手のひらの物語 かっぽれ

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秋の風に初冬の冷たさが混じる七つ時。九助は、横川の船着場に葛西や押上村の船荷が着くのを待って仕入れると、山芋や青菜を背負い籠に入れ背負った。

風が冷たくなると、明け方に日本橋横のやっちゃ場に出かけるのはおっくうで、前の晩の客が居座って飲んでいると。どうしても朝が遅くなる。

横川の船着場の馴染みの老船頭は、山芋の上物や白葱の泥つきを九助のために取り置いていてくれる。

まったく年はとりたくねぇもんだぁ。背中の籠の重みに九助がぼやくと。

おうよ、おいらも隠居してぇもんだが。畑仕事は得てじゃねえから息子夫婦に任せてよ。舟ならお手のもんだ。孫も三人とくりゃ世話にならずに死ぬまで、船荷漕ぐっきゃねぇやな。

おたげえ、無事にここまでやってきたんだ、もうひと働きよ。

そうだなぁ、九さんも達者がなによりだ。

お宝はこれっきりだからな、達者が宝だぁな。筒袖をぴんと張って笑うと、ゆっくり南割り下水の店に戻っていく。

六間掘りの堀端を歩いていくと。小橋の柳の下に、前髪の子供が座り込んで濁った堀川を見つめている。



おや坊、どうしたい腹でもいてえのかぃ。

あ、いいえ。ご心配ありがとうございます。

見ると身奇麗な筒袖の着物に、たっつけ袴をつけ、言葉使いも丁寧で見上げる顔は愛らしく、くりっとした双眸も澄んでいるが。何より驚くほどでこが広くてでっぱっている。

おっかさんにでも叱られたのかぃ。

いいえ、そのぉ、少しお腹がすいて。

おや、家に帰れば何かあるのかぃ。団子でもあがなってやろうかぃ。

首をふる少年に、こりゃわけありだなと九助は店に伴った。歩き出すとその子が右足を引き摺っているのに気づく。

店に戻ると、炊いてあった白飯に味噌を混ぜて握ってやり前夜の煮ころがしを出してやると、両手を合わせて美味しそうに頬張る。

お武家の子にはみえねぇが名前はなんだぃ。

私は福助と申します。

ほほう、縁起のいいなめぇだね。おいらは九助ってんだ、ここはおいらの店だから、気兼ねしねえでゆっくり喰っていきねぇ。

ありがとうございます。
握り飯を平らげると、淹れてやった番茶を、ふうふうしながら両手に包んで口に運ぶ。

なんかぁわけがあるんだろ。

福助は、ちょっと店の隅に目をそらせたが。ゆっくりと話し出した。

あたしは、吉原の揚屋で働いておりました。ほんとうの名前は三太と言います。

縁起物の福助に似てると、内所のおっかさんが名づけてくれて、お客様が上がる時に、裃つけてはお迎えして茶など立てたりするんです。

ふむ、変った仕事だが。実の親はいねぇのかぃ。

はい、揚屋の花魁の桜花が母ですが亡くなりました。内所の女将さんが、よそにやらずに引き取って、茶や花など習わせてくれて。

あたしが客を迎えると繁盛して、客もゲンがいいと心づけもいただけますし、花魁達も可愛がってくれたのですが。

そりゃ運がよかったなぁ、どんな勤めでも立派なもんだ。内所のおっかさんは心配してるだろうよ。

いいえっ、私を大川端の店に売ったんです。
福助はちょっと俯いて首を振った。

おやおや、可愛がってくれていたんだろ。

あたしもそう思って、恩返しがしたいと励んできたのですが。お使い帰りに、日本堤の土手で荷車を避けようと転げ落ち、右足を傷めてしまいました。それで縁起にきづが付くと。それにもう前髪降ろしたら福助はできないから。

大川端の料理茶屋で働けるだけ勤めて、幇間芸でも覚えてくればまた使ってやってもいいと。習い事に金を掛けてやった元は返してもらうからと、売られたのです。

ふうむ、品物みてえな扱いかぃ。新しい店はい具合がわるいんだね。

知った人もいないですし、びっことかでことかからかわれて、女将さんもきついお方で、煙管で下働きを叩いたりもするんです。幇間のデン介さんだけが庇ってくれて、座敷芸を教えてくれたりします。

小遣いもねぇのかぃ。

はい、売られた身ですから。揚屋のように心づけを下さるお客様もいませんし、時々デン介さんがそっと波銭下さいます。

おめぇも、まだ子供なのに苦労してるんだなぁ。けれど、挫けちゃいけねぇよっ。まだまだこれっから先はなげぇや。

長屋の餓鬼どもは、つぎはぎのたっつけ着物で腹を減らしてかっぱらいもやる。親のいねぇ物乞いの餓鬼もいる。

おめぇは身奇麗で働き口もあるんだからな。座敷芸だって芸は芸さな。懸命に覚えて名のある幇間になればいいやな。立派な幇間になって、吉原内に呼ばれるようにおなりよっ。

おいらも何にもできねぇが、握り飯ならいつでも来て喰っておいきな。
それで何をならっているんだぃ。

福助は少し元気が沸いたのか、にこりとして、いまはかっぽれを習っております。

ほおう、そりゃいいなぁ。かっぽれかっぽれ、よぉいとなよいよいだぁ。九助はおどけたように唄ってひらりと手を振った。

福助は声を立てて笑うと、手をぱちぱちと叩いた。

九助さん、ありがとうございます。ごちそうさまでした。わたしは店に帰ります。かっぽれを覚えて、その内に大川端一の幇間になります。

そうでぇ、その意気だ。おいらも楽しみができたぜっ。川筋一の幇間のかっぽれを見てえもんだな。

福助は、丁寧に腰を折って辞儀をすると間口から出て、片足を引き摺りながらそれでも前を向いて南割り下水の路地を歩いていった。

九助は、ひょこひょこと歩き去る小さい背中に思わず呟いた。

おめぇはきっといい幇間になるぜっ、人の弱さを知ってこそのおちゃやらけ芸だな、人さまを愉しませる立派な仕事よっ。福を呼びなせぇよ。

初冬の風が、柳を揺らす夕暮れ時の堀端に陽気なかっぽれの唄が聞えるようで、九助はその背中を暖かく見送った。


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雨も晴れ間も

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あまり体調の話を細々を書いても仕方がないのだが、季節の変わり目で不調の方も多いように思う。

