あれれっ、今日は店仕舞かぃ。

 へぇ平さんおいでなせえ。今日はね、町内で権現様に紅葉狩とかいって。たまにゃあ若い奴にも休みをやろうかと思って出しちまった。おいらぁひまだから急な客でもあったらと店で一服してたとこさ。

 親父もいいとこあるぜぃ。それじゃ髪梳きからゆっくりやってもらうかね。おいらも今日は大工仕事も休みでよ。

 けれど髪結い床の静かってぇのもなんだか落ち着かねぇやな。近頃ぁ世間も何かとせちがねぇもんだが、なんぞ心持ちの暖ったかくなるような話はねぇかぃ。

 そうよなぁ。米味噌はあがるぁ薪炭は値あがるは、町の暮らしもせちがねえからね。儲けるのは札差しや倉持ばかり。髪をあたるもんもずんと減りやしたよ。

 あ、そうそう。こんな話があってね。これぁ先日の長雨で客がこねえから、若いもんけえしておいら独りで一服してたとおもいなせえ。

 ほむ、親方も煙草ずきで一服ばかりだねぇ。

 そこに菅笠の薬売りがやってきた。内のかかあが頭痛持ちだからよ六滋丸でもあがなおうかと思ってね。薬売りもついでだから髪を当たってもらおうかってことになったのさ。

 薬売りってぇのは諸国をへ巡ってるから面白え話も知ってるってぇもんだぁ。それでねあっしも尋ねてみた。
 越後の雪里の弥七つぁんて薬売りでね。ある時仕入れに加賀様の御城下の問屋に行くと、そこの手代に頼まれごとをしたと。

 その手代も越後の生まれてふた親を無くして弟妹が十人もいたらしい。あちこちに里子に出しても親類も受けきれねえ。それで困って廻り薬売りの徳兵衛ってもんに末の妹を預けたそうだ。
 まだ幼い末娘だ手放すのは辛かったようだが、江戸へ行けばなんとか生き延びられるだろうってね。

 まぁそうさなぁ。岡場所や水茶屋にでも下女奉公すりゃ、まんまだけは食べられるからなぁ。あにいも辛かったろうさ。江戸はいまや子も少ないが田舎ぁ子沢山だしよっ。薬売りってぇのは商売の繫がりが深いっていうしなぁ。

 それで弥七さんは同業の徳兵衛どんの足跡辿って江戸に来てその後の話が聞けたんだと。

 そりゃよかったなぁ。娘ッ子はめっかったのかぃ。

 徳さんが世話した口入屋に行くと、確かに奉公を世話をしたんだが。それがね、器量がいいのも善し悪しで、手代に乱暴されかかったとか次の茶屋でも下男の男にいたずらされたと泣いて逃げ戻ってきたんだと。

 口入れ屋も困ってね。そのままじゃ苦界に行って春でも売るより仕方ねぇ。年端もいかねえから気の毒だぁ。受け状書いてやるからおまえ顔に灰炭でも塗ってお武家町の方でも探してごらん。御武家の家内なら奉公人にも厳しいから変なこともされめえ。まんま焚き位なら置いてもらえるやもとな。

 ふむ、しかし武家方は身元もうるせえだろしなぁ。

 そんで、そのおちょって娘ぁ足を棒にして歩き回り。通りすがりの奉公娘に尋ねてもそんな御屋敷はねえだろうと。へたりこんで大名小路の外れの荒れ屋敷に潜り込んでの縁の下で寝ちまったそうだ。

 その御家は松岡様といって、御徒歩目付けまで勤められた方の御家だったが残された一人息子が跡を継いでね。祝言をあげてお役を継ぐ所までいったが。なにがあったのか奥様が三月と立たず無役の若侍と駆け落ちしちまったのよ。

 ふえぇっ。そりゃあ豪気だなぁ。武家の娘っていっても女心はわからねぇもんだ。

 そんで、松岡様はすっかり恥じ入って気落ちし。酒に溺れお役にもつかず籠ってしまいなすった。物狂いって噂もあって奉公人もすっかり去って家は荒れ放題。商人もつけが溜まってお出入りしねぇってありさまだったようだ。

