手のひらの物語 路上の炎

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俺が佐川さんと初めて会ったのは多摩川の川原だった。六郷土手の少し川上で砂地と枯れ草がいい感じなんだ。そこはバイク好きの奴らの遊び場だった。

バイク持ちの先輩達は、バイク好きの少年にバイクの構造や扱いを教えてくれ、少年達は嬉々として先輩の取り回し技術を教わった。
何処の家の子かとか、どんな仕事の先輩かなんて関係ない。オートバイが好きってそれだけで充分だった。

佐川さんはホンダのハーレー持ちで、重い車体の扱いを教えてくれる優しい人だった。兄弟のいない俺は、カッコイイ兄のように慕っていたし。佐川さんも目にかけて可愛がってくれたんだと思う。

佐川さんは時々、好きな音楽や読んでる本の話もしてくれる。学校から帰ると家を飛び出して川原を目指して走る。早く仕事が引けた夕方には佐川さんがいて、コーナーの取り方や足場の悪い場所での車体の安定をはかるやり方を、実践的に教えてくれるからだ。

父が死んで母が仕事に出ている俺は、退屈な学校より川原が先生だった。カッコイイなぁいつかオレもバイク乗りになる。同じ年頃の仲間と先輩の走りに目を輝かせる。

やがて大学受験で、母が会計士事務員として稼いでくれたお蔭で、数年川原を離れて無事に公立大学に入ったが。川原に行ってみると、もう佐川さんはいなかった。

相変わらず少年達も、大人のバイク好きもいたけれど、穴のあいたような淋しさを覚えた。佐川さん何してるんだろう、病気にでもなったんだろうか。川原が河川法とかで立ち入り禁止になったのはその頃だ。立て看板が冷たい風に揺れる人気のない川原。

やがてアルバイトに励んでやっと、250ccのバイクを買って乗り回す時も、佐川さんのアドヴァイスを思い出した。
コーナーではケツを落とそうと思うな、自分の重さを感じればいい。風と自分を感じればいいよっ。身を任せれば身体は動く。

けれど、大学の二年目になって、学生闘争が始まった。俺の大学でも学費の値上げ、研修生制度反対の研究員が大学を追い出され、政治献金や大学の裏金、政府との癒着が顕になって。学生の集会は禁止されビラも配れなくなった。

俺は母親がどんなに苦労して学費を出してくれたか判っていたから、学費の値上げ分が献金や裏金に回ってることには許せない気持ちになっていた。集会に出かけると、他の学生も口々に大学の怠慢や、教育制度への締め付け、しいては安保や米国への追従や核の持込みに懸念を抱いていて。その意見には納得だったから、デモにも参加した。

だっておかしいだろう。旧態依然の研修制度に抗議もできない。不明な学費の値上げに抗議すれば処分退学と脅す。それが献金だなんて納得できねえし。教授会って学生の味方じゃないし。

そんな政府が原子力潜水艦も核は持ち込まぬといいながら港に入れる。幾ら敗戦したからって、米国に何も言えずに金だけ貢っぐってさ。その金は母が必死に働いて稼いだ金でもあるんだから。眠い目をこすって明け方のバイトに出かける俺の金でもあるんだから。

夜に、持ち帰り仕事に疲れて居間で眠ってる母を何度もみた。心底疲れきってる背中だ。俺はその為にも闘争に加わった。でもそんな母は大学だけは卒業してね、と言うんだぜっ。黙って大学さえ出ればいいのかよっ、俺は心で叫んだが口に出しては言えやしない。

大学内も騒乱の一途を辿って、仲の良かった友も大学側だと糾弾されたり、知らなかった他学部の女子学生と親しくもなった。彼女も片親で父親の苦労も眼にしていたから。政府はおかしいよっ、大学は富裕師弟の為のもんじゃないと、暗い目で言いあった。

新宿で大規模なデモが行なわれる夜に、母に電話して言った。俺はかぁさんの気持ちは判ってるけど、責めたり止めないでくれよなっ。母は涙声で、はいよ、それでもあんたを信じてる。怪我をしないようにねっ、そう言って電話を切った。

新宿東口には知った顔や学部の仲間もいた。みんな緊張して悲壮な顔だった。セクトのグループもいて徹底抗戦とアジっている。

迎い側にはジュラルミンの機動隊の盾が水銀灯に煌く。綺麗だなぁと思った。こんな時に綺麗だなんておかしいよなっ。それでも駅前の煌く盾の波はガラスのように美しかった。

隣にいた仲間がぽつりと言った。もう会えないかも知れないけど、またなっ、そう言いたいよな。うん、俺も頷いたが膝は震えていた。パクられたら三日完全黙秘するぞ、検事拘留ついても24日だと自分に言い聞かせる。

突然、機動隊が動いて騒乱は始まった。機動隊は四機と思われた。その後ろには鬼の九機が待っている。

学生達は一斉に石を投げ、機動隊は盾で避けつつ前進してくる。手製の火炎瓶も投げられたが、放水車と機動隊の足で踏み潰されていく。

学生達はじりじりに逃げながらも、ポケットの割った敷石を投げつける。俺は大ガードの方へ逃げながら迫る靴音に振り向くと。そこに・・佐川さんがいた。

足が止まりじっと見つめると、佐川さんも怒ったような緊張の顔で俺を見た。路上の火炎瓶の炎に炙られた顔は、あの穏やかな兄さんのような佐川さんだ。

佐川さんは気づいてくしゃっと顔を歪めて哀しそうに俺を見た。俺も、たぶん微笑んで佐川さんをみた。

佐川さんが機動隊員なんて知らなかったけれど、佐川さんの気持ちは伝わってくるように思えた。元気でいたか、大学に入ったんだな、バイク乗っているか。彼はそう言ってるように思える。

