ささいな日々

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冒険とか挑戦なんて構えなくても、人の一生には不意打ちもあれば、壁が目の前に塞がるような時があるもんだよね。

舐めるんじゃねえぜ立ち向かう~♪ってオーケンの唄じゃないが、立ち向かったり、へこへこ逃げたり、素知らぬふりでやり過ごす時もある。艱難辛苦とまで言わなくても、誠実に生きようとしても、挫けることは多い世の中でもあるからね。

ここ数日、早起きして朝食を摂って散歩にも行っている。ふつーのことですが。起きたとたん身体中が痛んだり、目がぼんやりだったりすると、そこで挫ける時もあるから。最後まであがいて、多少でも動ける身体を維持しようという健気さで。一つの旅立ちへの準備って気もする。

散歩がてら大きな100均へ行って、プランターと土を買って、ミニトマトの苗を植えようって企む。そのトマトが食べられる時まで、猫が生きている間は、ってささやかな目論見や愉しみが、時にはちっぽけな元気になるものよね。

何度もの引越しで、ほとんど失くしてしまった写真も整理して、こういうのって本の整理と同じで、懐かしく見入ってしまってはかどらないのよ。息子の幼い頃の写真など眺めると、別れた連れ合いが全部燃やしてしまったんで赤ん坊の時の写真は無いのが残念だけど、当時の事が蘇ってしみじみしてしまう。

ネットで海外の人達と話していて、成田や羽田から都心に入ると、洗濯物や布団が建物にずらり並んでスラムみたいだって話になった。

団地だけでなく、高級そうな外観のマンションでもそうだからね。超豪華マンションなどは、洗濯室に乾燥機付きとかもあるだろうけど。日本人は特に布団とか洗濯物を日に干さねばって気持があるようだ。イタリアやスペインの港町やモロッコの下町など、路地に渡したロープに青空の下洗濯物が翻っているのは、生活感が溢れていて風情もあるんだけどね。

日本のマンションの狭さや、ベランダの貧相は都会だけではないんだろうし。持ち家でも、庭もなければ日当たりも無いって家も多いだろう。たぶんそれは、人口と居住面積だけの問題ではなくて、生活する暮らすという事に対する考え方が大きいんじゃないかと思うのだが。

とにかく建てちゃえば売れるし儲かるって、土建屋と不動産業界の利益優先でやってきたから。箱物主義で欠陥マンションやら建売の地盤傾斜やら問題が噴出。一家を構える家持ちが、男の甲斐性みたいな考えもそれに拍車をかけてきたんだろうね。あ、家持ちの方や分譲マンションの方をクサしているのではありませぬので悪しからずね。

マンションGメンって、家屋調査系の方のツイートなどみても、ある時期から後のマンションの配線とか配水管とかは、かなり乱暴な手抜きがあるらしい。問題はそういう箱物に、生涯35年ローンで縛られるって生活だよね。

うちの賃貸マンションも上の階の排水音が、ごぼごぼキッチンのシンクでするし壁の配水管を通る水音も夜中でもする。まぁスペインも街中は、煉瓦と漆喰壁を隣の建物と共有している集合住宅が殆どだから、隣の建物のおっさんのくしゃみも聴こえるんだけどね。大きな弊害がなければお互いさまだよね。

このお互いさま的な寛容心って、長い間日本人の美徳とされていたんだけど、絆とか公共性とか最近は怪しい政治的意図に使われているようで気色が悪い。

ゾウの花子さんは自分と同じ年で、ついに永眠なさったようだけど。戦中、上野動物園の飼育員をしていた方とを知っていて、どれ程殺処分された動物達を痛ましく思い、それでも黒豹をこっそり食べたとかすさまじい話を聞いた。

戦後、平和の交流として日本にやってきた花子さんの一生を想うと。老婦人がテレビで、幼い頃花子さんを見にいった想い出を語って泣いたのは、自分の人生に重ねあわせてのことだろう。虎もゾウも絶滅の危機だと聞いたが、傲慢で身勝手な人間も、いつかその時を迎えるのだろうね。

朝から、ささいなことでへこんだり、ちっぽけなことで漲ってきたぜぃーと元気になったり、人の一日も一生も、行ったり来たりよねぇ。と朝の珈琲を飲みつつ一服。

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文を遊ぶ

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近頃、「カップ焼きソバの作り方を○○が書いたら」という遊びがFBで流行っているらしく、それを読んで大笑いしたんだけど。パロディっていうのはその元を知っていないとあまり愉しめない。

文体って作家の個性で、愛読していると数行読んだだけで、あぁこの作家だなって解る。もし蓮見重彦が、もし夢野久作が、太宰が椎名誠が、村上春樹が書いたらって、色んな人が書き込んでいて、特徴が捉えられていておかしいの。

