修羅の春

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 梅は咲いたか桜はまだかいな、の季節ですがご無沙汰しておりやす。

 時の流れの川面は流れが速く、何かと世間も騒がしいようで。相変わらずの貧乏人は、嘆いたり腹を立てたり呆れかえったりするばかり。
すっかり通院以は外へも出ず、洗濯物を畳みながら久しく見なかったTVの国会中継など眺め、厚顔無恥な方々の、人を舐めきった姿に毒づいておりやす。

 思うことは色々あって、何度か書きかけたんですが、ツイッターでぼやいてしまうと、発酵しないし長い文を書く気力が失せてるとかもあるのよね。

 人がどんな思想を持つのも自由ではあるんだけど、それが権力や強制をともなうと事情は違うよね。道徳教科書のパン屋は愛国にそぐわないから和菓子屋にするとか、道徳を点数評価するとか、頭のおかしいようなことがじわじわとやってくる。日本会議も思想統制も共謀罪も、どーでもいいって、自分にはカンケーないって思っている方が多いんだろうね。

 家庭や人の心の中にまで手を突っ込んで管理したい政権で、形のある弾圧や締め付けも嫌だけど、ここが怖ろしいなぁと思うのよね。子供に疑問を抱かせない、不服従や抵抗を幼児期から奪おうって教育とかね。

 種子法、水道民営化と、食や水を売り渡しては喉元に刃物の危機状態に陥るのに、政権や行政も、利益保身のためか何も考えて無いのか、信じられないような事が次々起きるものだ。とっくに報道の自由も知る権利も三権分立も死に体だねぇ。

 忖度も絆も本来の意味を刷り代えて政治の道具に貶めてるし。国会の証人喚問なんか眺めていると、いかに自民や維新の議員ってやくざなのか驚くばかりだよね。もう立派な脅迫恫喝だもの。暴力警察の尋問まがいであれは裁判なんだね。尋問されるのは私人だけなんだ。あれ、総理夫人は私人だって国会決議されたんじゃねえかぃ。

 まぁ、政治家は白紙領収書も収賄も問題ないらしいし、ドリルでHDグリグリ壊したり、公文書燃やしたり携帯電話が水没しても何も問題ないらしいが。庶民は政府に盾突くと、有刺鉄線一本切ったと五ヶ月も接見禁止で拘束されちゃう世の中だからね。

 さっさと諦めておとなしく働いてろって。100時間も残業して数ヶ月も続けたら死ねるよね。死ななくても人間喪失できるね。凄い世の中だねえ。地べたの人は日々生き残る戦いみたいなもんで。公園でごろっと横にもなれない。
修羅の春を生き抜くには、何かを犠牲にしなければならないのだろうか。



 中古のPCも自分と同様ぼろで、キーボードが壊れたり度々ページが開けなくなったり不調で、目は目玉取り出す手術するか否かで、起きられない日も多いんですが。老猫と、何をしてるのかゴソゴソしてる息子もとりあえずは、無事ちっちゃい片隅で生息しています。一寸の虫にも五分の魂よね。

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いいかげん

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 いい塩梅とかいいかげんって言葉はぬるくって好きだけど。それは個人の感覚で、政権がいいかげんでは被害は民草に及ぶので困るんだよね。あ、困ってないと感じる人も多いから現状維持なんだろうけど。

 国会で森友問題で小池議員が、何笑ってんです使われているのは、国民が汗水たらして働いて納めた税金なんですよ!って怒るのも無理が無い。エラソーでにやにや笑いの小憎らしさだよね。こういうエラソー親父は何かというと、俺は男だ、サムライだ武士だぁとかのたまい、女性をねーちゃんとかおばはんとか呼ぶけど。さっさと腹を斬れと言いたくなる。

 日本は忖度国家の面が強いから、肩書き地位名刺に弱いんだよね。企業の家族慰労旅行でも専務夫人は部長夫人より先にバスに乗るのが当たり前みたいなね。スペイン人のバス運転手が不思議がるってものだ。私人とされる総理夫人も肩書きなければ秘書5人もつかないだろうし、誰も名誉園長にしない。

 やっとTVでも取上げられるようになって日本会議の名前もチラつくようになったけど。相変わらず御用コメンテーターが歯が浮くような擁護で、総理夫妻は騙されたんだろうとか、バカいっちゃいけない。騙されたとしたらそれは庶民でしょうが。

 野党から質問を受けて、オタオタしどろもどろ、キレまくって妻がぁ私の名誉がぁーって延々と喋り、何度も議長(自民党よ)から、総理簡潔に、総理質問に答えて下さいって注意されてやがんの。