俺も石を投げられない。だってそこにいるのは、佐川さんなんだからさ。

ガード下まで走って、立ち止まると俺は泣いた。何でだよぉ、何で俺らは争わなきゃならねんだよっ。

俺はその時、この情況を作った権力や政府に心底憎しみを抱いたんだ・・



ご無沙汰しています。目と体調でなかなかまとまった文が書けなくって。心配して連絡を下さったブログ友達や、古い記事にコメントを下さったり、ありがとうございます。
沈丁花の花も咲いて春の兆しも伺えるこの頃です。回復を期しつつぼちぼちやってますのでご心配なく。
この話は昔の友人の実話なんで、跳ね返りのサヨクバカ闘争と評されることも多いけど。彼らには彼らの思いがあったんだと思うし。今の日本を眺めるとやりきれないなぁって思いつつ載せてみた。ツイイターは家事の合間につぶやいていますが、時々元気のあるときは顔を出しますね^^:

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わしも寝ながら考えた

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椎名誠の「わしもインドで考えた」って本もあったけど。体調が悪くて寝ていても人は色々考えるもんで、我思う故に我ありってもんだね。

起きてまとまった記事がかけないんだけど、珈琲を淹れたり、ちょっと夕食の準備だけでもと起きるついでにツイッターとか覗いてみる。

相変わらずの困窮者いじめとか、世界の流れまで杞憂に終わればいいんだけどね。

保護のバッシングもね。いくら生活保護の実態の補足率や不正受給率を説明しても無駄なんだよね。生活保護バッシングってさ、「役立たずは死ね」っていう政治政策と作られた社会風潮に支えられているんだね。

民主主義って何だってコールもあったけど。どうも民主主義が嫌いなお上のようで、民主主義に邪魔されずに好き放題したいってことか。国民に主権があるのが間違いとか発言する議員がいるくらいだ。でんでん総理も酷いけど凄いこと言うよね。

でんでん外交はもっと悲惨で、大統領選の最中にクリントンを陣中見舞いして、トランプが勝つと、あわてて就任前の自宅におしかけゴルフドライバーをプレゼントして。プーチンと一緒に露天風呂に入ろうと誘って断られじゃ犬をプレゼントするとかで断られ。海外ばら撒きが50兆こえるとかでも、福祉財源がないとか言ってるだもん。

日本素晴らしいに酔うのもいいけど。日本が本当にスゴいのは。過酷な原発事故が、無かったかのように再稼働や避難住民の帰還を進めるところとか、まるで1000兆円の借金が無いかのように海外支援や公共事業、東京五輪も含めて大盤振る舞いしたり、相対的貧困率が16%に達していて、6人に一人の子が貧困状態とかでも。いまだリッチな先進国だと思い込んでることだよね。

オリバーストーン監督が「ヒラリー・クリントンが勝っていれば危険だった。彼女は本来の意味でのリベラルではない。ロシアを敵視し非常に攻撃的。彼女が大統領になっていたら世界中で戦争や爆撃が増え、軍事費の浪費に陥っていただろう」って発言してるけど。プーチンはユダヤ金融と水面下で争っているのは判っても、トランプがどうかはまだ判断はつかない海外への戦闘介入が減るとしたらいいことだけど。

4月から年金支給額(年間3528円)カットされるようだけど。「物価下落」が理由なんだと。でもことあるごとに、デフレから脱却したの賃金も上がったと宣伝してきて、どこの物価がさがってるんだろうね。上がったのは議員報酬と官僚報酬ですかね。
自分も年金を月に2万7千円貰ってるけど、物価が下がったなんて思わないし、それで暮らす事もできないよね。キャベツ半分買うか四分の一にしようか八百屋で佇んでいる年寄りなんて想像すらできないんだろうなぁ。

それでも庶民は、そんな中でも日々の安寧を願って、抵抗したりささやかな暮らしを守ろうとする。そういう目に見えぬ大きな意志が国を形作り動かす事もあるんだと思いたい。一日寝ていながら世界の流れも考えたりね。


時々起きてきてぶつぶつぼやく^^:


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でんでん虫

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でんでん虫は昨今では「うんぬん虫」と呼ぶらしい。そう政府で決ったんです。



どなたかがツイッターで。
・「でんでん」と読む学者もいるとスガが擁護。
・「でんでん」で問題ないと閣議決定。
・「でんでん」と読むことに解釈変更。
・「でんでん」と読まないと五輪が開催できない。
・アベ一代限り「でんでん」と読む特別法制定。 とかなりそう。と呟いていて笑ったけど。

また言葉狩りだと批判する人もいるけどさ。言い間違い、記憶違いなんて誰にもあるわけよね。画期的をガキテキと思ってたとかね。云々をでんでんって読んだ事が問題なんじゃなくって。