蓮見重彦なら「凡庸なカップ焼きソバの肖像」→例えば焼きソバをめぐってそそがれようとしながらいまだ熱湯に至らず、ぬるま湯とも冷水ともつかぬ微妙な温度であっただけのものが、その環境としてある調理場一体にみなぎっている熱の効用を共有しつつ・・

などと続いていて、結局は湯きりに失敗して麺をシンクに流してしまうのよね。経験ある方も多いだろうけど。あれは悔しいよね。

真面目なお方からは、くだらないパクリとか、文豪や作家をバカにしてると非難があるやもしれぬが、若い方達が意外に多種の作家の作品を読んでいる事をちょっと頼もしく思う。

修行って何でも、初めは達人や名工の模写したり真似たりする所からはじまるもので。もちろんはなっから天才的な方もいらっしゃるんだろうけれど。愛読していると自然に文体など似てしまう事もあるだろうね。

昔「話の特集」って雑誌で、イラストレーターの和田誠さんがパロディの文と画を連載していて、後に「倫敦巴里」って一冊の本になった。和田さんは博学にして、書く、描くともに名手なので大いに笑って愉しんだ。手放してしまったけれど、古本屋でみかけたら買いなおすなぁ。

たとえば「殺しの手帖」(966年3月号)では「暮しの手帖」の誌面の花守安治の巻頭文をもじっている。髑髏のラベルが貼られた毒薬らしきガラスの薬瓶とが並ぶ表紙に「殺しの手帳」とあって。暮らし=殺しに言い換えて。

これは あなたの手帖です

この中の どれか 一つ二つは

すぐ今日 あなたの殺しに役立ち

せめて どれか もう一つ二つは

すぐには役に立たないように見えても
やがて こころの底ふかく沈んで

いつか あなたの殺し方を変えてしま う そんなふうな

これは あなたの殺しの手帖です

という、読者には馴染みの言葉が書かれている。商品テストで拳銃が俎上に上げられ、毒殺向け料理レシピなども乗っているのね。不謹慎とお怒りになるような方は、自分のいい加減なブログの読者さんにはいらっしゃらないと思いますが。

描くの方も、ダリがイヤミを描いたら、写楽ががリンゴスターを描いたらなど大いに笑える。

海外映画スターを日本映画にキャスティングして「宮本武蔵」ならアラン・ドロンが武蔵、小次郎はジャン=ポール・ベルモンド、お通がカトリーヌ・ドヌーヴ、「人生劇場」ではポール・ニューマンの飛車角、アンソニイ・クインの吉良常、ダスティン・ホフマンの青成瓢吉といった具合。描くイラストも相まってくすくす笑える。

特に七年に渡って飛び連載された「雪国」シリーズは川端がノーベル文学賞をとったのを切っ掛けに連載されて話題になったの。「国境のトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。」という有名な冒頭の一節が認知されやすい事もあったろうが。


庄司薫、野坂昭如、星新一、大藪春彦、山口瞳、池波正太郎などなど。つげ義春はネジ式の画を、谷川俊太郎はマザーグース風と多彩なの。

作家だけでなく、映画評論家の淀川長治さんとか。「日曜洋画劇場」で放映後、俳優・監督のエピソードや撮影のポイントまで短く語って、お馴染みの「サヨナラ」は、子供も真似したり親しまれたのね。それはこんな風。

「トンネルを出ましたねぇ。長いですねぇ。長いトンネルですねぇ。このトンネルは、清水トンネル言いまして、長さは九千七百メートルもあるんですよ。長いですねぇ。

娘さんが窓をあけて「駅長さあん」言いますね、あそこの景色、きれいですねぇ。その写真、もう一回見せて下さい。ハイ、写真出ました。きれいですねぇ。撮影がいいですねぇ。カメラマンは、グレッグ・トーランド言いまして、アカデミー賞を三回もとっております。上手ですねぇ。

シナリオはベン・ヘクトですよ。ベテランですねぇ。名作をいっぱい作っております。もう時間来ました。それでは来週をお楽しみください。サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ」

笑えますねぇ。いいですねぇ。と言ってしまう。

「国境の長いトンネル。そこを抜けると雪国の筈だった。信号所に汽車が止まる。どこからともなく一人の娘が立って来て、エヌ氏の前の窓を開けた。なまぬるい空気が流れこんだ。娘は窓からからだを乗りだして叫ぶ。
「駅長さーん、駅長さーん」