 こんな無様で日本の安全保障を担って、プーチンやトランプやメルケルと外交できるのかね。恥ずかしい気持ちになる。
 海外を旅してると中国人かぃ、フイリピナかぃって聞かれる。日本人だよって答えるとにっこりされたりすることはもうないんだろうなぁ。他国の人の評価なんて関係ないようだけど、独りで海外を旅するとパスポート国への信頼に助けられることもあるからね。

 NYの日本人も、アーティストビザのダンサーやミュージシャンも今やビザのことで戦々恐々らしいけど。排斥というのが多様で多彩な文化を生む事はないからね。
 だから一億総なんとかが嫌いなんだよね。一億総活躍も一億総スポーツとかね。そういう全体主義の愛国や一億総火の玉でさんざんやられてきたのにね。個人の多様性や自由を一色に染める事はできないのよ。一億総禁煙も主旨は解るんだけど、そこはどっかいい塩梅を探ってほしいよなぁ。

 庶民の生活保護の申請とかは、書類だ証明だってえらく厳しいのに、上の御声掛かりさえあれば黒も白って世間にしちゃいけないよね。確定申告に白紙領収証は通らないでしょ。森友問題は氷山の一角で根は深いだろうけど。政管民の疑獄事件として明らかにできないなら、韓国がぁどころではないだろうよね。

 ところで特捜とか検察って昼寝してんだろうか・・




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さまざまな客

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 消費者って言葉はなんか好きじゃない。ただ消費しちゃうんだぁって。時に生産者も客になり、その客もまた何処かで客と接することて経済は廻っていくもんよね。

 接客業って言葉も客がいれば成り立つんで、多くの商業活動は接客業になる。居酒屋のいい客と悪い客と商社の客とは違っても、稼がせてくれるのは上客であってもいい客とは限らない。店をやってると月に一度来て一万使ってくれる客より毎日一杯の珈琲飲みに来てくれる客が嬉しい。

 ガイドの仕事は接客業で色んな階層、職業の人と接するのはバルみたいなもんだけど。
VIPでも地方の混成ツアーでも一日幾らの日雇い仕事。チップはあるけど富裕層がチップがいいとは限りませぬの。金持ちは大体ケチだから金持ちになったんじゃろと思う事も度々。真心は現金でが建前ではあってもチップより嬉しい事もあるのよね。爺さんが両手を握っていい旅をさせていただきましたなんて言ってくれると帰りはルンルン気分。

 代理店にとっては上客でも現場にとっては迷惑ってお客様もいて、クレームつけたくてうずうずの人、文句ばっかり言って何が楽しいのかと首がかしがる方もいらっしゃいます。肩書きで出てくるお偉方は特にね。

 いかにもどこかの親分風な不動産会社社長の爺さんと愛人おばさん、その娘、秘書兼ボディガード風の下駄顔のお兄さんご一行様。愛人おばさんはチェーンのクラブ数軒を任せられているらしい。娘は母親そっくりでやたらびらびら甘い声でぱぱぁと爺さんを呼んで買い物をねだるばかり。ホテルはリッツでリムジンね。かなり要注意だなァとこっちも身構えるよね。ぶん殴られたガイドさんもいて労災はないからね。

 観光が終わると下駄の兄さんがカバンから、すごく立派な水引のついた祝儀袋に御礼と書いたのを下さるの。中には新札一万円、ちょっとびっくり。リムジンの運転手もこれってすごいねえと喜ぶ。下駄兄さんは黒服で直立不動で礼儀正しく無口。爺さん社長とこの兄さんは威張らないしこのもしいの。なんでこんな威張った愛人と娘なんじゃろと思うけどね。



 そんでセラーノの高級ブテイックにご案内して、買い物の間、下駄にいさんと私は外で一服。バルで珈琲でもって誘ったけど、いえ、自分はここでって兄さんが言うからつきあったの。それでお仕事大変ねぇって話したら。爺さんはヒロシマの被爆者で死にかかって家族も全滅だったそうなの。それでもうやけになって戦後闇で稼いだそうな。派手に稼いで死んでやろうってね。

 ところが東京のいい医者を紹介されて上京。回復しつつ不動産業を始めた。かなりその筋まがいのヤバイ仕事もしたらしいけど。それでヒロシマで死んだ友人の息子で被爆二世の兄さんを呼んで部下にしたのね。だから兄さんはオヤジって思っているんだね。子も家庭も持たずの爺さんと下駄兄さんの話はちょっとほろっとする。親身にお世話して楽しんで貰えるといいなぁって思うよね。

 最近の国会なんか眺めていると仁義って王道もないみたいで、仁は情愛、儀はお互い様の支えあいであるはずが、卑しいエゴむき出しで子供の養育にも悪そうでならないよね。道徳教育はこの人達からやれよとか思うわぁ。こういう人達は上客にはなってもいい客にはならないだろうね。