日本の総理に基礎学力、基礎教養、知性が欠落しているのではないかってことだよね。でんでんはその事を象しているからで。国会答弁中に官僚が書いたメモをぶつぶつ練習して、質疑もろくに聞いていず、ふりがなふってるはずなのに「でんでん」はねーだろうってことよね。

小さい事をつつくではなくて、自分の言葉は下品なヤジだけじゃ情けないっしょ。山本太郎の質問にまったく答えられず、尚且つその質疑を議事録から削除とか。そういう事がでんでんの背景にあるからね。

こういう方が教育介入したり、文科省の天下りもそうだけど、そういう事が横浜の教育委員長にまで及んでいて。エアガンで150万も脅し取られた福島からの避難の子供に。
「いじめ」ではなく奢ったりの関係だったとか平気で言っちゃうんだよね。この人達って100万奢ったり奢られたりしてんのかね。これじゃ恐喝とかカツアゲは罪にならないことになる。

イジメでんでんは別のことのようにみえるけど、でんでん虫も困惑するような話なんだよね。

ここのところまた体調悪くご無沙汰ですが、時々起きてきて角をだす、かたつむりならぬ引き篭もりですの。

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バッシング文化

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大体が、そんなもん文化と呼ばないんでげすが。文化鍋や文化包丁ほども役に立たない。政権批判や政治や行政などの公人や制度を批判するのは、バッシングとは呼ばない。勘違いしてはいけやせん。

それは自分達の税の使い道をチェックすることでもあって、見てみぬ不利が世間を悪くするってもんだからね。みんな呑気に暮らせるようにしたいねって方は一言いって当たり前なんでげす。

一億総貧困化しつつあるような社会では、気持も生活も余裕が無くなって、世間から寛容性ってのが失われていくんでしょうが。人は迷惑をかけたりかけられたりして生きてるんで。おれは誰の世話にもなっていねえよ。って人はいないのよね。

友達だって家族だって社会だって、お世話になったり世話したりお互いさまよ、の範疇で成り立ってる。町内から組合から保険だって成り立ちを考えれば相互扶助ですがな。

小田原市の生活保護の相談員が揃いのジャンバー作って着ていた事件だけど。



黄色いエンブレムにはローマ字で、「保護なめんな」その下には悪という漢字に×印が。ジャンパー背中側には「我々は正義だ。受給者が不正をして利益を得るために我々をだますのであればあえて言おう“カス”であると!」というもの。

記事はこれ「ジャンパーに生活保護「なめんな」、市職員訪問 : 読売新聞 http://www.yomiuri.co.jp/national/20170117-OYT1T50059.html?from=tw …

それに対して稲葉剛さんがこうツイートをしていて。「生活保護行政への信頼を失墜させる行為。小田原市は徹底した調査をした上で、職員の教育をやり直してほしい」
以前から、生活保護者の支援をしている稲葉さんだし穏当な意見なんだけど。そこに相変わらずのクソリブ投げてくる人の多いのに呆れる。保護者叩きって楽しいのかね。

生活保護の不正受給は咎められる事であっても。保護の補足率は先進国のなかで最低で、不正は保護者のたった0、06%なんだよね。

それを叩く事が保護を受けられない、受ける事を恥じるような人をも叩く事だとも思わない。無慈悲な非人情が果たして正義なのか。クソリブの人には何言っても無駄かもしれないけどね。

不正という言葉に反応して、己の正義を絶対化したいだけで。保護の実態も知らず自分の将来も妄信している無知でしかない。想像力も人情もなく、攻撃する自分に酔ってるだけのように思える。そこには、保護受けるような奴は敗残者で自己責任って見下しと、オレって正義という歪んだ妄信があるような。

現場の職員の方も大変な仕事なのは解るし、不正を憎む気持も間違いとは言えないけど。この方達は市民の税金で給与を貰って社会福祉の仕事についているんだよね。今日、小田原市が謝罪会見を開いたらしいけど。それも市民の声が殺到したからで。まだ世の中腐ってないと思うよ。

子持ちの母親の授乳が迷惑だとか、ベビーカーが迷惑もそうだけど。てめえだって母親の乳飲んで育ってきて、いまや巨乳の女の子大好きなのに、よく言えるよなって思う。バッシングするのはそこなのかぃ。肝っ玉の小さいセコイ奴だわぁ。電車の中で泣き出した赤子に乳やる母親なんかフツーにいて、周囲も微笑ましく見守るような世間がキライなんだね。

今日は機嫌が悪いから、口が滑ってしまうんだが。ほんの少しでも、暮らしやすい世の中になるといいと思ったら声をだしていかないとね。それはバッシングではないんだよね。

蕎麦屋

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最近は町の蕎麦屋が減っていて、ラーメン屋全盛であるけれど。
幼い頃には蕎麦屋の方が圧倒的に多くて、近所に来々軒って支那ソバ屋が出来た頃は、物珍しくて銭湯の帰りなど女中さんと立ち寄ったものだ。なぜか35円だったのはよく覚えてる。

当時は居酒屋っていうのも少なくて、大衆酒場なんて呼ばれる店が新宿の大通りにできたりしたが。ガード下の思い出横丁も屋台に毛がはえたようなもんだったねぇ。

祖父が行きつけの蕎麦屋があって、爺ちゃんはパチンコの帰りにそこで一杯やる。パチンコも立って打つスタイルだから、足の弱い爺ちゃんは長く打てないの。一杯やって寝てしまう爺ちゃんを何度も女中さんと一緒に迎えに行ったもの。