明りをさげてやって来た男は、おどろいたことに顔も手足も緑色だった。そして緑色の唇から声が出た。
「ジフ惑星へようこそ」

星新一だね。筒井康隆との比較も面白い。文体だけでなく文字種類も変えたり、とてもセンスが行き届いているの。

こういう知の遊びは、若い方はどんどんやって文遊びも愉しんでほしいなぁと思う。コピペでなく自分の感性で書くのね。人への誹謗や冷笑してるより、ずっと和やかだしねぇ。

短い話題にしたかったのに、何時も長くなってしまうのは困ったもんです。

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日本を出る老人

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スペインにいた当時、日本でシルバーコロンビア計画っていうのがあったのよね。年金暮らしの高齢者は、海外に住んで晩年をのんびり暮らしましょうってプランで。人気はカナダとかニュージーランドとかスペインだったらしい。

それでスペインにも、老後をスペインで暮らそうって人がやってきた。一般には日本より物価の安い国って考えるけれど。治安とか気候とか余暇の過ごし方とか色んな理由があったんだろうね。

確かにスペインは気候がいいし、台風も地震も少ないし、何より食事は米も魚貝も豊富だし当時は物価も安かったからね。コスタ・デル・ソル(太陽海岸)辺りに日本人向けのコンドミニアムとか建って、コンセルヘ(管理、案内窓口)の手伝いとか頼まれてやったこともあるの。

例えば500万ー700万位のコンドミニアム買って、広い3DK、ヨットハーナーが見下ろせるバルコニーつきの部屋で、個人プールとかも付いてたりするからね。中流層で退職金貰って年金付いてたら、小旅行も愉しめるし、釣りやゴルフやテニスなんかして過ごせるって。

それで完売しないコンドミニアムは、お試しステイや賃貸も出来るようになったの。一階には日本食材店や日本料理屋もあって、conserjeコンセルヘで旅の手配から、病院予約からガイドも頼めるし不自由はないの。勿論有料だけどね。

前にも書いたんだけど、日本人がそういう生活を愉しめるのには条件があるんだよね。経済力が大きいんだけど。遊ぶことや学ぶ事に意欲がある人じゃないと引き篭もってしまうし、近隣者だけでなく現地の人との交流が持てないと閉塞してしまう。

それで日本に帰ってしまう方もいたし。病気になるとやはり心細くなって帰国とか。夫婦で食い違いが出来て片方が帰ってしまったりもあったね。今はユーロで物価差も減ったし、日本の年金破綻状況では欧米では、かなり無理があるよね。

アジアでも中東でも、海外在住する高齢者に随分お目にかかったけど。ツイッターで海外老人についてのやりとりを眺めていてちょっと考えた。

タイ、ベトナムや中東で聞いたのは日本人ジジイの悪い評判で、物価差があるから金持ち気分になって、現地の若い娘をこき使ったり愛人にしたり、怪しげな投資話に乗っかって大損したりもある。以前ネットで知ってたジイさんも、フイリピンの海老の養殖話で、全財産失った上に家族に借金残した話もあるから。

まぁ、日本人観光客を見ていても思うんだけど、50代ー70代の日本社会である程度成功者になったおっさんとかジジイの行儀の悪さは、かなりのもんよね。

スタッフに威張るわ、フラメンコの踊り子の尻に触るわ、女世話しろから日本語解らないと思って、街が汚いとかバルでスペインの悪口吐き散らすは、日本人は礼儀正しいとかマナーがいいなんてこたあないと思ってしまう。自分達の狭い価値観から少しも出ないからね。

それでも自分の意志で旅行してる人はいいんだけど。家族が持て余して海外旅行に出されちゃう人もいて。半分ボケていて、カバンに入れていた100万無くなったとかバスでお漏らしとか、迷子になったり部屋に鍵かけて籠っちゃったり、添乗員とガイドは泣くのであります。

旅行代理店にもブラックリストがあって、あまり問題が続くと断る場合もあるそうで、80過ぎたら家族から一筆入れさせるとかね。でもお得意さんだと断り難い。

それで、ツイッターでもどなたが言ってらして、自分もタイでも聞いたのは。そういう日本からの脱出老人が80歳を超えて現地で病に倒れ孤独死すると。日本の家族が葬儀や遺骨の引き取りを拒否して、現地の日本領事館が手を焼いているという話なのね。

実際、在留届も出してない人も多い。在留届って何の拘束力もないし、クーデターがあっても知らせが来るわけでもない。自分も、年金申請した時にスペインの日本大使館に電話して尋ねたんだけど、何の証明にも保証にもならないのよね。

日本人が、海外に出て行くのはいい事だと思っているの。アジアや中東でもシルバーボランティアの井戸掘りや医療関連の老人達なんか見るとほんと嬉しいし、そういう草の根の善意が、日本人への評価と信頼を得ているのはとても大きいことなのよね。