整形外科では大病院へ行けと門前払いされて、大病院やだなぁと延ばしつつ内科に行ったら。筋ジストロフイーの検査を受けろと、若い医者だけど一応経緯を聴いてくれて、それは脊柱間狭窄だけでなく血栓で血流が疎外されているのではと血流をはかることに。

やはり結果として、右首と右の足に血栓があって血流を疎外していると。右足が冷える痛む痺れる、の原因になっているのではとの結論で。市大病院の循環器科を至急受信しろとのこと。

ほっておくと足の壊死切断もありうるとか脅かされる。整形外科も一緒に診てくれるならいいけど。縦割り過ぎてやれやれだよね。

大病院は朝8時半に受付に行かねばならず、役所に届出とか面倒だなァと延ばしているんだけど。血流だよ血液流せばいいんだよと楽天的に温熱したり段差を昇り降りしたり、足湯したりと一応自己手当て。まぁ一応来週には行く予定。

人間ドックって日本にしか無いらしいが。早期発見はいいんだけどそこで90%以上異常がみつかるって凄いよね。発見技術が進むのはいいことなんだろうけど。病人認定と医療費は増えるばかり。予防医学って方向へ向かないのは何故なんだろうね。

前向きなのも前進もいいことよね。けれどどっちに進むのかってことだ。豊洲やオリンピックや沖縄も、見直すとか立ち止まるとか、やはり止めようとかにはならない。一度始めたらやり遂げるって、もうここまで来たんだからってことだけど。止める勇気を持たないと自滅する事だってある。

イタリアの女性首相が、オリンピック候補地に手を上げぬと表明したようだけど、勇気ある見識だと思う。

「夢の植物工場」として華々しく取上げられた「みらい」って会社が破綻したというニュースを見て。確かに天候に左右されない安定した食糧生産という点では、将来的に必要になるのかも知れないが。

何故破綻したかについては、やはり工場設備の経費が高く、販路がみいだせなかったのが大きいようだ。LEDとはいえ電気代やら維持設備で。そりゃ300円でレタス買えるのに1000円のレタスは買えないものね。

太陽が照れば路地では野菜が出来るのだからね。従業員も農民ではなく工場作業員で、野菜や植物の生産知識が不足していたのもあるようだ。けれど将来的にその技術を輸出するプランもあって他の会社が買い取って引き続き研究的生産と、スーパーや業務用契約をすることになっているようだ。



無菌で安全、一年中安定した供給は確かに将来的選択としてあるだろう、とは思いつつ。やはり太陽をいっぱいに浴びた、土の香りの野菜が美味しいようにアナログ婆さんは思ってしまう。虫さんは絶滅しちゃわないのかね。

全ての病は血液病とは言ったもので、酸素をいっぱい含んだ健康な血液がサラサラと体中を巡るように願って、胡麻たっぷりの食事とか、リンパマッサージとか色々あがいています。ご無沙汰気味ですがしぶとく生きていますのでご心配なくです。

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マーリンの世界

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 幼い頃に「奥様は魔女」とか見て魔女になりたかったのね。必死に鼻を動かしても、念をこめて物体を動かそうと練習しても、なれませぬのじゃ。

挫折した少女は、わりと潤沢だった小遣いを渋谷のプラネタリウムにつぎ込んで、星々の世界や神話の世界で孤独を癒やしたのでありまする。

少女になってもその空想世界で、講談社の少年少女文庫などに浸ってファンタジー世界へとつながっていき。指輪物語や北欧神話やギリシャ、ローマ神話と、アリスやエンデのモモのように飛び回るのだった。

この世の中には、人智を超えることがあるって今でも思っている。科学を否定はしないんだけどね。

長じても古代の宇宙人なんて本や錬金術の秘密とか好きだし、怪しい話なんて記事も書いたけどオカルト体質なんである。だからオカルトなんて馬鹿らしいと思う方を説得する気もないんでスルーしてね。ファンタジーゲームでジョブは何時も魔道士を選んじゃうのだ。

こないだまで「マスケティアーズ・パリの四銃士」って海外ドラマが面白くって楽しみに観ていた。これはアレクサンドル・デュマの三銃士の原作を英国のBBCが製作したシリーズで。原作は少年文庫で読んだきりだったけど、ダルタニアンと三従士のハラハラどきどきの冒険活劇は胸躍る。彼らは美しい姫である私を守り抜くのである。空想はただ、だからね。



フランスのルイ十三世の時代がかなり忠実に再現されていて、セットも服飾も見事。スペインのフェリペ二世との関係や西仏戦争に至る歴史が興味深いのよね。マント大好き人間には、そのマントくれーっと言いたくなるが。役者もキャラぴったりで、むさいけど魅力的。もちろんお気に入りは色男のアラミスでし。




それで魔術師マーリンは更に遡って10世紀の英国。神話と魔術が生きていたアーサー王の時代。独りの若者に一国の運命はゆだねられた、ではじまるの。

アーサー王と円卓の騎士とかも少年文庫で読んだんだけど。やはりBBCで製作されてシーズン5まで続いた。これがまた素晴らしい出来で腰の痛みも忘れて、舞い踊りたくなるようなファンダジー世界なのでありますの。

時は10c、アルビオンには魔法を伴う古代の宗教が残り、多くの王国が乱立するところにサクソン人が襲来して群雄割拠の状態にある。

若き魔術師マーリンは、キャメロット郊外の小さな村から、母親の考えに従って王国に旅をし、母親から言われた宮廷医師のガイアスに師事する。当時の医師は薬草師であり科学者でもある。

