美しい国

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英国にはNHSという無料医療制度がある。スペインにも医療無料制度があって。有料の私立医療機関もあるから選べるんだけど、殆どの市民は無料医療制度を使う。

英国のこの制度は元炭鉱労働者の厚生大臣アニューリン・べヴァンが設立したのね、その理念は。

「病気とは、人々が金銭を払ってする道楽ではないし、罰金を払わねばならぬ犯罪でもない。それは共同体がコストを分担すべき災難である」って言葉に表れている。

その通りだよね。なりたくて病気になる人はまずいない。

人種も国も肌の色も、選んで生まれてくることはできない。それと同じように障害を持っことも選んで生まれる人はいないよね。先天的でなく、何らかの事故や病で障害を持つのも同じだろう。それはもしかすると自分や自分の子供に起きたか、あるいは自分にこれから起きるかもしれないんだよね。

相模原事件の犯人の「Beautiful Japan」という書き込みに考えさせられてしまう。障害者のいない社会を「Beautiful」と感じる感性が怖ろしく思える。

「Beautiful World」ではなくって「Japan」なんだよね。美しい国日本・・

差別に関する国際機関によれば、日本は、差別撤廃分野の34個の評価項目のうち27項目で100点満点中の0点(取り組みなし)と評価されているそうな。

突出した値で最下位。それも事務局から「致命的に取り組みが遅れていて、改善の動きもないわずかな国」の一国として名指しで厳しく批判されている。

銀座の大通りを、韓国人殺せとか練り歩くヘイトデモがまかり通っていたし、精神障害施設を視察して、あの人たちに人格なんてあるのかね。と発言した都知事もいたよね。一部の過激な輩、傲慢な知事の失言と寛容に過ごしてきた社会とメディアだ。

相模原事件の犯人の手紙の言葉は、独自のものではないのよね。極右団体や在特や日本会議の文言をなぞってる。そして、よくやったとはさすがに言わないまでも、隠れた氷山のようなものが底にある。

役立たずは死ねのような、年よりはさっさと逝けのような発信はあちこちに見られるし、そういう人達が政権中枢にもいるんだからね。

役に立つ人間ってさ、誰の役に立つ人なのか、何の役に立つ人なんだろうか。猫なんか何の役にも立たないけど、いてくれるだけで楽しいよね。手ばかりかかるけど、いなくなればいいなんて思わない。

プーチンやオバマ氏から弔文が届いたようだけれど当事国の総理は一言もないのかぃ。なんとも人に冷たい人が唱える、美しい日本ってなんだろうね。



中韓国人がぁーの人がツイッターで絡んできてki機嫌が悪いんだよね。アリゲータガァーのように繁殖している。 
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荒むということ

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まだ梅雨らしい小雨の降る朝で、遅くに起きて珈琲を飲みなが事件を知ったのだけど。

相模原の障害者施設の殺傷事件は、かなり衝撃的であれこれ想う。ツイッターで入所者を守れなかったのかと、施設の職員を批難するような言葉もあって、事件や事象の本質をみようとしないトンチキだと思ってしまう。

昔、保育園の待機の間に乳児共同保育所に預けていて、近くの精神病院と、未成年精神障害者の収容施設の看護婦さん、保母が共同で開設してたのね。

仲良くなった母親から実情を聞いてほんとに大変だと思った。
健常児(この言い方もなんだけど)なら話せば解るけれどコミニュケーションに疎外があると、ひっぱったり押したりして行動を促さなくてはならない。散歩に出て、それを見た近所の人に虐待してるんじゃないかと通報されたり。

8交代勤務で、自分の家族との折り合いに悩んだり。夜勤は女性保母一人で50人から担当、夜尿症、夜恐症の子供の世話で一睡もできない。お寝しょもしたら、シーツや寝巻きの取替えにも時間を取られる。

未成年と言いながら施設不足で21歳までの人が入所していて、性的行動で襲われたり、自傷行為やら食事をしない子供の見守りと聞いてるだけで疲れるような。今は大分改善されて、男性看護師導入や夜勤も緩和されてるんだろうけれど。

それでも、子供達は家族面会日に保母の腰に下げてる鍵束を触りたがる。知っているんだよね、家族が来るからドアの鍵を開けてほしいって。友達は優しいから泣けるって。面会にこない家族が多い。いない事にしたい忘れたい家族の気持も解らないではないけれどね。

こういう現場の実態を知っていたら、施設職員もさぞ大変だろうと思う。制度の不備や待遇もあるだろう。ただ、今回の事件は多くのことが絡んでいるから一概に言えないんだけど。

世間に荒んだ心根が蔓延していくようで怖ろしく感じる。他愛ない江戸物を書いたりするのは、人の情が失われていくようやりきれないのもある。

自分の弱さや不遇と向き合えずに、不満をより弱者に向けることで自己満足を得ようとする。不公平格差の社会背景からにじみ出る毒のようで、ネットも学校も町の中にも広がっていく見えない放射線のような。