だから、海外在住老人がぁと十杷一からげには言えないんだけど。やはり心と頭の柔らかい心を開ける人や、他者や異文化を尊重できる方のが生きやすいのよね。

そういう人々を、直接金銭的支援はできないまでも、日本の信用を落として危険を増やすような国の姿勢は、かなり深刻な問題だと思うの。

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見えない鎖

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沖縄の女性殺人事件が、とりざたされるのには色んな理由がある。自分は女だから、女性の尊厳が暴力によって踏みにじられることへの怒りもある。事件に悪乗りするような、女性蔑視の暴言の二次被害にもね。まぁ、そういう人は人を貶めるのが楽しいって下衆なんで、性別に係わらずなんだけど。

以前にも沖縄の米兵事件について風俗を使えと発言して顰蹙を買った橋下さんだが。「米兵等の猛者に対して、バーベキューやビーチバレーでストレス発散などできるのか。建前ばかりの綺麗ごと。そこで風俗の活用でも検討したらどうだ、と言ってやった。まあこれは言い過ぎたとして発言撤回したけど、やっぱり撤回しない方がよかったか」と言ったとかでまた叩かれているが、この無神経さには呆れる。

おまけにこの人、「外国人が犯罪を犯したらその外国人を排斥する。これこそ移民排斥のロジックと同じ。朝日・毎日、その一派は移民や難民に優しいきれいごとを言って、米軍軍属など外国人が犯罪を犯せば外国人は日本から出て行け!とのロジック。きれい事ばかり言う人権派の典型例」だとか言っちゃって。

沖縄の基地建設に反対してる人達が外国人差別のヘイトと同じだ、というトンデモな刷りかえをしてる。ほんと頼むからこんなの次の都知事にしないでよね。

以前、米兵の12才の少女暴行事件が起きた時、当時の米太平洋軍司令官が「(犯罪で使用した)レンタカーを借りる金で女を買えた」と発言して更迭されたのよね。日本じゃ橋下発言に反応が鈍いけど。男の性欲は制御できないんだから仕方が無いって、脳が海綿体でできてるのかね。

元風俗の女性が、性犯罪者のゴミ捨て場のように風俗嬢を二重に貶める奴、って橋下に怒るのもよく解る。どなたかが発信してたけど、この人はどんな問題でも真剣にその対象と向き合うのではなくって、どう言えばスキャンダラスに聞こえるか、どう言えば話題になるかということだけで。風俗発言でも本当に彼がそう思い、必要と思って真剣に発言したわけではない。そこが一番不誠実な最低さだと。

政治家の発言の一々に反応するのは控えているんだけど、それでも時々、そりゃねえだろうよって思ってしまう。

ミスティって黒人バレリーナの動画があって、
とても美しい輝きがある。13才というバレリーナとしては遅いスタートで、貧困家庭で黒人であって女性という何重もの鎖を跳ね返して、ABT最高のバレリーナに選ばれることは、どんなに困難だったろうと思う。

どんな国でも女子供や貧困や障害、人種や出自やらも差別ってあるんだろうけれど。被災している人々の中にもそういうものはある。より弱者や障害を抱える人への想像力を、どこかで持つ事が出来るかなんだよね。

生い立ちが不遇で若い時苦労したからって、権力を手にしたら、今度は自分がいい思いをする番だとばかり思うような人は上に立ってはいけない。自分が成功したら、辛い時に力になってくれた人のことを思い出して、自分もそんな人になりたいと願うような人に上に立ってほしいものよね。

求めたい

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沖縄の女性殺害について「再発防止に向けて厳正な対応をアメリカに求めたい」と腸の弱い立法府の長も言ってたようだが。

誰にいってるのだか。そこは厳正な対応を求める。じゃねえのか。厳重に抗議するでもいいや。希望しているだけなの。独立国の長としてはどうにもだが、まぁ属国だからね。
それにしても、日米友好ムードに水を差すとか、最悪のタイミングだとか、早々に封じなければというマスメディアも人非人だよね。

揚げ足取りとか言われるかもだけど、総理って行政府の長ならわかるが、立法府の長じゃないよね。そのうち司法府の長も名乗って三権分立は崩壊だね。今もかなり怪しくなっているけど。

それで殺害されてしまっているのに、またぞろ、そんな遅くまでウオーキングしてるからだとかほざくアホがいて。レイプ事件でも明け方まで女独りで外にいるのがヘンだとか、肌を露出してる服装だったとか言う奴がいるんだよね。大体男なんだけど。