蕎麦屋は酒を飲む所で、天ぷらや板わさやら、小鉢まであって〆に蕎麦を手繰るって感じなのよね。江戸っ子の名残があった我が家も一家で蕎麦好きで、爺ちゃんはうどんをふやけたちんちんみてえだと食べないの。おでんのちくわぶも、あんなもんはかさふやしよっと嫌ってた。

甲府にいた頃は信州や韮崎の蕎麦屋に通った。日帰り温泉帰りの蕎麦は清涼なの。今の家の近くには美味しい蕎麦屋が二軒あって、蕎麦の種類も更科から十割蕎麦まであるんだけど。素材が高沸してるからか庶民値段ではなくなってしまったね。そこのほろ酔いセットは焼酎の蕎麦湯割がついて小鉢と蕎麦で1500円。ううむ。

大体が蕎麦を作る農家が減っているから蕎麦粉も輸入物が増えているんだろうね。葛とか蕎麦とか栽培を奨励すればいいのにね。韃靼蕎麦ってのもあるけど、ソバはスペインではサラセン小麦って呼んでいる。蕎麦の実の袋入りを買って来て蕎麦の実のお粥とか、蕎麦粉のクレープ焼いたりしていた。さすがに蕎麦うちまではしなかったけど。

日本でも男の料理で蕎麦打ちが流行ったのか、ダンチュウなんかで取上げられていたね。海外に初めて出た時、帰りのバンクーバーでカップ蕎麦を売っていて思わず買ってしまったが800円もした。でも、あぁ、日本だなぁって思ったものよね。

日本の駅蕎麦って食レベルが高いよねぇ。冷える時に甲州方面に列車で行くと、高尾の駅蕎麦がたいそう美味しく思えるし。駅蕎麦グルメの人もいるんだろうね。

蕎麦好きの叔父達に浅草の蕎麦屋に連れて行ってもらったり、神田のやぶ蕎麦で成人になったからと一杯奢ってもらったりの思い出も懐かしい。


神田のやぶ蕎麦

町の蕎麦屋がどんどん閉めてラーメン屋になるのは、なんだか淋しいような気分で書いたんで。うどん好きな方にはご勘弁なのね。

ささやかな幸福感

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 人はどんな時に幸福感を感じるんだろうか、ってぼんやり思った。

 幸福感っていうのは、脳内エンドルフインによって起こるとか。エンドルフィン(endorphin)ってのは、脳内の神経伝達物質のひとつで。モルヒネ同様の作用があって、脳内鎮静剤とか脳内麻薬とかも云われるのね。

 「幸せホルモン」といわれるのはセロトニンで、脳で作られ分泌される脳内物質の1つ。セロトニンも正確にはホルモンではなく脳内物質なのね。セロトニンは、脳幹にあるセロトニン神経という数万個の神経細胞が分泌しているらしい。日本では販売されてないけど、欧米の飛行場なんかでは時差ボケや航空障害の薬としてドラッグストアで売ってたりする。

 科学的な話ではないんだけどね。サイモントン療法って、癌患者に癌細胞と闘うイメージをさせるイメージトレーニングや末期患者に医療大麻を使うのも、これらの物質を分泌させて恐怖や痛みを軽減させ幸福感で活きる力を引き出すってことなのね。イメージ力は馬鹿にならない。

 プラシーボ効果も何かを信じる信心も、同じような意味があるんだろうと思う。幸福な思い出というのが時に強い生きる希望になったり。信頼感や強いイメージが活力になったりね。そんなもんオカルトって思う人もいるんだろうけど。

 現実世界で達成感を得られなかったり、希望を失ってしまうと。無気力な厭世観に陥ったり、自棄的な他者への攻撃になったりもするから。人の心の平和とか幸福感は社会にも反映されるのよね。

 ロシア科学アカデミーのアレクセイ・ヤブロコフ博士が「チェルノブイリの教訓」で低線量でも放射線の脳への影響についても述べていてたけど。アレルギー症状の激増や若年の白内障やら多くの影響が日本でも既に起きていて、脳内への影響もあるんだろうなぁ。

ううむ、喘息が起きたのも目が濁ったのも老化が早くなったのも、きっとそのせいだわぁ、などと放射脳の私など思ってしまうが。自分の不摂生を棚にあげてはいけんよね。早寝早起き適度な運動、禁酒禁煙どーなんだと問われるとすんませんです。

人は、どんなつらい情況や悲惨な時あっても小さな幸福感を求めるのは、きっと無意識にそれが生きる気力になるからだろうね。いい映画みると生きてて良かったぁとか、いい音楽聴くと胸の苦しいのが落ち着いたり、猫と遊んで笑うような。

シベリア抑留の厳しい監禁生活で、服の糸を抜いて石を拾ってきて囲碁を遊んだ房の抑留者が、最後まで生き延びた人が多かったという抑留日記を読んだこともある。冬の雪道を、いやなお使いに歩いていけば15分で疲れるのに、スキーに行って楽しめば平気で2時間も雪の中で過ごして疲れないものよね。