王のウーサー・ペンドラゴンは、20年前から魔術を厳禁して、最後のドラゴンを地下に閉じ込めている。子の生まれぬ王妃に世継ぎを求めて魔女に頼むが、生の真理にもとづきアーサー王子が生まれると王妃は死んでしまうのね。それで全ての魔術を憎み残酷な魔女狩りを行なった。竜使いも竜も彼にとっては忌むべき魔術と思えるから徹底的に殺戮したの。

王子の従者になったマーリンも魔法を使えることはひた隠しにしていて、ガイアスだけがそれを知っている。けれど未熟な魔術師だから、強力な魔法は使えなくて、火を起したり物を動かしたり位なのよね。


アーサーとマーリン、マーリンは微笑んでるような青い目が素敵。

ある日、頭の中で不思議な声を聞いたマーリンはキャメロット城の地下に降りて繫がれたドラゴンを見つける。ドラゴンはウーサーの息子アーサーがキャメロットに魔法を取り戻しアルビオンの地を統一すると予言して、マーリンにはアーサーを守る使命があると伝えるの。

マーリンは魔術を隠しつつ、ちょっと抜けた従者としてアーサーに仕え、影で度々彼とキャメロットを救うの。アーサーは、我がままで傲慢なところもあるが、勇猛果敢で情の深い面もある王子。召使のグエンとは密かに恋仲で、マーリンをこき使いながらも信頼する友になっていく。


これぞ王子よねってハンサムなアーサー

隣国の陰謀に魔女達の復讐とかが絡み、数千年生きている老竜の知恵に時に助けられ、父親代わりのガイアスと共に王の暴走を止めたりアーサーを守ったり、平和な国をめざすのよね。

王にも魔術師にも善良な者もいれば、悪しき者もいる。やがて魔女の呪いの疫病からキャメロットを救うため、マーリンは知恵と交換に竜を逃がすんだけど、最後の竜はウーサーへの怒りからキャメロットを襲う。

竜を宥めることが出来るドラゴンロードは狩られてたった一人の生き残りが山の洞窟にいると知り、アーサーとマーリンは旅に出る。実はこのドラゴンロードこそマーリンの実の父親。それでマーリンは竜と話す事ができたんだね。

もうこの父親とマーリンの出会いが泣けて泣けて。父親が死ぬとマーリンのドラゴンロードが目覚める。やがてウーサー王が里子として引き取って溺愛していたモルガーナ姫が、魔女で強大な敵として立ちはだかったり、皆殺しにされたドルイド族の生き残りの魔術師の少年が騎士としてキャメロットに入り込んだり、はてさてアーサーとキャメロット、マーリンの行く末は・・ってとこまでっす。

もう続きがはやく観たくて、DVD捜してくれと息子に頼んでいるのだが。ゲームオブスローンも観たらはまりそうで、ちょっと借りるのを控えているんだけどね。こういう中世の話がシリーズとして製作されているのに、日本の時代物も復活しないかねぇ。タイムラインのナマ臭い政治の話にうんざりす時などほんといいのに。

最近知人の親とか兄弟が亡くなる話が続いて、もう先が見えてるんだけど観ずには死ねないと思うドラマがあるのは、きっといいことなんだろうね。


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自業自得とか

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先日来ネット炎上しているのは、長谷川豊かという元キャスターだかの。

「自業自得の人工透析患者なんて、全員実費負担にさせよ!無理だと泣くならそのまま殺せ!今のシステムは日本を亡ぼすだけだ!!」という記事があって。

とても読む価値も無いような炎上狙いなんだけど。ナチスとか相模原事件と同じ人殺しのへ理屈で、当然多くの反論も上がった。腎臓透析の医学的データを上げて丁寧に反論している記事も読んだの。

日本の皆保険制度が、大変優れていることは米国の例をひくまでもないよね。国民健康保険料が高くて払えない人も増えていて、制度として不全であってもね。

確かに高齢社会では、医療費の負担がどうしても高くなるんだけど。それは個人の責任を咎める材料なんだろうか。

自分も糖尿病持ちで、糖尿病は自業自得って色んな人に言われたのよね。贅沢病とかね。貧乏をこぼしたら、そんなの老後の計画を立てない人の自己責任だって言われたこともある。反論は難しいよね。

そういう事を云う人は、糖尿病は今では遺伝子的な要因とホルモン異常だって医学の説より、贅沢は敵だみたいな風評に染まっているし、まっとうに働いてきて老人漂流するような人への想像力はないんだからね。

人は生涯健康であっても死はやってくるので、誰も病気になりたい人なんぞいない。障害だってそう生まれたい人なぞいないよね。病気になる要因なんて実に様々で、ストレスが人によって様々なように。

確かにアフリカなど糖尿病と癌は少なかったので、感染症やマラリアは多いんだけど。でも生活習慣病ってほんとにあるんだろうかって疑問があるんだよね。

不規則な食事や不規則な睡眠、暴飲暴食、酒に煙草がよい事とは思えないんだけれど。病気の要因は個人の責任と言い切れるんだろうか。貧困も同じだよね。貧乏大好きって人はたぶんいない。

貧乏や病気にならぬ努力が足りないのかね。健康オタクみたいな知人がいて、癌になった時にはえらくショックを受けていたけど。世の中、努力でなんともならぬ事も多いのだよね。

日本のように放射線汚染が広がっていて、空気だって食べ物だって環境の影響もある。人間関係や仕事も、全体主義的な社会では大きなストレスになっているだろう。毎日ラッシュの電車に揉まれるだけで心も疲れるだろうし。

乗客に取り囲まれて罵られて高架から飛び降りちゃう駅員の気持も判るような、ギスギスした狭量な人も増えている気がする。渋谷メルトダウンってサイトで、やたら道端で倒れて寝る人が増えているとか。

私は、自業自得とか自己責任って言葉が嫌いなんだよね。往々にして政府や行政はそれを個人の責任として使うんだけどね。自分達の責任はしらん顔の半兵衛なのに。

東京を私物化してエラソーに二ヶ月前の都知事選でも、あいつは厚化粧だとかこいつは売国奴だとほざいていたのに、豊洲問題が及ぶと、ワシももう84で昔の事はとんと覚えがないのじゃ。あまり年寄りをイジメるもんではないフォフォフォみたいな人の責任はどーなんだと、八つ当たりしたくなる。

