのもいけるのぉ。

そりゃ結構でっ、里芋は蒸してから煮付けてあるでやんすよっ。この時期、葛西の里芋は味が濃いからねぇ。

爺さんとこのもんはこの一手間がいいのさねぇ。
女もほっとしたように言う。

女、お前も一杯やれ。
侍も機嫌を和らげて女についでやる。

あらっ、お侍さんに酌をして貰えるなんて嬉しいことだぁねっ、初めでだよぉ。と女も笑った。

酒を呑むに上も下も侍もないぞ、今夜は酩酊しておるからな、許せっ。
侍も少しくだけた様子で、女に酌をして自分にも注いだ。

まったくだぁ、こんな寒い晩は野暮は忘れて呑みたいもんだぁね。
爺さんも茶碗に残り酒をついで口に運ぶ。

お侍さんがこんな深川の外れに、お見えになるのは珍しいことさぁね。
女も盃をちょっと目の前に上げて会釈してから、ぐいと空けた。

侍はちょっと俯くと。
侍であっても人は人よっ、忍べぬ時もあるものだ。暗い眼差しで吐き出すように言った。

あたしらの辛さもあれば、お侍の辛さもあるのだろうさねぇ。夜鷹の女もしみじみと応えた。

お侍さんの辛いことなぞ思い浮かばないけどさ、毎晩夜の寒い中の立ちん坊で、通りすがりの男を引き込んで土手で体を開くのも、情けないもんさぁ。

若侍はちょっと驚いたように女を見た。
お、お前は幾らで春をひさぐのだ。

あたしは三十文だよっ若くもないからねっ、もう綺麗でもないしねぇ。女は投げやりな調子でそういうと淋しげに笑う。

い、いやっ、お前はまだ綺麗だし、気立ても良いようではないか。
侍はちょっとはにかんだように口ごもって言う。

嬉しいねぇ、優しい言葉を久しく聞かなかった。お侍さんは良いお人だねぇ。女は心底嬉しそうに顔をほころばせた。

俺はな、侍といってもただの御家人の冷や飯喰いさ。親が死ぬと兄のやっかいもんでな、兄嫁に事あるごとに侮られる。飯さえ家人と板の間だ。

弱気と思うが、それが悔しく痛む。剣術に励んでも書を学んでも、今の世では家や引きがなくてはただのごくつぶしよ。かといって二本を捨てるほど商才もない。呑まぬ酒を呑み始めたのもそれだ。

自分は意志の強い男で酒に溺れる事など無いと、そう自負していたのにこのざまだ。今は酒を呑まずにはいられないくずだ。婿にもいけず役にもつけず、生涯飼い殺しの無駄飯喰いなのだ。

ふん、こうなったら落ちるとこまで落ちて、息をしてるだけの獣ものになってやる。しまいには賭場の喧嘩で命を落とすようなろくでなしなのさ。
侍は吐き出すように言葉を投げ出す。

油障子にぱらぱらと音がして、爺さんは調理場の後ろの窓障子を開けて。あられが降ってきゃがったなぁ、寒そうに首をすくめた。

女は注がれた酒を煽ると、ちょっと酔った目で若侍をじっと眺めて。

甘ったれの言い草だぁねっ。
まんまは喰えるんだろう、雨露しのげる屋根もある。上等の暮らしだぁねっ。

あたいはねっ、上州の山奥で育ったんだ。食べるものも無くてさ、藁を噛んで飢えを紛らわす、そんな貧しさで生きてきたんだ。十二で、わずか十二で売られて江戸に来た。

濁った水ん中で僅かな息をつくみたいに、痛いほど身体をいたぶられても、米が食べられればそれが幸せだったんだ。

病に寝付いても客を取らされる店で。そこからやっと逃げてもね、なぁんにも出来ないのさ。出来るのは男に身一つを売ることだけ。それでも稼いで何とか生きなきゃならない。

食べて生きられれば幸せだぁねっ。そりゃ、人にはそれぞれ辛さもあるだろうさ。それでも食べられて屋根があるありがたさを、なんだと思ってるんだぃ。

だからさむらいは嫌いなんだ。だあれもあんたにこんな事ぁ言わないだろうがね。人は生まれを選べない。侍に生まれるか水飲み百姓の子に生まれるか、人のさだめは酷いもんさ。じぶんだけが不幸なのかよ。

女は眼差しに険を込めて言い放った。

侍が怒り狂うかと、爺さんは再び身構えた。その構えは、昔は武家か喧嘩なれした渡世人のような。

けれど、侍は怒りに任せて立ち上がるでも無く、女の言葉を、噛みしめるように黙って、ふっと項垂れた。
その姿は、荒れ野に放り出された子犬のように、心細げなうなじであった。

そうだな。お前が云うとおりかも知れぬ。生きててもいいのだと誰かに言って貰いたい、拙者の甘えか。お前が言う事はその通りかも知れん。俺は甘ったれな意気地のない奴なんだっ。

お侍さん。どんな境遇の人にもそうに思う時はありやすよ。てめえが生きてることぁ何の意味もねえって、そんなふうに思う時がねぇ。

この女の人は、お民さんて言うんでやす。おいらは九助っていいやすよっ。こんなつべてえ晩に一緒に酒を呑むってのも、何かの縁でやすよっ。元気を出しておくんなさい。
人も其々の暮らしん中で精一杯生きていりゃ、人の生きてる価値も何かしらぁあるもんでやす。