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怪しいご近所とか

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 先夜、息子が帰ってくると玄関で。エレベータの中でカップ緬食べてる人はじめてみたよと。よほどお腹が空いてたのかねぇと私も言って。我が部屋は二階だからすぐなんだけどエレベーターがカップ緬臭でいっぱいだったらしい。

 上の階に住んでいる中国人の若い男の人で、その後もエレベータに乗ったら、中で煙草をふかしてiいて驚いた。まぁ礼儀やマナーの悪い人は人種に限らず、富裕層にも貧困でもいるわけなのよね。
 国会答弁で麻生大臣が答弁の直前、質問者の議員に「なに調子こいてんだよ!」って言ったの聴いてのけぞったけど、悪い事ばかり言ってると口が曲がりますぜ。

 引越しは数知れずなんだけど。初めて田舎に越した時も、葡萄畑のある隣家の退職教員だっていうおっさんが訪ねてきて自分が組長である、判らない事があったら聞きにきなさいと。ここまではいいんだけど、次に近いうちに町議、県議選挙があるので、ここいらは自民党の○○先生とXX先生になっているのでよろしくって言うのね。

 まぁ建前と本音の日本だからして、はいはいって言っておけばいいんだけど。まだ若かったからつい、共同作業の掃除とかは出来る限り出ますが選挙は別なんでとモゴモゴ言うと、いきなり顔色が変わって。あんたアカかいって。これも仰け反ったねぇ。

 でも、母が三日後に亡くなって葬儀の時は組長としてちゃんと手配をしてくれたんだけどね。その田舎では、葬儀屋から精進落しの宴から組長が手配するんだよね。黙って100万包んで酒2本と組長に届けるしきたりなの。ちゃんと明細とおつりは返って来る。

 昔、人権相談の電話を手伝っていた頃も、ご近所の悩み相談って案外多かったのね。
 そういう事は警察の生活相談科とかに連絡するらしいんだけど、大体が事件性が無いとあしらわれる。逆に相談してきた人の方が加害的立場のケースもあるんで判断は難しいのよね。ほとんど愚痴相談みたいなもんで、聞いてあげると向うもすっきりするようなの。

 それでも隣の部屋がゴミを廊下に出すとかの軽微な事も、息子がバイトしてやっと買ったオートバイで友人と土手道を走っていたら、白バイに止められバイクを倒されて、抗議したら警棒で両腕を叩き折られどう訴えればいいのかとか、深刻な問題もある。無料相談を受けてくれる弁護士とか会計士とか手続きを紹介したりする。

 地方には地方の近隣問題もあり、都会には都会の問題もあって、ふつーの家庭ではどこに相談すればいいのか判らないことが多いから。誰でもゴタゴタは嫌なもんで、できれば仲良く世間話が出来る位には親しくやっていきたいものよね。

 自分のように転々としていると大概のことには驚かない。古い人間だから越したらタオルの一つも持って一応挨拶をする。廊下やエレベーターで会えば挨拶もするんだけど。知らぬ間に人が代わっていたりで、いまや隣にどんな人が住んでいるのか知りませぬ。

 少し前はフイリピン系の夜のお勤めの女性が住んでいて。明け方にベランダの洗濯機ぐぁんぐぁん回したり目に沁みる柔軟剤の匂いとか、お出かけの後の廊下がコスメティックバイオレンスの衝撃的香水の充満だったり。何人もの人が住んでように出入りしていたけど、都会のマンションなんてそんなもん。

 世間では、アベ友学園じゃなかった森友学園の疑獄事件が、やっとこニュースに出てくるようになったけど。白紙領収書も甘利収賄も暴言も、政権ニ三度引っくり返るような事が平気でまかり通って。
 この件は宗教や教育の自由の問題ではないからね。日本人は思想には甘いけど金には敏感に反応するようだから8憶はびびっと来るだろうが。司法を抱き込んでるから平気さ、にしてはいけない。

 しっかし、どこまで落ちる釣瓶かなって感じで、これで尻尾きってヌケヌケさせるようではおしまいっしょ。

 プレミアムフライデーなんて浮かれているのは、お役人か上場企業の正社員だけで、派遣や下請けは仕事が増えるだけ。みんな週に二日は休んで、年に一ヶ月の休暇ぐらい取れて、食べていける社会を目指せよなっ。最近は纏まった文を書くのがおっくうでツイッターでぶつぶつ言っとります。

 半日寝てる日もあるけど、どっこい生きてるって黒澤映画ですねん。そうそう鈴木清順さんも亡くなったなぁ。



 シュールな映像美は多くの若い映画人に影響を与えた人。居酒屋で飲んだ時は気骨と優しさのある古武士のような雰囲気の人でしたね。

手のひらの物語 路上の炎

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 俺が佐川さんと初めて会ったのは多摩川の川原だった。六郷土手の少し川上で砂地と枯れ草がいい感じなんだ。そこはバイク好きの奴らの遊び場だった。