話がとぶけど。カジノ法案で晴さんも書いていらしたけど、日本の公認博打は各省庁の管轄で財源になっているんだね。競輪とオートレースは経産省、競艇は国交省、競馬は農水省、トトは文科省で宝くじは総務省、パチンコは風営法で警察が指導、管理とか。ギャンブルも縦割り天下りの利益分配になっている。

カジノの法案のことから世界のカジノ事情とか調べてみた。スペインとリスボンでしかカジノ経験はないんだけど。観光省の管轄が多い。つまりは観光外貨獲得が主な目的なんだろうね。
モナコもそうだけど海外富裕層がターゲットで設備も豪華。中にはハイローラーってプロもいて、こういう方は一種のサクラでもあり上得意客扱いで、宿泊費や食事は無料なんだねぇ。

まぁ博打って言うのは面白いから、ゲームとして楽しむ分にはいいと思うけど。ハマらないと面白くないとも云えるし、ハマると己を失うという危うさだね。それを生活にするにはかなりの覚悟と投資が必要で。賭け麻雀やパチンコや競馬で食べてる人も知っているし、600万も借財して逃げた人や店を潰した人も知っているからなぁ。日本のカジノって優雅さのかけらもない貧乏ったらしい気がする。

カンフル経済とか、ドーピング経済って、日本の経済状況が呼ばれるのも、一時の数字を出すためで、長期的安定経済を見てないってことだよね。

どうにも政権批判になっちまうんだけど、リニアやオリンピックもね。目先の経済利益に賛成する人が自分の呟きに反論してくるんだけど。切羽詰って10年後の1千万より今日の100万って気持もわかるんだけど。国の運営がそれじゃまずいいだろうと思うわけよ。

ましてやさ。森オリンピック組織委員長が「原発ゼロなら五輪返上になる」とか、安倍晋三首相が「共謀罪なしでは五輪開けない」とか言ってね。
何をトチ狂って、二週間の体育祭と国の方針や原発の廃止を一緒にしてんだか。だったらさっさと返上しちまおう。 へんじょーうへんじょう、さっさと返上~♪ 引越しおばさんの歌で布団を叩いちやうぜ。

目先の快楽や利益と、庶民のささやかな幸福感はまったくの別物だよね。どうにも庶民の幸福を少しも思慮していない政権だと思うのだが。雑多に思いつくまま、こうして文を書けるってのもささやかな幸福ではあるんだろうね。

手のひらの物語 善人横丁

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へいっ、あっしは善兵衛と申しやすの。先日から何度かお見かけしやしたがこうやって大川の溜りで、並んで釣りをするのも何かのご縁でやんしょうよっ。

ほうっ、お武家様は橋場にお住まいで、あの辺りも、近頃めっきりと賑わってけっこうでございやすな。

あっしは深川菊名町で差配をしておりやす。片側六軒合わせて十二軒長屋ですがね。店子みんなが居職と小商いで、善兵衛横丁とも云われてるんでやす。

また、こ奴らが滅法気が良くってね、近所の悪餓鬼の面倒は見るは、気楽に修繕や手助けに出るってぇんで善人横丁とかも云われておりやす。まぁ、お近くにおいでの節はお立ち寄り下さいませ。

善兵衛と名乗った老爺は、にこにこと人の良さそうな顔で言った。


小谷真兵衛は元北の定町廻り同心で。大柄でいかついが、目鼻たちの散った間延びした面立ちで、大した手柄も立てずにそれでも町場では穏やかな人柄が親しまれた。
無事に家を息子に譲ると橋場に隠居して。おもんという在所の百姓娘を小女に雇い、六十越えた気儘な独り暮らし。

たまには嫁の久江や、下谷の御家人に嫁いだ娘の理恵が尋ねてくるが、堅物の息子の小谷真之介とはどうにも反りが合わない。
橋場の竹薮の小さな隠居所にすまわって、大川に釣りに出かけては多少の小魚を持ち帰り、碁敵きの戸羽屋の隠居と微かな交わりを持つだけの気楽さを愉しんでいる。

おもん、今日も善兵衛どんと並んで釣りをしたのだ。何とも飄々とした老人でな、釣りの楽しみが増すというものだ。

そりゃよかっただねぇ。
おもんは十七になる農家の娘で七人兄弟の末娘、親は江戸の近隣農家としてそこそこ暮らしは成り立つものの、なんとしても子沢山で、かといっておもんを江戸の町中奉公に出すのは気がかりに思えたようだ。

真兵衛が下働きの小女を捜していると聞きつけて、連れ立ってやって来たのであった。真兵衛は一目で、すこぶる元気で無垢な眼差しのおもんが気に入った。
実際に、おもんは身を厭わずくるくるとよく働く娘で、料理もこなしけらりと良く笑う屈託の無い娘だった。

夏の蝉の煩く鳴く午後に。かっての同心仲間の友が病みついてると聞き、見舞いがてらおもんを連れて深川に赴き、思い立って善兵衛横丁を訪ねたのである。

狭い路地ではあったが、善兵衛横丁の看板が木戸に掲げられ、路地ながら人の行き交いも賑やかである。狭い通りもすっきり掃かれて、長屋の間口前の打ち水も清々しい。



角の煮売り屋に入って、煮〆をつまみに一杯やり、おもんは煮豆を美味しそうに頬張った。煮売り屋の親父は、五十絡みの気さくな男で、善兵衛とのかかわりを話すと。

へえ、それはそれは。差配さんは心配りのある良いお人でやす。あっしら長屋のもんは親とも慕っているんでやんすよっ。
おいらは権六と申します、今差配さんに小女を使いにやりやしたから、おっつけとんでまいりやしょう。まぁ、ごゆっくりとなすって。