人心の荒廃と対立を煽るかのような、政権姿勢とマスメディアに浸されてしまう。弱い者を叩いて自己満足に浸るようなね。障害者年金も削減やら廃止するとか・・

都知事選のニュースで、あきらかに女性候補をバックアップしているニュース報道ばかりでおかしいよなぁと呟いたら。いきなり鳥越氏は性犯罪者とからんでくる人がいて、女性の人権はいいのかとか客観性を持てとか説教してくる。

誰を支持しようが個人の自由だけど。もういいがかりも甚だしいので断った。一応覗いたら鳥越氏の攻撃しか発言してないから、たぶん女性候補のバイトかな。ネガキャンも陰湿だからねぇ。

「中小企業は日本の力、予算をつけて全力支援」って鳥越氏の選挙ビラみたいのはいいよね。町工場の様子が写真になっていて。ポジティヴに具体性を持つ政策表現はネガキャンより希望がみえるもの。

高江のように抵抗する住民は活動家、政権の理不尽に反抗する奴は過激派学生。国家の敵とかのメディアに流されてしまいがちなんだけど。

一つの事件にも多くの本質的問題が横たわっていて、それを見ようとしないとただ煽られて攻撃的になってしまう。どうも日本人は本質を見ることを怖れているような。現実的でないと私に言ってくる人は多いんだけど、その現実とは何なのだろうか。

狂気のような、パンドラの箱が開いてしまったような世の中で、正気を保ってことはなかなかにしんどいような。美味しい夕食でも作って元気出さないとね。
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手のひらの物語 鰯雲

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 なんか面白え草紙はあるかぃ。

そう声を掛けられて茂次は読んでいた黄草紙から顔を上げた。貸し本の箱荷を降ろして川沿いの土手で一息入れながら、つい草紙を読みふけっていた茂次はあわてた。

土手の奥の松林から蝉の声が賑やかな暑い昼下がりの八つ時。

 はいはいっ、曽我兄弟、源平物など史記物から季節柄のあやかし話、心中物から落とし噺まで色々とございやす。

 ふぅん、おめがえが読んでるのはなんでぇ。

 これは、天文所のお役が書かれた空の話を、子供向けに誂えたもんでやす。

 空にゃ何があるんでえぃ。

 ええっと、昼の空には雲がありやすね。その雲の形で節季の前触れがわかるとかぁ、夜の星で暦を作るとか、えーっとぉ。

 ふふ、貸し本屋は学もつくんだねぇ。門前の小僧ってもんだ。

二十歳を少しでた年頃の着流しの若い男は、隣にしゃがんで茂次を眺めると。

 おいらぁ、そこの豊洲屋の寮のもんで文七ってぇんだ。この辺りを廻っているのかぃ。

 へぇ、両国辺りはもう割り振りがあって。この辺りは寮も多いんで無聊の慰めに呼んでもらえることもありやす。

 佃の方に寄ると大店の暑気払いの寮も多いが、この辺りは囲い者が多いから大した稼ぎにゃならねえだろに。

茂次は懐から手拭を出して額の汗を拭うと、丁寧に畳んで懐に戻した。稼ぎを思うと疲れが重い。

 手前は、気が利かない不器用者でやすから、ご贔屓も少ないんで。足で廻るしかありやせん。

 ふむ、おいらのとこは下働きの爺さんと二人だけだからよっ。くたびれた時ぁ寄りなよっ。冷えた麦湯くれえあるしな、本も借りるからさ。

 へえっ、ありがとうございます。

数冊無造作に草紙を掴んで、きょうはこんだけ借りるぜっ。と笑った。

貸し出し帳に矢立で豊洲屋、文七さまと書き付け、ありがとうございます。また何日かでお伺いしやす。

茂次はへこへこと頭を下げ、若者の背を見送ってから、重い木箱を背負って立ち上がった。

深川六間掘りと横川に挟まれた湿った路地の地蔵長屋に、茂次は姉のおたきと住んでいる。早くに親を亡くして年の離れた姉に育てられたが、その姉も無理がたたって寝たり起きたりで縫い仕事も多くはできぬ。

十で呉服屋の丁稚にでたが、届け物の反物を転んで汚したと家に帰され。手伝い仕事をあれこれしても、愛想もなくてきぱきともできずに度々雇い止めにされる。やっと差配の知り合いの貸本屋から荷を借りて廻り貸本の荷担ぎになった。

