明暦の大火は江戸の人々の記憶に深く痛みを残し、江戸の町の一つの転機ともなった災害であった。
十万の死者を出した大火の時。大川に遮られて、のがれられなかった多くの町民がいたことから大川に橋が渡されることになり。千住大橋に続いて隅田川に二番目に架橋されたのが両国橋。当初大橋と名付けられていたが西側が武蔵国、東側が下総国と二国にまたがっていたことから俗に両国橋と呼ばれる。

 火災瓦礫の埋め立てによって深川新地が広がり、被災者の弔いに回向院も建立され。多くの寺社武家屋敷も川向こうへと転地替えになった。吉原が日本堤に移ったのもこの頃。

 それ以後、町の各所に火除け地が設けられて。そこは類焼を防ぐため家作を建てる事は禁じられたが。そこは日々人の流れも多い江戸のこと。家作でなければ良いという幕府の目こぼしもあって。屋台、芝居小屋などすぐに壊すことができれば家作ではなしとのはからいで、広小路など盛んに出店が連なったのだ。

 松平定信の天明の改革で、一時は厳しく華美を禁じられても、庶民のささやかなうさ晴らしは途絶えず。両国橋横の猿若町はとみに芝居小屋が多く賑わって、周囲には寿司、田楽、うなぎ屋台、天ぷら屋台がひしめいた。

 仲村座の横に田楽屋台があって屋台の後ろの床机に若い者が数人集って、豆腐の味噌田楽で昼下がりから一杯やっている。

 奥に座っているのは小平次と呼ばれる細面のいなせな男で、まだ若いが手下とも云える地元の若い衆を束ねている。
人が集れば町の揉め事や、すりかっぱらいも起こる。地回りの岡引っきにも地割り屋の元締めにもつなぎがある。掛け小屋の解体や引越しと、いってみれば町の便利屋でもあった。

 みんな孫兵衛旦那の葬式ではおめえ達にも世話になったな。おかげでこじんまりといい弔いだった。ご苦労さんだぁ。

 ところで今日集ってもらったのにはわけありでな。面倒掛けるが手伝ってくれめえか。

 何を水臭いぜ。孫の旦那にはみな世話になったあたりめえよ。それに兄ぃの頼みなら断る奴なんぞいやしめえ。お蔵暮らしの頃からの仲間だ遠慮なんぞいるめえよ。

 年かさの長太が言うと周りの者も頷いたり、そうよっ、と合いの手を入れる。

 ありがとよ。おめえらも知ってるだろうが川筋で夜鷹、船饅頭が殺される物騒が立て続けにあった。金が目当てならしょっぺえ稼ぎの女を殺して何になるよ。夜鷹殺しなんぞお上も相手にしやしねえやな。
 おいらも気にはなっていたが面倒は買ってでるわけにもいかねえと思ってた。ところが、孫の旦那と親しく弔いにもおいで下さった中根嘉衛門ってお方がいる。

 この方も隠居なすっているんだが、元は南町の御奉行肥前守さまの側用人だったお方だ。おめえらも知ってだろうが、肥前さまは町場の噂やあやかし話を綴られている変わったお方で、隠居なすっても度々お忍びでここいらにもおいでになったろ。

 それで中根の旦那が言うには、町の話にさとい肥前さまが、哀れな女達を殺めるとは気の毒な話よと。ひとつ治めてきてはくれまいかと。顛末をまた何やら書き綴られるんだろうが人情の判るお方だ。一肌脱ごうかと思っているんだがどうでえ。

 そりゃいいやっ。おいらも土手の夜鷹にゃ馴染みもいっからよっ。一肌どころかもろ肌脱いぢまうぜっ。
 まだ前髪落としたばかりの清助も生意気に鼻をこする。

 その話は素早く川筋に流れ、船頭、江戸船の風呂屋、夜鷹、船荷担ぎと川端に生きる者達の間を走った。

 その九つ時、大川から横川に入る美棚の船着場の石段を小平次は身軽にひょいと降りていくと。呼び出しちまってすまねえなっと、屋形船の女に声を掛けた。

 障子を開けて船べりに凭れていたお蔦は、婀娜(あだ)に微笑むと。裏を返しに来てくれたかと思えば色気もなしかぃ。
話は流れてきたよ。わたいらみたいなその日暮らしを殺めてるなんぞ、鬼畜さぁね。