九助は優しい眼差しで、息子ほど年の違う若侍を眺めて言った。

黙って項垂れていたが、ふいに侍の目にふうわりと涙が浮かびあがった。

ふむ、九助さんとお玉さんか。俺はな随分と久しく人の本音を聞かずにいた。こうやって人の言葉を聞くのは絶えて無いことだった。

堅苦しい紋切りがたの説教や兄嫁の蔑み、やくざの脅し文句、金をねだる岡場所の女達。そんな言の葉にまみれて何かを失っていた。
こうやって生身の話ができて、ありがたき邂逅と思う気持ちだ。

お侍さん。あたいも言いすぎた。でもそんなお気持ちは嬉しいや、お侍さんはお優しいしまだお若いのだもの。照る日もきっとあるさね。酒もほどにしてお身体をいといなさっておくんなさいな。

そうでぃ、どんなもんにも先なんぞ見えやしませんぜっ。一日でいっぱいなもんばかりでさぁ。荷物も気持も、持ちようで軽くも重くもなるもんだ。

さぁ、そろそろ大木戸が閉まる時刻になりやしたぜ。お屋敷にお戻りなせえよっ。

うむ、馳走になったの。
若侍は酔いもしばらく覚めたのか、しっかりと立ち上がると、通し台に一朱を置いてお玉さんの分もこれで済むかなっとやわらく言った。

お玉さん身体をこわさぬようにな。お前に今宵会えて良かったと思うぞ。爺さんも達者で店をやってくれ。
俺もなんとか自分の生きる道を見つけて、また来るからなっ。まっすぐ二人をみる目は澱みが解けていた。

油障子は風と霰にがたがたと音を立てている。
それを開けると侍は、拙者は真吾というんだ、またきっと寄せて貰うぞと。振り返ってそう言うと、あられの舞う夜の帳に歩み出した。

九助とお玉は間口に立ってそれを見送った。

あのお方はもう来ないだろうけどさ、その方がいいってことだぁねっ。
お玉は微笑んでその背中を見つめた。

そうさなぁ、人は七つ転べば八っ起きるだ。何時かご立派になって来ることもあるかも知れねえよっ。九助も温かい眼差しで笑った。

真吾と名乗る若侍が闇に溶けるまで、二人はあられの白く舞う暗い堀端を眺めやったのだ。



てのひら・差配の利平衛

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初冬の湿りを含んだ風が六軒長屋の軒を掠め、妙心寺の鐘が暮れ四つを知らせると、お玉は仕立物を風呂敷に包んで長屋を出た。

おゃ、おでかけかぃ。
雨があがってよかったねぇ。

井戸端のお熊やお福と挨拶をしていると、差配の利平衛が木戸からはいって来る。遠くまで出かけていたのか、紺絣の裾尻を絡げて紺の又引き姿だった。

おうっ、お玉ぁ、届け物かぃっ。

あい、池之端の三井屋さんまで行ってきます。

そうかぃ、お前の指は宝だねぇ。どこの呉服屋さんも欲しがるってもんだぁな。ところでちょいと話があるんでぇ。黒豆大福も求めてきたから後で家にお寄りよっ。

あいっ、行ってまいります。

お玉は届け物に外に出かけるのが嫌だった。自分の醜い容貌をじろじろみられ、気の毒にと哀れむような眼差しに未だに馴れない。

生まれた時も近所の人達が祝いに来ても、誰も可愛いとは言えなかったらしい。目と目が離れて垂れ下がり、鼻と口も曲がった赤子で、濃すぎる眉も可愛げが無い。

おっかさんは不憫だと泣き、兄達は人三化け七と笑った。居職の桶職人のてて親も、男二人の後に産まれた一人娘なのに、抱き上げることも無かった。

母のおようは、手に職つけぬとこのままでは先行き困るだろうと、縫い子の修行を必死にお玉に仕込んだのだ。

兄達や近所の子供達に、お化け、おかめと笑われながら、お玉は自分の醜さが人に嫌悪と嘲笑を覚えさせるのを骨身に沁ませて育った。

帯びときを過ぎて年頃になると。近所の悪童のむごいからかいに、何度か身投げしょうかと掘割に佇んだ。なんでこんな顔立ちに産まれたのかと親を恨んだが。そんな時にも差配の利平衛は優しく、お玉ぁ菓子があるからお寄りい、と声を掛けてくれる。

利平衛は妻も子もいない独り者で、六軒長屋の差配として長屋の奥に住んでいる。地主の搗き米屋長田屋の縁戚らしく、奉公が終わって差配として六軒長屋に住まわっていた。

どぶ攫いの時など襷がけに尻っぱしょり、捻じり鉢巻で采配を振るう闊達な爺さんだ。

六軒長屋は片側六軒づつの向かい合う十二軒で、深川菊沢町の堀に囲まれた裏長屋だった。鋳掛屋、荷担ぎ、ぼて振りと貧しいながら長屋内の人情も通う下町だ。

ふた親が亡くなり、兄達もそれを機に其々長屋を出て行って、お玉は一人っきりになったが。お玉は此処で育ってよかったと思う。

通りすがりに化け七とからかわれても、長屋の女房達もきさくでお玉の縫い子の腕もちゃんと認めてくれる。長屋の縫い直しの頼まれ物も、お玉は嫌がらず、役に立とうと喜んでするからだ。

その日暮れ、お玉が仕立物を届け通りすがりの人の目を避けてた急いで戻ると、利平衛の家の腰高障子をがらりと開けて。

ごめんなさいな。差配さんお玉ですぅ。

利平衛は長火鉢の前で若い男と向かい合っていた。

おっ、お玉きたかぃ。ご苦労さまだぁねっ。さっつこっちにお上がり。

若い男が顔を振り向け、お玉は驚いたように身をひいた。男の顔の半分は引きつった焼け爛れだった。半分はすこぶる男ぶりが良いだけに、そのひっつれが無残に人の目を惹くのだ。