この元キャスターはまったく知らないんだけど、一応知識人とかコメンテーターとかで売っているが炎上芸人なのかね。知識を振り回してそれを知性だと思う勘違いの輩。

知性というのは暖かい光のように人を照らすもので、怜悧な知性を自負して得意になってる人もいるけど、優しさのない知性などあたしゃ認めないのだよね。

手のひらの物語 夜半(やわ)の雨

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ふいに冷たい風が吹きぬけたかと思うと、ぱらりと雫が肩にあたって静かに雨が降り始めた大川沿いの土手の道。

ちぇっ、降ってきやがったか。

小平次は舌打ちして提灯の灯を手で囲った。今井村の孫兵衛の家を見舞って作男の茂吉にも泊まって行けと勧められたのを断ったのは、病みつかれた孫兵衛を見ているのが辛かったからだ。

単の衿を思わずかきあわせた時。
にいさん降って来たようだ休んでおいきかい。と女の声。
見下ろすと萱の原に小ぶりな屋形船が舫ってあり、女の顔が明るんだ障子の間から浮かんでいる。

船饅頭かい、さんさしぐれか茅野の雨かってもんだな。まあ寄って見るかと、土手を降りて行き、提灯を吹き消して草履を持って船に乗りいった。

酒はあるかぃ。

あいよっ、丁度わたいも一杯やるところだったのさぁ。

こんな外れで商いにもならねえだろうに、おめえも酔狂だなぁ。

船饅頭にも休みはあるさ。にいさんこそこんな夜半に川筋を行くのは酔狂ってもんさね。お店者には見えないけどどこかのお帰りかい。

手あぶりに掛けた鉄瓶からちろりを取上げると、愛想なしの茶碗酒でごめんよと白い茶碗に酒を注いだ。

今井村に世話になったお方の見舞いにな。

ずいぶんとお悪いのかい。

ああ、もう晦日まではもたねえかも知れねえなぁ。

そりゃいけないね、縁続きなのかい。

小平次は茶碗酒をぐいと煽って、隠居なすった八丁堀の旦那なんだが、お独り者で身よりも薄いお方さ。

女の眦がきっとなって、ふん八丁堀かい。と息を吐いて言う。

おめえ、悪さでもして八丁堀の世話になったことでもあるのかい。

八丁堀なんぞ、威張りくさって情も無い奴でなきゃつとまらないのさ。

ふふ、まあおいらもずっとそう思っていたのよ。だけどお上も人の子だ、気立てのいい人も剣付くな奴もいらぁな。孫の旦那は南でも人情十手と呼ばれた人でな、上に妬まれて深川十六組にとばされた方よ。

女も自分に注いだ酒を口に運んだが目の剣はゆるまない。
にいさんもお上のお手先なのかい。

小平次は笑って、いやおいらぁ下っぴきじゃあねえよ。一度は誘われたが性にあわねえ。だが川筋の町には詳しいからな、時々町場の噂や話を流してはごちになったりさ。

おいらぁな、親に早くに死なれちまって浅草お蔵の倉庫の隅で育ったのよ。親無しの仲間とかっぱらいや走り使いをしていっぱし悪ぶっていたもんだ。

博打に女と背伸びしてたが餓鬼はしょせん餓鬼だ。孫の旦那に捕まってからは、ずいぶんと可愛がってもらってやっと人の情けを知ったものだ。

女は煙管を取って火鉢で火をつけ、長く煙を吐いた。

そうかい。人の縁ってのはよくも悪くもあるものだ。女郎の身の上話なんぞ客の情けを引きたいだけだが。雨の夜だぁね酒のあてにもならないけれど。

わたいの親は船宿の船頭でね。おっかさんが病で亡くなるとてて親はすっかり気落ちして酒びたり、ある晩川に落ちて死んじまった。妹とわたいは奉公に出て十二三から働いたのさ。

妹のみよは両国の糸問屋の下働きに、わたいは横堀の料理屋の下働き。
ところがね、妹の糸問屋に押し込みがあって、八丁堀の詮議で内戸の掛け金が掛かってなかった。これは内から手びきしたもんがいたからだと。口入屋から雇った妹が疑われたのさ。

庇ってくれる親もなし、身請け人もわたいしかいない。さんざん番屋で責められて、手柄目当ての濡れ衣でみよは遠島になっちまった。

小平次はゆっくりと茶碗を口に運びながら。そりゃぁついてねえなぁ。それで妹はどうなすったい。

二年目に島で死んじまった。首をつったとも逃げようととらまえられて舌を噛んだとも聞いたが定かでもないさ。まだ十六だった。
桃割れ髪のほんの子供さ。お上も酷いことをするじゃないか。

もう待つ妹もいないわたいは。溜めた小金で古い船を譲ってもらい、人別も抜けての川暮らしさ。それでも誰の世話も、縛りも無い気儘が何よりってものだぁね。

ごろりと肘を突いてちびちびと呑んでいた小平次も眉をひそめて。

おめえも苦労したんだなぁ。世間は親のねえもんには生きずらいもんだ。おいらも町とんびで先なんぞ思いもできねえが。それでも天気の日も雨の夜もある。生きてりゃこうして酒も呑めるってことさ。