 バイク持ちの先輩達は、バイク好きの少年にバイクの構造や扱いを教えてくれ、少年達は嬉々として先輩の取り回し技術を教わった。
何処の家の子かとか、どんな仕事の先輩かなんて関係ない。オートバイが好きってそれだけで充分だった。

 佐川さんはホンダのハーレー持ちで、重い車体の扱いを教えてくれる優しい人だった。兄弟のいない俺は、カッコイイ兄のように慕っていたし。佐川さんも目にかけて可愛がってくれたんだと思う。

 佐川さんは時々、好きな音楽や読んでる本の話もしてくれる。学校から帰ると家を飛び出して川原を目指して走る。早く仕事が引けた夕方には佐川さんがいて、コーナーの取り方や足場の悪い場所での車体の安定をはかるやり方を、実践的に教えてくれるからだ。

 父が死んで母が仕事に出ている俺は、退屈な学校より川原が先生だった。カッコイイなぁいつかオレもバイク乗りになる。同じ年頃の仲間と先輩の走りに目を輝かせる。

 やがて大学受験で、母が会計士事務員として稼いでくれたお蔭で、数年川原を離れて無事に公立大学に入ったが。川原に行ってみると、もう佐川さんはいなかった。

 相変わらず少年達も、大人のバイク好きもいたけれど、穴のあいたような淋しさを覚えた。佐川さん何してるんだろう、病気にでもなったんだろうか。川原が河川法とかで立ち入り禁止になったのはその頃だ。立て看板が冷たい風に揺れる人気のない川原。

 やがてアルバイトに励んでやっと、250ccのバイクを買って乗り回す時も、佐川さんのアドヴァイスを思い出した。
 コーナーではケツを落とそうと思うな、自分の重さを感じればいい。風と自分を感じればいいよっ。身を任せれば身体は動く。

 けれど、大学の二年目になって、学生闘争が始まった。俺の大学でも学費の値上げ、研修生制度反対の研究員が大学を追い出され、政治献金や大学の裏金、政府との癒着が顕になって。学生の集会は禁止されビラも配れなくなった。

 俺は母親がどんなに苦労して学費を出してくれたか判っていたから、学費の値上げ分が献金や裏金に回ってることには許せない気持ちになっていた。集会に出かけると、他の学生も口々に大学の怠慢や、教育制度への締め付け、しいては安保や米国への追従や核の持込みに懸念を抱いていて。その意見には納得だったから、デモにも参加した。

 だっておかしいだろう。旧態依然の研修制度に抗議もできない。不明な学費の値上げに抗議すれば処分退学と脅す。それが献金だなんて納得できねえし。教授会って学生の味方じゃないし。

 そんな政府が原子力潜水艦も核は持ち込まぬといいながら港に入れる。幾ら敗戦したからって、米国に何も言えずに金だけ貢っぐってさ。その金は母が必死に働いて稼いだ金でもあるんだから。眠い目をこすって明け方のバイトに出かける俺の金でもあるんだから。

 夜に、持ち帰り仕事に疲れて居間で眠ってる母を何度もみた。心底疲れきってる背中だ。俺はその為にも闘争に加わった。でもそんな母は大学だけは卒業してね、と言うんだぜっ。黙って大学さえ出ればいいのかよっ、俺は心で叫んだが口に出しては言えやしない。

 大学内も騒乱の一途を辿って、仲の良かった友も大学側だと糾弾されたり、知らなかった他学部の女子学生と親しくもなった。彼女も片親で父親の苦労も眼にしていたから。政府はおかしいよっ、大学は富裕師弟の為のもんじゃないと、暗い目で言いあった。

 新宿で大規模なデモが行なわれる夜に、母に電話して言った。俺はかぁさんの気持ちは判ってるけど、責めたり止めないでくれよなっ。母は涙声で、はいよ、それでもあんたを信じてる。怪我をしないようにねっ、そう言って電話を切った。

 新宿東口には知った顔や学部の仲間もいた。みんな緊張して悲壮な顔だった。セクトのグループもいて徹底抗戦とアジっている。

 迎い側にはジュラルミンの機動隊の盾が水銀灯に煌く。綺麗だなぁと思った。こんな時に綺麗だなんておかしいよなっ。それでも駅前の煌く盾の波はガラスのように美しかった。

 隣にいた仲間がぽつりと言った。もう会えないかも知れないけど、またなっ、そう言いたいよな。うん、俺も頷いたが膝は震えていた。パクられたら三日完全黙秘するぞ、検事拘留ついても24日だと自分に言い聞かせる。