話す間も無く善兵衛が小走りにやってきて。

これはこれは何とも嬉しいことで。お尋ねくださいまして、ありがとうございやすよっ。
にこにこと顔をほころばせて隣に腰を掛けた。

良い横丁だのぉ。活気があってみな笑顔だ。どの店も繁盛してるしなぁ。

へいっ、この長屋を手に入れて五年でやすが、店子に恵まれて、あっしはすこぶるな幸せ者でやすの。おやおやっ、愛らしい娘御でござんすねぇ。旦那のお嬢様では無いようで。

うむ、これはおもんといって家の世話をしてくれる。橋場の農家の娘でな、ある意味娘より拙者にはだいじな者よっ。

ほうほう、そりゃ結構な巡り合わせで、人の縁というのは己が引き寄せるってぇ言いやすからねぇ。

気分良く過ごして、土産に煮豆まで包んでもらい真兵衛とおもんは船で橋場の家に戻った。


その日から数日たって、珍しく息子の真之介が尋ねてきた。陽射しが眩しいような日和で、真兵衛は、庭の鶏がせわしなく麦を啄ばんでいるのを眺めつつ縁側でごろり横になっていた。

父上、ご健勝で何よりでございます。
庭から入って来た真之介は律儀に頭を下げた。

黄八丈に黒の巻き羽織は若い真之介には良く似合う。どうにも生真面目すぎて真兵衛には煙たいような息子なのだが。そこは亡き妻にそっくりで、仏の旦那と呼ばれた鷹揚な真兵衛とは反りが合わないものを互いに感じている。

なんだ珍しい事もあるもんだ。何かお役目の事で困りごとかな。まぁこっちへきてお座り。

はいっ、実はでござります。
縁側に腰を降ろすのももどかしいように真之介が口をきる。

近年、市中にやた烏という義賊が跋扈しておりまして、奉行所総出で追っているのですが。町民も投げ込まれた小銭もあって情報が集りませぬ。

ふうむ、義賊というには庶民には喝采もんだろうて。金持ちから奪い長屋に銭を投げ込むは、迷惑なのは豪商だけだ。

けれど幕府の威信、奉行所の信頼は地に落ちまする。それ故、北も南も競うようにやっきになって追っているのでございますが。
それで深川菊名町に善兵衛長屋というものがありまして、訴人する者がありもうした。

えっ、善兵衛横丁のことかっ。

ご存知で。

うむ、あそこの差配とは釣り仲間でな。

ところが調べますに、どうにも評判が良いのでござります。正業を営む者ばかりで繁盛もしております。

ふむ、先日寄ってみたが、まさに善き人ばかりと見受けたが。

しかし訴状に拠りますと、飾り職人は合い鍵の作り手で、飴屋は店の見きわめ役、仕立物の娘は下女に入る引き込みではないかという訴状で。

けれど何らかの証が無ければ、訴人だけではなぁ。貧乏人はかばってこそすれ訴えはするまいに、訴人とはなぁ。
差配の善兵衛どんとは何度かご一緒したが、飄々とした好々爺と見受けたのだが。

私も何度か忍んであの長屋を訪れたのですが、どうにも、やた烏の一党とは思えないのでござります。なんとも難儀な一件でございまして、父上のお知恵を拝借したいと参上したのですが、父上が懇意の差配とは存じ上げなく。

長屋に見張りどころを設けたのか。

はいっ、長屋の外にある研ぎ屋の二階に設けまして、交代にて善兵長屋を見張っておるのですが。

ふむ、不審な様子は無いんだな。

はいっ、今ではお奉行も与力方も、訴人が何か妬みがあって、偽りの投げ込み文を入れたのではないかと。
そもそも、やた烏は町場では人気者ゆえ不審があっても庇いまする。それが訴状を投げ込むのは何故だろうかと。

そこだな。義賊といえども盗人だ。義憤で訴人したのか、あるいは商売敵きの盗人かも知れぬぞ。

御政道が締め上げれば締め上げるほど、町の怨嗟が起こる。贅沢を禁じても豪商だけは栄えて、幕閣とても小判に勝てぬ。
米の買占めや油の値上げと立て続いては民も生きにくい。義賊に救われる者もいるのは確かな事よっ。