小平次はそのままうとうとと眠り、女が薄べりを掛けてくれたように思う間に、障子の外が明るんだ。

寝入っちまったか、すまねえなっ。身を起すと女は板戸にもたれてぼんやり外を眺めていた。

少しお休みになれたかぃ。おめざも無くってすまないけれどね。

いや、おかげで濡れずにすんだ。やっかい掛けちまったなぁ。

小平次は懐の財布から小粒をだすと懐紙に包んで女の方へ押しやり、そのうち裏を返そうぜっと微笑んだ。

いいんだよ、安酒だし添い寝も愛想もなしだからさ。女も笑って言った。

小平次は、雨上がりの朝の湿った空気の外に出ると振り返り。おっとおいらぁ小平次っていうのよ。猿若町あたりでそういえばわかるから、困りごとがあったら言っておいでよ。

わたいはお蔦っていいやんす。雨の夜には時に思い出しておくれなぁ。

お蔦は障子につかまって見送りながら、今日はいい天気だねぇ、と空を見上げた。

小平次は土手道に出ると、もう一度お蔦の方をみやってかるく手を上げた。

舟饅頭に餡もなく、夜鷹に羽根はなけれどぉう、小平次は思わず端唄を口ずさんで足早に歩みはじめた。

夜半の雨は一夜の夢のようで、明るい陽射しが土手を照らす初秋の朝だった。


手のひらの物語 春のたくらみ

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上野東叡山寛永寺の塔頭(たっちゅう)のはずれに瑞観寺という小寺がある。

木立深い庭に春は桜梅と、近隣の者達も参詣がてら訪れるその離れ。開け放つた八畳ばかりの部屋に十人程が円座に座り、時にしんとなり時に笑い声が上がる。

白扇連と呼ばれる川柳の集まりで、主催は神田下町の茶問屋駿河屋の隠居の五兵衛であった。

それいぜん、高家貴族や大名家で愛飲された宇治抹茶は高価であった。東照宮さまも大層茶を好み、以来歴代の将軍家も特別な宇治茶を千代田の城に運ばせていたようで。

お茶壷道中と呼ばれ、旅人も大名行列も街道に膝まづいてそれを通す。わらべ歌に、ずいずいずっころばしごま味噌ずい 茶つぼに追われてどっぴんしゃんと唄われたのは、お茶壷道中のことと伝わる。

やがて京の水谷宗円が、生葉を蒸し、ほいろで揉み乾かし、色香味ともに良い茶葉を編み出してから一挙に江戸の町の庶民にも煎茶が飲まれるようになり。
駿河や信州と茶葉の栽培も奨励され、値も庶民の手が届くようになったが、それでも農家では茎や枝茶、貧乏長屋では土瓶や鉄瓶で煮出した番茶がせいぜい。この集りでは駿河屋の美味な茶が振舞われて、それも愉しみのひとつであった。

駿河屋の隠居は、雅号を白扇と名乗る通人で、親に厳しく丁稚から仕込まれて跡を継をとってからもうだつを上げた商人で。小柄な背中も丸い白髪頭の老人。息子に身代を譲って四谷左門町の小さな家で、身の回りの世話をするたきという老婆との隠居暮らしだ。

川柳仲間は、瑞観寺の宗主、瓦版屋の仁吉、小唄の師匠おたつ、紙筆問屋の手代の猪吉、は組みの小頭、長屋住まいの奥州浪人大二郎やらと。寺は茶問屋の上客で、檀家や門前茶屋の常連やらその長屋仲間と、いまや十人ほどになっていた。

のまぬやつ 弁当食うと 花にあき こりゃ仁吉の夢やさんのだね。下戸の夢やさんらしいですなぁ。
花の枝持って 風雅な行きたおれ こりゃ大二郎せんせの奥仙さんかぃ。これもなかなか風雅にてせつないねぇ。

かかってこいと 生酔い 花をふり廻し。これは小頭の火の用心さんだ。花見と喧嘩は江戸の華だが無粋はいけませんなぁ。

白扇が読み上げてはみなで批評しあい、最後に一句決めては褒美の極上茶が授けられるだけの気楽さだ。



ところがその日の終わり。寺の宗主が、じつは困りごとがあるんじゃが、ひとつみなさまに相談に乗ってもらえぬかと口をきった。

愚僧もほとほと困り果てておるのじゃが。みなさんのお知恵を拝借したいと思ってな。

ご坊の困りごととは余程の難題か、三人集えば文殊の知恵と申しますが、はてはて雁首並べただけのわたしらの知恵がお役に立てばいいが。

白扇も常に無い宗主の面立ちに、ただならなぬ気配を感じて膝を乗り出す。宗主は白い眉をひそめて話をすすめた。

当寺に時折墓参に来る御仁がおってな。脇田家の墓だが嫁いだ姉君が祀られておると。聞けば岡崎藩下屋敷に在居する千坂軍兵衛というお方で、これがの、仇討ち持ちだというのじゃ。

なんとまぁ、お侍ってのも嫌だねぇ。この安気な世の中でさぁ。おたつは膝を崩してやれやれと言うようにため息をつく。

浪人の大二郎も腕組みをしながら。武家というのも面子だお家だと堅苦しいものよ。わしは町に出てつくづくと武家など二本差しの案山子だと思うぜ。米代さえ稼げれば気楽な町場は極楽というものさ。

それで、その仇討ち相手を探してほしいてぇんですかぃ。町内に詳しいは組みの小頭が意気込んで言う。

いや、それがな。相手も見知っている者なのだ。

げっ、そりゃ難儀だ。瓦版屋の仁吉がぴっしゃりとでこを叩いた。

みなも存知と思うが、池之端仲通りに兎饅頭で評判の二兎屋という饅頭屋がある。亡くなった先代とは囲碁仲間での、息子夫婦が跡をとっていて下のおみよは左官職人に嫁いだのじゃが。

おみよは不運が続いて、幼子を流行り病で亡くし翌年には亭主が足場から落ちて亡くなった。明るい愛嬌のある娘で、赤子の時から見知っているゆえ、魂のぬけたようになったおみよを痛ましく思っておった。

出戻って饅頭屋で下働きをしていたが、縁あってある長屋住まいの御浪人と想いあってるらしいと。兄夫婦から相談を受けてわしも小僧の安然を連れて、ひそかにその御浪人の様子を伺いに出向いたのじゃ。

宗主さまも面倒見がいいやなぁ。手代の猪吉も感心したように一言はさむ。

下谷近くの六兵衛長屋で団扇や傘貼りをたつきに、長屋の子供に手習いをほどこしたりとなんとも人柄が良い御仁じゃった。

それでおみよを励まそうと話をしてみるとな。ご浪人は岡崎藩のお納戸役の下士であったそうじゃが、上役の賂を見つけて口論になり思わず切り捨てて出奔したらしく、仇持ちであるゆえ添い遂げられぬと言われたようじゃ。おみよが不憫でのぉ。