 突然、機動隊が動いて騒乱は始まった。機動隊は四機と思われた。その後ろには鬼の九機が待っている。

 学生達は一斉に石を投げ、機動隊は盾で避けつつ前進してくる。手製の火炎瓶も投げられたが、放水車と機動隊の足で踏み潰されていく。

 学生達はじりじりに逃げながらも、ポケットの割った敷石を投げつける。俺は大ガードの方へ逃げながら迫る靴音に振り向くと。そこに・・佐川さんがいた。

 足が止まりじっと見つめると、佐川さんも怒ったような緊張の顔で俺を見た。路上の火炎瓶の炎に炙られた顔は、あの穏やかな兄さんのような佐川さんだ。

 佐川さんは気づいてくしゃっと顔を歪めて哀しそうに俺を見た。俺も、たぶん微笑んで佐川さんをみた。

 佐川さんが機動隊員なんて知らなかったけれど、佐川さんの気持ちは伝わってくるように思えた。元気でいたか、大学に入ったんだな、バイク乗っているか。彼はそう言ってるように思える。

 俺も石を投げられない。だってそこにいるのは、佐川さんなんだからさ。

 ガード下まで走って、立ち止まると俺は泣いた。何でだよぉ、何で俺らは争わなきゃならねんだよっ。

俺はその時、この情況を作った権力や政府に心底憎しみを抱いたんだ・・


 
 ご無沙汰しています。目と体調でなかなかまとまった文が書けなくって。心配して連絡を下さったブログ友達や、古い記事にコメントを下さったり、ありがとうございます。
沈丁花の花も咲いて春の兆しも伺えるこの頃です。回復を期しつつぼちぼちやってますのでご心配なく。
 この話は昔の友人の実話なんで、跳ね返りのサヨクバカ闘争と評されることも多いけど。彼らには彼らの思いがあったんだと思うし。今の日本を眺めるとやりきれないなぁって思いつつ載せてみた。ツイイターは家事の合間につぶやいていますが、時々元気のあるときは顔を出しますね^^:

わしも寝ながら考えた

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椎名誠の「わしもインドで考えた」って本もあったけど。体調が悪くて寝ていても人は色々考えるもんで、我思う故に我ありってもんだね。

起きてまとまった記事がかけないんだけど、珈琲を淹れたり、ちょっと夕食の準備だけでもと起きるついでにツイッターとか覗いてみる。

相変わらずの困窮者いじめとか、世界の流れまで杞憂に終わればいいんだけどね。

保護のバッシングもね。いくら生活保護の実態の補足率や不正受給率を説明しても無駄なんだよね。生活保護バッシングってさ、「役立たずは死ね」っていう政治政策と作られた社会風潮に支えられているんだね。

民主主義って何だってコールもあったけど。どうも民主主義が嫌いなお上のようで、民主主義に邪魔されずに好き放題したいってことか。国民に主権があるのが間違いとか発言する議員がいるくらいだ。でんでん総理も酷いけど凄いこと言うよね。

でんでん外交はもっと悲惨で、大統領選の最中にクリントンを陣中見舞いして、トランプが勝つと、あわてて就任前の自宅におしかけゴルフドライバーをプレゼントして。プーチンと一緒に露天風呂に入ろうと誘って断られじゃ犬をプレゼントするとかで断られ。海外ばら撒きが50兆こえるとかでも、福祉財源がないとか言ってるだもん。

日本素晴らしいに酔うのもいいけど。日本が本当にスゴいのは。過酷な原発事故が、無かったかのように再稼働や避難住民の帰還を進めるところとか、まるで1000兆円の借金が無いかのように海外支援や公共事業、東京五輪も含めて大盤振る舞いしたり、相対的貧困率が16%に達していて、6人に一人の子が貧困状態とかでも。いまだリッチな先進国だと思い込んでることだよね。

オリバーストーン監督が「ヒラリー・クリントンが勝っていれば危険だった。彼女は本来の意味でのリベラルではない。ロシアを敵視し非常に攻撃的。彼女が大統領になっていたら世界中で戦争や爆撃が増え、軍事費の浪費に陥っていただろう」って発言してるけど。プーチンはユダヤ金融と水面下で争っているのは判っても、トランプがどうかはまだ判断はつかない海外への戦闘介入が減るとしたらいいことだけど。

4月から年金支給額(年間3528円)カットされるようだけど。「物価下落」が理由なんだと。でもことあるごとに、デフレから脱却したの賃金も上がったと宣伝してきて、どこの物価がさがってるんだろうね。上がったのは議員報酬と官僚報酬ですかね。
自分も年金を月に2万7千円貰ってるけど、物価が下がったなんて思わないし、それで暮らす事もできないよね。キャベツ半分買うか四分の一にしようか八百屋で佇んでいる年寄りなんて想像すらできないんだろうなぁ。