あぁこいつは、組み紐屋の知人の息子で、佐吉っていうんだぁね。

男は腰を折って、佐吉と申しますよっ。丁寧に挨拶をする。

あい、お玉と申します。お初におめにかかります。

お玉も腰を屈めて挨拶をした。それが佐吉とお玉の出会いだった。
上がって向かい合うと、番茶入れてゆっくり利兵衛が口をきった。

佐吉はね、神田上町で鳶の若い衆だったのよ、そりゃぁ威勢の良い火消しで、先は纏も預かろうと言われていたんだがね。ある火事の時に火に炙られちまって、顔も指もこうなっちまった。

けれど、心根のある奴で世も拗ねずに、実家の組み紐を覚えて不自由な指でも下職をやってるんだ。おいらはね、見上げたもんだと思っているのよっ。

お玉もなっ、からかわれても挫けねぇで手に職持って明るくやってらぁね。

お前達、所帯をお持ちっ。おいらはもう年だ。先は見えてるだけに、佐吉やお玉が慎ましくと仲良く所帯を持つのが見てぇのよっ。

佐吉はお玉をじっと見つめた。そこに蔑みや哀れみは無く真摯な眼差しがあった。
お玉は急な話に驚きつつも、この人ならきっとあたしを笑わず馬鹿にもしないと、直感で思ったのだ。

そうして二人は霜月にささやかに祝言をあげた。割れ鍋に綴じ蓋とからかう世間があっても、長屋の女房達も祝ってくれた。

佐吉は下請け仕事を板の間でこなし、横の六畳一間でお玉は縫い物にせいをだす。



お前さん八つ時だ一息入れようかねっ。
おうっ、ここまで仕上げたら一休みしようかぃ。

かいがいしく茶を淹れるお玉を、佐吉は優しくみやる。長屋の女房達もそんな二人を見て。

うちなんか、亭主は猪吉で息子は寅吉だものあたいはこの通り狸顔で。まったくのももんじ一家ってもんよね。おまけに下女みてえに扱われてさ。世間がなんと言おうとね。佐吉つぁんは優しくってお玉ちゃんは幸せよねえ。と笑う。

その翌月に利平衛が寝付いた。長屋中が心配して代わる代わる世話したが、暮れも押し迫った寒い夜に、静かに息を引き取った。

通夜の弔いが利平衛の家で行われ、地主の長田屋の若衆が取り仕切った。長屋十二軒の住人は、誰一人として利平衛の世話にならなかった者はいない。

赤子の寅吉が病になった時、差配さんが医者を自前で呼んでくれたっけ。息子が生きているのも差配さんのおかげだぁね。お熊も袖をあてて泣けば、向かいのお福も。

亭主が怪我した時も、差配さんが店賃は待っとくから、養生してまたぼて振りに出るんだよって励ましてくれたんだぁ。と涙を拭う。

お玉も線香をあげて。
差配さんは、いつもへだてなく励ましてくれた。あたしが挫けずやってこれたのは利兵衛さんのおかげです。佐吉は可愛がってくれて優しい亭主だ、ほんとうに、ほんとうにありがとう。と心から手を合わせる。

佐吉も手を合わせて、人は見た目じゃねぇと諭してくれて、お玉のような気働きのある女房を世話してくれた。おいらはお前様のお陰で過福者でありゃすよっ。涙を浮かべて拝むのだった。

師走の冷たい風が六間長屋の軒をかすめて。誰も利平衛の昔を知らないまでも、長屋の人々の暖かい野辺送りに、利平衛の魂は安らかに彼岸に旅立って行く夜だった。



何故かせわしい気持になる師走がやってきて、人はどっかでキリをつけたい思いがあるんでしょうね。
組みひもは、私の幼い頃にもリリアン網とかビニール紐を編んだりと遊んだものですが、海外でも先住民の伝統工芸品に、綺麗な物が多く在ります。小さい頃から手先を使うっていいよね。

帯解きはかぞえ十二の娘の祝いで。ももんじっていうのは獣肉を出す店で、ぼたん(猪)さくら(馬)とか雉肉なども下町の奥では好まれたようです。冷える季節、みなさまご自愛してくださいね。


ぜんぶフイデルのせい

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まぁ、年だからその時は来ると思っていたけれど、キューバのフイデロ・カストロが逝去した。
ある意味では、600回にも及ぶ暗殺事件を超えて90歳まで生きて、家族に見守られて亡くなったことは幸いと云えるのかもしれない。

キューバとの国交を回復したオバマの退陣と、キューバ強硬路線のトランプの登場で、今後のキューバの方向も気がかりではあるんだけどね。


ゲバラとカストロ(チエ28歳の革命より)

前にブログにも書いた映画「ぜんぶフイデルのせい」って映画はとても面白かった。

ギリシャ出身でフランスの監督コスタ=ガヴラスの娘、ジュリー・ガヴラス監督初の長編映画で。1968年の五月革命、フランコ独裁政権のスペイン、1970年のアジェンデ大統領のチリ社会主義政権成立を背景にして。パリで暮らす一家を娘の視点で描いているのね。

1970年。スペインの貴族出身で弁護士の父フェルナンドと、女性月刊誌『マリ・クレール』編集者の母マリーを持つ9歳のアンナは、パリで庭付きの広壮な邸宅に住みカトリックの名門ミッションスクールに通学していて。弟フランソワとともにバカンスはボルドーで過ごし、身の回りはキューバから亡命してきた家政婦に面倒を見てもらう生活だったが。