片や岡崎藩の千坂殿も腕はからっきしで、返り打ち覚悟と思いつめておるようじゃて。知らせてやりたいが、おみよのことを思えばそれもできかねる。

あちらを立てればこっちが立たずと言うわけですな。それはご坊も悩ましかろうて。はてさて。

一同腕組みしてあれこれ思い巡らせて、静かなひと時が流れたが。茶器を片付けに小僧の安然が一同の間を回りながら。

でもぉ、仇の相手が亡くなったら千坂様はどうなるのでしょう。とぽつんと述べた。一同顔を見合わせたが、思わず白扇がぽんと膝をうって。それだ。

ご浪人は病で亡くなられたと、遺髪の一筋と形見の品でも千坂様にお渡しになったらいかがだろう。

ふうむ。大二郎は天井を仰いで思い巡らしていたが。どうせやるなら一芝居うったらどうだろう。千坂殿には、相手は亡くなったという話をして遺品を渡すはいいが。見事仇討ちしたとなれば家名も家禄も安泰、御褒賞も出るしな。

墓参りに来た千坂殿が、たまたま仇を見つけて見事討ち取ったと下屋敷に遺品と共に届ける。ご坊は御寺社奉行に寺内で仇討ちがあったと届け出る。

長屋のご浪人には言い含めて、髷を落としおみよ坊としばらく江戸を離れさせる。これでどうだろう。

おぉ、さすが軍略の大二郎さんだぁ。瓦版屋の仁吉がはしゃいで、その顛末は名前を伏せておいらが書くぜ。一同一気にがやがやと嬉しげに。

安然はいい坊様になるだろうぜ、猪吉に褒められて安然も満面の笑みを浮かべる。

よしや、狭山の茶農家に頼んでご浪人とおみよちゃんがしばらく過ごせるよう手配しましょうかぃ。白扇も手だれた商人らしく微笑んだ。

瑞観寺の離れの春の終わりの企みは、はてさて首尾よくはかどるか。木立の庭にゆったりと風の渡る春の終わりであった。

久々に

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朝、珈琲を飲みながらPCを開いたら。6月の4日に書いた<取り戻すのは> という記事にコメントが来たんだけど。URL無いからご返事もできないので。



<無題

 
それにしてもリベラルって田舎の人を見下してるよねぇ(苦笑 平気で田舎って言葉を他人を侮蔑つる言葉としてつかってるんだもなぁ

レイシズムはゆるないが田舎の人間はおおいに差別して結構なわけか
やっぱ都会ほどインテリかつリベラルで田舎ほど無知で右翼っていうステレオタイプがあるから

それともムラ社会の意味を田舎のイメージと結びつけるから?

まさか他人を侮蔑する言葉として田舎をつかうのに田舎差別してないとはいいませんよね?
by野良犬


と言うもので。私はリベラルを気取ったレイシストだと云う事らしい。それでブログを読み直してみたんだけど。

他人を侮辱してるって誰のことやら。今の政治家が野暮だとは思っているけど。地方出身者を侮辱してますかね。今の都会人だって殆ど地方出身でしょ。この方は都会人はリベラルでインテリと思っているのかねアホらしい。そのステレオタイプはこの人の考えじゃないのか。

田舎って言葉がダメなのかね。大体この方の目的はなんだろう。おまえはレイシストだって言いたいのか。わざわざ古い記事にコメントする理由もよくわからない。読んでないんだよね私のブログなんかさ。ただ田舎者って言葉に反応して、許せんなのかね。コンプレックスなのかな。

自分の読解力とかリテラシーは正しいのかね。こういう「言葉」に反応して、問題の本質には触れない人ってネットでは多いんだけど。通りすがりの身を隠したコメントいらないから。こういう野暮が大嫌いだしね。句読点って知らないのかね。


人を嫌な気分にさせたい目的なら、おあいにくさまだ。時間の無駄なんでこういうコメントは無視してもいいんだけど。田舎に住んでるとか出身だとかで人を侮蔑したりしないし、都会人なんて幻想のレッテルっしょ。

己の無礼も自覚してない輩に、何言われてもへいちゃらだから二度とこないで下さいねー。

センスがいいとか

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センスがいいよなぁって思う人はいるよね。反対語は「ださい」なんだろうか。悪趣味ってのもあるかな。

センスは、ラテン語の「sentīre」といが語源で「感じる」と訳される。英単語の「sense 」は「感覚」や人間の五感味覚、聴覚、触覚、嗅覚、視覚や物事の見方や考え方とか「感じ方」意義、意見、意識などを意味するとある。

息子と話したらスペイン語で相応する単語は無いんじゃないかと、好みがいいとか趣味がいいって言い方はある。日本語で使うセンスはひどく曖昧だと。

ファッションセンスとか音楽センスとか何気に使われるけど、美的感覚っていうのは個人によるから、これセンスいいよねぇって思っても、隣の友人が、えーっそんなのダッサイじゃないってこともある。

社会的センスはどうも日本人には薄いような気もするが。教育は大きいよね。思考する授業、議論の時間とか欧米で見られるようなデイスカッションって、学校であるんだろうか。道徳なんて旧弊な、江戸しぐさとかインチキ臭いことを押し付ける時間があるなら、白熱教室みたいな授業もあっていいと思うのだが。

海外ドラマで、吃音のある青年が高校の弁論部の全国大会に出る話もあったけど。日本も弁論部ってあるんだよね。青年の主張とかってのもあるけど、どうも気持が悪い。

個人的感覚を承知の上で、センスいいなぁとしかいえないこともあって。自分はシンプルが好きなんでゴテゴテと派手なファッションも絵画も食器も好みじゃない。文章や人間性にも云えるんだけどね。