それでも庶民は、そんな中でも日々の安寧を願って、抵抗したりささやかな暮らしを守ろうとする。そういう目に見えぬ大きな意志が国を形作り動かす事もあるんだと思いたい。一日寝ていながら世界の流れも考えたりね。


時々起きてきてぶつぶつぼやく^^:


でんでん虫

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 でんでん虫は昨今では「うんぬん虫」と呼ぶらしい。そう政府で決ったんです。



 どなたかがツイッターで。
・「でんでん」と読む学者もいるとスガが擁護。
・「でんでん」で問題ないと閣議決定。
・「でんでん」と読むことに解釈変更。
・「でんでん」と読まないと五輪が開催できない。
・アベ一代限り「でんでん」と読む特別法制定。 とかなりそう。と呟いていて笑ったけど。

 また言葉狩りだと批判する人もいるけどさ。言い間違い、記憶違いなんて誰にもあるわけよね。画期的をガキテキと思ってたとかね。云々をでんでんって読んだ事が問題なんじゃなくって。

 日本の総理に基礎学力、基礎教養、知性が欠落しているのではないかってことだよね。でんでんはその事を象しているからで。国会答弁中に官僚が書いたメモをぶつぶつ練習して、質疑もろくに聞いていず、ふりがなふってるはずなのに「でんでん」はねーだろうってことよね。

 小さい事をつつくではなくて、自分の言葉は下品なヤジだけじゃ情けないっしょ。山本太郎の質問にまったく答えられず、尚且つその質疑を議事録から削除とか。そういう事がでんでんの背景にあるからね。

 こういう方が教育介入したり、文科省の天下りもそうだけど、そういう事が横浜の教育委員長にまで及んでいて。エアガンで150万も脅し取られた福島からの避難の子供に。
 「いじめ」ではなく奢ったりの関係だったとか平気で言っちゃうんだよね。この人達って100万奢ったり奢られたりしてんのかね。これじゃ恐喝とかカツアゲは罪にならないことになる。

 イジメでんでんは別のことのようにみえるけど、でんでん虫も困惑するような話なんだよね。

 ここのところまた体調悪くご無沙汰ですが、時々起きてきて角をだす、かたつむりならぬ引き篭もりですの。

バッシング文化

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 大体が、そんなもん文化と呼ばないんでげすが。文化鍋や文化包丁ほども役に立たない。政権批判や政治や行政などの公人や制度を批判するのは、バッシングとは呼ばない。勘違いしてはいけやせん。

 それは自分達の税の使い道をチェックすることでもあって、見てみぬ不利が世間を悪くするってもんだからね。みんな呑気に暮らせるようにしたいねって方は一言いって当たり前なんでげす。

 一億総貧困化しつつあるような社会では、気持も生活も余裕が無くなって、世間から寛容性ってのが失われていくんでしょうが。人は迷惑をかけたりかけられたりして生きてるんで。おれは誰の世話にもなっていねえよ。って人はいないのよね。

 友達だって家族だって社会だって、お世話になったり世話したりお互いさまよ、の範疇で成り立ってる。町内から組合から保険だって成り立ちを考えれば相互扶助ですがな。

 小田原市の生活保護の相談員が揃いのジャンバー作って着ていた事件だけど。



 黄色いエンブレムにはローマ字で、「保護なめんな」その下には悪という漢字に×印が。ジャンパー背中側には「我々は正義だ。受給者が不正をして利益を得るために我々をだますのであればあえて言おう“カス”であると!」というもの。

 記事はこれ「ジャンパーに生活保護「なめんな」、市職員訪問 : 読売新聞 http://www.yomiuri.co.jp/national/20170117-OYT1T50059.html?from=tw …

 それに対して稲葉剛さんがこうツイートをしていて。「生活保護行政への信頼を失墜させる行為。小田原市は徹底した調査をした上で、職員の教育をやり直してほしい」
以前から、生活保護者の支援をしている稲葉さんだし穏当な意見なんだけど。そこに相変わらずのクソリブ投げてくる人の多いのに呆れる。保護者叩きって楽しいのかね。

 生活保護の不正受給は咎められる事であっても。保護の補足率は先進国のなかで最低で、不正は保護者のたった0、06%なんだよね。

それを叩く事が保護を受けられない、受ける事を恥じるような人をも叩く事だとも思わない。無慈悲な非人情が果たして正義なのか。クソリブの人には何言っても無駄かもしれないけどね。

 不正という言葉に反応して、己の正義を絶対化したいだけで。保護の実態も知らず自分の将来も妄信している無知でしかない。想像力も人情もなく、攻撃する自分に酔ってるだけのように思える。そこには、保護受けるような奴は敗残者で自己責任って見下しと、オレって正義という歪んだ妄信があるような。