何をどう言おうと、レイプしたり殺しちゃったりする奴が悪いに決ってるじゃん。自分の娘や孫、妹が被害に遭ってもそう言えるのかね。

TVを眺めてると、舛添が段々気の毒に思えてくる。落ちた犬は叩けってことかもしれないが。第三者機関の弁護士は誰だとかネチネチやられていて。記者の方もさ、ここぞと言いつのっているけど、甘利がヤメ検の弁護士がぁと弁明した時、だれかその弁護士は誰なのか聞いたっけ。

眠れないとかいいつつ、しっかり徘徊して地元で選挙活動している甘利は、8月の時効まで寝た振りか。これは証拠まである収賄事件なのに巨悪を暴く検察も寝た振り。

みんなで都知事イジメてる間に、刑事訴訟法改悪とか盗聴法を含んで成立。取り調べも一分可視化されたから、わーい一歩前進だぁとは言えない。

これは70年の沖縄闘争の時から問題になっていたんだけど。編集された撮影映像は証拠にならないってことと同じ。
裁く側にとって都合のいい部分を撮影する危険は、冤罪を生むと思う。大体パクられた最初の取調べが一番大事なんだよね。責められて自白した所だけ撮っちゃダメっしょ。

刑事訴訟法っていうのはなかなか良くできた法律で、違法に収集された証拠は裁判の証拠にはならないとかね。交通裁判の頃かなり読んだんだけど、罰するほど違法でないものは立件を慎重にとかあったような。

海外ドラマの法廷物でも、麻薬の囮捜査とかは、情報としては使われるけど裁判の証拠にはならない。どうしても必要と判事の許可がないと盗聴はできないし、証拠には採用されないとかある。電柱の陰で隠れていて、違反した時だけ出てきて捕まえるのは囮捜査にあたりませんかぃ。40k制限の道路を、数キロ越えても違法であるって、運転する人なら納得しないだろう。

今回の法改正の問題は、密告者によって逮捕された場合、弁護士でさえ誰が密告したか知らされないとか、別件盗聴が認められることとかあるんだけど。
自分には関係ないと思っている方が多いと思うけど。デモとかで目をつけられたり、口答えして生意気逮捕とかに遭わないとも限らないご時世だからね。

庶民の監視懲罰にはじわじわと厳しくなって行く、いっぽう秘密保護法を盾に、TPPやパナマ文書だ、オリンピック贈収賄とかは闇に隠せるって理不尽よね。既得利権者には甘く庶民には厳しくだ。税と同じよね。

人の権利は同等で、人の命はただ一つって思えば、そういう理不尽の公正化を切に求めたいよね。っていうか、国民に主権はないとか、庶民に人権はないとか平気で言うような政権はいらない。キッパリ!

ついでだから、リニアもオリンピックも原発もいらない。と朝ぼやき。

路上のうた

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『路上のうた ホームレス川柳』ビッグイシュー日本編集部〔編〕700円 (税込)という川柳集がある。


文庫本サイズ


陽だまりは ホームレスにも 暖かい

百円が あれば安心 2~3日

春の夜は 同じ寝床の 猫元気


福岡で、雑誌『ビッグイシュー日本版』を販売している髭戸太さんが、川柳をつくって毎号の雑誌と一緒に配っていたが、髭戸さんとホームレスの友人、大濠藤太、沢野健草、麺好司、村中小僧、山本一郎の六人が互いに切磋琢磨しながら、路上での生活を川柳にし、書きためていたものを本にしたもので。本代の半分が販売者の収入になるとか。

山頭火の句に、人の孤独や短い言葉の向うに浮かぶ風景を、すごいなぁと読んだこともあるが。川柳という軽さがなんともいい。書きかけの江戸物も川柳の仲間が活躍する話だが放置中で、近くにビッグイシューの販売している人を見かけないんで紹介だけでも。

食べ物の賞味期限は舌に聞け

冬公園壁はなくても一人部屋

お正月餅もらえどもコンロなし

公園の闇夜で一人忘年会

パンの耳鳩にやるなら俺にくれ

アルミ缶昔はすてた今拾う

アルミ缶空を集めて中身買う

プレゼント応募したいが住所なし

空腹でなにもないけど友が居て

くすっとしながらしみじみしてしまう。前に「路上文学賞」というのも紹介したんだけど。作家の星野智幸氏とホームレスを撮り続けている写真家の高松英昭氏が2010年の春に創設したのね。それもとても身近で、本音がきらり輝いているような作品ばかりだった。

けれんみが無いというか、媚びない素朴な言葉がすうと入ってくる清しい風のようでね。それで一句・・・だめだ才能ないわぁ。

切なくて やがておかしき 野川柳

詭弁べんべん

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「詭弁」って日本語では、「誤りである論理展開を故意に用いて発言者に都合良く導き出された結論、その論理の過程を指すこと」だとある。