ある日、フランコ独裁政権に反対する伯父の死で、スペインを逃れてきた伯母家族がアンナの家にやってきて同居する。それをきっかけに父が変わり、突然母とともに社会主義をめざす大統領選挙で沸くチリに旅立っていく。帰国した両親はすっかり社会主義の活動家になっていた。

パリのフランスの反体制運動に参加する父親と、妊娠中絶の権利を求めるフランスのウーマンリブ運動に参加する母親を持った娘のアンナの視点で、親への反発と理解、自身の成長を描いている。アンナが、変わった親を見て、ぜんぶフイデルのせい、って思うのも無理は無いのよね。


アンナの不服従の顔が可愛い

フイデル・カストロほど、熱烈に愛されされ、また憎まれた政治家も少ないよね。果たして彼は独裁者だったんだろうか。

音楽家で作家の八木啓代さんが、とてもいい記事を書かれていたんでそれを読んで。

「音楽から見るキューバの歴史」という内容の講演をなさった直後に訃報を聞いたようで、音楽と政治は切り離せない。音楽はその時代をもっとも端的に表現しているものだと述べていて同感する。

黒人奴隷制度がなければ、アフリカの黒人がアメリカ大陸に来ることもなかったしジャズもサンバもラテンも生まれなかった。コロンブスから、黒人奴隷の流入、フランス革命、産業革命、禁酒法とすべては音楽に大きな影響を与えたし。また時に、音楽が社会的な風をよぶこともある。

キューバをはじめ中南米の諸国では、ゲバラは憧れであり、現実路線のカストロは批判しながらも精神的支柱のように存在していたんじゃないだろうか。個人的印象だけれど、パレスティナ評議会議長のアラファトのように。左派からは生ぬるい、右派からは徹底した攻撃を受けながら、自国民の多数の人民の安定を願ったような。

八木さんが言うように、彼は強権的な独裁者であったかは、ある意味それは事実であると。フィデル・カストロの在任期間は長く。在任期間中の米国の大統領は、アイゼンハワー、ケネディ、ジョンソン、ニクソン、フォード、カーター、レーガン、ブッシュ(父)、クリントン、ブッシュ(息子)、オバマ、と11人になる。

そういう意味でもこれが民主的といえるのか?と言われれば、答えはノーだし、独裁かと言われたら、答えはイエスであると。

前にも書いたけど、独裁者は悪であるとは言い切れない。チャベスもカダフイもフセインも。あるいはチャウシェスクだって独裁者ではあったろうし、フランコもしかり。民主主義は善であるのかと云うテーゼも同じなんだけどね。

キューバにはたくさんのデマもあって、事実ではあっても、重大な前提条件を無視していることも多いからね。そしてそのデマや中傷を流す側の方が、圧倒的に資金力にも組織力にも勝っているし。

たとえば、フィデルがはじめから共産主義者で、ソ連に傾倒していたというのは、かなりわかりやすいデマで。彼は新婚旅行で米国に行くぐらい、もともとは米国が好きな人だったし、革命が成功したあとにも、真っ先に、ソ連に挨拶に行くことはなく米国に挨拶に行っている。キューバ革命自体が社会主義革命ではなかったのではないか。

フィデルとキューバ及び中南米の革命家たちを足蹴にし、利権のために革命を潰そうとしたのは米国の方であることは、ちょっと調べれば山のように資料もある。チリのアジェンデ政権を軍事クーデターで潰し、エルサルバドール、ニカラグアなどで内戦を引き起こしたのは誰なのか。

それでも、いまだにデマを書く人間はいて。それはキューバ革命が、はじめから米国に敵対する社会主義革命であったと。問題を、すべてキューバの責任にした方が都合のいい人たちがいるからね。

キューバが社会主義宣言をしたのは、革命の翌年で。1960年に、米国がキューバを攻撃したことの結果だった。これは表向きは「キューバ人の反革命軍」が政権奪還を試みた、ということになっているけど。この「反革命軍」なるものに武器や装備や供給し、バックアップしたのはCIAだし、米軍機がハバナの爆撃までやっちゃってるんだからね。

そんな中でキューバが生き残るために、当時、米国と対立していたソ連に接近せざるを得ない状況を作ったのは、アイぜンハワーとCIA自身で。
キューバ攻撃はケネディの時代だけど、命令を下したのはアイゼンハワーだしね。

ソ連にとっても、米国の至近距離に基地が置けることはメリットだったから話に乗った。そして、ケネディはキューバの経済封鎖を決行し、それは段階的に強化されて国交回復したとはいえ、じつは今でも続いている。

そうして、キューバは社会主義圏に入った。当時の冷戦下では、日本からすると「敵陣営」であるから、当然キューバについては悪いニュースが圧倒的に流されたけれど、それは日本のメディアの問題で、べつにキューバのせいではないだろう。

八木さんは音楽の面からも述べていて。世界を風靡したキューバ音楽の情報は途絶えたが、それは経済封鎖のせいで、キューバの音楽家がメジャーのレコード会社と契約できなくなったからだったと書いている。キューバ音楽は好きなんだけど、それがメジャーに伝わってこないのはそういう理由なんだよね。

キューバの音楽家がメジャーデビューするための条件は、亡命して、反革命活動に協力することで、メジャーデビューしたい人たちは従うしかない。有名アーティストは、破格の契約金でメジャーが引き抜くこともする。

キューバを訪問して良いところだったと記者会見で語れば、その音楽家は業界を干される。売れっこだったベネズエラのサルサ歌手オスカル・デ・レオンですらそうなった。彼は再度記者会見をやって、「キューバはひどいところだった」と虚偽を語り、すべての責任を当時のマネージャーになすりつけてなんとか業界に復帰したとか。