愉しみは一息つく時に、汚さぬように草紙本を読むことで、おかげで寺子屋にも通わず何とか文字も読み書きできる。

そうやって豊洲屋の寮に暮らす若旦那の文七を、廻り仕事の帰りに尋ねるようになった。

茂、ちょいと外に出ようか、二日ばかり草紙ばかりごろごろ読んでたらさすがに飽いたわ。

二人は隅田川沿いを午後の土手風に吹かれて歩き、茶屋の外の床机に座って麦湯と葛餅を食べる。

おいらなぁ、旅に出てえな。
文七は川向こうを眺めるようにぽつりと言った。

若旦那なら、お好きな所にいけるんでやしょうよ。

ふん、おいらの家ぁ知ってのとおり銀座裏の豊洲屋で、まぁ大店の酒問屋よっ。
しっかりもんの兄に働きもんの弟もいて古番頭も雁首並べてる。しっかりときっちりが飛び交う店だ。おいらね。性に合わなねぇのよ。

おっかさんが死んで若い後添えが来て、嘆いていたおとっつぁんもすっかり張り切っちまってよ。弟も生まれてこれが、できがいいと大喜びさ。茄子かよっ。

世間じゃ豊洲屋は磐石らしいからもういいじゃねえか。おいらがいなくなればさっぱりしてしっかり固まる。おいらぁいらねぇのさ。

でも若旦那、そりゃ贅沢な言い分でございますよ。

年若の手前が言うのもなんでやすが。立派なご実家があって、喰うに困らねえからそう仰られるんで。手前なんぞお先真っ暗ってありさまで、姉が寝付いてしまったら薬代も鼻血もでねえでやすから。

どぶ板踏んで長屋巡って、足を棒にしても枡で米が買えません。

ふむ、そうかもしれねえ。贅沢だってね。でもさ、生きてるって何だろねぇ。おいらぁ身体が弱いってことでぶらついてるが、博打も女遊びもしねえ。おまんま食べて息してるだけだ。茂と何が違うんでえ。気鬱病だって言いてえんだろ。

だけどよ、物指しで計ったような道筋から外れると野たれ死ぬってことかぃ。おいら世間って四角い枡が合わねえの。こんなおいらだからてえした覚悟なんてねえんだけど。草紙読みながら考えた。

旅に出てそのありさまを書いてみようかってさ。大山参りやお伊勢さんばかりが旅じゃぁねえだろ。あそこの茶店の蕎麦がうめえとかさ。

ほむ、若旦那、そりゃあいいでやんすね。湿った長屋からしょうげえ出られねえようなもんには。身体使い倒さねえとおまんまも喰えないようなもんにも、夢だもの。

そりゃぁいいでやすよ。もう一度、小さな声で茂次は言った。

そうなんでやすね。人にはやれることとやれねえことがあるけれどね。やれるもんがやらねえといけねえんでやすよ。若旦那が旅に出て、旅の話を綴ったら、おいらその草紙本を貸して廻るでやすよぉ。

ふふ、茂そんなみみちいこと言わず、版元になって売り出しておくれな。おいらも愉しみが増すってえもんだ。なぁに金は天下の回りもんよ。

またまた若旦那。そんなこたぁ、金に困らないお人が言うことですってば。

あれっ茂、ありゃ鰯雲じゃねえか。文七は大川の海に溶けるあたりの空を指差した。

あーっそうでやすねぇ。鰯が泳いでやす。もう秋も近いんでやんすねえ。旅に出るにやいい節季でやすねえ。

二人の若者は、松林の上にかすかに泳ぐ鰯雲を、ながいこと珍しい物を見るように、並んでながめやった。


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半分の希望

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 二日ほど夏風邪で体調が悪く、寝たり起きたり横になって海外ドラマや映画を観ていたが。今朝は高江の反対住民の暴力排除の動画が流れていて胸が痛む。

70年の沖縄闘争がなんだったかも知らない人が今は多いだろうけれど。非武装の抵抗にできることとは思えない。櫻井なんとかではないが沖縄は本土の捨石と平気で言っちゃうんだね。

 ネットでも言葉の荒れ方がさらにひどくなっているようで、陰湿な冷笑からあからさまな暴言や意図的なデマが横溢していてうんざりする。

貧すれば鈍するって言葉もある。心身や環境的に追い詰められると、ゆとりも寛容心も鈍くなって、平気で人を誹謗したり攻撃したりするようになってしまうんだろうか。

ネットの友人達も警鐘を鳴らしているけれど。他者が失うものを自分の得点にカウントするような心的傾向で、それに自己満足する卑しさに無自覚になってしまうのか。

何時ものようにあまり論理だてて語れないんだけど。内田氏が「半分の諦め」という記事を書いていらして。

「憲法に「家族」の規定がなければ家族が崩壊するとか支離滅裂な主張を、首相や日本会議の人が真顔で語るが。彼らが改憲草案の「家族条項」で何を意図しているかは内容が示していると。