けれどこのままでは八方塞がりのままで、町方の示しがつきませぬ。何かお知恵があればと。

ふうむ、やた烏かぁ。
真兵衛も腕組みして考え込んだ。


獲物はあったかぃ。真兵衛が横に座ると善兵衛はにこにこと。
鮒が二三匹だけでございやすが、こんな夕暮れはひょいと主も現れそうな気もしやす。

ほほう、大川の主とは鯉かぃ。

へぇ、もう何十年も生きてる大物で、滅多に姿もみせやしやせんが釣り損なった者もおるそうでやんす。

ほう、それは一度お目どおり願いたいもんだのぉ。

あっしは一度だけ撥ねるのを見ましたが、そりや立派な姿の鯉で。

ところで、町場にやた烏という義賊が出没してるのをご存知かな。

瓦版で知ったほどでございやすが、それが何か。

実は拙者は元は定町廻りなのよっ。
善兵衛の肩がびくりと動いたように見えた。

それで聞き及んだのだが、そなたの長屋は善人ぞろい、けれど訴人があったそうな。

旦那、それはお役の秘密ではありませんかぃ。なんであっしにそれを。

なんでだろうなぁ。今の御政道で民草が苦しい思いをしてるのを、知っているからだろうかな。

拙者は、やた烏を捕らえて獄門台に送って万事事なきとは思えんのだ。今のような庶民に苦を強いる政道が続けば、第二、第三のやた烏が出る。そう見てるのだよっ。

豪商が幕閣を金で抑えて、米や油の価格ををいいように釣り上げる。難儀するのは長屋の住民ばかりだ。定町としては示しがつかぬと躍起になるだろうが、それも幕閣に連なるお偉方が、豪商にせっつかれてのことよっ。

わしが町廻りに嫌気がさしたのは、盗人や騙りばかりが悪ではないということさ。御法とて人が定めた決まりに過ぎぬ。果たして貧しき者だけが咎められる御法とはなんだと。

しかしなぁ。やた烏に言いたいのはな。
義賊と云えど盗人だ。人は悪しき行いをしながら善行もなす。善を建前としても悪しきも為すものよっ。だがどんな建前でも盗人は盗人だとな。正業を営み暮らしがたつなら充分だろうに。己が法と思い上がっては善行などとは言えまいよ。

えへへっ、旦那はおかしなお方だねぇ。
善兵衛は額をぴしゃりと叩いて笑った。

お前さんも大川の主のように、撥ねて潜るのだろうよっ。やた烏も飛び立つこともあろうて。
真兵衛も笑った。


父上、善兵衛長屋が丸ごと消え申した。一夜にして長屋中が消えたのでございます。何とも面妖な話ですが。
真之介は縁側に腰を掛けて茶を啜って言った。

やはり、やた烏一味だったのでしょうか。藩の打ち棄て兆散でもあるまいに。大勢の者が家や店を打ち捨てて消えるなど、聞いたこともありませぬ。

町役人や町名主も、神隠しにしては人が多すぎると。人別を辿りますと、金で人別をつけた者もあって疑いは濃いものの実証がありませぬ。何処へ消えたのやら。

ふうむ、どこかでまた善人横丁を作っているかも知れんのぉ。善兵衛どんも何処かで釣りをしているか。ところで訴人は判明したのか。

それが訴人を訴人する者がおりまして、訴人は六介という小盗人で、素行が悪くあの長屋を追い出されそれを怨みに思って訴人したのではないかと。

瓦版でも、やた烏は庶民にとっては救いであり、娘を売らずに済んだ、店の取り立て金を落として身投げするのを救われたと、町の声も書かれておりました。善兵衛長屋の近隣の者も、あらぬ疑いでいたたまれず江戸外に出たのだろうが、なんとも残念なと嘆く声ありもうした。

拙者もそれを見まして、お役目とは何だろうと。奉行所の面目、お役目だいじと勤めて参りましたが。江戸の町を守るということは、町に生きる者を守るという事はなんなのかと。

そうか、善兵衛長屋は消えたのかぁ。そりゃ大円談って始末であろうて。真之介、お前もそう思ったなら、やっと一人前の八丁掘よっ。

善兵衛は何処かでのんびりと釣りを愉しんでいるのだろうか、長屋の連中も江戸外の町に紛れ込んで正業を商っているのだろうか。

蝉の無く木立に晩夏の風が吹き渡り、鶏の声がのどかに響く庭に、旦那様ぁうんまい茄子が煮あがったよぉ、真之介さまも食べておきなさいなぁ。

おもんの間延びした声が響いて、真兵衛はもう一度微笑んだのだ。

窮鼠は猫を噛むか・メキシコ

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天窓にカラスや鳩が停まると、スペインの家の三匹の猫は雄だけが、カカカッツと喉を鳴らして威嚇したけど。あれは威嚇だったのかなぁ。

トランプは、選挙中からメキシコやメキシコ人を冒涜するような発言を度々してきたんだけど。中南米支配の過去政策がキューバを除いて首尾よくいって。更にいまや、左派政権つぶしが経済侵略によって成果を上げているから大変思い上がっているんだろうね。

一番身近な隣国を敵視するっていうのは、国内を一色にする方法で何処の国でも使っている。けれど米国は広大でロス辺りから南で移民排除なんてできるはずもない。なんのかの言ってもメキシコは親米派であって安価な労働力や農産物の提供国だ。だから麻薬カルテルだって上手く使って目こぼししてきたんだよね。

ところがNAFTAの締結でメキシコの農家が壊滅的な打撃を受けた。モンサントンや単一種の生産もその要因で。韓国も同様な事が起きている。TPPはたぶん流れるだろうが、トランプは日本にNAFTAを押し付けてくるだろうと推測できるよね。より米国企業に有利な条件でね。

内田さんがツイッターで述べていたけど。
「メキシコは当てにしていた税収も雇用も経済波及効果もぜんぶ消えてしまった上に「メキシコ人が入れないように壁作るから費用出せ」と言われているんですよ。NAFTAを盾にとってメキシコのトウモロコシ産業を壊滅させておいて、今度はNAFTA があるせいで米国内の雇用が減るから止めるって。

