「危機の構造」を読む その3 | 蜜柑草子~真実を探求する日記~

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$蜜柑草子~真実を探求する日記~-危機の構造
危機の構造―日本社会崩壊のモデル

その1その2はこっち。

第3章 歴史と日本人思考
この章は、他の章に比べ2倍近いページ数なので、扱うテーマも増えている。
しかし、大まかに言えば、2つに分類できる。
それは、日本人の社会科学的な分析能力の欠如と、
そのことについての注意を喚起できないジャーナリズム批判である。
この章は、この分類に従って、2回に分けて書こう。


まず小室直樹は、日本人の思考の盲点を指摘する。
それは、「社会現象に対する科学的分析能力の欠如」である。
戦前から現在に至るまで、ずっと続く思考パターンである。
では、「社会現象に対する科学的分析能力の欠如」とはどういうことなのだろうか?

このことについて考えるために、社会現象の特徴を挙げてみよう。
社会現象は、注目する社会の全てが全てに依存し合う中で、生起する現象である。
ある出来事の影響は、無限に波及を繰り返し、自身にもフィードバックが返ってくる。
それ故、当初、全く思ってもいなかったような結果が生じる場合が多い。
行動者の意図とは、全く正反対の結果が出てくることもしばしば。
この点は、ヴェーバー大先生も感動を込めて語ること。

さて、こうした意図しない結果を生み出す社会現象を分析する際に必要なことは何だろうか?(P77)
まず抑えなくてはならないことは、社会に対して全体的な視点を持ち、
それぞれの現象や要因同士の複雑な相互連関を考慮に入れなければならないということ。
そして、社会現象の科学的な分析には、このような態度を前提とし、行動者の意図だけでなく、
行動者のパターンやその他諸々の条件を考慮に入れることが重要である。


これに対して、人々が陥りがちなのは、優越要因説とその一種であるスケープゴート主義。
どちらも、ある出来事の原因を一つの事柄に帰属させる考えである。
スケープゴート主義は、そこに攻撃性が付け加わる。
対象が「善」であるのか「悪」であるのかが判断され、「あれが悪い!」という感覚と共に一つの原因に帰属させる。
わかりやすい例は、「努力をすれば、成功する」という考え方。
  努力の多寡 → 成功の度合い
という単純な因果関係。
まことに単純な論理ではあるが、意識せずに、信奉する人が多いのも事実。
というより、日本中、至る所に転がっている。

より具体的には、「お勉強をたくさんしていい大学に入れば、成功が約束される」みたいな話。
或いは、「一生懸命に働けば、成功が約束される」のような話。
それぞれ、お勉強をたくさんすることと懸命に働くことが、成功の十分条件になっている。
ところが、社会科学的に考えてみると、そんなことはあり得ない。
「成功(幸福)」には、個人の「努力」以外"にも"、社会的な条件なども必要。
生活環境、両親の仲の良さ、両親の文化的・社会的・経済的な資産、など、
その他諸々の社会的な条件"も"必要になる。
スケープゴート主義に陥ると、こうした条件が目に入らなくなる。
お勉強をしていないのが悪い、となる。
ここに陥穽がひそむ。

こう書くと、心理学の方面から、次のような反論が来るだろう。
「それは人間ならほとんど誰にでも当てはまることです。
 だから、日本人の特徴とは言えません。そもそもスケープゴートは、旧約聖書が始まりですし」と。
その通り。
社会科学の学説史を見るだけでも、そのことは明らか。
しかし、欧米などと異なる点は、日本ではそれを社会的に制御することができないこと。
その原因は、盲目的予定調和説と結びついて他に配慮が回らなくなること、
「空気」が支配すること、ジャーナリズムが機能しないことなど。
そのため、自分達のスケープゴート主義を反省することができない。
なぜなら、「空気」は目に見えないし、ジャーナリズムが追及しなければ忘れ去られるだけだから。
反省することができなければ、その分析結果を学習し、社会的に制御しよう、という意識も生まれず、
スケープゴート主義が幅をきかせることになる。

スケープゴート主義は、時として致命的な様相を帯びる。
一例を挙げよう。
何年か前に、助けてと言えない30代という話が知られるようになった。
これこそ、スケープゴート主義による典型的な被害。
彼らは、親や周りの人間、メディアなどから「努力をすれば、幸せになれる」という考えを植え付けられた。
ここで、この「努力をすれば、幸せになれる」という命題の対偶をとってみよう。
すると「今幸せでないのは、努力をしていないからだ」ということになる。
そして、努力をしなかったことが悪い、と見なされる。
この論理が進むと、今の状態は全て自分の責任であり、自分が悪いと感じ、
誰にも助けを求めることができなくなっていく。
その上、受験戦争で潰し合ったので、周りの友人は敵になってしまったことなどが、孤立化を驀進させる。
親や周りの人間は、本人達のために善かれ、と思って、誠心誠意努力をしたのだが、
結果として、本人達を一生懸命崖っぷちに追い込んでいた、という悲劇。
「頑張って幸せになってね」と言いつつ、崖の方へ向けて、笑顔で彼らの背中を押していた。
ドスン―――


小室直樹は、こうしたスケープゴート主義こそ、日本人の思考様式をむしばみ、
科学的な分析をはばんでいる、と指摘する。
このような日本人の思考の盲点に対して、35年以上前に警告を発していた。
しかし、いつもの通り、耳を傾ける人はほんの少数。
社会現象を科学的に捉えようとする努力は試みられないままだった。


理性だの学問だのという
人間最高の力を軽蔑するがいい。
偽りの精神の動くがままに、
妖術や魔法の道で元気をつけるがいい。  ――メフィストフェレス、ゲーテ 『ファウスト』相良訳


続く