装飾の美しいものっていうものはあるけど。江戸の粋って言葉にもすっきりした印象があるよね。びらびら服が嫌いとか、デザイナーブランド時代はカラス族よ。そういう自分のセンスは内なるもんだから、他人に押し付けたり説得しょうとも思わぬが。

どうしたらセンスを磨けるかって。道具屋の小僧って良い品物ばかり見せて仕込むと偽物がすぐ判るとか。やはり多く見て多く読んで、多く書くってのはあるように思う。

自分はおっかさんが着道楽の映画好きで、映画雑誌や中原淳一の「ひまわり」「それいゆ」がお手本だった。今のように通販雑誌や情報は少なかったしね。



文も好きな作家の作品を真似てなぞったり、写真集や美術館、祖母の連れて行ってくれた末広亭の落語とかジャズ喫茶とかも栄養分になったんだと思う。青春期っていうのはスポンジみたいにやたら吸収して段々に自分の好きな物を選ぶようになっていく。

人って完成された姿なんてないんだよね。自分の思い描いたイメージのよき大人になりたいと思うかどうかはある。この世にいい女もいい男もいない、そうなりたいと思う人が、いい女であり男なのさ。って友人が言っていたがそうなんだと思う。

そんな風に思ったり、失敗や選択の誤りをしながら育つ余裕が無いと文化なんて育たないよね。無駄は無駄じゃないし人の成長過程には必要なんだと思う。失敗しないと自分を疑う事もないじゃない。けれど、今の日本を眺めると成長期に無駄や余裕が無さそうで、若い人が気の毒に思えるし文化は窮屈そうだ。

センスの共感もあって、自分とそういう好みが近い人って親愛感を抱くからね。恋人ができたら一緒に音楽聴いたり映画に行ったりお互いに影響を与え合うってこともある。チエホフの可愛い女のように相手に染まるってこともあるだろうけど。

文でも技術より好みってあるし、自分とは違うセンスの人でも認められることもある。モンテッソーリの幼児期の五感養育とか受けて育つと繊細になると思うけど。今は余りに生活や暮らしが追い詰まっているようで、日本の文化って衰退していくのではと気がかりなのね。

日本の政治家っていろんな意味で、ほんとセンス悪そうだものね。

お得に弱い

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せこい庶民なのでお得には弱いのである。スーパーの特売品からタイムサービスのお得まで、おぉっと条件反射してつい手が伸びてしまうのだ。

ふん特売品などに良い品があるわけないわよ。やはりブランドよね、と言うほど生活に余裕の無いせいもあるが。それでも食材ともなれば一応安全とか安心とかも考えるので、産地など眺めて悩ましく佇むのである。

最近うちでは買い物は殆ど息子の担当でメモを渡して買って来てもらうのだけれど、安売りしてたからと買ってきた素材の質が悪かったり福島産だったりで、文句をつける。これは文句と言うより野菜の見分け方や鮮度の良いものを見る目を育てようというバカ親心でもある。福島の農家の方々には申し訳ありませぬ。

生協も使っているんだけど、品質や産地に首が傾く品もある。それ程神経質では無いけれど放射線量のガイドラインが明確でないから不安になるんだよね。毎日のことだからね。

自然食品店の宅配も少々と10年以上とっている取り寄せの味噌醤油ポン酢に番茶などもあるんだけど。何しろギリギリの暮らしでエンゲル係数高いっていうか、食材以外は買う余裕が無いのよね。家賃や光熱費は節約できないしね。

農業や一次産業である林業や漁業って、何故一時なのかは考えずとも解るように、水と食料品は生きていく糧だからで、林業と言うのは木材だけでなく水だからよね。アフガンの仲村医師がなぜ植林から始めたのかという理由もそこにあるんだろう。

モロッコとかアフリカとか南米みれば判るように、水の確保ってとても重要で山と木が無ければ川も生まれない。スペインは北は山と雨が多いからまだ恵まれていると思うけれど、バルセロナや低地にいくと水道水が一気に不味くなる。

以前、大型農業推進に賛成な方と議論になって、その方が経済学者の田中女史の理論など述べてビジネスとしての農業を推進しなければ日本の農業は衰退して自給率も上がらないとの意見で。兼業農家は不当に利益を得てるとか述べられたんだけど。自給率は大事だけど数字だけでもないから。

食材を生む土の大切さは農業に従事していなくても想像ができる。身土不二って考えも土に生命力があるという根拠からだと思うし。砂や土療法っていうのそれだよね。動物が病むと土に埋まってじっと休むのもね。まぁそんなのオカルトって思う人はスルーで。

日本の風土に大型農業がそぐわないと思うのは自分だけでは無いだろうけど。単一作物の生産や農薬空中散布などの弊害は他国の例にも多くみられる。
遺伝子組み換えも利悪があって、冷害や乾季に強い作物を作るとか、害虫対策としての遺伝子組み換えはある意味必要なんだろうけど、利益目的の尋常でない組み変えもあるのはモンサントンを見ればよく判る。

経済効率は大事だけど、それより大事なものもあるんだよね。お得なサプリではやたら濃縮で濃いとか何十倍も詰まってるとか宣伝文句であるんだけど、濃ければいいってもんではないよね。過ぎたるは及ばざるが如しとはよく言ったもの。

過剰な精製技術が砂糖や塩にどれ程弊害をもたらしたか。麻薬だって天然の大麻やコカの葉は薬になっても精製すると麻薬になるようなものよね。砂糖黍畑の多い南米で煮詰めて作っていた砂糖が米国資本の精製工場ができると粘って機械の効率が悪いと薬品で洗ってしまい、白糖にしたの。栄養分は全て流れて甘いだけの白い粉よね。精製と濃縮は気をつけないとならない。

同じように効率とビジネス化もそうなんだと思う。大型化工業化できないものもあるのだと。ましてや今の政権のように経済第一の名目の下に一次産業を圧迫しているような政策を眺めると、こういう考えでの農業拡大などちょっと怖ろしく思うのよね。

農産物輸出もそうなんだけど。福島原発事故から5年過ぎても、各国の食品輸入制限は解除されていず日本産を規制している国は30カ国以上もある。安全が確認されていない食品を輸入する国ってどこなのかね。