 現場の職員の方も大変な仕事なのは解るし、不正を憎む気持も間違いとは言えないけど。この方達は市民の税金で給与を貰って社会福祉の仕事についているんだよね。今日、小田原市が謝罪会見を開いたらしいけど。それも市民の声が殺到したからで。まだ世の中腐ってないと思うよ。

 子持ちの母親の授乳が迷惑だとか、ベビーカーが迷惑もそうだけど。てめえだって母親の乳飲んで育ってきて、いまや巨乳の女の子大好きなのに、よく言えるよなって思う。バッシングするのはそこなのかぃ。肝っ玉の小さいセコイ奴だわぁ。電車の中で泣き出した赤子に乳やる母親なんかフツーにいて、周囲も微笑ましく見守るような世間がキライなんだね。

 今日は機嫌が悪いから、口が滑ってしまうんだが。ほんの少しでも、暮らしやすい世の中になるといいと思ったら声をだしていかないとね。それはバッシングではないんだよね。

蕎麦屋

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 最近は町の蕎麦屋が減っていて、ラーメン屋全盛であるけれど。
 幼い頃には蕎麦屋の方が圧倒的に多くて、近所に来々軒って支那ソバ屋が出来た頃は、物珍しくて銭湯の帰りなど女中さんと立ち寄ったものだ。なぜか35円だったのはよく覚えてる。

 当時は居酒屋っていうのも少なくて、大衆酒場なんて呼ばれる店が新宿の大通りにできたりしたが。ガード下の思い出横丁も屋台に毛がはえたようなもんだったねぇ。

 祖父が行きつけの蕎麦屋があって、爺ちゃんはパチンコの帰りにそこで一杯やる。パチンコも立って打つスタイルだから、足の弱い爺ちゃんは長く打てないの。一杯やって寝てしまう爺ちゃんを何度も女中さんと一緒に迎えに行ったもの。

 蕎麦屋は酒を飲む所で、天ぷらや板わさやら、小鉢まであって〆に蕎麦を手繰るって感じなのよね。江戸っ子の名残があった我が家も一家で蕎麦好きで、爺ちゃんはうどんをふやけたちんちんみてえだと食べないの。おでんのちくわぶも、あんなもんはかさふやしよっと嫌ってた。

 甲府にいた頃は信州や韮崎の蕎麦屋に通った。日帰り温泉帰りの蕎麦は清涼なの。今の家の近くには美味しい蕎麦屋が二軒あって、蕎麦の種類も更科から十割蕎麦まであるんだけど。素材が高沸してるからか庶民値段ではなくなってしまったね。そこのほろ酔いセットは焼酎の蕎麦湯割がついて小鉢と蕎麦で1500円。ううむ。

 大体が蕎麦を作る農家が減っているから蕎麦粉も輸入物が増えているんだろうね。葛とか蕎麦とか栽培を奨励すればいいのにね。韃靼蕎麦ってのもあるけど、ソバはスペインではサラセン小麦って呼んでいる。蕎麦の実の袋入りを買って来て蕎麦の実のお粥とか、蕎麦粉のクレープ焼いたりしていた。さすがに蕎麦うちまではしなかったけど。

 日本でも男の料理で蕎麦打ちが流行ったのか、ダンチュウなんかで取上げられていたね。海外に初めて出た時、帰りのバンクーバーでカップ蕎麦を売っていて思わず買ってしまったが800円もした。でも、あぁ、日本だなぁって思ったものよね。

 日本の駅蕎麦って食レベルが高いよねぇ。冷える時に甲州方面に列車で行くと、高尾の駅蕎麦がたいそう美味しく思えるし。駅蕎麦グルメの人もいるんだろうね。

 蕎麦好きの叔父達に浅草の蕎麦屋に連れて行ってもらったり、神田のやぶ蕎麦で成人になったからと一杯奢ってもらったりの思い出も懐かしい。


神田のやぶ蕎麦
 
 町の蕎麦屋がどんどん閉めてラーメン屋になるのは、なんだか淋しいような気分で書いたんで。うどん好きな方にはご勘弁なのね。

ささやかな幸福感

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 人はどんな時に幸福感を感じるんだろうか、ってぼんやり思った。

 幸福感っていうのは、脳内エンドルフインによって起こるとか。エンドルフィン(endorphin)ってのは、脳内の神経伝達物質のひとつで。モルヒネ同様の作用があって、脳内鎮静剤とか脳内麻薬とかも云われるのね。