一人ひとりの日本人が「個人」として独立した思考を持つ社会だと、戦前のような「国民が国家体制に献身奉仕する」図式は作れないからね。

国民から「個人」としての意識と自由を奪うには、特定の集団に帰属させて、帰属先の集団に思考や行動をゆだねる必要がある。そこで「家族」が出てくるんだよね。

大体が、リベラルな自由な考えを持つ人は群れる事を好まない。多様性を認めるってことはそういう事だしね。
一方全体主義的なタイプの人々は、容易に一丸となるんだよね。選挙とか政党とかっていうものも、ある意味で一丸となれる人の方が強い。一色に染まった塊はまた扇動しやすいしね。

海外でもそうだけど、家族や兄弟姉妹がが同じ政党支持や投票先が同じなんて無いよね。それは家族愛とは別のことだから。むしろリビングでTVのニュースなど一緒に観ていても議論になる事も多い。我が家でも息子とは当然意見が違うし、ここに投票しろなどとは言わない。当たり前よね。個人として相手を認めているからこその議論だし、判断は個のものだから。

ところが現政権や日本会議が理想とする社会は、家族全員が同じ政治思想を共有することで。それが「家族条項」の意味する一側面だと思う。家族に非国民がいることを許さないみたいな。

平気で「家族を持つ権利は豊かな者だけが享受できる特権だ」言う人間がさえ出てくる時代なんだねぇ。もう社会システムの崩壊だよね。

トランプ夫人が共和党大会で演説して、オバマ大統領夫人ミシェルの演説の盗用と騒がれたようだけど。トランプ夫人は典型的なトロフイーワイフとアメリカで言われる方だろうか。裕福な成功者が若くてスタイルのいい美人をトロフイーのように飾るってことね。女性の成功は美と若さという武器で成功者の夫を勝ち取る事ってのはハリウッド映画ではよく見られる。

稼げない男女が一緒になっても弱者連合で、本人たちがそれでよくても次の世代が浮かばれないって、時代錯誤にも思えるがそれが今の日本の現実にもあるんだろう。自分は考えなしの惚れっぽい女なので、貧乏人ばかりと連れ添ってきたけれど。愉しいことも一杯あったからね。

日本の鬱病患者はうなぎ昇りとか、鬱になるのは、現実社会に希望を感じられないからで。それでもなんらかの可能性や希望をどこかに抱えているからだとも思うんだけど。

出来ることは少しでも楽しく日々を送る覚悟を持つってことだけど。楽しく生きる自由民だと錯誤しないこと。と言う内田氏の言葉は胸に落ちる。どんなにひどい社会の中でも愉しくいきることを失わない、それが活力ってもんだからね。

この先頼りにできるのは、今のところあまりスマートには見えないけれど、いずれ「ひどいこと」が起きたときに、どこにも逃げずここに踏みとどまって、ささやかだがそれなりに条理の通った手触りの優しい場、人間が共同的に生きることのできる場所を手作りしてくれる人々だと。

その言葉にはとても共感するのだけれど。若い人たちに逃げずにしたたかに闘えと言うのは、ちょっと辛いなぁ。

そういう子供たちは、たぶん今の学校教育の場ではあまりぱっとしない。「これを勉強するといいことがある」という利益誘導にさっぱり反応せず、「グローバル人材育成」戦略にも乗らず、「英語ができる日本人」にもなりたがる様子もなく、遠い眼をして物思いに耽っているような子供。

何かをあきらめているのだが、それは地平線の遠くに「どんなことがあっても、あきらめてはいけないもの」を望見しているからだと。それは希望だけれど。

そういう子供がイジメに遭い、教師に傷つけられ家族に恥じのように言われて潰れていくような社会を大人が作っていないだろうか。忸怩たる思いにさいなまれつつも、取りあえず起きて珈琲を淹れる。

どんなことがあっても、あきらめてはいけない何かをぼんやりと遠くに眺める。



しくじり人生

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世の中に完璧な人間はいないんだから、誰でも失敗やしくじりや勘違いをすることなど、日常にありふれてるのよね。

昨夜、珍しくTVの地上波を夕食の支度をしながら流し見していたら、「しくじり先生」って番組をやっていて、これ最初は夜遅い枠でやってたんだよね。こういう深夜枠で面白い番組ってゴールデンになると一気に面白くなくなるんだけど。毒が無くなっちゃう。

お笑い番組っていうのがほとんど無くなって、いじり芸も下品な卑しさばかりで殆ど見ないんだけど。
漫才ブームの火付け役だったB&Bの島田洋七が出ていて、漫才ブームの頃のビデオなど流れるので懐かしく眺める。やはり喋くり漫才ってすごいなぁ。やすきよや東京のスピード漫才もね。洋七は全盛期は一日8千万も稼いだそうで月100本も仕事があったそうな。でも税金75%はきついよね。

