「危機の構造」を読む その7 | 蜜柑草子~真実を探求する日記~

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$蜜柑草子~真実を探求する日記~-危機の構造
危機の構造―日本社会崩壊のモデル

その1その2その3その4その5その6はこっち。

第5章 危機の構造
いよいよ本書の分析の要諦である。
本章では、当時においても日本社会の構造の奥深くに隠れていた、危機の本源が抽出される。
その危機の本源は、現代日本にもしっかりと継承されている。
社会構造は容易に変わらない、という社会科学の理論通り。
これは、戦前から戦後、現代に至るまで、内面的になんの原理的変革も行わなかった結果である。
その結果がどうなっているかは、先刻ご承知の通りである。
日本社会は、着実に解体の過程にあり、危機の構造は相も変わらず保持されている。
そして、その構造を保持している限り、戦前と同じような破局に至りうる。
今回は、その過程を見ていこう。

まずは結論から。
その危機の本源とは、構造的アノミーである、と小室直樹は指摘する。
これこそ、日本社会の奥底に潜む、危機の発生源である。
日本を戦前と同じような破局に導く危機の根源である。
この指摘は、今から35年以上前になされたものである。
けれども、この構造的アノミーは現在でも存在するし、破局への兆候と見られる現象も観察できる。
以下では、構造的アノミーについて書こう。

アノミー
はじめに、アノミー(anomie)について。
アノミーとは、デュルケムが発見した概念であって、無連帯のことである。
社会学だけでなく、政治学でも頻繁に応用される強力な分析概念である。
これは、人間が、友人や親、社会などとの連帯を失った状態である。
さらに、連帯を失った結果として、無規範に陥る。
すると、どんな凶悪な行動や常識ではありえないと思われる行動でもとる。
破壊や殺人、自殺くらいはお手のもの。
目的を持たず「ノリで」殺人をしてみたり、集団で自殺をしてみたり。何でもござれ。
これらの現象は、日本では普通に見られるので、理解しやすいだろう。
本人達に、それをやめろ、と言っても無駄。
「うっせーな、ンなこと分かってんだよ!ウゼーよ。」と言われるのがオチ。
連帯は規範に優先するので、まず何よりも失われている連帯を回復しようとするのである。
規範はその後についてくる。

アノミーは、かようにして恐ろしい社会的な病気であるが、どのようにして発見されたのか?
デュルケムは、自殺の研究をしていて、これを発見した。
まずデュルケムは、経済が悪くなっている時に、自殺率が上昇することを確認した。
それと同時に、驚くべき事に、経済が良くなっている時にも、自殺率が上昇していることを発見した。
前者を説明するのは簡単だが、後者は?

それを、デュルケムは次のように説明する。
人間は、急激な生活の変化に適応するのは困難である。
たとえそれが、生活が良くなるのだとしても、と。
経済が良くなると、今までよりも生活水準が大幅に向上する人が出てくる。
そうした人々は、社会の新たな階層に属するようになり、生活様式が大きく変わる。
すると、付き合う人々もガラリと変わり、そこでの規範やあるべき姿も一変する。
人間は、こうした急激な変化に適応するのは困難なのだが、
その生活様式に合わせなければ、その社会からは追放されてしまう。
ここに、心理的な危機が訪れる。これは、現代人にとっても変わらない。
今まで中流か下流にいた人間が、上流階級の集まりに行ったり、パーティーに出るようになれば、
急激な変化にオタオタしてしまう。
周囲の視線が痛かったり、自分は場違いなんじゃないか、と思ったりする。
あたりをキョロキョロ見回してみたり。
今までマクドナルドで食事をしていた人が、ホテルの最上階にあるレストランで食事をする場合を考えてみよ。
その心理的な葛藤が、よく分かるだろう。
こうした心理的な緊張に、人間は長い間、耐えることができない。
かくして、破壊的な行動や、自殺に至る。


構造的アノミー
次に、構造的アノミーについて。
社会構造がアノミーを再生産する過程を含み、社会が動くにつれ、アノミーも再生産される場合、
この出てくるアノミーを構造的アノミーと呼ぶ。
この構造的アノミーこそが、日本社会の危機の根源である。
日本社会の危機は、アノミーが単に存在することではなく、
アノミーが不断に生まれ出てくる構造を保っていること。
しかも、それは拡大再生産される。
これである。

アノミーが存在するだけなら、「痛いの痛いの、飛んでけー」と、ばんそうこうを貼ればすぐに治る。
ところが、構造的アノミーに陥ると、そうはいかない。
何度も何度も、同じような怪我の仕方をする。
膝や肘をすりむくところから始まって、同じような場所をすりむくので、次第に傷口が広がっていく。
段々とばんそうこうでは間に合わなくなり、より出血も増えていく。
それをそのまま放置しておくと、死に至ってしまう。
恐るべきかな、構造的アノミー。

さて、最後に、構造的アノミーに陥った前提条件を確認して、お終いにしよう。
日本社会が、構造的アノミーに陥ったのは、以下の理由による。
それは、戦後、天皇の人間宣言が始まりである。
天皇は、戦前は「神」とされており、絶対的な存在であった。
キリスト教などの一神教の「神」と同じようなものだと思うといい。
それが、戦後、突如として「やっぱり人間でした」という話になる。
ここに、日本人が絶対的なものだと見なしていた存在は、絶対ではなかったことを知る。
こうして、人々は、偉大な存在との連帯を失い、急性アノミーに陥った。
アノミーは、何としても回復されなければならない。
ところが、高度経済成長も始まっており、連帯が得られるはずの家族や村落といった共同体は崩壊していた。
そこで行き場の無くなった人々は、会社に居場所を見出した。
これが、会社という機能集団が、共同体になった所以である。
しかし、次第に、そこも安住の地ではないことがわかる。
こうして、構造的アノミーの条件は整えられた。


Leben ist Einsamsein.
Kein Mensch kennt den andern,
Jeder ist allein.
人生とは孤独であることだ。
誰も他の人を知らない。
みんなひとりぼっちだ。  ――ヘルマン・ヘッセ『霧の中』、高橋訳

次回は、構造的アノミーの作動過程などについて。
続く