ここで問題なのは、発言者の「欺く意志」があっての「詭弁」であって、必ずしも意図的にではない「誤謬」とは区別されるってことなのね。

ハフポストにシカゴ大の日本の教授が「日本の組織は全世界に通用しない詭弁は止めるべき」って一文を書いている。

オリンピック問題でも、海外報道が示すように金の行き先が、既に汚職が明らかとなった国際陸連前会長のラミン・ディアク氏の息子で、IAAF汚職にもトンネルとして使われたペーパー・カンパニーのブラック・タイディングズ社の口座なら。正当なコンサル料の言い訳は世界で通用しないだろうと述べてている。

日本の文部大臣は、多数派工作に使われたもので賄賂ではないとかアホ発言で突っ込まれているけど。それを賄賂って呼ぶのではないらしい。

教授は、捕鯨調査の問題にも調査だと云う詭弁を使わずに、日本の食文化の伝統の継続を主張して、それで通らなくても納得できると。また男女別姓にについても、夫婦のどちらかの姓を名乗れるんだから男女の平等に反しないという最高裁判所の判定にも。

自由をいうなら個人の選択の自由にまかせるべきで。判決の「本音」は日本では家族を優先し、個人の自由は制限されるという判断だと。
姓の変更を不本意と思う人には強制であって、個人の尊重を定めた憲法13条にも違反する。個人の自由や人権への日本の司法理解の狭さを、改めて世界に露呈することになったと述べているのね。

なぜ、組織がそういう詭弁が国外にも通用すると思っているんだろう。日本の本来の価値観とかでなくってそれが自国内で通るからだと思のよね。建前と本音っていうのは時に必要だ。というのがたぶん日本国の中では一般的に受け入れられている。

それは、あからさまに本音を言うと和が乱れる、統制がきかないということなんだろうけれど。国会の場では、調和とか気配りなんか求めていないと思う。党首答弁なんか見ると、野党も歯がゆくて気持が悪い。婉曲な表現と詭弁を混同してはいけないよね。

自由とか言うと、すぐ放埓とかやりたい放題と勘違いする人がいる。和を尊ぶことと詭弁はなんの関係もないんだよね。奥歯に物の挟まったような言い方なんか、誰も国会に希望しないしね。

それでそういう詭弁が、国際的に通用しないと考えもしないのは。国内では通用するからで、それで騙せるし文句も抵抗も少ないからだよね。舐められてるよなぁ。

詭弁がデフォルト(基本)の社会は、為政者や騙し手にとっては実にやりやすいんだけど。それいいのか日本人って思うんだよね。

制服とか

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家の近所にコスプレ店があって、風俗街の横なんだけど。ウインドウにセーラー服とか、ナース服、CA(昔でいえばスチュアーデスよね)服ありますとか書いてあるの。改装したらさすがにお達しがあったのか、外に服の見本は出さなくなったようだ。

ああいう制服買って誰に着せるのかはよく解らない。妻に買い与えて今日はナース服で出迎えてくれよ、なんてあんのかしら。まぁ夫婦や恋人なら問題ないんだろうけど。そんな夫はちょっと勘弁してくれと思うが。

メイド喫茶とかスッチーカフェとかあるのは、制服に萌える男性が多いからなんだろうか。消防士喫茶とか軍隊カフエが無いのは、女性は視覚的興奮に需要がないってことなのかね。アメリカでは男性ストリップとかあるようだけど。そんな所にも日本的男性社会がみられるのかなぁ。

自分の中高時代はセーラー服で、成城学園みたいなブレザーの制服が羨ましかった。あそこは一応制服があったけど服装自由だったようなの。今は金ボタン学生服に学帽はあまりみないね。男子の学制服は軍服だし。

サウスランドってドラマで、仲間で飲みに行くのに、着替えないのかって言われた警察官が、制服の方が女にモテルからなって応える場面があって。確かにマヌケ面な奴でも制服びしっと着てると凛々しくみえるからねぇ。小意地の悪い性格でも薄いピンクのナース服で仕事してると天使のように思えたり。

スペインから帰国して、朝日本の銀行に行った時に、自動ドアが開いたら両側に制服の女子店員がずらりと並んでいて、おはようございます、ご来店ありがとうございますーって声を揃えて言った時はびびった。もうなんか異様で帰りたくなる。日本の銀行では、男性の背広は私服扱いで制服代は出ないんだろうか。