その間もひっきりなしに、ハバナで反革命派によるテロがある。国連大使や各国のキューバ大使館もテロの標的にされ。CIAは巨額の資金を使ってキューバ政府転覆を企む。革命前キューバに利権を持っていた富裕層や多国籍企業にくわえて、カジノ利権・麻薬利権を持っていたマフィアもキューバ政府転覆を企む。巨額の金が飛び交ったことは想像できるよね。

こういう背景があったことを知るとね、キューバは革命後も常に攻撃され続けていて、キューバ人にとっては、いつ米国が攻撃してくるかとか、次はどういうテロを仕掛けてくるかって認識は日常だったわけね。

たぶん日本人には実感が湧かないから大袈裟だと思うかも知れないけれど。内戦後のニカラグア滞在の中でも、ゲリラ残党の兵士はそれに備えていたし村の人も不安を隠せない様子だったのね。

実際にキューバでは、何度もテロ事件はあってバイオテロが疑われる事例も多くあったからキューバの遺伝子研究が発達したとも云われてる。言葉を変えれば、キューバはずっと臨戦態勢だった。だから兵役もシビアで真剣に、ゲリラ戦の訓練とかも行なわれた。経済封鎖がえげつなかったから物資も不足していたしね。

そういった背景を見ないで「カストロ政権でキューバ経済がうまくいかなかった」とか「キューバ政府が反対派を弾圧した」というのは、まったくフェアとは言えないと。

当時のニカラグアでも再び反政府勢力は蠢いていて、ことある毎に貧しく物資が不足しているのは政府の失策と煽っていたけれど。庶民は内戦に疲弊しすぎていて、逆に扇動に乗らずに平穏を維持する方へ舵を取ったのね。

キューバ政府が反対派を弾圧していたについても。そもそも半戦時下にある状態で、その国の政権を潰そうとしている敵対国から資金援助を受け取って謀略活動に従事して、それが何の罪にもならない国があるのだろうか?と八木さんが述べているけど。

これも、絶え間ない米国の大企業や諜報機関が策謀しているのに、いいよいいよは、ありえないよね。危機感が違うもの。

彼女の知ってる人々も、キューバで政府批判なんて普通に誰でもやっているし、べつに投獄もされてない反体制活動家とか、反体制ブロガーもざらにいるそうだ。今の日本はどうなのよね。

差別についても、社会一般ではゲイ差別があったのは事実でも、アーチストにはゲイの人はけっこういて、別に問題なく普通に活動はしているそうで。ゲイであるというそのことだけを理由に弾圧されたというような事実は、少なくとも80年代にはもうなかったと断言してるのね。

表現の自由規制についてはいまでもあるようだ。特に、ソ連留学なんかしちゃった官僚がのさばった70年代から80年代には、書籍の内容や歌の歌詞にぐちゃぐちゃ言ってきたり、気に入らないアーチストを干そうとしたりとか、テレビやラジオの自主規制とかもあったと。

教条主義者とか権力欲に駆られた、腐った小役人ってのは何処にでもいるものよね。そんなのキューバじゃなくても、日本を見れば良く解る事だもの。権力や地位を嵩にきていばりくさり、自己利益しか考えない輩よね。

ただ、キューバではこの問題と真摯に闘ってきた根性ある人たちもいっぱいいて。音楽家が因縁つけられた時には、フィデルに断固抗議した人たちもいた。この事件は、フィデルが命じたのでなく、ある官僚が勝手にやったことだと判明した。

医療や教育など革命の成果の上で。それでも次々に湧いて出る問題をキューバ人自身の手で解決したい。そしてより良い国を作りたい。そう思ってがんばっている人たちが、たくさんいたんだよね。

キューバ人は革命を通じて、理想の国を作ろうとしてきたとはいえ。そこに物質的豊かさを同時に求めるのは難しい。それが嫌な人は国を出て行けばいい、という考え方も革命後のキューバには強かったし。実際に80年には大量亡命事件も起きている。

米国は、「キューバが悲惨な国だ」という宣伝をしたくて亡命をどんどん受け入れたんだけど。
そういう人々をキューバ転覆の尖兵に使ったり。亡命してきた人たちがマイアミで犯罪者組織を作ると、キューバ政府が犯罪者を押しつけたと非難したのよね。

理想の国作りより物質的豊かさを求め、米国に行ったら金持ちになれると安易に考えた人たちを煽った結果が、これで。マイアミの犯罪件数は全米平均の2倍になった。これはマイアミが舞台の海外ドラマでも度々扱われるね。

1990年にソ連東欧圏が崩壊すると、キューバは激しいバッシングを受け。ここぞとばかりに米国は経済制裁を強化して物資が一切入らないようにし、逆に反革命派の人たちに援助を増やして行動を起こさせ、一気にキューバ革命政府潰しにかかった。

頼みの綱のソ連圏ももうなくなっていて、もし、キューバ政府が国民に支持されていなかったらあっさり潰れていただろうし。日本でも、もうキューバは危ないという意見も多くあったんだよね。

その一方でこの時期、南アフリカで釈放されたネルソン・マンデラが、真っ先に訪れたのがキューバだった。

「かつてANCが、どこからも相手にされていなかった頃、キューバだけが真意を理解し、アパルトヘイト廃絶のための闘いを支援してくれた。その恩を、私たち南アフリカの民は決して忘れない。我々はどこまでもキューバの友だ」

という感動的な演説で。革命広場を埋め尽くした何万ものキューバ人たちは号泣した。八木さんはその場にいあわせたそうだ。

一方、ラテンアメリカのリベラル派音楽家みたいなルベン・ブラデスが、「キューバもそろそろ(政権交代とか民主化を)考えた方がいい」みたいなことを音楽祭で言って、同じ音楽祭に出ていたキューバのパブロ・ミラネスに罵倒された。