 「幸せホルモン」といわれるのはセロトニンで、脳で作られ分泌される脳内物質の1つ。セロトニンも正確にはホルモンではなく脳内物質なのね。セロトニンは、脳幹にあるセロトニン神経という数万個の神経細胞が分泌しているらしい。日本では販売されてないけど、欧米の飛行場なんかでは時差ボケや航空障害の薬としてドラッグストアで売ってたりする。

 科学的な話ではないんだけどね。サイモントン療法って、癌患者に癌細胞と闘うイメージをさせるイメージトレーニングや末期患者に医療大麻を使うのも、これらの物質を分泌させて恐怖や痛みを軽減させ幸福感で活きる力を引き出すってことなのね。イメージ力は馬鹿にならない。

 プラシーボ効果も何かを信じる信心も、同じような意味があるんだろうと思う。幸福な思い出というのが時に強い生きる希望になったり。信頼感や強いイメージが活力になったりね。そんなもんオカルトって思う人もいるんだろうけど。

 現実世界で達成感を得られなかったり、希望を失ってしまうと。無気力な厭世観に陥ったり、自棄的な他者への攻撃になったりもするから。人の心の平和とか幸福感は社会にも反映されるのよね。

 ロシア科学アカデミーのアレクセイ・ヤブロコフ博士が「チェルノブイリの教訓」で低線量でも放射線の脳への影響についても述べていてたけど。アレルギー症状の激増や若年の白内障やら多くの影響が日本でも既に起きていて、脳内への影響もあるんだろうなぁ。

 ううむ、喘息が起きたのも目が濁ったのも老化が早くなったのも、きっとそのせいだわぁ、などと放射脳の私など思ってしまうが。自分の不摂生を棚にあげてはいけんよね。早寝早起き適度な運動、禁酒禁煙どーなんだと問われるとすんませんです。

 人は、どんなつらい情況や悲惨な時あっても小さな幸福感を求めるのは、きっと無意識にそれが生きる気力になるからだろうね。いい映画みると生きてて良かったぁとか、いい音楽聴くと胸の苦しいのが落ち着いたり、猫と遊んで笑うような。

 シベリア抑留の厳しい監禁生活で、服の糸を抜いて石を拾ってきて囲碁を遊んだ房の抑留者が、最後まで生き延びた人が多かったという抑留日記を読んだこともある。冬の雪道を、いやなお使いに歩いていけば15分で疲れるのに、スキーに行って楽しめば平気で2時間も雪の中で過ごして疲れないものよね。

 話がとぶけど。カジノ法案で晴さんも書いていらしたけど、日本の公認博打は各省庁の管轄で財源になっているんだね。競輪とオートレースは経産省、競艇は国交省、競馬は農水省、トトは文科省で宝くじは総務省、パチンコは風営法で警察が指導、管理とか。ギャンブルも縦割り天下りの利益分配になっている。

 カジノの法案のことから世界のカジノ事情とか調べてみた。スペインとリスボンでしかカジノ経験はないんだけど。観光省の管轄が多い。つまりは観光外貨獲得が主な目的なんだろうね。
 モナコもそうだけど海外富裕層がターゲットで設備も豪華。中にはハイローラーってプロもいて、こういう方は一種のサクラでもあり上得意客扱いで、宿泊費や食事は無料なんだねぇ。

 まぁ博打って言うのは面白いから、ゲームとして楽しむ分にはいいと思うけど。ハマらないと面白くないとも云えるし、ハマると己を失うという危うさだね。それを生活にするにはかなりの覚悟と投資が必要で。賭け麻雀やパチンコや競馬で食べてる人も知っているし、600万も借財して逃げた人や店を潰した人も知っているからなぁ。日本のカジノって優雅さのかけらもない貧乏ったらしい気がする。

 カンフル経済とか、ドーピング経済って、日本の経済状況が呼ばれるのも、一時の数字を出すためで、長期的安定経済を見てないってことだよね。

 どうにも政権批判になっちまうんだけど、リニアやオリンピックもね。目先の経済利益に賛成する人が自分の呟きに反論してくるんだけど。切羽詰って10年後の1千万より今日の100万って気持もわかるんだけど。国の運営がそれじゃまずいいだろうと思うわけよ。

 ましてやさ。森オリンピック組織委員長が「原発ゼロなら五輪返上になる」とか、安倍晋三首相が「共謀罪なしでは五輪開けない」とか言ってね。
何をトチ狂って、二週間の体育祭と国の方針や原発の廃止を一緒にしてんだか。だったらさっさと返上しちまおう。 へんじょーうへんじょう、さっさと返上~♪ 引越しおばさんの歌で布団を叩いちやうぜ。

 目先の快楽や利益と、庶民のささやかな幸福感はまったくの別物だよね。どうにも庶民の幸福を少しも思慮していない政権だと思うのだが。雑多に思いつくまま、こうして文を書けるってのもささやかな幸福ではあるんだろうね。