貧乏な母子家庭に生まれて、佐賀のがばい婆ちゃんに育てられ、大阪から東京進出して成功したんだけど。彼のしくじりは思い付きをすぐ行動にする。人の話を聞かない。調子付いて思い上がるとか。全部自分にもあてはまるので、そうだなぁと頷きつつ。振り返れば、しくじりばかり思い浮かぶもん。

ただ、稼いでいた時も、身ひとつで頭と身体と手足を使ってやってきたから、右から左に無い物をあるように動かして儲けたことはないね。芸人だってそうだろうが。

洋七も常に「ええでぇ」と彼を認めて受け入れてくれた相方やタケシのような仲間がいて、自殺未遂から本を書いて立ち直っていったように。時に運に見放されたり、自分の無力に臍を噛むような時もあるのが人生で、時に人の言葉に支えられたりね。

どなたかが、誰にでも失敗する権利があるって言ってたけれど。産まれた時から順風漫歩で生涯を終わる人もいるのかもしれないが、人はしくじる生き物って思えば、自分や他者に寛容な気持にもなるはずだよね。まして生まれや人種は選べないんだし。

まぁ、心がけていても周囲に迷惑を掛ける事もあるだろうし、家族を不安定にすることもあるだろうが。個人の範囲ってあるから悪事だって程度ってあるもんよね。

イタリアの最高裁で、「何も食べられないような苦しい状況で、少量の食べ物を盗むのは犯罪ではない」って判例がでたそうだけど。収賄や目先の欲で多くの人に被害を与える事とは、同列には捉えられないよね。介護に疲れての殺人と、詐欺やペテンで、人を自殺に追い込むのはどちらが罪が重いんだろうか。

ちょっとだけ都知事選の話で、東京を核ミサイルで武装すべきとか、軍事法廷の復活とか。子供の保育行政で認可基準を緩和して狭い場所でも保育所にするとか、挙句の果てには、庶民が金を出し合ってひもじい子供に無料で食事を提供する「子供食堂」を利用しろとか。本気なのかね・・



都民じゃないんだけど、原発とか憲法問題や緊急事態条項はずべてのこの国の人に降りかかることだし。首都東京の指針は一地域の事だけではないからね。それを考えてメディアに流されない選択がされるといいと願うばかりだ。

個人のしくじりには寛容に、政権力や行政には厳しいようでありたいね。

物語る

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元気がで無いんで前の動画貼ったんだけど。彼はフリオ・イグレシアスの息子のエンリケ・イグレシアスで、何度目かのフリオのフイリピン系の妻との間に産まれたのね。離婚によってフロリダで育って、父の名前を隠して音楽活動をして売れてから父親がフリオだって知らせた。

いまや、アメリカでもスペインでも人気のある売れっ子歌手だけど、よく眺めるとフリオの色気みたいなのが伺えるなぁ。踊ろう君と、生きよう君と、話そうよという他愛ない歌詞だけど、エンリケと地域の人々って副題が「ハッピー」みたいで楽しい。

ちょっと、熱中症っぽいめまいや頭痛があったりで、夏休みにするぞっ、と家事サボる宣言したのに。気がつくと洗濯機廻したり、冷蔵庫チェックなんかするのが、生活人の習いというものか。やはり旅にでもでないと日常というものから離れられないものよね。

ネットも都知事選やらトルコのクーデター、仏のテロ、これはISの関連性はまだ不明のようだが、なんとも騒がしいのだけど。

日本語っていうのは大変情緒的な言語だってネット友達が話していて、バイリンガルの人達が、議論をするのに日本語の曖昧性を感じるのは知っていたんだけど。白黒決着的でない、いい塩梅は日本語の良い面でも特徴であるのかもしれない。比較言語学でもなくこれも感じだけ。

鳥越さんへの批判も多く見かけるんだけど。彼が日刊イトイ新聞に長く「あれくさこればい」ってブログを連載していて、ジャーナリストの側から見た事件や自分の家庭のことなどで、愉しく読んでいた。

政治的な発言などでは、TVの制約もあるのか、ぬるいこと言ってるなぁと眺めた事もあるけど。そのブログでは生活者のぼやきみたいな、夫や父親の顔も伺われて親愛感が持てたし。桶川事件の時など、心から警察や司法に怒りを持って被害者の側から追求していたのを覚えている。

あまりこまかい政策を問わなくても、そういう、声の上げ難い側に立って政治を見直してほしいという、自分もぬるい発言だが。

おまえは、左とか過激派だとか黒だとかって二者択一の白黒コメントが多いんだけど。フツーも正義も常識も一つの四角い形ではないんだよね。価値観だって経験や年や出来事で変わって行くものだからね。