スペインでは銀行役所も私服だし、近所の小さな支所なんか、サンダル履きにジャンバー咥えタバコのおっさんが窓口で、親切なんだけどね。政治家もジャンパー姿でTV出たり演説したりもあるし。

サラリーマンが、背広を戦闘服とか呼ぶのも制服が軍隊的規律と統一性を表すからなんだろうね。ハワイでは国会もアロハらしい。暑くて背広にネクタイなんてやってらんないだろう。でもクールビズとかって、上の命で決められるのって子供じゃないんだから。今日から夏服で登校しなさいみたいだよね。暑さも感じる人それぞれだもの自由でいいじゃん。

でも制服の統一性ってやはり綺麗なんだよね。スペインの騎馬隊の行進とか赤い制服で美形でいいわーと思ってしまう。英国のバッキンガムとかもそうだけどね。野坂昭如さんが戦争に嫌悪感を持っているのに、規律正しい軍隊のパレードみると、おぉと思ってしまうと、昔書いていた。だけど、北朝鮮の舛ゲームとか軍事大国の軍事パレードなんか眺めると、綺麗だと思うよりむしろ怖ろしい気がする。

英国議会で、会社でハイヒールを義務付けることを禁止する条例が通ったらしい。英国でさえ今頃なんだねぇ。スペインのキャリアウーマンの友人がいて、美人でスタイルが良く仕立てのいい服に、」シャルルジョルダンのハイヒールとか素敵なんだけど。男性も、9インチのハイヒールで一日仕事してみれば解るだろうけど不自然だよね。足ぱんぱんってなる。外斑母指とかもね。

旅行添乗員さんに聞いたら、ツアーと最初のコンタクトと現地に着くまでは中ヒールって社命があるらしい。まぁズックっていう訳にもいかないんだろうが。
ガイドは社命はないんだけど、客より派手にならぬよう出迎え時はヒールのある靴っていうのが暗黙のルール。いきなりミンクのコートで出迎えとか、引越しの手伝いじゃないんだからスニーカーで出迎えるなってのは解るよね。

世界中で、ビジネスマンが背広にネクタイって何時から広まったんだろうね。息子なんか、着道楽だった父親のお古の背広やネクタイはかなりあるけど、冠婚葬祭用背広とネクタイ以外まず使わない。何が、かなしゅうて首からヒモぶら下げにゃならんのだ、とか文句言う。

制服仕事は殆どしたことがないけれど、春先の就活学生の黒紺スーツ集団などみかけると、他国ではみかけない違和感は感じるのよね。ヤクザさんは、白いスーツとか服をはったりと呼ぶらしいが。

制服から眺める社会も、色んな側面があるものだなぁと思いながら。暑いのか寒いのか気温差が激しい日々で、みなさまも体調おだいじにね、の雨降りの横浜の朝でした。

朝ぼやき

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たぶん、グルメって言葉を知ったのは、開高健さんの著作だったような記憶がある。彼はグルメにしてグルマンだと。

グルメって元はフランス語で、食通っていうか食の知識の深い人を言って、グルマンの方は美食家のように言うのかな。大食家の意味もあるようで、開高さんはグルメにしてグルマンだったと思うが。

自分はグルメでもグルマンでもない。仕事絡みもあって五つ星だ三つ星だとかのレストランも結構行って、隠しだま的美味しいレストラン探訪もしたことはあるんだけど。

何処の国へ行っても、家庭料理やお惣菜が一番だなぁと思う。どんなに美味といわれても、ラーメン店に二時間も並ぶ気はまったく起こらない。ふらりと入って手軽に美味しく食べられるのがラーメンだろうがぁ。

我が家は、ほぼ毎日昼食はラーメンなんだけど、自分好みに具材を工夫したり手を掛けて、われながら美味しいと思うんで外で食べてもあまり感動しない。美味しいラーメンの台湾料理屋さんも無くなったし。

朝、珈琲飲みながらTVつけたら、オリンピック問題やっていて、それは何処の国もやってるとか、建前と本音があるんだから裏でやらないと招致できないとか、コンサルタントってそんなもんとか。ここでやめてはならないとか。こういうコメンテーターのおっさん達が日本なんだなぁと呆れてながめる。日テレだったか、急いでチャンネル変えてっと。

そうしたら、日本のエンゲル係数が数年急上昇しているって話をやっていて。こまかいデータの算出方法はあるんだけど、要するに消費支出のうち食費の占める割合が高いってことよね。この食費に酒類とかを含めるか外食費をいれるかとかはあるようだけど。