僕がメキシコ市民だったら、「ふざんけんなこの野郎。じゃあ、テキサス返せ、カリフォルニア返せ、アリゾナもニューメキシコももとはうちの土地じゃないか」と無理と知りつつ言いたくなりますよ。トランプは「メキシコ人によるテロ」リスクをゼロ査定しているんですかね」

その通りまったく舐めた話なんだが、前にも取上げたようにメキシコには地方に自治の村やチアパス州にはサパテシズタの市もあって、あまり追い詰めると窮鼠猫を噛むようなこともおきかねない。

米墨(べいぼく)戦争って1846年にテキサスの所属をめぐって米国とメキシコの戦争があった。スペインからの独立革命戦争の後で、疲弊していたメキシコが結果的にはルイジアナ、カリフォルニア、アリゾナ、ニューメキシコなど失ったのよね。革命や戦争のDNAも流れている人々。

ふだん、てれってれっしてテキーラ飲んでいるけど、やるときはやるぜっ!にならないとも限らない。足元の蟻を舐めてると蟻の一穴の例えもあるからね。戦争を煽るつもりは毛頭ないけど。

それにしても、経済学者とやらがTVでトランプを称賛してて。日本の経済は飛躍的によくなるとか別の番組でも別の経済学者が言ってるんだけど。日本は窮鼠であるって意識がないからねぇ。自分を猫だと思ってる鼠は喰われるだけだね。

少年兵なんて知らない

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年明けで「明るい未来」とか「希望の年」とかの景気のいい政治家の言葉も飛び交う2017年ではありますが。あまり目出度い気分にはなれない。

初売りも福袋もいいけど、片側で家族殺しや無理心中のニュースもあって、どうにも自分の周囲の貧困や困窮に目がいってしまう。

働く子供達ってドキュメンタリーを見て胸が痛むのは。昔の子供のように家業の八百屋を手伝うとかじゃないからね。シェラレオネで穴倉に一日潜って金やダイヤの採掘とかだもの。中米やアフリカで見たのは、自分の子供四人におもらいさせて、男はぶらぶらしてる。仕事がないせもあるんだけど、すっかり気力がなくって子供ばかり作ってるとか。ウガンダでもエイズの子供を働かせないよう収容してる日本人も知ってる。

児童労働は日本には多くないと考えられるけど。子供の虐待は目に見えないしイジメ問題も浮かび上がるのほんの一部だろうなぁと思う。

オーバーージャッヂというらしいが、自分の正義で他者を裁くようなことが蔓延する世の中は、殺伐として生きにくいよね。オートバイで我が物顔に走ってると軽自動車で突っ込んだりとか。あいつはダメな奴だからやられても当然だって思う歪んだ意識もね。自分を疑う事を知らずに育つ、あるいは劣等感や自己否定に痛んでしまった結果なのか。

少年兵と直接会ったことはないの。スペインのカトリック系NPOで少年兵のの支援をしている所があるのは知っていたし。スペインから最初に出た自然医療ボラがエジプトのカイロで、アフリカのガーナに行く前に師匠と通訳のHさんと街会わせしたのね。

ガーナのビザ取るのにえらく苦労してマドリッドの英国領事館で発行してもらい、めっちゃ痛い黄熱病の予防注射して野口英世先生に感謝しつ、先乗りで一週間早くカイロに着いた。

セミナー会場のパレスチナ難民病院を下見したり、メディナ市場で迷子になって泣きそうになったりしたが。何とか師匠と落ち合い、通訳のHさんが来るまでカイロの町歩きしたりピラミッド行ったり。
通訳のHさんは英語、アラビア語、仏語と堪能な女性で中東関連の著作もある方なんだけど。お互いにヘンなおばさんと思っていたね。でもボラとはいえ仕事で職能人だから、尊重しあって上手くやっていた。

そこで、パレスチナの歴史やインティファーダ(反乱蜂起運動)の実態、子供達の石投げ闘争の話を聞いて。難民の障害児の施設でも孤児になった経緯を聞いたんだけどもう泣くに泣けない気持になる。その後に国連関係の少年兵支援の方の話も聴いて、想像もつかない悲惨を知ったのだけど。



海外ドラマでも、イラク、アフガンで子供が地雷や爆弾テロをさせられて米国兵は民間人との区別がつかないとか。実際にボコハラムなどの子供を拉致して弾や盾に使う話はあるんだが。被害者も加害者も身体の損傷だけではなく一生残っていくんだよね。南スーダンでそういうことが起きぬようにと願うばかりだが。ISに処刑された後藤さんもこんな本を出していた。



そういう未来を子供達に残さないのは大人の責任でもあるように思うのだが。そんなこと日本に起こらないわよ考えすぎよって、言われるけれどね。既に魂の難民化しているようで気がかりなのだ・・

ご挨拶

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今年がみなさまにとって穏やかな年でありますように! ポルトガルのガロ。




年末の大掃除で風邪を引いて、年越しは引き篭もって過ごしましたが。みなさま穏やかな年越しのようで何よりです。

多くの別れも新しく友達になってくださった方もいらして、ネットの上でもいろいろな事があったけど。今年も書けるだけ頑張ろうと思っております。本年もよろしくね!