手のひらの江戸物の書きかけは、こんな感じで。

<白扇連>

上野東叡山寛永寺の奥深い木立のはずれ。瑞観寺という小寺があって、広い庭に春は梅、桜と、近隣の者達も参詣がてら訪れる。その離れ、障子を開け放つた八畳ばかりの部屋に十人ばかりの人が円座に座り、時にしんとなり時に笑い声が上がる。

白扇連と呼ばれる川柳の集まりで、主催は神田下町の茶問屋駿河屋の隠居の五兵衛であった。

それまでは、高家貴族や大名家で愛飲された宇治抹茶は高価で。大御所さまも大層茶を好み、以来歴代の将軍家も特別な宇治茶を千代田の城に運ばせていた。

それはお茶壷道中と呼ばれ、旅人も大名行列も街道に膝まづいてそれを通したもの。わらべ歌に、ずいずいずっころばしごま味噌ずい 茶つぼに追われてどっぴんしゃんと唄われたのはこのことだと云う。



後に京の水谷宗円が生葉を蒸しほいろで揉み乾かし、色香味ともに良い茶葉を編み出してから一挙に江戸の町の庶民にも煎茶が飲まれるようになったようで。

駿河や信州と茶葉の栽培も奨励され、値も庶民の手が届くようになったが、それでも農家では茎や枝茶、貧乏長屋では土瓶や鉄瓶で煮出した番茶がせいぜい。この集りでは駿河屋の美味な茶が振舞われる。それを目当ての者さえいたのだが。

駿河屋の隠居は、雅号を白扇と名乗る通人で、てて親に厳しく丁稚から仕込まれて育ち、跡を継をとってからもうだつを上げた商人で。背中も丸い白髪頭の品のいい面立ちで、息子に身代を譲って四谷左門町に小さな家を建て、身の回りの世話をするたきと呼ぶ老婆と隠居暮らし。

川柳仲間は、瑞観寺の宗主、瓦版屋の仁吉、小唄の師匠おたつ、紙筆問屋の手代の猪吉、は組みの小頭、長屋住まいの奥州浪人大二郎と顔ぶれもさまざまだが。
瑞観寺は駿河屋の贔屓で、門前茶屋の常連やらその長屋仲間といまや十人ほどになっていた。

のまぬやつ 弁当食うと 花にあき こりゃ仁吉の夢やさんのだね。下戸の夢やさんらしいですなぁ。
花の枝持って 風雅な行きたおれ こりゃ大二郎せんせの奥仙さんかぃ。これもなかなか風雅にてせつないねぇ。

かかってこいと 生酔い 花をふり廻し。これは小頭の火の用心さんだ。花見と喧嘩は江戸の華だが無粋はいけませんなぁ。などと白扇が読み上げてはみなで批評しあうだけ、最後に一句決めては褒美の極上茶が授けられるだけの気楽さだ。

けれど、その日の終わりに寺の宗主から困りごとがあるんじゃが、相談に乗ってもらえぬかと口が切られた・・

はい、ここまででやんす。何で物語など書くのかは「遊び」で「手慰み」でしかないんですが。そこからお茶の歴史を探ったり、当時の呑気さや人情が愉しいからにすぎない。なんの得にも徳にもならないんだけど。

眦決してハチマキ〆て、しゃかりきになる時があっても、どんな時も少しの曖昧さ、少しのいい塩梅は忘れないようにと思っているんだよね。というので少しまた夏休みでやんす。

ミーハーの考察

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スペインのおばちゃんは時々鋭いと思う。おせっかい、噂好き、欲張りで亭主に威張るとかどこにでもあるオバタリアン的厚かましさもあるんだけどね。家族愛が強く敬虔な面もあって洞察は鋭く情は深いような。

夜遅くに落ちようかとツイッターを眺めたら、今上天皇の退位表明と宇都宮さんの都知事選撤退のニュースを見て、ふうむと考えてしまう。天皇様は皇太子を守りたいのだなぁってコメントも見たが。

皇室フアンでも無いし、王室ウオッチャーでもないんだけど。スペイン王家や貴族の方々も多少見てきて思ったのは。

ホアン・カルロスはフランコの継承者指名を受けて王位についた。年越しにはホアン王が一時間TVで新年への挨拶をするんだけど。アスコットタイにジャケット羽織って椅子に足を組んで座って、その年にあった出来事への自分の思いや新年への抱負を語るのね。

それをある大晦日、たまたまバルのTVで見ていたおばちゃんが、カルロスって男前で渋いわよねーって隣の私に話しかけてきた。私も頷いて、そうね気品がありますねっと言うと。それに賢いわよ。フランコは私は嫌ったけどね、二つはいいことをしたの。一つは第二次大戦に参加しなかったことね。もう一つは後継者に身内を選ばずにホアンの資質をみて後継指名したことよ。