日本の食材が安いか高いかは収入との関係もあるし受け止め方も色々でしょう。外食費全体は安いと思ったり食材は高いなぁと実感したり。

こないだもネットで、国産の大蒜がいように高いって話をしていて、一個(スペインでは一つ頭 una cabeza)って呼ぶんだけど350円とかする。中国産だと6個位はいっていて同じ値段だもの、そっちに手が伸びるよね。焼き大蒜とか揚げ大蒜とかにすると味が違うのかもしれないが。それにしても高すぎると。八百屋の店先で佇んでしまうわ。

スペインは、いつもエンゲル係数が高い国にはいっているんだけど。ワインとか酒類と外食率が高いらしい。だって食材はほんと安い。農業自給率130%は大きいよね。でもバルの盛況ぶりを見ていると、とにかく食べる事にエネルギーがある人達だからね。

日本のエンゲル係数の急上昇は、収入との割合で当然だろうと頷けるが。食べるのに精一杯で、自炊の方が金が掛かるで、ファスト系とコンビニ外食って悲しいよね。

伸び盛りの若い独り者の食を想像すると愉しい食事は浮かばない。本やCDや趣味にも金が掛けられないってことだし。大学生もいまや奨学金でワンコイン暮らしとは気の毒なような。

スペイン人は貯蓄しない傾向があって使っちゃうのは、医療、教育無料で家とか部屋持ちが多いとか、年金がまだいきてるかだと思うけれど。エンゲル係数だけでない日本の貧困は大きいよね。

向かいの通りの公園の空き地を見ると作物作りたくなるが、悲しい都会暮らしはベランダプランターがせいぜい。青紫蘇とかバジルとかハーヴ類だけでなくもう少し食材になるような物を作りたいが。ベランダは避難通路だってことらしいし。都会の食生活サバイバルはハードだぜ。

昨日、歩くぞーっと町の方まで散歩に出かけて、無印とかユニクロとかちょっと覗いたんだけど。以前に比べると安価でも無いし質が落ちてるなぁって感じる。ベネトンとかシスレーとかサラって若い人のチープシックってことで売れてきたと思うんだけれど。

最近ティッシュの箱買うと、値段は以前と同じようなもんだけどすぐ無くなる。枚数へってんじゃねと思うのと同じような気がする。

TVでは、相変わらず舛添問題が取上げられているんだけど、まぁセコイ人だけどさ。次の都知事候補は小池百合子だ稲田だ、石原ノビテルや、橋本、東国原だって、なんか寒気がするような朝のぼやき。

しみったれ

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けちんぼうとかしぶちんってのは、まだ愛嬌がありやす。節約家っていうのも、かなり計算して出費を抑えてますって努力の意味合いもあるんだけど。

しみったれはいけませんや。せこくて卑しい感じがするのさ。この卑しさってのは下衆に通じていて、下品より更に卑しい。この卑しいって身分や地位にも使われるけど、近頃はそうではないんだよね。

裕福な家庭に生まれ育っても、銀の匙を咥えて生まれたような人でも、人は卑しくなるのだよ。

おっかさんは、家の犬ががっついて餌を食べてると、いやしい奴だねゆっくりお食べな。と言ったけど、いやしんぼにはまだ可愛い気持もあったんだろう。

優秀大学を出て官僚や政治家になって、日常の賄いに不自由が無くっても、有り余るほどの金があっても、人品卑しいって人もいるんだよね。自分の財布には、いようにケチなのに、人の金だと思うと湯水のように使ってもへいちゃらさ。って人もいる。

あらら、今の上のほうの方々はこれが基本なのかい。節約は美徳って戒めの言葉からは程遠い。上は外で見栄張っていい顔して、女房子供を飢えさせてる強つくばりの将軍さまとか。賂とっても、干潟干拓につぎ込んだ田沼さまにも及ばぬ、自分の財布しか見ぬお代官さまとかね。

貧乏自慢ってのは、落語の中にだけ残っていて、いまや貧困が自慢になった呑気さも無い。生きるのに困窮していて人にも言えない辛だから周囲も気づかない。貧乏が恥のように思う世間の風が、冷たく吹いてるからさね。

弊衣破帽ってのも、もう死語だけど、わざとボロっぽくして貧乏気取りってのは、まだ神田川の歌の頃まではあったのかね。そういう粋がりはいつか消滅してしまい、金持ち気取りセブ感覚とかが蔓延してる。貧乏は恥なのかぃ。

熊本災害に豚の貯金箱壊して、僅かな小銭を握り締めて寄付しょうと走っていく子供もいれば。庶民の金を預かってるくせに、自分の金を惜しむようにしみったれた輩もいる。ましてや他人の金を動かして儲ける金融商売が、景気の要とやらの世の中だからね。

金あまり やりくりする愉しみもねぇつまらなさ。と負け惜しみだぃ。