「キューバが最低限できていることさえ達成できてないような国の人に、言われる筋合いはない」と。そりゃそうだね。日本でもキューバを批判する人は多いけど。経済的にはるかに裕福な日本で、教育、医療も無料にできないのはなぜかと思うのよね。

ルベンはすぐに謝罪したそうだが。このルベン・ブラデスは、ミュージシャンだけどハーバード出の弁護士で、後にパナマの閣僚になっているんだよね。こういうことは、この時代にはよくあって。パブロ・ミラネスだって、別に体制無条件支持派でもなんでもなくて、官僚主義を始終批判していた人なんだね。

自分もそうだけど、常に政府は嘘をつき、時に暴走するって思っているから。政権がどうであろうと疑問や批判やチェックはするんだけど。だからと言って他国の人がボロクソ日本を貶すと、その内容にもよるけどやはりいい気分はしない。でも自国の自浄力を信じたいけど、最近はどうにもなありさまよね;

キューバの問題はキューバ人が解決する、外から知ったかぶりで口出ししてほしくないっていうことだろうけど。この90年のころに限らず、キューバでも、ある時期から「長期政権」を問題視する人はいて、それに対してのな政治的論議もあったようだ。

八木さんが指摘するように。理想の国なんて簡単にできるわけがないし、いろいろ間違いも犯す。けれど間違いは正していくしかないんだよね。

世界は白と黒で色分けされているわけではなく、理想を目指すなんてこと自体が簡単なものではないから、あちら立てればこちら立たずの中で、模索していくしかないんだってことだね。

いうまでもなく表現の自由は、最大限、尊重されるべきで。たとえそれが、反政府的言論でもね。そういう意味でも今の日本の報道の自由がガーナやポツアナより下って情けないなぁ。

ただし表現の自由の前提条件として、キューバに対してアメリカが不当な政権転覆工作や経済制裁をやめるのがさきで。反政府勢力への資金援助とかテロとかを他国がやめてもキューバ政府が、「政治的理由で反対派を不当に逮捕投獄」していたとしたら、そこで非難されるべきだよね。

いずれにしても、革命前の悲惨からいろいろ欠点はあっても、医療と教育は世界に誇れる国、人種差別のない国を、さんざん妨害され続けながら、わずか50年で作り上げてきたんだよね。

やればできるという、壮大な実験をかなり成功させて。他のもっと貧乏な国を援助さえしてきた。多くの貧民をを救い、第三世界に希望を与えて。その結果として、当然ながら、そのせいで利権を奪われた人たちに憎まれもしたんだけど。

それをなしとげてきたフィデル・カストロは偉大な人だったと思う。八木さんも自分も中南米に身びいきがあるからってのもあるかも知れないけど。

そのキューバの実験はけっして無駄ではなかったと思うのよね。八木さん良い記事をありがとう。


検査入院から無事帰宅しやしたが。なんか地下室のマグロ解体の台みたいなのに乗せられて、拷問のように管を差し込まれて怖ろしく痛かったんですが。

かなり血管はボロになっているようで。手術も提案されてるけど。一応やだからしたくないと。もう少し生き延びられるよう養生しながら、ほっこり話でも書きたいと思っていますのん。

有事の想い

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軍隊ではないという建前の軍隊に、ロクな装備も医療体制も持たせず、戦場ではないという建前の戦闘の現場に送り込むことを、多くの日本人は他人事のように眺めてTVのエンタメに笑い、Xマスセールに並ぶ今日この頃ですが。みなさまお元気にお過ごしでしょうか。



違憲であろうが何であろうが、数と権力と金に物を云わせればなんでも通る世の中になっても。逃げ切り世代と呼ばれる、企業年金や賢い貯蓄で暮らせ持ち家はある家族は安泰、孫の学費も出してやれますの中高年者ばかりではないよね。

そういう余裕のある方こそ、子や孫の行く末を想って疑問に声を上げたり何かをしたらいいんだけど。何もしなかったから現在の暮らしを手に入れたんだから何もしない。

原発災害後、緊急事態制限は発令中で、国連においても敵国条例は日本に残っている。安保法制案を戦争法案と呼んだら、そういう事は人心を煽るとか云う方もいたけど。今は有事ではないんだろうか。

そこで怖いのは有事だからと、人民統制が敷かれているかのように、不服従の自由も発言も締め上げられて行くことで。報道もガーナやボツアナ以下の自由しかないと国際的にも判断されているんだよね。愛国者の人々は韓国だトランプがぁどこではない現実が、日本にあるのを承知なんだろうか。

強行採決などしやしませんと舌の根も乾かぬうちの年金法案強硬採決で、年金制度は既に破綻しているよね。今の若い人にそれでも年金を支払えって云い難い。希望を持って働けって云い難い。

なるべく穏やかな言葉で、本音では感ずいているのに何もしない人に話しかけたいと思ったこともある。でもたぶんに、解ろうともしない見ないことにすれば自分は安泰って人々を、説得も感化もできはしないんだからね。自分だけが正義で物事が解っているなんて思い上がってるんじゃないけれど。あまりの天下泰平な無関心には消耗してしまう。

明日は検査入院で、一応死ぬリスクもある検査なんで、病院に責任は問いませんって同意書も書いたから、ちょっと厳しい気分で言っちゃうけど。親を穏やかに送り、子に将来の安寧を望む方には、是非この有事に目を向けてほしいと思う。70年近い人生の中でも、これほど酷い危機感を持ったことはないからなの。