質で勝負はよく判るけど、農業も漁業も林業も守り維持する努力無くては消耗すると思うのだが。日本の医療技術や農業技術は大変優れていると思っているの。福岡農業がアフリカや荒地で僥倖のように生産を生み出し、ネパールやエジプトでの灌漑技術もね。輸出するのは製品だけでなくこういう技術ではないのかな。

スペインのトンネルや道路整備に日本のエンジニアが多く貢献しているし。トルコの金港湾の橋にも日本の技術が使われトルコのガイドが嬉しそうに話してくれた。日本のポテンシャルは高いしそれは誇りに思えることだよね。

食糧や水の確保の問題は、一国だけのことじゃないし生産の技術やノウハウを共有していければいいんだけど。国状や環境の異なる国々だからなぁ。返すがえすも原発災害の影響が痛い。事故後のチェルノブイリの農生産とかの資料を、ちゃんと読んでるのか農林省さま。

政府が長い目線やビジョンを持って取り組まないと、安易な大型化や企業化で良心的な中小農家を潰す事にならぬようにと思うのだが。

お得に弱い庶民はってより、それだけ生活がぎりってことなんだけど。日々のお得も大事だけれど、こういう長期的視点も見直さないと、先の展望は開けないよね。

それにしてもサプリの誘惑は痛みがあると弱点をつかれるようで、お得な30分以内に電話しそうになるのよね。


凄い国だよね。子供にドリンク飲んでがんばれって。

守るべきもの

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 「べき」って言葉はあまり使いたくない。物事なるべく決め付けて見ないようにって自分の中の境界みたいなもんで。赤塚さんの「ベシ」の方がましなんだけど。ネットなどではべき論は多くみかける。そう言いたくなるよな無能な政治だしね。

 昔、死刑囚の永山則夫が「無知の涙」って本の中で述べていたけれど。自分の不遇や不満や屈折を自分は理解する機会がなかった。中学を出て地方から都会に出てきても鬱屈した想いが自分を蝕んでいき、それを何の縁もない他者に向けてしまった。敵を見誤ったんだと。手元に本がないから正確じゃなくって自分の印象だけれどね。

 文字は不穏当だが敵とは何だろう。その敵から守ろうとしてるのは何だろうか。

 「山崎天皇を撃て」って本も衝撃ではあったけど、その撃つ対象は天皇個人ではないことは判るよね。天皇という形をとった無能で非人間的な軍部の暴走による戦争の結果を撃ちたかった。犬死せし仲間の仇討ちのようにね。受け止め方は多様で同じ事象でも別の考えの人もいるだろうが。

 北朝鮮の無謀な核実験という脅かしにも、いろんな方が批難を言っているけれど、梅親瓶が書かれていたように、国というよりカルト組織と変わらない国体で。

 金日成の時代から形成された洗脳社会で、先代の金正日もそうで今の正恩も生まれつき洗脳の中で育ってきて、そんな脳味噌を説得するのはまず難しいんだよね。そういう人間が権力を持つ事の怖ろしさ。

 国際社会が非難批判しても、とにかく脅しを効かせれば、外国から認められ自国の利益に有利だとか信じこんでいるから、その洗脳を解くのは並大抵じゃない。おや、金をばら撒けば国際社会から認められ自国のしいては自分達の利益になるって、どこぞの権力者にもあるようだが。甘やかされたおぼっちゃまに本物の銃をオモチャにさせると、とんでもない事が起こる。メンタリティがよく似てるよね。

陰謀論ではないが、今も暗殺とかもあるんだろうとは容易に想像できる。昨日も「黒人の命だって大切だ」運動の主導者のダレン・シールズが銃撃された遺体で発見されたり。暴力で解決できる問題はほとんど無いと思うのに。

現実にカイロで会ったパレスチナの人々も、中南米で会った反政府ゲリラの元戦士も、雑貨屋だったり農民だったりした人が殆どで、たまたま自分が遭った人々がそうだったのかもしれないが。難民キャンプで下働きのボラやってる人々も、活動家でも団体職員でもなかったんだよね。政策にに反対するデモのスペインのおばちゃんもそうだけど。

日本でスタンディングやったりデモに行ったり、環境問題の集会などに行くと、未だに共産党だとかヘタレ左翼とか、活動家だと言われるのってすごくヘンだ。まぁ平和集会が公共施設から閉め出されたり、ヘイト集会には貸す自治体もある国だからね。

街の庶民があいつは敵だと思ったとしてもゲリラ戦の時代でもなく、ごまめの一票すら反映されているかも疑いがある中で、じゃぁどうすりゃいいんだって思うよね。

うむ、敵なんて不穏な言葉がまずいんだよ。自分が守ろうとする守りたいものは何だろうって考える。守るってことはただの念仏だけでなく、意志の表明でそれを侵すものに対して闘うことじゃないんだろうか。

自分の健康を守る、家族を守る、猫を守るあるいは故郷を。仕事でも環境でも守りたいと思うものはあるはずよね。それを大切にすると結果として壁にもあたる。町内の掟や行政の枠や国の圧力やらね。

自ら戦闘的にならなくたって、守りたいものを守ろうとすれば軋轢は起こる。大体さ、軋轢のまったくない人生など奴隷か機械のパーツであることを受け入れたとしても人を辞めない限りついて回るのよね。

子供だって、無菌で無垢に育てる事なんかできない。守りたい何かを自分の中に育くめる人になってほしい。ルソーが言ったように、どんな環境でも自分を育て愉しめる子供。自分の守るものを大事にする人は他人の守りたいものが判るんじゃないだろうか。自分の愉しみを持つ人はジャンルは違っても他者の愉しみも尊重できるよね。

ちょっとぼんやり頭で昼食のラーメンを作りつつ。排骨緬にして野菜炒めたっぷり、衰夏の頃と言われる夏の酷暑の衰える時期だね。政府は台風被害や熊本やら食糧基地被害に、がっつり支援しろよと思いつつ。


北海道の流された玉葱畑