「危機の構造」を読む その2 | 蜜柑草子~真実を探求する日記~

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$蜜柑草子~真実を探求する日記~-危機の構造
危機の構造―日本社会崩壊のモデル

その1はこっち。

第2章 日本型行動原理の系譜
この章では、戦前と戦後に共通する日本人の行動原理が示されている。
それを示す事例として、当時の世間を騒がせた連続企業爆破事件の狼グループや連合赤軍の事件に焦点を当てる。
そこから彼らの行動様式を抽出する。
そして、それが戦前の日本を破局に導いた軍事官僚や、戦後の官僚、ビジネスエリートにも共通なことが指摘される。

その戦前と戦後に共通な行動様式とは何か?
それは、盲目的予定調和説である。
盲目的予定調和説とは、次のようなものである(P55)。
「①自分たちこそ国民から選ばれたエリートであり、日本の運命は自分達の努力にかかっている。
 ②この努力は、所与の特定した技術の発揮においてなされる。
 ③したがって、この所与・特定技術の発揮においてのみ、全身全霊を打ち込めば、
 その他の事情は自動的にうまくゆき、日本は安泰となる。」(下線は筆者。本文では傍点)

その上、盲目的予定調和説の系として、次の技術信仰が得られる(P51)。
「盲目的予定調和説を奉ずる限り、各機能集団間の機能的な対立は看過され、
 自己が遂行する特定の技術のみが信仰される」。
導出の論理は、以下の通り。
社会において、機能的な要請を達成するために分業は不可避であり、それは多くの集団により分担される。
各集団は、それぞれの目標を持ち、それぞれの方法を使って、達成しようとする。
そこでは、目標の対立が必ず起こる。(例:戦前の陸軍と海軍、各省庁の権益争いなど)
ところが、盲目的予定調和説を前提にする限り、こうした対立は放置したままでよくなる。
その他の事情は、自動的にうまく行くはずなので、自分達の目標を達成することだけに専念すればいいから。

そして、盲目的予定調和説と技術信仰が結びつくと、次のような考えになる。
自身が所属する集団の目標達成とは直接的に関係のない現象は、視界から消え失せる。
たとえそれが間接的にどれだけ重要であったとしても、そのことに対する配慮は一切必要ない。

これらのことを基礎に据えた行動様式こそまさに、現代の日本社会にも貫徹する社会法則である。


そのよい例が、原発の「安全神話」。
政治家や官僚、ビジネスエリートを筆頭に、原発の誘致・建設という目標を一度掲げるやいなや、
それと直接関係のないことには一切配慮が回らなくなる。
とにかく、原発を誘致して、建設するんだ、と。これだけしか目に入らない。
原発が爆発する可能性や、周辺住民の被曝。
そんなもの知りません。
そうした間接的に重大なことを考えると、原発の建設という目標を達成できなくなる恐れがある。
従って、これを回避するために、「原発は絶対に安全なのだ」という神話を創作することに帰着する。

こうした神話が堂々とまかり通っていたのは日本だけである。
それは、盲目的予定調和説と技術信仰が、日本人に固有な特徴であるということを補強する。
さすがは、世紀の大天才・小室直樹。
日本人の行動様式をものの見事に抽出している。

そして、この神話が崩壊した後の後日談もある。(P58を参考)
梼昧(とうまい)な「安全神話」を創作したり、伝道していた人々は、原発が爆発して何を思うのか?
彼らは、それなりに良心的に行動したつもりではいる。
そして、密かな誇りを抱いてさえいる。俺達が経済成長を牽引したんだ、と。
問題は、原発が爆発し、広範囲な地域が放射性物質で汚染されるという現象は前例がなく、
彼らの予定表に載っていなかったというだけのことである。
「想定外」という言葉が、如実にこの心理を表している。


日本は、戦前から現在に至るまで、誰もが夢想もしなかったような社会の変化を経験した。
ところがそれは、目に見える表面上のことだけである。
目に見えず、日本人の奥底にある行動様式は、戦前と全く変わっていない。
「そろそろ、軍事から、経済に衣がえする季節ね」と言って、表面を変更しただけ。
それ故、社会の構造は全く変わらず、危機を内側に抱えたままである。

"On ne voit bien qu'avec le coeur. L'essentiel est invisible pour les yeux."
ものは心で見る。肝心なことは目に見えない。    ――サン=テグジュペリ 『星の王子さま』

続く