過激な左翼だとか、有事に不服ばかり言うとかご批判は無用で。町の片隅の無名の独りでもささやかにでも、不服従抵抗だけは手放さないという想いで。無事帰宅できたら、また小さな温もりの話でも書こうと。

手のひらの物語 柳橋(再)

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仁吉と亮太は川に沿って必死に走った。柳の木を避けながら後先になって走り続けた。



船足の速い緒牙船は神田川を滑るように走り、しほは、転ぶんじゃないかとはらはらしながら土手を走る二人を見上げている。

さんざんしほの名を呼んで、もう声も嗄れているけれど。走ることで、しほに思いが伝わるように、ただただ二人は走り続けた。

神田下の鼠長屋の裏路地で一緒に育った三人だ。年も同じで茶筅髪(ちゃせんがみ)の頃から、しほに止められ、時に人にみつかって怒鳴られながら、柿を盗んだり神社のお供えを盗んで食べたりと悪さも一緒なら、祭りも一緒に出かけて。三段の菱餅とからかわれtも、並んで歩き回っていた。

亮太が博打三昧の父親に死ぬほど殴られれば、長屋向かいの仁吉が飛んで来て庇う。一緒に殴られて傷だらけになると、三軒先のしほが濡れ手拭いを持って走ってきて手当てをしてくれた。

仁吉の方は、ふた親は居るものの、ぼて振りの父親は足をいためて働けず、母親は茶屋働きに出ていて遅く帰る母親と父親の喧嘩が絶えない。油障子も破れたままのありさまだ。弟二人と仁吉は、喧嘩がはじまると裏の神社に逃げて過ごすのだ。

しほの家は母親だけで、賃仕事に嫌気が差したのか、ついには部屋で男の相手をする家女郎に落ちていた。長屋の人達の冷たいまなざしに、青菜や塩を振り売りから買うにも、井戸から水を汲むときも、しほはこそっと出入りする。

母親は昼過ぎにしどけなく起きてきては。良い男を見つけて、お前にも楽をさせてやるからさ、としほに言う。客を取る夜は遅くまで、しほは近くの柳森神社に行く。そんな時は亮太も仁吉も付き合っては、また親におそくまでどこいってた、と突き転がされて叩かれる。

それでも、長屋のおかみさん達にからかわれても、身を寄せ合うように一緒に育ってきた。
貧乏長屋の子供は十二を越えると一人二人と奉公に出るが、いつかその日がくるっと想いつつも先のことなど思えもしない。柳森神社の縁柱にもたれて並んで座ると。

親もさ、じれってえのよ。だからおれらにもあたるんだ。そんでも雨露しのげるしよ、こうやって三人でいられるのぁ幸いってもんだぜ。仁吉はおとなびたように言うと。

でもよ、おとっつぁんはねえちゃんの奉公先にまでいって、金をせびって博打に使っちまうんだぜ。自分の目が出ねえのは、ねえちゃんでもおいらのせいでもねえのに、なんでおいらを叩くんだぃ。亮太は尖ったように言う。

まま喰えるのは誰のおかげだ、っておっかさんも言うけどね、あたいは早く奉公に出てまともな働きで食べていきたいなぁ。しほも遠くをみるようにつぶやく。

こないだよ、川筋でおこもの親子が物乞いしてた。あの親子もさぶくて辛れえだろうな。あの子は大きくなっておこもやるんだろうか。おれらぁ大きくなったら所帯持ったり子もできるんかなぁ。おれぁ子はでえじにするな。

やるせない気持も思い同じの三人なら、吐き出せば頷いてくれる顔がある。
めぼしい奉公先もみつからないままの初秋に。深川の岡場所にしほを売って、母親が男と消えた。

女衒が証文を持ってしほを迎えにきても、長屋の人達も助けてもやれない。せめてもと差配の老人が小銭をかき集めて、迎えの女衒に心づけを渡して。まだ子供だ、どうか酷い扱いはしなんでおくれと頼んだ。

女衒と猪牙で岡場所に向かうしほを、二人は身を切られる思いで送るしかない。神田下の船着場まで少し離れて付いて行く。

亮ちゃん達者でいてね、仁ちゃん悪さしちゃ駄目よっ。きっと便りをだすからねっ。
しほは、小さな風呂敷包みを胸に抱いて、明るい調子で別れを告げた。

滑るように岸を離れる船を追ってふたりは駆け出す。なにかを振り切るように走り、はしり続けて隅田川の手前の柳橋の中ほどで、二人はくたびれきって立ち止まった。

しほっつ、しほちゃん。二人は声を絞って呼んだ。両国橋の方へ向きを変えた船からしほが手を振るのが小さく見える。亮太はぐすぐすと泣きだした。

亮太、泣くなっ。
競争だぞっ、おれとお前とどっちが、金貯めて立派になってしほを岡場所から引っ張り出すんだ。競争だぞっ。

仁吉は痛みを耐えるかのように、顔を上げしほの船を見つめた。

おうっ、負けねぇ、負けねぇよっ。
亮太も継ぎだらけの筒袖で、ぐいと涙を拭った。

おれも、負けやしねぇよっ。荷担ぎでもぼて振りでもやって、きっとしほを助けるんだ。

仁吉は怒ったように言ったが、その頬も濡れた。二人は夕陽のさす柳橋の上で、子供から大人への狭間で。

何時までも佇んでいた・・

手のひらの物語 からす長屋(再)

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するってぇと、おめえはすってんてんになっちまったってえことかぃ。