おや、鋭いわぁー。おばちゃん侮れないのである。たぶん亭主がそう思っているとかじゃなくって自分の感覚なんだろうなぁ。

スペインのおばちゃん御用達の薄っぺらい黄色雑誌は、王家の悪口やスキャンダルも載るんだけど。ホアン王が奥様がベジタリアンでこっそりステーキを食べるんだと記者に告白とか。なんとか伯爵の未亡人の若い男漁りとかもね。そうやって皮肉やからかいがありながらも、親愛している様子も伺える。

ホアン・カルロスが即位して、フランコ支持の軍人保守派も文句は言えず。議会民主主義に穏やかに移行して、反フランコの人々の支持も受けたんだからね。暗愚ではないよね。

それに夏休みに王妃が友達と避暑地でお買い物している写真とか、王が犬の散歩に出る姿も、サッカーの試合にロイヤルボックスでなくブルゾン姿で娘と現れたり。そりゃ警備も大変だろうけれど、自由な市井人と変わらない様子が親愛を生む。比べては失礼ながら、日本は窮屈でタブー化されているように思える。

スペインの貴族階層は、経済人でもあって金融や商社を営む方が多い。肩書きや名前だけでなく実権力もあるってことね。当然、善き人もいればコスイだけの人もいるし、篤志家や美術評論家、コレクターもいる。ただそれを批判したり風刺したりする自由もある時代を、庶民も喜んでいるんだろうね。今はホアンは退位して息子のフェリペ王だけど、すっきりしていて愛妻家で弁舌も立つと、庶民の評価は概ねいいようだ。

都知事選も、政策要綱からも宇都宮さんは聡明な人で得にもならない地道な弱者救済をしてきた方で。それは安易な売名だけでは出来ないことよね。鉄壁の現政権体制に向かえる人だろうとも思う。それが今回かなり苦渋な決断だったろうと胸が痛む。それを受け止められない野党、鳥越さんではオワルよね。

御輿はバカでは困るが華も必要なんだろう。けれど政策は地味で実現可能な所から手をつけていくしかない。どうか、より善き方への一歩であるようにと思うばかりのミーハーなんだが。

出稼ぎとか

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出稼ぎって、自分の住んでいる場所では働いて稼ぐ事ができないから、他の土地に働きに行くことだよね。

の東京だって、殆ど地方から出てきた出稼ぎ定住の人が多いと思うの。三代浅草水で顔を洗わねえと江戸っ子たぁいえねえよっ、なんて言われるが。

東京育ちの自分だって、母方の祖父は山梨県から東京の下町に職工として出稼ぎに来て住み着いたし、父方の祖父も鹿児島、滋賀、東京と流れてきて味噌万って親類の家で番頭してたし。

実際の江戸時代だって、当初は家康地盤の三河者、駿府の商人の東下り者が作ったのよね。土地柄や県民性っていうのもあるだろうけれど、長く住んだら土地者よね。

昔は、冬や農閑期には東北人の出稼ぎが多くて、土木建設、港湾と季節労働者って呼ばれたり。中卒の集団就職なんてのも金の卵とか呼ばれて重宝されたものだが。

出稼ぎに行くのが愉しみって人もいたのかもしれないけど、家族と離れて生活の為に、馴染みのない土地で暮らすのは淋しい。今では長期出張とか海外出張とか近代的に言われるけど、これだって長期になれば出稼ぎみたいなもんだね。

灯台守とか海洋関連の方や、商社などでは各地を転々としなければならない。家族ごとの移住も大変だろうし単身赴任も味気ないよね。

欧州の難民問題は、最近は移民問題と混同されがちだけど。緊急脱出と経済移民は本来意味がちがっているんだよね。先進国は経済成長に合わせて移民を呼び込んだり増えれば問題が起きると締め付けたりするけど。人と家族の命や生活が掛かっているだけに、先進国の都合ばかりでは堪らない気持になるだろうね。そこに排外主義や人種差別が絡んでますます複雑になっている。

移民だって善人も悪い事をする人もいる。それは現地でも同じなんだけど、人は自分の土地や人種には甘く対外者には厳しい目を向ける。

スペインも、一時期アフリカからの密航者が増えて、寒い冬で公園の野宿していた人が凍死した。家のすぐ横のスペイン広場だったから近所の人がデモを起したのよね。野宿者救済を求めたの。

坂下のバルに近所の太ったおばちゃんがデモの帰りか2人で入ってきて、珈琲を飲みながら話していた。

内の亭主もドイツに何度か出稼ぎに行ってたしねぇ。そう、内の甥っ子もスイスとベルギーに行ってたわよ。

亭主が無事に帰って来た時は嬉しかったわぁ。甥っ子もね、親切な雇い主に恵まれて仕事覚えて帰って来て今は店やってるからね。家族から遠く離れて公園で死ぬなんて哀しいわよ。そうよお互い様だわよね。せめて泊まる所位儲けてやらないと市もひどいわよ。