 それでな、おとくって川筋の夜鷹の姐さんがいる。この人ぁ今はすっかり身を落としたが元は御浪人の女房だったこともあるのさ。

 それである晩、堤で若い男に声を掛けられた。かなり酔っている様子で目が血走っていたから誘いを断って離れようとすると、いきなり男がだんびら抜いた。

 鉄火な姐さんだから、赤鰯なんぞ怖いもんかと、持ってた茣蓙莚を投げつけて走ってのがれたんだというのさ。男は御家人崩れかたぶん冷や飯だろうとね。

 さむれえも次男三男の冷や飯にゃうさもあるだろうさ。おいら達のように町とんびの気楽さもねえ。お家も継げねえお役にもつけねえ。婿の口でもありゃましってぇもんだからなぁ。腕組みしながら小平次は言った。

 おきやあがれだ。そりゃお侍にも苦労も辛抱もあるだろうさ。だけど地べた這いずって生きてるようなもんを殺めてどうなるのさ。ふん、そんなのぁてめえかっての唐変木の屁理屈ってものだぁね。

 人斬り包丁捨てる度胸もなけりゃ町場で喰ってく気概もねえくせに、弱いもんいたぶってうさ晴らしなんぞ、人でなしのするこったぁ。冷や飯だろうが飯が喰えるのにさ。

 おめえの言うとおりだ。何とかぶっちめて日の出湯の源蔵親方にでもつきだそうとな。相手が御家人となりゃ与力扱いとは云え町場のことだ。若い奴にも用心させねえと怪我人は出したくねえやな。

 小平次さんもお気をつけなさいな。裏を返して貰わなくちゃわたいの女がすたるからねぇ。

 おうよっ、お蔦さんも客をとる時ぁ用心しなせえよっ。さむれえはよしなよっ。

 おや、心配してくれるたぁ嬉しいねぇ。あいよっ、わたいも中川辺りまで流して伝えておこうさ。なんかあったら猿若町に使いをやるよ。

 猿若町の朝は早く芝居小屋さえ明け六つ(御前6時)から開く。昼興行と夜興行の長い幕間は、上客は続きの芝居茶屋で食事も摂れて。一日芝居三昧に浸れるのだ。

 仲村座の楽屋部屋でごろり横になった小平次に、茶を啜りながら首に白塗りの役者が言った。

 小平次あにい、あてもなく無く川筋歩き回っても埒があかないわよ。いまどき冷や飯なんて掃いて捨てるほどいるものねぇ。まったく浜の真砂はつきるとも世に悪党はつきないものよ。

 仲村紫は近頃売り出しの女形だが、元は御霊神社の境内の捨て子でお蔵河岸の掃除の爺さんに拾われて育った。こまかい時は小平次について廻っていたが、顔立ちの良さから孫兵衛が芝居小屋に世話をしてくれ。下働きから仲村市蔵に踊り芝居と仕込まれて、資質もあったのかいまや看板女形と人気も高い。

 でもね、酔っているってのは呑み食いの金はあるのよねえ。賭場に話を流してみたらどうかしらん。川筋の居酒屋や煮売り屋にもあたってみるとか。走り小僧を廻らせてつなぎをつけときゃいいわよ。瓦版屋の庄吉にゃわっちの方から知らせておくからさぁ。

 そりゃいいかんげえだ。おいら達も足が棒っきれになる程へめぐっちゃいるが。なんせ何時出るかもわからねぇ幽霊だからな。

 町の知らせはじわり広がって、口の堅そうな居酒屋や出入り商人、道端仕事の夜なき蕎麦屋と口伝えで流れて行く。

 冷える晩で、小平次が長太と小名木川のニ八蕎麦屋でかけ蕎麦を啜っていると。あにぃでたぁーと、草履を両手に持って素足の清助が走りこんできた。

 おうよっと二人も立ち上がる。親父蕎麦代はあとだ、二人は夜の闇に転がり出た。親父も心得て気をつけなせぇよっと送り出す。

 煮売り屋の善さんとこから出て川沿いだぁ。二人ばかり夜鷹冷やかして避けられてらぁ。

 長太は走りながら通りすがりの小屋脇から竹の竿をひっつかんでいる。薄暗がりの土手沿いに人影を見出すと三人は足を止めて、ゆっくりと静かにその影を追う。

 ふうらりと身体を揺らせながらなにやらぶつぶつと呟いている後姿は、小平次達とそう年合いも変わらぬようだ。土手柳に時折身を潜めながら半町ほどついて行くと、手拭を髪に掛けた夜鷹が柳下に佇んでいる。