へぇっ、ごらんの通りでやんす。向かいの八公がね、それじゃあんまりみっともねぇからって、この半纏かしてくれたんでやすがね。

火鉢から布団から着てるもんから、質屋と損料屋に持って行っちまって銭にしてね。さぶくてならねえし腹はへるし働きにもいけねえってんで。いっそ首でもくくっちまおうかって、腰紐もありゃしねえんで。ご隠居に腰紐の一本もお借りしてえと。

ばかだねっ、誰が首吊りの紐を貸す奴がいるんだぃ。夏なら締め込み一丁でも桶屋の見習いだぁ働きにもいけえるだろうが。そりゃまた見事に騙されたもんだねえ。

へえっ、武州の妹が病んで薬代がいるから、あんちゃん何とかしておくれって手紙に書いてあるって薬売りが言うもんで。

深川の衛門町の外れ。からす長屋の大家はご隠居と呼ばれる六十がらみの大男で。隣三棟はみなこのご隠居が大家で、差配は甥っ子だと云う佐源次という若い男が仕切っていた。

佐源次は目端の利く三十がらみの男で、揉め事から、長屋総出の溝さらいやら、病の年寄りの世話まで仕切って、おかみさん達からもえらく頼られている。店賃を溜め込んだ家にもむごい追い出しもかけない。

それで、その薬屋は前にもきていたんだね。武州に妹がいることも知っていたんだな。

へえっ、向こう長屋のおよねさんもね。ときに薬を求めていたらしいんでやすが、相模の末の息子がお店の勘定間違ってお咎めを受けそうだって手紙貰って、その薬売りにこつこつ溜めた波銭あるったけ持たせたら、相模の親類がたまたま尋ねてきてそんなことぁありやしねえと。

ふうむ、こんな貧乏長屋の奴らから毟り取ってるてぇわけだなぁ。

まぁ六よ、とりあえずおひねりやるから着るもんだけでも損料屋から出してお帰り。親方にわけを話して働きに出るんだよ。

へえっ、ありがてぇさすがご隠居だ。ありがてえっ。首くくるのはちょっと待ちやんす。

六助は畳みに額をこすりつけるように懐紙に包んだ一分銀を臥し頂いて帰っていった。

ご隠居は腕組みして思案げにしていたが。廊下に左源次が控えて聞いていたのは承知だ。細い棒縞の袷に襦袢も付けず、博多織の帯を片ばさみにきしっと締めた男は、目つき鋭く控えていた。

どう思うかぃ。
障子の間から佐源次が少しだけ身を差し伸べて。

盗人、かたりの風上にもおけねぇ奴でござんす。とひとこと言い放った。

武家や大店から盗みを働くのは知恵も支度もいるわ。仕込みに何年もかけ手下も養わなきゃならねぇ。まして相手は盗られて困るような相手でもねえ。掏りだって相手を見て手技を使うものさ。

それを日銭で暮らす貧乏人から毟るってえのはなぁ。身内を想う気持ちにつけこみやがって。首括りでも出たら殺生働きと変わりゃしねえ。

ご隠居は、煙管の灰をびしっと火鉢の端に当てて払うと。
小者だろうがこらしめてやらねえと、おいらの長屋内でかたり働きはさせやしねえよ。

へいっ。ちょいとお灸を据えてやりやしょう。

佐源次は低く呟くと、ふいっと廊下から姿を消した。

それから数日後の靄の朝。南町奉行所の門前。門番が眠たげに大門を開きふいと横を見ると。荒縄で縛り上げられた男が門前に座っている。その背中に紙が貼り付けられていて。

この者、薬売りと騙って長屋の貧者から銭をかたりたる盗人也。吟味の上ご成敗を求む。とあった。

へえごめんなさいよぉ。ご隠居ぉ、こないだはありがてえこって。これぁ、おいらがこさえた汲み桶だけど、どうそ収めておくんなせえよ。

おお、六つぁんかぃ。こりゃ小ぶりで使いやすそうな桶だぁ。なぁに働きに出ればいやなことも過ぎたことよっ。武州の妹ごは元気かぃ。

へえっ、しんぺえだからこっちへ呼び寄せようと思っておりやす。桶職人になりゃなんとか妹とふたりやっていけるかと。

そりゃいいやっ。長屋も賑わうってもんだ。ただし店賃は溜めちゃいけないよっ。

へいへぃっ、合点承知の助でやんす。

六助が勢いよく油障子を閉めて帰ると、ご隠居は満足そうに一服つけて、にんまりと廊下の影に。

おれが言うのもなんだが。読み書きできねえ貧乏で、堅気に生きるってえのはなまなかじゃねえ。まっとうにやってる奴は町の宝ってえもんよ。

黒鍬の親方、ごもっともで。

おいおいっ、そのなめえはとうに返した。おいらは角のご隠居だぜっ。

へいっ、申しわけねえ。つい昔のくせが。
佐源次はにやりと口の端で笑った。

その昔のこと。黒鍬仁助という大名大店を荒らした大盗賊もいたそうな。蔵や書院から盗み、殺生もせず風のように消えたと云われる。

坪庭の寒椿がほころんだ初冬の昼下がり。座敷にご隠居の煙草の煙がゆうらりと漂う。



北斎のからす


軽い一篇でちょっと一服。火鉢を手放してしまい、最近は煙管もあまり使わない。損料屋ってのは庶民の質屋みたいなもんで。冬は蚊帳やら夏布団を預け、預けてた火鉢や冬布団を出してくるって倉庫代わり。時には小銭も貸し付ける便利屋ですね。

続く地震やら原発と漠然としたが不安が覆う世の中ですが。どこかで人生そう捨てたもんじゃねえと思いたいよね。
ちょっと誤りがあったんで手直ししました。