こういう所がスペインおばちゃんのいい面なんだよね。それで騎馬警官が見回って寄付の毛布を配ったり、施設に収容したり、出稼ぎビザの発行が始まった。

出稼ぎビザ貰えば10ケ月働ける。その間に長期雇用をしてくれる雇用者を見つければ、税金を払う労働ビザの申請が出来る。申請中は続いて働ける。これはどうせ働くなら闇で働いて税を納めないより、納税する労働者にしようって方針もあったんだろうね。

そうやって1年ビザ、3年、5年と真面目に働いて納税すれば、10年の労働ビザが得られる。自分達もそういう手順で労働ビザを得た。すぐEUになったからEU何処でも働いて居住できるのね。残念ながら今は失効しちゃったんだけど。

そうやって寛容な行政や親切な近所の人に出会えば、その国を愛するようになるよね。日本の海外研修の奴隷的扱いの記事など読むと、日本がそれで移民を入れようなんて何考えているんだろうと思うが。

永六輔さんも亡くなって、小沢昭一、野坂昭如とか、TVが熱い時代も遠くなる昭和も遠ざかるだね。筑紫哲也や鳥越氏のジャーナリスト時代は、ぬるいこといってるとか思った事もあったけど。今思えばまだジャーナリストの気概があったかね。戦争の痛みを知っている人が、行政の上につくのは悪い事じゃない。

都知事選も色々、水面下だとかメデイアジャンプだのと、相変わらずの政争も伺えるけれど。せめて政権暴走の歯止めの一端になるといいなぁ。いっそ鳥越知事、うつけんさん副知事とかならないもんか。こういう事言うとまずいのかな;

参院選は珍しく自分が入れた方は地区でも比例でも当選した。都民じゃないから権利はないんだけどね。野暮はいけねえよ、野暮は。とぶつぶつ呟く。

ぐったりの午後

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あまり暑くてエアコン二度目の稼動日。ぐったりするのは選挙後のニュースもしかりで、選挙前には一切報じなかったくせに改憲勢力勝利みたいな文字が躍る。

選挙前夜のNHKニュースでも、選挙に一切触れず政党の政策も示さず、明日は納豆の日ですって言ったようで。まったくメディアを抑えるって効果絶大だねぇ。街頭宣伝の無い国々では、党首や候補者にキャスターが鋭い質問を浴びせて、連日TVでも政策議論が白熱するのにね。すごい国だとつくづく思う。

納豆に罪はないけどね。納豆は腐ってるにゃと思う人もチョー美味しいと思う人もいる。

ネットの友人(これは自分が勝手に思ってるだけ)が子供を連れて日本を出る決心をしたようで。その気持は痛いほど解る。彼女は小学校の教育指導要綱をちゃんと読んで、地域の活動にも参加してきての決心で。美しい帽子をデザインして販売している方なんだけど。朝礼で国旗掲揚、国家斉唱が義務になるような教育が目の前だからね。被爆の影響もあるいね。

神武天皇以来の歴史を憲法に取り入れるとか、全面的に憲法を変えるとか、八紘一宇の人がトップ当選したり政権トップなんだから。皇国史観も神話も個人が信じるのはまったくの自由だが。政治として行使することは意味が違うよね。私もオカルトでオタクで偏っているかもしれないが、誰かに強要したり脅かしたりはしない。争うのは嫌だからネトウヨ(この呼び名もヘンだけど)の方々に噛み付いたりもしない。

ツイッターで流れていたけど、米国の40代の白人男性が夜中眠れずポケモンGO(一種の地理ゲーム)を持って散歩に出たら、あやしげな黒人の若い2人組みが寄ってきて、身構えたら彼らもポケモンやっていて、立ち話してたら警察官がドラッグ売買かと寄ってきて、彼もポケモンやっててみんなで盛り上がったとか。そんなもんなんだよね。

意見や人種が異なっていても、話せることや親愛を覚える事などいくらでもあるんだよね。

人情とか言うと古臭いとか嘲る人もいるけど。どんな国の人でも、どんな人種の人にも人情はあるもんで。日本を出る決心をした彼女に、どんな国に行っても人生はあるし善き人々もいるんだから、幸運を願うとコメントした。

意見や立場や人種が違っても、雨に濡れた子猫を見たら何とかしたいとか、飢えてる子供や戦火で子を失った親をみれば胸が痛む。目の前でなくとも映像や悲報を知れば想像するよね。

どうもそういう想像力を育てる養育から遠ざかり、政治も硬直した拝金主義や駆け引きばかりで人間性を閉じ込めるようなね。ぐーだらラテン系の私など、みんなぬるく呑気に愉しくやれるといいなぁ、と想うばかりで。過激な左翼主義とか言われても、ふぅーんと思うだけなのだ。

まずは熱中症で倒れぬように夏を生き延びよう、の午後のぼやき。