 おいっ、侍が声を掛けると女は手拭の端を咥えたまま振り向き笑いかける。遊んでいくかぃ。女は気だるいように男の側に寄る。前金で二十文だよ。

 そのとき男の顔が歪み、前金だとぉ。人が金を持っていないとみての侮りかぁ。夜鷹ふぜいが馬鹿にしおって。

 鯉口を切っても手元が震えて一気に刀が抜けない。小平次が飛び出して。
やぃ、夜鷹殺しはてめえだなっ。弱いもんいたぶりやがる根性が気にいらねぇ。引っ括ってやるから覚悟しな。

 男はやっと刀を抜くと、きさまぁと向かってくるのを、身をかわして避けるところを長太が足元に竹棒を差し出して転ばせる。清助もとんで出て草履で頭を張った。小平次は手首を捻って刀を落とすと。

 姐さん、腰紐ないかぃ縛り上げるぜ。夜鷹も怯えて腰をついていたが、あいよあいよっと震え声でいって腰紐ほどいて手渡す。


 小石川の根岸肥前守の隠居所の庭に冬の陽射しがこぼれている。
広縁に渋柿色の袖なし羽織の老人が、小鉢で鳥餌を練っている。広縁には鳥籠の目白がさかんに囀ずって餌を待っている。

 嘉衛門は庭にしゃがんで微笑みながら。
と、いうような経緯にて、武家方ということで与力に渡されました。不埒者は小普請組の兵頭家の四男庚之介たる者。酒癖と賭場通いで厄介者と家のものからも見放され、跡取りの嫁からもさんざんと罵られおいたようで女への怨みもあったかと。

 ふうむ、哀れと言えば哀れな者よ。わしも軽輩出の身ゆえその気持解らぬでもないが。弱い川筋の女を斬ってうさを晴らしてなんになるのか。まぁ身内にあまり類が及ばぬようにな。嘉衛門はかってやってくれぃ。

 はっ、御意の通りに与力に伝えておきまする。それでこの町とんびの小平次なる者、なかなかに世事に通じておりますれば、手札でも与えて子飼いになすってはいかがかと。

 孫兵衛が可愛がっただけはあろうて。ふふっしかしな嘉兵衛、とんびは紐をつけると思うがままに飛べぬもの、祝儀をやって飛ばせておけ。また面白い話でも耳にしたら知らせおけとな。

 隠居はくっと面白そうに笑って、鳥籠に餌を差しいれてやった。


 お蔦さんおいでかぃ。小平次は冬晴れの昼下がり、竪川の船着場横に顔を出した。

 あいよっ、昨日小僧が使いを持ってやってきたから今日はここまで流してきたのさ。聞いたよお手柄だったそうじゃねえか。これで安気に商売できると川筋の女達も喜んでいるさぁ。

 へっおかげさまよ。ご祝儀も出たんだがみなで分けちまってよ。流してふれて歩いてくれたおめえにも世話になった。
船にばっかしじゃ足が萎えちまうぜ。どうでぇ長明寺に餅でも喰いにいかねえかぃ、おごるぜっ。

 おや誘ってくれるのかぃ。今着替えるからちょいと待っておくれな。

 船をもやって船着場の船頭に小銭を包み、ちょいと留守をみといておくれな。と声を掛けたお蔦と小平次は、午後の川風に吹かれながらを並んで長明寺に歩き出す。
 冬晴れの風の中に春の匂いも混じる、陽射しが背中をほのかに温める昼さがりだった。<了>



 ※船饅頭とは小船で春を売る者で。船頭のいることもあり夜鷹よりは少し値が張った。

 ※江戸船ー船に風呂を載せて川筋を移動し、船人足や荷担ぎに一汗流させる商い。

 ※根岸 鎮衛(ねぎし しずもり)は郷士の三男に生れ、根岸家の御家人株を買って士分になったとも云われているが。勘定方から頭角を表し、やがて佐渡奉行、勘定奉行をへて南町奉行を十八年の長きに渡って務めた。肩口に赤鬼の刺青があって赤鬼奉行と呼ばれた一説あり。あやかし話や巷の話を綴った「耳袋」の作者としても名高い。