秋の風に初冬の冷たさが混じる七つ時。九助は、横川の船着場で葛西や押上村の船荷が着くのを待って仕入れると、山芋や青菜を背負い籠に入れ背負った。

 風が冷たくなると、明け方に日本橋横のやっちゃ場に出かけるのはおっくうで、前の晩の客が居座って飲んでいると。どうしても朝が遅くなる。

 横川の船着場の馴染みの老船頭は、山芋の上物や白葱の泥つきを九助のために取り置いていてくれる。まったく年はとりたくねぇもんだぁ。背中の籠の重みに思わず九助がぼやくと。

 おうよ、おいらも隠居してぇもんだが。畑仕事は得てじゃねえから息子夫婦に任せてよ。舟ならお手のもんだ。孫も三人とくりゃ世話にならずに死ぬまで、船荷漕ぐっきゃねぇやな。

 おたげえ、無事にここまでやってきたんだ、もうひと働きよ。

 そうだなぁ、九さんも達者がなによりだ。

 お宝はこれっきりだからな、達者が宝だぁな。筒袖をぴんと張って笑うと、ゆっくり南割り下水の店に戻っていく。

 六間掘りの堀端を歩いていくと。小橋の柳の下に、前髪の子供が座り込んで濁った堀川を見つめている。

 おや坊、どうしたい腹でもいてえのかぃ。

 あ、いいえ。ご心配ありがとうございます。

 見ると身奇麗な筒袖の着物にたっつけ袴、言葉使いも丁寧で見上げる顔は愛らしく、くりっとした双眸も澄んでいるが。何より驚くほどでこが広くでっぱっている。

 おっかさんにでも叱られたのかぃ。

 いいえ、そ、そのぉ少しお腹がすいて。

 おや、家に帰れば何かあるのかぃ。団子でも購(あがな)ってやろうかぃ。

 首をふる少年に、こりゃわけありだなと九助は、心配しねーでこっちへおいでと伴った。歩き出すとその子が右足を引き摺っているのに気づく。

 店に戻ると、炊いてあった白飯に味噌を混ぜて握ってやり前夜の煮ころがしを出してやると、両手を合わせて美味しそうに頬張る。

 お武家の子にはみえねぇが、なめえはなんだぃ。

 あたしは福助と申します。

 ほほう、縁起のいいなめぇだね。おいらは九助ってんだ、ここはおいらの店だから、気兼ねしねえでゆっくり喰っていきねぇ。

 ありがとうございます。
握り飯を平らげると、淹れてやった番茶を、ふうふうしながら両手に包んで口に運ぶ。

 なんかぁわけがあったのかぃ。

 福助は、ちょっと店の隅に目をそらせたが。ゆっくりと話し出した。

 あたしは、吉原の揚屋で勤めておりました。ほんとうの名前は三太と言います。縁起物の福助に似てると、内所のおっかさんが名づけてくれて、お客様が上がる時に、裃つけてはお迎えして茶など立てたりするんです。

 ふむ、変った仕事だが。実の親はいねぇのかぃ。

 はい、揚屋の花魁の桜花が母ですが亡くなりました。内所の女将さんが、よそにやらずに引き取ってくれて、茶や花など習わせてくれて。私が客を迎えると繁盛して、客もゲンがいいと心づけもいただけますし、花魁達も可愛がってくれたのですが・・

 そりゃ運がよかったなぁ、どんな勤めでも立派なもんだ。内所のおっかさんは心配してるだろうよ。

 いいえっ、あたしを大川端の店に売ったんです。福助はちょっと俯いて首を振った。

 おやおや、可愛がってくれていたんだろ。

 あたしもそう思って、恩返しがしたいと励んできたのですが。お使い帰りに、日本堤の土手で荷車を避けようと転げ落ち右足を傷めてしまいました。それで縁起にきづが付くと。それにもう前髪降ろしたら福助はできないから。

 大川端の料理茶屋で働けるだけ勤めて、幇間芸でも覚えてくればまた使ってやってもいいと。習い事で金を掛けてやった元は返してもらうからと売られたのです。

 ふうむ、品物みてえな扱いかぃ。新しい店は塩梅がわるいんだね。

 知った人もいないですし、びっことかでことかからかわれて、女将さんもきついお方で、煙管で下働きを叩いたりもするんです。幇間のデン介さんだけが庇ってくれて、座敷芸を教えてくれたりします。

 小遣いもねぇのかぃ。

 はい、売られた身ですから。揚屋のように心づけを下さるお客様もいませんし、時々デン介さんがそっと波銭下さいます。

 おめぇも、まだ子供なのに苦労してるんだなぁ。けれど、挫けちゃいけねぇよっ。まだまだこれっから先はなげぇや。

 長屋の餓鬼どもは、つぎはぎのたっつけ着物で腹を減らしてかっぱらいもやる。親のいねぇ物乞いの餓鬼もいる。おめぇは身奇麗で働き口もあるんだからな。座敷芸だって芸は芸さな。懸命に覚えて名のある幇間になればいいやな。立派な幇間になって、吉原内に呼ばれるようにおなりよっ。

 おいらも何にもできねぇが、握り飯ならいつでも来て喰っておいきな。それで何をならっているんだぃ。

 福助は少し元気が沸いたのか、にこりとして、いまはかっぽれを習っております。

 ほおうそりゃいいなぁ。かっぽれかっぽれ、よぉいとなよいよいだぁ。九助はおどけたように唄ってひらりと手を振った。

 福助は声を立てて笑うと、手をぱちぱちと叩いた。

 九助さん、ありがとうございます。ごちそうさまでした。わたしは店に帰ります。かっぽれを覚えて、その内に大川端一の幇間になります。

 そうでぇ、その意気だ。おいらも楽しみができたぜっ。川筋一の幇間のかっぽれを見てえもんだな。

 福助は、丁寧に腰を折って辞儀をすると間口から出て片足を引き摺りながら、それでも前を向いて南割り下水の路地を歩いていった。

 九助は、ひょこひょこと歩き去る小さい背中に思わず。

 おめぇはきっといい幇間になるぜっ、人の弱さを知ってこそのおちゃやらけ芸だな、人さまを愉しませる立派な仕事よっ。福を呼びなせぇよ。

 初冬の風が柳を揺らす夕暮れ時の堀端に、陽気なかっぽれの唄が聞えるようで、九助はその背中を暖かく見送った。