 縁の下からはいでたおちょちゃんは、そんな有り様を見て噂も聞いてから。酒びたりで寝込んでいる殿様にどうか竈の脇にでも寝泊りさせてくれ。ご恩は自分が働いて仕えるからって頼み込んだそうな。

 いぢらしじゃねぇか、娘ッ子も必死だったんだろうよ。

 煤けたような小娘を見て、勝手にしろと殿様は投げやりで。おちょ坊はその日から庭の草取り家の掃除と働いて、近所の米味噌屋に頭を下げて、自分が働いて必ず払うからと米や青菜を借りてきたそうだ。
 暗いうちから米屋の前を掃除したり薪炭屋の荷卸しを手伝ったり。朝の御膳を出すと縫い子の下請け仕事を捜してきては夜なべして働いたと。

 弥七さんが捜し当てて近所に聞くと、どこの家もいぢらしい下女だとおちょちゃんの働きぶりに感心していた。
 連れ戻すのもなんだと様子を伺っていたそうだが。御武家ってぇのは呑気なもんで、相変わらず家の物を酒に変えてはひがなごろごろだぁ。よっぽど嫁御に裏切られたことが堪(こた)えておいでなさったんだろうよ。

 へっ、男なんてぇもんはからっきしだらしねえやな。面子だの御家だとそっくりかえっちゃいても女一人に尻子玉抜かれちまう。おいらぁなんか女に脈がなきゃ他へ行くだけなのにさ。よっぽど惚れてれていなすったんだろうかなぁ。

 そんな日が四月も続いて、あまりにみかねた米屋の主人がついに御屋敷に乗り込んでいったそうな。

 おめえさんは、毎日白飯喰って熱い味噌汁飲んで、僅かなもんは酒に変えちまってるようだが。それは誰のおかげだと思っていなさるってね。おちょちゃんは釜の底の飯粒拾って食いつないでいるのにってな。

 おうよっ、よく言ったってぇもんだ。その通りよっ。さむれえはおまんまに困って辛抱したことがねぇからよっ。

 松岡様も、もとはお優しい気立てのお人だったんだろう。米屋の親父の必死の諌めに、ずいっと心を動かされなすって。おちよちゃんにも詫びたそうだ。

 数日たって幼馴染の御同輩がやってきた。ご同輩も心配していて時々様子を伺ってらしたようだが。あの娘はあっぱれな心根の娘だと、覗いたら顔を洗ってみれば愛らしい顔立ちだ。きちんと奉公人として扱ってやれと些少の金子も持参したそうな。

 へっ、友達ってえのはありがてえもんよなぁ。それでどうなすってぇ。

 松岡様は身じまいを整えて父親の御友人だったお目付けの所へ頭を下げてお役を頂きたいと願ってな。おちよちゃんにも着物もあがなって奉公人にしなすった。ふっきれてお役にも励んだそうな。

 そうこうする内におちょちゃんも年頃で。やがて御同輩の養女として預けて士分の仕きたりを学ばせてその後奥方に迎えた。ってぇ目出てえ出世話よ。
 今では奉公人にも心配りなさる立派な奥方だと。加賀のあにさんの所にも弥七さんに頼んで、立派な引き出物を届けなすったそうだ。

 ほうっ、そりゃまたなんともいい話じゃねえかぃ。あはは、薬売りの語りにすっかり気を良くして親父も六滋丸をしこたま買ったんじゃねえかぃ。

 まあな、こんなつべてえ話ばっかりの世間じゃよ、温もった話ぁ元気の薬よっ。さあて元結きつく締めておしめえだ。

 おうっいい仕上がりだ。さっぱりと気分もいいから蕎麦でもたぐって権現様の縁日でも冷やかしに行こうか。ほい親父御代はここに置くぜ。

 平さんまいどありがとよ。またなんか面白え話もでも仕込んどくさぁ。

 あいよっ。つべてえ風も熱燗の温もりってぇもんだ。またくるぜっ。